赤面する唯一の動物――それが人間である。



アメリカの小説家『マーク・トウェイン』の格言
































灼眼のシャナ 存在なき探求者

外伝 貫太郎異聞録・出会い




































「ふう、骨の折れる商談だったな…」


坂井貫太郎は地下鉄の出口を出たところで体をほぐすように伸びをした。

ロンドン地下鉄。リバプール・ストリート駅。

既に外は夜の帳が落ち、金融街シティとして名高いオフィス街も人通りは少なくなってきている。


「うーん、このまま帰ってもいいんだが、少し小腹が空いたな…」


外食すべきか自炊すべきか、しばし悩んでいる時。

ふと、違和感にとらわれた。


「おや。これは……」


目を擦って、改めて周囲を見渡す。

赤い、フィルターが掛けられたような世界。


「ふむ、私の眼がおかしくなった訳でもないようだが。ん?」


妙な違和感を覚えて懐に手をやる。

スーツの内ポケットに入っていた金属製のシガーケースが薄緑の燐光を放っていた。

これは一体どうしたことだろう?

顎に手を当てて、しばし考え込む。



オオオオオオ……



突然響いてきた獣の遠吠えにも似た叫びに、貫太郎は弾かれたように顔を上げる。


「あれは……」


それが何なのか、貫太郎には俄かに判別が付かなかった。

身長3メートルほどもある2頭身の人形。

何かのマスコットだろうか?

雪だるまにも似たずんぐりした白いからだ。

そしてその口に生えそろった肉食獣のような牙。



グルルルル……



聞くからに獰猛な唸り声を上げる異形。

明らかに敵意を剥き出しにしている。


「むう。どうしたものか…」


少しばかり顔を顰めて、辺りを見回す。






「ほう……封絶の中で動く人間か……何か宝具を持っておるようだな。」


ふと、貫太郎の耳にそんな言葉が聞こえてきた。

そちらを向いて、驚きに目を見張る。

色が意味を失うような灰色の、タイトなドレスを様々なアクセサリーで飾った、妙齢の美女が立っていた。

その右目には眼帯。

しかし目は二つ覗いている。

つまり、三つ目の女性だった。


いや、そんなことはどうでもいい。

貫太郎はすぐに余計な思考を切り捨てた。

ここには人を襲う異形の化け物がいて、その目と鼻の先に女性が立っている。

ならば…


「ふむ。助けないわけにはいかないな。」


きりりと表情を引き締める。その時……


グオオオオオ……


貫太郎が目を逸らしたのを隙と見て取ったのか、異形の怪物が突貫して来た。

どすん、どすん、と地鳴りを響かせつつ迫ってくる異形に、貫太郎は背を向けて走り出した。

追いかける異形を尻目に、貫太郎は通りの脇にあるレンガ造りの建物に向かって走る。


よし、いまだ!


壁にぶち当たる直前、頃合を見計らってジャンプ。

横の壁を、街灯を、足場に三角跳びを決めて急速方向転換を行う。


轟音。


そのまま避け損ねた異形はレンガの壁にまともに突っ込んでしまい、じたばたともがいている。

しかし、既に貫太郎の意識はそちらを向いていない。


女のほうを見据えて叫ぶ。


「逃げなさいお嬢さん!!」


「……は?」


女の口から呆気にとられたような声が漏れる。

直後。


「失礼!」


貫太郎は疾走する勢いを殺さぬまま、女を肩から半ば引き倒すようにして、そのまま横に抱え上げた。

いわゆるお姫様抱っこという奴だ。


「な……な……」


「アレから逃げるんで、少し辛抱してくださいね。」


混乱した様子で口をパクパクさせている女に安心させるように語り掛ける。

そのまま、人一人抱き上げているにも拘らず、殆ど速度を落とさずに、通りの角を曲がり全力で疾走する。

右へ、左へ、時には地下へ、

その後10分ほど休まず走り続け、ようやく貫太郎は立ち止まった。

さすがにその息は荒い。


「ふう……お嬢さん、怪我は無いですか?」


「ぇ……あ、ああ。」


呆けたように固まっていた女はその声でようやく我に返ったようだ。


「っ…!さ、さっさと降ろさんか!!」


「おっと、これは失礼。」


ぱちりとウインクして、女を下に降ろす。


「く……このような……」


やや乱れた胸元をきゅっと押さえ、か細い声を漏らす。

心なしか頬や耳が赤いような気がする。


「ふむ、もう撒いたとは思いますが、念のために警察に行ったほうがいいかもしれません。良ければそこまで送りますが?」


「よ、余計な世話だ!!」


「そうですか、ではお気をつけて。」


ぺこりと頭を下げて立ち去ろうとする貫太郎。

その背中に声がかかる。


「ぁ……待て……お、お前の名は?」


「坂井貫太郎といいます。それでは失礼しますよ、お嬢さん。」


最後にもう一度微笑んで、貫太郎は通りを歩いて家路についた。

その頃には既に、街は喧騒を取り戻しており、先程見たような異形の怪物は影も形も無く消えうせていた。

ふと、懐のシガーケースを見ると、既に薄緑の燐光はなりを潜め、くすんだ金属の光沢だけが街頭に照らされて鈍い光を発していた。




「不思議なこともあるもんだなあ…」



のほほんと、そんなことを呟いて貫太郎は仮の我が家であるアパートへと帰途に着いた。













後には3つ目の女一人が残されていた。


「サカイ……カンタロウ…」


貫太郎が去った方角をぼうっと見詰め、男の名を確かめるように反芻した。

















それから数日後。



欧州最大の“紅世の徒”の集団『仮装舞踏会』の最高幹部。

三柱臣(トリニティ)の一角を占める“王”が謎の失踪を遂げることになるのだが、それはまた別の話。



































続きませんよ?










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