翌日、早朝。

目覚ましではなく電話のアラームで悠二の眠りは破られた。


「こんな朝早くから…非常識にも程があるぞ。」


時計を見れば朝5時を回ったばかり。

目覚ましでセットした時間より1時間以上早い。

いやいや受話器を取ると、野太い男の声が聞こえてきた。


「もしもし?」


『んん?おお、坂井の坊ちゃんか、本人が出てくれて助かったよ。あんたのお袋さんは勘が鋭くていけない。』


聞き覚えのある声に、ぼやけていた頭が瞬時に鮮明になる。

ベッドから飛び起きると勉強机の引き出しをやや乱暴に漁ってメモ帳とペンを取り出す。


「……こんな早朝に電話するなんて、不味いことでもあったのか?」


『いや、どっちかってーと、不味いのはあんたの方だね。』


きな臭い雰囲気を感じ取り、思わず眉を顰める。


「詳しく聞きたいんだけど。」


『“狩人”って知ってるか?』


「ああ、昨日会って話したよ。」


受話器の向こうから唖然とした空気が伝わってきた。

予想外の返答だったようだ。


『よ、よく無事だったな。討滅したのか?』


「いや、ひとしきり宝具を自慢しただけ。僕のファンらしいね。」


気まずい沈黙が辺りを支配する。


『そ、そうか……いや、狩人が御崎市に入ったことだけ伝えたかったんだ。…ぶっちゃけどうだ、狩人をあんたが如何にかするのは?』


「無茶言わないでくれ。あんな物騒なのと戦うなんて。」


『あんたに無理なら“討ち手”を御崎市に送るしかないが?』


「は…?もう送ったんじゃなかったのか?」


昨日のフリアグネの様子からして、てっきりフレイムヘイズが現れたかと思ったのだが。

僕の早とちりだったのか。


『いや、まだこの情報は誰にも回してない。…フレイムヘイズに会ったのか?』


「いや、そういうわけじゃないが…」


『とにかく、狩人が出て行かないならフレイムヘイズを御崎市に入れるしかない。

 あんたには借りがあるが徒が好き放題やってるのを放って置くわけにもいかないんでな。』


「わかった。こちらでも善処するよ。何かあったら連絡する。それと、御崎市にフレイムヘイズは今のところいないんだな?」


『少なくとも俺が知る限りじゃゼロだ。というか、御崎市関係の情報は全部差し止めてるからな

 …あるとしたら他の外界宿が斡旋した連中か…』


「そか。……いや、それならいいんだ。」


『それと』


「まだ何かあるのか?」


『狩人とは別に雑魚が何体か入り込んでるようだ。封絶も碌にできんような“新参者”だが、騒ぎにならんうちに狩っといてくれ』


「わかったよ……じゃ、お仕事がんばってくれ。」


また厄介なことになりそうだ。

げんなりとした様子で、悠二は受話器を下ろした。




































灼眼のシャナ 存在なき探求者

第3話 フレイムヘイズ




































坂井家はとりわけ裕福というわけではないが、かといって貧しいわけでもない。。

父、貫太郎に、母の千草、そして僕の3人家族。ごく普通の中流家庭だ。

父は海外に単身赴任中で、今は母と僕の二人暮らしをしている。

まあ、半年前にうちに来た教授と、ドミノの本体も入れれば5人?になるのだが、

教授は僕の脳内の住人と化しているしドミノも最近は情報収集だとかでトーチの体(佐倉響子)に入って家にいないことが多い。

ちなみに母はこの二人の存在を知らない。

ドミノの本体については、普段は僕の部屋のクローゼットの中に隠れているし、教授の声は人間の千草には聞こえないからだ。

部屋を出て階段を下りていき、顔を洗って居間に入るといつも千草が座っている席に響子が着いていた。


「なんだ。家に戻ってなかったのか?」


悠二が言う家というのはドミノが依り代にしているトーチ『佐倉響子』の住んでいるアパートのことだ。

さすがに悠二の家に、いい年した大人の女性を理由もなしに居候させるわけにもいかないのでトーチの身分を利用しているわけだが。


「はあ、じ、実は家が。」


言いにくそうに、もごもごと口を動かす響子。

男装の似合いそうなクールな容貌の美女があたふたする様というのは可愛いと思います、はい。

これで中身がドミノでなければ……




まあそんな話しは兎も角。




……なんでも、昨日家に戻ったら住む場所が無くなっていたらしい。

アパートを追い出されたとかそういう訳でなく、アパートそのものが物理的に消滅していたというのだ。


「なんだそりゃあ。…なんかの自在法か?」


「封絶が使われたみたいだったのでー、何者かが戦闘を行ったのではないかとー。」


「…ま、建物ごと無くなってるなら只事じゃないわな…しかし、拙いよこれは。」


普通、人を喰らったり、“討ち手”と交戦した“徒”はトーチを残して戦場の傷痕、痕跡を修復する。

そうでないと、大きな存在の歪みが残ってしまいフレイムヘイズを呼び集めることになるからだ。

こんな事が何度も続くようだと、歪みを感知した“討ち手”が御崎市に集まってくることにもなりかねない。


「推測だけど……やったのはフレイムヘイズかもしれない。」


「フフフレイムヘイズですか?」


「“徒”がやったのなら痕跡の消去は間違いなくやるはずだ。そんな事もしない馬鹿者なら、まず狩人が放って置かないんじゃないか?」


自分が滞在している街でフレイムヘイズを呼び寄せる真似をするような阿呆が居れば誰だって腹を立てるだろう。

昨日見せてもらったフリアグネのコレクションには『波璃壇』があった。

かつて『支配』という行為に興味を持った“紅世の王”『祭礼の蛇』が、

己の支配する街『大縛鎖』を監視するために造り上げたとされる宝具。

あれで街の内部の存在の力の移動を監視しているフリアグネなら当然異変にも気づいたはずだ。


「建物を修復するだけのトーチが無かったと考えれば辻褄は合う。あそこは人通りの少ない場所だし。

 フレイムヘイズは人間をトーチ代わりに使うのを忌避する傾向があるしな。

 戦闘直後で存在の力が不足してる状態なら、そこまで気が回らなかったのかも…」


「な、なるほど!さすが教授が依り代とされるだけのことはあります!素晴らしい名推理です!カンドーです!」


「微妙に褒められてる気がしないな。……根拠の無い憶測だよ。ともあれ現場を見てみないとな。」


幸い早起きしたおかげで登校まで1時間以上余裕がある。帰宅部なので部活の朝練もないし。

響子が住んでいたアパートを検分するくらいの余裕はあるだろう。

しかめつらしく応じて昨日の残り物のピザを口に放り込んだ。

うん、一日も経つとさすがに不味い。










家を出ると、まだ日は完全には昇りきっておらず、寒々とした空気が肌を刺した。

悠二が住む御崎市は市の中央部を南北に縦断する真名川を挟んで、東側に都市機能を集中させた市街地。

そのベッドタウンとなる住宅街は川を挟んで西側という露骨なつくりをしている。

今歩いているのは住宅街だが、これも旧地主の屋敷が立ち並ぶ高級住宅街と、

真名川以東の都市部再開発に伴って整備された割と新しい住宅が並ぶ区画、

さらに古くからの瓦葺の住宅が多く見られる地域に分かれている。

ちなみに悠二の家があるのは真名川に程近い新築(もしくはそれに近い)住宅が立ち並ぶ区画であり、

元々空き地だったのを10数年前に某大手不動産が買い上げて住宅地として整備したところである。

再開発前は御崎市駅の近くにある、今は大きなビルが建っているあたりに家を構えていたらしいが、悠二は覚えていない。

これから向かうアパートがあるのは住宅街の西側で、市街地の整備以前からある古い住宅が立ち並ぶ辺りだ。

学校があるのは住宅街のど真ん中だし、時間にも余裕があるので遅刻はせずに済むだろう。

空はまだ完全に明けてはいないが人通りはそれなりにある。

朝練のある生徒や、会社員などにはこの時間に出勤するのが普通なのだろう。

ふと、悠二の横をすれ違ったサラリーマン風の男がフッ、と消えた。


『トーチ』だろう。


紅世の徒が人を喰らった後に残す代替物。

トーチの雰囲気は大体わかる。

『探耽究求』を身に宿すようになってから、あるいはひょっとすると『零時迷子』が転移してきてからかもしれないが、

悠二の眼には人々の存在の力が炎として見えるようになっていた。

人々が胸に宿す炎。

それが燃え尽きたとき、その人はこの世から存在ごと抹消される。

写真にも、絵にも、人々の記憶にさえ残らない。完全なる消滅。

考えている間に、また一人のトーチが悠二とすれ違う。こちらの炎はまだ2,3日は持つだろう。

そしてまた一人、会社に向かうOLが、ロードワークをする青年が、犬の散歩をする老人が、か細い炎を胸に悠二の視界を掠めていく。





やがて目的地であるアパートの跡地に着いた。

一見すると、そこはただの空き地。

だが、そこに微妙な違和感がある。

そこにあるべき“何か”が、世界からごっそりと欠落していることに。

地面を見ると、土の色がある地点を坂井に変色している。

おそらく建物の基礎部分があった辺りだろう。

地面と睨めっこしながら考えていた悠二に、教授の声がかかる。。


『どぉぉーうやら先客がいたようですね。』


「は………」


突然響いた教授の声に背筋を冷たいものが走り抜けた。

視線を地面から上げ、そして凍りつく。







眼前に立つ小柄な体躯。


その手には大太刀。


長い、焼けた鉄のような灼熱の赤を灯す髪。


マントのような黒寂びたコートを靡かせ、ソレはそこにいた。







『封絶』







その声とともに世界は紅蓮の炎に包まれた。





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