「はぁ〜、いつもの事ながら落ち着きのないクラスよねぇ」


男子の半数近くが悠二を追いかけていった為、今は人が疎らな1年2組の教室。

男どもが出て行ったスチール製の引き戸を呆れたように見ながら平井ゆかりが呟いた。


「ど、どうしたんだろ。坂井君とどこかに出かけるのかな?」


「……一美、それ本気で言ってる?」


「え…だって…みんな坂井君を追いかけて行ったみたいだったし」


しきりに首を傾げる一美。

平井は彼女の頭の上に幾つものクエスチョンマークが浮かんでいる光景を幻視した。

どうやら本気で困惑しているらしい。

処置なしとばかりに肩を竦めた。


「やっぱり坂井君、男の子の間でも人気者なんですね……優しい人だもの」


窓の外を見ながらほにゃっと微笑む一美に、平井は「ごちそうさま」とパタパタ手を振った。

他人の惚気話など聞かされてもリアクションに困る。


「……坂井君も果報者だねぇ」


「へ?」


目をぱちくりさせている友人を見て、平井は苦笑を浮かべかけ―――――彼女の後ろでゆらりと立ち上がった人影に表情を凍りつかせた。


「……ふ…」


先ほどの騒動にも加わらず、じっと席について日誌をつけていた男。


「…ふふ…ふふフフフ……フフフ負負負腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐腐……」


池速人は、地の底から響くような怨嗟の篭った笑い声を響かせて立ち上がった。

その全身に満遍なく纏っている負のオーラに、教室にいる女子は思いっきり引いていた。


「坂井…お前という奴は……」


ボソリと呟き、鞄の中に、教科書、ノートの類を手早くしまっていく。


「田中?」


「は、はいっ!!?」


表情だけ笑顔を取り繕った池に声を掛けられ、

友人の佐藤と一緒に帰ろうとしていた生徒、田中栄太は弾かれたように立ち上がり、気をつけの姿勢をとった。


「すまないが、俺の代わりに教室の戸締りをお願いしてもいいかな?」


「お、お任せください!サー!!」


冷や汗をダラダラ流しつつ敬礼する。


「それじゃみんな、さようなら」


目には暗い光を湛え、口元だけ笑みの形に歪めて言う。

その禍々しさに、教室にいた女子が数人、床にへたりこんで啜り泣きを始めた。

その惨状を黙殺して、池は駆け出した。

一人の少年を追って。





































灼眼のシャナ 存在なき探求者

第6話 夕日の下で




































30分後。




夕焼けが街を赤く照らしだす中。

住宅街の一角、新御崎公園にて、二人の少年が対峙していた。

彼らの周囲にはYFCと書かれた鉢巻を締めた詰め襟の高校生が死屍累々と横たわっている。


「坂井、今日という今日は許さんぞ」


「なあ池、ちょっとは僕の話も聞いて欲しいんだけど」


「問答無用だ!」


夕日をバックに2人の少年が対峙していた。

坂井悠二。

池速人。

片や“紅世の王”をその身に宿す強大なるトーチ。

片や小学生の頃からクラス委員、児童会、生徒会の会長を歴任してきたカリスマ秀才少年。

暫く睨み合ううちに少し落ち着いたらしい池が、ややあって口を開いた。


「俺は……お前になら吉田さんを任せてもいいと思っていた」


寂寥感を湛えた表情でぽつぽつと語り始める池。

いや、その割にはファンクラブ作ったりして未練タラタラだったような気がするのは僕の気のせい?

悠二が突っ込みを入れたいのを我慢している間に、池の表情が再び怒りと嫉妬に引き攣っていく。


「だと言うのに。お前というヤツは……吉田さんとにゃんにゃんする傍らで美人のお姉さんとお付き合いして挙句に今度は幼女だと!?

 羨ましくて拳も唸るわ!!」


「まてや」


冷や汗をタラーリを流して顔を思いっきり引き攣らせる悠二。

対する池はピーカブースタイルに身を屈め、シュッ!シュッ!とジャブを繰り出しながら悠二との間合いをジリジリ詰めはじめた。

それに合わせて悠二もジリジリと下がる。


「な、なあ池。僕と吉田さんは別に付き合ってるわけでは…」


「クッ、またいつものお惚けか?誕生日やバレンタインに手編みのセーターとかマフラーを渡されるような奴が付き合ってないだと?」


そう切り返されて、悠二は言葉を詰まらせる。

冷静に考えてみれば……確かにそうだ。

相手がただの友人ならそこまで尽くしてはくれないだろうし、吉田さんが自分以外にそういった品を送ったなどという話は聞かない。

してみると、吉田さんが僕に惚れてると?まさかね。

とはいえ、反論の言葉が見つからないのも事実。


「むゥ………言われてみると確かに」


「くわ!?」


否定できる要素が見つからなかったらしく、悠二も首を傾げて考える。

そんな悠二のリアクションに、池は更に額の青筋を増やす。


(うーん、早く帰りたいんだけどな)


普段落ち着いてるように見えて、池は意外と感情の起伏が激しいタイプだ。

処理しきれない感情を内に溜め込んでおく性質なものだから、偶にぶち切れると手のつけようがなくなる。

例えば今回のように。


「キシャアアアアアアアッ」


奇声を上げて蹴りこんでくるのを見事なスウェーでヒラリとかわし、ふたたび間合いを開ける。


(くっ…凶戦士化…怒りに我を忘れてるな。いつもの例から考えて、あと5分も暴れれば落ち着くんだろうけど…)


そう思いながら周囲に視線を巡らせる。

今の時間帯、近所の保育園から帰る子ども達が公園に寄ってよく遊んでいるのだが…


「あら奥さん、あそこにいるのは坂井さんの所の坊ちゃんじゃありませんか?」


「まあホント!一緒に遊んでいるのは…池さんのお宅の速人君ね!」


「あらあらまあまあ…元気にはしゃぎ回って、男の子は幾つになっても腕白ですわねえ」


「本当に、それに引き換えウチの子ときたら家に篭ってピコピコばっかりやって」


「ほら、健ちゃんもお砂場で遊んできなさい。おっきなお兄ちゃんたちの迷惑にならないようにね?」


ふと、風に乗ってそんな近所の奥様方の話し声が耳に届いた。

この光景を見て和やかに談笑し、あまつさえ我が子を修羅場と化した公園に遊びに行かせる辺り、

御崎市の主婦たちの汚染の度合いは深刻なようだ。


(ああくそ、しょうがない……さっさと終わらせるか)


子供が巻き添えになったりしたら洒落にならないと思い、悠二は逃げるのをやめて池に向き直った。


「あ、吉田さん!」


「なにィッ!!!??」


悠二の一声に、池は目を剥き後ろを振り返った。

背後の悠二に無防備な背中を晒したまま……


「悪く思うな……よっ!!」


一気に間合いを詰めた悠二は素早く池に当身を食らわせて気絶させた。

力無くクタリと地に倒れ臥した池を近くのベンチに寝かせる。


「ふう、これでやっと帰れるな」


コキコキと首を鳴らして、悠二は今度こそ家路についた。







    ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆







「ただいま〜」


「あ、お帰りなさい悠二さん、お父様からお手紙届いてますよ」


玄関をくぐると、悠二の帰りを待っていたらしい響子がエアメールを一通差し出してきた。

一応家にはパソコンがあるのだけど、父さんは何故かいつも紙の手紙をよこすんだよね。

何でも手書きならではの温かみが欲しいのだとか。

父さんもノートパソコン持ってる筈なんだけど……それは兎も角。

ペーパーカッターで軽く切れ目をいれ、封を開けると、いつものように近況報告の手紙と数枚の写真が入っていた。


「ふーん、今はロンドンにいるのか」


この前まではリオデジャネイロにいた筈なんだけど…一体どういう仕事をしてるんだろうか?

父が言うには“人助け”をする仕事らしいのだが。

数枚の写真をパラパラめくっていくうちに、一枚の写真が目に留まった。


「ん!?こ、これは…」


ギョッと目を見開いて、その一枚を凝視する。

そこには父と並んでなにやら妖艶な雰囲気を醸し出している金髪美女が写っていた。

3つ目で眼帯をつけた露出度の高い格好……コスプレイヤー?

しかもなにやら妖艶な笑みを覗かせて父さんの腕に抱きついてるし。


「父さん、あんたって人は…」


嘆かわしいとばかりにふるふると首を振る。

淡白な顔して、意外と爛れた生活とか送ってるんだろうか?浮気?

こんな、ちょっと性格キツそうな美人つかまえて…父さんも若いねえ。

というか、これ母さんに見せたらどんなリアクションが帰ってくるか、ちょっと興味があったり無かったり(どっちだ!!)


「悠二さーん、写真の裏に何か書いてありますよ」


む、気づかなかった。

写真を裏返すと、そこには『友人と2人で』という手書きの文字。

うん、父さんの筆跡だね。僕は信じてたよ。


「そういえば写真で思い出したけど……母さん、明日には帰ってくるんだっけ」


「どういう連想ゲームですか…」


響子の突っ込みを華麗にスルーして壁に掛けられたカレンダーを見る。

明日の日付の欄に赤い二重丸が書かれていた。でもって“母さん帰宅”の朱書。


「おいドミノ。今日はウチに泊まるから良いとして、明日から家とかどうするんだ?」


流石に母さんが帰ってきたら響子を家に泊めておくわけにもいかない。

しかしそうなると響子はどこで寝泊りする気なのだろうか?

いくらなんでもアパートの跡地で野宿というわけにもいくまいし…響子なら本気でやりそうだけど。


「ああ、それでしたら悠二さんが学校言ってる間に確保しておきましたから大丈夫ですよ」


あははー、と緊張感の無い笑い声とともに響子は答えた。


「確保って……」


瞬間、悠二の脳裏に燐子形態のドミノが民家に押し入り、食卓を囲って仲良く談笑している一家を纏めて喰らい尽くす光景が浮かんだ。

悠二の顔が引き攣る。


「くっ、拙い…幾らなんでもそれは拙すぎるぞ!」


「あ、あのー、普通にホテルに泊まるつもりなんですけど…」


悠二の表情が激変していく見かねた響子がおずおずと説明する。


「そ、そうか…いやちょっと待て!ホテルに泊まるような金は持ってるのか!?」


「ええまあ、この身体の持ち主が…ですけどね」


「……………………………ああ!」


それでようやく得心がいった。

しかしそれなら昨日のピザの代金だってもってくれても良かったじゃないか。


「何言ってるんですか。ヒモみたいなのは嫌だから私のお金は受け取らないって悠二さんが言ったんじゃないですか」


「へ?それっていつ…」


「半年前、この家に来たばっかりの頃に」


「そ…うだっけか?」


言われてみればそんな事を言ったような気もする。

確かに、自分の小遣い稼ぎを他人にやらせるというのは情けない話ではある。


「うーん、そう言われると…そんなこと言ったような気も……まあいいや、兎に角、住む家の当てはあるってことだな?」


「ええ、ホテルに泊まりながら新しいアパートでも探しますよ」


そう言って響子は快活に笑った。









    ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆









月の影がうっすらと空に浮かんだ夕刻。

昼と夜の境界。

日常と非日常の境界。

現世と常世が交差する刻限。

古来、この国の人間は自分たちの暮らす世界に幾重もの境界を作り出してきた。

人知の及ばぬ事象、災厄――――すなわち、人が『物の怪』や『妖怪』などと定義する者どもは、この境界領域に出没すると考えられてきた。

そして人々は、この境界領域を指してこう呼んだ。

『逢魔が刻』と。







人気の無い路地。

日も暮れかかり、繁華街からも離れていることから人通りが極端に少ない市街の一角を、一人の会社員が歩いていた。

右手に手帳を開き、左手は携帯を耳に当てて話し込んでいる。


「――――ええ、はい。……そうです、機材の納入先については当方から追ってご連絡を…ええ、そうです。」


熱心に話しこんでいる彼は前方から歩いてくる人影に全く気づかなかった。


「ありがとうございます、それではまた後日…ええ、失礼いたします。」


電話を切った直後、彼は前から歩いてきた人物とぶつかった。


「うわっ…と、す、すみません。大丈夫でしたか!?」


刎ね飛ばされたように、尻餅を付いてしまった相手に慌てて声を掛ける。


「……………」


今日は一日中晴れていたというのに、何故かレインコートを―――フードまで目深に被って着込んでいる相手に、

その会社員は薄気味悪いものを感じた。


「……あの、どこか怪我とかは」


内心を押し隠しつつ、気遣うように尻餅を就いた相手に手を差し伸べる。

レインコートの人物はその手をじっと見つめてから、おもむろに手を伸ばした。

ホッと安堵の息を漏らす会社員だが、レインコートの人物に手を握り返された瞬間、その粘つく異様な感触に悲鳴を上げた。


「ヒッ!!」


慌てて手を引っ込めようとした直後、レインコートの中から腕―――それも鳥類のそれに似た巨大な腕が飛び出し、男の顔を鷲掴みにした。


「ヒギィッ!ァ…ァガガカ……ハ…ァ…」


異形の腕に顔を掴まれた瞬間、男は白目を剥き、激しく痙攣を始める。

やがてそれが収まってくると、男の輪郭が爪先から徐々にぼやけていき、

浅黄色の火の粉となってレインコートの中に吸い込まれていった。





そして再び、路地に静寂が戻る。





―――――――――タリナイ…






ズルッ…ズルッ……




レインコートの中からくぐもった様な声が漏れ、引き摺るような音と共に、ソレは再び歩き出した。





まだ見ぬ獲物を求めて……





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