「酷い有様だな」


現場を見た和泉の第一声はそれだった。


「い、和泉さぁん…」


「お前は黙れ」


情けない声をあげる熊谷をぴしゃりと切り捨て、つかつかと死体に歩み寄る。

肩から上を斧か何かでぶった切られたような凄惨な現場。

和泉はまず、現場の保全に当たっている県警の刑事に声をかけた。


「どうも。」


「ん?あんたは……ああ、昨日の警視庁の人か」


暫く何かを思い出そうとするかのように天を仰いでから、ややあってなにか思い出したようにポンと両手を叩いて言う。

和泉は覚えていないが、ひょっとすると昨日貨物船を見に行ったときに居合わせたのかもしれない。

黒部と名乗った刑事は血色の悪い顔を和泉に向けて言った。


「昨日に続いて二件目だ。凶器は現時点では不明……斧か何かでぶった切ったようにも見えるが、人力でやれるとも思えんからな」


(……だろうな)


死体をそれとなく観察しながら、和泉は声には出さずに黒部に同意した。

死体は肩口から斜めに切り下ろすようにして、ほぼ真っ二つに切断されている。

人体を真っ二つに両断すると言うのは、実のところそれほど難しいわけではないが、それは腰車に斬った場合のことだ。

腹から腰の辺り、呼吸と拍子が合えば内臓しか詰まっていないそこは、“上下二つにであれば”簡単に切り裂ける。

切った後、上と下、切り口は輪になる。だから腰車という。

だが、この死体は縦に斬られている。鎖骨や肋骨といった骨を全て叩き折って身体を両断……到底人間の成せる業ではない。


(やはりこれは…)


現場をじっくりと検分しながら思索を巡らしかけた和泉は―――


「うっぷ…」


背後で口元を押さえて顔を青くしている熊谷の存在に、溜息一つついて向き直った。


「熊谷、少し良いか?」


「え……なんです?」


熊谷を誘って現場から少し離れる。

県警の警官たちが見えなくなったところで和泉は足を止めた。


「熊谷…お前あの死体をどう見る?」


「どうって。とても人間の仕業とは…」


「明らかに違うな。私も同感だ。」


だが、と和泉は前置きして自分の考えを話し始めた。


「あの死体―――貨物船のもそうだったが―――妖気が全く感じられん。

 “こちら側”の人間の仕業かとも思ったが、それにしてはやり口が杜撰すぎるし被害者も一般人ばかりだ。」


「それじゃ…」


「もう一度…今度は積荷の方を重点的に洗うぞ。

 それと、室長に頼んで腕の良い見者系の術者を呼ぶ必要があるかもしれん」


何処か憮然とした様子で和泉は呟いた。





































蒼と黒の饗宴

第2部 第8話




































「はぁ…」


いつになく憂鬱げなオーラを纏いながら、綾乃は歩いていた。

今彼女がいる場所は、彼女が通っている学校――――――聖稜学園高等部の廊下だった。

傍らを歩いている友人の篠宮由香里は、そんな綾乃を見て内心首を傾げていた。


「ねぇ、綾乃ちゃん?今朝から元気ないけど、どうかしたの?」


友人としての付き合いは長いほうだが、ここ2,3年遡ってみても、これ程落ち込んでいる綾乃は見たことがない。


「別に。家でちょっと…ね」


綾乃は言葉を濁した。

彼女の悩みは一般人に聞かせてよいものではないから。

綾乃が悩んでいたのは昨夜の祝宴でのことだった。


(神凪の未来…か)


自分が将来神凪の宗主となることは、ずっと昔から解っていたことだ。

それでも…それでも不安がある。

昨夜の祝宴で、父から、雅人から諭されたこと。

炎術の力を至上と考え、他の術を軽んじてきた神凪の態度は確かに傲慢なものだったろう。

だが、そのことを自覚しているものが一体何人いるのだろうか?

昨夜の祝宴を見れば解るように、あの風牙の反乱を経た今でも、多くの術者は“炎術”という力を絶対視している。

いや、炎術の力を絶対と思い込むことによって、風牙という下級術者にあわや滅ぼされかけたという過去を糊塗しようとしている。

一族の者たちがこのような意識を抱いているのでは“神凪を変えていく”などとても覚束ないだろう。

結局のところ、問題は術者一人一人の意識の問題なのだから。

生まれてから数十年かけて刷り込まれてきた選民意識を変えるのは生半な事ではすまない。

故に、綾乃の気分は憂鬱である。

神凪の次期宗主として、自分はこれからは神凪を背負っていく。

炎術至上主義に凝り固まった連中の面倒も見なければいけないのだ。

それは、まあ仕方がないことなのだが、自分は本当に神凪を背負って立てるのか、心配になってくる。


(どうすればいいのよ)


柄にもなく、綾乃は本気で悩んでいた。これ以上ないくらい。もしかするとこれほど悩んだのは、生まれて初めてなのかもしれない。


「綾乃ちゃん………本当に大丈夫?」


「へ?」


綾乃は内面の葛藤を一時中断して、その声の方向に向き直る。

と、そこには妙な視線を自分に向けてくる由香里がいた。


「さっきから一人でブツブツと……まるで危ない人みたいよ?」


どうやら、いつの間にか考えが口に出ていたらしい。


「え、あ、あはははは。大丈夫よ、大丈夫!あたしはいつも通りよ!!」


一般人に知られてヤバい事を口走ってなかったかと、不安になる綾乃である。

そんな彼女に戸惑ったような視線を向けている由香里だったが、

ふと、何かに気づいたようにポンと手を叩いた。


「あ!ひょっとして…原因は昨日の男?」


「……な…っ」


冗談めかして聞いてくる由香里に、綾乃は思わず声をあげてしまう。

彼女の指摘が、ある意味で正しかったからなのだが、声をあげたのはいけなかった。

由香里は綾乃の反応を見て、自分が図星を言い当てたと思ったのだ。


「その反応…図星と見た!」


一転して、獲物を玩ぶチェシャ猫のような目で綾乃を楽しそうに見てくる。


「ちょ!な、なんで急にそういう話になるのよ!!」


「違うの?」


「断じて違う!!」


がぁっ!と吼えて荒い息と共に肩を大きく上下させながら、綾乃はこれ以上ないほど力強く友人の疑惑を跳ね除けた。

良い友人ではあるのだが、こういう話になると目の色を変えて迫ってくるから始末が悪い。

どうしたものかと辺りを見回したところで、綾乃は救いの神が到来したことに気づいた。


「ちょ!由香里!あれ見てあれ!」


「フフ…逃げようったってそうは行かないわよ綾乃ちゃん」


さあキリキリ一切合財を吐いちゃいなさい、と尚も迫ってくる由香里の頭をがしっと掴んで、強引に横に捻る。


「ほら!あれよ!」


そう言って顔を向けた先には、今から写真部の部室に入っていこうとする久遠七瀬の姿があった。







    ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆







久遠七瀬はいつになっても、この部室の雰囲気に慣れなかった。

慣れたら人として御終いだと思っている。


(ほんと、嫌な空気…)


ハァッ…と溜息をついて、彼女はその部屋に入っていった。


スチール製の引き戸。

その横にかけられた札にはこう書かれていた。



『写真部』



そう。

此処こそが、七瀬の知人(断じて巷で学園生徒が噂しているような恋人では決してない)である男。

彼が棲息するテリトリーであった。







    ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆







カチッ…カチカチッ…


マウスをクリックする音。

そして、冊子をめくる音に、男の小さな笑い声が混じり静寂をかき乱している。

聖稜学園高等部、写真部。

戦前から続く伝統を誇る名門校において、とりわけ異彩を放っていると巷で言われているのがこの『写真部』であった。

部としての実績はある。幾つものコンテストに入選。

さらには、その賞金を全額寄付するなどしてPTAや理事会から絶賛され、マスコミの取材を受けたこともある。

写真部に“直接関わったことのない”教師などは口を揃えて優秀な部だと絶賛している。

だが、彼らの普段の姿を見たことがある者は少ない。

その部室には常時カーテンが締め切られており、外から室内の様子を見ることは出来ない。

教師たちは、それを写真を現像するためにしているのだと思っているらしいが、現実は大きく異なる。


(教師たちが知ったら目を剥くだろうな…)


写真部部員・内海浩助はパソコンのディスプレイから目を離し、部室を見渡しながらそんな事を思った。

ヒキガエルを連想させる、お世辞にも整っているとは言いがたいニキビ面の小男。

それが内海浩助という少年だった。

家は関東屈指の規模を誇る病院グループを経営している、いわゆる良家の令息なのだが、

その外見は世間一般に言われている『良家の令息』のイメージを見事に裏切っている。

彼の活動拠点たる写真部部室。

そこはある種異様な雰囲気を醸し出していた。

窓のカーテンは締め切られ、蛍光灯が煌々と室内を照らす部室内は、どこか中堅のソフトハウスを思い起こさせる様相だった。

机とパソコンが並べられ、モニタにはメモを書きなぐった付箋紙がベタベタと貼り付けられている。

机の上は雑然としており、中には混沌そのものと化している机もあった。

ちなみに、内海の席におかれたパソコンのディスプレイにはデジカメで撮った幾つもの写真が載せられていた。

若者が老人の荷物を持ってやる写真から市主催の異文化交流行事を取材したときの写真もある。

入念な事前調査の上で、これと決めた福祉施設や地元の催事などに参加し、ここぞとばかりに撮る。

当然、日常にも。名場面は意外なところに転がっているものだが、そこは携帯電話という便利なものがある。

そうしてデジカメなどで撮り溜めした写真は部室のパソコンに保存され、用途に応じて使用する。

ポスターに引き伸ばして部の宣伝にしたり、校内行事の紹介、宣伝に利用したり…etc.etc

このように活動はしっかりとやっているのだが、いくらなんでも四六時中写真を撮りに飛び回っているわけでもない。

内海は再び、室内を見渡した。

今、部室内には内海以外に8人ほどの男子生徒と、1人の女子生徒が詰めている。

1人は何やら難しそうな分厚い古書を読んでおり、さらに少年ジャンプを読んでいるものが2人。

半裸の美女が大剣を振り回して魔物を殺戮しているライトノベル小説をププッと笑い声を微かに漏らしながら読んでいる者が3人。

秋葉原で買ってきたらしい、常人には理解不能な、奇怪なセックス妄想を描いた同人誌を熟読している者が3人。

……ちなみに唯一の女子部員は、同人誌を読んでいる3人のうちの一人だった。

内海は彼らからついっと目を逸らし、大きな溜息をついた。

別に部員たちを馬鹿にしているわけではない。

自分の一番嫌な面を見せられた気分になったのだ。

彼らの体型は、半袖で南極越冬隊に加わっても汗が引かないほど太っているか、

ゴビ砂漠から発見されたミイラよりも痩せているかのどちらかだった。

ちなみに内海は前者に近い。

そして内海の机には古書とマンガ雑誌とライトノベルと同人誌、その全てがあった。


ゴホンッ!


わざとらしい咳払いが聞こえ、内海は視線を戻した。


「内海……人の話し聞いてる?」


顔を引き攣らせ、極力周りを見ないようにしながら言う七瀬に、内海はもちろんだよと応えた。


「え〜と、今度の大会の撮影だったよね?テニス部だったっけ?」


「陸上部よ。テニスのほうは…まあ臨時の助っ人みたいなものだから。」


答えを返しつつも、七瀬は一向に落ち着かなかった。

この、何日も風呂に入っていないであろうすえた臭いが仄かに漂う部室は、彼女にとってある意味魔境であった。

ここの部員たちは揃いも揃って痩せ過ぎか太り過ぎの体型をしており、

揃いも揃って風呂嫌いで、まともに人の目を見て話すことが出来ず、知ってる歌はアニソンばかりなのだ。

七瀬の見るところ内海はまだマトモな部類(あくまで七瀬の主観で)に入るが、

他の連中ときたらこちらから話しかけても石のように固まっているか、

裏返った声で自分の得意分野―――ミリタリーやアニメなど―――の知識を、

宗教的情熱に裏付けられているかのごとき支離滅裂な大演説を始めるか……とにかくまともな会話すら出来ないのだ。

内海に言わせるとそれは偏見らしいのだが、七瀬にはとても信じられない。

ちらりと視線を脇に向けると、教員用の机に腰掛けている中年の教師が、同情の視線を向けてきた。

彼はこの部活の顧問であり、写真部の内情を知る数少ない学校側の人間でもあった。

ハアッ…と溜息を漏らして一枚のプリントを内海に手渡す。


「それ申請書ね……来年度の部員勧誘ポスターにも使いたいから、巧く撮ってくれると助かる」


「ん、解ったよ。写真できたら陸上部部室に送れば良いのかい?」


「いや、顧問の脇田先生に直接渡してくれ…用件はそれだけ」


それじゃまた、と手を上げて早口で言うと、脱兎の如く部室から駆け出していった。


「何か気に障ったのかな?」


謎である。

まるで一分一秒たりともこの部室には居たくないと言わんばかりの遁走だった。


(茶の1杯でも振舞った方が良かったかな?)


ひとしきり頭を捻って的外れなことを考えていた内海は、やがて顧問の教師に話を振った。


「先生はどう思います?」


「言っても理解できんよ……恐らく君たちにはな……」


全てを諦めきったような表情で、その中年教師は呟いた。






    ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆






ガラララララッ!!


大きな音を立ててスチール戸を開け、外に飛び出してきた七瀬は、ドアの外で待ち受けていた綾乃たちと盛大にぶつかった。


「っきゃ!ど、どうしたのよ七瀬!?急に飛び出してきて」


「っつつ……わ、悪い…って綾乃!?そ、それに由香里まで…なんでこんなトコにいるんだ!?」


綾乃は持ち前の反射神経であっさりかわしたが由香里はそうはいかず、

すっ飛んできた七瀬と正面から激突してしまい、揃って尻餅をついた。

暫くして起き上がった七瀬は、目の前にいる友人2人を見て目を丸くした。


「いった〜。ちょっとぉ七瀬…急に飛び出してきて危ないじゃないの」


続いて由香里が立ち上がる。

目尻に涙を浮かべて腰の辺りをさすっている。


「…………急にって、私にはあんた等2人がドアの前で何してたかの方が気になるんだけど?」


ジト目で睨んでくる七瀬に、綾乃はばつの悪そうな顔をする。

一方の由香里はというと、全く悪びれた様子はない。


「ええっとねぇ〜、七瀬ちゃんがぁ〜、どんな人とお付き合いしてるのかなぁって思ってぇ〜」


「気色の悪い声を……しかし一体どこからそんな根も葉もない噂が」


余りにも阿呆な理由に、がっくりと肩を落とす七瀬。


「ねえ、さっきチラッと見たけどさ。七瀬ってああいうのが好みな訳?…なんていうかさ、キワモノ好み?」


「…大概失礼な女だな。由香里は」


彼女が誰のことを指して言っているか悟った七瀬は顔を引き攣らせて内海に同情してしまった。

初対面の女にキワモノ呼ばわりされたと知ったら彼はどう思うだろうか?

まあ彼が醜男なのは否定出来ないが。


「人を顔で判断するもんじゃないと思うけどな」


「へえ…“カレ”の肩を持つんだ」


「待て……いま“彼”のニュアンスが少しおかしくなかったか?」


クスクス笑いながら人差し指でちょんちょんと七瀬の肩をつつく由香里。

矛先が自分から完全に七瀬に逸れたことを悟った綾乃は微かに安堵した。

それにしても―――――









「七瀬……あんた男の趣味悪すぎ」


「だから違うって言ってるだろうがあぁぁああぁ!!!!」




昼の校舎内に少女の絶叫が響き渡った。



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