採掘基地に向かい、砲撃を行うサンダルフォン。コックピットのなかでアベルは怒りの形相に染まっていた。
「コケにしてくれる……っ」
相手の浅知恵と罵った策にまんまと隙を見せたために屈辱を味あわされた。至近距離での自爆を受けたにも関わらず、外装は僅かに焦げた程度でさして大きな損傷は見られない。だが、自尊心には大きな傷がつけられていた。
僅かな脳震盪から回復したアベルはすぐさまリンの逃亡した先を捜した。機体を喪った以上、遠くへ逃げることはできない。熱源を探査していたなか、稼動状態にある採掘基地を見つけ、ここぞとばかりに砲撃を加えたが、その眼は爛々と観察している。
「どうした? 今度は何の反応も無しか?」
先程の失策を繰り返すまいと警戒を解かず、基地を次々と吹き飛ばす。このままいけば、難なく基地は崩壊する。だが、リン程の相手がこんな基地に逃げ込んで終わるはずもない。そんな確信を抱くなか、センサーが別の熱源を捉えた。
その熱源に気づき、一瞬砲撃を停止し、燃え盛る基地を見下ろすアベル。炎が舞うなか、裂くように立ち昇るエネルギーの咆哮。切り裂かれた炎の下から飛び上がる影。
上空へと舞い上がった影に漆黒の色が走る。全身を染める黒衣の装甲が月面から放たれる光を浴び、煌かせる。サンダルフォンの眼前で静止するその影を見据え、アベルは猛禽のような笑みを浮かべた。
「黒衣の騎士…DEM2号機、エヴォリューション……っ」
歓喜に打ち震えるように騒ぐ心のなか、舞い上がったエヴォリューションは漆黒のフェイズシフトを纏い、純白の翼を拡げる。
「フェイズシフトシステムオールグリーン、スラスター伝導率98%。久しぶりね、この感触……っ」
全機能が問題なく稼動するなか、リンは内心に沸き上がる躍動を抑え切れなかった。この機体と離れ、幾多のMSに搭乗したが、己の操縦技能に完全についてくる機体は皆無だった。仕方がないと割り切る一方で、不満があったのも確かだった。
だが、エヴォリューションは違う。機体と一体となるような融合感…そして、この反応速度に機動力。それが今、リンの心を昂ぶらせている。
握り締める操縦桿もどこか久しいとともにこの手に吸い付くような感触…まるで、喪われていた半身を取り戻したような錯覚に、リンは苦笑した。
「いくぞ、エヴォリューション!」
主の鼓動に応えるようにエヴォリューションも咆哮を上げ、スラスターを拡げ、加速した。
サンダルフォンに向かい、ヴィサリオンを構え、トリガーを引く。放たれる高速の光弾が襲い掛かるも、サンダルフォンは翼を拡げ、上昇して回避する。
上を取ると同時に両翼から展開される砲身が向けられ、砲口に光が収束した瞬間、高出力のビームが解き放たれ、リンは身を捻りながらその奔流に沿い、サンダルフォンに迫る。後方で大地が吹き飛ぶのを受け、迫るエヴォリューションがインフェルノを抜き、斬り払うも、サンダルフォンは身を軽やかに跳躍させ、空中で一回転し、踵落としを放つ。
デザイアで受け止め、弾き、バルカンで狙い撃つも、相手は怯みもせず、弾丸を物ともせず突貫し、蹴りを突き入れる。咄嗟にデザイアで受け止めるも、衝撃に弾かれる。
「ぐっ」
微かに呻き、吹き飛びながらも浮遊するデブリに着地し、足場として蹴り、再び迫る。
「はぁぁぁぁっ」
鋭く薙ぎ払う刃の一撃を、相手は腰部から取り出した鎌を振り上げ、受け止める。干渉する刃が熱量をスパークさせ、両機を照り映えさせる。
「成る程、どうもオリジナルとは違うようねっ」
この機体、形状こそメタトロンと相似だが、その特性はまるで違う。少なくとも、姉から聞き及んでいたオリジナルの性能とは相違点が多い。そして、逆にリンに違う既視感を呼び起こす。
「この動き…ルン……いえ、あの時の天使のパイロットっ」
先程から見せるサンダルフォンの動き、接近戦での独特の身のこなしに反応、そのどれもがリンにルンを錯覚させる。それは、同時にこの眼前の機体のパイロットがあの衛星軌道で戦ったエンジェルのパイロットであると確信する。
「だけど、そんな模倣で私が動揺するものかっ」
オリジナルと同じ機体、そして妹と同じ機動…そんな幻影に臆するような弱さなどない。その全てをあの刻に決着させたのだ。むしろ、今それを汚そうとする眼前のこの存在への怒りが昂ぶる。
相手を押し切り、強引に弾き飛ばす。体勢の崩れたサンダルフォンに向け、エヴォリューションは両翼の純白のスラスターに備わった二対の砲身を起動させる。脇に回り、スライドする砲身の砲口が展開され、エネルギーが収束する。
「十字架は、ここに背負っているっ」
そう、これこそがリンのもう一つの十字架……このエヴォリューションのスラスターに増設した純白の機動スラスターとビーム砲:キャリバーは、亡きルンのミカエルのもの…あの最期の決戦で使用し、そのまま修復と同時に組み込んだ。
決して忘れぬ十字架として……その十字架を以って、亡霊を打ち払う。砲口にエネルギーが収束した瞬間、トリガーが引かれ、閃光が迸った。
解き放たれる閃光が襲い掛かり、一瞬相手の動きが硬直するも、サンダルフォンは2枚の翼を拡げ、ボディを前面で覆い隠す。
突き刺さる閃光が羽根を赤く染めるも、耐え切り、サンダルフォンは距離を取る。
「ちぃ、排熱量が限界か…あれは、データに無いな。追加武器か?」
下げた2枚のシールド用の翼の排熱が追いつかず、二度目は使えない。事前に得ていたエヴォリューションにはあのような強力なビーム兵器は装備されていなかった。舌打ちしながら眼前の機体を解析し、それが両翼に増設されたと思しきスラスターへと向けられる。
解析が進むなかでも、警告が響き、エヴォリューションが再度斬り掛かり、アベルは歯噛みしながら応戦する。振り払う鎌:サトゥルヌスとインフェルノが幾度も交錯し、互いに飛行しながら斬り結ぶ。
交錯を繰り広げる度にアベルの心は高揚に沸き立つ。
これだと…この圧倒的な力と畏怖、そしてその存在……それがアベルの内にあった渇きを満たす。
「貴様を倒し、あの女を葬る…その時こそ、俺の望みは果たされるっ!」
眼前に佇む黒衣を纏う騎士…それを狩ることこそ、今の彼の全てだった。鎌を振り被り、連撃を浴びせかける。
絶え間なく襲う刃にさしものリンも応戦できず、防御に回る。
(なんて奴…戦い方がメチャクチャなっ)
ルンの戦闘機動でこちらを襲っていたと思えば、この乱雑振り。まるで、読めず混乱する。これではまるで感情の赴くまま…本能で戦っているような感覚だ。それ故に相手の出方が読めずに戸惑うも、その一瞬の隙を衝き、渾身の一撃とばかりに振り下ろした一撃が構えていたデザイアを弾き、ボディを空ける。
リンが眼を見開いた瞬間、サトゥルヌスの柄を突き入れ、腹部に衝撃を喰らい、エヴォリューションは吹き飛ばされた。
渦積もる残骸のなかへと叩き落され、残骸を吹き飛ばし、衝撃がコックピットを襲い、身体に走る激痛にリンは顔を顰めた。
包帯で縛った部位に鮮血が滲み出る。今の衝撃で再び傷が開いたらしく、反応が鈍るも、リンは反射的に操縦桿を引き、機体を上昇させた。刹那、ビームが空間を過ぎり、周囲の残骸を融かす。
「逃がさんっ、スレイブ!」
サンダルフォンの翼から解き放たれる羽根が舞い、エヴォリューションにビームを放ちながら襲い掛かる。
「ぐっ」
縦横無尽に放たれるビームの結界を掻い潜り、リンは旋回し、回転しながら飛び離れる。それを追うフェザーは追い詰めるようにビームを放ち、周囲を掠め、破壊する。
「このっ」
デザイアを振り被り、中央部のハッチがスライドし、姿を見せる13の砲口が火を噴き、羽根を蒸発させる。
密度が薄くなったと同時に機体を急上昇させ、バーニアの噴射で強引に機体をずらし、フェザーの一群に向けてキャリバーとデザイアを発射し、フェザーを撃ち落とす。
息を乱すリンだったが、後方に掛かる影にハッと気づき、背後に回り込むサンダルフォンの振り被るサトゥルヌスをインフェルノで受け止めるも、力負けし、弾かれる。
「その身体で…どれだけ保つかっ」
相手が本調子ではないと悟り、攻勢を強める。だが、衝撃が響くとともに痛みは増し、リンの意識を刻む。
「くそっ」
脚部を振り上げ、サンダルフォンのボディを弾き飛ばし、吹き飛ぶも、再度フェザーを展開し、リンもまたドラグーンブレイカーを展開した。
宇宙を舞う互いの飛翔体はビームを撃ち合いながら入り乱れる。そのなかで激突する2機。サトゥルヌスの一撃をデザイアで受け止め、リンはインフェルノを振り被り、サンダルフォンの胸部を斬り裂いた。
「浅い……っ」
踏み込みが足りなかったのか、装甲を掠めた程度だった。だが、エヴォリューションはサトゥルヌスの柄を受け、弾かれる。
吹き飛びながらも、腰部のレールガンを起動し、至近距離で発射する。ばら撒かれるように降り注ぐ高速弾にサンダルフォンが怯み、一瞬の隙を見せる。
それを逃すまいとリンは一気に機体を加速させた。インフェルノを振り被り、咆哮とともに振り下ろした。
「はぁぁぁぁっ!」
振り下ろされた一撃に対し、サンダルフォンは舞うように身を跳躍させる。だが、その動きにリンは口元を緩めた。
「それを、待っていた…っ」
間髪入れず機体の加速を殺さず、そのまま脚部バーニアを噴かし、支点に身を回転させる。空中で一回転したエヴォリューションは背腰部に備わったスクリューウィップを取り出し、その柄を脚部に固定させ、回転と同時に振り薙いだ。
二対のウィップがしなり、上方に跳躍したサンダルフォンの脚部に絡みつき、アベルが眼を見開いた瞬間、リンは脚部を振り落とし、それに引っ張られ、サンダルフォンもまた大きく振り飛ばされた。
吹き飛ぶサンダルフォンが戦艦の残骸に激突し、その衝撃に苦悶に歪み、動きが止まる。その隙を逃さず、リンはドラグーンブレイカーを放ち、一斉射した。
(とった……っ)
そう確信した瞬間、着弾の寸前で割り込むように横殴りに飛来した閃光にビームが掻き消され、リンは眼を見開いた。
「何…っ!?」
ハッと振り向くと、彼方から高速で加速してくる機影が映る。通常のMSよりも一回り巨大な体躯を持つ純白の重装甲に身を固めた機体が映り、リンとアベルは互いに息を呑んだ。
「援軍……っ」
少なくとも、味方ではないとリンは臨戦体勢に入り、距離を取る。アベルはやや苦々しげにその機体の主の名を呟いた。
「……ミスト」
純白の機体:アザゼルのコックピットで機体と同じ強固な鎧兜に身を包むパイロット:ミストが抑揚のない声でエヴォリューションを見据える。
「アザゼル、任務を遂行する」
アベルを無視し、アザゼルは加速を止めず、エヴォリューションに向けて保持する巨大な大砲の砲口を向けた。両手で構える砲口に光が収束し、モノアイが的確にエヴォリューションの機動を分析し、照準を合わせる。
無感動にトリガーを引き、解き放たれる閃光が奔流となって襲い掛かり、リンは機体を回避させる。目標を逸れたビームは進路上にあったデブリを呑み込み、薙ぎ払いながら虚空へと消え去る。
その威力をマジマジと見せつけられ、リンは歯噛みする。あの熱量は少なく見積もっても戦艦の主砲にも匹敵する。あんな高熱量を受け止めるのは愚か、掠めただけでも機体装甲を灼く。
「くっ!」
加速を止めず、なおも距離を詰めながら両肩のキャノン砲で砲撃してくるアザゼルに砲弾を掻い潜りながらヴィサリオンを連射する。だが、純粋な熱量の違いか、こちらのビーム弾は掻き消され、運良く突破できてもアザゼルの装甲にはさして効果が見えない。
「ビームコーティング? 並みのビームじゃ意味なしかっ」
敵機装甲を解析し、舌打ちする。
ヴィサリオンを下げ、リンは機体を加速させて砲弾のなかに突撃する。あの機体に対して距離を空けては不利。距離を詰めながらも掠める砲弾が装甲を振動させ、体勢を崩させる。
(っ、やっぱ目覚めてすぐにこれはキツイか)
自嘲気味に苦笑する。
いくら機体を万全な状態で整備させて封印していたとはいえ、MSはデリケートな機械だ。放置していた関節部や駆動炉も久方ぶりの動きに機体がついていけていない。
「だけど、もう少し保ってよ、相棒!」
眼前に迫った砲弾を紙一重で回避し、寸前に迫った瞬間、リンはキャリバーを発射した。ほぼ密着状態で放たれた一撃が装甲に突き刺さり、さしもの耐性も保たず、アザゼルは大きく仰け反る。
「その装甲には驚くけど! この距離ならっ!」
あの距離でのキャリバーの熱量を受けても貫けないほどの厚さには驚愕したが、それでも装甲の薄い部分はある。インフェルノを振り被り、アザゼルの装甲の隙間目掛けて振り下ろした瞬間、横から割り込む影が刃を受け止めた。
「っ!」
思わず失念していたのか、リンは唇を噛む。サンダルフォンの突き出したサトゥルヌスが刃を受け止めている。互いに力を押し合う僅かな時間を逃さず、起き上がったアザゼルがモノアイを輝かせ、リンは反射的に横へ機体を跳ばせる。
放たれる奔流が空間を過ぎり、装甲を炎でちらつかせる。距離を取るエヴォリューションに対し、アザゼルが突き進み、砲弾を浴びせてくる。
回避しようと牽制のレールガンを放ち、上へと跳んだ瞬間、アザゼルの後方から飛び出すサンダルフォンがサトゥルヌスを振るい、咄嗟にデザイアを掲げ、斬撃を受け止めるが、その威力に弾かれる。
制動をかけず、吹き飛びながらヴィサリオンを連射し、サンダルフォンを狙うが、アザゼルが割り込み、その装甲で文字通り盾となり、ビームを防ぎ、脚部ハッチが開閉し、ミサイルが発射される。
弧を描き、誘導するミサイルをバルカンで撃ち落とすも、内蔵されていたと思しきものが散り、周囲の視界を覆う。
「スモークっ!?」
息を呑んだ瞬間、周囲を覆う煙を切り裂き、サンダルフォンが迫る。リンはインフェルノを抜いて受け止め、エネルギーがスパークする。
「ほう? 流石に場数は踏んでいるなっ」
嘲るように鼻を鳴らし、サンダルフォンが蹴りを突き入れ、エヴォリューションを吹き飛ばす。
「ぐっ」
この煙では迂闊に動けば、致命傷を負うのはこちらだ。だからこそ、相手を誘い、その攻撃に乗じて煙の外側へと飛び出した瞬間、背中から飛来する閃光が視界を染め、リンはキャリバーを反対側へ発射し、その反動で火線をかわす。
「目標の機体データに過去のデータと違点あり。データ検索…解析」
強固な鎧に繋がれたケーブルがコックピット全体に接続される異質な空間のなかで、周囲が全てモニターに囲まれるなかで、別ウィンドウにエヴォリューションの戦闘データがアップロードされ、それを基に機体の立体図が表示され、過去のデータとの相違点を表示していく。
やがて、データがバックパックに増設されているスラスターとビーム砲の詳細なデータを割り出し、その基を表示する。
―――――【AEM-001:MICHAEL 適合率99.9%】
横に並ぶように表示される機体データが相似点を示し、結果を導き出す。
「確認。任務変更無し…ターゲットを捕獲する」
何の興味も無く、事実確認のみを行い、ミストは鎧下の冷たい眼光を光らせ、正確に射抜くアザゼルに向かい、リンはキャリバーとデザイアを斉射するが、アザゼルは脚部ブースターを噴かし、容易に回避し、俊敏に砲撃する。
その砲弾を回避しながら撃ち返すも、アザゼルは軽やかな動きで回避し、揺れる巨大な尾の先端からレーザー機銃が斉射され、逆に追い込まれる。
だが、後方から迫るサンダルフォンに気づき、サトゥルヌスに注意を向けた瞬間、その左手の指先に光が走り、リンは身を引いた。
振るわれたサンダルフォンの左手の爪先にはビームの刃が爛々と獣ように輝き、エヴォリューションの右肩の装甲を切り裂いていた。
装甲が落ちると同時にスラスターを噴かし、距離を取るも、後方から鋭い衝撃が襲い、体勢を崩す。ミサイルの着弾を受けた背中からつんのめりになるエヴォリューションの後方から伸びる腕がエヴォリューションを掴まえようとするも、脚部バーニアを噴かせ、その推力で身を回転させ、間一髪逃れるも、再び後方から迫るサンダルフォンにインフェルノを振り被るも、右腕の反応が遅く、弾き飛ばされる。
「ぐっ! こいつら、フォーメーションに隙がないっ」
一方を相手にすればもう一方がこちらの不意を衝き、かといって2機同時に相手にすれば互いの特性を活かして連携してくる。おまけに機体の状態が万全で無いのも響きかけている。このままでは、殺られる…その結論を実感するような嫌な悪寒が身を襲うとともにサンダルフォンがサトゥルヌスを振り上げて迫り、デザイアで受け止め、相手が左手を振り被り、リンは右手を伸ばし、その腕を掴む。
「そう易々と、同じ手にやられるものかっ」
「往生際が悪いっ」
互いに声など聞こえるはずもないのに、相手を睨むなか、膠着を裂くようにサンダルフォンが密着状態でフェザーを展開し、エヴォリューションの背中に回り込ませる。
「しまっ……!」
息を呑む間もなく、背中に向けてフェザーの砲口に熱量が収束し、放たれようとした瞬間、横殴りに飛来したビームがフェザーを蒸発させた。
その光景にリンだけでなく、アベルもまた驚愕に眼を見開いた。
「なっ?」
「どういうつもりだ、ミスト!?」
フェザーを撃ち落としたビームを放った先、大砲を構えるアザゼルを睨み、怒号を上げるアベルに対し、ミストは無機質に言い放つ。
「我々の目的は、ターゲットの捕獲…破壊は許可されていない」
「そんなもの…がはっ」
ミストに注意を逸らしたためにできた隙を逃さず、リンは蹴りでサンダルフォンを弾き飛ばし、距離を取る。そんなアベルを一瞥もくれず、ミストはエヴォリューションを追う。砲撃を回避しながら、リンは相手の行動の不可解さに眉を寄せる。
「どういうこと……まさかこいつら、目的が一致していない…?」
今まで2機の連携に圧倒されていたが、冷静に見てみると、このデカブツの砲撃は先程から致命傷は避けるような行動をあくまで封じる程度に抑え込まれている。対して、天使の方は明らかに殺意をのせて挑んできている。そこに至り、先程の奇行を踏まえれば…今までぼやけていた違和感が実感を伴ってくる。
「目的は私…もしくは、エヴォリューションね」
恐らく、本命はこの機体だろう。そして、相手の目的はそれだ…鹵獲を目的としているなら、このデカブツの奇行にも納得がいき、尚且つ天使が強引に止められたのを鑑みれば、天使のパイロットの方の行動が予定外なのだろう。
「なら、分はある……っ」
正直、この2機の戦闘能力があわさって攻めてこられては分が悪いが、完全な連携が取れていないなら、勝機はある。リンは砲撃から逃れるため、スラスターを拡げ、バーニアを噴かす。
増加されたスラスターにより、より機敏で細かな機動が可能となった今、リンは全神経を周囲に向け、その感覚が導くままに操縦桿を切り、僅かな動きで砲撃を回避し、距離を空ける。
そして、アザゼルから離れた瞬間、後方からアラートが響き、サナダルフォンがサトゥルヌスを振り払う。デザイアで受け止め、弾き飛ばす。間髪入れず、ミサイルが降り注ぎ、周囲を閃光に包む。
バルカンで誘導するミサイルを叩き落し、その爆煙を裂くように迫る砲撃が機体を掠めるも、リンは動じない。
(やはり、デカブツの攻撃はズレているっ、それに!)
注意していれば、致命傷は受けない。そして、もう一つ…リンは舞うフェザーを操りながら間隙無くビームを浴びせるサンダルフォンに確信する。
先程の諍いのせいか、フォーメーションには僅かな間ができた。縦横無尽に襲うビームを掻い潜り、レールガンを散射する。
ばら撒かれる弾頭がビームに撃ち落とされ、阻まれるも、掻い潜った弾丸がサンダルフォンに降り掛かり、銃弾の応酬を受け、弾き飛ばされる。それを一瞥し、リンは中央パネルを操作し、システムを起動させる。
眼前のコンソール中央にセットアップされる基盤に、露出する胸元から浮かぶペンダントを引きちぎり、基盤に差し込んだ。
【IRPAsystem STAND BY READY】
眼前のモニターに映し出される文字。
それは機体に封印された力を解き放つ印。
【SYSTEM ALL AWAKING】
―――――――ドックン………
眼を閉じ……全感覚を委ねる………
久方ぶりに味わうその感覚に身を僅かに強張らせるが、大きな鼓動が内に脈打ち、それが引き金になったように全身の感覚が周囲に拡がり、モニターを通して溶け込む。
【DEUS EX MACHINA TYPE-X000-02】
【DRIVE】
刹那……エヴォリューションの瞳が煌き、咆哮を上げる。
黒と白…二つのスラスターから放出される真紅の粒子が機体を覆い、背中から撃ち込まれる砲弾は虚空を過ぎった。
周囲に溶け込むように掻き消えたエヴォリューションにミストは動揺することもなくセンサーを働かせ、熱量の僅かな動きを分析し、流れるように大砲を向け、トリガーを引いた。
上から迫るエヴォリューションに向けて伸びるビームにその身を呑まれたかのように見えたが、寸前でその姿が再び消え、次の瞬間にはアザゼルの懐にまで飛び込んでいた。
アザゼルは腕を振り上げて殴打しようとするが、それより早くエヴォリューションの振るったスクリューウィップが左腕に絡みつき、その動きを抑制する。
ミストは焦るでもなくまるで機械のように右腕を振り上げるが、それを予測していたように左脚を蹴り上げ、保持していた大砲を吹き飛ばし、空いた右腕を拘束するようにもう一対のウィップを振り、右腕と肩のキャノン砲を封じる。
密着した間合いでアザゼルの動きを封じた瞬間、エヴォリューションの背後に向かって迫るサンダルフォン。サトゥルヌスの穂先から伸びるビーム刃が命を狩り獲るかのごとく紅に爛々と輝き、アベルは修羅のごとき形相で吼える。
完全に空いた背中…だが、リンは微かに口元を緩めた。
「そう…それが狙い。けどねっ」
次の瞬間、エヴォリューションの背後のキャリバーが起動し、砲口を後ろへ向け、展開される体勢にアベルが眼を見開く。
「あんた達は、フォーメーションが正確すぎるっ!」
解き放たれる閃光が真っ直ぐに伸び、加速していたサンダルフォンはそれを回避することもできず、ビームが機体を掠め、翼と左脚を灼き切られ、爆発に包まれた。
「どちらかが必ず背後を取る…ならっ、まずは厄介な奴から仕留めさせてもらうっ」
戦闘を開始してから敵の連携に翻弄されていたが、そこにある一定のパターンがあることを見抜いた。必ずどちらかが相手の背中を取る…2機同時に襲い掛かっていてもその動きだけは徹底していた。
ならば、それを逆手に取り、まずは手持ちの火器では効果の薄いデカブツを引きつけ、そして背後に回るはずの天使を不意打ちで行動不能に追い込む。無論そこには、相手の目的意識の相違と連携の不備を衝いたという要素も加わっている。
そして、命を欲している相手に無防備な背中を晒せばどうなるか…必ず真後ろからトドメを刺すと確信したからこそできた不意打ちだった。サンダルフォンが被弾し、動きを鈍らせた今がチャンスだった。
アザゼルは拘束を振り解こうと力任せに押してくる。味方の被弾に動揺する素振りもない様子にはやや訝しげになるも、リンもそれをさせまいと阻む。
システムの起動でパワーを全開にしているはずのエヴォリューションでさえ力負けしている以上、長くは抑えられない。
リンは操縦桿を押し、均衡する力の向きを変え、両手のスクリューウィップを大きく振り被った。
「はぁぁぁぁぁっ!!」
両腕の関節部が軋みながらも、エヴォリューションはその腕を振り被り、アザゼルの巨体を後方へと投げ飛ばした。ウィップが切れ、支えを喪ったアザゼルはそのまま爆煙のなかから姿を見せたサンダルフォン目掛けて真っ直ぐに飛び、アベルが眼を見張った瞬間、巨体が激突し、2機は縺れ合うように月面へと叩きつけられる。
大地を抉りながら吹き飛び、粉塵が舞う。ようやく2機がバーニアを噴かせ、自重を支えるように立ち止まるも、パイロットの方のダメージが大きく、動きが精彩を欠く。
リンは間髪入れず加速し、デザイアを投げ捨て、両手にインフェルノを抜く。
「もらったっ!」
サンダルフォンに向かって急降下し、それに気づいたアベルも脳震盪を起こす頭を振り、睨みつけながら麻痺する身体で機体を跳躍させた。
「がぁぁぁぁっ」
獣のごとき咆哮を上げ、跳ぶサンダルフォンがサトゥルヌスを振り上げ、エヴォリューションのインフェルノが十文字に振り薙がれた。
甲高い激突音と錯覚するような衝撃波が宇宙に木霊し、2機が交錯し、離れる。エヴォリューションは右脚を切り飛ばされ、大地に着地する。
だが、片脚のため、自重を支えきれず、倒れ伏す。振動が機体を揺らし、呻くと同時にリンは全身を襲う虚脱感に息を乱す。
「はぁはぁ、はぁ……」
システムがカットされ、高揚していた全身が疲労感に襲われ、呼吸を乱す。久方ぶりに起動させたIRPAの反動が身体を蝕み、身体全体が鉛化したように重く鈍い。体勢を立て直せず、隙を晒すも、そんなリンを追い討ちすることはできなかった。上空へ跳ぶサンダルフォンはサトゥルヌスの柄と両腕を喪い、宙を舞っていた破片が爆発し、それは切り口から腕に及び、爆発が機体を包みこみ、動きが鈍る。
「ぐっ、この俺が…遅れを取った……この俺がっ」
ショートし、機体の回線が一時閉鎖を告げるアラートを鳴らすなか、アベルは己の手をワナワナと震えるように見詰める。その表情は激しいショックに満ち、動揺していた。
「完成体であるはずの俺が…あんな、出来損ないのコピーごときにっ」
やがて、怒りに震える顔がエヴォリューションを睨みつけ、サンダルフォンは翼を拡げ、残った銃身を展開し、砲口をエヴォリューションに向ける。
「認められるか…そんな事実、認められるものかっ」
自身を奮い立たせ、いや自己を保つように叫び、砲口にエネルギーが収束する。
《ルキフェル、レミングからの命令は》
それを制するようにミストの通信が割り込むが、アベルは気に留めることもなく、その照準を動かす。
両腕を欠いているために、精度は欠けるが、相手も動きを止めている今、チャンスは無い。膝をつくエヴォリューションに向けて照準が合わさり、アベルは暗い眼元で歪んだ笑みを浮かべる。
「貴様は死ぬ運命にあるんだよ…俺に殺されてなぁ」
狂ったように見るアベルに呼応するようにサンダルフォンの瞳が不気味に輝き、それに気づいたリンは息を止め、操縦桿を握り締める。
「死ねぇぇっ」
トリガーに手をかけ、ビームが放たれようとした瞬間……横殴りに飛来した何かが砲身を切り裂き、割れた砲口が宙を舞い、爆発と収束していたエネルギーが突如の解放により、主に襲い掛かった。
爆発が機体を襲い、純白の装甲を蹂躙し、ボディを灼く。月面に舞い散る純白の破片が、まるで翼を?がれたかのごとく落ち、リンは眼を瞬き、息を呑む。
爆発から弾き出されたサンダルフォンのボディは既に満身創痍ながらも、コックピットブロックは原型を留めていた。
それを受け止めたアザゼルの中で、ミストは的確に横槍を入れた相手の位置を掴み、そちらに視線を向けた。
彼方から真っ直ぐに向かってくる漆黒の影に先程切り飛ばした飛翔体が戻り、受け止めたそれは、手の中で輝く巨大な刀となる。
「っ、アレは、確か…日本軍の…吹雪?」
その機影を霞む視界で確認したリンは眉を僅かに寄せた。
カラーリングと細かなディテールは違っているが、その機体形状はミネルバで見た日本軍の吹雪と酷似していた。警戒するリンの前で吹雪は抜き身の刀を構え、アザゼルに向かって斬り掛かる。
サンダルフォンを抱えているために回避行動は取れないが、その振り上げた厚い装甲に刀身が喰い込むも、致命傷には至らない。
だが、その切り込んだ刃を支点に吹雪は身を跳躍させ、アザゼルの頭部を蹴り飛ばす。一瞬のブレが生じたのか、動きを鈍らせた隙を衝き、吹雪は左手に丸い円柱型の物体を取り出し、それを引くと同時に投げ飛ばした。
ワイヤーで繋がれたその円柱型の物体の周囲にビームの小さな刃が展開され、アザゼルの装甲を切り刻み、起点となるワイヤーを駆使し、まるで別の生き物のように動く刃が装甲を切り刻んでいく。
アザゼルは装甲を切り刻まれながらも怯みもせず、ミサイルを発射し、数十発のミサイルが弧を描きながら襲い掛かるも、吹雪は右手の刀を振るい、ミサイルを斬り落とし、周囲を爆発に包んでいく。
だが、その爆発に混じって撃ち込まれる砲撃が装甲を掠め、慌てて距離を取る。浮遊するデブリの上を跳ぶように移動し、距離を空けながら砲撃を回避していく。
その攻防を見やりながら、リンは幾分か落ち着いてきた呼吸で思考を冷静に処理させていく。
あの動き、アレは一般的な対人戦闘の動きではない。もっと実戦的な、それも自分と同じ裏方の人間がする動きだった。これまで見た日本軍のパイロットの動きのなかでは少し異質に見えた。
砲撃タイプであるアザゼルはその動きを追うも、被弾したサンダルフォンを抱えているため、本来の機動力も半減していた。そのために、機動性を駆使した吹雪には致命傷が与えられない。
相手の吹雪もそんな動きの抑制されたアザゼルに対し、手を緩めるでもなく、むしろ的確に追い詰めに掛かっていた。左手のワイヤー付の兵装を周囲のデブリに打ち込み、または絡ませて制動や緩急をつけ、まるで変幻自在のごとき動きで翻弄し、徐々に距離を詰めに掛かる。
やがて、砲撃が集中するなかへと跳び込み、先程から幾度も切り刻んだ右腕に狙いをつけ、右手の刃を振り上げる。
いくら強固な装甲とはいえ、集中的にダメージを受けた箇所ならその耐久性も落ちる。正確にその傷跡を狙い、振るわれた刃は右腕を斬り落とすかに思えたが、次の瞬間…吹雪のパイロットも、そしてそれを見ていたリンも驚愕に眼を見開いた。
振り上げるアザゼルの腕に突如光のラインが走り、それに沿って装甲が分解し、周囲に弾け跳んだ。
予想外の事態と弾かれた装甲によって剣速が鈍った刃に向けて、パージされた装甲の下から現れた細身の腕に備わった部位から赤い光が迸り、真っ直ぐに伸び、それが振り上げられた。
鋭く斬り上げられた斬撃に吹雪の刀が弾き飛ばされ、宙を描きながら月面に突き刺さる。そして、突如として右腕に備わったビームサーバーのような武器を警戒し、距離を取る吹雪が左手の球体を構えるが、アザゼルはその細い腕のビームサーバーを構え、ミストは状況を分析する。
脇ウィンドウには、『RIGHT-ARM CAST-OFF』の文字が表示されており、それを一瞥することすら無く、やがて別ウィンドウがさらに後方から複数の熱源の接近を告げていた。
「イレギュラーの介入を確認……AEM-005、警告レベル3に移行、ルキフェルの生体反応、レベルイエローを確認。最優先事項変更……サタン、任務失敗を確認。ケース3にて後退する」
抑揚のない機械的な声で発した瞬間、ビームサーバーが消え、訝しげに構える吹雪に対し、アザゼルは両肩のハッチを開放し、その下から覗いた弾頭が発射され、ミサイルと迎撃しようとする吹雪の前で突如炸裂し、周囲一帯を眩い閃光に包んだ。
「うっ」
月面で様子を窺っていたリンも思わず見入っていたためか、その光を直視し、視界を覆う。やがて、回復してきた視界を周囲に凝らすと、そこにはもはやアザゼルとサンダルフォンの姿は無かった。
慌ててレーダーやセンサーで周囲を索敵するが、まるで光のなかに霧散したように周囲には動くものは無く、表情を顰める。
「跡形もなく消える…まさに、亡霊ね」
過去の亡霊とでも戦っていただけに笑えない冗談だが…リンはとにかく一旦の脅威が去ったことに幾分か警戒を解くも、やがてその視線が上空で待機する機影に向けられる。
相手の予想外の行動に虚を衝かれたのか、吹雪もまた困惑しているように周囲を窺っていたが、やがて敵の姿が完全に消失したのを確認すると、その視線がこちらへと向けられ、ゆっくりと降下してくる。
「日本軍の機体が何故こんな場所に? 宇宙にはまだ拠点が無いはずだけど」
未だ独立してからの日が浅い日本は本土の防衛力強化に力を注いでおり、宇宙に軍備は有していない。無論、宇宙でしか手に入れられない希少なレアメタル等も鑑みれば皆無とは言い難いが、少なくともこんな月面の辺境に現れた理由が解からない。
そして、いくらあちら側に攻撃していたとはいえ、味方であるという保障は無い。万が一仕掛けてきた場合に備え、リンは即座に応戦できるように機体のステータスデータに眼を走らせるが、やはり右脚部を喪っているためか、低重力地帯である月面では動きが鈍る。
(おまけに、各駆動部分にも不具合が出ているか…芳しくないな)
自嘲気味に肩を竦める。再起動させてからの即座の無茶な操縦に各関節部や駆動部分からエラーを告げるレッドシグナルが点灯し、また核融合炉も起動ラインギリギリの位置で停止しているため、出力が低下している。
結論から言えば、動くことすらままならない状態であり、戦闘など無理に尽きた…その事実にリンは悲観するでもなく呆れ気味になり、微かに不適な笑みを口元に浮かべ、吹雪を見やった。
「こっちは身動きが取れない半死人状態…あたしをどうするか、賭けね」
もはやそれしか手が無く、リンは相手の出方を警戒しながら窺い、やがて吹雪が眼前で立ち止まり、ノイズ混じりの通信回線が繋がれた。
《こち……大日本帝国……190、応答願います》
ハッキリと確認はできなかったが、たどたどしく聞こえてくる声は少女のように高い声音だった。
周波数を合わせ、通信回線をクリアにし、やがてノイズ混じりでハッキリとしなかった映像が鮮明なものに変わり、相手の顔が映し出される。
《応答願います。こちら、大日本帝国軍、第0師団190連隊:八咫鴉所属、麻宮紗希。応答願います》
映像に映るのは、漆黒のパイロットスーツに身を包んだ少女だった。バイザー越しで顔はハッキリと解からないが、少なくとも、自分とさして差のない歳恰好に見えた。
(第0師団…確か、軍司令部直轄の諜報部か)
相手の名乗った所属部隊はリンも聞いた覚えがある。大日本帝国軍司令部直属の諜報・情報を取り扱う裏の近衛とも称される部隊だ。
少数精鋭で構成され、存在は示唆されていても、表に出てくることは滅多にない。思考を巡らせるなか、何度目かの応答を問う通信にリンは受信し、応じた。
「失礼、援護に感謝する」
《いえ、礼には及びません》
「そう、なら余計な御託はいいわ。そちらの目的は?」
わざわざ通信を送ってくるほどだ。何の用も無いということはあるまい。そして、この場に居合わせたことも偶然ではないだろう。
「私の動向を探っていたのかしらね? 欲しいのは私? それとも、これかしら?」
侮るように挑発する。
オーブに到着した頃から幾人かの監視の眼は感じていたが、それもコペルニクスで撒いた。その後も追ってきたとなれば、この場に居合わせたことにも理由は立つ。
「すぐ近くに別の熱源もあるしね…目的を聞こうかしら?」
レーダーには、こちらへと接近してくる輸送艦程度の熱源が確認されている。正直、援軍でも呼ばれれば厄介だと、可能ならば離脱できるようにスラスターの展開だけは行っていた。
《無礼は失礼します。ですが、我々は貴方様に御用件がございます。同行していただければ、貴方様の機体の面倒も見ましょう》
恭しく告げる少女にリンは難しげに考え込む。
その提案は確かに魅力的であった。エヴォリューションはどの道、一度オーバーホールしておかなければならない。だが、この機体を整備できる場所となれば極限られるために、メンテナンスドックに消耗パーツの入手から補給・整備・修理までの一貫の作業を考えれば、頭の痛くなる作業の連続だ。
しかし、それを容易に受け入れるには抵抗がある。物事にはリスクとリターンがある。それを見極めねば、喰われるのはこちらだ。
「……見返りは?」
《今はお応えできません。ですが、貴方様の不利益にはならないと、我が剣、我らが帝に誓いましょう》
鞘に収めた刀を立て、誓いを立てる吹雪。そういった様式に疎いとはいえ、リンとて剣を扱う身。相手の真意がどうであれ、剣に命を預ける者がそこまでする程の決意が軽いものではない。
「……解かった、そちらに応じるわ」
暫し悩んだが、やがてその結論を出した。その答に相手は安堵したように肩を落とした。
《ありがとうございます。では、まずはそちらの機体の修復を我々が懇意にしている場所で》
「……何処かしら?」
応じはしたが、信用はまだしていない。警戒を緩めないに越したことはないと、何気ない口調で問うと、相手は一瞬返答に窮するも、やがて静かに応じた。
《エラトステネスシティ……ルナティック・インダストリーです》
その言葉に被せるように、やがて艦船と思しき熱源が視認できる位置にまで接近し、月面を陰で覆っていく。
航行してくる輸送艦と思しき艦船を見上げながら、リンは微かな驚愕に眼を見張っていた。
(ルナティック…日本の協力関係にある企業だったのか)
だが、そこでなら月面でしか精製できない資源や、稀少パーツを手に入れることは楽になる。
「どうやら、目覚めてすぐに息切れ…ということにはならなさそうよ」
どこか、からかう口調で、モニターをコツンと叩く。それは、再び力を借りてしまった謝罪と、感謝が込められていた。
それに呼応するように、エヴォリューションは瞳を微かに光らせ、主機を落としていく。刻を置かずして起こるであろう戦いに向けて、身を休めるように……リンは回収をあちらに任せ、身を襲う疲労感に睡魔に誘われる。
傷を負った脇腹の回復による体力低下のせいだったが、リンは今一度、虚ろな瞳を上げて呟いた。
――――ルン…エヴォリューション……すまない………
小さく発された言葉は、誰に聞こえることもなく、コックピット内に霧散していき、リンは沈黙に身を委ねた。
《次回予告》
無常に放たれた混乱の一手。
それは大きな波紋となり、世界を次なる混乱へと導く。
揺れ動く世界は再び運命の嵐へと誘われるしかないのか。
怒りと憎しみが次なる戦火を欲し……
怒りと憎しみを抑えるために戦火を起こす……
それぞれの思惑が交錯するなか、少年は…戦士達は決断を迫られる。
己が選ぶ道を進むために………
渦巻く謀略が絡み合う螺旋のなかへ………
次回、「PHASE-24 謀略の輪」
立ち塞がる混乱、突き進め、ミネルバ。