(……全く、油断しすぎよ宗主)
 
 流也と重悟の驚きの視線を無視しながらも視界に入る、ボロボロの重悟に内心呆れながらため息をついた。あんなにも弱った身体で妖魔を倒した―――正確に は紫の炎に包まれているため死んでいないようだが、其処までは良かったのだがその後がいけなかった。
 
 後から流也に貫かれた時は内心焦った、自分が姿を出すことなく妖魔を滅したので水輝も少し気が緩んだ事もあるが、まさか流也に貫かれるとは思わなかっ た。
 
 何せ一応宗主には恩があるから命だけは助けようと思っていたのに、危うく目の前で死なす所だったのだ。慌てて風術で攻撃し流也を重悟から離す事に成功さ せ今に至る。
 
「水……輝なのか?」
 
 流也に貫かれた場所を左手で押さえながらも、四年前の水輝をそのまま大人にした姿というべきなのだろうか、兎に角自分の知る水輝の面影が残る大人の女性 に重悟は尋ねた。
 
「そうよ、四年ぶりね宗主」
 
 ゆっくりと重悟と流也の間に降り立ち、目の前の流也を眼を細めながら睨む。
 
「……水輝ちゃん」
 
「……二十歳の女性にその呼び方は止めてほしいんだけど」
 
 流也の第一声に眉を寄せながら何処か嫌そうに言う。まあ流石に二十歳にもなってそんな呼び方は水輝も嫌なのだろう、初めて会ったときが十代前半の頃だか ら仕方がないといえば仕方がないのだが。
 
「それで、何か言う事はある?」
 
 先ほどとはまるで違う声音で流也に尋ねる。周囲の気温が数度ほど低下するという表現がピッタリな感覚に陥る。
 
 下手な事を言えば問答無用で殺される。
 
 流也も本能でそれを悟る。ならば言う言葉は一つだけと判断しその言葉を口にした。
 
「無いよ」
 
 たった一言、だがその一言には色々な思いが込められており、水輝もその思いを理解した。そしてもう言葉は要らないと判断した水輝の姿が突如ぶれた。
 
(後!?)
 
 水輝が消えると同時に氷のような冷たさを含んだ殺気を背後から感知する。すぐさま後に振り向き両腕を十字に固めガードする、石のように硬い拳がガードし ている腕に叩き込まれる。
 
 ミシリ、という骨の軋み音と痛みに顔を歪めながら後に砂煙を上げながら地を滑るように後退する。だが水輝はそれを見透かしたように流也の横に先回りし、 回し蹴りを叩き込もうとする。
 
 咄嗟に風を纏いダメージを逃そうとしたが一瞬で風の精霊の殆どの支配が奪われる。僅かに残ったのは流也の術者としての技量かそれとも水輝がまだ完全に回 復していないためか、だがこの程度では僅かにダメージが減らせる程度の風しか形成できない。
 
 風を纏うが、その風は水輝の放った蹴りがあっさりと切り裂き、そのまま流也の左側頭部に吸い込まれるように叩き込まれる。轟音を立てながら流也は吹き飛 ばされ地を転がる。
 
「……流石だね」
 
 頭部から血を流しながらも何とか起き上がった流也は、素直な感想を漏らした。
 
「そんな事無いわよ。ほら、私って神凪の出来損ないでしょ」
 
 腕でオーバーリアクションをしながらもわざとらしく卑屈に言うが、その言葉を聞いた流也や重悟は苦笑を浮かべた。確かに水輝は炎術こそ使えないがそれ以 外は優秀である。
 
 特に体術の腕は神凪を出る四年前からすでに神凪の中で五指に入るほどの腕前を持っていた。その体術はこの四年で信じられないほどに上達しており、更に流 也の風の精霊を一瞬で奪うほどの支配力。
 
 火と風、系統こそ違うが術者としての腕前が並外れているのは重悟だって理解していた。だからこそ悔やまれた、四年前水輝は引き止められなかった事を。
 
「……そうだね」
 
 それだけ言うと流也は一瞬で風を構成させ自分の周りに破裂させる。風に巻き上げられた砂埃が視界を奪い衝撃波が水輝と重悟の動きを止める。すぐさま風を 纏いながら流也は上空に避難する。
 
 まだ、多少弱っているとは言え”契約者”<コントラクター>である水輝と戦うなど自殺行為に等しい、だからこそ流也は此処はひとまず撤退し予定通り風華 の”封印”の解除をしその後に神凪を滅ぼせば良いと判断した。
 
「何処に行くのかしら?」
 
 上空に避難し撤退しようとした流也の頭上から聞こえる呆れたような、何処か馬鹿にした声。その声が耳に入ると同時に流也の背中に嫌な汗がびっしょりと溢 れ出す。
 
 馬鹿なと思いながらも錆び付いた機械のような固い動きで首だけを上に動かす。腕を組みながら冷たい笑みを浮かべた水輝が眼を細めながら流也は見下ろして いた。
 
 彼女が纏う風が絹のような髪をを揺らし、コートがバサバサと靡く。肘を曲げ顔の前に右手を持っていくと同時に掌に集まる巨大な風の精霊、それが掌で包み 込めるほどにまで収束させ横に差し出す。
 
「さよなら、流也」
 
 女神の姿をした死神。流也は自分の頭部目掛けて右手を振り下ろした水輝の姿がそう見えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 炎に包まれ風によって破壊された風牙衆の屋敷の中心から人影のようなものが見え始めた。炎の揺らめきで輪郭はハッキリしていないがその人影は一歩、一歩 確実に歩みを進める。
 
 次第に明らかになる形、その人影が腕を振るうと同時に風が四方に吹き荒れる。残された屋敷の残骸が飛び散る、炎を纏った木材が大地に塀に突き刺さり、炎 があちらこちらに降り注ぐ。降り注がれた炎や炎を纏った木材が松明代わりとなり夜の闇を照らす。
 
 夜の薄暗さと、炎の明るさが奇妙に交じり合う空間に先ほど風を放った人物―――風華が屋敷跡から姿を現す。傷も火傷もない綺麗な姿のまま、ルビーのよう に紅い眼で塀に叩き付けられ、座りながら頭を垂れている和麻を眺める。
 
「死んだか?」
 
 明日の天気を聞くような態度、暴風により地面が抉られ道と化している。その終着点にいる和麻は風華の言葉を聞いた瞬間、口元に笑みを浮かべる。
 
「んな分けねえだろ」
 
 よいしょと起き上がる。起き上がった拍子に激突の衝撃の所為でヒビが入っていた塀が、音を立てながら後に崩れ落ちる。そのことに特に気にせず和麻は右側 の腰元に差してある短剣を右手で抜く。
 
 刃渡り十センチほどの小さな両刃の短剣、だがその刀身から魔力が淡い光と共に溢れ出す。
 
(あんまり使いたくねえんだがな)
 
(そんなこと言っている場合ではないと思うがの)
 
 魔剣をいまいち乗り気でない和麻にハイシェラが嗜める、相手は神格位に近い力を持っている。いくら和麻が強くてもハイシェラという”魔神”の力を借りな くては勝ち目はないだろう。
 
 例え人間である和麻がハイシェラの力の全てを引き出しきれないとしても”切り札”である事には変わりない。だからこそ和麻はハイシェラを抜いたのだが。
 
「さてと、そろそろマジでいくか」
 
 右手でハイシェラの柄をしっかりと握り、空いている左手を上に動かす。地面を軽く揺らす振動、地震と言うほどの強さではないが揺れが起きると同時に黒い 炎が地面を裂きながら風華に向かって走り出す。
 
 炎は弧を描くように地面を走り抜けながら風華に襲い掛かるだが炎が風華を通り抜ける瞬間、彼女の身体が一瞬ぶれたそれも和麻ですらかろうじてぶれたと判 断できる程度だが、彼女の姿はぶれた。
 
 それと同時に地面を走りぬける炎は風華と言う障害物があったはずなのに、何事もなく通り抜ける。
 
「この程度の児戯など―――」
 
「くっ、まだ終わってねえよ」
 
 風華が言葉を発するよりも早く炎が舞い上がるように弧を描き、風華を飲み込むかのごとく襲い掛かる。炎の先端が風華に触れるかどうかの所で突如空気が軋 む。
 
 何かが押し潰される衝撃、風華を中心とした半径十メートルほどが超重力が発生したように地面が押し潰される。風華は空気の塊であたり一帯を叩き潰したの だ。
 
「む?」
 
 和麻の姿を確認しようとした所で不意に背後に感じる殺気、そのまま身を逸らすと同時に空気を切り裂く白刃が煌く。淡い青の光の軌跡を残しながらも和麻は 風華を貫く為右手に握られた短剣で突きを放つ。
 
 常人なら攻撃の瞬間すら視認できないほどの高速の連撃<ラッシュ>、フェンシングのプロですら真っ青な腕である。もっともその高速の連撃<ラッシュ>を 半身をずらす程度の動きで回避し続ける風華も異常だが。
 
「炎が役に立たない神凪は哀れで醜いな」
 
 和麻の突きの嵐を避けながら風華は呟く、その呟きに一瞬不快そうな表情をするがその突きが休む事はない。ヒュンと言う空気を切り裂く音と、風華が地を滑 る時の音のみが二人の間の効果音と化す。
 
「魔神よ……貴様もそう思わんか? 所詮、人などその程度の存在だと」
 
 和麻の右手に握られている短剣に視線を向ける。その間も風華は和麻の攻撃を全て回避し続けている。
 
(御主の言うとおり人など我らにしてみれば取るに足らぬ存在だの―――だが風の女神よこの男を甘く見ないほうが身の為だの)
 
 老婆心からかどうか分からないがハイシェラが忠告を終えるとその言葉に賛同するかのように和麻が笑い突きを止め右足で地面を踏み抜く。
 
 地面に右足首まで減り込むと、黒い線のようなものが地面を蜘蛛の巣のように走り抜ける。次の瞬間黒い炎が大地から噴出し地面を壊す。その範囲は風華のと ころにまで及び、突如足場が壊れたためかバランスを崩す。
 
 短剣を握る右手に力を込め、体勢を整える僅かな瞬間を狙って風華の顔を目掛けて渾身の突きを放つ。風華は特に焦る様子もなく、風を纏い五センチほどだが 宙に浮かぶ。これで足場など関係なく自由に動く事ができる。
 
 高速で飛来する短剣の先端の軌道を読みながら、ほんの僅かほど顔を右に動かす。これで和麻の攻撃は先ほどのように回避できるはずであった。だが―――。
 
「!?」
 
 左頬に走る焼け付くような痛みと、左目で僅かに見えるほどの宙を舞う三滴ほどの赤い液体。
 
「どうだ高々人、しかも神凪の炎じゃなくて短剣で傷つけられた感想は?」
 
 二、三歩下がり、悪戯が成功悪がきのような態度で尋ねる。地面に落ちた三滴の赤い染みを見つめながら自分の左頬を傷付けられた事実を改めて認識する。
 
(私が避け切れなかっただと!?)
 
 左頬に一の字に走る線を左手でなぞり傷の確認をする。大した事ない、それこそかすり傷程度だが、神凪の術者しかも炎でなく短剣で傷つけれれたという事実 が彼女の精神を大きく揺さぶる。
 
「顔色変わったな」
 
「!?」
 
 にやりと口元を歪めながら言葉を発する和麻。その言葉を聞くと風華はある言葉を思い出した。
 
 ―――その顔色変えてやっから楽しみにしていろ。
 
 なるほどと納得する。この男は文字通り命がけでその言葉を実行したという訳か。普通ならくだらないと吐き捨てるが今回は関心の感情を抱く。何しろ炎が通 じないのにこの男は自分に傷を与えたのだ。
 
 傷が付くということはダメージを与えられるという事。すなわち自分を殺せる可能性があるのと同じことである。神の身ならともかくこの身体は人間であり、 ある程度の強化はされているがそれでも限界がある。
 
 この男はその事実を頬の傷と共に突きつけてくれたのだ、ならばそれ相応の礼をしなければ失礼に当たる。
 
 思考を完全に攻撃用に切り替えた風華は一瞬で風の精霊を集めだす。直後に空気の塊が和麻の腹に叩き込まれる。
 
「がはっ!」
 
 ”大気の拳”<エーテル・フィスト>の直撃を受け顔を苦痛に歪め体勢を崩しかける。だが直ぐに足を左右に開きスタンスをとり、多少前かがみになりながら 左手で腹を押さえ、右手は短剣を握ったまま構えを取る。
 
 風華は薄く笑いながら、右拳を後に引き構える。彼女の周りには先ほど放った空気の塊すなわち”大気の拳”<エーテル・フィスト>数にして三十以上が出現 し和麻に狙いを定める。
 
「受け取れ、これが頬の傷の礼だ」
 
 限界まで引き絞った弓から放たれた矢のように、前方に向けて右拳を打ち出す。同時に三十以上の”大気の拳”<エーテル・フィスト>が一斉に和麻に叩き込 まれる。亜音速で迫る空気の塊はその一発一発がヘビー級のプロボクサーのフィニッシュブローを軽く凌駕する威力を持つ。
 
 それほどの威力を持った攻撃を和麻は全身に、一秒にも満たない時間の間に三十発ほど叩き込まれる。
 
 ゆっくりとそれこそスローモーションのように後に吹き飛ばされ、仰向けに倒れこむ。
 
 右手で握っていた短剣も倒れた和麻近くに無造作に転がる。それを確認すると同時にゆっくりと動いていた時間が元に戻るような錯覚に陥る。
 
「終わったか」
 
 風華が放った”大気の拳”<エーテル・フィスト>の嵐。まともに喰らえば全身の骨を粉々に砕く程の威力がある。まともに全弾命中した和麻の命の灯火はも う無いだろう。
 
 そう判断した風華は周りを確認する。完全に崩壊した屋敷に炎の噴出で砕けた地面、自分の暴風で抉れた大地。そしてちらほらと残る風牙衆だったモノ。
 
 この場には倒れてる和麻と風華の二人しかいなかった。生き残っていた風牙衆はいつの間にいなくなっていた。風で気配を探知すると皆が皆バラバラに逃げ出 している。
 
 恐らく当初の予定通り、”あの場所”に向かったのだろう。ならば自分も和麻に止めを刺し、水輝も始末した後あの場所に向かおう。
 
 いつの間に松明代わりになっていた地面や壁に突き刺さった木材の炎が消え、月と星の光だけが照らす本来の夜の姿に戻っている。空を見上げその事を確認し た風華は倒れている和麻に視線を戻し止めを刺すべく精霊を集めだす。
 
 だが風の刃を放とうとした瞬間突如風華は弾かれたように後に飛ぶ退く。風華がさっきまで居た場所に一メートルほどの黒い炎の火柱が立ち昇る。その炎は一 秒ほどで消えたが、風華は倒れている和麻の方を冷たく見据える。
 
「あー、やっぱ……俺の炎は不意討ちには向かねえよな」
 
 和麻は地面に転がってる短剣を拾い、少しふらつきながら立ち上がる。左手を握ったり開いたりしながら自分の身体の状態を確認する。全身に鈍器で叩かれた ような痛みが支配するが、まだ戦えるようだ。
 
「何故、生きている?」
 
 右腕を無造作に動かして短剣の素振りを始めた和麻に不可解な表情で尋ねる。
 
「いくら貴様といえど今の攻撃は人間が耐えられる威力ではない筈だ!」
 
 左手で自分の身体を触りながらダメージを確認している和麻を包むようにうっすらと揺らめく黒いものが風華の眼に映る。それは和麻が半無意識に召喚した 炎、それを見て何故和麻が助かったかを理解した。
 
 ”大気の拳”<エーテル・フィスト>が当たる瞬間、和麻は半無意識のうちに精霊を召喚し自分の身体に炎を多い、”大気の拳”<エーテル・フィスト>の何 割かを焼失させ、ダメージを軽減させたのだろう。
 
 もっともその程度の事で生き残れる和麻もまた普通ではないのだろうが。
 
「……さてと、続きといくか?」
 
 風華にいるほうに短剣を持つ右手を突きつける。それを見ても特に動じた様子のない風華は拳を握り締め和麻に向かって走り出そうと……した瞬間、神凪の方 を視ていた精霊が異変を感知する。
 
「!?」
 
 流也の危機、八神水輝と戦うがこのままでは殺される可能性が高い。二人の戦いの様子を捉えていた風華の胸中、正確には彼女の器の静音の心が激しく揺さぶ られる。
 
(流也様!?)
 
「くっ!?」
 
 右手で頭を押さえ膝をつく、頭に激しい痛みが襲い掛かる。同時に精神というか頭の中に流也との思い出や、流也に対する恋慕の感情が次々と溢れ出す。
 
「何だ?」
 
 和麻はいきなり膝をつき、頭を押さえながら苦しみだした風華に疑問の声を上げる。
 
(何をぼさっとしておる、今こそが攻撃のチャンスだの!)
 
 ハイシェラに言われるまでもなく今がチャンスなのは和麻も分かっているので右手を頭上に掲げ大量の精霊を集めだす。黒い炎が無造作に渦巻きながら巨大な 火球に変化しだす。
 
 直径数メートルほどの巨大な火球と化した精霊を和麻は未だに嫌な汗を掻きながら苦しみ、膝をつく風華に向かって放つ。当たれば人など一瞬で蒸発するほど の火力が備わった火球。
 
 それが眼前に迫ろうとしている時も風華は未だに苦しんでいる。そして火球は風華に直撃、激しい轟音と共に着弾点を粉々に吹き飛ばす。空高く舞い上がる黒 い炎、和麻の頬に叩き付けられる熱風。
 
 一秒ほどで掻き消えたが、風華が居た場所は爆心地さながらの巨大なクレーターが形成されていた。
 
「上か……」
 
 気配を感じ首だけを上に上げる。服に少しの焦げ跡を残した風華が宙に浮いている、だが先ほどとは違いはぁはぁと少し息を乱しているが前髪に目元が隠れて しまっているためその表情を読み取る事はできない。
 
「……」
 
 空気が軋み、何かが走りぬける。和麻は長年の勘と生物が備え持つ生存本能の警鐘と共に身体を僅かにずらす。音もなく切り裂かれる大地、そして和麻の肩か ら噴水のように溢れ出す鮮血。
 
「がっ!?」
 
 一瞬後に襲い掛かる激痛に、顔を歪めながら反射で右手で傷口を押さえる。
 
(馬鹿者! 我が血で汚れるだの)
 
 その声をスルーしながら風華を睨む。だが彼女は和麻を無視しながら神凪の方に高速で飛んでいった。
 
「あー……逃がしたか」
 
 困ったように呟き、短剣を腰に付けてある鞘に仕舞う。風華が飛んでいった方向を見る、神凪の屋敷があるが今から行った所で間に合うとは思えない。四年前 とは比べ物にならないほど強くなった水輝なら死ぬことはないだろうと思っているので少し休憩でもしようかと考える。
 
(それにしても、最後の一撃はヤバすぎだろ)
 
 もう一度右手で先ほど風華に切られた左肩に触れ具合を確認する。あの一撃を避けられたのは運が良かったようなものだと和麻は思っている。現に血が噴出し て痛みが肩に襲い掛かるまで、斬られたという実感が全くなかったのだ。
 
 もう一度あの速さの攻撃を受けていたら本気で死んでいたかもしれないと思い、ゾッとする。
 
(このまま、逃げるのは……不味いよな?)
 
 頭の中に現れた三頭身ぐらいの自分、ただし黒い二本の角と、背中に蝙蝠のような翼にお尻の辺りに尻尾が生えており右手にはフォークのような槍を持った ―――所謂悪魔の姿をした自分の囁きに傾きそうになる。
 
(それで良いのか御主は? 神凪の術者はもちろん水輝嬢ちゃんも下手すれば殺されるだの)
 
 和麻はそれは不味いなと思いながらポケットにあるしわしわになった箱を取り出しその中にしまってあるタバコを口に銜える。銜えると同時に炎の精霊に呼び かけタバコに火をつける。別に神凪はどうなっても構わないが水輝が死ぬのは非常に不味い。
 
 何せ彼女は自分を恐れなかった数少ない人物で最初の人なのだ。其処まで考えた所で、和麻の頭の中に天使の輪を頭の上に浮かべ、白いローブを着ており背中 に白い翼を生やした天使の自分が姿を見せる。
 
『何のようだ!』
 
 フォークを突きつけ悪魔が威嚇する。古来よりこういった場面では自分とは反対意見を言うのが相場が決まっているためなのだろう、敵対心を隠すことなく天 使を睨む。
 
『悪魔よ、その意見には賛成できません』
 
 天使が言うと悪魔は冷めた眼で嘆息する。まったくもってつまらない意見である。もう少し気の利いた意見は言えないだろうかと思う。まあこの天使がくだら ない事をほざき続けるなら、その命を刈り取ってもいいのだが。
 
『……それで、貴様はまさか神凪を助けろとでも言いたいのか? 高々血が繋がっていると理由で?』
 
 天使に対して明らかな挑戦的な態度で尋ねる。知らず知らずのうちにフォークを持つ右手に力が入る。
 
『決まっています。神凪は金持ちです! 助ければそれ相応の金額を奪―――もとい、頂ける可能性があります』
 
『……………』
 
『もちろん前払いです。もし万が一お金が頂けない場合はこっそりと奪―――ではなく水輝を連れてとっとと国外へ逃亡をすれば良いだけです』
 
 自分の主張を力説する天使。だが所々ヤバイ単語が聞こえるのは悪魔の聞き間違いではないだろう。
 
『待て!?』
 
 思考が一瞬固まるがすぐさま反論の声を上げる。言っている事は共感できるが少なくても天使―――すなわち和麻の良心の言葉ではない。もっとも水輝を連れ てとの発言があることから、本当に人としての最低限の欠片くらいの良心はあるようだが。
 
『何か?』
 
『お前はそれでいいのか? 仮にも天使だろう?』
 
 正確には和麻の良心のはずだが確かに悪魔の言うとおり天使のとして不味い発言なのは確かである。天使は悪魔の言葉を聞いた後、世にも恐ろしいものを見た と言う表情をしながら後ろに、数歩後退する。
 
『あ……貴方は、神凪を皆殺しにした後、金だけもってこの国を去れというのですか!? そんな素晴らし、くもない恐ろしい事を言うなんて貴方は悪魔です か!?』
 
『恐ろしいのはお前だよ。素晴らしいって言いかけただろ?』
 
 少なくても悪魔はこの天使の発言を聞くまでは神凪を皆殺しにすると言う選択肢は頭に無かった。というよりそんな選択肢を思いつくこの天使は本当に天使な のか疑問が残るところである。
 
『何の事でしょう?』
 
 天使は真顔で聞き返す。それは先ほどの言葉を慌てて訂正なのではなく、初めから言っていなかったような口ぶりだ。
 
『一つ聞くが、お前は金と愛。どちらがこの世で一番大事だと思う』
 
『金です』
 
 言い切った。何の迷いも無く、言葉を訂正する事も無く言い切った。悪魔はその発言を聞くと何かが違うと思う、現に頭に謎の頭痛が走りそれを抑えるかのよ うに、左手で頭を押さえる。
 
『普通は愛じゃないのか!?』
 
『何を言っているのですか貴方は? 愛で全てが救えるわけ無いでしょう。第一、神や天使とて、愛故に間違いを犯しているじゃないですか、ならばこの世の中 で一番大事なのは金です。ええ金です、絶対に金です。誰がなんと言おうが金以外ありえません!!』
 
 もはや完全に開き直ったのか何処からかタバコを取り出し口に銜えながらプカプカと煙を浮かばせている。その態度は全身で”やってられねえ”と現してい る。
 
『それが天使の態度か……』
 
 悪魔が呆れたように言う、何か立場が変わったような気もしなくないがこのままでは何かが不味いと判断したのか悪魔は大変不本意ながらも天使の説得にあた ろうとする。
 
 だが次の瞬間天使の眼が妖しく光る。自分の頭の上に浮かぶ輪を右手で掴み、ぶれるほどの速さでその輪を悪魔の喉目掛けて投げつける。輪は高速回転しなが ら悪魔が反応するよりも、深々と喉に突き刺さる。
 
『ぐ……が!』
 
 苦悶の声を上げながら血を吐き出しうつぶせに倒れ息絶える悪魔、天使は倒れこんだ悪魔を冷たく見据えながら止めとばかりに悪魔の頭を右足で踏みつけれ る。
 
 頭蓋骨が砕ける嫌な音が響き、様々な液体が床に散らばる。だが天使はそんな惨状を作り出しながらも何処か呆れたように悪魔の成れの果てを見据える。
 
『愚かな、素直に悪魔をやっていれば良かった物を……』
 
 それだけ言い残し天使は何処に消えていった……。
 
 
 
 
 
 以上、和麻の脳内会議でした。
 
 
 
 
「良し、神凪から金を脅しじゃなくて、お互いの利害のため金銭で和解の道を探し出そう」
 
(御主……脅しと言いかけたの)
 
 これからの行動を決定し口に出した和麻に呆れたように呟くハイシェラ。というよりも金銭が絡む時点で和解とは言えないのだが。
 
(それで、御主はこれからどうするのだの?)
 
(とりあえず、あの屋敷跡を調べようかと思う)
 
 和麻は自分の炎で完全に廃墟と化した風牙衆の屋敷跡を指差す。どうせこのまま水輝と合流してもめんどくさい事になりそうなので、どうせなら色々調べよう と思い口にする。
 
(……確かに調べる価値はあると思うがの、炎の精霊の気配も虚ろながら感じるだの)
 
(何処だ!?)
 
 ハイシェラの言葉に軽く驚きながらもその気配の居場所を尋ねる。炎術師であるため気配の探知は苦手なのだが、同じ炎術師の気配を感知するのは難しい事で はない。
 
 その筈なのだが、ハイシェラが気がついたという虚ろな精霊の気配を和麻は察知できなかった。ハイシェラは剣の形をしているが”魔神”であり魔力はもとよ り、探知能力も人間のそれを超えている。
 
(恐らく……地下だの)
 
「地下か……」
 
 地面を見ながら口に出す。自分は地術師では無いので地面に干渉はできない。もちろん風牙衆も風術師なので大地に干渉などできるはずが無い。其処まで考え 和麻は屋敷跡に向かって歩き出す。
 
 神凪の方も気になるが水輝なら平気だろうと頭の隅に追いやり屋敷跡に近づく。
 
「ずいぶん綺麗に焼けたなー」
 
(御主の所為だがの)
 
 暢気な声を上げながら屋敷跡を見渡す和麻に冷たい突込みが入る。その言葉に後頭部にでっかい汗が出たような心境に陥ったが、気持ちを切り替えて地面に膝 をつく。
 
「多分あると思うが」
 
 地面に右手を添える、其処から和麻を中心として黒い炎が円状に地面を走り抜ける。畳のようなものを焼き、燃え残った木材を消し去る。一通り邪魔な残骸を 消し去った和麻は地面に手を添えながら、地面を調べだす。
 
 時間にして五分位ほどで目的のものが見つかった。畳や床の木材が焼き消え、露になった地面の中に一箇所だけ黒光りのした鉄の扉のようなものが見える。和 麻は知らないが其処は丁度、”静音”が眠っていた部屋に位置する。
 
(隠し部屋かの?)
 
(ああ、昔流也がそんなのがあるような事を言ってたのを思い出してな)
 
 ハイシェラの言葉に肯定し鉄の扉の中心にある取っ手のようなものを掴み引っ張る。背筋に力を込め力の限り引っ張るがビクともしない。
 
(鍵がかかっておるのでは無いかの)
 
 必死に扉を開けようとする和麻を尻目にハイシェラが冷静に判断する。その言葉を聞いた和麻もそれもそうだなと納得し、取っ手から手を離し立ち上がる。
 
 右手に炎の精霊を集めだして直径十センチ程の大きさの黒い炎弾を作り出し、扉に向かって投げつける。炎弾が扉の中心に直撃し小さな爆発を起こす。爆発で 形が変化した扉は下に飛ばされは地下の地面に鈍い音を立てながら激突する。
 
 地下の入り口に上り下りのための梯子がかけられているが和麻は、梯子を使わずそのまま地下に飛び降りる。高さにして二メートルほど下にある地面にすとん と両足から着地した和麻は地下の景色を確認する。
 
 薄暗い洞窟のような壁に奥に続く道があるだけの簡単な作りである。周りを見て明かりのようなものがないのを確認した和麻はため息をつく。
 
(黒い炎じゃ明かりにはならねえよな)
 
 右手で後頭部を掻きながらそんな事を思う。こういう時自分の炎は使えないなと軽く嘆息をつきながら奥を目指して歩く。幸い夜目は利くほうなのでさほど困 らない。
 
 道も一本道の為迷うことなく奥に進める。洞窟に近い構造の所為か足音がコツコツと響く、少し歩いた所でまた黒い鉄の扉が眼に入る。近づき扉の中心にある へこみを両手で掴み、扉を左右に開けようとする。
 
 だが、先ほどの入り口と同じで鍵がかかっているのか和麻がいくら頑張っても扉が開く様子は見えない。両手を離し扉を開けるのを諦めて数歩後退しながら改 めて鉄でできている、黒い光沢を放つ扉を見る。
 
(ふむ、この奥から気配を感じるだの)
 
 ハイシェラの言葉を聞き和麻は右手で先ほど扉を破壊したのと同じ黒い炎弾を作り扉目掛けて投げつける。小規模の爆音が響き煙が扉を覆う。直ぐに煙は晴れ たが扉は焦げ跡一つ無く、さっきの金属の光沢を綺麗に放っている。
 
「なるほど、当たりみたいだな」
 
 地下の所為であまり大きな炎が使えない事を差し引いても、今の炎で破壊できないこの扉の奥にあるのが重要だという事は理解できる。
 
(めんどくせえな)
 
 炎は圧倒的なエネルギー量を持つ所為か威力の調節が難しい、この扉の強度にもよるが威力が低すぎれば先ほどのように傷もできないし下手に威力が大きくな れば扉どころかこの地下室そのものが埋もれてしまう危険性もある。
 
 仕方がないので和麻は炎術の威力を少しづつ上げていき、地道に扉を破壊する方法を選んだ。
 
 扉を睨み、少し威力を上げた炎弾を扉にぶつける。爆発の振動が扉を揺らすが変化は無い。更に威力を上げた炎弾を扉にぶつける、この作業を更に数回ほど繰 り返す。
 
「お!」
 
 今まで変化の無かった扉に焦げ跡と傷ができる。それを見た和麻はあと少しかと判断し少し強力な炎弾を作り扉に直撃させる。
 
「とっ!?」
 
 先ほどよりも強い振動が和麻のいる地下室に広がる。流石にやばいかと思ったが、特に地下室が崩れる様子はない。安堵しながら扉を見ると、炎弾がぶつかっ たところがへこみ、鍵が外れかけている。
 
 これなら壊せるなと判断した和麻は炎術の衝撃による二次災害を避けるために扉に近づき右足で蹴りを放つ。槍のような鋭さを持った蹴りは扉の中心に突き刺 さる。
 
 衝撃で扉が数センチ開く、あと少しと判断した和麻は更にもう一発蹴りを叩き込む、完全に鍵が壊れたのだろう扉は左右に分かれるように開く。
 
「よし行くか」
 
 道が開けた事を確認した和麻は両手をズボンのポケットに突っ込んだまま扉の奥に進む。しばらく進むとワンルーム程度の広さの小部屋にたどり着いた。
 
 奥のほうに何かあるようだがまだ眼が完全に慣れたわけではないので、はっきりとは見えない。仕方がないので近くにある大量の本棚に近づく。
 
「エロ本の隠し場所か?」
 
(御主……)
 
 そんな冗談を口にしながら本棚の中から適当に厚さ三センチ弱ほどの一冊の本を手に取る。
 
「蝋燭は……あったな」
 
 とりあえずこのままでは読めないので明かりになるようなものを見つけようとして辺りを見回すと蝋燭のようなものが目に付く。本棚の上にぽつんと置かれて いる物や壁の一部を削り、できたへこみに置かれているものもある。
 
 全部で十近い数の蝋燭を見つけた和麻は精霊に呼びかけ蝋燭に火を灯す。最初は黒い炎が出たが和麻の支配から解放されると直ぐに、オレンジの自然現象の炎 に変わり、薄暗い地下の一室をほんのりと灯す。
 
「さてと……これでエロ本が読めるな」
 
 手に持つ何の遜色も施されていない、本を開く。冗談半分でエロ本かなと期待していたが中に載っているのは絵ではなく文字であった。
 
 
 ”憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い、憎い……”
 
 
「……」
 
 無言で”憎い”と単語のみが埋め尽くされているページを捲り眉をしかめる。次のページもまた”憎い”と言う単語のみがページを埋め尽くしまたページを開 く。
 
(嫌がらせか?)
 
 何ページか捲るが”憎い”と言う単語以外見当たらない本に本気で思う。更に何ページか捲った所でようやく”憎い”と言う単語以外の文字が目に付いた。
 
 
『何故……我……神……いない。使徒……末裔……神凪……殺……』
 
 
 所々掠れていて読めないがこれだけでこの本がなんなのか分かった和麻は溜息をつきながらページを捲る。
 
(これは日記かの……傍目には恨み言集にしか見えないがの)
 
 ハイシェラの言葉を聞きながらも恐らくそうだろうと判断した和麻は更にページを捲る。書いてあるのは神凪への恨み言ばかりである。しかもかなり昔から書 かれていたのか、ページ自体が痛んで読めない箇所も多数存在する。
 
 三分の一ほど捲った所で読むのがめんどくさくなった和麻はぱらぱらと捲り始める。そして最後の所で見知った文字が眼に入ったので捲るのを止める。
 
 
『僕は神凪の復讐を決意する。勝てる保証は無い、だけど僕は戦う。もし風牙衆の末裔がこの本を手にしていたとしたらこの事を忘れないでほしい。例え君達が 復讐を望まなかったとしても僕達は、これほどの業を抱えていた事を……』
 
「……」
 
 無言でパタンとページを閉じた和麻は本棚にその本を戻す。ついでに他の本の背表紙も調べる。読めない言語も多いがその殆どが神話関係の本に魔術書のコ ピー、更には武術の本まである。
 
 年代も旧いのは百年以上前から新しいのは昨日のものまでありとあらゆる本が閉まってある。
 
(復讐自体をを考えていたのは随分前だな)
 
(うむ、ここにある本の年代から推測するに百年から二百年くらい前からは考え付いていたようだの)
 
 ハイシェラの言葉を聞きながら辺りを見渡しながら奥に歩みを進める。
 
(んで、ついにやっちゃたわけか……なんで俺が日本にいるときにやるかねー)
 
 昔から嫌な事に巻き込まれる事が多かったが此処まで来ると呪われているのではないかと考える。案外自分は炎の精霊王が自ら呪いでもかけたんじゃないかと 最近真剣に考える自分が泣けてくる。
 
 自分の運の無さを呪いながら部屋の奥にたどり着く。床には様々な書物やガラクタなどが散乱しておりその下に妖しい文様のようなものが描かれ、此処で悪魔 召喚の儀式を行ったと言われても信じそうなぐらい妖しい場所であった。
 
 そしてその中心には白いシーツが敷かれたベットのようなものが置かれており、その上に人が寝ていた。
 
 年のころは十一、二ほどで金髪のまだあどけなさが残る顔立ちである。ベージュのパンツにダッフルコートにアングルブーツを履いた美少女? が眠ってい た。
 
 恐らくこの人物がハイシェラが捉えた気配の持ち主なのだろう。和麻もまた神凪宗家レベルの炎の気配を感じ取っていた。だが和麻はこの人物を見た瞬間、信 じられないとばかりに数歩ほど後退する。
 
(御主?)
 
 その様子にハイシェラが疑問の声を上げる。今の和麻は明らかに恐怖というかそれに近い感情を抱いているようにも見える。正直信じられない、かつて絶対に 勝ち目など無いはずなのに自分と出遭ったときも和麻は平然としていた。
 
 それほどの度胸を持つこの男が何故この程度の力の主に怯えるのかハイシェラには理解できなかった。
 
「……ま……まさか!?」
 
 そう呟き更に数歩後退する。心なしか顔中に嫌な汗が見え隠れしている。
 
「流也が、ロリコンの上監禁の趣味があったなんて!!」
 
(このドたわけが!)
 
 頭を両手で抱えながら叫ぶ和麻にハイシェラが呆れたように叱咤した。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 あとがき
 
 
 軽いスランプかもしれません。変にギャグに走っちゃたりして……一応構成はできてるので途中で投げ出すとかそういうのは無いのでご安心を。京都は次の次 くらいかな?
 




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