風の聖痕    黒の断罪者・蒼き継承者

第弐話    疑念

 

 

 

 

夜の風が吹き荒み……公園内 に吹き抜ける………

異様な空気を生み出している のは、その公園の中心に存在する二人の男女………

 

 

八神和麻と闇乃百合………

 

 

月明かりが照らされる中で、 和麻の顔を視界に収めた百合の眼が驚愕に見開かれる。

「……翔……麻…………」

呆然と呟く百合に対し、和麻 は困惑する。

自分は、眼の前の女と面識は ない……それに加えて、百合の周囲に漂う炎の気配……だがそれは、神凪とはまったく異質なものを感じ取らせる。

「お前………誰だ?」

警戒した面持ちで問い掛ける と……百合はビクッと身を一瞬硬直させた。

そして……右手を握り締め、 表情を俯かせる。

(そうよね……翔麻のは ず……ない…………)

諦めと哀しみに想いを馳 せ……数秒瞑目するが…やがて、同じように警戒した面持ちで和麻を見上げた。

「………人に名乗らせる前 に、自分から名乗るが礼儀じゃないの?」

微かに低い声で問い返さ れ……和麻は一瞬、眼を丸くするが…やがて、プッと噴出した。

「ははっ…それは悪かった な………俺は、八神和麻だ」

「私は………」

 

―――――ドクン……

 

苦笑を浮かべる和麻に答えよ うとした瞬間、百合の心臓が大きく脈打った。

(まさか……っ、まだ…足り なかったの……っ!)

舌打ちし、右腕を左手で抑え るが……呼吸が乱れ、膝をつく。

「お、おい…どうしたっ!」

その尋常でない様子に、和麻 は今迄の警戒が吹き飛び、思わず駆け寄る。

「うっ…うぅぅ………」

苦悶をもらし……意識が遠の く………身体が支えを失い…そのまま前のめりになり、倒れそうになったところを和麻が抱き止める。

薄れゆく視界の中で…百合の 眼には、和麻の顔がある人物と重なる………

「……翔…麻…………」

小さな弱々しい声で呟き…右 手で和麻の頬に触れようとするが……そこで百合の意識は途切れた………

完全に和麻に身を委ね、意識 を失う百合………

怪訝そうな表情を浮かべてい た和麻だが、放っておくのも気が引けて、仕方なくその身を抱きかかえる。

その時……だらんと垂れた右 腕が、微かに視界を過ぎった………和麻は、一瞬眼を細めた。

黒い炎のような痣が走る…そ の右腕に………

 

 

 

 

 

その日、神凪本邸では和麻の 噂で持ちきりだった。

慎治の報告を聞いた長老達が 暇潰しに噂をばら撒き合っているのだ。

宗家の出来損ないが、母の胎 内に全ての才能を置き忘れてきた上澄みが少しはましな力を身につけて戻ってきたらしい。誰もがそう笑い飛ばした。

だが極一部には例外もいた。 そのうちの一人が現宗主である神凪重悟である。夕食の席で笑い話として語られた一件に、重悟はことのほか興味を示した。

「ほう、和麻が風術を?  知っていたか、厳馬?」

臨席していた従兄であり、話 題の和麻の父親である神凪厳馬に話を振る……

「……は」

厳馬は短く答えた。既に噂を 耳に入れていたらしく、動揺している様子はない。しかし喜んでいないことは明らかだ。それもそうだろう……その息子の和麻を神凪より追放したのは他ならぬ 自身なのだから……

苦虫を噛み潰したような顰め 面で、拳を硬く握り締めている。

眼の前に和麻がいたら絞め殺 してやりたい……そんな顔つきだった。

「お恥ずかしい限りです」

「別に恥ずかしいことではあ るまい」

重悟は軽く返すと、召使に命 じた。

「詳しく話が聞きたい。慎治 を呼べ」

「畏まりました」

 

数分後、呼び出された慎治は 畳に額を擦りつける程に平伏していた。緊張のあまり、額には汗が浮き、呼吸が乱れる。

既に、自分は今回の失敗で謹 慎を受けた身……神凪一族において、宗家と分家という身分の差は絶対的と言っていい。下克上など、夢想することさえ愚かだ。

伝統、格式――――そのよう な抽象概念による制度ではない。両者を隔絶させているのはただただ圧倒的なまでの力の差だった。

もし仮に、分家の術者が総が かりで挑んだところで、重悟や厳馬にかかれば、小指の先で捻り潰してしまえるのだ。その絶望的な力の差を前に、叛意など抱けるものではない。

純粋な血の薄れた分家が…宗 家に敵うはずもない……同じ精霊王の加護を受けているとはいっても、その能力には天と地ほどの差があるのだから……これもまた、力だけが己を顕示する唯一 の方法という弱肉強食の概念を神凪は持ち合わせていた。

慎治が緊張するのも無理はな いと言えるだろう。神にも等しい自身の絶対的上位者である重悟の前で、無様な失敗談を語らなければないのだ。それこそ生きた心地もしなかった。

「顔を上げよ。そう畏まるこ とはない」

重悟は気さくに話しかける が、宗主の顔を見て話すことは、慎治にはあまりにも畏れ多すぎた。結局、顔を上げたものの、眼は伏せたまま畳を見たまま報告をする。

「で、では、ご報告をさせて 頂きます」

 

 

 

「……そうか」

慎治は全て話し終えると、重 悟はそう言って、暫し沈黙した。

「……そうか」

確かめるように、考えを纏め るように、もう一度繰り返す。

軽く眼を閉じ、四年前に出奔 した甥―――性格にはもう一親等はなれているが、面倒なのでそう称す―――に当たる男の記憶に考えを馳せる。

(……哀れな子供であった)

神凪の家にさえ生まれなけれ ば、優秀な子供として暮らせただろうに…知能に優れ、運動神経も良く、術法の修得においても秀でた才能を示した。ただひとつ、炎を操る素質がないことを除 けば…しかし、神凪一族において炎を操る才能は、他の何よりも重要視されている素質だったのだ。それゆえに、和麻は他の者から無能者扱いされた。

(なぜ私を頼らなかった、和 麻。家を捨てる必要などなかったのだ。私ならばお前の居場所を作ってやれたのに………厳馬が何を言おうと、炎術に拘らず、お前の才能を生かしてやれたの に………)

たとえ、それが宗主としての 地位の乱用だと解かっていても…重悟は思わずにはいられなかった…やるせない感情のまま、重悟は自分の右足を見下ろした。金属とプラスチックでできた、作 り物の右足を。あんな事故さえ起こらなければ、『継承の儀』を急がなければ、和麻は今でもここにいたのだろうか?

しかし、全ては遅い…和麻は 家を、姓を、神凪の全てを捨てて日本を離れた。

たとえ、それが本人に様々な 経験を積ませ、成長させたとしても……もうそれは変わることのできない現実であり…もう戻ることもできない過去でしかない。

「……宗主?」

気遣うような声が、重悟を思 考から現実へと引き戻した。周りを見渡せば、皆、気まずそうな顔をしている。無理もない。この中で和麻を蔑まなかった者など、ほとんどいない。

宗家の人間であることもまた 災いした……分家はこぞって和麻を無能視し、蔑さんだ。

しかし、和麻を追い出した張 本人である厳馬は顔色ひとつ変えず言い放つ。

「宗主。和麻は既に神凪とは 縁のない者。お気になさる必要はございますまい」

「厳馬、そなたは自分の息子 を……」

「私の息子は煉ただ一人にご ざいます」

宗主の言葉を遮り、厳馬は平 然と言い切った。

この男もやはり、父である前 に神凪の人間だということだろう……憤りを覚えるも、不毛な言い争いを嫌ったのか別の話題を口にした。

「もうよい。和麻は結局、風 術師として大成したのだ…神凪を出て正解だったかもしれん…それとも兵衛、お前のところに預けていれば、よき力となったか?」

「かも、しれませぬ」

下座にいた風牙衆の長は、 むっつりと答えた。

「畏れながら、風術など所詮 下術。炎術の補佐をするのが関の山でございます。仮に4年前に和麻に風術の才があると分かっていても、風牙衆などに預けるくらいならば、迷わずあれを勘当 したことでしょう」

己の技を公然と侮辱され、兵 衛は屈辱に顔を歪める。しかし誰も兵衛の顔など見てはいなかった。

戦闘力に至上の価値を見出す 神凪一族にとって、探知・戦闘補助を役割とする風牙衆の地位は限りなく低い。厳馬の言葉は暴言ではなく、神凪では共通の認識に過ぎなかった。

だがそれは傲慢な、愚かな考 えだ。何事にも一長一短はある。精霊魔術の4つの分類にもそれぞれ長所と短所がある。

力だけではどうしようもない ことがこの世には多々ある。それを解からない彼らは愚か者でしかない。もっとも、今迄精霊王の加護のみに縋り、決して自分達よりも強い相手と相対したこと の乏しい神凪には、それを理解しろとも言うのも無理なことかもしれないが……そして、力を誇示し、それに溺れる者は、それ以上の力によって淘汰されること を……

「……この話はここまでにし よう。飯が不味くなる」
そんな中、重悟の言葉に皆は明らかにホッとした表情を浮かべた。申し合わせたように明るい話題を話し合い、他愛のないジョークに腹を抱えて笑った。

ぎこちなくも、いつもの食堂 の雰囲気が戻っていく。それ故に誰も兵衛の眼宿る冥い光に気がつかなかった。

兵衛は顔を伏せ、自分の耳に も届かないほどの小さな小声で呟く。

「この屈辱、忘れはせぬぞ、 厳馬め……」

 

 

 

 

 

 

同時刻……都内の某ホテ ル…………

「…うっ………うぅぅ ん………」

瞼が動き……微かに身じろぎ しながら、百合は眼を覚ました……背中に当たる柔らかな感触と、天井から差す鈍いランプのような灯りに眼を瞬きさせ、身体を起こした。

まだ覚醒していない頭を振 る……ようやく視界がはっきりしてくる。

見渡すと……自分は、ホテル のような一室にいるらしい…しかも、自分が今迄寝かされていたのは、ダブルベッドだ。

「お……眼、覚めたか?」

その声にハッとし、振り返る と…そこには煙草を吹かす和麻がベッドの端に腰掛けていた。

「貴方……」

その顔を見て…ようやく気を 失う前のことを思い出した。

「感謝しろよ…気失ったお前 をここまで運んでやったんだからな」

胸を張る和麻……もっとも、 ホテルなのは単に和麻はまだ日本に戻ったばかりで、住む家がないだけなのだが………

「一応…礼は言っておくわ」

素っ気なく答えると、視線を 逸らす。

そして、ベッドから身を起こ し…手近にかけてあったコートを取る。

「おいおい…もうちょっと誠 意ある感謝をしてほしいな」

先程の礼だけでは不満なの か、和麻はニヤニヤした笑みを浮かべ、それを聞いた百合はクスリと妖艶に微笑む。

「あら……私の身体が目当 て?」

挑発するような口調で振り向 くと…和麻がゆっくりと近付く。

「ああ…それでもいい が………」

百合の腕を掴むと、それを持 ち上げる。

息を呑む百合の前で、右腕を 覆っていた裾を引っ張り、その肌を晒す。

「先ず、聞きたいのは……こ の腕についたやつについてだな」

軽薄そうな雰囲気が抜け…探 るような眼光を向ける………捲られた裾から現われた百合の右腕には、黒い炎のような痣が浮かび…それが右腕から身体へと拡がっている……

百合は一瞬、意表を衝かれた ように言葉を呑み込むが……やがて歯噛みし、無理矢理和麻の手を振り払う。

こちらを睨む百合に、和麻は 肩を竦める。

「その腕…いや、お前から感 じる波動は確かに炎の気配………だが、神凪じゃないな…連中の炎とは完全に対極に位置するものだ」

その言葉に…ビクッと身を硬 直させ………右手を握り締める。

「それともう一つ………お 前、人間じゃないだろ?」

何気ないような発せられた言 葉……だが、それは百合の眼を大きく見開かせた。

素早く和麻と距離を取り、壁 に立て掛けてあった刀を掴む。

「おいおい…落ち着けって。 俺は少なくとも、お前と争う気はねえよ」

手をひらひらさせる和麻に、 怪訝そうな表情を浮かべつつ、構えを微かにとく。

「言葉が悪かったな……正確 には、お前は普通の人間じゃない………もっとも、お前が誰であっても、別に俺は構わないんだがな」

「なら何故…私の正体を聞き たがる?」

未だ警戒心を解かない百合に 対し、和麻は一瞬考えるような動作を浮かべるが……やがて、からかうような眼を浮かべる。

「…単なる好奇心?」

「……は?」

思わず眼が点になった。

「いやなに……お前みたいな 美人のことを知りたいと思っただけさ」

そう言い切った和麻に……百 合は暫し唖然となったが…やがて、プッと噴出した。

「あははは……あんたって面 白いわね」

腹を抱え、眼元に微かに浮か んだ涙を拭いながら、百合は笑みを噛み殺す。

こんな風に笑ったのはいつ以 来だろ………不意に、そんな考えが過ぎるが……それが未練だと悟ると、自嘲気味に笑い、姿勢を正す。

「…悪いけど……ひ・み・ つ」

悪戯っ子のような小悪魔的な 笑みを浮かべ、話をはぐらかす百合に、和麻が声を上げた。

「そりゃないだろ……」

「あら…いい女は秘密をいく つも持っている者よ」

肩を落す和麻に言い聞かせる ように呟くと、コートを羽織り、その下に鞘を入れる。

「さて、と……」

準備が終わったのか……百合 は和麻を見やる……そして、徐に近付く。

「秘密は教えてあげられない けど……お礼はするわ」

和麻の手前で微かに笑うと、 そのまま顔を近付けた。

 

 

次の瞬間……百合の唇は和麻 の唇に重ねられていた………

 

 

流石の和麻も眼を見開き、呆 然となる。

「ふふふ……じゃあね、風の コントラクターさん」

最後に笑い掛けると……百合 は背を向ける………そして…数歩離れていくと…足元から沸き上がった黒い炎が彼女を包み込み……その中に消えていった………

残された和麻は暫し魂を取ら れたように佇んでいたが……やがて、ポツリと呟いた。

 

 

 

「黒い炎……それにあの 眼…………俺と同じか」

 

 

 

あの眼は忘れるはずもな い……なにせ…以前は自分も持ち併せていたのだから………

哀しみと憎悪が入り混じった 眼を………

 

 


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