風の聖痕    黒の断罪者・蒼き継承者

第七話    破滅の黒炎

 

 

 

 

「………私は、手加減はしな い……向かってくる奴は…全て…殺す」

背中越しに小声で呟く百合 に、和麻は一瞬呑まれそうになる……自分にこそ向けられていないが、背中越しからでも感じる威圧感と殺気……間違いなく本気であった。

和麻にしてみれば、二度と動 けないぐらいに再起不能ぐらいまではやるつもりだったが、命を取るまでは思っていなかった……死んだら、そいつの運が悪かったと思うだけだ。

「………あの小娘は私がや る」

百合の視線が、綾乃に定めら れ、鋭くなる。

「解かった……まあ、殺すな らせめて一思いにやってやれ」

正直、神凪は嫌いだ……死の うがどうでもいいが、いたぶりながら殺すというのは和麻の趣味ではない。

和麻の言葉に何も答えず、百 合はコートの裏の禍火神を掴んだ。

 

 

綾乃は苛立っていた……神凪 にとって忌むべき存在……宗家の嫡子でありながら、妖魔と結託した恥知らずの和麻に……だが、もしホントに和麻が妖魔と契約し、神凪を滅ぼそうと思っても 仕方ないだろ……それだけの事を、神凪は和麻にしたのだから………神凪は、自分達を明らかに選ばれた存在のように至上主義である……綾乃にも、その考えは 深く根付いている…分家と多少の違いこそあれ、自分の正しさを疑っていない傾向が強い。

精霊という力を行使できるの は、正しいことだと信じて疑わないからだ……それもまた誤りだ……精霊というのはこの世界のバランスを保つためのもの……言わば、そこに明確な善も悪もな い……全ては…精霊の力を行使する者に、それが求められる………

そんな事実を露も知らない綾 乃は、眼前の二人に敵意を向ける……武志が早々と宗家に連絡したおかげで、周辺の術者達が集まってくれた。

これなら、先程のようにはい かない……全員で波状攻撃を仕掛ければ、相手も無事ではすまないと踏んでいた……炎雷覇を構え、意識を集中させる。

刃に炎が滾り、炎の精霊が綾 乃の周囲に取り巻く……分家の人間から見みれば、それはまさに宗家という強大な力であり、また心の拠り所でもある……

だが、肝心の和麻と百合は まったく失望したような視線を浮かべている……百合からしてみれば、まったくプレッシャーもない……何処吹く風といった感じであり、和麻も内心に呆れた感 情を抱きながら、頭を捻る。

(なんだ……この程度か?  まてよ……アレは炎雷覇だよな……ってことは…)

綾乃の手に収まる炎雷覇を見 やり…記憶の糸を辿り……それがやっと先程から疑問に思っていたことに繋がった。

「そうか! お前、綾乃 か?」

「気安く呼ぶなぁぁぁぁぁ!!!」

ポンと手を叩き、尋ねると… 名前を呼ばれたのが余程の屈辱だったのか、綾乃は激昂し、そのまま炎雷覇を振り下ろした。

刹那、刃から炎が放たれ…… それは巨大な金色の輝きを放つ炎となり、二人に襲い掛かる。

怒りで多少なりとも威力を上 げたようだが……百合が構えるが、それを和麻が制する。

その瞬間、炎が二人を包み込 んだ……

 

 

「やった!!」

綾乃が拳を握り締め、眼を輝 かせる……今の金色の浄化の炎は、自分のなかでも最大と思えるものだ……間違いなく勝利を確信した。継承の儀の時でさえ、和麻は綾乃にまったく歯が立たな かった……しかも、今は炎雷覇を携えての炎だ。

雅人や他の術者達もだ……勝 利に興奮すると同時に、やはり宗家の人間の力の強大さに感服したようだ……これ程の浄化の炎を受ければ、無事ではすむまいと誰もが思った。

しかし、ここで気を抜くとい うのは明らかに戦場では命取りだ……相手の息の根を完全にとめたと確信を得るまで、警戒を解くなど、愚か者の行動でしかない。

その瞬間が、一番の無防備に なるというのに………

「妖魔と結託した罪、自らの 命で購いなさい」

フフンと鼻を鳴らし、綾乃は 炎に向かって言い放つ……これで、残るは和麻の使役した妖魔のみ……その後を追わねばならないと綾乃達が踵を返そうとした瞬間、突如として炎が揺れ出し た。

その異変に気付き、周囲はざ わめき、振り向く……刹那、炎が周囲には弾け飛び、消え去った………まるで、一夜の幻の如く……その中心には、無傷の和麻と百合が佇んでいた。

しかも二人とも、まるで『何 かしたか?』と言いたげな態度で立っている。

「……これが神凪の浄化の炎 か……神凪も地に落ちたな……」

揶揄するような口調で肩を竦 める和麻……

「くっ! 偉そうにするん じゃないわよ!」

歯軋りし、再度炎雷覇を振り 上げ……炎を放つ。

それに続くように、雅人や他 の術者達も炎を放った………二人の頭上で炎は一つになり、そのまま急降下で襲い掛かる。

今度こそ、避け切れないと誰 もが思った……だが、それは根底から覆された。

百合が徐に手を挙げ……落下 してきた炎を片手で受け止めた。

「なっ……!!?」

そのあまりに非常識な光景 に、綾乃は眼を見開き、雅人達も唖然となる。

巨大な炎を片手だけで悠々と 受け止め、まったく動じてもいない……

「この程度の炎……私にとっ ては涼風だ………見せてやるわ……私の炎を…」

口の端を薄く歪ませ、百合の 足元から黒い渦が巻き起こる………渦が炎を受け止める百合の身体を包み込むように周囲に螺旋をつくる。

刹那……百合の右眼が紅く染 まる……その血のような輝きに、綾乃達は呑まれ、術者の中には恐怖する者さえいる。

それに呼応するように右手で 受け止めていた炎が、黒く染まっていく……

「こ、これは…いかん……!  伏せ……!」

雅人の言葉は遅かった……黒 い炎を百合が振り被り、そのまま正面に放った。

黒炎は濁流の如き勢いで襲い 掛かる……雅人は咄嗟に綾乃だけを庇い、地面に伏せるも…反応の遅れた術者の何人かが呑み込まれ……

 

ぎゃぁぁぁぁぁぁぁっっ

 

黒い炎に全身を焼け爛れ、断 末魔の悲鳴を上げる……そのまま色が剥げ落ちたかのように、黒コゲとなった術者の死体がその場に転がった。

「あ、ああ……」

その異様な光景に綾乃は呆然 とする。

「な、何……なんで炎が私達 に襲い掛かってくるのよ!」

眼前の事象を否定するように 叫ぶ……炎の精霊王の加護を受けているはずの自分達が、炎に襲われた。

これ程、神凪の根幹を覆すよ うな出来事はない………

 

 

「……すげぇ」

隣でその光景を見届けた和麻 も、思わず言葉を失くし、感嘆する。

これが、黒き炎の力……神凪 の炎を逆転させ、それを自分の炎に取り込んで放つなど、並大抵でできる芸当ではない。

百合はゆっくりと身体を起こ し、今の炎に呑まれた数を確認する。

「三人ほどか………」

まあ、この程度でくたばって もらっては、殺り甲斐がない……

「あ、あんたいった い……?」

震えるような口調で綾乃が百 合に問い掛ける……黒い炎を使う人間など、神凪でも見たことがない……というよりも、皆無だ。

その問いに対し、百合はフッ と笑みを浮かべ、肩を竦める。

「神凪……炎全てが、あんた 達の使役ってわけじゃないのよ………我が黒炎……あんた達神凪を滅ぼすための炎………」

淡々と語られる言葉に、誰も が戦慄する……神凪が炎で殺されるなど……滑稽を通り越して茶番だ。

だが……それは眼前で現実に 起こっている……そこまで至り、雅人は宗家を出発前に聞かされた重悟の話を思い出した。

もしかしたら、慎治達は炎を 使った者に殺されたのではないか、という懸念を………

「まさか……慎治達を殺した のは………」

「ん……ああ、あいつら…… ま、別に黙ってることじゃないし………昨夜、神凪の術者三人を殺したのは、私よ」

躊躇いも動揺もなく、ただ冷 静に放たれた言葉に、誰もが眼を見開く。

唯一、和麻だけが複雑そうな 表情を浮かべていたが……その言葉に対し、綾乃は今しがたまでの恐怖を振り払い、キッと百合を睨み付け、立ち上がる。

「なら……あんたも神凪への 敵対者として、ここで倒す!」

勇ましいと取れる綾乃の姿 に、他の恐怖していた術者達は心を奮い立たせる。

術者達は、分散させようと炎 を二人の足元に放ち、二人はその誘いにのる……

「っと」

離れた位置に足を着くと、五 人ほどに囲まれる。

「この神凪の恥知らず が……!」

「厳馬様の嫡子らしからぬ行 為……許さん!」

口々に身勝手なことを口走 り、罵る術者に、和麻は心底呆れ果てた……最初から神凪の落ちこぼれと罵っていたのは自分達だろうに、と毒づいた。

「殺したいんだったら……殺 しにこいよ」

挑発すると、怒りにかられた 術者達は至近距離から炎を放つ……だが、和麻は瞬時に周囲に防護風を起こし、炎を防ぐ……接近は、相手への威力が増すも、失敗したときには間違いなく敵の 反撃を受ける可能性が高い。

炎を防いだ和麻は、風の精霊 を収束させ、小規模な竜巻を引き起こす……竜巻に数人が呑み込まれ……身体を鋭い勢いで高く舞い上げ…竜巻から放り出された術者達は、数メートルの高さか ら落下し、頭部を殴打して痙攣している。

その場に溢れる血の量から、 尋常な様子ではないのは一目瞭然だ。

「さて……次はどいつだ?」

ニヤッと口元を歪める和 麻……そこにはもはや、彼らが知っている以前の無能者の面影はなく、恐怖に戦慄した。

 

 

同じく、百合は綾乃を筆頭と した術者数人と対峙している。

殺気立つ綾乃達に対し、百合 は構えもせず、自然体だ……さもバカにされているようで、綾乃は神経を逆撫でられる。

「あんたが神凪にどんな恨み があるかは知らないけど、私達は精霊の力を借りてこの世の災いを防ぐもの……絶対に負けられないのよ!!」

綾乃の言葉に、百合は鼻を鳴 らす。

「フン……無知とは時には残 酷ね……」

憐れむような視線を一瞬向け られ、綾乃は怒り任せに炎雷覇を振り上げて斬り掛かった。

斬りつけることで真価を発揮 する炎雷覇……間接攻撃がダメなら、直接攻撃に切り換えるという綾乃の判断はよかったが、繰り出される斬撃を、百合は苦もなく身体を傾けて避ける。

「くっ!」

歯噛みし、連撃を繰り出す。

炎の一閃が幾条も煌く。

しかし、それは百合の身体を 掠りもしない……バックステップで避けながら動き回り、斬撃をかわす……いや、綾乃が振り被った瞬間には、身体を傾けて刃の軌道を読んでいる。

「……動きが単調すぎるわ ね……それじゃ、攻撃する前に相手に読まれるわよ」

呆れたような口調で己の欠点 を指摘され、綾乃は我武者羅に振り回す。

「このぉぉぉぉぉ!!!」

だが、そんな感情任せではさ らに百合には当たりはしない。

「怒りで己を見失うなど…… 戦士として失格…ね!!」

避けた瞬間、一気に綾乃との 距離を詰め、懐に飛び込む……刹那、膝を振り上げ、それは見事に綾乃の腹部に突き刺さった。

「あっ……」

鋭い衝撃が全身に走り、呼吸 が一瞬止まる……腹部を抱え、ヨロヨロと動く。

そんな綾乃に振り向く百合に 対し、他の術者達が綾乃を護ろうと百合に攻撃する……仕える者を護ろうとする心意気は立派だが、百合には関係ない。

立ちはだかる術者に対し、百 合はコートの裏側の鞘を持ち…術者に向かって禍火神を抜いた……横一線に煌く一閃………綾乃がようやく呼吸を落ち着かせ、振り向く。

眼前で自分を護るように立ち 塞がる術者二人……視線を上げると……身体の上に、何もなかった……本来在るはずの首が………

構えたままの術者の身体…… ごく自然に見えるその姿は、何の異常もないように感じ取らせる……術者を挟み、上体を前屈みに折り曲げ、佇む百合の右手には…紅く染まった刃の刀が握られ ている……上空に飛び上がる首……まるでスローモーションのような光景……

首がゴロンと転がった瞬 間……先程まで生きていた身体から血がブワッと噴出す。

それはまるで……噴水のよう であった………

夥しい血が綾乃に降り注 ぐ……

「あ……ああ………」

身体に付着した血……冷たい のか温かいのかさえはっきりと認識できない……手にベットリとした血を視界に収めると、綾乃は目の当たりにしている光景を締め出すように眼を閉じ、悲鳴を 上げた。

「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

初めて味わう身内の……い や…人の死に、綾乃は恐怖したのだ。

「お嬢!!」

その綾乃の尋常でない様子 に、雅人が百合を引き離そうと炎を放ち、注意をこちらへと向ける……それに向かって、百合が駆け、上段から刀を振り下ろした。

「がっ!!」

瞬時に後方へと飛び、威力を 僅かながら半減させたものの、それでも刃は雅人の身体を斬りつけ、鮮血が飛び散る。

「お……叔父様!!」

雅人の絶叫に、綾乃は閉じて いた眼を開き、叫ぶ……その声に反応したのか、雅人が傷を押さえ、掠れた声で叫ぶ。

「お……お嬢…逃げ ろ………」

もはや、それを言うのが精一 杯なのか、雅人は苦悶を漏らす。

「叔父様……… くぅぅぅ!!!」

内に巣食う恐怖を無理矢理押 し込み、気持ちを奮い立たせる……ここで死ぬわけにはいかない………自分は神凪の術者であり、負けるわけにはいかない……その思いが綾乃を立ち上がらせ た。

「………その闘志だけは褒め てやる」

「うるさいっ!! あたし は…あたしは絶対に負けられないのよ!!」

自分に向かって叫び、綾乃は 切っ先を百合に向ける。

「神剣を本当の意味で使いこ なしていない小娘が………おしえてあげるわ……私とあんたの……決定的な違いを……」

百合も静かに禍火神を構え る。

 

 

―――――炎雷覇と禍火 神………

 

 

ともに、精霊王より与えられ し神剣………持ち手の力を増幅させる媒体……言わば、剣同士に差はない……あとは、使い手の腕次第だ。

「あたしは…この炎雷覇と神 凪の名にかけて、負けるわけにはいかないのよ!」

百合は、心の中で毒づい た……炎雷覇の力も引き出せていない小娘が吼えるな、と。

百合の見解……綾乃は炎雷覇 を満足に使いこなせていない。

増幅器としてもだが…なによ り、剣としての本質を捉えていない……剣である以上、力任せばかりでは完全に使いこなしているとは言えない……それに伴う技も必要となる。

それが綾乃には欠けている。

禍火神を与えられた時に見た かつての炎雷覇の使い手……神凪の開祖は、まさしく炎雷覇を使いこなし、神にも匹敵する力を持っていた……それこそ、百合でさえ恐怖するぐらいに……それ に比べれば、眼の前の綾乃の力など、比べるのもおこがましい……

永い時を経て……炎雷覇も真 の使い手を失い、その力を満足に発揮できない……

刀を構える百合に対し、綾乃 は頬を冷たい汗が伝う……対峙していても感じる相手からの威圧感……少しでも気を抜けば、呑み込まれそうなほどの気配を必死に堪えながら、綾乃は駆け出 す。

「はぁぁぁぁっ!!」

気迫とともに振り下ろされる 刃を、難なく避け、百合は刀を薙ぐ。

刃が綾乃の左腕を掠る……一 瞬、表情が歪むも、掠り傷とそのまま横へと薙ぐ……だが、百合は鞘で刃を受け止め、そのまま捌く……体勢の崩れた綾乃に向かい、刃を振り下ろす。

今度は背中を掠る……振り向 いた綾乃に対し、刃を振り上げ、身体を刻む。

だが、どれもが致命傷に至ら ない掠り傷だ……綾乃はその瞬間、悟った。

自分は、切り刻まれているの だと……必死に応戦しようにも、綾乃の攻撃は虚空を斬り、、まったく当たらない……対し、百合の剣は綾乃の身体を掠り、傷をいくつもつけていく。

(な、なによ…こ れ………!)

訳が解からずに、綾乃は混乱 する。

何故、これ程相手にならない のか………まるでこちらが遊ばれているようだ………綾乃は今迄、自分の力を信じていた……父や厳馬には匹敵しなくとも、自分は強いと信じていた。

その自信が今……崩れ去ろう としていた………今、彼女の前に立つ相手は、剣の腕においても、力においても自分よりも上だった……いや…違っているのはそれだけでない。

ボロボロとなった綾乃は、そ の場に膝をつき、顔を上げる……眼前で佇む百合の気配……片方だけ真紅に染まった瞳……だが、その紅の中に混じる果てしない闇…そして虚無……それから 悟った…………

 

 

―――――背負っているもの が、まったく違うと………

 

 

震える手で炎雷覇を握り締め る。

ここで呑まれてはダメだ…… 呑まれたら、二度と戦えなくなるような予感が綾乃の脳裏を駆け巡る。

「負けられない……負けられ ない………負けられない!」

呪文のように何度も繰り返 し、綾乃は渾身の力を振り絞り……最後の攻撃に出た。

「はぁぁぁぁぁっっ!!!」

最後の一撃と悟ったのか…… 百合は避けようともせず、真正面から綾乃の攻撃を受け止めた。

刃が交差し合い、炎が拡散す る……鍔迫り合いで、綾乃は力を込めて押し切ろうとする。

「あたしは……あたしは神凪 綾乃だ! 魔を滅ぼす神凪のあたしの剣が、負けるはずない! 負けるはずがあるもんかぁぁぁぁぁぁぁ」

必死の思いで……神凪として 生きてきた誇りをもって力を込める……不意に、視線がぶつかった………

 

 

――――ゾクッ………

 

 

綾乃は背中に悪寒が走った。

なにも宿さない深い闇が渦巻 く視線に………

「魔を滅ぼす………ほざく な」

眼を伏せ、百合の手に黒い炎が迸り……それが刃を覆っていく………

「それがお前達の正義 か………魔というだけで全て滅ぼすというあんた達の………そんなくだらない正義感で支えられた剣を、私に誇るな……」

憤りを感じさせる口調……吐 き捨てられた言葉に、綾乃は戸惑う。

だが、その眼が再び向けられた。

自分の手をで汚したこともない小娘が……偉そうに吼えるなぁぁぁぁぁ!!!」

怒りを込めた黒い炎が刃を 覆った瞬間、ピキッという音とともに炎雷覇の刀身に亀裂が走った。

「っ!!?」

声にならない程、綾乃は驚愕 に眼を見開く。

 

バキッッ!!!

 

刹那………炎雷覇の刀身が砕 け散った………

均衡が崩れ、衝撃波が綾乃に 襲い掛かり、弾き飛ばされた。

「きゃぁぁぁぁっ!!」

全身を駆け巡る黒い炎……悲 鳴を上げ、吹き飛ばされた綾乃はそのまま倒れる……折れた刀身の先端が突き刺さる。

黒い炎が綾乃の特殊な技法で 折られた服を焦がし、その長い髪を焼き尽くした………

全身に火傷を負おうという決 して経験したことのない傷み………

身体に刻まれた斬撃の一 閃………噴出す血…………

綾乃にはもはや……状況を理 解することができなかった………

 

 

その一部始終を見ていた雅人 も、信じられない面持ちでいた……炎の精霊王より与えられた神剣:炎雷覇……それを折るなど、普通では絶対に考えられないことだった。

だが……現実に炎雷覇は折 れ、綾乃は既に茫然自失となっている。

その倒れた綾乃にゆっくりと 歩み寄る百合……既に戦意喪失となっている綾乃を見下ろす。

「………自分の力を見極めら れない者に…覚悟ももてない者に……力を振るう資格はない」

自分自身に言い聞かせるよう に呟くと、折れた炎雷覇を握っていた右腕を踏み付けた。

「っ!」

身体に走る激痛に、綾乃の意 識が覚醒する。

「私は……自身を追い詰め て…何度も殺して………そして力を得た……神凪を滅ぼすためだけに!」

聞こえてもいないはずの言葉 を叫び、百合は綾乃の右腕を踏み砕いた。

百合の呼吸が微かに乱れ る……俯かせていた表情をさらに伏せ、禍火神を振り被る……

「ぁ…はぁ……これ で…………」

トドメをさそうとする百 合……雅人が悲痛な叫びを上げる。

「お嬢!!」

その声も虚しく……誰もが綾 乃の死を思い浮かべた。

だが……それは果たされな かった………

「うっ……ぐっ……はぁ はぁ……」

突然、百合が呼吸を荒くし、 後ずさる………右腕が震え、禍火神を離す。

様子のおかしい百合に怪訝な 表情を浮かべるが、雅人は好機とばかりに身体に鞭打ち、綾乃のもとまで駆け寄り、既にボロボロとなっている綾乃の身体を抱きかかえる。

「ここは一度引く……無事な 者は生きている者に手を貸せ!!」

言うや否や、雅人は綾乃を抱 えてその場を逃げ出す。

他の術者達も自分達の不利を 悟るまでもなかった……綾乃の敗北という決定的なものを見せられ、完全に戦意喪失していたからだ。

動ける者が、まだ生きている と思しき者に手を貸し、その場から撤退していった。

最初は数十人いた術者達も、 十人にも満たない数となっていた……神凪にとって、これ程の犠牲者を出したのはなかったことだった………

 

 

 

神凪の撤退を見届けると、和 麻は軽く息継ぎをした。

少なくとも、これで神凪はこ ちらを完全に敵視しただろう……だがそれでも構わない。

先に仕掛けてきたのは向こう なのだ……和麻は踵を返し、百合に近付く。

「おい……大丈夫か?」

フラフラしたおぼつかない足 取りに百合に声を掛ける。

「大丈夫……よ……ちょっ と…力を使いすぎ…………」

最後まで言い終わることな く、百合はくらっと前のめりに倒れそうになり、和麻が受け止める。

「おいおい……またこれか よ」

やや呆れた声を上げるも…… 百合の尋常でない様子にそんな軽口も叩けなくなる。

極度に体力を消耗してい る……精霊の力を行使したせいだとは思うが、これは少し異常だった……和麻は溜め息をつき、ともかく百合を休ませようとその場を去った………

 

 

残されたのは血の臭いの み……

神凪の破滅へのロンドは…… まだ始まったばかりであった………


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