ぼ…は……る……も……



「目覚めなさい……」



ぼくは………もる…もの…



「汝は剣……」



ぼくは……この……まもる…もの…



「汝は盾………」



ぼくは…このちを…まもる…もの……



「汝は長……」



ぼくは、このちを、まもる、もの



「汝は系譜を継ぐ者………」



僕は、この地を、守る、者



「汝は遍く全てを統べる不変の存在………」





僕はこの地を、守るもの





僕はこの地を





僕はこの地を


僕はこの地を


「僕は……この、地を……」



雨宮麒麟が天井に向かって差し出した手には、朝日が差し込んでいた。

まどろんだ顔で、周囲を見渡す。ここは雨宮家の別宅で、自分の部屋……。

「……………」

変な夢だったなあ。そう思いながら少年の目は、目覚まし時計へと向かう。

よかった。だいたい夢を見た日というのは寝坊したのが多いから、今回は運がよかった。

制服に着替えてから、顔を洗う。今日は僕が当番だから、食事は僕が作るはず。今日は何にしようかな。

エプロンを着て調理場に向かう。

わざわざ調理場と表記したことから想像できるように、高校生が扱うには余りに良すぎる物だった。一般家庭でもここまでの設備はそうあるまい。

麒麟の引き取り手である雨宮家は、日本でも有数の大財閥だった。彼の義理の祖父は彼を後継者として孫としたのだ。

けれども、彼は自分を本当の孫のように扱ってくれる。

もちろんほかの親戚もそうだった。麒麟はそんな皆が大好きだったが……

「きのう届いたのは、卵と牛乳だったから……」

そんな彼が自炊までするのは、二つの大きな理由があった。

ひとつは麒麟の通う麻帆良学園が全寮制であるという事。

如何に雨宮コーポレーションとはいえ、自宅から通わせる校則違反だし(できないことはないが)そもそも距離が本宅とは離れすぎている。

「そうだ。今日はフレンチトーストにしよう。姉さん好きだったから」

『何ごともできることは自分でやれ』と言うのがこの雨宮の家訓。

なので、祖父は、姿勢と態度で持って、それを常日頃から教えていたのだった。

だがそれならばわざわざ別宅ではなく寮でもいいのではないか。その疑問を解決するために、第二の理由があった。

溶いた卵に牛乳を入れて、適当な大きさにきった食パンを入れる。染み込む直前に、フライパンを温めてそれにバターを入れた。

ジュウ……という音ともに、バターの香りが調理場からリビングに流れ出た時、階段から、雪崩れ落ちるように誰かが落ちてきた。否、降りてきた。

「おはよお………」

「おはよう、姉さん。今日は遅いんだね、珍しく」

言いながら麒麟は十分に染み込んだのを確認する。この料理の欠点は染み込むまでに時間がかかることだったが、パンが特別製なのでその問題はなかった。

それはさておき、着崩れた格好で出てきたこの女の子。彼女の名は雨宮園美。

麒麟の義理の姉である。麒麟とは対照的にきびきびとした性格の園美が寝坊したのは訳がある。

「昨日は、遅かったのよ……」

「撫子さんの家に行っていたから?」

フライパンの上に、パンを乗せる。後はいい焼き加減になるまで待つだけだ。

「そうよ。今度こそ木之本先生をとっちめてやる筈だったのに…………」

「うん、うん……」

「それなのに! 私の気持ちなんてまったく理解してないのよ! 天然オーラに打つ手無しよ!!」

頃合いを見計らって、ひっくり返す。

「おまけに当の本人が来るものだから………」

「それは、それは…大変だったね……」

さらに盛り付ける。よし、なかなかの出来だ。メープルシロップを上に掛け回す。彼女を横目で見ると、まだブツブツ何かこぼしていた。

「はい、できたよ。…………いただきます」

「撫子ったら、私が起こっている最中に帰ってきて………頂きます……ほえほえした空気で回りを和ませちゃうのよ……」



ここまできたら説明しなければなるまい。

まず撫子と言うのは、彼女らのイトコに当たる雨宮撫子である。柔らかな雰囲気と、それにあった温和な性格は小学校、中学校と男子の人気の的だった。

それに変な虫が付かない様にずっと見守ってきたのが園美である。

もともと麒麟以上に天然ボケの撫子。簡単なお使いでも二回は転び、早口言葉では九割で舌を噛み、麺汁を水と間違え、茶色のクレヨンをチョコと間違えて口に 入れようとした事だってある。

男の子との関係云々以前に放って置くのは危険だった。それが園美の心配性に余計に拍車を掛ける事になっていた。(麒麟が引き取られたのは幼稚園も終わりの 時だったが、その時点でこの傾向は始まっている)



それが、いきなり、高校生になって、春が来てしまった。



その相手こそ、園美が先程からこぼす台詞の中にある『木之本先生』こと木之本藤隆である。

木から落っこちてしまった撫子を助けたのが最初の縁。麒麟たちのクラスの担任になったのが二度目の縁。それから密かに二人は交際を続けていた。教師と教え 子との関係なんて、今も昔もタブーの一つだが、似合いすぎているのだから口は挟めない。それほどの仲だ。



恋愛に時間は関係無いとはよく言ったもので、撫子が高校一年生の時、彼と藤隆は結婚した。



しかしそこまで行くと、自分たちのアイドルがいなくなるのを由としない派、逆に人気の高い爽やかな先生がいなくなるのが嫌な派。

そして、何処の誰とも知らない馬の骨に、大事な雨宮家の娘をやるわけには行かないと言う『園美』を筆頭とする派。などの様々な反対派が挙がる。

しかし、二人を祝福する人たちも多かった。麒麟本人もその一人。

彼は親戚の人たちを必死になって説得した。彼なら撫子を幸せにできる、彼女がどれだけ今嬉しいのかをあちこち駆け回って説いた。

その甲斐あってか、少しずつ、少しずつ、周りの認識は変わって行った。

思えば、藤隆は新米教師ではあったが、人柄の良さは折り紙つきだった。歴史に興味が無い人でも、彼の授業は真剣に、楽しく取り組める。誰に対しても優し く、生徒の悩みは親身になって聞いた。

会ってみて、なるほど彼ならば、と皆考えを改めた。

が、いまだに諦め切れない人が、ここに約一名いるわけだ。

「今度は負けないわ。次こそ必ず!」

そういって園美はあっという間に二人分のフレンチトーストを平らげてしまった。

しかしこんな調子であるのは、ハッキリ言ってしまえば麒麟がいるからなのだ。

とにかく抜け殻の様になってしまった。

何を言っても上の空で、撫子以上のドジを踏むようになる。酷い時は電車に三回轢かれそうになったのだから笑えない。

麒麟は園美を一人で置いておくのは危険と判断し、(寮は撫子との二人部屋だったのが、一人になってしまった)祖父に無理を言って、別宅を用意してもらった のだった。彼の中に、責任感のような物もあったのかもしれない。

「ところで、今回の勝負は何だったの?」

ようやく食べ終わった麒麟が、二人分の食器を調理場に運んだ。皿洗いも彼の仕事だ。

さて、園美と藤隆の勝負の内容はその時々によって異なっていた。

しかしそれでも藤隆は常に勝利するのだから凄い。俗に言う天才肌ではないかと、内心思っていた。

「ファミリーコンピューターよ」

「え?」

「プレステとかドリキャスだと木之本先生もやっていると思って、一生懸命練習したのに…………普通にハイスコアなんか叩き出して!」

いきなり首を掴まれる。いつの間にか園美は自分の背後まで移動し、襟首を掴み上げていた。

また何時ものが始まった。はずそうとするが、所詮麒麟の軟弱な力で外れるはずがなかった。

「ね、姉さん、く、くるし………」

必死で説得を試みるが、そんなものが通用しないのが分かってしまうから悲しいものだ。

園美の顔が高潮し、義弟は逆にどんどん青ざめている。

「だいたい何よ、あのスペランカーとか言うゲームは! 転んだだけで死ぬような虚弱体質が、何で主人公なのよ!」

「ちょ……落ち、着いて…ね……」

「熱血大運動会もそうよ! ただのマラソンかと思ったら、鉄アレイとか木刀が出るなんて! おまけに栄養ドリンクが取られちゃうし!」

「……ね、ねえ………うう…………」

「今度は正々堂々と勝負するわ! リッジレーサーでもポケモンでも、何だって勝ってやるんだからあ!!」

「………」

「だからあなたも特訓付き合ってよ! いいアイテムが手に入ったら速攻でこっちに渡すのよ!」

「………………」

「ねえ、聞いてる?」

「………………………」

「ちょっと、麒麟ってば!? ねえ、起きなさい!」

「………………………………………………………………………」





懸命の呼びかけに少年が応じたのは、およそ三十分後だった。

「うう……ごほっ、げほっ……」

「ご、ごめん、また何時もの癖が……」

「別にいいけど………げほっ………もうちょっと……ごふっ……………手加減して……がへっ……くれても……」

「ほ、ホントにごめんなさい」

手を擦り合わせて、心から申し訳ない仕草をする。

「あ、そうだ。今日は私が洗い物していくから、あなたは先に学校へ行ってなさいよ」

「へ?」

「並木道も、桜が咲いて綺麗よ。ね、行ってきなさいよ」

そういって半ば無理やりのように、麒麟を立たせる。申し訳なさと、ご機嫌を取ろうと言う気持ちが同居していた。

ここで自分がやると言って危機はしないだろう。お言葉に甘えることにした。

玄関まで移動して、側に置いてある自分の鞄を取る。何時も寝る前にこうして用意した後、置くようにしていた。

園美は玄関口まで一緒に来た。まだ申し訳なさが残っているのだろう。

「じゃあ………行ってきます」

「うんうん、いってらっしゃい!」

できるだけ首の痛みを気にしていない仕草で、麒麟は出発した。





やっぱり朝早く出発して正解だったかもしれないと、麒麟は内心嬉しくなった。

この道を通るのはもう何度目か分からないが、この景色を見るのはこれで二度目と言うことになる。去年も見た風景だが、なぜかその時以上に素晴らしく感じら れる。

麻帆良学園は自然と都会が融合した学園都市で、それが余計に麒麟の心を掻き立てた。

上を見れば、そこには雲ひとつない青空が広がる。そこから少し目線をずらすと、生徒が移動するためのモノレールを、春の木々が彩っている。

反対側に移ると、桜の木が自分に対してお辞儀をしているようだった。そこから先は塀になっていて見えないけれど、自然公園があるはずだ。他の自然があるは ずだった。

今度行ってみよう。もしかしたら今日いってもいいかもしれない。

この雨宮麒麟、高校生にしては少々感受性が強すぎる性格だった。要するに感動体質なのである。感動の余り意識がややトリップしている事も何回かあった。

幸いなことに他に通行人はいなかったので変な目で見られる事はなかったが、麒麟には今の自分が天然だと言う自覚がなかったので、安心はできない。

友人が、そこはかとなく諭す事はあっても、それが伝わることはなった。

「気持ちいいなあ。ポカポカいい陽気だし……」

少しヒンヤリした空気がそよ風となって、桜の花びらを運んでくる。ここで昼寝できたら………

(風邪ひいちゃうかな……)

さすがにそれは改めたほうがよさそうだ。

でも、桜の木や、小鳥たちは、自分にもう少し此処にいて欲しいと言っている。

「少し早く出たんだし、今日は少し遠回りして行こうかな」

本来なら真っ直ぐ行くはずの道を、角で曲がろうとした時。





「そこのあなた………」





澄み切った空気に、針を刺したような声だった。発するほうを振り返る。





次の瞬間、麒麟の視線はそこから動けなかった。あれほど感動していた自然のざわめきも、すべて耳から通り過ぎていく。

自分と、目線の先に有るものだけが世界に見える。ほかは下書きだけしたデッサンのようで、それがアニメのようにぱらぱらと動いている。

麒麟が捉えたもの―――少女の姿だけが色彩の光を放っていた。ビロードの様な艶のある黒い髪が、風の川に流れていく。

服の上から見える肌はすべてが白で、淡い光沢と言っても過言ではない。

緋色の瞳は、麒麟のすべてを拘束していく。抱きすくめられるような、それでも暖かさと冷たさがある。





「ぼ、僕…………?」

「はい」

喉を通り口の先から出た、すべてと調和している音声は、少年を捉えて話さない。

「え……その……」

「麻帆良学園高等部の事務室は………」

「えっ……」

少し聞いただけで、自分の声が上ずってしまう。修正は効かなかった。

「どちらですか?」

「…………あ、ええっと! それなら……」

麒麟の体がようやく開放された。顔も逸らすと同時に、そのまま前方を指差す。背徳感に近いものがあったが、敢えて無視する。

心臓が止まってしまいそうだったから。

「ここから真っ直ぐ行けば……そのままつけます………」

喋っている最中も喉の奥がカラカラして、言い辛い。

「そうですか………ありがとう」

「あ、僕も行く途中だから、よかったら一緒に……」

こんな状況でも良心が先行できるのだから、それは麒麟の人柄のなせる業だろう。本来なら、このまま過ぎ去ってしまいたいと思うのだから。



しかし、残念ながらそれは発揮の機会を失う。



女の子の姿は、すでに其処から消え失せていた。先ほどいた場所には、変わりにチラチラと桜の花びらが舞っている。

突然来た出会いは、少年に何かを乗せて、突然に去っていった。振り向くこともなく。

身体中からどっと汗が噴出すのを、麒麟は感じていた。緊張とは少し違う、もっと心の奥底から湧き出る何かが、一緒に汗も連れてきたのだ。

同時に、硬直もさらって行ってくれたらしい。リラックスした足取りで、再び歩き出すことができた。

寄り道をする気には、到底なれない。





「ここに………最初の剣が………ある………」

少年は、来た道を再び歩き出した。どうやら曲がるつもりではなく、自分に教えた道を忠実に通るつもりらしい。まあ、別に自分には関係のないことだが………

「鍵を持つものが、ここに………」

正直こんな偏狭の島国に、という疑わしい部分はあるが、そんな『感情』は隅に追いやる。『疑問』なんて、『誰』が『何』を浮かべようか。

そもそも矛盾だらけのこの世界で。

「っ!!」

水平線の向こうまでをじっと見詰める。

少年が向かう道とはまるで正反対の方向だった。上空からだと余計に見えるその景色は、自身にしか見えない。

おそらく、わざと見えないようにしているのだ。無駄なことを……

しかし自分は、中にあるこの『感情』は……

確信した。



「もう、時間が無い………」



『焦慮』か『焦燥』か……どちらにせよ、浮かんだこの『感情』は無駄ではない。



そう、確信した。

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