「あー…………鬱になりそう」


げんなりとした様子で呻いているこの男の名前は風巻兵衛。

彼は風牙衆の頭領であり、神凪の情報部門全てを統括している。


――――――情報部門全てを統括


なかなか重役っぽい響きだが、神凪一族における地位では、彼はいわば小間使いの代表のようなものに過ぎない。

分家の子どもから公然と罵倒されても文句一つ言えないのだから、なにをかいわんやである。

なるほど、生まれてからあの歳までこんな生活してたんじゃ反乱したくもなるか………

思わず、原作での兵衛のブッ飛びように納得してしまう。

正也(兵衛)はここに来てから最初の二日でストレスが限界値を振り切れた。

自分が履いてる草履の上に唾を吐きかけた分家のチビジャリに風刃を叩きつけようとして、

傍に控えていた風牙の術者たちに羽交い絞めにして止められたのは記憶に新しい。


「覚悟していたとはいえ、まさかここまで酷いとは………」


数日前に神凪が請け負った退魔の依頼に関する事前調査の報告をするため、

兵衛は溜息をつきながらも宗主の居室がある母屋と歩みを進める。

その後ろに兵衛の補佐役である流也がつき従う。

もっとも、流也の場合は風牙の次期頭領としての勉強的な意味合いが強いが…

この時期、神凪重悟はまだ現役の術者であり、父、頼道から受け継いだ炎雷覇を保有する神凪最強の炎術師であった。

彼が事故にあい、継承の儀が行われることになるのは今より4年ほど後になる。

風牙衆にあてがわれている離れとは比較するのも馬鹿らしいほどの広さを持った豪邸を見上げ、

次いで先ほど自分が出てきた、風牙衆全員が住むみすぼらしい離れを見て、彼は更に不機嫌になる。


「富の偏在……」


「嫌な世の中ですよね……」


ハァ、と親子揃って溜息をつく。

仕事のハードさを考慮するならもう少しくらい良い生活がしたいよ。

庭先を横切り、母屋の玄関にさしかかろうかというところで






「もうやめてください!」






突然そんな声が兵衛の耳に飛び込んでくる。

振り向いた彼の眼にある光景が飛び込んでくる。

一人の中学生くらいの少年が大勢の子供にリンチにかけられており、

少年を守るようにして一人の少女が子供たちの前に立ちふさがっていた。




































風牙の風

第1話 1994年@ 




































――――――自分には炎を操る才能が無かった。





神凪和麻は考える。




父や母を振り向かせたくてひたすら努力を続けてきた。

学校での成績はいつも上位だったし、スポーツや武術に関しても得意であった。

今、体術で和麻に勝つことのできる術者など一族中を見渡しても10人といないだろう。

だが、神凪において「そんなもの」は塵芥程度の価値しかなかった。

神凪で重要視されるのは炎術の才能。

これに尽きる。

他のどんな技術に秀でていようと炎が扱えなければそれは、少なくとも神凪においては、無能の烙印を押されることになる。

宗家と一言で言っても術者の実力はまちまちである。

現宗主の重悟や、厳馬のように神代の領域にまで到達しているような術者もいれば、

分家の術者が数人で束になって掛かればどうにかなる程度の術者もいる。

だが、和麻の場合少し事情が異なる。

彼には炎の精霊の加護がまるで無いのだ。

分家の術者でさえ熱いと感じない程度の炎でさえ和麻が受ければ大火傷になる。

炎を操る才が何よりも重要視される一族にあって炎の加護そのものが無い和麻は一族の汚点として蔑まれた。

和麻が宗家の生まれであったこともマイナスに働いた。

普段自分達が逆らうことのできない宗家の人間達の中で唯一の落ちこぼれである和麻を嬲るのは、

分家の術者たちにとってまたとない娯楽だった。

和麻にしてみればたまったものではない。

だが、和麻を助けてくれるような者は分家は勿論、宗家にも殆どおらず、

炎を操ることのできない和麻は分家の者達の悪意に対して何もすることができなかったのだ。

和麻の親はそんな分家の者達を止めることは無かった。

父である厳馬は宗家に生まれながらも分家のものにさえ全く歯が立たない和麻を遠ざけ、

母である深雪にいたっては和麻の弟であり炎術の才に恵まれた煉をことのほか可愛がり、和麻のことはその存在自体を黙殺していた。

そんな彼を気にかけるものといえば宗主の重悟や、今、和麻の盾になるかのようにして分家の子ども達と向き合っている少女、

大神操くらいであった。


「なんてことをするんです!こんな酷いこと止めてください!!」


操は大勢の分家の者達を前にともすれば挫けそうになる自身を心の中で叱咤して、和麻を守ろうとする。

元々、操は生まれつき体が弱かったこともあり退魔士としてはそれほど嘱望されてはいなかった。

別段日常生活で支障が出るようなことは無く、また、神凪の血を引くものとして並々ならぬ炎の精霊の加護を得てはいたが、

第一線で妖魔と戦うには不足があると判断されたのだ。

他の子ども達が大人に混じって退魔の現場に出るようになってからも、自ら炎を駆使して戦うのではなく、

後方で治療術士たちに混じって働くことが多かった操は周囲の者達ほどには炎術至上主義に毒されてはいなかった。

そして、そんな彼女には、炎術が使えないというだけで和麻を虫けらのように扱う周りの人間達が理解できなかった。

気丈にも両手を広げて和麻を庇おうとするその小さな背中は和麻からみても震えていた。


「邪魔すんな!」


周りを囲んでいる子どもの一人が操をなじる。

操の言うことは全くの正論。

だが、そんなものは彼らには関係ない。

炎の精霊王の祝福を受けた一族にあって、マッチやライター程度の火ですら火傷を負うような出来損ないなど、

どうなろうが知ったことではない。

生まれた時から、神凪の選民思想じみた炎術至上主義にドップリ浸かって育った彼らにとって、炎を扱えない出来損ないは

彼らの親も自分達の子供の所業を見ても何一つ注意などせず、それどころか分家の子どもにすら嬲り者にされる和麻を嘲った。

それゆえ子ども達は自分達のしていることを省みたりはしない。


「おい、こいつ大神のところの……」


「ああ、体弱くて碌に除霊もできないんだってな!」


そして悪意は操にも向く。


「はん!無能同士気が合うって訳か!」


公然と罵られ、それでも操は和麻の前から退こうとはしない。


「てめぇ……いいかげんに……」


更に罵声を浴びせようとしたところで後ろから声がかかる。


「おお和麻さま!ここにおられましたか!」


突然響いた声に、思わず和麻と操はその方向に目を向ける。

その視線の先には風牙衆の長、兵衛が立っていた。







    ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆








「(どうしたもんかねえ)」


「父上?」


突然立ち止まり考え事を始めた兵衛に流也が訝しげな顔をする。

そんな流也を尻目に、子ども達のやりとりを観察(覗き)しながら兵衛はしばし考える。

止めるべきだろう。

だがどうやって?

神凪と風牙の関係は雇い主と使用人のそれより遥かに酷い。

言うなれば主人と奴隷。

よって自分が出て行って止めても、子ども達が虐待をやめる可能性は低い。

むしろ、風牙衆に窘められたことに対する反感から、余計にエスカレートするという事態もあり得る。


(……うん、ここは宗主の威光を借りるのが一番か。)


そう考えて和麻たちの方向に足を向ける。


「和麻様!ここにおられましたか!」


そうやって声をかけると周りにいるガキどもからいっせいに睨まれる。

…………う、なんつーかやりづらい。


「あ?風牙衆じゃん」


「邪魔すんな!」


「俺らが呼んだときだけ返事してりゃ良いんだよ手前らは!」


そうやって野次と唾を吐くクソジャリ共に兵衛とその斜め後ろに立っている流也はこめかみにブッとい青筋を浮かべる。

う〜ん、殺したい(怒)。

何が悲しくて、こんな四半世紀も生きてないような餓鬼に舐められなくちゃならんのだ!?

張り倒してやりたいところだが、そんな事をすれば自分の命が危ないので止めておく。

ただし、こいつらの顔だけは絶対に覚えとくぞ!

脳内でいけ好かないガキどもを風の刃で寸刻みにして処刑しながら用件を告げる。


「和麻様。宗主がお呼びですよ」


和麻に告げる。

そして内心、和麻の酷い有様に眉を顰める。

いじめなどというレベルではない。

どこの世界に相手を火炙りにして喜ぶ子どもがいるというのか。

操が止めに入らなければもっと酷いことになっていただろう。

そんな真似を平気でする分家の子どもや、それを止めようとしない彼らの親、

そして和麻のこんな姿を見ても煙たがるだけの厳馬、深雪に対して憤りを覚える。

深雪に関しては論外。

厳馬は……まあ、息子を千尋の谷に突き落とすノリでやってるのかもしれないが、

こんなもので和麻が強くなるはずがないだろうに………いや、なるか?

原作で和麻がコントラクターになれたのは、命を危険に晒すほどの逆境に晒されたのが切っ掛けみたいだし…

しかし、親として息子が虐待されてるのを見てみぬ振りというのは如何なものだろうか?

兵衛がそんなことを考えているとは知る由もなく、


「宗主が?」


和麻が呆然とした様子で問いかける。

「宗主」という単語を聞いて分家の者達は色めき立つ。

宗主が和麻を気にかけていることは彼らも知っている。

もし、自分達がしたことがばれたら……

そんな彼らに駄目押しの一言。


「あまり遅くなりますと宗主直々に探しにこられるやも……」


兵衛がそう言うと、分家の子ども達は泡を食ったように一目散に逃げ出す。


「や、やべえ逃げろ!」


「和麻!チクッたりしたらぶっ殺すからな!!」


自分達のことが宗主に知られないように釘をさすことも忘れない。

彼らが視界から消えたところで、兵衛は和麻に声をかけた。


「手当てが必要ですな。重悟様にお願いしてみますか?」


そう言う兵衛を和麻は呆然と見詰める。


「……そ……宗主が呼んでるなら行かないと……」


そう答えた和麻に対して兵衛はわざとらしく驚いたような仕草をする。


「………………おお!これはうっかりしていた。宗主が呼んでいたのは和麻様でなく私でした。

 いやいや、間違えてお呼びだてして申し訳ありませんでした。」


そう言って頭を下げると流也を連れて母屋へと入っていく。

こういう善行は“さりげなく”やるから有り難味があるのだし、宗主に呼ばれている以上余りノンビリしてもいられない。

流也と揃って和麻たちに目礼し、その場を後にした。

和麻と操はその様子を声もなく見つめていたが、しばらくして和麻が何かに気づいたように操に話しかけた。


「……そういえば。」


「なんですか?和麻様」


「まだ礼を言ってなかった。助けてくれてありがとな。」


どこか照れた様子でそう答える。

和麻にとって他人から気にかけてもらえたことなど殆どなかったため、操が庇ってくれたことがとても嬉しく感じた。


「そ……そんな!いいんですよ!」


いきなり大げさ(操の中では)に礼を言われたことで今度は操があたふたする。

そんな様子を不思議そうにみていた和麻だが暫くしてから不意に笑いがこみ上げてきた。

自分を見て笑い始めた和麻に少し怒った様子で睨む操だが、

そのうち自分の中でもなにやら形容しがたい笑いの衝動がこみ上げてきたため、いつの間にか二人そろって笑いあっていた。

その後暫く二人で取り留めのない話をしていたところで和麻があることに気づく。


「そうだ、兵衛にも礼を言っとかないとな」


「そうですね。そのときは私もご一緒します。」


操は微笑みながら答えて和麻の腕を取る。


「?」


「その様子では歩くのもつらいでしょう?母屋に行って手当てしないと」


「あ・・・ああ・・・・」


どこか照れた様子の和麻を支えるようにしながら二人は母屋に向かった。








    ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆









神凪本邸・宗主居室――――







「なんと、そのようなことが………お前には礼を言わねばならんな、兵衛よ」


「………過分な言葉をいただき、恐縮です。」


宗主の居室において、一通りの報告を終えた兵衛は先程遭遇した一連の顛末を重悟に伝えた。

和麻を助ける際に宗主の名前を出しているため、

そのことを報告しておかないと後で分家の者から今回のことで追及された際に言い訳ができない。


「では、今回の和麻の呼び出しは私の指示によるものだとしておこう。これなら分家の者たちもとやかく言うことはあるまい。」


「は、ありがとうございます。」


「いや、礼を言うべきはこちらのほうだ。まったくあやつらは………」


そう言って重悟は苦い表情を浮かべる。

炎術が使えないからといってそれを理由に暴行を加えてよい道理など無い。

しかし、現実には分家の者達に和麻に対する虐待を止める者はいない。

それどころか和麻の両親すらも黙認しているのだ。

重悟も何度か分家の者達に和麻を虐待しないよう注意をしたことがあったが、

大人はともかく子ども達は重悟の目を盗んでは和麻を嬲るのをやめようとせず、大人たちはそれを半ば黙認していた。

一度和麻が炎術の的にされて死にかけたときは、流石に重悟も黙ってはおらず、

それを行った分家の術者は重悟の紫炎によって骨も残さずに焼き尽くされた。

しかし、それ以後は、和麻があまりにも酷い怪我を負った場合は分家の当主達は治療術士を手配して和麻の傷を塞いでいたため、

事態の深刻さが重悟に伝わることはなかった。

和麻がなんらかの嫌がらせを受け続けていることは重悟も知っていたのだが、

子供同士の喧嘩であるといわれ、その子ども達の親から注意はしたと必死に説明されれば、それ以上咎めることもできない。

そのあたりは、重悟も甘いといえるのだが彼自身綾乃という娘がおり、子を思う親の気持ちがわかるだけに強く出ることもできない。


「分家の者達にはきつく言っておかねばな………」


憤る重悟だが、その様子を兵衛は内心冷ややかに見つめる。


「(まったく、人一人殺しかけといて口頭で注意するだけとはな)」


和麻の悲惨な有様を目の当たりにした兵衛には、重悟のやり方は手ぬるいとしか思えなかった。

事情を知らないのでは無理もないかとも思うが、和麻のやつれようを見れば彼が深刻な状態であることくらいは想像できそうなものだ。


「では、私はこれで………」


慇懃に頭を下げて退出する。

兵衛にはまだやるべき仕事は山ほどあるのだから、無駄に時間を浪費することはできない。







    ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆







「…………(とりあえず、和麻の件はどうにかなったか。)」


「…………父上」


和麻、操との――――正也にとっての――――初見を終え、重悟への報告も済ませて部屋を後にした兵衛に流也が後ろから声をかける。


「ん?どうしたのだ?」


振り返ると、流也はなにやら訝しげな面持ちで兵衛を見ている。


「珍しいですね、父上があのように神凪の方々の争いを仲裁なさるなど?」


「む…………そ、そうか?」


「私が知る限りはじめてですよ」


…………怪しまれたかな?

考えてみれば、自分は妖魔の力を借りてまで――――ここではまだやってないが――――神凪を滅ぼそうとしたのだ。

それが神凪宗家の、それも炎術至上主義の権化ともいえる厳馬の長男を助けるのは不自然すぎるだろう。

和麻は炎術が使えないことで一族の人間から虐げられており、

立場からいえば自分達に近いため助け舟を出したのだが些か軽率だったかもしれない。

確かに兵衛の記憶にあるこれまでの神凪の暴政を見れば、風牙衆の人間が神凪の人間を気にかけるのは不自然だろう。

和麻は神凪の他の人間達と違いこれまで風牙衆の者達を殊更見下したりすることは無かったが、

かといって風牙衆を気にかけていたというわけでもない。

兵衛が和麻を助ける動機などどこにもないのだ。


「(うーん、神凪が風牙衆を蔑視してるのはわかってたが、風牙衆のほうでも神凪を嫌ってるって事を考えるべきだったか。)」


しかし兵衛としては、和麻はぜひとも風牙衆サイドに引き込んでおきたい。

風牙衆が神凪に対して公然と反旗を翻すにしろ、神凪を離脱して他の退魔の下につくにせよ、独立するにせよ、

強力な術者は一人でも多く欲しいところだ。

今のところ和麻には何の力もないが、仮にも原作では風の精霊王と契約したほどの術者である。

風術の才能が無いなどという事はあるまい。

今後和麻がコントラクターになれるかどうかはわからないが、もしなった場合に備えて、

今のうちに恩を売っておくのは悪い手ではないだろう。

そして流也を見る。

和麻を助けたことを非難するような様子ではない。

純粋に、兵衛の心境の変化について興味を持っているという様子だ。

少し考えた後、兵衛は自分の考えを―――差し支えの無い範囲で―――話し始める。


「………戦闘能力にばかり眼を奪われ、情報というものの重要性を全く理解せん神凪は、たしかに度し難い」


本来なら、神凪本邸でこのような発言をするのは不用意かもしれない。

しかし、彼らは風術士であり、この神凪本邸の敷地内に存在する人間の位置は全て把握している。

周囲に人がいないことは確認済みだ。

流也もそれが分かっているため兵衛の発言を窘めることはない。


「だが、誰もが炎術至上主義に染まりきっている訳でもない。もっとも、今の神凪にあってそんな者は皆無に近いがな…」


さも忌々しげに兵衛は吐き捨てる。


「和麻様は確かに炎術が使えんがそれ故に他の技を磨かれた。

 少なくとも他の者に比べればまともな頭を持っていると信じたいところだよ。

 炎術が使えん以上有り得ん事かもしれんが和麻様が宗主の座を受け継ぐことがあれば神凪も少しはマシになるかも知れん。

 そうでなくとも、宗家の人間に風牙の重要性を認められる人物がいてくれれば、それに越したことはない。」


流也は声も無く兵衛を見つめている。

流也の知る限り、兵衛が自分に対してここまで胸の内を明かしてくれた事など唯の一度も無い。

時折酷く昏い眼をすることがあったが、父は常に自分の考えを胸の内に収め、それを他人に明かすようなことは無かった。

神凪に対する父の考えについては何とも言えないが、

少なくとも父が己の考えを明かしてくれる程度には自分は信頼されているのだろうか、と流也は考え、兵衛の変化を喜んだ。

流也の顔に納得の色が浮かぶのを確認した兵衛は内心胸をなでおろした。

流也に言ったことは間違ってはいない。

もし、神凪の体質が改善されるのならば、わざわざ反乱を起こしたり、離反を考える必要はない。

しかし、実際の話、宗家の中で風牙の立場を憂いているものなど宗主の重悟くらいだ。

組織というものはトップ一人の考えで動かせるわけではない。

いかに一族内で重悟が絶大な権力を持っているといっても、分家当主や長老達に揃って反対されたのではどうにもなるまい。





この時点で兵衛には幾つかのプランがあった。


ひとつは流也をはじめとした風牙の術者たちの手で和麻に風術を教え込み、

継承の儀において綾乃を打ち負かして宗主の座についてもらうこと。

仮にも綾乃は宗家の若手の仲では最強の使い手であるため、それを負かすには余程の風術の才能と運が必要である。

また、仮に綾乃を負かすことができたとしても他の長老や分家当主の反対によって勝負を無効にされる可能性も無いわけではない。

代々、神凪の宗主は当代最強の「炎術師」が就くのが慣わしであり、風術師が宗主になるなど前代未聞だ。

そもそも儀式に参加させてもらえるかどうかさえ怪しいのだが、これは原作における厳馬のゴリ押しもあるのでさほど心配はしていない。

しかし、この方法で和麻を宗主につけるのは流石に難しいだろう。




もう一つのプランは神凪から離反して他の退魔の下につくこと。


この場合、交渉の際にこちらの戦力を高く見せ付けるためにも強力な術者は一人でも多く欲しい。

基本的に風術士は戦闘能力が低いため、罷り間違えば新しく雇われた先でも隷従を強いられる可能性があるからだ。

雇用主が警視庁特殊資料整理室のような公的な機関であれば待遇の問題はないだろうが、

あいにくと日本政府は神凪が強い影響力を持っているため、神凪に圧力をかけられた場合それに屈服してしまう可能性がある。

そうなると風牙が摺り寄ることができそうなところは古くからある退魔の一族、それも、神凪と張り合えるだけの名門ということになる。

風牙衆が神凪に奴隷同然に扱き使われている話は、名門の退魔の中では割と知られている話であるため、

交渉の際にこちらの足元を見られる可能性が高い。

その際、彼ら名門の術者たちと渡り合えるだけの実力を持った術者が風牙にいることを相手に認知させることができれば、

交渉はかなりやりやすくなるだろう。

和麻の場合、風術の実力は勿論のこと、神凪の宗家出身という肩書きがあるため宣伝効果は高い。




そして最後に、風牙衆の完全な独立というプランである。


こちらは先に挙げた二つよりも条件が厳しいため今の段階では夢物語でしかない。

法的には、風牙が独自に情報屋などをはじめたところで問題はないのだが、

数百年に渡り風牙を奴隷として扱ってきた神凪がそれを許さないだろう。

神凪は風牙を強制的に奴隷の立場に引き戻せるだけの実力を持っているし、殺人の一つや二つを揉み消せるだけの権力もある。

実際、先代の頼道が宗主の座にあった頃は、風牙の術者の幾人もが神凪の術者の理不尽な暴行によって命を落としており、

その死因は公式には退魔の任務において妖魔によって齎されたものとされたのだ。

神凪の術者にかかれば死体など灰一つ残さず焼き尽くせるため証拠などまず残らない。

このような事情もあって風牙の術者たちの間には神凪に対する恐怖心が強く根付いており、

成算もなしに冒険的な試みをしたところで周囲の者はついて来ないだろう。



どの選択肢をとるにせよ、風牙の陣営を強化することは必要だし、

神凪の内部に風牙に好意的な人物を得ておく事も必要だと兵衛は考えた。


「………なるほど、そのようにお考えでしたか」


兵衛が神凪に対して深い憎悪の念を抱いていることを薄々感じ取っていた流也にとって、今聞いた兵衛の考えには意表を突かれたが、

最近兵衛の雰囲気が明るくなったこともあり、流也はむしろ好ましく感じた。

兵衛のほうは何とか流也の追及を逃れたこともあり胸をなでおろしていた。


(………ふう、どうにか誤魔化せたか。)


見たところ流也は神凪を好ましくは思っていないものの、かつての兵衛のような妄執に近い憎悪を抱いているわけでもないようだ。


(………まあ神凪の外道なやり口を知らんからかもしれないが、これなら和麻に風術を教えるのも大丈夫かな?)


兵衛としては和麻には少しでも早く風術士として大成してもらいたいところだ。



もっともその前提条件として和麻を風牙衆の側に引き込む必要があるだろうが。




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