1995年1月16日 13:24
東京都 神凪本邸
陽も中天を過ぎようかという頃。
風巻兵衛は、離れの近くで庭木の手入れをしていた。
ちょうど書類仕事が一区切りついたので、気分転換も兼ねてやっている。
今頃神戸では、流也たちが妖魔と戦っているのだろう。
現地での調査・戦闘に関わる報告は、風牙と神凪双方から定期的にFAXで送られてくる。
「被災地での霊障は、思った以上に深刻らしい」
パチン!と鋏で枝の一つを切り落としながら、兵衛が言った。
「左様にございます。過去の事例を鑑みましても、此度の妖魔・邪霊の発生数は些か異常かと存じまする」
背後に控える着物姿の女性が、時代がかった口調で答えた。
風牙衆を構成する氏家のひとつ、風張家の当主である風張公恵。
各氏家の当主達の中では34歳と最も若く、それ故に氏家当主の中でも末席に位置づけられている人物である。
……とはいえ、基本的に男系承継の風牙衆にあって、女だてらに氏家当主を務めているというのは伊達ではなく、退魔師としては風牙衆でも指折りの実力者で
ある。
その実力は主に情報収集・解析の面で発揮され、氏家最長老の鷲山常邦が神戸に出向いている現在は、風牙における情報解析部門を事実上取り仕切っている人
物でもあった。
「神凪のほうからは、何か言ってきたかな」
「厳馬様より、追加の人員を送るようにと連絡が…」
「そうか」
鋏を動かして庭木の形を整えながら、気もそぞろな様子で答える兵衛。
何か考え事をするとき、兵衛はよく盆栽や庭木を弄っていることが多い。
こうすることで、精神的な余裕を保つのが目的だった。
動揺・悩みを余人に気取られるよりは、盆栽なり庭木弄りに熱中していると思わせておいたほうが、幾らかマシである。
「……現地の流也たちには注意を喚起しておけ。
この異変が人為的なものだとすると、相手を無秩序な低級魔の群れと侮るのは危険だ。
送る者の人選については、追って伝える」
「承知いたしました」
楚々とした仕草で一礼すると、公恵はしずしずと下がっていった。
建物の陰に公恵の後姿が消えたのを見届けると、兵衛は庭木弄りを止めて離れの縁側に歩み寄り、腰を下ろした。
無造作に置かれているFAX用感熱紙を手に取る。
先ほど、神戸から送られてきたものだった。
「無茶を言ってくれるな」
溜息交じりに兵衛は一人ごちる。
それは厳馬からの要請だった。
妖魔の大量発生についての調査命令。
その為の人員の追加派遣……それも10人!
「一時的なものとはいえ、これでは風牙の通常任務にも支障をきたすぞ。
……仕事量を削るか、あるいは送る人数を減らさないと如何にもならんなこれは」
風牙衆の術者は、純粋な風術師のみで63名。外部から雇い入れた退魔師が12名いる。
とはいえ、風術師のうち半数近くは、現役を退いた老術者か実戦に堪えない女子供である。
妖魔との戦闘に堪えるのは、せいぜい40名程度。
このうち既に神戸にいるものも含めれば20名が本家を離れることになる。
これでは神凪本邸の警備や渉外の仕事を通常の半数の人員で切り回さねばならない。
「宗主に話すか……まぁ一番うるさい四条の当主が出払ってるのは、この際好都合だが」
四条岳彦の厳しい強面を思い起こし、兵衛は肩をすくめた。
風牙衆を自身の手で切り回すようになってから常々思っていることなのだが、退魔集団という組織は呆れるほどに『人材の融通』が利かない。
これは伝統うんぬん以前に、退魔というスキルが基本的に血の繋がりによってしか承継されないことに原因があった。
例えば、普通の企業なら人手が足りなければ外部からアルバイトなり派遣社員を雇い入れることで帳尻合わせが出来る。
また、無能な人間はクビにして、外部から優秀な人材を引き入れることも出来る。
だが、退魔集団の場合は違う。
退魔師としての資質は、基本的に親から子へと血の繋がりによって受け継がれていくものだ。
故に、外部から人を招くことは出来ない(そもそも適性が無い)し、一族の人間を……たとえそれが無能であったとしても……軽々しく放逐することは出来な
い。
血の濃さが能力にダイレクトに影響する精霊術師などでは、特にこの傾向が強い。
「……まぁ、愚痴っててもしょうがないか」
やれやれと肩を竦めるつつ、『正也』の口調で一人ごちると、兵衛は徐に立ち上がった。
風牙の風
第14話 1995年B
1995年1月16日 13:24
兵庫県 神戸市
まだ朝靄の立ち込めている早朝。
風巻流也は、何の前触れも無く厳馬によって呼び出されていた。
「調査、ですか」
「そうだ。貴様たち風牙には、此度の妖魔発生の原因を探ってもらう」
「はぁ…」
流也は目をしばたたかせた。
既に主な結界の再構築は終了し、市街地近辺からは妖魔や悪霊は姿を消していた。
本来なら、現地の退魔集団に仕事を引き継いで東京に戻っても良い塩梅なのだが。
「震災によって封印の箍が緩んだせいではないのですか?」
「それだけが原因にしては、妖魔の発生数が多すぎるのだよ」
厳馬の傍らに、さも其処に居るのが当然のような態度で立っている見知らぬ老人が答えた。
流也は、一瞬胡散臭げに眉をひそめたが、すぐに表情を消して老人に問いただした。
「失礼ですが、貴方は」
「ああ、申し遅れた。私は神社本庁・退魔部局の州崎というものだ……一応は特級だが、まぁ実情は隠居のようなものでな」
そう言って笑う州崎だが、流也としては驚きを顔に出さないようにするのが精一杯だった。
特級……それを退魔師として得ている神職など日本中探しても片手で数えられる程度だ。
流也からすればとんでもない大物である。
どの位とんでもないかというと、神凪厳馬と公の場でタメ口がきけるくらいの実力者ということだ。
「そ、そうでしたか。失礼を」
微かに表情を引き攣らせながら、流也は先程の無礼を詫びた。
「いやいや、気にせんでくれ。……話を戻すが、今回の震災で解き放たれた妖魔の数は、ハッキリ言って異常なのだよ」
州崎老人は、まるで孫に昔話でも語って聞かせるように滔々と語り始めた。
「そもそも退魔の封印というのは天災のひとつやふたつで崩壊するほど柔なものではない。
よくある民話伝承などでは、落雷などによって妖の封印が破られるような描写がされているが、本物の封印はちょっとやそっとの衝撃ではビクともせん。
……まぁ封印そのものが長い歳月を経るうちに劣化していれば話は違ってくるが。
今回破られた封印に関して言うなら、半数以上は充分な強度を持っていることが確認されているものだった」
「何者かが故意に封印を破ったと?」
「その可能性が高い。」
「しかしこれは…我々ではなく高野山や神社庁の職域では?」
「事はそう単純ではないのだよ」
州崎老人は言う。
問題は神戸を含めた近畿という地域が、退魔方にとって聖域に近い場所であることだ。
日本に古くから在る退魔集団。
その多くは近畿地方にルーツを持っている。
陰陽師の橘しかり、土御門しかり。
関東を中心に活動する神凪にしても、その聖域は京都府内のホノカグツチを祭る山にある。
州崎が所属する神社庁も、その源流たる伯家神道は京都で生まれたものだ。
そして近畿に存在する寺社の中には、これら有力退魔集団の影響下にあるものも多く、勝手に立ち入り調査を行うのは問題があった。
「………だが、今は非常時だ」
そう言って州崎は人の良さそうな笑みを浮かべる。
しかしその笑みを見て、流也は唐突にいやな予感を覚えた。
「君たちに課せられた任務は市内の封印の調査」
「昨日の時点で既に終わっています」
「調査に漏れがあったことにすればいい。先にも言ったが今は非常時だ。多少の誤魔化しはきく」
「有力退魔の神域に……無断で踏み込めとおっしゃる!?」
流也は内心で悲鳴を上げたくなった。
そんな真似をして、もしバレたらどうなるか?
考えるまでも無い。
風牙のような弱小勢力では、下手をすれば一族の存続すら危うくしかねない。
「申し訳ありませんが、それは……」
「拒否は許さん」
断ろうとする流也の声に覆い被せるようにして、厳馬の恫喝するような低い声が響いた。
「そもそも貴様たち風牙を連れてきたのは情報収集のためだ。
このような時に動かずいつ動く。既に寺社のリストアップは済んでいる。今日中に全て調査してくるのだ」
必ず手がかりを、とは言わない。
そもそも、今回の妖魔発生が人為的なものだというのは厳馬と州崎の推測に過ぎないのであり、ただの杞憂というオチだって有り得るのだ。
流也としては、そんな思い付きのために一族を危険に晒すなと怒鳴りたい気分だった。
(人事だと思って気楽に言ってくれる……)
この2人からすれば、いざとなれば風牙に全責任を押し付けて処断してしまえば済むとでも思っているのだろうが。
切り捨てられる方としてはたまったものではない。
とはいえ、流也に選択の余地が無いのも事実だった。
相手は神凪の宗家……逆らえるはずも無い。
流也は暫しの逡巡の後、黙然と一礼した。
「……承知いたしました」
そう答えるよりなかった。