瓦葺の住宅が立ち並ぶ中にポツンとある山小屋風の店。



【キャトル・セゾン】



フランス語で四季を意味するそのパン屋は早朝の6時半から営業しており、交通の便の悪さにも拘らず、

休日には車で県外から訪れる客が引きも切らないという名店である。

建物の2階はカフェになっており、平日この時間帯は出勤前のビジネスマンやら登校前の学生によって賑わっている。

木製の落ち着いた調度品が並ぶカフェの一角。部屋の隅にある2人掛けのテーブルは今や店中の注目を集めていた。



神だ……


神がいらっしゃる……



目の前に展開されるその光景に、悠二は呆けたように見惚れていた。

頬を微かに桃色に染め、餌を頬張る小動物の如く焼きたてのメロンパンをハムハムとついばむ少女の姿。

薄緑のスナック部分をサクサクと咀嚼するときに僅かに浮かべる幸せそうな笑み。

そして一個完食するたびに微かに表情を掠めすぎる寂寥感と、次のパンを口に運ぶときの蕩けそうな笑みに、

悠二は思春期真っ盛り少年の下半身直撃で色んな所がエライことになっていた。

誓って言うが僕は決してロリコンではない。

幼児体型よりも胸とかメリハリのある方が好みだし……

だというのに、だというのに胸のうちから湧き上がってくるこの気持ちはいったい何なのだろうか?

このまま立ち上がったりすると前屈みは必至だろうが、そんな無様なところは見せられない。

鎮まれ息子よ、大丈夫、お前ならやれる、お前はやればできる子だ。


「おまえ、食べないの?」


「……ぁ、た、食べるともさ。うん。」


呆けたような表情で固まっていたところを少女に不審そうな目を向けられて、

悠二は慌てて手に持ったライ麦パンにレバーのペーストを塗る。

途端、少女の食事を一瞬とはいえ中断させたせいなのか、店内の他の客達から凄まじい殺気を向けられ、悠二は竦みあがった。


(……今席を立ったら殺されかねないな。)


悠二の背筋を冷たいものが滑り落ちる。

さりげなく視線を周囲に向けてみると、若い会社員から近所のお年寄りにいたるまで、

店中の客が悠二たちのテーブルを――――正確には悠二の正面でメロンパンを頬張る少女を――――息を呑んで見つめていた。

よく見ると御崎高校の生徒までいるではないか。なにハアハア言ってるんだ、顔覚えといてやるぞ。

そうこうしているうちに少女は最後のメロンパンを食べ終えてしまった。

無念。


「さ、さて、それじゃそろそろ……」


そう言って席を立とうとしたとき、


「お客様。追加をお持ちいたしました。」


前に立ちふさがるようにして、店の店員が立っていた。

さりげなく前に傾いてる気がするが、手にはお盆。

その上にはメロンパンの山。


「はい?頼んだ覚えないんですけど…」


「あちらのお客様からの奢りです。」


店員の指し示す方向に目を向けると、出勤前らしいビジネスマン風の男達がこちらに向けてサムズアップしていた。

ありがとう、ありがとうみんな。

感動に打ち震えつつ、少女に振り返る。


「さあ、たーんとおたべ。」




































灼眼のシャナ 存在なき探求者

第5話 乙女双璧 風雲編










































「どうだった?ここのパン屋って県外からも客が来るくらいの店だからね。結構イケるだろ?」


「……うん。」


先ほどまで食べていたメロンパンの余韻に浸っているのか、うっとりとした表情でうなずく少女。

くそ、僕を萌え殺す気か!?

結局、あの後1時間以上粘ってしまった。

少女が完食したメロンパンは15個、ココア4杯。

…ま、まあ最初に頼んだやつ以外は他の客からの奢りや店のサービスなので懐は気にしなくても良いんだが。

そこで少女をまじまじと見る。

いったい、この小さな体のどこにこんな量のメロンパンが入っていくのだろう。甘いものは別腹とかそういうレベルではないような。

ひょっとしてフレイムヘイズの体内に入った食物は胃の中で跡形も無く燃やし尽くされてしまうのだろうか?

むう、ありそうで怖いな。

そこでふと、あることに気づく。


(時計は……げっ!8時回ってるじゃないか!?)


完璧な遅刻である。


(急がないと欠席扱いに・・・それは不味い!!)


理由もなく学校を休んだりすれば、母が黙っていない。

のほほんとしているようでいて、こういうことには厳しいのだ。

おまけに勘も矢鱈と良いので、こちらの“事情”について誤魔化すのも一苦労である。

まさか“フレイムヘイズ”やら“紅世の徒”といったことを話すわけにもいかない。

母さんを巻き込みたくはないし…


(いや…というより怖いんだな…)


巻き込みたくないだの、母には普通に生きて欲しいだのというのは方便だ。

結局自分は知られるのが怖いんだろう。

自分が人食いの化け物と同類であることを。




「そ、それじゃ、僕は学校があるから。また機会があったら会おう。」


「うん。ばいばい。」


ほわほわとした表情で手を振ってくれる少女。

メロンパンの食いすぎで幼児退行でも起こしたのだろうか?

まあ、可愛いから良し。

少女に笑顔で手を振り返して、悠二は駆け出した。































『とぉーーーころで、彼女との話し合いはどぉーーうなったんです?』


「あ……」








     ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆








放課後を告げるチャイムが鳴り響き、生徒たちは各々、部活に、家路につく。

悠二も同じく鞄に教材をつめて教室を後にするところだ。


「それじゃ、部活がんばってね吉田さん。」


「はっ、はい。坂井君、また明日…」

「おい、坂井!」


突然二人の会話に佐藤が割り込んできた。


「ん、どうかした?」


会話が中断されたことを少し残念に思いながら佐藤に振り向く。


「なんか廊下でYFC(我らの頭上を春の日向の如く照らす癒しの女神・吉田一美嬢を陰ながら見守る同好の会)の連中が騒いでるぞ。」


「奴らか……また決起集会でもやってるのか?」


いやな単語を聞いて、悠二はしきりに舌打ちを漏らした。

YFC。悠二の中学時代に結成されたファンクラブなのだが、途中から創設者である池速人の手を離れ、

今では写真部と結託して吉田さんの日常を無断で盗撮しまくるというはた迷惑極まりない集団と化している連中だ。

なぜか知らないが悠二を目の敵にしており、これまで幾度と無く襲撃を受けている。無論返り討ちにしたが。

会員には生徒会執行部の役員から校内用務員、おまけに教員の一部までいるらしい。

世も末である。


「それは知らんが…なんかヤバそうな雰囲気だったぞ。坂井のコマシ野郎が吉田、年上のお姉さんに続いて今度は幼女に手を出したとか…」


「「「なにぃ!!!!!!!」」」





ざわざわ……





佐藤が言い終わったところで、会話を聞いていたクラス全員が悠二を睨みつけてきた。


「坂井!!吉田だけに飽き足らず……ハーレムか!?ハーレムでも造る気か!?貴様、トルコの皇帝にでもなったつもりか!!」


「てめぇ…吉田、年上のお姉さんに続いて今度は幼女だと!?」


「坂井君、一美と仲良いくせに他の娘にまで粉かけるなんて…」


「幼女の次は何だ!?母親か!?手前のママに手ぇ出すつもりかゴルァ!?」


し、失礼な連中だ。

僕はそこまで変態じゃないぞ。

……幼女ねえ…ひょっとすると今朝のパン屋の一件を嗅ぎつけられたか?

確か、あそこには御崎高の生徒もいたはずだし。

しかし佐藤め、そういう危険な発言は時と場所を選んで欲しいな。


「みんな。坂井君はそんなことする人じゃないよ。」


人差し指をピッと立てて皆を窘める吉田さん。

いわゆる「めっ」のポーズだ。

ホントこういう仕草が似合う人だよなァ…癒される。

まあ吉田さんの場合、僕のことを信じてるというより単に真実を知ってるだけなんだけどね。


皆が騒ぎ立てている『年上のお姉さん』というのは人間バージョンのドミノのことで、悠二の裏事情を知っている一美とは面識があるのだ。

おそらく今回も似たような事だと思っているのだろう。…悠二はそう考えた。


「それじゃ吉田さん、事情はまた今度説明するから。また明日ね。」


「う、うん。さよなら坂井君。」


挨拶を交わして廊下に出る。

途端、四方八方から襲い掛かってくる男子生徒の魔手を掻い潜り悠二は全力で駆け出した。


「くっそ!坂井が逃げたぞ!」


「追え!捕らえろ!」


続いてYFCと毛筆で書かれた鉢巻を締めた男子生徒の一団が怒涛の如き勢いでそれを追いかけていく。


「逃がすな!!ヤツの首を獲って吉田さんに捧げるのだ!!」


サロメじゃあるまいし首なんぞ送りつけられても迷惑なだけだと思うが。

そんなどうでもいい事を考えながら、悠二は階段を5段飛ばしで駆け下りていった。








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