ん?ここはいったい……
就職活動真っ最中の大学生、村野正也は自分が見知らぬ和室で寝ていることに気がついた。
布団から身を起こして辺りを見回す。
状況が全く判らない。
昨夜、一次面接を終えて帰宅するなりスーツを脱ぎ捨てて寝たのは覚えてるが……
混乱した頭で、状況を把握するべく立ち上がり、
なんとなく近くにあった鏡を見て口をあんぐりとあける。
「な……」
ななななななななななななななななななななななななななななななななななななななな
ななななななななななななななななななななななななななななななななななななななな
なななななななななななななな……
「なんだこの老け顔はぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!!」
思わず絶叫。
その時、部屋の外から誰かが走ってくるようなバタバタという足音が聞こえてきた。
襖が開く。
「ち、父上!どうされたのです!?」
見たことのないガキだ。
「ん?ってか誰なの君?」
疑問に思い、そう質問するとその少年はどこか哀れむような視線を向けてくる。
「父上……とうとうストレスで脳をやられたのですね?」
その目元には涙。
「ま、まて!失礼なこというな!ってか父上って……その前に君誰よ!?」
泡を食ってそう聞き返すと、その子供は今度こそ心配そうな表情を向けてくる。
「ほ、本当に忘れたんですか!?流也ですよ!風巻流也!!貴方の長男の!!!」
「へーそーなの、りゅうやくんね……………………って何ィィィィィィィィィィィィィィィ!!!!!!!」
日本、いや世界にその名を轟かせる炎術の大家「神凪」の本拠地に白髪が混じり始めた中年男のシャウトが響き渡った。
その男の名を風巻兵衛……………
風牙衆の長を勤める男である………
風牙の風
第0話
あ、ありえねえ…………
確かに俺はよく憑依系のSSを読むが、ぶっちゃけこれは無いだろ!
風巻兵衛?
いや、もちろん知ってるとも。というか、つい最近読んだライトノベルの敵役じゃないか!?
原作第1巻で煉によって焼き殺されるという末路をたどった男。
神凪側が一部の人間を除いて無能ぞろいだったこともあり反乱は成功するかに見えたが、八神和麻を巻き込んだのが運の尽き。
反乱は殆ど和麻一人の手によって頓挫し、風牙衆は滅亡。
兵衛がどうなったかは前文の通り。
………ってことは俺、焼き殺されるわけ?
………いっいやだぁぁぁぁぁ!!!
………よ、よりにもよって焼死なんて!無茶苦茶苦しい死に方じゃないか!!!
これからの自分の末路を色々と想像してしまい、ムンクの叫びのごとき形相で身悶えする。
そうやって一人で悶えてると流也がおずおずと声をかける。
顔が微妙に引きつっているが、まあ自分の親がこんな狂態を見せているのだから仕方が無いだろう。
「だ、大丈夫ですか?父上」
流也に言われてはたと気づく。
そういえば今って時期的にいつなんだ?
流也にはかなり早い段階から妖魔が憑依していたようだがここではまだ人間のようだ。
それに見たところ年齢は中学生くらいのようだし………
「なあ流也?お前って確か今年で何歳になるんだったっけ?」
「?十四歳ですけど」
「あ…そう。」
流也からの返答に、内心で首を傾げる。
原作を読む限りでは、この時点で既に妖魔に憑依されてる筈なんだけど。
ひょっとすると、原作とは違う歴史なのだろうか?
「かずッ………ゴホンッところで、今この邸に神凪和麻さまはおられるかな?」
その質問に流也は訝しげな表情をしながらも答える。
「ええ、今は学校に行ってますよ………一体どうしたんですか父上?」
心配そうな顔をする流也。
(……まだ『神凪』にいるってことは、継承の儀は行われていないってことか。)
なんにせよ、一度落ち着いて情報を整理する必要がある。
このまま話し続けて“ぼろ”が出るのも困るし。
「いや、なんでもない。……少し寝ぼけていたようだ。調べものがあるので少しの間一人にしてくれんか?」
そう言って流也を部屋から出す。
襖を閉め、いったん落ち着くと、頭の中に様々な光景や知識が浮かんでくる。
村野正也として生きてきた俺の記憶『ではない』。
『退魔』『精霊術』『妖魔』といったオカルトめいた知識。
それも、小説や漫画に出てくるような荒唐無稽なものではなく、学問として体系化された知識だ。
更には組織運営やマネジメントなどに関する知識。
そして…………神凪に対する隷従の記憶。
「これが兵衛の記憶……か。」
その大部分は神凪による風牙衆の虐待によって占められていた。
おかしいとは思わない。
原作やSSを読んでてもいつも目に付くのは神凪の度を越した戦闘力至上主義だった。
現代においては情報は戦闘力と同じかそれ以上に重要な意味を持つ。
頭の中にある記憶は兵衛のものなので幾分バイアスがかかっているだろうが、客観的に見ても神凪は情報を軽視しすぎている。
いや、正確には偵察や諜報などの情報収集任務を軽視している。
おそらく炎術の特性もさることながら自分達より格下の風牙衆の領分であることが原因の一つだろう。
それに、神凪が請け負う退魔の依頼はほとんどが既に出現した妖魔や悪霊を滅するというものであり、
そこに索敵や偵察が必要となることはあまり無い。
これが人間同士の戦闘であれば索敵は重要な意味を持ってくるが、あいにく、この世界に神凪に喧嘩を売るような勢力は存在しない。
そのため、風牙衆はその高度な諜報技術を活かす機会に恵まれなかった。
そして、直接的な戦闘能力の低さから退魔の依頼でも炎術士のサポート役に回らざるを得ず、
それゆえに神凪の炎術師には風術の有用性を理解することが出来なかったのだ。
「もっとも、分家の場合は実力以前の問題みたいだけどな……」
世界最強などと呼ばれている神凪だが、いわゆる一流と呼ばれるのは宗家の術者くらいである。
分家はせいぜい2流、トップクラスの実力者でも一流の端に引っ掛かるかどうかというレベルだ。
彼らが自分達を特別視している根拠はコントラクターの血を引いているという事実……つまるところ、血筋自慢に他ならない。
それでも、千年に渡り日本を霊的に守護してきた一族ということで、「神凪」という名前が持つブランドの力は侮れない。
依頼人の多くは「神凪」と名乗るだけで色眼鏡を通して彼らを見てしまう。
そのせいで彼らは一族の名前が持つ影響力を自分自身の力のように勘違いし、増長する。
「はぁ……こんな連中の下で働かなきゃならんのか……うーん今反乱起こしても勝てっこないし、
コントラクターの和麻を引き込めたらいいんだけど」
ブツブツと呟きながら今後どうするかについて考える。
妖魔で反乱ってプランは……惜しいけど没だな。
そんなことをすれば、たとえ神凪を滅ぼせても、他の退魔によって討伐されることになるだろう。
風牙の神から与えられる力というのは、魅力的ではあるのだけれど…
かといって、地位の向上を願い出たところで受け入れられるはずも無い。
重悟は理解してくれるかもしれないが、それ以外の一族全員が反対すれば宗主といえど首を縦に振ることはできまい。
「神凪と同格の勢力に渡りをつけるかな……?」
自分達の諜報能力は一流といって差し支えない。
欲しがる組織はいくらでもあるだろう。
だが、神凪の干渉を撥ね退けることができるところとなるとかなり限られてくる。
「まあ、やるだけやってみますか……」
元の世界に戻れるかどうか判らないが、ここにいる間は風牙衆の、ひいてはその長である自分の待遇改善のために動くことにしよう。
――――1994年1月6日。
――――この日、『村野正也』の風術師としての人生が幕を開けた。