風の聖痕    黒の断罪者・蒼き継承者

第捌話    業の証

 

 

 

 

惨劇の昼から幾ばくかの時間 が流れ……和麻の補足に向かった分家二人の敗北…さらには和麻と後に現われた謎の女により、後から続いた綾乃を含めた術者が敗れたことはあっという間に神 凪の隅々にまで伝わり、震撼を巻き起こしていた。

それは仕方がないだろう…… 分家の中でも宗家に匹敵すると言われた結城慎吾と大神武哉のコンビが敗れただけでなく、また術者が何人も殺された……その上、次期宗主であり、炎雷覇の使 い手であった綾乃までもが敗北し、重症を負った………これにより、神凪は今迄ない不安に襲われていた。

だが、この混乱を逆に好機と 思う者がいた……前宗主の神凪頼道だ。

ここぞとばかりに自らが先導 し、分家を総動員して和麻と百合を討ち、神凪内での地位をさらに強固にしようと画策していた。

そのために、分家を集め自ら 演説していた。

「和麻はもはや、人間にあら ず……妖魔と手を組んだ忌むべき裏切り者じゃ!! 我々はあの裏切り者とそれに従う女を全力を持って討ち滅ぼす!! 者共、神凪の力を妖魔に、そしてあの 裏切り者に見せ付けるのじゃ!!」

「「「「「「「おおっっ!!!!」」」」」」」

先代宗主、頼道と長老衆を筆 頭にした宣誓に、この場に集結した神凪の術者達が和麻と百合を討つことを誓い合う。神凪の宗家も、分家もあわせた全ての術者が今この空間に犇き、殺気が 漂っている…いや…漂っている感情はそれだけでない。

彼らの顔には、微かに恐怖が 漂っていた。

その原因は他でもない彼らの 拠り所であった宗家の人間であり、次期宗主として期待されていた綾乃が、完膚なきまでに敗れ、さらには炎雷覇を折られたという事実は、それほどまでに彼ら の心情に陰を落とし、一人でいることを不安にさせているのだ。

弱い者ほど…小心者ほど孤独 を嫌う………故に集団が生まれる…従って生きることが、彼らの処世術であり、それが今の神凪という組織であった。

唯一の例外は、宗主である重 悟と厳馬、雅人の3人のみであった。

集団という力に恐怖を抑え込 まれ、ここにいる人間は、誰もが憎き裏切り者、和麻とそれと共にある百合に対し憎悪を抱いている。

だが彼らの頭には『勝利』の 二文字しか見えていない。

これ程愚かだと思うことはな い……同じ術者が何人も…加えて綾乃でさえ歯が立たなかった相手に、自分達が精霊王という力の加護を絶対的に信じ、その正義が勝利すると信じ込んでい る……烏合の衆は、いくら募ろうが烏合の衆である。

身の力も見極められないほ ど、戦闘で命取りになることはない……この場にいる全員の力を合わせても、最大でも綾乃に届くのがやっとという程だ。

そんな彼らが、勝つことなど 万が一にもない……沸き立つ一群とはやや離れた場所で、この会合を見詰める少年がいた。

年はまだ十か十一くらいだろ うか…その顔は幼く、またとても可愛らしいもので、女の子と見間違えても仕方がないと思える程の顔…全体的におっとりとした雰囲気をしていて、ベージュの パンツにダッフルコートを着た少年……この場の中でひとりだけ浮いている感じがした。

ここに居ることに嫌気が差し たのか、少年はこの場を後にする。

この部屋を出たことに誰も気 がつかない。それだけここに居る者は、和麻達を討つことにだけに意識を集中させているのだ。

だがその中で一人だけ、その 少年が部屋を後にしたことに気付いた者がいた……

(煉様……?)

和服を着込んだ日本人形と形 容するのがピッタリといった容姿の少女……大神家当主の娘、大神操だ……操はやや困った表情を浮かべるも、先程から徹底して悪意を振り撒く父の姿に溜め息 をつき、静かにその場を後にし、少年の後を追っていった。

 

 

 

 

邸内の庭をどこか落ち込んだ 様子で歩く少年……彼の名は神凪煉…神凪厳馬の息子にして和麻の実弟でもある。宗家の人間であり、兄とは違いあふれんばかりの炎術師としての才能を秘めて おり、今回の件で担ぎ出され、あの場にいたものの、いたたまれなくなる。

「はぁ……」

煉は思わず大きな溜め息をつ く……彼は兄と戦うなどしたくなかったのだ。

父である厳馬が和麻と煉との 接触を極端に嫌い、二人を遠ざけていた。

だがそれでも煉は兄を慕っ た。実の兄弟であったからでもあるが、煉は和麻を尊敬していた。炎術の才こそなかったが、それ以外では実に著しい才能を持ち、そして優しかった兄の面影 を……だが、周りはそれを善しとはしなかった。

4年前に何の前触れもなく姿 を消した兄……父も母も、兄のことを忘れろと言い張りながらも、煉はずっと兄の身を案じていた。

そして、遂最近になって日本 に戻って来たという報せを聞き、嬉しく思った。

だが、それは最悪の事態を招 いている……今や神凪は、ほぼ全てが和麻は復讐のために日本に戻って来たと言い捨てるばかりであり、とても複雑だった。

煉は、信じたくはなかっ た……あの優しかった兄が復讐のために戻ってきた…妖魔と契約したなどとは、神凪の術者を殺したなどとは、とても信じられなかった……信じたくなかった。

(兄様……一体なにがあった んですか?)

煉は未だに兄を慕っている。 そしてまだ和麻の潔白を信じている。

(僕は信じない。兄様はこん なこと絶対にしない……)

例えしていたとしても、自分 が説得すれば必ず解かってくれる…そう思っていた。

「あの…煉様………?」

遠慮がちに掛けられた声に、 煉は眼を見開いた。

「え!?」

今しがたまで、和麻のことを 考えていた煉はいきなり背後から声を掛けられたことにびっくりした。

ビクリと身体を震わせ後ろを 振り返ると、そこには煉にとっても見覚えのある少女が佇んでいる。

「も、申し訳ありません!  驚かすつもりはなかったのですが……」

声を掛けた少女:大神操は慌 てて頭を下げる……年が近いせいもあり、煉も彼女のことは知っていた……煉の方も慌てて弁明する。

「あ…い、いいよ…操さ ん……考え事してただけだから……」

その言葉に落ち着いたのか、 操の方も微笑を浮かべる。

「操さんは、なんであそこか ら出てきたの……?」

率直に思ったことを尋ねる と、操は表情を俯かせる。

「………怖いんです。お父様 も、他の皆さんも………」

殺気立ち、特定の人物へと決 め付けられた身勝手な悪意………それを先導している者には、操の父も含まれる。

操や武哉、武志の父にして雅 人の兄……そして現大神家当主の大神雅行は、自己本位が強く、炎術至上主義をまさに描いたような存在であった。

才能で言えば勝っていた弟の 雅人が当主の座を情けで渡したと思い込み、弟に激しい劣等感と嫉妬を持ち、それをぶつける先を子へと向けた。

雅人を越えさせるために、幼 い頃から武哉、武志は言うに及ばず、操自身も虐待に近い修行をさせられた。

そんな愛情をまったく注ぎも しない父を、尊敬できるかと言われても、いくら操でも無理だった。

そんな操の葛藤を察したの か、煉もそれ以上追求しようとはせず、またもや沈黙が場を支配する。

「煉様は……何をお考えてい たのですか?」

憂い気味な煉の表情を読み 取ったのか、操が尋ねるが、煉は黙り込み……そして、その答に思い至った操が口を開いた。

「……和麻様のことを…お考 えでしたか?」

煉が今思い悩むと言えば、心 当たりは一つしかない……今や、神凪全体の敵…裏切り者といわれる八神和麻のことしかありえない。

「……うん…操さんも、やっ ぱり兄様が裏切り者だと思ってるの?」

遠慮がちに尋ねる煉に、操は 表情を顰める。

「……お父様も他の皆様もそ う思っています……私も、本音で言えばそうでないかと思っています……」

その答に、やや落胆した様子 を見せるも、次に発せられた言葉に、顔を上げる。

「ですが……仮に和麻様が本 当にそうだとしたら、それもある意味では仕方がないことかもしれないと思うのです……」

やや驚いた表情を浮かべる 煉。

「煉様はあまりご存知ないと 思いますが……和麻様が、炎術の才が無いということで宗家を追われたということはご存知ですよね?」

それは流石に煉とて聞かされ ている。

「神凪にいた頃の和麻様は、 それは酷い扱いを受けていました………宗家の嫡子、ということも災いしたのでしょう……分家の方々に何度も罵られ、虐待されていました……」

その光景を思い出したのか、 操はきゅっと眼を瞑り、口を噤む。

集団の暴行を受け、死んでも おかしくないぐらいに傷付いていた和麻……無論、そんな彼にまともに接する者は、当時では重悟くらいのものであった。

煉も、半ば呆然となってい た……兄が神凪に疎まれていたのは聞かされていたが、そこまで酷いとは思っていなかった。

というのも、煉は生まれてか らほとんど和麻と離されて生活していたので、知ろうにも知れない状態にあったのは否めない……

「でも……僕は兄様を信じた い、これには何か訳があるって」

接した機会はほんの数えるほ どでも、それでも優しかった兄を未だに信じる煉。

そんな煉に、操も微笑む。

「そうですね……私もできる のなら、信じたいです」

操も和麻を信じたかった…… いや、仮にそうだとしても会って話がしたかった………かつて一度だけ………雅行の虐待じみた訓練で、ボロボロになり、傷付いていた操に、手を差し出してく れたのが和麻だった。

当時の操はそれに驚きを隠せ なかった……だが、和麻ははにかんだ笑みを見せ、傷の応急手当と、少しの水を与えてくれた………その時の笑顔は、今でもよく覚えている。

自分は、父や他の分家の者に 罵られるのが怖くて、和麻への暴行を見て見ぬ振りしていたというのに……自分の愚かさが、今では悔やまれる。

もし、この場に綾乃がいれば 間違いなく二人を止めただろう……当の妖魔から、主が和麻であると聞かされた人物であり、目先の事からでしか、判断ができないのだから。

「……よし!」

突然大声を上げた煉に、操が 眼を丸くする。

「ど、どうしたのです か……?」

「決めたんだ……僕は兄様を 信じる! たとえ神凪の人間全員が疑っても、僕は最後まで信じる……だから、そのために兄様に会いにいく」

その瞳には強い意志が宿って いた。何があっても兄を信じるという意思が……そのためにも、一度和麻に会わねばならない。

「あの……和麻様が何処にい るか、解かっているのですか?」

おずおずと突っ込む操に、煉 はウッと言葉を詰まらせた。

「考えて……なかったのです か?」

「……ごめん」

肝心なところで抜けている煉 に、操はクスリと笑みを浮かべるも、揶揄したりせず、口元を押さえる。

「煉様らしいですね……解か りました、風牙衆に連絡を取りましょう…恐らく、和麻様の動向を探るために、既に動いているはずですから、居場所を突き止めているはずです」

既に大攻勢を仕掛けようと殺 気立っている一同は、すぐにでも攻め込めるよう、和麻と百合の所在の確認を風牙衆に行わせていた。

「ありがとう、操さん」

嬉しそうに礼を言う煉だが、 次に発せられた言葉に眼を驚愕に見開く。

「礼には及びません……です が、私も御一緒させていただいてよろしいでしょうか? 私が付いていったところで、何のお役にも立ちませんが……」

主に支援に従事している 操……己の力量と煉の力量を合わせても、和麻には絶対敵わないと考えている。

「でも、もし妖魔が襲ってき たら……」

懸念を口にする……綾乃と雅 人でも敵わなかった相手に出くわせば、ただでは済まない…いや、下手をしたら死ぬ可能性もある。

だが、それでも操の意思は変 わらない。

「その時はその時です……そ れに、私もどうしても和麻様に会いたいんです」

操とて、自身の身内があのよ うな目にあったので、半ば憤怒の感情を巡らせるも、それでも会いたかった…会って、まずはあの時の礼だけは述べておきたい…その後で、自分は神凪として和 麻を討つのかを決めようと考えていた。

意外と度胸があるのか……平 然と口にする操に煉はやや唖然となるが、暫し考え込み…やがて頷く。

「解かった」

「では急ぎましょう……先程 の会合では、早ければ明日にでも一族総出で動くかもしれません……」

時間的猶予がないのは事実 だ……もう、神凪はいつ動き出してもおかしくはない。

実際、討てるかどうかは別問 題だが……烏合の衆がいくら集まろうとも和麻や百合、個々にも敵うとは到底思えない。

数十分後、二人は風牙の術者 から得た情報を元に、和麻がいると思しき場所へと向かった。

後から思えば、この時二人が 取った行動は、ある意味僥倖だったかもしれない………

 

 

 

 

煉と操が出発したのと同時 刻……沸き立つ一画とは別に、ここ宗主の部屋は沈黙が支配していた。

宗主の重悟と厳馬、そして身 体に包帯を巻いた怪我人の雅人だけである。

「そうか………」

雅人から事の顛末の報告を受 けた重悟は額を押さえ、沈痛な面持ちで項垂れた。

綾乃があそこまで手酷くやら れたことに、内心では憤怒が荒れ狂っている……相手の百合に対しても怒りは渦巻くも、それでも大部分は自分自身へと向けられている。

これまで、綾乃を甘やかし過 ぎた自分に対して、だ……重悟は今迄、綾乃に危険な仕事を決して任せようとはしなかった。

まずは経験を積んで、そして 宗主としての器量を持ってほしいと思っていたが、それでも無意識に危険から遠ざけようとしていた……その結果、綾乃は自身の力を過信してしまった。

トラブルの起こらない機械ほ ど怖いものはない……負けを知らない綾乃は、今回の件で身も心も完全にボロボロにされてしまった……負けない強さよりも、負けて立ち上がる強さの方が、何 倍も強く、また得るものが多い……恐怖を知らない者は、戦場で死に急ぐだけだ。

恐怖を知らずにきた綾乃は、 もう立ち上がれないという危惧もある……重悟の葛藤を感じ取った雅人が、申し訳無さそうに頭を下げる。

「宗主……本当に、申し訳あ りません…やはり、あの時に無理にでもお嬢を引き止めるべきでありました」

お目付け役として、雅人はそ の責任を感じていたが、重悟は幾分か表情を和らげ、首を振る。

「いや……私が娘を甘やかし 過ぎた結果だ…お前はよくやってくれた」

「……お嬢の容態は?」

躊躇いがちに尋ねる……綾乃 は現在、自室に手当てをされて寝かされている。

「右腕はもう使いものになら んかもしれん……一応、治療のために術者を手配したが……」

百合に砕かれた綾乃の右腕 は、完全に粉々にされ、もう使いものにならない……通常の医療なら、既に絶望の状況だが、重悟はすぐさま治療の術を専門とする者の手配を行っていた……だ が、それでも完治した時に、綾乃がまた戦えるかどうかということだ。

「しかし…まさか炎雷覇が折 られるとは……」

厳馬も内心の動揺を隠せな かった……神剣を叩き折ったという雅人の報告を聞いた時は、自身の耳を疑ったほどだ……だが現実に、綾乃の意識と切り離された炎雷覇が実体化したとき、刀 身が完全に折れていた。

神剣が再生するには、永い刻 を置くか…強大な術者がその力を持って甦させるかのどちらかしかないが、それは現状ではどちらも叶わない。

刻を待つには気の遠くなる時 間が掛かる…そんな悠長な状況ではない……また、神剣を復活させるには、かなりの力を必要とする…重悟や厳馬でも、そこまでの力はない…命をかければ話は 別かもしれないが………

だが、状況はそうはさせてく れないほど複雑になっている。

「和麻が犯人ではありません でしたが…それよりも………」

「うむ………黒炎使い……我 が神凪を憎む者か……嫌な予感が当たったものだ」

またもや沈痛な表情を浮かべ る。

武志の報告により、あの場に 向かった術者の半数近くが命を落とし、神凪内は未だかつてないぐらいに動揺が拡がっている……黒き炎の使い手………炎を使役とする神凪が、唯一相容れない もの………しかも、和麻が手を貸していた…和麻の場合は、喧嘩を売られたから買ったまでなのだが……結果として、和麻は百合と結託したという事実が尾ひれ をつけて流れてしまった。

「それで……和麻の方には、 妖気は感じなかったのだな?」

重悟の問い掛けに、雅人は頷 く……あの時、和麻から感じたのは全てを吹き飛ばし、荒ぶる蒼き風の波動だった……そして、その力は綾乃を越えていた……綾乃の炎雷覇の一撃を苦もなく受 け止めたのだから……

だが問題の妖魔が、和麻の使 役ではないということが明らかになったのは、それはそれで新たな波乱を呼ぶ。

「して……二人の容態は?」

「……幸いに命は取り留めま したが、それでももう炎術者としては……」

言葉を濁す雅人……武哉と慎 吾の二人は、撤退後にすぐさま病院へ移送されたが、二人とも全身に大火傷を負い、さらには慎吾は全身の骨の数ヶ所を砕かれ、武哉にいたっては顎の骨を砕か れ、もはや自分で呼吸するのも困難な状態だ。

結論を言えば、もはや二人は 神凪の術者として使いものにならず、もはや一生病院から出ることも叶わない……それは、神凪の術者にとってある意味死よりも惨いことかもしれない。

だが、そんな報告だというの に、厳馬の表情はどこかも誇らしげだった。

宗家に匹敵するといわれるあ の二人を倒したということは、和麻がすでに宗家にも匹敵する力を身につけているということだ…それは、あの愚息がそれだけの力を身に付けたということだ。

状況が状況だけに、素直に喜 べないのが、唯一の難だが……

「嬉しそうだな、厳馬……な らば何故、和麻を手放した?」

不謹慎だと思ったが、重悟は この4年間聞けずにいたことを聞く……ずっと疑問に思っていたからだ。

あまりにも不器用すぎて、誰 にも理解されなかったが、厳馬は和麻を愛していた。

厳しい修行も和麻を立派に育 てるため…獅子は我が子を千尋の谷に突き落とすというが、厳馬の行為はまさにそれだった。さらに、和麻と煉をあわせなかったのにも理由がある。和麻は煉に 自分の無能がうつると思い、会わせなかったと思っている。

だがそれは違う。煉は和麻と は違い、類まれなる炎術の才能を持っていた。

そのことが二人の間に亀裂を 生じさせ、憎みあうということを避けさせたかったのだ。

人は誰しも自分が持っていな い才能を持つものをねたましく思う。それは和麻でも同じだ。

もし、煉があれほどまで純粋 でなかったら、兄を慕わず蔑んでいたらどうなっていただろうか。厳馬の懸念は現実のものとなっていただろう。

今の神凪の中にも似た様な関 係の人間が存在する。大神家の頭首である大神雅行と大神雅人の関係である。彼らは血を分けた実の兄弟である にもかかわらず、雅行は雅人を嫌っている。雅人も少なからず兄を嫌っているのだ。兄である雅行よりも優秀な雅人。雅行は雅人を妬んでいた。その才能ゆえ に、その力ゆえに。実の弟を目障りに思っていた。

厳馬は自分の息子達がそうな るのではないかと懸念していたのだ。実のところそれは厳馬の杞憂に終わったのだが…さらに二人が会うことで、和麻が己自身を惨めに思うかもしれない、とい うことも彼は考えていた…自分は弟にさえ劣る。

優秀な宗家だからこそありえ るコンプレックス。和麻は既に多くのコンプレックスを抱えていた。父である厳馬が不器用であったから、それが彼の手で取り除かれることはなかった。そし て、母親もそんな和麻をあっさりと見捨てた。

だからなおの事、聞きたかっ たのだ…何故和麻を神凪から追い出したのか……を。

「私は神凪の人間として生ま れ、生きてきました。ほかの生き方は選べません……私の息子にもまた」

「だから自分の手の届かない ところまで放り出したと? 好きな道を選ばせてやるために……野垂れ死んだらどうするつもりだったのだ?」

だがその言葉に、厳馬は誇ら しげな顔をした。

「フッ……なにを馬鹿な。私 の息子ですぞ…この程度でくたばるほど、弱くはありません」

「あーそーかい」

揶揄するような口調で答返 す……厳馬のやり方はともかく、もし和麻がこの場に…いや、神凪にいてくれたら……と、重悟は思わずにはいられない。

せめて……追い出すというよ りも、旅に出すような感覚であったならば、和麻とてここまで神凪を敵視はしなかったかもしれない……今更言っても仕方がないことだが………

「ですが、これからどうされ ます? 和麻が犯人ではなくとも、真犯人であるその黒炎の女と共にあるということははっきりしています……おまけに、謎の妖魔も影で動いている……」

妖魔の動向は解からないが、 ひょっとしたら神凪と和麻達がぶつかり合い、弱るのを今か今かと待っている可能性も高い……漁夫の利を狙うというのは、ずる賢く聞こえるかもしれないが、 立派な戦術の一つだ。

おまけに、妖魔は綾乃が雅人 と共に攻撃してもまったく歯が立たなかった相手だ…それを上回る百合と和麻……いや、下手をしたら和麻と百合が別々に行動しているとすれば、敵が3つもあ るという可能性もある……一つでも神凪を滅ぼそうと思えば滅ぼせるかもしれないうえに、同時に攻められてはまともに戦えるのは重悟や厳馬ぐらいだ。

「……私が、和麻とその女の 許へ出向こう」

唐突に言った重悟の言葉に、 厳馬と雅人が驚愕する。

「直接和麻と話がしたい…… それに、何故その黒炎の女が我らを憎むのか、その理由を知らねばならん」

神凪は、その性質上…外部に 敵が多い………恨んでいる者なら、探せば数え切れないほどいるかもしれないが、それでも真っ向から喧嘩を売るような思考の持ち主はいない……それが、神凪 をさらに思い上がらせ、横暴にしているのだが………

相反する黒炎を使ってまで神 凪を憎む理由は何なのか……宗主として、それだけは知らねばならない……もしそれが、見当違いのものや身勝手なものであったなら、重悟は躊躇うことなく綾 乃を倒した女と対峙する覚悟であった……

だが、そんな意気込む重悟を 厳馬が嗜めるように制する。

「お待ちを、宗主……今宗主 が動かれては、あのバカどもを誰が抑えるというのですか?」

厳馬の言葉に、流石に重悟も 表情を顰めた。

つい熱くなって抜け落ちてい たが、今や神凪内は報復の意志が高まり、いつ爆破するか解からない状況だ……そんな時に、宗主である重悟が表立って和麻と百合に会おうとすれば、それは術 者達を煽り、最悪の結末は否めない。

「宗主は今暫しご辛抱を…… 和麻には、私が会いましょう。話し合いの余地があるかは解かりませんが、少なくとも誤解だけは解いておかねば」

「それは危険ではないか?  お前が出向いては、下手をすればさらに話がこじれるような気がするが………」

重悟が危惧するように表情を 顰める。

「そうです、厳馬殿……それ に、和麻の傍には、例の女がいるやもしれません…仮に和麻を説得できても、彼女が動けば、下手をしたら和麻も……」

神凪は一度、和麻を狙っ た……それは紛れもない事実であり、厳馬の親心はともかくとしても、表面上は和麻を神凪より追放したのだ…そんな厳馬を、和麻が憎んでいないと言えるはず がない。厳馬がそれを推して説得するなど、愚でしかない…加えて問題はまだある。

雅人と綾乃が遭遇し、その後 和麻と共に敵対した女……彼女は間違いなく神凪を完全に敵視し、しかも和麻はその女と共闘し、神凪に敵対した。

和麻の力がどの程かは解から ないが、少なくとも綾乃よりは上だと雅人は睨んでいる…そして、下手をすればその女はそれをも上回る……厳馬すらも越える可能性がある。

「確かに……」

雅人の言葉を、厳馬は否定し ない……敵対した今、和麻が厳馬を攻撃することを躊躇するとは思えない。

もし敵に回れば………厄介の 一言では済みそうもない。

「ですが、このままでは神凪 は滅亡の危機に瀕します…せめて和麻だけでも味方に引き込めなくとも、不可侵の状態に持ちこさねば!」

和麻が自分達に手を貸してく れる可能性はほとんどゼロだ。いきなり襲われ、犯人扱いされたうえに、和麻は神凪を勘当された身。恨みこそすれ、一族のために力を貸す義務も義理もない。 仮に自分だったならば、絶対に力など貸しはしない。

「それには賛成だが……可能 か?」

「やってみなければ解かりま せんが、あれの誤解を解くことできれば、うまくすれば和麻から例の女を少しの間足止めできるやもしれません……」

和麻の力を得られなくとも、 最悪誤解を解いて、不可侵の状態に持ち込ませることなら可能かもしれないと厳馬は踏んでいた……もっとも、誤解と言ってもこちらから仕掛けたのだから、誤 解もへったくれもないのだが…さらに、和麻を捕縛する指示を出したのは厳馬自身だ……和麻を説得できれば、和麻が共にいるかもしれない女を和麻が僅かなが ら引き止めてくれるかもしれないという望みもある…その間に一族の力を結集し、先ずは妖魔を討つことに専念できると厳馬は考えた。

そのためならば土下座でもし よう。プライドなど今のこの状況では不要である。

厳馬の思惑は、大きな間違い だ……仮に和麻の説得が成功しても、和麻が百合を引き止める可能性もなく、また百合も説得されて待ったをするようなお人好しでもない。

「確かに……無理でもなんと かせねば…兄はまったく気付いていませんし……」

しかし雅人も、無謀だが厳馬 の策に賭けるしかないと実感している……兄の雅行をはじめとした分家や長老、先代宗主の頼道は自らが加護を受ける炎の精霊王の絶対性を信じ、まったく勝利 を疑っていない……だが、それは不可能に近い。

「安心したぞ……正気を保っ ているのは私と厳馬ぐらいと思っていたからな」

珍しく皮肉げに重悟が呟く。

ここで妖魔、和麻と女の二つ から攻撃を受ければ、いかに神凪でも滅亡は必至……神凪の中でこの3人以外そのことにまったく気が付いていない。

戦って……その後に残るの は、自分達の屍の山だけだということに……

「ならば、厳馬…宗主として お前に和麻の説得を命じる……私はその間、ここで長老や先代を宥める。そうすれば少しでも時間を稼げるだろう」

神凪では宗主の力は大きい。

だが今回は別だ…既に自分達 以外の宗家の人間が打倒和麻を掲げ、今にも決起しそうな勢いであり、いかに重悟でも長くは抑え切れない……仮に重悟が力を誇示すれば、鶴の一声のごとく収 まるだろうが、今はそんなことをできる状況ではない……自らの首を絞めているこの状況下で、さらにきつく絞めることに繋がる……火に油どころか、爆弾を放 り込むようなものだ。

「はっ! 今夜中に何とかい たします…その間、あのバカどもをお願いします」

もしここで和麻に神凪の分家 や長老共が襲い掛かれば、まず間違いなく和麻は攻撃してくる……それももはや躊躇することもなく……そうなればもはや、説得など不可能だ。

「解かった。こちらは任せ ろ…しかし、お前も気をつけろ。問題は和麻だけではないのだからな」

相手は和麻だけでなく、謎の 妖魔に黒炎使いの女もいる……この現状で、一人で行動することの危険性は、言わずとも解かっている。

重悟は自分が戦える身体で あったなら、すぐにでも行動を開始した。

だが今の状態では足手纏いに しかならない……身を裂くような思いで厳馬に言う。

「解かりました。ではこれ で………」

「……頼む」

厳馬は無言で一礼し、静かに 部屋を出た……実の息子と、再び向き合うために………

 

 

 

 

場所を変えて都内の某ホテ ル……

先日の晩と同じく、和麻は意 識を失った百合をホテルへと運び、ベッドに寝かせていた。

力を使い過ぎた反動か、百合 は今も深い眠りの中にある………

そんな百合の寝顔を覗き込み ながら、和麻は疑問を巡らせていた……何故、百合は神凪を憎んでいるのか……そして、百合は何者なのか………前に感じた人にあらざる気配……さらに、気に なることがもう一つ……

(こいつ……なんでこんなに 霊力が低いんだ………?)

精霊を行使するに必要な精霊 とのパイプ……それが人の持つ霊力………人間なら、誰しも持つものだが、それを使いこなすには並外れた修練を必要とする。

だがそれでも、通常ならば感 じるはずの霊力も、百合からは微弱程度…いや、下手をしたら零に近いぐらいに弱い。

そんな疑念を渦巻かせていた 和麻は、百合の表情が微かに歪んだのに現実に引き戻された。

 

「……翔…麻…………」

 

起きたのかと思ったが、どう やら寝言のようだ……呟かれた口調には、聞き覚えがある。

百合が和麻と初めて会った時 に和麻に向かって呟いた名だ……恋人か、と和麻は思った。

「……い…やぁ………置い… て……いかない………で…………」

懇願するような口調と、閉じ られた瞳から微かに零れた雫………なんとなく事情を察した和麻は、自身も体験した苦い思いを思い出し、唇を噛み、顔を逸らした。

その時になって、百合の瞼が 動き、ゆっくりと瞳を開いた………

「あれ……ここは………?」

「気が付いたか?」

「貴方……そっか…また、迷 惑かけたみたいね」

事情を察した百合は口を噤 み、ゆっくりと上体を起こすも、目眩が起こり、前のめりに倒れそうになるが、それを和麻が支える。

「無理すんなって……ってい うか、今度こそ誤魔化すなよ」

問い詰めるような口調に、百 合が和麻を振り向く。

「お前……ホントに何なん だ? なんでそんなに霊力が低いんだ……異常すぎるぞ」

その問い掛けに、百合は視線 を逸らすも、和麻は凝視する……誤魔化すのもはぐらかすのも無理と悟ったのか、百合は軽く息を吐き出した。

「解かった……まあ、貴方に なら話してもいいか」

今迄……あの瞬間から、自身 の中に封印した過去の忌まわしい記憶………そして、自らに掛けた業………

「取り敢えず……まだ名前を 言ってなかったわね…私は、闇乃百合…………」

呟きながら、ゆっくりと右腕 を覆っていた裾を捲る。

右腕にはっきりと浮かぶ黒い 痣……前よりも大きく拡がっている………微かに自嘲気味に薄く笑う。

「そしてこれが……私 の………いえ、私が自身に背負わせた業の証………」

天井を一瞬仰ぐと、和麻に振 り向き、呟いた。

 

 

 

 

「………私は……人と…妖魔 の間に生まれた……混血児…………」

 


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