月面を航行する一隻の輸送艦。荒涼とした月の大地が地平線まで続くなか、一定の航行速度で進む輸送艦の艦橋にて、操舵のハンドルを握るリンの姿があった。だが、その姿は着替えたのか、漆黒のザフト軍のノーマルスーツに酷似している。ヘルメットを被り、バイザーを上げた状態でリンはモニターとセンサーを確認しながら、やがて独りごちる。

「そろそろ、危険域か」

速度を緩めずに進む先。少し聳える小高い丘を突破し、やがて眼下に拡がる大地には、無数の機械部品が散乱していた。

リンが現在進む場所は、旧グリマルディ戦線の古戦場跡だった。前大戦初期に起きたザフトによる月進攻。そしてその最も激しい舞台となったのがこのエンデュミオンクレーターを中心とした一帯だった。

周囲には、様々なデブリが漂い、そして眼下の広大なクレーター跡には、無数の兵器群がその骸を晒している。

ザフト軍のジンの残骸をはじめ、旧連合のMA、そして艦船や航空支援機など、旧時代の遺物が朽ちることもなく犇めくその様は、まさに墓場だった。

「兵どもが夢の跡、か……ジャンク屋ですら滅多に近づかないというのも解からないでもないな」

苦笑じみたように肩を竦める。この辺りは半ば航行危険域に設定されており、民間の艦船は滅多に近づかない。一部ではサルガッソーなどとも呼ばれているらしいが、確かにここに足を踏み出した瞬間に、亡者にでも引き込まれそうな圧迫感がある。

リンはグリマルディ戦線には結局参戦はしなかったから、軍内部での広報と報告のみだったが、それでもこの場に漂うのは、ある種の負の空間だ。ここでは多くの人が死んだ。何度も続いた戦闘だけでなく、最後は採掘基地であった連合の基地から発せられたサイクロプスにより、双方に甚大な被害が出、それがこの戦線の締めとなったのだ。

それ以来、この場所は半ば人々の記憶から放り出された。月の裏側ということもあるが、なによりこの宙域全体に漂う濃厚な死の臭い。それが生あるものの接近を拒む。バイタリティの強いジャンク屋ですら、近づく者は少ないと聞く。

まるで、魂がこの場所に近づくことを拒む。それは、この墓場に漂う死者の呻きに誘われたくないというある種の防衛本能にも近い。

「この海は……地獄ね」

生あるものを拒み、死を誘う。だからこそだった…リンにとって好都合だったのは。感傷に浸りそうになるのを押さえ、リンは地形図を確認しながらモニターを凝視する。

「確か、この辺だったはずだけど……」

地球などと違い、地震などによる地形変化やここ最近、この近海での大きな諍いなどは確認されていない。ならば、データに違いはないはずだ。コンソールを操作しながら、モニターの地形図を検索し、その場所を確認したのか、マーキングを告げる音が響く。

無言で操縦桿を握り、その場所に向かって輸送艦を航行させる。ただ、警戒は怠らなかったが。

刹那、上方より一筋の熱量が飛来し、輸送艦の外装を掠め、大地に突き刺さる。

「なにっ!?」

突然の振動に船体が大きく揺さぶられ、リンは歯噛みし、モニターを見やると、上方から幾条もの熱量を帯びた矢が降り注いでいた。進行方向や船体を掠めながら降り注ぐ光は、ビームの熱だった。外装を焦がし、融かし、周囲の残骸を吹き飛ばす。

「くっ、海賊か!?」

こんな通常航路から離れた場所に来る者となれば、限られてくるが、これ程の熱量のビーム兵器となると、ただの海賊ではない。明らかに特殊な装備を持つ一団だ。外装のカメラを操作し、上方を最大望遠で投影し、襲撃者の姿を映し出す。

その姿を視認した瞬間、微かに眼を瞬き、息を呑む。モニターには、砲口を向ける黒衣の天使の姿が映し出された瞬間、その砲口が閃光を発し、モニターのレンズが光学に耐え切れず、映像を断線させる。

だが、リンはそんなことに構う暇などなく、即座に操縦桿を握り締め、マニュアル操作に切り換えさせ、舵を切る。船体を側面へと回転させ、降り注ぐビームを回避し、同時に操縦桿を微細に操作し、ギアを切り換えるように船体を加速させる。そのまま地表へと急降下し、相手の動きが変わったのを確認した黒衣の天使群はそのバイザーで目標を追い、砲口を無慈悲に向け、トリガーを引く。

容赦なく降り注ぐビームのなか、リンは舌打ちし、操縦桿を固定すると同時にバイザーを下ろし、身を浮かせた。

「っ、所詮は輸送艦か」

民間で出回っている小貨物艦を高速用に改修しただけでこの艦には武装が無い。あったとしても、役には立たないが。だが、この艦には輸送スペースが設けられている。武装は無いが、それに代わるものは積載している。

赤い警告音が鳴り響く艦橋を後にし、リンは即座に後部貨物室に飛び込んだ。もはや真っ直ぐに飛ぶだけの暴走艦。長くは保たない。徐々にビームによって貨物室の内装も融け爛れ、空気の排出が起こっている。

それを一瞥し、リンは貨物室に収まった影に向かって飛ぶ。薄暗がりのなか、鎮座する影の腹部に開かれたハッチに跳び、中へと滑り込む。同時にハッチが閉じられ、内部のAPUが起動し、正面にモニターが浮かび上がる。流れるようにコンソールを叩き、システムを起動させていく。

「全システムアクティブ、オールウェポンフリー」

火器管制のロックを解除し、機体を戦闘ステータスで起動させていく。やがて、鎮座する影の頭部に一つのモノアイが点灯する。

「後部ハッチ、ロック解除……出る」

独りごちた瞬間、一際大きな衝撃が船体を包み込んだ。遂にビームが艦橋部分を撃ち抜き、コントロールを喪った輸送艦は蛇行しながら月面に不時着し、大地と残骸を抉りながら突き進み、炎を噴き上げる。

炎に包まれる輸送艦を直上から見詰めるエンジェルの漆黒のボディに赤い炎が揺らめく。炎上する残骸をサーチしていたエンジェル一機のカメラがその炎を裂くように飛来した閃光に身動きができず、カメラを撃ち抜かれた。

頭部を見事に貫通し、コントロールを喪ったエンジェルが煙を噴き上げながら失速し、月面へと落下していくも、それを気に掛ける僚機はなく、一斉に離脱する。その瞬間、炎上する輸送艦の残骸から飛び出す漆黒の影。

両手に構える大型のビームライフルと後部バックパックに背負った連合のガンバレルを模した兵装。両肩に備わったシールドと全身を染める黒衣のごとき漆黒のカラーリングとその肩に映える騎士兜模したエンブレム。

リンの駆るカスタマイズザクファントムだった。コックピットでリンは機体を飛び立たせ、エンジェル群を狙い撃つ。

だが、先程の不意を衝いたときのように甘い挙動ではなく、鋭い動きで逆に威嚇するように回避するエンジェルを警戒しつつ、機体の状態を確認する。

「使えるのはライフルとガンバレル、トマホークのみかっ」

TDODとして活動する時に使用するMSの内、数機はエラトステネスの工場区に保管している。それを一機艦載して出発したのは間違いではなかったが、肝心敵の襲撃により、主兵装の対艦刀は結局持ち出せなかった。

手持ちの火器のみで対処するしかない、とリンは内心悪態を衝きながら、エンジェルを見据える。

「墓場で亡霊の襲撃を受けるとは……狙いは、私か?」

ただの海賊や脱走兵ならいざ知らず、エンジェルを持ち出してまでリンを狙う。それは間違いなく確実を期するためだ。となれば、狙いはリンそのもの。リンは相手のエンジェルを牽制しながら、その動きを観察する。

「奴がいない…なら、全部無人機か?」

戦闘モーションをざっと見渡したが、衛星軌道で見たルンと同じ動きをする相手はいない。それに、先程までの挙動から動きがどこか機械的だ。となれば、モジュールに使用されているのは無人機の可能性が高い。

残り2機のエンジェルがランチャーを手に砲撃し、リンは歯噛みしながら操縦桿を切る。小刻みに動きながらビームの火線を外し、両手の突撃砲を発射する。だが、別のエンジェルが左手の光波シールドを翳し、攻撃を受け止める。その間にもう一機が陰から飛び出し、ランチャーをロングレンジモードで狙撃する。

「っ、こいつらっ」

シールドを翳して防御するも、その熱量に耐え切れず、熱量を逸らすと同時にシールドのドッキングを解除し、放り捨てる。同時に離脱し、今一度狙い撃つも、一機が防御に回り、もう一機が攻撃を繰り返す。

「フォーメーションが前提に組まれている? 厄介なっ」

無人機なら、そこそこのフォーメーションは取れてもそれはあくまで数字での判断によるものだ。故に外部から攻めやすく、また操りやすいが、役割を前提とされているとなるとまずはその防御網を突破しなければならないが、それを易々とさせるほど相手も容易ではない。

「だけどっ」

いくら役割を分担させようが、所詮は無人機。火線のなかに突撃を敢行するザクファントムだが、防御に回っていたもう一機も攻撃に転じ、火線の密度を上げる。

「そう、それが常套…けど、盾は崩したっ」

攻撃が左腕を掠め、破壊されるも、リンは口元を緩め、ガンバレルを展開した。ザクファントムの火力でエンジェルの光波シールドを破壊するのは不可能だ。ならば、まずはその盾を使わせなければいい。

たとえ有人機だろうが無人機だろうが、無謀に特攻してくる相手にわざわざ防御に回る必要などない。リンとてこんな無謀な賭けには出ないが、それに賭けるだけの装備がある。中距離において間合いを操れるガンバレルのワイヤーが伸び、後方へと回り込んだ砲口が火を噴き、ビームがエンジェルの無防備な背中に着弾し、バックパックが破損する。

煙を上げながら体勢を崩すエンジェルの攻撃が一瞬止み、その隙を逃さず、リンは機体を加速させ、残った左肩のシールドからアックスを引き抜き、頭上から切り掛かる。

顔を上げたエンジェルのバイザーにその光の穂先が映った瞬間、バイザーが真っ二つに割られ、ボディを大きく縦に抉りながら切り裂き、リンは蹴り飛ばす。

同時に身を捻り、横薙ぎにもう一体に切り掛かるも、相手の反応が速く、装甲を掠める程度に留まり、距離を取った。刹那、後方で爆発が起こり、2機の姿を炎が照り映えさせる。

「ちっ、流石に反応だけは有人機のようにはいかないか」

有人機ならここである程度硬直するが、機械はあくまで合理的に判断する。僚機の破壊に怯むような恐怖心は持ち得ない。

距離を取りながらエンジェルは翼に備わったドラグーンを展開し、ビームを浴びせかける。舌打ちし、距離を取りながら回避する。

ガンバレルも先程の無茶な機動で2基喪い、左腕も既に喪っている。だが、ビームの幕のなかを掻い潜りながら地表へと降下し、遮蔽物を盾にビームを捌く。

幾条も降り注ぐビームが遮蔽物を吹き飛ばし、破片を舞い上がらせる。網目のなかを縫うように地表スレスレで飛行しながら回避し続けるなか、リンは操縦桿を動かしながら視界を回し、それがある一点を捉える。

破壊された連合艦艇の開く内部へと身を隠すも、そんな鉄屑は盾にもならないとエンジェルのドラグーンが火を噴き、船体を貫く。数十というビームが突き刺さり、艦艇は粉々に吹き飛ぶ。

一際大量の鉄屑が撒き散らされ、エンジェルに降り掛かる。熱源をサーチするなか、爆煙のなかから飛び出すように姿を見せるザクファントム。爆風を利用して機体を押し出し、そのままエンジェルに切り掛かる。

「はぁぁぁぁっ」

ザクファントムのトマホークが唸りを上げ、エンジェルは双斧刀を振り翳す。熱の走る刃に受け止められ、トマホークの刀身が融けるなか、リンは右脚を振り上げ、底部をボディに激突させた瞬間、エンジェルのボディが爆発に包まれる。同じくリンのザクファントムの脚部も吹き飛んだのか、欠損している。

先程のは、右足底部に固定したグレネードの爆発だった。右脚を喪ったが、エンジェルは至近距離での爆発に怯んだのか、体勢を崩す。

「肉を切らせて…骨を断つっ」

捨て身の戦法で既に折れかかっているトマホークを振り被り、力任せに振り下ろした。エンジェルのボディを袈裟懸けに切り裂いたと同時に刀身が砕け散った。

だが、それと引き換えにエンジェルは傷跡をショートさせ、慣性で離れた瞬間、爆発に包まれた。

「はぁはぁ、どうにかなった…か」

微かに乱れる呼吸を呑み込みながら、一息つくように息を吐き出す。やはり、エンジェル3機を相手に量産機種ではキツイものがあった。万全の状態ならいざ知らず、最初の爆発時に受けた影響か、機体の各所がレッドシグナルを点灯している。

「あまり芳しくないが…もう少し保つか?」

いくつかの回線を閉鎖し、エネルギー系統をカットして誘爆を防ぐとともにどうにか目的地まで向かおうと機体を旋回させる。

「しかし、こんな場所で何故……」

通常の航路からも離れ、ましてや今は戦略的価値も無いこんな古戦場跡でエンジェルの襲撃を受けた。狙いは自分かと思ったが、それならそれで腑に落ちない部分もある。わざわざこんな場所で襲う理由が無い。それこそ、MSで反撃される恐れがあるなら、無防備な民間シャトルで移動中でも可能だったはずだ。

「尾けられていた…まさか」

尾行されていたのは想像に難くないが、ならその目的は…自分が今向かおうとしている場所が思い至り、微かに焦りながらリンは機体を加速させた。

次の瞬間、内に走った感覚と同時に上空から降り注いだビームに気づき、無意識に身を捻った。だが、その熱量があまりに大きく、完全にかわせず、残っていた右腕を灼き切られただけに留まらず、融解した熱の爆発が脇に侵食し、装甲を融かし、吹き飛ばす。

「がはっ」

コックピットの右のモニター画面が吹き飛び、破片が身に飛び、貫通した穴からエアーの排出音が無慈悲に響く。リンは顔を微かに顰めながら麻痺する右手を伸ばし、正面コンソールのボタンを押す。それに連動して天井部から飛び出した球体状の物質が排出される空気の気流に乗り、開いた穴にぶつかり、破裂する。いくつも割れたそれは拡がり、亀裂を塞いでいく。緊急用の粘着補修剤が完全に密封すると、リンは左手で右の脇腹に刺さった破片を掴み、握り締める。

小さく奥歯を噛み締め、強張らせると同時に破片を引き抜き、刹那の痛みが駆け巡る。噴出す鮮血を無造作に取り出した応急キットで止血し、固定する。

だが、そんな応急処置を施しながらも、右手は操縦桿を動かし、先程から絶え間なく降り注ぐビームを回避し続けている。

微かに痺れるためにその機動もギリギリの紙一重であり、もう一度喰らえば間違いなくやられる。止血を終えると同時にリンは空いた左手を戻し、なんとか操縦を行う。

残ったスラスターが火を噴き、ビームを掻い潜りながら機体を舞い上がらせる。相手の姿を視認しようとモニターに眼を向けた瞬間、その瞳が驚愕に見開かれた。

「な、に……っ!?」

眼前に佇む純白の翼を持つ機体。両腕に構える巨大な砲身は大出力のランチャーだろうか。だが、リンが釘付けにされたのはそんなことではなかった。その眼前に佇む機体形状は、嫌というほど見覚えがあった。

「エヴォリュー……ション?」

かつて、共に戦い抜いた相棒である機体と相似形のボディを持つその純白の機体がゆっくりと顔を上げ、モニター越しにそのカメラアイを向ける。

射抜くような瞳が真紅に煌いた瞬間、リンは反射的に操縦桿を切った。振り上げた砲口が火を噴き、解き放たれる大出力の火粒子が空間を薙ぎ払い、進路上のデブリを灼き尽くしていく。

「ぐっ」

歯噛みしながら、攻撃を回避するも、もはや満身創痍に近いこの状態では戦うことは不可能だった。リンは己の見通しの甘さを恥じていた。

エンジェルまで持ち出してくるような相手が、ただの一手で終わるはずがない。最初の3機は恐らく様子見…あわよくばの捨て駒。本命はこの神天使。

リンも無意識に焦りと隙を抱いていたのかもしれない。流動する事態に対して先手を取らねばならない気負いと目的ポイントまで難なく到達できた事態に対して。

だが、愚痴ったところでどうにかなる訳でもない。今は、如何にしてこの状況を切り抜けるかにあった。

月面へと逃げるザクファントムを逃すまいと砲口を向け、トリガーを引く。容赦なく降り注ぐ攻撃のなか、リンは睨むように背後の敵機を見据える。

「あの姿…確か、メタトロンだったか。何故あの機体が……っ」

記憶を手繰り寄せ、そして思い浮かんだ機体があった。自身と姉の愛機のプロトタイプ。だが、それが存在するはずなどない。あの機体は、2年前に破壊されたはずなのだから。

しかし、今現実に攻撃してきている敵機がいるのは事実だった。この満身創痍の状態では満足に相手もできない。リンはレーダーを見詰めながら、歯軋りする。

(もう少し、保って…っ)

目標ポイントまで後少し。そこまで辿り着けば……その刹那、脳裏に一際大きな感覚が過ぎり、ハッと顔を上げると、白銀の機体が砲口を下げ、腰部から用途の解からぬ兵装を掴み出した。

その中心が伸び、細長いロッド状の形状へと変わり、直角に折れ曲がった先端から迸る真紅の刃がギラつき、正確にこちらへと向けた。

「トドメを刺す気……っ」

先程までの攻撃が本気ではないと感じていたが、確実を期するためか、接近戦に持ち込もうとしている。今の状態で懐に入り込まれては、間違いなく殺られる。そう確信した瞬間、神天使は4枚の翼を拡げ、両手に不似合いな鎌を構える。

「天使が死神の真似事か…っ」

思わずそんな感想が漏れるが、相手は翼を羽ばたかせ、高速で加速する。瞬く間に距離を詰め、鎌を振り被る。

命を狩り獲るその真紅の刃が迫り、リンは残った左肩のシールドを掲げて受け止めに入った。刃が触れた瞬間、互いの熱を相殺するように周囲にスパークするエネルギーの渦。それが両機を照り映えさせるが、リンには余裕が無い。

もはや限界に近いこの機体ではこのままパワーで押し切られてしまう。それを証明するように真紅の眼光が鈍く光り、鎌を握る力が増し、神天使は強引にシールドを弾き飛ばした。

「ぐぅぅぅ」

衝撃が身を襲い、呻くリンは大きく体勢を崩す。その隙を逃さず、振り下ろされた鎌が残っていた左肩を切り飛ばした。

宙を舞うとともに振り下ろした鎌の柄を逆手に持ち替え、神天使は再度袈裟懸けに振り上げた。

その刹那、リンは無意識に操縦桿を引いた。

小さな爆発が木霊する。鎌を振り上げたまま静止する神天使と僅かに距離を取って滞空するザクファントムの胸部には、鋭い斬撃の跡が刻まれていた。

ハッチの外装がバッサリとやられ、後僅かに深ければ、間違いなくコックピットごと灼き切られていただろう。あの瞬間、左ジョイントの爆発によって起こる反動で機体重心をずらすことによって、上体を反らしたおかげで最悪の事態は回避できた。ひとえに、リンの操縦技能と経験故の反応だったが、さしものリンももはや打つ手が無いのが現状だった。

歴然とする機体の性能差に加えてこの状態では覆すのは愚か、まともに張り合うことすらどんなに卓越したパイロットでも不可能なことだった。

だが、相手はそんなリンに情けをかけることも無く、無慈悲に鎌を再度身構える。その動作をすると同時にリンは残ったスラスターを噴かし、機体を反転させて月面を滑るように加速する。

逃すまいと追撃する神天使が再度ランチャーを構え、砲口にエネルギーが収束した瞬間、リンは機体を仰向けに反転させ、機体に仕込んだ最後の仕掛けを起動させた。

刹那、ザクファントムの各所から黒い排煙が湧き出る。黒い煙が機体を覆い隠し、予想外の事態だったのか、白銀の機体は一瞬戸惑うも、トリガーを引いた。黒煙を裂くように降り注いだビームが月面に着弾し、周囲を吹き飛ばす。

朦々と立ち込める爆風のなか、佇む白銀の機体:サンダルフォンのなかで座るアベルは舌打ちした。

「ちっ、姑息な」

まさか、あんな仕掛けを施していたとは、予想外だった。エンジェルを仕掛け、様子見をするつもりだったが、思いの他奮闘したリンに対し、直接手を下したくなり、接近戦を試みたが、相手の反応には流石に感嘆の念を抱いた。

「あの女といい、まさに化物だな」

皮肉めいた口調で吐き捨てる。

あの2段構えの攻撃は正直、全力で臨んだつもりだったが、最初の一撃がシールドで防がれるのは予想できていたが、二撃目は間違いなくコックピットを切り裂くつもりだった。それを外した腕には確かに感服し、またそれと同時に不満と怒りが沸き上がってくる。

自分が殺したい相手の力はあんなもので済んでいいはずがない。対等…もしくはもっと強大な力を持って対峙する相手を叩き伏せてこそ、この不満は解消される。

だが、だからといって見逃すほどお人好しでもない。狩れるときに狩るのもまたアベルの矜持だ。奴が逃げ延びて向かってくるもよし、この場で無様に朽ちるもまた運命…リンの運命を天秤にかけつつ、機体を動かす。

「何処だ、何処にいる…あの時のカリ、今度こそはらさせてもらう」

彼の眼に映るのは、相手への天命のみ。そしてそこに混じる内に昂ぶる狂気…墓場を舞う白銀の天使のボディは、まるで地獄を彷徨うかのごとく暗くくずんで見えた。







戦闘区域から僅かに離れたクレーター内部に、リンは機体を避難させていた。周囲には、ジンやシグーの残骸が渦積もり、そのなかに紛れるように身を隠す。

取り出した応急キットの包帯でスーツの上から止血と密閉をした部位を巻きつけ、跡が残らんばかりに強く締め、小さく歯噛みする。

だが、そのおかげで僅かに痛みが和らぎ、自嘲気味に己の身体の利便さに苦笑した。姉の能力もコピーしたこの身体に、感謝するべきなのか、嘆くべきなのか…そんな感傷を切り捨て、リンは機体の状態を確認する。

「フレームはほとんどダメか…スラスターが僅かに使えるだけ」

モニターに表示される機体の状態は芳しくない。既に両腕に片脚を喪い、武装も無い。機体の各構造体の状態を知らせるランプもほぼレッドを表示している。満身創痍に近い状態であり、最後の仕掛けである眼晦ましも使ってしまった。だが、相手はまだこちらを諦めていないはず。目標ポイントまではまだ幾許か距離がある。MSで移動すれば、まず間違いなく熱源を探知される。

そうなれば、仮に辿り着けたとしても元の木阿弥だ。なんとかもう少し時間を稼がなければと、リンは思考を巡らし、この場を凌ぐ最良の策を考えつき、微かに痛む腹部を抑え、コックピットの背後ブースから取り出した無重力移動用の推進器を身体に固定し、操作パネルを叩き、オートパイロットに切り換える。

行動モーションをプログラムし、リンはハッチを開放した。空気の排出される音が微かに木霊した後、リンは機外へと身を晒し、ハッチを蹴って機体から離れていく。僅かに距離を取り、手近なデブリに掴まり、身を寄せると、手首の操作パネルを見やり、刻まれる時間を確認する。

「5、4、3、2、1……」

秒読みを終えた瞬間、沈黙を保っていたザクファントムのモノアイに光が灯り、機体を再起動させる。自動操縦で機体を起こし、既にガタがきている各種関節を動かし、身を伸ばす。それと同時に生き残っていたスラスターが火を噴き、その身を飛び立たせていく。

飛び上がっていくザクファントムに対し、リンは静かに敬礼を送った。それは、短いながらも愛機とした機体へのせめても哀悼であった。

そして、リンは手元のバーを握り、推進器を起動させる。噴出される推進剤により、身が軽やかに飛び上がり、操作バーを握り、加速させる。

ゆっくりと離れるなか、振り返ることもなく…リンは真っ直ぐに目標ポイントを目指した。

舞い上がったザクファントムに周囲を窺っていたサンダルフォンが気づき、ザクファントムは主が離脱する方角とは逆方向へ向かって飛び立った。

「なに? 何の真似だ?」

その行動に疑問を抱き、アベルはすぐさま熱紋サーチでザクファントムを調べ、内部にパイロットの熱量が無いのを確認し、鼻を鳴らした。

「あんな子供騙しの手に俺が引っ掛かると思ったのか? ふざけた真似を」

蛻の殻である機体を囮にした離脱など、策にもならない。むしろ、そんな浅知恵で欺かれると思われたことへの怒りか、アベルはすぐさまザクファントムが離脱した方角とは逆方向を見やる。定石なら、この場は囮とは逆方向へ逃げるのが常だ。生身で宇宙に逃げたとなると、捜すのは骨だが、アベルには関係ない。

この辺一帯を吹き飛ばせばいいだけなのだから。すぐさま手に保持する大型のランチャーを構え、逃げたと思しき一帯を見据える。

「後悔するがいい…己の考えの浅はかさをな」

トリガーに指をかけようとした瞬間、背後から鈍い衝撃が襲い掛かり、小さく呻いた。

「っ、なに!?」

慌てて背後を見やると、離脱していたはずのザクファントムがサンダルフォンに体当たりしていた。スラスターが火を噴き、背中を文字通り身を賭して押さえ、刹那、ザクファントムの残っていたガンバレルが放たれ、ワイヤーが囲うようにサンダルフォンに絡みつき、その身を拘束する。

「ぐっ、人形無勢がっ」

そんな拘束など振り解こうと身をよじるも、ザクファントムはモノアイを爛々と輝かせ、強引に機体を押し、相手を離すまいと密着する。

この機体には、ザフト軍のMMシリーズに搭載された簡易人工知能が備わっていた。単純な命令しか実行できないが、事前入力においていくつかのパターンを構築し、それを実行させるプログラムを組んだ。

機体を離脱させ、相手が無人機と解かれば取る手段は二つ。撃墜か放逐か…撃墜されても多少は時間は稼げるが、問題は放逐だった。その際に相手が背中を見せた瞬間に反転し、機体を拘束するようにモーションが組まれ、たかが無人機による囮と切り捨て、無防備な背中を見せたアベルの隙を衝き、ザクファントムは主の最後の指令を果たそうと最期のプログラムを実行した。

コックピットのコンソールに灯る文字表示。それが加速度的に時刻を刻んでいく。それに連動するようにザクファントムのボディの各所から赤い光が漏れてくる。

それが何であるかを悟った瞬間、表示が0を刻み、ザクファントムのボディは閃光に包まれた。

月面に木霊するような爆発が轟き、それによって生じた衝撃波が拡散する。真下の残骸群を吹き飛ばし、一瞬の刹那、真空の闇に小規模な太陽を生み出した。

その閃光を、僅かに離れた位置で確認したリンは振り返ることもなく推進器を操作し、目標ポイントへと急いだ。

(時間は稼いだ…急げ)

機体にセットした自爆装置。敵機に組み付くと同時に作動するようにセットしたものの、どの程度の距離で爆発したかはあくまで予測でしかない。至近距離なら好ましいが、もし作動と同時に突き放されていてはその影響も半減する。

だからこそ、リンは焦燥感を抱きながらも、急いだ。やがて、彼女の眼前にクレーターの外れにある小規模な基地跡が見えてきた。周囲に散在する削岩機や作業用MAなどから、恐らく月面の資源採掘基地の一つであろう。

止まることなく基地の外部ハッチの一つへと取りついたリンは、そのままパネルを操作し、ドアを開放する。飛び込むと同時にハッチが閉じ、リンは一寸先すら見えないダクトのような通路を飛び、やがて闇に慣れてきた彼女の視線に再度ハッチが見えてくる。

ハッチに辿り着くと、手探りで壁を叩き、やがて操作パネルを発見すると、リンはそれに顔を寄せるも、その表情が微かに歪む。

(マズイな、エアーが足りなくなってきた。果たしてまだライフシステムが生きてるかどうか……)

リンが採掘基地内に入ってまず行ったのは、基地内のライフシステムの稼動だった。

既にノーマルスーツの残留酸素は限界に達している。並みの人間なら、呼吸困難に陥ってとうにあの世逝きだろう。だが、リンは残り少ない酸素を無駄にせず、最小の動きと呼吸を最小限に留め、基地のライフシステムを稼動させるべく制御室へのアクセスを続行する。

無論、基地のライフシステムを稼動させれば、探知される恐れもあるが、残留酸素が少ない以上、仕方のない選択だった。破棄されてから既に数年の時が経っているが、酸化などによる腐食劣化の恐れが無い分、起動できる可能性は高かった。

やがて、アクセスに成功し、基地内部の生命維持装置が稼動を始め、基地内の残留大気が清浄化され、空気供給システムによって施設内に酸素が満ちてくる。それを証明するようにリンが身を置く非常路にも非常灯が灯り、リンは意を決して内部へと続くハッチを開放させた。

次の瞬間、内側から空気の排出による小規模な乱気流が吹き荒れ、リンの身体を押し出そうとするが、それに抗い、内側へと身を投げ込ませ、ハッチを閉鎖した。完全に密封され、気流が収まると、リンは体外センサーで周囲の物質を検査し、それが呼吸可能大気であると確認が取れると、迷うことなくヘルメットのバイザーを上げた。

もし、センサーが故障していれば、まず間違いなくその瞬間にリンは死んでいただろう。だが、運命はリンに味方したようだ。喉を潤す空気が呼吸を楽にし、リンは微かに表情を緩めた。

「なんとか酸欠だけは避けられたか」

苦笑じみて肩を竦めると、リンはノーマルスーツ内の酸素ボンベを外し、身軽になると同時に一路施設内の最奥部へと向かった。

既に破棄されている採掘基地内のあらゆる区画は廃れている。資材や設備がそのままに打ち捨てられ、微かに覗く窓からは散乱する採掘用の削岩機や作業重機、ミストラル等の作業ポッドが犇めきながら渦積もっている。

ここは、前大戦時にザフトの月での資源採掘基地の一つとして機能していた。後に起こったサイクロプスによる影響も寸前で免れたものの、もはや月での戦線維持が困難になったために破棄されたが、施設の機能はまだ完全に死んでいなかった。この所在をザフト軍時代にデータで確認を取ったリンはここを封印場所に決めた。

最初に訪れたのはちょうど2年前…そして、二度と足を踏むことはないと思っていた場所。だが、再び運命の環が自分達にまで絡みだした以上、その誓いを破るしかない。

そんな葛藤を抱きながらどれだけ進んだだろうか…基地の最奥部に設けられた産出された資源を保管する格納庫。コンテナが高く積み上げられ、崩れた壁面から覗くケーブルが垂れ下がるなかをゆっくり降りるリンの視線の先に、床に固定された一基の大型カプセルが横たわっていた。見ようによっては、それは棺桶に近い。

いや、事実そうであって欲しかったというのがリンの本音だった。

静かにカプセルの上に降り立ち、唯一覗く小窓まで歩み寄り、その内に横たわるものに向かい、静かに呟いた。

「久しぶり……また、会ったわね」

どこか感慨深く呟いた先には、灰色の装甲を持ち、色の落ちた赤いカメラアイを持つ機体が横たわっていた。



―――――DEM-X000-02:エヴォリューションガンダム



2年前の最後に別れた刻と変わらぬ姿で眠るかつての戦友に、リンは微かに表情を緩めた。

あの最期の別れの瞬間が脳裏に甦る。ユニウスαでの戦闘終結と同時に停戦を見届けると、姉とともに修復されたエヴォリューションごとアメノミハシラから姿を消し、一時の別れを姉と交わし、リンはエヴォリューションの扱いに苦慮していた。もうこの機体は必要ない。それは姉と同じくリンも同意見だったため、機体を破棄することに躊躇いはなかったが、破壊してしまうのも気が進まなかった。それは姉も同じだったのだろ…姉は結局機体を封印するに留め、リンもまた短くとも半身である愛機を封印する結論に至り、その封印場所について思いついたのが、ここだった。

姉と同じ場所へ封印しなかったのは、万が一なにかしらの予測不可能な事態に陥った時に2機同時に喪うことを危惧してゆえのことだった。そして、この場所へカプセルを埋葬してから2年……棺に眠る半身は変わらぬ姿でそこに眠り続けている。

「悪いわね…あんたを、このまま眠らせておくわけにはいかなくなった」

それは謝罪なのか、懺悔なのか…リンは感傷に浸りそうになるも、それを抑え込み、身を翻してカプセル内のコックピットハッチへと続く外部口へ向かい、カプセルにセットした自爆装置を解除すると、そのままハッチを開放し、カプセル内へと飛び込んだ。

なんてことはないはずが、カプセル内に感じないはずの冷気のようなものを憶えながら、リンは胸部ハッチに跳び移り、開放する。

システムが起動し、開かれたハッチ内に飛び込み、その下にあったシートに着地すると、リンは左手に嵌めていたシルバーリングを取り出した。そのリングを暫し見詰めていたが、やがて意を決し、リングを手前のコンソールにセットし、システムを起動させた。

次の瞬間、正面ウィンドウにデータがアップロードされていき、封印されていたシステムに次々に光が灯っていく。このリングには、封印した時に消去したエヴォリューションの起動プログラム、蓄積された戦闘データが内臓されていた。これで、エヴォリューションは完全なる目覚めを迎える。

(そして、相手は少なくともこれが鍵だということを知っていた……?)

データを移し終えたリングを手に持ち、脳裏にアーモリー・ワンで襲ってきた相手を思い浮かべる。このリングにはエヴォリューションのあらゆるデータが内蔵されていたが、この事を知っているのは姉のみのはず。

そんな答の出ない堂々巡りのなか、モニターに光が灯り、無骨なカプセル内の映像が映し出される。リンはその疑念を今は抑え、パネルを操作し、戦闘ステータスに移行させていく。

「全データアップロード、システム再起動…火器管制ロック解除、機動修正」

機体のステータスを変更し、再び息吹を吹き込まれたその鋼鉄の機体に命の灯火が宿る。作業の最中、突如基地内が振動に襲われ、天井から資材が降り落ち、カプセルに当たる。

(気づかれた…っ)

こちらの所在に気づいたのだろう、基地への攻撃が始まり、ここも長くは保たない。リンは焦りそうになる心を落ち着け、流れるように作業を続行させていく。

パネルを叩く指が俊敏に動き、プログラムを組み上げ、処理される膨大なデータの波が瞳に反射する。やがて、全システムの設定を終え、リンは両手を静かに操縦桿とレバーに寄せ、握り締める。

「いくわよ、エヴォリューション……我が騎士、我が半身」

ゆっくりと顔を上げ、静かにそして意志のこもった瞳でその先を見据えるリンに呼応するようにエヴォリューションの瞳に真紅の光が輝いた。

開放されていくカプセルのハッチ。僅かに灯る非常灯が照らすなか、その鉄褐色の装甲に光が差し込む。その刹那、電力のラインがやられたのか、火花が散り、炎が燃え落ちる。炎上しながら崩れる格納庫のなか、炎が舞い上がり、周囲を包んでいく。

紅蓮の陽光がコックピットに差し込むなか、リンはレバーを引き、ペダルを踏み込む。連動し、エヴォリューションの手首がピクリと動き、持ち上げられる。カプセルの外壁を掴み、身を起こしていく。

起こされていく上体の背後に固定されていたケーブルがパージされ、戒めを解き放ったボディはゆっくりと己の脚で立ち上がっていく。完全に両の脚で立ち上がった瞬間、背後のスラスターが拡がる。だが、それは灰色の鉄褐色のような無骨なものではなく、炎の紅さえも美しく反射する純白のごとき輝きを放っている。





炎が舞い上がるなか、真紅の眼光を輝かせながら佇む機械神は今、眠りより目醒めた―――

――――新たなる運命の渦のなかを駆けるために………




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