PM9:25 デカルーム


『……と言うわけで、私が今持っているスペシャルポリスと、そっちにいるデバイスのオチビちゃんを交換して欲しいのよ』

夜中のデカベースには、文字通り暗雲が立ち込めていた。昼間あれほど光かがいていた太陽はその勢いを失い、月明かりすら通さない闇が作り出されている。
それは、SPDや、管理局員達からの研修生達にも、影響を及ぼしていたのだった。

『ユニゾンデバイスは、マスター以外には使いこなせない代物。マスターとセットになってこそコレクションの価値は倍増するわ』

決して軽微とは言えないメガロポリスの被害。
倒したと思っていた怪重機も再び転移し、現れる気配は無い。
そして何より、彼等の大事なメンバーである二人…礼紋茉莉花と、八神はやて。

この両名は、敵に拉致されてしまったのである。

『デバイスを渡してくれるなら、こちらも人質の半分を返す事を約束しましょう。もちろん、生きた状態でね』

現場処理と平行で行われた懸命な追跡捜査にも拘らず、今回の事件の首謀者である、シューニ星人メディールは未だ姿を見せない。
事件は混迷を極めたと誰もが思っていた時、一本の通信文がデカベースへ向けて送信されてきた。

『不公平だと思う? けどね、主導権はこっちにあるわ。私は何時までもこんな事を続けるほど呑気ではないの。そちらが要求を飲まないのであれば、私は間違いなく二人を殺す。そうすれば後に残るのはマスターの存在しないユニゾンデバイスが一個だけ……最終的にはどっちが得かしらね?』

そこに出てきたのは、紛れも無くクライムファイルに乗っているメディールそのものであった。
単方向式の記録映像ため、彼女が一方的に喋るだけだ。
そして彼女は要求を突き出してきたのである。

『また連絡するわ、そうねえ……五時間上げる。その間に良く考えて頂戴…それじゃあ』

即ち、捕らえている二人のうち一人、ジャスミンとリインフォースの身柄を、交換し合うというものだった。





暗くなった室内が再び明るくなる。

「これが、十分ほど前に送られてきた物だ。やはり敵の狙いは、リインフォースのみならず、主たるはやてである事は間違いない」

ドギーが皆の方を振り返りながら、唸るように言った。
しかしその言葉は、深く重い。
彼の目の前にいる若者達も同様で、身体の中に深い巨石を投じられたようだった。

「冗談じゃねえ……こんな二択、選べるかよ!!」

「バンさん……」

なのはが怒りに震える青年へと目線をずらす。
赤座伴番が拳を握り締め、思い切り床を踏みつけた。
それがこみ上げる無力感を抑えつけるゆえの行為である事を、なのはのみならず全員が分っていた。

「落ち着けバン。物に当たっても、何にもならない」

ホージーが諭すように言う。
しかし、彼自身も打つ手なし、といった表情を見せていた。

敵の脅迫を受け入れるか、撥ね付けるか、どちらを選んだとしても結局はやては敵の手に残ったままなのである。
管理局が貴重な戦力は失うことになるだけでなく、人命が失われる危機なのだ。金のように単純に計算は出来ない。

「流石にちょっと、へこむよね。これは……」

センが深い溜め息をつきながら、天井を仰ぐ。
彼も帰還してから余り口を開かず、壁にもたれ掛かって俯いている。
敵の狙いを予測できなかったのは自分の責任だ、と言わんばかりだった。

だが、彼等の憂鬱の種は、単に仲間を失いかけている事だけではない。

「フェイトちゃん…リインフォースは?」

なのはが椅子に座ったままに尋ねる。
フェイトゆっくりと、頭を横に振っただけであった。
しかし、彼女に何があったのかを分からせるには、十分であった。








時々思う事があります……私は本当に、はやてちゃんの役に立っているのか……

彼女は料理だって、裁縫だって出来ます。私の自慢のマスターです。

じゃあ、私は何が出来るんでしょうか?

融合して、ただそれだけの存在……だったらリインには人格なんていらないです。

本当に『一緒にいる』って、どういうことですか? チームって何ですか?

分からない事だらけで……でも、私は頑張りたい……!!


魔法少女リリカルなのはSPD……始まります。







Episode06         リバイバル・ウイング







「さて、と……」

通信文を送った事を確認すると、メディールはビルにあるオフィスの奥に居るメカ人間を呼びつけた。
指示を受け入れたアーナロイドは、それに従い一人の女性を連れてくる。
両手を二体のアーナロイドによって封じ込められた、ジャスミンである。

「今、アナタのお仲間の下へ連絡をしたわ。多分、デカベースに帰れるでしょ」

「そう…随分と優しいじゃない……」

ジャスミンは捕らえられているにも拘らず、その顔には冷笑を浮かべていた。
変身も解除され、SPライセンスも取り上げられている。
それでも彼女は、この事態に絶望してはいなかった。

「私の配慮に感謝しなさい。本来ならとっくに肉の欠片になっているわよ」

「あら、犯罪者に感謝するスペシャルポリスが居ると思ってるの? 知能犯って定評だけど、ハッタリみたいね……」

メディールの眉が僅かに釣りあがる。
ゆっくりとジャスミンに対し近づくと、彼女のアゴに手をかけて強引に目線を合わせる。

「そのハッタリ犯罪者に見事に捕まったお馬鹿さんは誰だったかしら? 私はね、あなた達みたいなサルの親戚よりも、賢くて、したたかで、思慮深いのよ」

「フフ……」

ジャスミンの笑顔の質が変わった。
今までは相手を皮肉ったような、見下している物だった。
しかし、今の彼女はまるで子供のように屈託の無い表情になっている。

「何が可笑しいの?」

「現地の言葉を勉強したら、と思ったのよ」

「何ですって……」

「賢くて、したたかで、思慮深い? 醜くて、愚かで、脂臭いの間違いじゃないの?」

メディールの笑みもここまでだった。
お世辞にもいい表情とは言えなかった異星人犯罪者の顔つきだったが、今のジャスミンの言葉で、明らかに憤怒の形相へと変貌する。
拳を握り締めると、無造作にジャスミンの腹部を殴りつけた。

「あぐっ!」

「いい加減にしなさいよ……」

ジャスミンの身体がよろめいた。
もう一発、今度は彼女の顔目掛けてぶち込む。

「うあっ!」

「自分の立場を……わきまえなさい!」

アーナロイドが身体を固定している為、衝撃を逃がすことも出来ない。
ジャスミンは痛みと格闘する羽目になった。

「少しばかり優しくしたら!」

「ごふっ!」

「つけ上がりやがって!!」

「かはっ……くっ…」

「この小娘が!!」

拳が身体を襲う度に、血が飛び、制服は傷ついていく。
それでもメディールは決して手を緩めようとはしなかった。
十回、二十回。
数えることも馬鹿馬鹿しい位に、メディールはジャスミンを殴りつけた。

「ハァ…ハァ……」

どれほどの時間が経っただろうか……。
人間が見れば間違いなく目をそむけるであろう状況の中で、メディールはようやく彼女を解放した。
しかし、息を荒げたアリエナイザーからは、まだ怒りの感情は消え去ってはいない。

「いいわ……私がそういう風に見えるって言うなら、そうしてあげようじゃないの……」

服の中から、鈍く輝く刃物を取り出す。
たっぷりと時間をかけながら、ジャスミンにそれを近づけていった。

(みんな……)

遠のいていく意識を気力が留めながら、ジャスミンは仲間の事を思う。
今頃、意気消沈しているだろうか。
そんな訳ない。すぐに否定した。
どんな状況でも諦めない……それがデカレンジャーだ。

(はやてちゃんと……後は…)

不安材料は、僅かに管理局の研修生。
メディールの性格からしてはやては殺さない。むしろ少しの怪我をもさせない筈だ。
となれば、残るはもう一人……。

(リインちゃん)

昨日であったばかりの子。泣き虫だけど、それでも可愛い良い子。

(ウメコ……お願いね…)

心の友に後を託しているジャスミンの頭の上に、鋭くとがったナイフがかざされていた。





PM9:40  デカベース内 鉄工所


スワンのいる鉄工所は、マーフィーが常駐している場所でもある。
彼専用の犬小屋が設けられ、整備をスワンが担当しているのだ。

普段ならば、自分の出番がない時は、たとえ事件がおきているときでも、彼は惰眠をむさぼるか、テリトリーの開発に余念がない。
要するに自らの事に没頭しているのだが、この時のマーフィーは少し違った。

「ウォウ」

もう何十回目になるか分からない呼びかけを、隣で俯いている少女に向かってする。
しかし、リインフォースは全く反応を見せる事無く、ただそこに座り込んでいるだけであった。

「ウウッ……」

前足で持って肩を軽くつついてみる。
小さな身体がフラフラと揺れるが、やはりそれ以上の変化はなかった。
マーフィーは堪らなくなって、部屋の奥で機械をいじっている女性に応援を求める。

「ウォン」

軽く日と吠えすると、スワンは作業を中止して、彼等のいるほうへと目線を落とした。
自分も作業の途中だが、だからといってリインフォースをないがしろにするわけには行かない。現場から連れ帰る時も、泣き疲れた彼女をマーフィーが加えながら持ってきたのだ。
それからずっと、この調子である。

「リインフォース……」

スワンが小さく呟くように言う。リインフォースは反応しない。

生まれてから間もない彼女にとって、目の前で主がさらわれたというのはどれほどの衝撃だろう。
何とかしなければいけない。

それは分っているが、流石のスワンもこれには対抗手段を持っていなかった。
幾ら話しかけても、ハーブティーを差し出しても、リインは一向に態度を変えない。

(無理もないわね……)

はやてにしろリインフォースにしろ、恐らく二人は殆ど大きな失敗や敗北と言う物は経験していないのだ。なのはやフェイトにも言える事だが、そういったタイプは一度つまずくと泥沼になってしまう。
デカベースの面々では、ホージーがそういう風になってしまった事がある。
あの時はバンの体当たりで立ち直ったが、今回はそういうわけにも行かない。

全くもって八方塞がりだった。

「スワンさん?」

「あら、ウメコ」

不意に扉が開き、一人の人物が入り口の前に立っていた。
胡堂梅子ことウメコが、やはり心配そうな顔つきで中へと入ってくる。
小さなユニゾンデバイスのことを気にしつつも、スワンは尋ねた。

「デカルームへ行かなくてもいいの?」

「はい。ボスには言ってあるから、平気です」

「そう……ドゥギーは何て?」

「『任せる』、だそうです」

以下にもあの人らしい言い方だ。
端的で、投げやりな言葉のようにも聞こえる。だが、部下を信頼しているからだという事は、スワンには分っていた。
はやてとジャスミンが捕まっても、ドギーだけはいつもと変わらずに事に当たろうとしているのだ。
それを考えると、彼女にも活力が戻ってきた。

「マーフィー、お疲れ様。調子はどう?」

「ウォウ」

「そっかそっか、問題無しね!」

ウメコはマーフィーといつものやり取りをかわすと、隣にいる少女に向かって、元気よく叫んだ。

「リインちゃん! そんなに落ち込まないで!!」

腰を落としてリインフォースと目線を合わせる。
膝を抱えたままのリインだったが、急に気配が増えたのを察して、少しだけ視線をずらした。
大きな声で呼びかけた、というのも反応した要因かもしれない。

「元気出して!」

「………」

「今みんな一生懸命頑張っていから、リインちゃんも一緒にはやてちゃんを助けよう? ね!?」

ウメコがいつものペースで、当たり前のように呼びかける。
しかし、リインフォースは僅かに覗かせた顔を、また膝の中へと戻してしまった。

「リインちゃんははやてちゃんのデバイスでしょ? だったらこういう時こそ、リインちゃんが気張らないとね!!」

「……です」

「え?」

「……私には、無理です………」

ようやく発したリインフォースの声は、酷く掠れていた。
久しぶりに聞いたというのに、その声は絶望で満たされている。

「私がもっとしっかりしていれば……ジャスミンさんもはやてちゃんも、捕まる事なんてなかったんです……」

「リインちゃん……」

「私は、はやてちゃんのデバイス失格です……シグナムや、皆に合わせる顔がないです……」

光の壁が出現して、罠にかけられたあの時。
怪重機を追い詰めた時点で、危険がある事をもっと強くはやてに警告しておくべきだったのだ。
マスターを補佐する事が自分に与えられた役目だというのに、それすらも……一番重要な使命すら果たせない。

胸の奥が、締め付けられた。彼女の…はやての事を考えるだけで、涙が零れそうになる。

だからリインフォースは心を閉ざしていた。
何かを考えれば、それは何であってもはやてと結びついてしまう。
彼女の思い出は、はやて抜きには語れないから。そして自分を深く傷付ける結果になる。

「私は……私は……」



「リインちゃん」



尚をも続けようとした少女の言葉を、ウメコは突然遮る
そして、リインが反応する前に、彼女の身体をひょいと摘みあげた。

「行きたい所があるの。リインちゃん一緒についてきてくれる?」

「え……」

有無を言わさぬウメコの言葉。
落ち込んでいたリインフォースも少しだが表情を変化させた。

「マーフィーも来る?」

「ウォウ……?」

ロボット警察犬も、ウメコの予期せぬ行動に首を傾げた。
彼女には時々驚かされる事がある。これもその一つだった。
しかし、ウメコは毎日のように見せている笑顔を、決して崩してはない。
暫く考えた後、勢いよく吠えてマーフィーはそれに答えた。

「ウォウ!」

「よ〜し、じゃあ一緒に行くべし! スワンさん、あと宜しく!!」

「あ、あの……」

一人と一匹は、まだ状況がつかめないリインフォースを引き連れて、鉄工所を出て行った。
その様子を見たスワンは、思わず苦笑してしまった。

「もう…後宜しくって、私が何するのよ?」

びしっと敬礼のポーズを決めて飛び出したのはいいが、何をする気なのだろうか。
それはスワンにも解らない。

しかし、彼女は信じていた。

ウメコは時にはバン以上に単純になる。しかし、彼女は頭ではなく、身体で…心で解っている。
バンとは違う意味で突っ走る事ができるプロフェッショナルだ。

絶対に、元に戻ったリインフォースをつれてきてくれる。そのことに何の疑いも持っていない。
そんな事を考えていると、通信端末から連絡が入ってきた。

『スワン。今、大丈夫か?』

通信のスイッチを入れると、低い声が入ってきた。
デカルームにいるドギーからである。

「ウメコ達なら、ついさっき出て行ったわよ」

『そうか……』

なにやら意味ありげな応答をすると、ドギーは早急に話題を少し変えた。

『それより、デカマシンの状態はどうだ?』

「万事問題なし……と言いたい所だけど、そうもいかないわね。戦闘に参加してないパトシグナーとパトアーマーはともかく、他の三台がかなり損傷してる」

ドギーが連絡をしたのは、そもそもこれが本題であった。
昼間の怪重機との戦いでは、こちら側の攻撃は一向に通用しなかった。
防御主体の戦闘方式に切り替えなければならず、その為ダメージは無視できない物だった。

「特にパトストライカーは、アームの部分がボロボロね。この事件が解決するまでには、残念だけど直らないと思う……」

『合体も出来ないか……』

唸り声が端末の向こうから聞こえてくる。
これも怪重機と戦った時の後遺症である。というよりも、これが一番大きかった。
他の部分に関しては応急処置で何とかなるが、ストライカーアームは制御系を含むパーツ自体に異常があるため、直すには一度本格的に解体しなければいけない。

『パトウイングの方はどうだ?』

「オーバーホールからまだ上がってないのよ。急いでやっても二日は掛かるわ」

『いざとなればデカベースを直接使うしかない、か……』

言われてスワンは、自分のいる鉄工所内をもう一度見渡した。
デカベースには、確かに戦う手段がないわけではない。
しかしそれはあくまで最終手段である。それに使ったとしても勝てるかどうかは解らず、何より街にも被害が出てしまう。

「あら、まだ奥の手は残っているじゃない?」

だが、スワンは笑いながら向こうに居るドギーに言う。
しばらく沈黙が続いていたが、やがてドギーが苦笑したように噴出す声が聞こえた。

『そうだったな。心配はいらないか……』

「今更、何を言うのよ。貴方、最初から信じてるでしょ?」

『何の事か、よく分からんな』

すっとぼけるドギー、に今度はスワンが噴出す番だった。
昔の彼ならば、こんな態度を取るなんて考えもしなかったし、予想も出来なかった。
思い当たるのは、ドギーと一緒に行った研修先で出会った、今は亡き男の姿。

(クライド君の影響かしらね……)

果たして良い事なのか、それとも悪しき傾向として受け取るべきなのか。
悩みつつも、ドギーと会話を続けて、スワンは作業用アームに再び手を伸ばして行った。





同時刻  ???


(私は……まだ生きとる………)

暗く冷たい石室、はやてはここに居た。
光の全く射さない世界、たまに落ちてくる水滴が唯一の音。
手足を縛られている訳ではない為、身体の自由は利いたが、それでどうなるわけでもない。

(随分と古風な捕まり方やな……)

何でこんな中世の牢獄みたいな場所に入れられるのだろうか。
これでヒラヒラのドレスでも着ていたらまるでお姫様である。
小さい頃―――まだ魔導師などお伽噺と信じていた時は、そういった本を何度か読んだ事がある。
白馬に乗った王子様が助けに来る…お約束だが、憧れていた。

(無理やね、そんなの………)

心の中、一人で否定した。自嘲する気も起きない。
お姫様はもっと学があって、おしとやかだ。
少なくとも、自ら前線に出て戦うなんて見たことも聞いた事もない。ましてや、指揮を執るなど……

「ゴメンな、リイン……」

自分には隊長の素質がある。クロノが言った言葉だった。しかし、これでは上にたつものとしての資格がどこにあるというのだろうか。
あの時、調子に乗って一人で突っ走らなければ、こんな事態を招く事はなかった。





「アナタは…まさか……」

デカルームで見た、シューニ星人の身体。そして服装。
はやては正体を見切った。
この状況で自分を動けなくした張本人。

そして、今回まで怪重機を操っていた、アリエナイザー。

「御推察の通りよ。お初にお目にかかるわ。シューニ星人メディールよ」

目と鼻の先に現れた、メディールの実体。
はやてに向かって、彼女の腕が一直線に伸びる。
抵抗するまもなく、はやては首を掴まれた。

「ぐっ!?」

「さあて、ちまちまやっている暇は無いのよ。説明不足で悪いけど、私のものになってもらうわ。二人一緒にね……」

舌でなめずり回すようなメディールの声。
この瞬間、はやては理解した。
メディールの真の目的が自分であること。そして、今までの戦闘は自分に対しての罠であった事を。

「本当におバカさんね。こんなに上手く引っかかるとは予想外だったわ」

「あうっ……」

離れようともがくが、その前に首をつかむ鋭い爪が食い込む。
呼吸をする事さえも億劫になってきた。

「何をそんなに焦っていたのか知らないけど、そんな人間が活躍できるほど・・・この世界は甘く無いわ!!」

「うぁ……がはっ!」

ギリギリと喉を締め付ける音が聞こえるようだった。手足が痺れるようにピクピク痙攣し、胃の中の物が逆流しそうになる。
メディールはもう片方の手で、魔力を圧縮している最中だった。青白い光が満ちて、はやてに突きこまれんとしている。

そう……この時、はやてもメディールも、融合しているリインフォースでさえも同じ次の結果を予想し、そうなると確信していた。

しかし……、

「はあっ!」

下から飛び上がってきた黄色い影……デカスーツに身を包んだジャスミンがDスティックを振り上げる。
スティックの刀身が、メディールのアゴを直撃した。

「ぐわっ!!」

強烈な一撃を不意打ち状態で叩き込まれ、メディールの手に集まっていた光は霧散した。

「はやてちゃん!」

「ゲホ! ゲホ! ……はぁ、はぁ…ジャスミン、さん…」

救援に一瞬、安堵の声を上げるはやて。
しかし、彼女は喜びの気配を見せる事無く、切羽詰った声ではやてに叫んだ。

「融合を解いて! 早く!!」

「え?」

「これは転移を兼ねている防御の結界よ!」

一瞬、はやては何を意味するのか分らなかったが、すぐに分った。
メディールを急襲したお陰で、白い光の壁は僅かだが出力が弱まっている。
目の前にいたアリエナイザーはジャスミンの攻撃にふら付いていた。

はやては急いで融合を解除する。
変化していた瞳と髪の色が元に戻り、僅かな光を排出すると同時に、リインフォースが外へと出た。

「は、はやてちゃん、これは……」

「ゴメンな、リイン。話は後や!」

「え……」

驚く暇さえも無い。彼女は気が付けばはやてに身体ごと掴まれていたのである。
体長30センチ程度のリインフォースを、はやては丁寧に扱っていた。
今まで受けた事のないはやての行動に、リインは微動だにできなかった。

「今は外に出て! 早く!!」

「いや……」

はやては腕を振り上げていた。
お世辞にも見た目強くは見えない、細い手。しかし、彼女をいつも守ってくれていた、優しい腕。
それが今、彼女を痛いほどに握り締めている。リインフォースにとって、それは信じられないことだった。

「いやです! そんな…はやてちゃん!!」

リインが叫んだ時、はやてには答える余裕はなかった。
魔力を込めることも出来ない中で、はやてはあらん限りの力で持って、リインフォースの肉体を投げ飛ばす。

光の壁にぶつかった彼女の身体は、溶け込むようにして向こう側へと消えていった。

(ホンマにごめん…リインフォース……)

心底の謝罪も束の間だった。
すぐ隣で発した鈍い音が、はやての耳を貫く。
見ると、ジャスミンの腹部には、メディールの拳が食い込んでいた。

「ジャスミンさ……!」

「この…小娘たち……よくも…!」

顔だけをぐるりと回転させ、はやてのほうへと向き直るメディール。
先程とは打って変わって、その表情は怒りに歪められている。

「ギイイイイイイイッッ!!」

はやてが見たのは、それが最後だった。





「くうっ!」

叫び声で、はやての意識は戻された。見ると、格子を挟んだ向こう側にアーナロイドが数体、誰かを掴んで立っていた。
暗くてよく見えなかったが、一瞬の後、それがジャスミンであることに気付く。

「ジャスミンさん!」

はやてが叫ぶと同時に、ジャスミンの身体はアーナロイドによって牢の中へと放り込まれた。
乱暴に地面へと打ちつけられるジャスミンを尻目に、メカ人間は牢を閉めると再び元来た道を歩いていった。

「…うっ……」

「ジャスミンさん、しっかり!」

「はやてちゃん……無事だったのね………」

急いでジャスミンのところへと駆け寄るはやて。
しかし次の瞬間には息を呑んだ。

彼女の制服は所々破れた形跡があった。それも人中なり強引に行わなければつかない類の物である。
更にジャスミンの腕や足、果ては顔にまで、切り傷や痣の痕が残っている。

「酷い怪我……なんでこんな………」

「メディールって、人を馬鹿にするのは上手だけど、逆は好きじゃないみたい……」

ジャスミンの身体をゆっくりと起こしながら、壁にもたれ掛けさせる。
幸い動けないと言うほどの物ではなく、命に別状は無かった。
だが、ジャスミンの呼吸が荒いのを見ると、ダメージそのものは相当な物らしい。

「どういう、ことです……?」

「私が邪魔して目的が達成できなかったから、その腹いせってワケ……」

「そんな……」

はやてが敵に捕まって何時間が経過したのかは分からない。ただ、彼女が目を覚ましてから少なくとも三時間は経過している。
その間、ジャスミンはこのような仕打ちを受けたと言うのだろうか。
今、ここに来るまで、ずっと……。

「ごめんなさい……」

「はやてちゃんが気にする事無いわよ。別に大した傷じゃないし……」

増える傷跡が、俺達の勲章……。
そんな昔の歌の歌詞をジャスミンは思い出しているジャスミンだったが、それはすぐに中断させられた。

「ごめんなさい……私のせいで……私が焦って、敵の作戦に引っかかってしもたから……」

「はやてちゃん……」

自分よりも年下の少女は、今まで見せた事が無いような表情を見せていた。
落ち込んだことは何度見たことはある。
しかし、こんな彼女を見るのは初めてだった。

「見て欲しかったから……あの子が…リインが、ちゃんとできる子やて……それなのに……」

悔やんでも悔やみきれない。そんな想いが、傍からでも見て取れた。
失敗をしたことだけではなのだ。
指揮官としてあるまじき行動……そして何よりリインフォースの事を考えている。

今、彼女が何をしているのか、それを考えると、身体が震える。
彼女の身体は、吸い込まれるように石の壁に向かっていた。

「私…最低や……」

そして次の瞬間、猛烈な勢いで自分の頭を叩きつけた。

「はやてちゃん!?」

「ホンマに、最低の……」

もう一度、叩く。
暗い部屋の中で、硬く鈍い音が響き渡った。

「どうしようもない…アホや…」

「止めて!」

ジャスミンが叫ぶが、はやてはまるで聞こえていない様に、壁に頭を叩き続けた。
いや、本当に聞こえていないのかもしれない。

「何で…なんで…あの時に………」

頭を打ち付けるだけでなく、握り締めた手の平も同様に叩きつけ始めた。

「ごめんな……皆……ッ駄目なマスターで……」

「はやてちゃん! ちょ…本当に止めなさい!」

急いで、彼女の手を掴む。しかし彼女は打ちつけるのを止めなかった。
その盲目的な行動からは、普段の快活な彼女の姿は想像も出来ない。
泣き出すことはない。それが余計に戦慄させられた。

「ごめん……ごめんな……」

人形の様に、あるいは壊れた機械の様に、同じ言葉を繰り返す。
言葉が本当は誰に向けられているのか。それはエスパーではなくとも、分かってしまう。

(はやてちゃん……)



ここまで追い詰められていたのか…彼女は。



リインフォースの為にと思い続け、常に頑張り、その果てがこれである。
恐らく親友達にも話していないのだろう。
なのは以上に、彼女は背負っている人間だったのだ…。

(それを、分かってあげられなかったなんて……)

真にフォローすべきだったのは、リインフォースではなかったのかもしれない。
この小さく震えている、二十にも満たない少女。
彼女の心の奥底にあるものを、得心が行くまで理解するのが、本当は必要だったのではないか。

(それでも……)

正直、何が彼女をここまでさせているのか、それは分からない。
後ろから抱え込むようにはやてを押さえつけるジャスミン。

そんな彼女の中に…それは突然に流れ込んだ。

『……るじ…やて……』

(……え?)

一瞬、錯覚ではないかと思った。あるいは幻聴かと。
しかし、そうではない。
自分の中にある直感と、そして次に聞こえた声が、それを更に確信に返させた。

『きい……さい…主…て』

頭の中に直接聞こえる。これは…何?
ジャスミンが正体を突き止めようとするが、頭に入る声は、依然として何かを語りかけていた。
ノイズが掛かったような声も、次第にはっきりと何を言っているのかが明確に分かってくる。

『聞いて…さい……はやて…』

(はやて?)

聞き間違いなどでは決してない。
これも自分の経験から来る直感がそう教えてくれた。
確実に今の言葉は、目の前にいる少女の事を言っている。

『聞いてください……主はやて』

それは深くて、とても優しい声だった。
ジャスミンが今までであった事のないような、自然の森を歩いているかのような錯覚を思わせる。
光は僅かに射すだけの、それでも確かな温もりがある。

しかも…どこかで聞いた覚えがある。

(これは……もしかして……)

ジャスミンは思い切って、皮製の黒い手袋を外した。
彼女にとってのトレードマークである手袋を外す事は、即ちエスパー能力を使う事を意味している。

はやての腕を掴んだ瞬間に声は聞こえ始めた。
謎を解く鍵は、恐らく自分の持っているサイコメトリー能力に隠されている。ジャスミンはそう推理した。
自分の手袋は自分のエスパー能力を抑制する役割を果たしているが、ごく稀にはめている状態でも能力が発動する場合がある。

(声の主…誰かは知らないけど……あなたの正体を教えて!)

何か強く相手に伝えたいと願っている場合だ。
全てを投げ出してもいい。とにかく、思いを届けたい。
それがジャスミンの能力とシンクロし、強制的に脳内へフィードバックさせるのだ。

(集中して……でないと、この子は救えない…)

はやての中で、何かが叫んでいる。
打ち付けることを止めても、まだ何かを呟いているはやての中で

今の状態ではこんな漠然とした表現しかできない。
しかし、ジャスミンはこの声に賭けた。身体の節々の痛みを押して、神経を研ぎ澄ました。
今のはやてを立ち直らせる事ができると、信じて。

(お願い、教えて……あなたは…誰!?)







『……夜天』

「え?」

『この世界に名を付けるとすれば、多分そうなる……』

気が付けば、彼女は一人でそこに立っていた。
宇宙の様に広く、夜の沙漠の様に冷涼でありながら、どこか幽閉されているような、不思議な感覚の世界。

そこでジャスミンに話しかけたのは、はやての手を握った時聞こえた、あの声だった。
今度は冷静に、声に対処することが出来た。

『本来ならば、今の主はやての中に、この様な物は存在しない筈だった』

「じゃあ、ここは……はやてちゃんの心象風景じゃないの?」

ジャスミンが他者の心を読む時、特に生きている者に対しては、色々な世界が見える。それが心象風景だ。
それは人それぞれの性格、その時の気分、体調などにも左右されるが、一口に風景といっても千差万別だった。
華麗なまでの花畑、高層ビルが立ち並ぶ大都市、その逆で言えば、先程までジャスミンがいた牢獄や、分厚い扉に阻まれた暗闇もある。

『お前に意思を伝えるには、こうするより他に無かったのだ』

「それなら一体、この世界は何なの?」

しかし、このような風景は初めてだ。
単純に闇とは形容しがたい、陽炎がかかって見えた。それでいて、自分の周りはしっかりと見える。
少し当惑気味に辺りを見渡してみると、世界の一角が歪み始めた。

ジャスミンは不思議と、身構える事もない。

歪みは人の形を形成し、彼女の前に降り立つ。
刹那、ジャスミンはわが目を疑った。

『ここは私の世界だ……ほんの僅かに残った、私だけしか居ない世界…』

透き通るような肌。それと対を成す漆黒の服。

紅いルビーの如く輝く瞳。

そして何より、『声』が『夜天』と称したこの世界の中で圧倒的な存在感を示している髪。

風の無いこの空間にゆっくりと、たゆたえたその長い髪の色は…銀。



『私の名はリインフォース。主はやてによって名付けられた、管制プログラムだ』



BACK  TOP  NEXT



 

inserted by FC2 system