麻帆良学園は、基本的にクラスが繰り上がり制になっている。それは女子校でも男子校でも同じことだったから、それは共学校でも当てはまる。
このクラスの面々も、基本的には変わりないのだった。
規模が大き過ぎて、クラス替えを毎年やるのが面倒くさいとか、クラスの団結力を高めるとか諸説入り乱れだが、面倒くさい説が今のところ優勢である。
綺麗に清掃された廊下、装飾は中世ヨーロッパが主体となっているのか、所々に真鍮が見える。
2年A組―――誇りひとつない綺麗な表札とドアが、自分を出迎えた。
「おはよう!」
麒麟がゆっくりとドアを開けると、クラスメートはもう既に半数がいた。麒麟たちのクラスは麻帆良学園でも勤勉な集団で知られていたから、これ自体は驚くべ
きことではなかろう。
同時に、このクラスはもう一つのことでも知られていた。麻帆良を代表する超有名人が、良い意味でも悪い意味でも『三人』存在しているのだ。
「よっ、麒麟!」
「おはようございます、天宮さん」
「おはよー! 麒麟!!」
自分の座る席の隣には、その三人の内一人がもう既に陣取っていた。その周りを、二人の女の子が挟む形になっている。そこから麒麟を発見し、呼んだ。
「おはよう、ナギ君、陽子ちゃん、真帆ちゃん」
反射的に挨拶して、窓際後ろにある自分の机に座る。この学校は机と椅子も購入式になっているから、在学中はそれを通して使うことになっている。
そこで麒麟は疑問に思った。
「今日はナギ君、早いんだね。普段は予鈴の直前に来るのに」
「へっへっへ、新学期は転校生と新入生のチェック日だろ。昨日は何だかんだでできなかったからな。その分、念入りにやったってわけだ。今年も選り取りみど
りだぜ」
紅い髪をゴムで縛っている、整った顔つきの男の子。やや釣り目がワルそうな感じで、それが逆にググっとひく感じだ.
彼が先ほど述べた超有名人の一人、ナギ=スプリング=フィールド。
そのイケメンと言葉巧みなトーキングセンスで、落とされた女性は一人二人どころの騒ぎではない。ファンクラブの会員数は四桁を超えると言う噂もある。
それ以外にも、彼が『あの大戦』で活躍した世界有数の魔法使いだというのだ。天は二物を与えるどころか、時には三つ四つも与える、と評する人も多い。
イギリスからの留学生の彼は、祖父がこの麻帆良学園の学園長の旧知の仲らしくその縁で高校から入ってきたのだ。ロクな学生生活をおくった事がない彼に対す
る措置だと、麒麟は本人から聞いていた。
「ふうん………」
「麒麟もやってみりゃいいのによ。お前だって、決して悪いほうじゃないっつーか……かなりイケるぜ。年上にはかなりの…」
前屈みになって、麒麟の顔を覗き込むナギ。だが、横で手を付いている少女が口を挟んだ。本来ならばここで本日の成果について話すはずだったのだが、今回は
そうしない訳があったのだった。
「でもさあナギ、麒麟には無理だって」
「ま、真帆…そんなストレートに……」
「だってお姉ちゃんだってそう思うでしょ。初恋だってまだかもよ」
対照的な二人の声。しかしこれでも少女たちは姉妹だったのだから、世の中はますます分かったものじゃない。
麒麟の視線は、座っている髪の短いほうへ移っている。
「あれ、真帆ちゃんはその制服………」
「ほら、やっぱりニブチンだ。今年からアタシ高等部だよ」
栗色の髪が可愛らしい、この女の子。
彼女の名は浦島真帆。この麻帆良学園の郊外にある和菓子屋、『浦島』の娘である。
『浦島』と言うのは、遥か昔から続いている伝統的な製法を今でも守り続ける数少ない店で、ガイドブックにもしばしば登場する知る人ぞ知る老舗なのだ。
しかし彼女自身はそんな伝統には余り興味がないらしい。女の子なのに一日三回は外に出るのが日課らしく、去年も付き合わされた経験があった。陸上部に所属
していて、中学では県大会で優勝したこともある。
「あ、そうなんだ。よく似合ってるよ、制服」
「ホント!?」
麒麟の言葉に気を良くしたのか、顔がぱっと輝く。
「うん」
「エヘヘ。こういうのを素で言えるのはいい所だよねえ。そこはナギと違うんだよなあ」
先ほどまでの厳しい態度は何処へやら、一瞬にして彼の評価は最高のものになった。明るい性格だからあっけらかんとしていると言うべきか、それともそこ抜け
た個性が表情を豊かにしているか、未だにナギにも分からないとか。
「あ、鈍いと言えば、お姉ちゃんの方がそうかも」
「え、なんで?」
「だって去年から通算して告白された回数、もう数え切れないほどだよ。それなのに全部断ってさ」
「ま、真帆!? ち、違いますよ天宮さん。私は別に、そんな……」
「フッ………隠しても無駄だぜ。俺の調べによれば十人から集団でされたこともあった」
「ナギ君!?」
恥ずかしがって大声を出し続けているので、麒麟のみならず、周りの何人かも目を向けた。清楚な雰囲気を持つ人物の名前は、浦島陽子。
同じ栗色の髪でもこちらは真っ直ぐにストレートに伸ばして、最後の方をリボンで纏めている。和風美人といったところだ。彼女は和菓子屋『浦島』の長女にし
て、真帆の実の姉である。
その清純な姿容に違わぬ柔和な性格と、家事と裁縫が趣味と言う、まさにお嫁さん候補にしたいナンバーワン筆頭と言っても過言ではない。
ただ真帆が言ったように、彼女自身はその方向に関しては余りに初心だった。二人の言葉に大げさと言えるほどに動揺したのもこの為だ。
「まあ、結局アイツが許すはずがないけどなあ」
「あ、わかるよ。私たち姉妹に関しては、ホントにターミネーターだもんね」
そういってナギの方を振り返る。
「2の方だよ」
「わかってるよ」
マニアックな例えにも、ナギは相槌を言って適切に対応してみせた。
ちなみに真帆も陽子も、ナギに気があるわけではない。陽子は前述した通りだし、真帆はこの類に関しては陽子よりも大人だったから、適当にあしらえる。
それに何より、ナギが本気で手を出したら、本人が言ったように、彼が『許すはずがない』のだ。
「蓮君のこと?」
「当たり前だろ。アイツ以外に誰がいるのさ」
「そ、そんな乱暴な………」
「いいって、陽子。どうせ聞こえやしねえ」
「それは、生徒会の仕事? 確か蓮君、今年は生徒会長だったよね」
「ああ。今日もなんかのオリエンテーションの準備だと」
かなり二枚目のナギの顔が少し陰ったように、麒麟には見えた。
ナギが今回の新入生チェック(早い話がナンパ)の成果を話さなかった理由。それこそが、彼らが話すある一人の人物に大きく関るものだったのだ。
「そっか、蓮君も大変だよね。放課後も残って生徒会の仕事で………」
「それだけじゃないよ。ウチの修行の方も全然手を抜いてないんだもん。本当にロボットじゃないかな?」
「あはは、そりゃ笑えるぜ! 手の皮引ん剥いたらウィンウィンってなんかが蠢いてんだ」
「二人とも……もうそれ位に……」
陽子が諌めるが全然、話題を緩める気がなかった。麒麟は圧倒されて止めるどころか口を挟めない。この二人にはヒートアップした二人を止めるのは無理だっ
た。
なお悪いことに、ドンドン加速していく傾向を見せている。特にナギの方は憂さ晴らしとばかりに散々罵詈雑言を並び立てている。
「大体、目の上のタンコブとは正にあれさ。どうせ正体はムッツリに決まってる」
「うん、うん!」
「さっきターミネーターとか何とか言ったが、所詮は人間の筈だぜ。アイツの部屋はきっと途轍もないヤツで占められてるに違いねえ!」
「そうだ、そうだ!」
「生徒会長になった時の宣誓だって、可愛い女の子と知り合うための方便だ!内心は『やった、ラッキー』ってのが八割方、残りの二割も人気上昇で浮かれた気
持ちさ!!」
「その通り! その……と、お……り……………」
「ヤツこそ本当に打倒すべき階級! 隠れた真の闇貴族だ!!」
「ほう…………それは誰だ………」
「決まってんだろ! この学園を代表する……………………」
ナギは直前の真帆の言葉が途中で尻すぼみになっていたのに気付くべきだった。そうすれば何とか弁明の余地が生まれたのかもしれないのに………
だが、そんな反省がこの状況において髪の毛ほどの役に立つはずがない。役に立っていたら、ゲゲゲの○太郎もビックリする位の髪の量の分、反省するだろう。
この時真帆は、『覆水盆に帰らず』の真の意味を理解するのだった。知らず知らずのうちに麒麟の背後に回っているのがそれの証明だ。
「学園を、代表する、何だ……言ってみろ、ナギ………」
「え、ええ〜とですね〜。理知的で、ハンサムで、ワタクシなど到底及ばないほどの………」
「ムッツリで、真に打倒すべき、ターミネーターとでも言うつもりか?」
「さ、さすが良く、分かってらっしゃる………」
ブチン、と言う音を、このクラス中が耳にしたであろう事は明白だった。
それも最大級の、世界樹が根切れを起こす時よりも大きな。
「ふざけるなあ!」
ナギの頭が無造作に掴まれると同時に、スパースシャトル顔負けの噴射力でもって空に持ち上げられた。そしてそのまま仰向けの体勢にされ、腰を支点に上半身
と下半身がそれぞれ両腕で反りかえされる。
俗に言うバックブリーカーなるプロレス技だが、威力がずば抜けていた。不良を一撃で沈静化できる腕力がすべて腕に集中するのだ。ショー的なそれとはワケが
違う。
「ああああああああ!! やめろ蓮! わるかった!」
「朝からふしだらな行為に及ぶだけでは飽きたらず! 根も葉もない人の悪口を並び立
てる、その腐った性根!!」
「いやっ! やめてっ!! 許してっ!!! ゴメンナサイイイイッ!!!!」
「今度こそは徹底的に叩きなおす! 故郷の土を踏めるとは二度と思わないことだ
な!!」
「ギャアアアアアアッッッ…………………!!!」
「ご、ごめんね、蓮………いや、本当に悪ふざけだってば……」
ナギが『粛清』されるまでの十五分の間に、だいぶ人の量も増えてきた。もうほぼ全員が揃っている。
「わかっていますよ、真帆。別に俺は、そこに転がっているバカに同調したなど、思っていませんから」
「ううっ……」
それと同時に初めは驚いていた周囲も、正体が分かれば『何時ものアレか』と納得して自分たちの話題に戻って言った。
「すみません、蓮。私が止めていれば良かったのですけど………」
「いえ、陽子も気に病まぬように」
つまりは、ナギとクラスの超有名人のもう一人のやり取りは、ありふれた物だという事だ。
「麒麟、何時までそいつに構っている」
一連の内容を終わってからようやく理解した麒麟はとりあえず、うつ伏せになって寝ているナギの背中をさすってやった。
「でも、可哀想だし………」
「ありがとなあ……麒麟。ああ、ちょっと違うな………少し上、いや、やや左…お、そこだそこだ………ああ、気持ちいい………」
まるで定年退職の末に熟年離婚をくらった親父だ。これが世界最大級の魔力を持つ男だと思うと、情けなくて涙が出るという御仁もいるだろうが、そこは我慢し
てもらいたい。
「まあ、やるのはお前の勝手だが、窓から捨てるのならいつでも協力するぞ」
「す、捨てるって………」
「そんな事言わないで蓮ちゃん。ボクとキミとの付き合いじゃないの………」
できるだけ口調を麒麟に近づけて、なおも悪ふざけを諦めないナギだったが、ボキバキと鳴る蓮の間接の音に、できるだけ沈痛な顔つきを続けることにした。近
づけた事が余計に怒りを煽る結果となった訳だ。
彼の名前は浦島蓮
この麻帆良学園『総合生徒会』の会長にして、『麻帆良の守護神』の異名を取る模範生徒の鏡である。
彼は『浦島』にとある理由から下宿していて、和菓子職人としての修行も積んでいた。その上で成績は常に上位をキープし、教師からの信頼も厚いという、まさ
にナギとは正反対の天才だ。
おまけに彼は浦島家に代々伝わる『浦島流・合気術』の手ほどきも受けている。その腕前でもって、麻帆良学園にはびこる不良たちを一掃し続けているのだ。彼
が『守護神』の名を与えられる理由はここにあった。
そしてそれらの実績と才能を裏打ちするのが、彼の真面目すぎる性格だった。
とにかく真面目、素晴らしく真面目、なんでも真面目、かなりなんてモノじゃないほど真面目、それがナギを含む調査団の評価だった。(何のかは聞かないでほ
しい)。人間を直線で表しなさいという問題が入試であったら、間違いなくSランクの評価を受けるであろう回答。それが浦島蓮の人間性なのだ。
ナギの新入生チェックが成功しなかったのも、彼の目が光っていたからである。
「さ、真帆はもう戻りなさい。そろそろ予鈴がなります。初日から遅刻するわけにも行かないでしょう」
「はあい………」
本来の真帆ならばここでブーたれる筈だが、ナギに便乗した手前、そんなことは言いづらい。ここは素直に従った。
「じ、じゃあ私も、クラスに戻りますね」
真帆の手を引きながらドアに移動する。彼女はクラスがまったく違うので、移動しなければならない。おまけにクラスが違うといっても一学年の組は全クラスか
なりの数がある。その時間を考慮すると、かなりの時間を要するのだった。
「あ、蓮。今日は、一緒に帰れるんですか?」
ドアの手前で立ち止まった陽子が言った。
「すみませんが、生徒会の予定が入っているので、少し遅れます」
「そう、ですか…………」
一瞬曇った表情を見せたのを、マッサージされているナギは見逃さなかった。麒麟もそれらしい素振りは何と無く気付いている。
「ああ、安心してください。師匠には断りを入れてありますので」
ここで言う師匠とは、和菓子屋『浦島』の親方。つまりは陽子たちの父ということなのだが、彼のあっさりした言い方に、美理もそれ以上は何も言えなかった。
「わ、分かりました………それじゃナギ君、雨宮さんも……」
「うん、また今度ね」
「じゃあな……アテテテ……」
二人が去った後は、静かな喧騒が戻る。後は担任の藤隆先生が来るまでの時間を雑談で済まそうという考えがほとんどだった。
「あの………雨宮くん」
麒麟も二人の有名人と簡単な会話をしようと思って、ナギを何とか起こそうとしたときだった。
「あ、千草ちゃん。おはよう」
「うん。あの……それで……」
話しかけてきたのは、少し淡い髪の毛が特徴の気弱そうな少女だった。
彼女の名は式森千草。
ナギや蓮をはじめとした変人が多いこのクラスにおいて、特にこれと言った特徴もない、平凡な家の女の子だ。とは言え、それはあくまで一般人の評価だ。ナギ
の調査によれば、彼女の儚げな雰囲気は、一部の間では熱狂的な人気を誇っているらしい。
ただ彼女はその事実を知らない。知ったらおそらく気絶してしまうかもしれない。それくらい、恋愛ごとに限らず、あらゆることに繊細な女の子だった。
「坂井さん………知らないかな……」
「貫太郎君?………いや、見てないけど」
「そう………」
話の中に出てくる人物は、超有名人の一人ではない。坂井貫太郎というのは、千草と同じぐらいに影の薄い男子だった。
寮も一人部屋で一人暮らし。特にこれと言って特徴があるわけでもない。無個性こそが個性、というのがクラス一般の感想だった。それはナギも変わらない。
しかし特待生として入ったらしく、その運動能力はクラスの中でも群を抜いていた。こと彼の部活である空手ではその活躍は余人の追随を許さない、期待の新星
だそうだ。
「昨日、家にいなかったみたいなの……………」
それで、この二人が今付き合っているということは余り知られていなかった。もともと余り目立たないもの同士だから当然だともいえる。知っているのはクラス
の中でも一握りだ。
「それ、何時ぐらい?」
「八時ぐらい。その時間になったら電話してくれって、坂井さんが……」
言ったはずなのに、電話しても留守番だったのか………
彼が携帯なんて物を持っているはずもないから、連絡手段は完全に尽きてしまったといっていいだろう。少女の顔は普段に拍車を掛けて、不安で悲しそうな顔を
している。涙も滲んでいるように思えた。
麒麟の方が不安になってきた。何とか彼女の思考をプラス方向へと向けさせなければ。
「だ、大丈夫だよ。連絡が来ないからって、まだ何かあったって決まったわけじゃ………」
そう言っては見るものの、千草は曖昧な返事しかできない様子だった。
「そうだぜ」
「ナギ君!」
まだ腰を抑えて猫背になってはいるものの、スマイル全開にしたナギが麒麟の後ろから千草の肩に手を置いた。
良かった、『女の子を褒めるのが上手い』ナギ君なら何とか慰められるかも。
麒麟はナギに関する認識をまだ完全に理解していない。やはり天然だった。
「ほ、本当にそうかな………」
「ああ、アイツは事故や事件があっても、何とかできるタフなヤツだぜ」
「ナギくん………」
「ああ、第一………」
きらりとナギの瞳が輝く。千草はそこに神のごとき明星を見た……筈だった。
「昨日俺は女性と一緒に歩いていたアイツを見ている。だから何の問題もないぜ!」
「えっ………」
ブチン!!
「お前は、どうして、そんな言葉しか、出てこんの
だ!!!」
「あああああっギブギブギブッ!!!!!」
再び蓮の頭上へカムバックすることになったナギだったが、それでも出てしまった言葉は戻らない。
要するにナギの戦略は貫太郎が浮気していることをアピールし、そこで自分が成り代わろうということだったらしいが、この場合は冗談が過ぎた。
「女の人と………二人で………」
千草の顔は蒼白を通り越して青一色に染まっている。
「だ、大丈夫だよ、千草ちゃん」
「二人で……夜中に……二人で………」
「冗談だって……………」
(困ったなあ……如何すれば………)
千草をなだめつつ、起死回生の考えを模索していた麒麟だったが……
突然ガラリと、言う音と共に一人の長身の男子生徒が入ってきた。その瞬間教室中の空気が変わった。先ほどまでの何気ない雑談が、寒波が押し押せたように縮
みあがった感じだ。
ボサボサに伸びきった髪を、無造作に纏めている。制服も皺だらけでヨレヨレだったし、ネクタイもだらしなくただ付けているだけだった。
「あ、雷王君、おはよう」
「ん? ああ、よお」
式森雷王、彼がこのクラスの超有名人の最後の一人であり、同時に麻帆良を代表する超問題児でもあった。
「あの……ちょっと聞きたいんだけど…」
「ん?」
中学の時、この土地に引越しして以来、喧嘩は無敗。後に裏麻帆良事変と呼ばれる不良勢力圏の構図を一気に塗り替えられてしまった事件には、蓮と雷王の存在
が大きい。
「貫太郎君のこと、知らないかな? 雷王君、バイト先が一緒だったよね」
「なにぃ!?」
それに蓮にしても、不良同士の争いに関してはこちらに害が掛からない限り介入しないが、雷王は違った。
「昨日、千草ちゃんが家に電話したのに居なかったんだって。バイトには、出てたんだよね。もしかして、そこにも居なかったの?」
「何で俺が、アイツの事を知らなきゃいけねえんだよ!!」
積極的に勝負を吹っ掛け、それにはどんな人数であろうが必ず勝ち、時には暴力団そのものを相手に戦い抜いたこともあった。噂では香港マフィアと銃VS拳の
試合をしたこともあったらしい。
更に驚くべきことは、雷王は何の舎弟や手下も持たない、一匹狼だということだ。それまでライバル関係にあった三つの暴走族チームが徒党を組み、一つの連合
となったときも、雷王一人にあえなく惨敗を帰したという。
正に戦うために生まれてきた修羅の化身、『悪魔』とも『魔王』とも評する奴もいるほどだった………。
「に、兄さん……坂井さんの事……本当に…し、知らない、かな?」
が……………………
「ああ、貫太郎!? あ、アイツだったららら…居
たぜ、昨日の、バイトで…み、見かけた……」
「本当!?」
「あ、ああ、仕事先の、バーサンに、おごって貰っ
たからな一緒に…晩飯………」
苗字から分かるように、彼は千草の兄だった。
とにかく泣く子も黙るこの超不良の唯一の泣き所が彼女であり、唯一人間味を保たせているところである。
「あ、ありがとう、兄さん! 本当にありがとう!!」
「え、あ、いや……俺は、別に……」
千草ががっちりと雷王の手を握る。それだけで朝から雷王の顔は真っ赤になってしまった。これを瞬間湯沸かし器として特許申請すれば、おそらく一年で大金が
手に入るだろう。
クラスの雰囲気も次の瞬間には元の状態を取り戻す。ああ、やっぱりこんなオチか、とばかりに自分の席に戻っていた。
新学期だから何かしらの変化が起こっているのかと思ったが、やはり取り越し苦労らしい。
「良かったね、千草ちゃん。あれ……じゃあ、一緒にいた人って言うのは……」
そういって後ろを振り返る。
「だから言っただろ………女性と一緒だったって…別に『若い女の人』とは言ってなぎゃああああああ!!!!!!」
「紛らわしい事を言うな!!!」
今度はエビゾリの形になって攻められるナギだったが、ここまで来るともう誰も注目はしてくれなかった。
「そ、そういう事らしいよ………」
「うん。良かった……」
とりあえず彼女が危惧した目先の危険は回避できたわけだが、まだ問題は残っていた。どうして電話に出なかったのか?という疑問が残っている。
こればかりは本人に聞いて見なければどうしようもない。
しかし貫太郎はその日の気分によって来る時間がまちまちだった。大会の決勝戦で遅刻するときもあれば、開門前の学校に寝袋を持って寝ていることもあるの
だ。
「もしかしたら、遅刻するかもしれないなあ」
「入学式の次の日に………遅刻したらただじゃおかん!」
蓮が別の意味で、気合を入れている一方、別の意味で怒りの炎をたぎらせる男もあった。
「貫太郎の野郎………」
「ら、雷王君……あっ」
麒麟はなぜか全身から湧き上がる嫌な予感を拭えなかった。
そしてそれを証明するかのように、この状況を作り出した本人がやってくる。
突然扉が、いや表現が正しくない。ゆっくりと扉が、不気味とも取れるペースでカラカラと静かに開かれた。さらに空けた本人の歩き方もまた奇妙かつ不安定な
のだ。
しかも重要なのはこれだけ不自然な行動を取りつつも回りが全くと言っていいほど反応していないということである。
しかしこの人物こそ、坂井貫太郎その人である。
「貫太郎くん。おはよう」
「……………」
元気良く麒麟が挨拶したにも拘らず、貫太郎は目を合わせただけだった。だがこれは彼なりのコミュニケーションである。
口数が少ないというよりも、口そのものが本当はないという人もチラホラいるぐらいである。
「さ、坂井さなじあじょあおなふきるゆorz!!!……」
「千草、もうちょっと………言葉選ばないと。そもそも………『orz』って………読者にしか…………わからない、ぞ」
ナギの必死に思いでしゃべるが、千草の顔が先程の雷王に負けず劣らず真っ赤になってしまっているので通用しそうにない。
哀れ過去の英雄は力尽きてその場に倒れ伏した。
「貫太郎、こういう時に遅刻ギリギリなのは感心しないな。以後気をつけろよ」
「……………」
黙って蓮に対してゆっくり頭を下げる。ごめんなさいという意味だろうが、いずれにせよこんなカオ○シみたいな変な謝り方をされたら、流石の生徒会長も何も
言えない。
しかしもう一人の、超不良に関してはこんなもので収まらない。
「貫太郎、てめえ!!!!」
いきなり両肩を掴み上がられるが、貫太郎それで表情を動かそうとはしなかった。それが余計に雷王の感情を昂ぶらせる。
「おいお前、俺と分かれてから何処行ってやがった!」
ここで貫太郎は初めて眉をしかめた。しかし気分を害したというよりも何が起こっているのか分からないという怪訝の顔つきである。
「うわあ! な、何やってるの雷王君!?」
「うるせえな、麒麟。今度こそは許せねえんだよ、千草の心を弄びやがって………天誅を下してやる!!」
「弄んだって………」
しかし麒麟が言う前に、呆れた顔で雷王の腕を片手で鷲掴みにしたのは蓮だった。
去年は自分が側にいなかったばかりに教室が半壊してしまった。こんな事態は二度と起こすべきではないし、それ以前に問題そのものが馬鹿馬鹿しい。
「蓮、お前もか……」
「その前に問題をはっきりさせろ………貫太郎、話しを聞いてやってくれ」
雷王が話すと多分に主観が入り組んで、ゴチャゴチャになってしまう事は自明の理である。幸い千草も湯沸し症候群が治ったようだった。下を向きつつ、そして
しどろもどろになりつつ、喋り始めた。
「あ、あのね、坂井さん………昨日、電話が来なかったの………なんでかな………」
貫太郎の表情が一気に変わる。かっと目を見開いて、周り全体を凝視した。
「千草ちゃん、八時ぐらいに電話したのに出なかったんだって。だから、何かあったのかな?って」
「オイ、どうなんだよ答えろ!!」
三者三様の表情をひとしきり見開いた目で見渡した後、貫太郎は制服の懐に手を伸ばした。
そうして出てきたのは、クラス全員に下られる生徒手帳だった。
丹念に一枚一枚確認しながらゆっくりとページを開いていく。いつの間にか三人の視線は生徒手帳へと移っていた。
やがて目的の部分に到達したらしく、あるページの部分を広げて反対側に向きなおす。
「……四月七日………ですね………」
「昨日の日付だな…………」
「えっと……千草ちゃんからの電話、九時……………九時!?」
今度は一斉に視線が千草へと向かっていた。
「千草ちゃん……電話したのって……一回きり?」
「へっ!? だ、だって八時って昨日、私聞いて………」
しかしその行動を予測したように、そのメモの上にある文章を指差した。
「バイト終わるのが八時………そうなの、雷王君?」
「ああ、その後バーサンに焼き鳥買ってもらって………」
途中で別れたと言う………
バイト先から麻帆良学園の寮まではそんなに距離があるわけでもない。別れた時点で三十分たっていなかったから、九時には家に居た筈である。
おまけに貫太郎はこういう所は細かい性格だったから、間違えたとは考えにくい……………
「と、言うことは………」
「つまり………」
「真相が見えたな」
蓮がジト目で持って一人の少女を見つめる。
「ご、ご………ごめんなさい〜〜〜〜〜〜」
千草は先程とは違う意味で泣き顔になって、その場に座り込んでしまった。
貫太郎が自分の肩に目を落とす。そこには今までに掴みこんだままの雷王の手があった。
「……………」
「…………チッ!」
苦々しげな表情とともに、乱暴に手を離した。
「雷王………」
蓮が呼びかけるが振り向きもせず、さっさと自分の机に座ってしまった。貫太郎もそれにはまったく表情を変えず、自分の席に荷物を置いた。
「まったく………」
「あの……浦島君、怒らないでください。私が悪いんです………」
「怒ってはいない……………。起きろ、何時まで寝てる!」
そう言ってうつぶせ状態のナギを蹴り上げるようにして仰向けにする。
これで起きなければ顔を踏んで起こしてやろうと思ったのだが、そこまでには至らなかった。
「顔だけはぶたないでね。お願いだから」
「お前が二秒以内に席に着けばな」
その声質が今までとは変わりつつあることを、経験からナギは知っていた。そしてその矛先が自分に向けられるであろう事を、本能的に悟っていた。
そそくさと自分の席に戻る。
一方では落ち込んでいる千草を麒麟が励ましている所だった。
「気にしないでいいと思うよ。すぐに機嫌良くなるよ。今まで何時もそうだもの」
「で、でも……私のせいなのに………」
麒麟は困ってしまった。今までもこういう事は度々あったのだ。貫太郎が千草に冷たくしたと雷王が勝手に思い込み、喧嘩………の様な物になるのだが、結局は
千草の勘違いだった……とこういう展開。お約束といってもいいぐらい、このクラスでは名物である。
だが名物といっても本人たちは大真面目だし、蓮は事態の収拾に疲れ果てていた。こういう時は麒麟が三人の関係修復をするのが常である。
「大丈夫だよ。雷王君も貫太郎君も、千草ちゃんに怒ってなんかいないって」
だって、彼女がそういう風に慌てると雷王まで顔を赤らめる。多分そんな仕草には好感を持っているんだろう。詳しくは分からないけど。貫太郎だって、気分は
害さないはずだ。
「そうだとしても、二人とも喧嘩してるんだよ………私のせいで……」
「じゃあ……千草ちゃんが、二人の仲直りを手伝えばいいんだよ」
「手伝う………?」
千草はぽかんとして麒麟を見た。麒麟は時々突拍子もない事や思いも寄らない名案を考えたりする。
「そんなに深く考えないで、二人に対して正直に謝ろう。僕も一緒にやるからさ」
「それで、元に戻るかな………」
「大丈夫。二人ともいい人だもん、安心していいよ」
こんな言葉を聴いても普通の人ならば何を変なことを、と思うだろう。雷王は暴力団すら一人ではみちを開けてしまう不良だし、貫太郎にしたってあの不気味な
雰囲気についていける人はそういない。
しかし麒麟は普通に『いい人』と言い切る。
これが、雨宮麒麟の人間性だった。
「ね、絶対大丈夫だから」
「うん………ありがとう」
ようやく千草も納得してくれたようだった。麒麟もほっとしたように肩をなでおろす。
二人は自分たちの席に向かうことにした。千草の席は麒麟の隣になったりする。ちなみに蓮、雷王、貫太郎の三人は彼らとは対称の席にいるのだ。
「でも………」
「えっ?」
二人が席に座ったとき、ふと千草が呟いた。
「兄さんと坂井さん、何であんなに仲が悪いんだろう………」
「ああ、うん……それは…………どうしてだろうね………」
正直なところ、それは麒麟自身にも分からなかった。問題一つ一つを解決するのは直ぐだが、その根本の原因たる二人の仲の悪さ、これだけが絶対的に分からな
いのだ。
まあ、これはあくまで麒麟だからであって、近くにいるナギにとっては……と言うより誰が見たって1+1より単純な答えだった。
(キミが悪いんだよ。とは言えないよな、やっぱり………しっかし、鈍いよな……二人揃って………)
ナギがそんな風に後ろで思っていた次の瞬間だった。
「ナギ君は分かる? 二人が仲悪い理由」
「え!?」
「ナギ君……分かるんですか?」
「ええっ!?」
ちょっと待ってよね……………冗談じゃない。
アンタが原因ですなんて口が裂けても言えるわけがない。
そんな事を言ったが最後、彼女は涙○のルカもかくやという勢いで一生泣き続けてしまう。いらぬ騒動を起こしたとして蓮の『成敗』を受けるのは眼に見えてい
るし、そのあとも彼女を泣かせたとして雷王と貫太郎、両人からの『制裁』が待っていること請け合いだ。
「ああ、ええっと……それは、だな……俺も……」
しどろもどろに、『俺も知らない』と言いかけたその時だった。
黒板に近いほうのドアから、背の高い眼鏡をかけた傷心の男性が入ってきた。細めで、優しそうな感じがする。
「おはようございます。みなさん」
柔らかな口調で挨拶してきた人物こそ、麒麟の義姉が目の敵にしている張本人、木之本藤隆だった。しかしこのクラスにしてみれば、人気の高い先生でしかな
い。
教師が入ってきたことにより、会話がいったん中断になる。千草も麒麟も、視線を正面に戻した。
「藤隆さん、最高。グッドタイミング!! 先生、神様だよ!!」
ナギが涙を流さんばかりの勢いで、藤隆を歓迎する。
藤隆は最初はぽかんとしていたが、直ぐに何時もの調子を取り戻した、これはナギの新しいジョークと受け取ったのだろう。
その一瞬の後に蓮が号令をかけ、朝のホームルームがスタートした。
「ええ、まずは皆さん全員と会えた事を嬉しく思います。さて、新学期に入って、このクラスに転入生が入ってきました」
おおーっとクラスから一際大きい歓声が上がる。このあたりの反応に関しては、過去現在未来を問わず、常に一定のようだ。
「先生。かわいいですか?」
「それともカッコイイ系?」
「何県出身ですか?」
などと様々な質問が飛び交う。かなりの大音量だが、そこは天下の藤隆先生、難なくかわしてのける。
「まずは、入ってきてもらいましょう。それから本人も交えて、質問タイムとしましょうか。入ってください」
ドアのほうを向く藤隆。
それに反応するのかのように、静かにドアが開いた瞬間。
少年は、今朝の感覚に襲われた。
「李 夜蘭さん。香港から来たそうです。皆さん仲良くしてくださいね」
「ヒューッ………チャイニーズガールとはなあ………俺も予想しなかったぜ」
「うん。綺麗な人ですね………」
ナギも千草も、クラスの皆が同じ心情だった。とても綺麗な人だと………。
だが、麒麟は別の意味で目を逸らせなかった。
(あの………子だ………)
そう、桜並木の十字路で出会って一瞬で消えた、あの黒髪の女の子。
「ええっと。雨宮君の隣が空いていますね、質問タイムは後にして、取り敢えずそこに座ってください」
藤隆の言葉も、耳に入らない。
全部、世界がとまっている。
自分たち以外は全てが線だけと言う、不思議な空間に、またも少年は閉じ込められてしまった。