1995年1月16日 6:31
兵庫県 神戸市 




 厳馬から命を受けた流也は、すぐに風牙の術者たちにこれを伝えた。

 皆、良い顔はしないだろうな、と思っていた流也だが、はたして返ってきた反応は予想通りのものだった。


「……また随分と損な仕事ですね。しかもこれって、厳馬様の独断でしょ」


「詠梧。文句は無しですよ」


 派遣術者の一人、風張詠悟は文句タラタラな様子で愚痴っている。

 年配の術者たちは、表立って不平を言わないだけの分別があったが、それでも微かに困惑の色が表情に滲んでいる。


(無理も無いか)


 流也は思った。

 実際、この仕事には風牙衆にとってのうまみというものがほとんど無かった。

 今回の調査任務は、神戸に到着したときに命じられた任務の延長ということになるので、仮に無事成功させたところで、目に見える報酬は全く期待できない。

 逆にもし失敗すれば、風牙衆は政治的にかなり危険な立場に置かれる事になる。

 なにしろ退魔方の神域に無断で進入する以上、それはスパイ行為と断じられても仕方の無い行為なのだから。

 ハイリスク・ローリターン……いや、ノーリターンだろう。

 まともな人間なら決して引き受けないであろう任務。

 しかし、神凪と風牙の力関係からして拒否という選択肢は用意されていない。

 不満という点では流也も内心では詠梧に同感だったが、流石に皆の前で不平をこぼす訳にもいかず、一応は詠梧を窘めた。


「まぁ、そう悲観することも無いでしょう。

 妖魔が暴れまわった影響で周囲の気はかなり乱れています。

 これなら、我々が侵入した痕跡が残る心配は少ないでしょう。

 社の守人も妖魔討伐に出払っていますから、余人に見咎められる心配も無い」


 流也は安心させるように言った。

 今回無茶な調査命令を出した厳馬にしても、別に風牙衆を追い込もうなどと考えていたわけではない。

 厳馬は厳馬なりに、風牙衆のサポートは行うつもりだった。

 そのサポートとは、風牙衆の調査予定地内にいる他勢力の退魔師を、遠隔地の妖魔掃討任務に大量投入することだった。

 風牙衆が調査予定の神社・封印地には、通常では守人として退魔師が複数名常駐している。

 厳馬は、これらの守人を周辺の妖魔討伐任務に投入することで神域の警備を手薄にさせていた。


「確かに……最低限の留守は残しておりましょうが、人に見つかる危険は少ないでしょうな」


「問題は人間ではなく、退魔方が張り巡らせた結界の方かと」


「左様。妖魔によって食い荒らされたとはいえ、幾らかは機能を保っているものが残っておるやも知れませぬ。

 解呪に時間を取られれば、その分だけ危険も増しましょう」


 現場経験が豊富な熟練の風術師たちは、口々に指摘する。

 これについては流也も同感だった。

 単に人目を欺くだけならば、初歩的な風術を行使すれば容易い。

 しかし、風術とは別系統の退魔の結界や術を破るのはかなり骨が折れる。

 陰陽道・修験道など、調査予定地に張り巡らされているであろう仕掛けは、その根幹をなす術体系から見ても多岐に渡っている。

 風牙衆は、風術のみならず他の様々な術体系を戦術的な観点からある程度学んではいるが、本職の陰陽師や修験者と張り合えるとは思えない。

 風牙衆の手に負えないような高度な結界が張られていたら、その時点でアウトということだ。


「今回の仕事で最も重視されるのは秘匿性です。我々が動いたという痕跡は一切残してはなりません」


 一同を見渡しながら、流也は言った。


「皆さんの迅速な行動に、全てがかかっています。頼みますよ」




































風牙の風

第15話 1995年C




































1995年1月16日 10:24
兵庫県 朝来市 某所




 朝来市の片隅にポツリと建つ神社。

 そこに至る参道は鬱蒼とした林に覆われ、人が参拝するような環境ではない。

 当然だろう。

 この神社は外から人を呼び込むためのものではない。

 古き妖魔を封じるための楔。

 魔を、その内に閉じ込めておくためのものだからだ。

 風牙衆の調査部隊は、生い茂る林を掻き分けながら、その神社に足を運んでいた。

 先行した3名ほどの風術師が周囲を警戒する中。

 流也たちは神社の境内の前に辿り着く。


「境内の結界は?」


「既に破壊されておりました。妖魔の手によるものかと」


「好都合です。妖気は払わずに捨て置くように」


 流也は術者たちに、そう言い渡した。

 妖気の残滓が残っていれば、ここの退魔師たちも妖魔の仕業だと勘違いしてくれるだろう。

 逆に浄化してしまう方が問題があった。

 
「内部の仕掛けについては私が視ます。全員下がってください」


 流也は配下の風術師たちを下がらせる。

 そして一歩。境内に向かって踏み出ると、瞑目して風の精霊に呼びかけた。


「………風精霜葎」


 囁くような呟きが、流也の口からまろび出る。

 意識を集中し、風の声に耳を傾ける。


(どうか…力を御貸し下さい)


 やがて、目を開けた流也の視界一杯に、蒼き大気の流れが映し出される。

 中天より流星の如く流れ落ちる風のそよぎ。

 技巧に長じ、風精と心通わすことの出来る風術師でなければ、これを見ることは出来ない。

 風は全てを教えてくれる。

 この星全てを包み込み、生きとし生けるモノ達の、最も身近に存在する四大元素のひとつ。

 五感を通じて、風の精霊達が集めた情報、妖気の残滓、気の流れ、全てが流也の内に流れ込んでくる。

 目を開いてから10秒と経たないうちに、流也は半径50メートル以内の境内の構造、仕掛けられているトラップの配置全てを看破していた。


(感知系が中心か。全て潰しては……流石に怪しまれるな)


 外部からの侵入者を排除するための、あるいは侵入者の存在を主に知らせるための術式が境内のいたる所に施されている。

 とはいえ、それら全てを破壊してしまったのでは侵入者がそこに居たことを家主に態々教えるようなものだ。

 そして、風牙が境内にいたという痕跡を残すわけにはいかない。

 流也は少しの間、顎に手を当てて思案を巡らし、ややあって頷いた。


「………右手前方18メートルに『耳』が在ります。潰しなさい」


 鎮守の森の中に立つ、一見すると何の変哲も無い杉の樹。

 それを見ながら、流也は一言だけ命じる。

 命令を受け、心得たように一人の風術師が前に出た。


「風よ…」


 精霊に呼びかけ、掌に風刃を一振り作り出し、放った。

 風刃は狙い過たず大木に命中し、そのまま何事も無かったかのように消滅した。


「ご苦労様です」


 流也は微笑んだ。

 樹そのものは何とも無くとも、先の一撃で仕掛けられていた術式は破壊されていた。


「次、行きますよ。正面23メートルに『腕』、左前方41メートル、社の裏手に『耳』……同じく社の裏手、右前方44メートルに……」


 次々に流也から指示が飛び、その度に周りの風術師たちが風刃や風礫を飛ばして仕掛けを破壊していく。

 7つめの仕掛けを破壊した時点で、流也は配下の術者たちに内部の調査を命じた。


「調査は社殿内の封印のみです。監視の目は中央の行路以外は潰していないので、道を決して逸れないように」


 若い術者のために、注意を促しておく。

 監視の目を全て潰してしまえば、いくらなんでも侵入者が居たことが丸解りになってしまう。

 だが、進入するのに必要な最低限の数だけならば、昨日の妖魔の手によるものだと誤魔化しも効くだろう。

 運頼みの部分が大きいのは不安だが。

 流也としても、これ以上良い考えは浮かばない。

 準備の時間が少なすぎた所為もあるが。





 境内をくぐり、神域に足を踏み入れた風術師たち。

 彼らは自身の呪力の痕跡を、風術によって打ち消しながら調査を進めていく。

 この辺りの手際に関しては風牙衆はお手の物だった。

 元々、一族の起源からして忍・乱波の流れを汲む者たちである。

 こういった隠密行動に関しては退魔師の中でも異数のものがある。


「異常は?」


「……若」


 流也の問いに、一人の老いた風術師が緊張した声をあげる。

 その声に、流也の目が鋭く細まった。

 この術者は退魔師として相当に長いキャリアを持っている。

 齢60に達しつつあり、戦闘に関しては引退も近いと言われているが、精霊統御や『この手』の調査技能に関しては相当優秀だった。

 流也もその点は信頼しており、今回の任務に同道させている。

 その老術者の報告なだけに、流也の表情にも緊張の色が見え隠れする。

 
「……何がありました?」


「こちらを、ご覧下さい」


 老術者は流也を促しつつ、社殿内の片隅に足を運んだ。

 後に続くように流也も社殿内に足を踏み入れる。

 流也は気を張って周囲に神経を尖らせる。

 が、見たところ異常は無いようだった。

 思わず首を傾げる。


「………特に変わったところは見当たりませんが」


 流也は少しばかり拍子抜けしたように言った。

 妖気か、あるいは妙な仕掛けでも見つけたのかと思ったのだが予想に反して、社殿内には異常は見当たらなかった。

 やがて、2人は社殿の最奥の一室に足を踏み入れた。


「部屋の四隅をご覧になってください」


 要するに、精霊を使って視ろということだ。

 言われたとおりに風の精霊に働きかけ、辺りを走査する。


「これは……」


 流也は訝しげな顔をした。

 社殿の中心にある退魔の封印。

 それを円状に囲むようにして微かな呪力の残滓が見受けられた。

 練達の風術師であっても、下手をすれば見落としかねない微かな量。


「妖魔……のモノではありませんね」


 ややあって、流也は呟くように言った。

 妖魔の発する妖気とは違う。

 もしそうなら、流也も一目見ただけで気づいたはずだ。


(……かといって、これは退魔方の呪力とも微妙に異なる……では…)


 思わず思考の海に沈みそうになる流也。

 そのとき、部屋に風張詠梧が入ってきた。


「流也様。そろそろ移動しませんと、巡回の者がやってきます」


「……わかりました。考えるのは後回しにしましょう。全員、偽装しつつ境内の外に撤収を」


「ハッ!」


 命令を受け、速やかに撤収していく風術師たち。

 最後の術者が出て行くのを見送った流也は、最後にもう一度社殿の中を見回した。


(とりあえず、無駄骨には成らなさそうですが)


 奇妙な呪力の痕跡に、いま一度目を向ける。

 パンパン!

 拍手を二つ。

 同時に、一陣の風が社殿の中を吹き抜け、呪力の残滓を打ち消していく。
 

「では、失礼を」


 部屋の奥に安置されている御神体に向かって頭を下げる。

 流也の脚がそろそろと動き、地に反閇を刻む。

 すると、流也の姿は徐々に揺らいでいき、やがて完全にその場から消えた。











    ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆











1995年1月16日 14:41
兵庫県 伊丹市 




 橘霧香は今年で18歳……高校3年になる。

 彼女の実家は、華道の家元として江戸・元禄時代からの伝統を持つ名家。

 高校は府内屈指の私立名門進学校であり、そこでの学業は常に学年トップ。

 運動神経についても他の追随を許さず、教師も霧香に対しては下にも置かない態度を取るという。

 一言で言うなら女王様。…そんな感じの女性だった。


「まったく……貧乏くじもいい所ね」


 その霧香女王は辛気臭い表情で愚痴っていた。

 原因は、今彼女が置かれている立場にあった。
 

「どうしたね霧香嬢。早くせんと仕事が終わらんぞ」


 からかうように、傍らに立つ壮年の陰陽師が笑う。

 今回霧香の支援のために付けられた分家の術者だ。


「承知しておりますわ。ここは私がやりますから、貴方は他をお願いします。

 ……陰陽師が二人固まっていてもしょうがないでしょう?」


「君に付いてろと言われてたんだが……まぁ良いか」


 分家の術者は軽く肩を竦めると、霧香とは別の方向に歩き去っていった。


(本当に……)


 術者の姿が消えるのを見送り、憂鬱げに溜息をついた。

 橘霧香は自他共に認める天才だった。

 出身家は……表向きには華道の家元となってはいるが……国内屈指の実力を謳われる陰陽道の名門『橘』。

 彼女自身は傍系の出ではあるものの、その退魔師としての実力は本家の術者に匹敵……いや、凌駕していた。

 思えば、それが問題だったのだろう。

 本家・分家を問わず、霧香に浴びせられるのは妬み・嫉みの嵐だった。

 今回の妖魔発生に関しても、霧香が偶々神戸市内にいたという理由だけで、『その場に居ながら適切な処置を怠った』などと難癖を付けられ、挙句にこうして 妖魔掃討に無償で駆り出されている。



 別に退魔師としての義務を果たすのに異論があるわけではない。

 だが、何の嫌がらせか陰陽師の基本武装たる呪符の支給まで渋られたのだ。

 札もなしに陰陽師が戦えるとでも思っているのだろうか?精霊術師でもあるまいに。


「出世したら、あんな忌々しい爺連中まとめて粛清してやろうかしら」


 なにげに危険な独り言を呟いている霧香。
 

(けど、そろそろ呪符のストックも少なくなってきたし、一度取りに戻ろうかしら)


 一応、出張ってきている本家の術者から補給を受けられることになってはいたが、いらぬ難癖を付けられるのは目に見えていた。

 それに、万一不良品でも掴まされた日には洒落にならない。


「ここからだと一番近いのは……篁神社だったかな」


 そんな事を呟きながら、霧香はまた一枚の札を投じて下級妖魔一体を撃破していた。





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