風の聖痕 蒼銀の契約者

 

第五話

 

 

 

「まったく………。妙な気配を感 じてきてみれば、化け物と交戦中とはな」

くっくっくっ……と笑いながら橙 子は言う。なんて言うか、心底楽しそうである。

『何者だ……?』

炎を振り払った白沢が低く問う。 綾乃たちですら震えそうな殺気のこもった問いかけに、橙子は笑って返答する。

「なに、通りすがりの者だ。名乗 るほどの者ではないよ」

どこまでも相手を食った言葉に、 白沢は酷く気分を害されたらしい。

『ならば邪魔だ。死ね』

「! 駄目!逃げてっ!」

綾乃の叫びに対し、

「おいおい、自分が死にそうなと きに他人の心配か?まったく、私の周りはなんでそんな馬鹿が揃うんだろうな?」

などとのたまう始末である。

もはや無駄な言葉には付き合わ ず、白沢は風の刃を撃ち出した。ダイヤモンドすら切り裂けるであろう風の刃が亜音速で橙子目掛けて一直線に向かってくる。

「やれやれ………」

橙子は別に何をするでもなく、死 を招く風の刃を眺めていた。その場にいた全員―――もちろん橙子以外―――がその死を確信する。

しかし――――

 

 

ぱんっ!

 

 

風の刃が破裂するような音を上 げ、橙子の眼前で弾けた。

『なに!?』

「えっ………!?」

全員揃って唖然としている。白沢 も例外に漏れてはいない。

『貴様………何をした?』

「何をした、と言われても な……。風術を使うくせに気付かないのか?」

嘲るような台詞に白沢は風で周囲 を探る。そして、かすかな違和感を感じた。

『結界………だと……』

橙子は肩を竦めながら言い放つ。

「ご明察。お前の使う結界は所詮 三流さ。一流ならば、炎術師などに悟られるほどに異常を知らしめるはずはないからな」

明らかに見下した表情で橙子は言 い放つ。

『貴様……!!』

「さて、お遊びはここまでだ。私 も忙しい。さっさと終わらせるとしよう」

何かを言いかけた白沢を完全に無 視し、オレンジ色のアタッシュケースを地面に置き、爪先で蹴りつける。

「――――出ろ」

拒否を許さない、威厳に満ちた声 ――否、命令が響く。

呼応して鞄が開く。パタン、と チューリップのように開いた鞄の中には、何も無かった。

同時に―――何か黒いものが橙子 の後ろに立つ。それは―――ネコだった。

『な………!?』

ネコは橙子より大きい。その身体 は真っ黒で、紙のように薄っぺらだった。影でできている平面の黒いネコ。いや、ネコかどうかも定かではない。ネコのようなシルエットで、頭の部分にエジプ トの象形文字のような目だけが付いている。

『なんだ……それは………』

呻く白沢の目と、漫画のようなネ コの目が合う。――――ネコはニヤリ、と口元の部分だけをなくして笑いを表現した。その様子は、見ているもの全てが悪夢と思いたくなるような、そんな光景 だった。

全ての音が絶えたこの空間で、ジ ジジジジ、という音だけがしていた。

「さっきの食事は不味かっただろ う?だが、次はマシだぞ。あんな出来損ないじゃなく、しっかりした肉もあるし、霊的な蓄えも充分にある。なに、遠慮することはない。――――普段から躾け ているだろ? 敵は、食い殺すものだ と」

とたん、ネコが走り出した。洞窟 の地面を滑るように横断し、白沢に走り行く。ネコの足は動いていない。座り込んだシルエットのまま、目だけを動かして邪悪な聖獣目掛けて疾走する。その間 は、わずか五秒もない。だが、そんな事を見逃す獣ではない。

斬っ!

轟音と共に風の刃がネコごと地面 を抉る。

『使い魔か………。しかし、それ が消えた今、貴様に勝ち目はないぞ』

怒りの表情で白沢は橙子を睨む。 確実にこの場で細切れにする気である。

しかし、橙子はいささかの驚きも 見せず、洞窟の壁にゆっくりと背中を預ける。

「まったく、お前は化け物のくせ にホラーというものがわかっていないな。ホラーの絶対の約束の内、全てを間違えてしまっているのだからな」

『なに………?』

「人を恐怖させる物の条件は三つ だということを知っておけ。一つ、怪物は喋ってはならない。二つ、怪物は正体不明でなければならない。

 

三つ――――怪物は、不死身でなければ意味がない」

 

『―――――!!』

咄嗟に白沢は先ほど潰した場所を 振り返る。潰したはずの地面には、黒いネコが何事もなかったかのように存在していた。

『ちいっ!』

風の刃を無数に放つ。抉れた地面 に追い討ちをかけるかのように風刃が叩き込まれる。

そして―――その轟音と瓦礫に揺 れながら、ばくり、と口を開けた。

人間代ほどのネコの身体が、足元 から開かれる。脳天を蝶番にして開く宝箱のようにも見える。その中には―――黒い闇がへばりついていた。白沢には何かわかった。それは、この使い魔に喰わ れた、妖魔の残骸だった。

ようやく気付く。これは、ネコに 似たカタチをしただけの、口だけの生き物だったのだ、と―――。

ぞぶり、と音が響く。

『があああぁぁぁぁぁっっ!!』

ギリギリで避けたものの、白沢は 右前足の肩から先を喰いちぎられていた。

『おのれぇぇぇぇっ!!』

爆発的に妖気が増し、橙子の視界 を遮る。同時に、付近一帯を覆っていた違和感が跡形もなく消滅した。

「逃げた、か………。なるほど、 馬鹿ではないらしい」

くくく、と含み笑いを漏らすと、 橙子はネコが戻ったアタッシュケースを持ち上げ、歩き出す。

「あ、あの!」

そこを綾乃の声が引きとめた。

「ん?どうした?」

「あの、助けてもらったので、御 礼をしようと思って……」

「なに、気にすることはない。た だの気まぐれに過ぎないからな。気が向かなければ見捨てていたに違いない」

完全に本気の口調で橙子は言う。 誰が聞いても間違いなく、この女の言葉は本気だった。

「………そ、それでも、助けてく れたことは事実ですから。ありがとうございました。あの、あなたはいったい……」

少し顔を引きつらせるが、綾乃は 気を取り直して礼を言う。

「名乗るほどのものじゃない。ま あ、礼は受け取っておこう。じゃあな」

そう言うと橙子は神社を去って いった。

「なんだったんだろうな、今の女 は……?」

「さあ………」

雅人と武志はあっけに取られてい た。綾乃も気になったが、とりあえず今は助かったことを喜ぶ。

「でも、全員死なずに切り抜けら れてよかったですよ。それより、あたしはこれから獅希を討ちに向かいます。あんな妖魔がいるんじゃ、二人が危険ですし。おじ様たちは……」

「俺も行こう。お嬢だけに任せて 入られないからな。武志、お前は本家に報告を頼む」

「は、はい。わかりました!」

三人は走り出した。

全員の脳裏には、完全に獅希が黒 幕と認識されているようである。完全に敵の掌で踊らされていることにも気付かず、さらに敵に回してはならない人物たちと敵対しようとしている。そのことを 認識するのは、まだ少し先のことだった。

 

 

 

 

 

上空に、強大な妖気が生まれた。

「獅希!」

「わかってる!」

瞬間、黒い風の刃が降り注いだ。

獅希も全力でそれを迎撃する。既 に倒れている三人の周りには結界が張られている。神凪の人間を助ける義理はないが、目の前で死なれるのも目覚めが悪い。

「っらあぁぁぁぁぁっ!!」

桁外れなまでに凝縮した風の刃を 上空に放つ。その数、実に五十を超えている。

しかし、その全てが黒い風に相殺 される。さらに―――

「っ!討ちもらした!」

「数は!?」

「一!!」

式の瞳が青く染まる。ナイフを振 りかぶり、一撃の下に風の刃を“殺す”。

「ここまで接近されても気付かな かった?………俺が?」

「なんで……?」

二人は揃って信じられない、とい う顔をする。全ての風の精霊は獅希に従う。技量云々ではなく、 ルールとしてそう決まっている。『彼の者』との契約は、必然的にそうした意味を持つ。例外は―――

「あったな……」

最悪の事態を想定し、獅希は力な く呻く。式も同じことを考えたのか、さすがに顔を引きつらせている。

「そんなのが敵なの……?」

「さあ、そこまでは断言しかねる けど……」

そこに追撃の風が降り注ぐ。結界 で相殺し、上空に向けつるべ撃ちに風の刃を放つ。そして、ある一点で風の精霊が変質した。

「そこかっ!!」

収束した台風をその一点に向けて 撃つ。が――――

「なっ!?」

撃ち出した風を相殺されたばかり か、一瞬で間合いに入り込まれていた。

「しまっ……!!」

『死ね!!』

風を凝縮させた拳が獅希の腹部め がけて放たれる。そこに、

「私は無視?」

式が一瞬にして二人の間に入り込 み、その腕をナイフで一閃した―――否、しようとした。

「えっ……?」

間違いなく“線”を切り裂いた。 だが、ナイフが“ソレ”の腕で止まっている。

そして、攻撃に使用した風とは別 の、風の鎧が男の腕に纏っていることに気付く。

「はっ!!」

瞬間、男の腕と獅希の腕が交錯す る。式の喉を貫く軌道にあった腕がいなされ、式の着物をかすって抜ける。

「式!避けろ!!」

「っ!」

反射的に横に跳んだ式の身体が あった場所で、二つの風がぶつかる。その反動で風を放った二人は弾き飛ばされる。

「くっ!」

『ちっ!』

“ソレ”と獅希の苦悶の声が響 く。二人が受けた衝撃は筆舌に尽くしがたい。そこらの人間ではまず間違いなく骨の二・三本は折れているだろう。

二人は同時に動き、ちょうど中間 点で衝突する。常人では視認することもできないスピードの拳が交わされる。やはり同時に後ろに飛び退き、風を収束させようとして――――その異変に気が付 いた。

(精霊が発狂してる……!?俺の 意志を受け付けないのはこういう事か………!)

全力で浄化するものの、奴の至近 距離に入った精霊は例外なく狂わされてしまい、きりがない。

「なら……使わなきゃいいだけ だ!」

瞬間移動とも言える瞬発力で“ソ レ”の間合いに入り込み、顔面を掌底で殴り飛ばす。完璧に入ったその一撃は確実に相手の首を砕くはず―――だった。

確かに顔の骨と首の骨を砕く感触 があった―――しかし、それを意に介した様子もなく“ソレ”は追撃を放ってくる。

『くくくくく………いいぞ、神凪 の人間など殺しても何の面白みもなかった。だが、貴様ならば楽しませてくれそうだ』

獅希は顔を引きつらせて飛び退い た。人型ではあるが、こいつは人間ではなかった。

「楽しむ……だと……」

『ああ、そうだ!人を殺すときの 絶望の表情!あれ以上の愉しみがどこにある?さあ、貴様らもあの絶望の表情を私に見せてみろ!!』

打ち出された風を弾き、獅希は静 かな口調で問う。

「楽しみで人を殺したってわけ か?この間の神凪も……」

『当たり前だ!神凪の人間などそ れぐらいの価値しかないだろう!?貴様もそう理解しているはずだ、神凪獅希!!』

その言葉が終わらないうちに ――――空気が、凍った。

『!?』

さすがにこの異常に驚き、饒舌 だった口を閉じる。と――――

「咆哮を上げろ、蒼翼」

瞬間、周辺一帯の風の精霊が浄化 されつくした。その中心にいる男の瞳が、蒼く染まる。

「お前は―――殺す」

静かに、本当に静かに宣言された 言葉。だが、それはどんな大音量で叫ばれるよりも明確に“ソレ”の聴覚を刺激した。

『ちっ!!』

蒼い鳳凰が獅希の後ろに形成され る。こんなモノを放てば最後、あたり一面更地になるだろう。

「獅希!待った!!」

式が静止をかけるが耳に入れた様 子もなく、力を開放しようとし―――止まる。

「え?」

放たれた鳳凰を“殺す”つもりで ナイフを構えた式が、拍子抜けしたように呟く。

「どうしたの?」

「逃げられた。追いかけるのも無 理。風でも位置がつかめない」

うんざりした顔で獅希は言う。

「何で追いかけられないの?獅希 なら……」

「無理だ。あいつの周りの精霊は みんな発狂してる。追いかけるどころか攻撃される寸前まで気付けない」

「それは……面倒と言う か………」

すると、獅希の身体が少しよろけ る。

「大丈夫?」

「あんまり大丈夫じゃない。聖痕 の開放なんてするんじゃなかったな」

うー、と呻きながら獅希は呟く。 神格降霊ほどではないが、聖痕の開放もそれなりに体力を使うのだ。

「じゃあ、橙子のところまで戻 る?あそこなら安心でしょうし」

「橙子のところか……。しょうが ない、背に腹は変えられないしな……」

心底疲れた口調で呟き、踵を返し た時―――彼女が到着した。

 

 

「見つけたわよ、獅希!!」

 

 

「何だ?」

「何?」

 

 

いきなり大声で自分の名を呼ば れ、二人は同時に振り返った。

そこに立つのは、紅蓮の劫火を従え、眩いばかりの瞋恚の炎をその目に宿した少女―――神凪綾乃だった。

「誰?」

と尋ねてくる式に対し――――。

 

 

「――――――――――――」

 

 

獅希は無言。炎の精霊を従えてる 辺り、神凪なのは間違いないだろうが――――。

「…………分からないの?」

「―――ノーコメント」

微妙に目をそらしながら答える。 微塵も説得力はない。

一応、先ほど見た資料に載ってい たのだが、まったく覚えがない。獅希は基本的に記憶力はいいが、どうでもいいことは三秒で忘れる便利な頭脳をもつ人間である。

武哉たちを覚えていたのは、ただ 単に慎治の横に載っていたから、という理由である。

「怨敵、竜牙獅希!!邪悪なる妖 魔と結託し、神凪の術者を惨殺した罪、己が命で贖いなさい!!」

「「…………………はぁ」」

また素敵なまでに予想通りの勘違 いに、二人はため息をついて沈黙する。かなり可哀想なものを見る目で綾乃を眺める。明らかにイッちゃった人を見る目だった。

そろそろ自分たちの運の悪さが身 に染みてわかってきたらしい。

「武哉!慎吾!」

雅人は倒れている二人を見つけ る。

「あー、特に怪我はしてないぞ。 気絶してるだけだし」

正直な発言をする獅希だが、無論 聞き入れてくれるはずはない。

慎治たちのように嬲り殺しにする つもりだ、とでも勘違いしたのか、二人の視線がさらにきつくなる。

完全に獅希が犯人と思い込んでい るらしい。―――しかも式はものの見事に無視されてるし。

「獅希!神凪を恨むのは仕方がな い!だが、妖魔の力を借りて復讐しようとするなど………!!」

怒りで言葉にならないのか、雅人 は台詞半ばで口をつぐむ。

「あんたは神凪の人間として、人 としてやっちゃいけないことをしたのよ!それがわかってるの!?」

「俺は神凪の人間じゃない」

反論してから口を押さえる。しか し、当然のごとく後の祭りである。こんな台詞を言えば間違いなく最後の一押しになるだろう。

仕方がないので一応弁解はしてお く。

「悪いけど、お前たちの言ってる ことはわけがわからない。妖魔と契約した憶えはこれっぽっちもないんだけど」

「白々しい!さっきあんたと契約 した妖魔が自分で言ってたわよ!!」

二人は呆れ顔で綾乃を眺めると、 小声で囁きあう。

 

 

「な あ、妖魔の言うことあっさり信じる奴がいるもんなんだな」

「同 感。神凪は馬鹿の集まり?って言うか異常者の集まりよね」

 

 

その様子を見て、ようやく綾乃は 式のことを認識したらしい。

「あんたも獅希の仲間ね!?」

式は可哀想なものを見る目 ――――というか、もう哀れんでいる。この世の何よりも――――で綾乃を眺める。反論しないのはするだけ無駄だと悟っているからである。

「ねえ、どうするの?」

式が囁いてくる。

「倒すのは簡単なんだけど……っ てか、結局誰かもわかんないしな、あいつ」

「じゃあ、どうするの?」

「てきとーにあしらって逃げる」

パーフェクトに自分を無視する二 人に神経を逆撫でされ、綾乃は炎雷覇を引き抜いた。莫大な炎の精霊が集ってくる。

「炎雷 覇……。なんだ、お前、綾乃か」

獅希は綾乃に向き直る。少なから ず自分が認めていた少女がこんな馬鹿になっているとは――――時間の流れとは恐ろしいものである。

「ごちゃごちゃ言ってる なぁっっ!!」

桁外れの熱量を持った火球が二人 めがけて撃ち出された。

二人は揃って白い目で火球を眺め ていた。

景気のいい音をたてて二人を炎が 呑み込む。―――否、呑み込もうとした。

突如吹き荒れた風が、炎を吹き散 らし、二人に近づくことすら出来ずに消え去った。

「なっ!?」

獅希は伸びをしながら呟く。

「っく〜〜〜。やっぱり少し疲れ るな。どっかで休んだほうがよさそうだ」

「アーネンエルベなんかどう?あ そこなら静かだし」

「賛成」

綾乃の炎などどこ吹く風で、二人 は背を向けて歩き出す。この上ないほどに綾乃たちを無視している。このままいけば穏便に済んだのだろうが――――

「っ、待ちなさい!」

二人は進行を止め、ゆっくりと振 り返る。

「せっかく穏便に済ませてやろう と思ったのに」

「引き際をわきまえない馬鹿って 嫌よね」

完璧なまでに見下す口調で二人は 言う。わざわざ綾乃に聞こえるように。

「このっ……!!」

「あ〜あ、こんなのが神凪の次期 宗主か。――――神凪滅亡も間近だな。てか、後ろに転がってる奴らのことぐらい考慮してやればいいのに」

「いっそのこと後押ししたら?そ のほうが世の中のためよ」

「――――式、その、思わず賛成 したくなるような意見………やめてくれ」

「くっ!このぉぉぉっっ!!」

先ほどに倍する威力で綾乃は火炎 弾を放つ。――――まあ、当然のごとく獅希は弾く。周りに被害が出ないように真上に。

「式、先に行っててくれるか?適 当に相手したら追いかけるから」

「いいわよ。そんなに急がなくて もいいから」

「さんきゅ」

そう言って歩き出した式に炎が打 ち込まれるが――――当然、獅希の風で吹き飛ばされる。

「くっ……!妖魔と契約した力を ひけらかして…………!!」

「人の努力の結晶になんつー言い 草だ」

どうでもよさそうに言い返す獅希 に、綾乃は斬りかかって来る。

「くらえっ!」

「やだ」

ひょいひょいと綾乃の斬撃を避け る。炎雷覇は、わずかに掠めただけでも人間ならば消し炭になる。――――当たれば、の話だが。

「まったく………七年も経ったの にその程度か?」

「くっ!うるさい!!」

たんっ、と背後に跳んだ獅希目掛 けて火炎弾が撃ち出される。

「無駄だって…………」

呆れた表情で獅希は言う。さっき から何度も弾かれているのにまだ気付かないのだろうか。

「うるさいっ!ここで精霊王の裁 きを下してやる!」

「精霊王ねえ………馬鹿一族はま だそんな事言ってるのか」

はあ、とため息をつくと、獅希の 身体が綾乃の視界から消えた。

「えっ?」

突然のことに綾乃は間の抜けた声 をあげる。――――瞬間、掌底で脇腹を殴り飛ばされた。

「かはっ………!!」

すっ飛ばされた綾乃は、見事なコ ントロールで雅人の腕の中に納まる。

「お嬢、大丈夫か!?」

「う、うん」

「貴様………!!」

雅人は火のつくような視線で獅希 を睨む。結構な殺気だが、獅希にすれば子供が睨んでいるに等しい。

「なんだよ?宗主の娘だから一応 手加減してやっただろ?ま、これ以上やるなら容赦しないけどな」

白い眼で獅希は二人を睨む。これ 以上茶番に付き合わされるようならば、本気で容赦は出来ない。

いくら宗主の娘とはいえ、結局は 神凪の人間なのだ。実際、宗主は自分を庇ってくれることは多かったが、それをやめさせようともしなかったのも事実なのである。

それ以上に父としても慕っていた が、ここまで来るとそれもどうでもよくなってきた。自分が父親と呼びたかったのは、衛宮切嗣のみである。

神凪最強の術者であり、その人柄 を評価してはいるが、そろそろこっちの我慢も限界に近い。

自分だけならばこの状況も甘受す ることも出来ただろう。だが、式までもが巻き込まれ、それ以上に、式のように犯人との確証もない人物目掛けて攻撃する―――などというふざけた行為は、彼 の許容範囲を超えていた。

「どうでもいいが、かかってくる ならさっさとしろよ。こっちも暇じゃない。なんならこの場で引導渡してやるぞ?」

本気っぽい口調で獅希は言う。も はや重悟を敵に回すことすら容認している。馬鹿にこれ以上付き合ってやる義理はない。

「このっ………!!」

綾乃は怒りに任せて斬りかかって 来る。それを獅希は避けようともしなかった。

「殺った!!」

完全な剣の間合い。この間合いな らば術よりも剣のほうが速い。

炎雷覇が獅希に迫り――――身体 に直撃した。―――――ありえないことに。

「―――え?」

綾乃は信じられない面持ちで、お そるおそる獅希を見上げる。

そう―――――炎雷覇の直撃を受 け、何のダメージもなく立っている獅希を。

完璧に身体に直撃している。 ――――だというのに、身体はおろか、服に焦げ跡すらついていない。ありえない光景だった。

「残念」

獅希は罰ゲームを告げるような口 調で言い放ち――――頬を殴り飛ばす。

「――――っっ!!」

次は綾乃の身体を考慮せず、壁に 叩きつけた。結構容赦なく。

「がっ………」

綾乃は衝撃に悶絶する。そこまで 大きなダメージではないが、すぐに動けるほど軽いものでもない。

「お嬢!!」

雅人が駆け寄ってくる。綾乃を庇 うように立ちはだかり、獅希目掛けて炎を放つ。

回避行動すら見せず、獅希はゆっ くりと綾乃たちに向かって歩き出す。

雅人の炎が直撃するが、ミクロン 単位のダメージすらない。

「あのな、宗家の炎が通じないの に、分家の炎が通じるわけないだろ」

呆れ顔で獅希は説明する。

「茶番劇は終わりにしようぜ。自 分の馬鹿さ加減を地獄で嘆け」

信じられないほどの精霊が獅希に 集まる。

最早、一片の躊躇もなく撃ち出し た風は、綾乃たちに迫り――――その真横をすり抜け、黄金の炎によって焼き尽くされた。

「えっ!?」

「お見事。これぐらいは出来るよ な」

くすくす笑いながら獅希は綾乃を 眺める。―――否、綾乃の背後に見える人物を見ていた。

獅希の視線の先に、数十人の人間 が見えた。炎の気配―――間違いなく、神凪の集団だろう。

問答無用で殺気を叩きつけなが ら、その集団は獅希を包囲した。

しかし、獅希はその中のただ一人 を見つめている。

忘れることのできない人間。自分 を捨てた人間。自分を、壊した人間。

「お久しぶりですね。まだ『父 上』とお呼びしてもよろしいんでしょうか?」

「呼び方など好きにしろ。お前が そう呼ぶことは二度とない」

男―――神凪厳馬は言い切った。 こちらも自分を犯人と思い込んでいるらしい。

厳馬は神凪の人間として生きてき た。目の前にいる息子にもまた、その道を歩ませようとした。だというのに、妖魔の力を借りて復讐に走るなど、許せることではなかった。

獅希は知らない。自分が愛されて いたことを。自分を愛してくれた母親のように、目の前に立つ父親も自分を愛していたことを。

そして厳馬にすれば、不器用なが らも愛していた息子が妖魔と結託して復讐に走った。当然、許容できるものではない。

「あ、そ。で、こんなに馬鹿引き 連れて何の用で?」

「貴様、何故あのような妖魔と契 約した?」

「何度も言ってるんだけどな、俺 はそんな妖魔なんて知らない。人違いです」

「まだ白を切る気!?神凪の人間 にあんなことしといて!」

綾乃は叫ぶが獅希は見事に無視す る。これ以上付き合ってるとこっちまで馬鹿が感染しそうだった。

「どうしても喋る気にはならない か」

「だから…………。はぁ、もうい い」

弁解を諦め、獅希は何事か呟くと ゆっくりと前に出る。

「いいだろう。お前は最早私の息 子ではない。せめてもの情けだ、私の手で葬ってやろう」

炎が顕現される。綾乃の力も凄ま じいが、この男はその比ではない。重悟が事故によって退いた今、この男こそ最強の術者。この男にかかれば、どのような敵でもひれ伏すことになる―――それ が、神凪一族共通の認識だった。

獅希もそれは認識している。神凪 最強―――この男にこそ相応しい言葉だろう。それが獅希の客観的な認識である。

(神凪と全面戦争、か。まあ、既 に喧嘩売ったような―――正確には買ったような―――もんだけど)

綾乃を殴った時点でそれは明白だ ろう。――――確実に。

心の中でため息をつくと、獅希も 風の精霊を召喚する。

『!!!』

その場にいた全員が、その凄まじ い召喚速度と精霊の数に驚く。神凪宗家に匹敵する力―――妖魔に借り受けた力がこれほどのもの―――それがこの場の全員の認識でもあるが。

 

 

「それじゃ、実力行使といきますか」

 

 

蒼き風の契約者が今、動き出した。



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