「………私は、人と…妖魔の 間に生まれた…混血児…」

 

 

百合が発した言葉に、和麻は一瞬意味が解からずに言葉を失う。

それ程衝撃的な内容だったからだ。和麻とて、妖魔についての事はある程度知ってい る。

神凪にいた頃に、父から嫌というほど聞かされた妖魔の存在……人と敵対する闇の世界 の住人達……和麻はそう認識していた。

「……冗談、じゃないよな」

冗談でもこんな事は普通言わないような気がする……なにより、語った百合の眼が、そ れを裏付けている。迷いもない、ただ虚無しか漂わない瞳が………

「まあ、いきなりこんな事聞 かされて驚くな、っていうのは無理だしね」

和麻の態度にも別段害した様子も見せず、百合は苦笑を浮かべる。

口端を歪めるような自嘲めいた被虐的なもの…だが、すぐさまその表情が曇り、視線を 逸らす……その先は、ホテルの窓から見える夜の闇に向けられる。

夕方から降り出した雨が、今では強く降りしきっている……その光景を眼に収めると、 息苦しさが胸を襲う。

胸に去却する過去…決して忘れぬ傷み…そして…憎しみ………暫し沈黙が続いた後、百 合は静かに和麻に向き直った。

「あの時も…こんな風に雨が 降っていた………」

静かに呟かれた哀愁を帯びた声……視線が、遠くを見るように細まる。

「私が…神凪に全てを奪われ た時にも…………」

その言葉に、和麻は驚愕に眼を見開いた。

 

 

刹那…雷鳴が轟き……薄暗いホテルの一室が白黒に染まった………

 

 

 

 

風の聖痕    黒の断罪者・蒼き継承者

第玖話     慟哭の追憶

 

 

 

 

 

 

 

――――神凪に全てを奪われ た…………

 

 

その言葉に、和麻は過剰に反応した。

言葉は違うが、自分もまた、それに近いことを神凪から受けたのだ。

全てを否定され、そして…神凪から抹消された過去を思い出し、一瞬苦い思いが浮かぶ も、それを押し隠し、尋ね返す。

「どういう、ことだ?」

「言葉通りよ…こちらの時間 で言えば、ちょうど3年前………私がいた村が、神凪に襲われた……ただ、妖魔がいるというだけで!」

吐き捨てるように叫び、シーツの端を握り締める。

奥歯を噛み締め、手が震える…そんな様子に、和麻は黙り込む。

「爪ヶ村………奴らはそう呼 んでいた。妖魔の住処だと……」

ポツポツと語り出す百合。

―――――3年

言葉にすればたったそれだけ…だが、百合からしてみれば数百年にも匹敵するほど遠い 過去のように思える。

あれから…自分は修羅の道を選んだ……破滅へと続く道を………

 

 

 

村には名などなかった。

当然だ…人目を忍んで隠れ住む者達の村だ。名などない…ただひっそりと在るだけの 村……外界との接触を完全に断ち、結界のなかで暮らす…そこは、人と妖魔が住む小さな村だった………

 

 

 

「妖魔は、確かに人に仇名す 存在…それは否定しない。でも、妖魔全てがそうじゃない。中には、静かに生きたい願う者もいる…人間の世界に迷い出て、そして人の身を借りて隠者のように 生きる妖魔と、それと共生しようとした人間……村には、そんな人達だけしかいなかった」

妖魔全てが人間を襲うと思われているが、それは間違いだ。妖魔の中にも、いらぬ衝突 を起こしたくなく、静かに生きようとする者もいる。

その存在を知った人間の中にも、それを迫害せずに受け入れる人達がいる。

だがそれは、人間の世界では赦されないものだ……人は弱い生き物だ。だから、自分達 とは違う存在を恐れ、迫害する―――人種の違いというだけで迫害するのがいい例だ。

まして相手は人間ではないのだから……そうして迫害され、また同じ人間から追われた 人々と妖魔は人里を離れた奥深くに逃げ延び、そして集まってできたのが、百合の村だった。

静かに生きることを選択した彼らは、そこでひっそりと生き、また生を終える……年月 が経ち、妖魔の子もいれば混血の子供いる。だが、彼らは共に生きていた。

「私は、父が妖魔で、母は人 間だった……人間に襲われ、重症を負った父を助けたのが母で、二人は惹かれ合った」

赦されざる恋だった……父は身を隠そうとし、母のもとを去ろうとしたが、それを母は 望まなかった。そして、共に生きるために人間としての生活を捨て、二人はそのまま流浪し、その果てに辿り着いたのが同じ境遇の者達がつくり上げた村だっ た。

二人はそこで結ばれ……そして、百合が生まれた。

「私は…多分、母の血が強 かったんだと思う。それでも、村には私と同じような混血の子から、純血の妖魔の子もいた」

百合の容姿はごく普通の人のもの……恐らく、母親の血がそう形成したのだろう。だ が、内に流れる血の半分は紛れもなく妖魔のもの。

50にも満たない人口であり、妖魔が半数近くで、後は半妖の者や人間が住み、子供の 数も10にも満たないが、それでも差別もなく、普通の生活を過ごしていた。

「人間達の社会との関係を断 ち、静かに暮らしていた……私は、それで幸せだった」

語尾が、切なげに響く。

別段、暮らしが裕福だったという訳ではない。だが、それでも何の不満もなかった。

両親がいて…仲間がいる……当たり前のように在るものだけで満足だった。

不意に、和麻は思い出した…神凪から捨てられ、父も母も怖くて、必死に遠くへ逃げよ うと日本を飛び出したこと。香港で、翠鈴と出逢い……そして、その中に静かな幸せを感じていたことを………

「でもっ! それは、あっさ りと奪われたっ!」

瞳が鋭くなり、憤りを感じさせる口調で吐き捨てる。

人里離れた山奥に暮らしていても、人の欲はそんな住処を奪った。開発工事で、山の木 々が倒され、地は抉られ、動物が命を失う………ただ自然とともに在り、自然の思うままに生きること…生態系の崩れは村にも少しずつ小さな波紋を拡げてい た。

いくら結界で外界との接触を断っていようとも、やはり孤立すれば彼らとて生きていく のは難しかった。

「でも、私達は…私達 は……っ」

嗚咽を漏らすように百合が唇を噛み締める。長年住んでいた故郷を捨てる…それは言い 知れぬ苦痛だ。だが、村の者達はそれでも、住んでいた地を離れようとした…決して人間達と争いを起こさない……一度衝突すれば、それは必ず災いを齎す、 と。

「なのに…なのにっ! あい つらは…神凪はっ!」

語気を荒げ、拳を握り締める百合の眼が激しい憎悪に染まる……決して思い出したくな い過去が、百合の脳裏に甦る。

村の者達はすぐさま土地を去ろうとした。だが、ようやく旅立つ時になって、村の妖魔 の子が一人いないことに気づいた。

捜そうとした矢先、村に奴らが現われた………十数人の人間達……ニヤついた笑みで何 かを彼らの前に放り投げた。

「そいつらが、ゴミのように 捨てたのは、子供だった……妖魔だけど、なんの罪もない子供だったのに!」

放り投げられた黒く灼け焦げたもの……それは姿の見えなかった子供だった。

――――殺されていた……そして…それが……

「それが……地獄の始まり だったっ」

村に押し入った神凪の術者達の妖魔退治という名の…虐殺が………

 

 

――――――炎に包まれる村……

――――――響き渡る悲鳴と慟哭……

――――――狂わんばかりの嘲笑……

 

阿鼻叫喚の地獄絵図…同じ人間だというのに神凪は躊躇うことなく全てを焼き尽くし、 奪った。

「凶悪な魔物が住む山…その 真意の調査と場合によっての妖魔の排除! それを請け負ったのが、神凪頼道…奴は、自らの欲のために、村を滅ぼした!」

そう…当時、開発の責任者だったのが、議員になる前だった倉岡哲夫。そして、その依 頼を受けたのが、頼道であった。

恐らく、重悟では話が断られると踏んでこその判断だったのだろう。頼道の自己顕示欲 と独占欲の強さは、知れ渡っていた。多額の報酬と、政府内にパイプを持てるという餌に頼道はのり、重悟の待ったが掛かる前に迅速に進め、分家を動かした。

妖魔が住む村…神凪にとっては、灼き払うのになんの躊躇いもなかった。 

ただ静かに生きたい……そんな儚い願いさえも無残に砕かれた。

神凪の術者が村を襲った時、百合は見た。炎が家屋を…村人を焼くのを……だが、百合 は母親ともう一人に地下倉庫に閉じ込められ、難を逃れた。

「それから…どれ程の時間が 経ったのかも解からなかった……突然のことに、私はただ呆然となった……」

あまりに突然の出来事の連続だった……茫然自失になった百合は、地下倉庫で騒ぎが収 まるまで震えているしかなかった。

そして…静寂が戻り………地上に恐る恐る出た百合は、眼を見開いた。

灼け爛れた村の家屋。黒く炭化し、燃え落ち、微かな炎がくすぶっていた。

その周囲は、黒い炭となった村人達の死体が転がり、もはや誰かを識別するのも解から ない。いや、それ以前に原型を留めていないものも多い。

百合は、フラフラと村を彷徨い…そして見つけた。寄り添うように死んでいた、かろう じて両親と思えるものを…そして……大切な者の死を………

冷たい雨が降り注ぐなか…その場に座り込み……百合は哭いた………

豪雨が涙を霧散させ、嗚咽は虚空へと消えていく…どれ程経ったのか、時間の経過さえ 認識できなかった……数分? 数時間? 数日? 数年?――――いや…ひょっとしたら、気の遠くなるほど永い時間と錯覚する程だったかもしれない。

雷鳴が轟き…百合のなかで何かが壊れた瞬間だった…再び顔を上げた百合の瞳には、も はや黒い感情しか宿っていなかった………

 

 

何故?――――――内に渦巻 くのは憤怒

 

何で?――――――内に渦巻 くのは憎悪

 

どうして?――――――内に 渦巻くのは悲哀

 

壊された?――――――内に 渦巻くのは狂気

 

 

 

殺 してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる

殺 してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる

殺 してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる

殺 してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる

殺 してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる

殺 してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる

殺 してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる

殺 してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる

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殺 してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる

 

 

 

 

 

 

―――――私から全てを奪った連中をっ

 

 

 

 

 

 

 

再度、雷鳴が轟く。

無言のまま顔を伏せる百合と口を噤む和麻。

「私は…独りだけ生き残っ た……父も母も、大切なものは全部なくなった。雨のなかで、私は慟哭した…一生分の涙を流し尽くした……」

妖魔であることの何が悪い…ただ静かに生きたいと願うのは罪なのか……?

その問いに答は返ってこなかった。だから百合は、涙とともにその答を捨てた。

もう…この眼から涙が流れることはない……もう、この血で染まった瞳からは………そ んな百合に和麻は言葉を掛けることができなかった。

先程、寝言で涙を微かに流したなどと、言っても、恐らく一笑すると思った。

和麻は百合と自分が恐ろしく似ていると、再認識していた。

あの日…自分は泣いた……翠鈴の死…いや完全な無と言う形の消滅を眼の前で見せられ て……彼女と同じだった。

 

 

―――――奪われた…全てを…最愛の人を………

 

 

「私には…あの頃の私には、 何の力もなかったっ」

無力だった自分が、今では凄く恨めしい。ただ震えるだけで、何もできなかった自分 が…血が出るぐらい、拳を強く握り締める。

「だから私は…力を求め た………」

 

――――強くなりたかった…弱い自分を殺せるぐらい…憎めるぐらいに……

 

「誰にも負けない…弱い自分 を殺せる力を…その時、私は同時に心に決めたの。もう、私には何もない…だから、私は何も欲しがらない……何も要らない………だから…もうこれ以上、私か ら何も奪わないでって………」

そっと、胸元のペンダントを握り締める。

表情を俯かせる百合の姿は、まるで闇の中に捨てられた幼子のように危うげだった。

だが、和麻はその姿に自身を重ねる。

己の無力さに泣いたあの日。絶望に恐怖さえも凍りついた瞳…一生、心に刻まれるであ ろう光景…大切な者を失った光景が、和麻の胸を絞め付ける。

「私から全てを奪った炎の術 者、神凪…その名を知った時、私は迷わず炎の力を求めた」

襲撃から一年、百合は必死に相手のことを調べた。

解かっていたのは、炎の術者ということだけ……だが、それは調べる必要もなかった。

炎の術者と言えば、ほぼ全てのデータが『神凪』を弾き出したのだから。だが、それで も神凪の強大さだけは理解できた。

当時の百合は、今の自分の力だけではどうにもならないことを悟った……政治的に潰す のは難しい。百合は政界にコネがある訳でも情報に精通している訳でもなかった。

なにより、そんなやり方は思い至らなかっただろう。

百合が望むのは自分の家族や仲間達が受けた苦痛を何倍、何十倍にもして神凪に味あわ せてやることなのだから。

そして同時に決めたのだ。神凪にとって、もっとも屈辱的な殺し方をしてやろうと…… 奴らが崇拝する炎の力で殺してやろうと。

「炎の精霊王の加護を受けし 神凪……私は、それに対するために、対極の位置にある黒炎の力を求め、単身魔界へと向かった」

その言葉に、和麻は驚愕する。魔界と言えば、妖魔や魔物達の故郷――完全な破壊と弱 肉強食の世界。いくら、半分に妖魔の血が流れているとはいえ、それは無謀な行為としか思えなかった。

だが、百合にとってそれでよかったのだ。自分をどうしてでも追い詰めたかった……何 もできなかった自分自身がどうしても赦せなかった。

ただ神凪への怒りと憎しみを糧とし、執念だけで百合は魔界の世界を生き抜き、黒炎を 極めようとした。

「私の父は、元々火の属性を 持つ妖魔だったのも、私には都合がよかった」

百合の中に流れる血の半分は、炎の妖魔のもの。その炎を、絶対的な破滅の黒い炎にま で昇華させるため、百合は魔界の中で戦い抜き、生き延びてきた。

無論、魔界はそんな甘い世界ではない。逆に殺されそうになったことも一度や二度では ない…何度も死にそうになった。傷つけられ、地に這いつくばって…だが、百合は内に滾る黒い感情だけを糧に何度も立ち上がった。

楽には殺さない…生きていることを後悔させてやるほどの絶望と苦痛を連中に与えてや る…それだけが百合を這いずり回っても生き延びさせる力となった。

「そして私は、闇に従事する 精霊王達の存在を知り、内の一つ、黒炎の精霊王と契約した…これは、その証」

再度、右腕に拡がる黒い痣を見せる。

魔界に渡って…どれだけの刻が流れただろう……数百にも数千年にも感じられるほど永 い時間だったような気がする。

そして百合は出逢った…魔界で燃え盛る最恐の黒き炎を……全てを焼き尽くし、喰らい 尽くすもの……そう…自らに黒い炎を宿し、百合は黒炎という神凪を圧倒する力。そして、自身に業を同時に得たのだ。

「だけど、この契約には、私 自身の命が懸かっている……」

ポツリと呟かれた穏やかでない言葉。

「貴方が契約した風の精霊王 が如何ほどのものかは知らないけど、少なくとも、私が契約した精霊王は、力を貸すというよりも、『寄生』する…と言った方がいいのかしら。契約者と認めた 者自身に寄生し、契約者の中で、契約者を試し続ける…契約者自身の影として……」

「影? どういうことだ?」

和麻の問い掛けに、百合は自虐的に笑う。

「言葉通りよ。簡単に言え ば、精霊王はもう一人の自分になって、ずっとこちらを試し続けてくる…自身の力を行使するに相応しいかをね……」

百合は、自身の内で常に幾度となく戦っている…自分自身と……精霊王によって生み出 された己が内に巣食う影――自分自身を殺そうと、何度も襲い掛かってくるもう一人の自分自身…言わば、身近に敵がいるようなものだ。

 

――――最大の敵は己自身………

 

そんな言葉を最初に漏らしたのは誰だったのか。百合はそれを…背水の陣を、身を持っ て実践している。

闇のなかで襲い掛かってくるのは自分と同じ顔、同じ技、同じ力―――違いは内の感情 のみ。何の躊躇いも戸惑いもない…たとえそれが自分自身だとしても、心の中で幾度も自身と戦い、死の一歩手前ギリギリまで自身を追い込み、そして自身を斬 る……浴びる鮮血と眼前に倒れ伏す自分自身……血を流し、苦痛と絶望に染まった死に顔と無機質な瞳でこちらを見つめている―――あたかも…己の未来を暗示 するように。

傍から見れば、常軌を逸しているとしか思えない行為だが、これが闇に従事する精霊王 と契約する条件だ。

死神を常に自身に纏わせ、そして生きるか死ぬかの戦いを常に繰り返す…もしそこで、 自身が影に敗れるようなら……それが意味するのは、自身の死…そして、精霊王に見限られるということ………

闇に従事する精霊王達が常に求めるもの。それは、自らの強大な力を行使するに相応し いかを契約者に課すということ…だから百合は、決して負けられない。

復讐を果たすまで、死ぬわけにはいかない…その執念だけが百合の命を取り留めた。

破滅の炎と刃…そして……身に纏った死の気配………

 

 

―――――屍の刃と黄泉の気配を纏った者

 

 

和麻が百合に抱いていた違和感がようやく溶けたような気がした。

半分は人間の血が流れているはずの霊力が弱いのもその辺りが原因だろう。常に自身を 傷付けているのだ。その傷を癒すために、霊力を…いや、命そのものを使っているのだ。

無謀とも思えるが、その思いに共感できる部分もある。

和麻もまた、翠鈴を失ったとき、自身の世界が一度壊れたのだ。

護れなかった自身を呪い、我武者羅に力を求めた……何度も自身を痛めつけた。その先 にある虚しさも知らず……

いや…そうしなければ、恐らく自分自身を保てなかったのだろう……自分も、百合も… 生き甲斐を求めていたのかもしれない。

 

――――力を求める理由……?

 

理由など、和麻にも百合にもない。

本当の意味での…百合は復讐のために……和麻はもう二度と取り戻せないものを護るた めに…互いに自己満足なのかもしれないと、内心で嘲笑った。

「だけど、精霊王と契約した 時に課せられるのはそれだけじゃない。寄生した精霊王は、私の…いえ、命を喰らって、炎を生み出す」

そう…無から有はつくれない。全てを滅する破滅の黒炎を生み出すためには、それだけ の命が必要なのだ。

百合自身の命…それが破滅の黒炎となる。そして、命を削るたびにこの右腕に刻まれた 痣が拡がる。

―――――命を喰らい尽くすように……

無論、百合の命だけでは黒炎を維持できない。だからこそ、百合は妖魔を狩り、その命 を奪い、自らの糧としている。

「たとえ…それがどんなに卑 しい行為だとしても、私は…私は、あの鬼になった瞬間に全てを捨てた……だから、私は…必ず奴らを…神凪を滅ぼす……誰にも邪魔はさせない」

過去はとうに捨てた…存在すら捨てた…名さえ失せた……どんなに辱められるようと構 わない……百合は、あの瞬間に死んだ。今ここに在るのはあの瞬間に生まれた黒い感情だけの残骸…それを果たすまで、死など赦さない……

そう、それまでは絶対に死ねない………死ねないのだ……………

復讐のためだけに生き、その後の生になど、何の価値も見出せない。人間にもなれず、 妖魔として生きることもできない…生まれながらに禍がいものである自身には、それしか生き方はないのだから。

 

 

話し終えた百合は、抑えていたものが吐き出されたように軽く息を吐く。

沈痛な面持ちを浮かべる百合に、話を聞き終えた和麻は、一言も発しない。いや、何か を言えるような状態ではないからだ。自分には、百合が間違っているとは言えない。その思いと哀しみが、嫌でも解かるからだ。

自分と同じだから…あの男を殺すためだけに力を得て、技を磨き、強くなった。

あの男への復讐だけが、自分を動かす原動力…あの時はそのために生きていた。

いや、それしかすることが無かったと言うのが正しいのかもしれない。

だが恐らく、自分も百合と同じ感情を抱いていただろう。

無言の静寂が続く中…不意に、和麻のポケットに入っていた携帯が振動した。

和麻は露骨に顔を歪めた。

ただでさえ、自分の周りは今、空気が重いというのに…無視しようとしたが、携帯はし つこく振動し、留守番にしとくなり、電源を切っておけばよかったと後悔した。もっとも、マナーモードにしていたおかげで、より場違いな着信音が鳴るのだけ は防げたのだが。今更電源を切るわけにもいかず、和麻は自身の携帯番号を知る人間を、一人一人思い浮かべる。

「ああもう、うぜえ!!」

あまりのしつこさに、いい加減ウンザリしたのか、徐に立ち上がる。

「ちょっとわりい」

片手で謝ると、和麻は部屋を後にし、廊下に出ると乱暴に携帯を取り出し、通話をON にする。

「誰だ?」

不機嫌さを隠そうともせず電話に出ると…それに対し、愛想のない低い声が、電波に 乗って相手の鼓膜を震わせる。

《私だ》

挨拶さえせずに、微塵もないこの無愛想で偉そうな声の主は、和麻にとって忘れようと 思っても忘れられず、さらにもっとも聞きたくもない声だっだ。

電話に出たことを、和麻は心底後悔した…というよりも、何故自分の携帯の番号を相手 が知っているのか。まあ、恐らく風牙衆あたりに調査させたのだろうが…プライバシーの侵害の欠片もないな、と内心で毒づく。

「何の用だ? 生憎と、俺は 今あんたと一番話したくないんだがな」

一刻も早くこの不毛な会話を打ち切りたいのか、和麻が毒づく。

《…こちらには用件がある。 お前の誤解を解こうと思ってな》

だが、こちらの都合などお構いなしに、相手は一方的に言いたいことを言う。

そのあまりに尊大な物言いと、あまりに馬鹿げた内容に内心呆れ果てた。

「はぁ? 何が誤解だって… クソ親父」

父……厳馬に対し不愉快気に呟くと、厳馬は静かに答えた。

《率直に言おう。神凪にお前 に対し敵対する意思はない。だからお前にも神凪と戦う意思を放棄してもらいたい》

思わず、眼が点になった…なんと身勝手な意見か。

反吐が出そうになる。

「あんた、漫才師にでもなっ たのか?なかなか面白いジョークだぜ…だいいち、仕掛けてきたのはそっちだろうが。俺はやる気はないというのに、あの分家のアホ二人は思いっきり俺を殺そ うとしてきたからな。正当防衛だ…そんな下らんこと言うためだけに電話するな」

和麻は少なくとも、かなり譲歩した方だ。関わらなければ、こちらも関わらないつもり だったが、話も聞かずに仕掛けてきたのは神凪の方だ。

何故こちらが、そんな身勝手な言い分を聞かねばならないのか。

《……神凪を完全に敵とする のか?》

「あんた、ちゃんと耳ついて るのか? それとも言葉が理解できないほど低脳なのか?」

この男は元々人の話を聞くつもりなどないのかもしれない。話を飛躍させすぎている… 早く打ち切りたいがために投げやりな態度で毒づく。

「ああ、それでもいいな。少 なくとも、神凪が滅ぼされる理由は腐るほどあるし」

先程の百合の話を聞かされていた和麻は、完全に神凪との決別を決めた。

神凪が自分を狙うなら、いくらでも潰す。力を誇示する者は、その力によって滅ぼされ ても文句は言えない…同じことを他人にしたのだから………

《神凪に勝てると思っている のか?》

「さあな? 俺じゃなくて も、神凪を憎んでいる奴は腐るほどいるみたいだし…それに、あんたや宗主以外じゃ、話にもならん奴らばっかりだしな」

分家最強の雅人、宗家に匹敵する慎吾と武哉…そして次期宗主の綾乃まで敗れた今、実 質神凪内の実力者は厳馬と重悟のみだ。

そして、今現在多くの相手から狙われているため、敢えて和麻を説得しにきたことは和 麻にも容易に察しできた。

《解かった。だが、一度直接 会って話をする必要があるな。これからそちらに向かう》

どうやら、話では無理と向こうも悟ったのか、実力行使に出た。

この時点で厳馬という男の底が知れた……説得と屈服の意味を履き違えている。

ここでいかなる譲歩をしても和麻を説得しなければならないというのに、生来の性格故 か、力押しの手段に出たのだ。

愚かという以外ない…無論、それは己の力に絶対の自信を持つがゆえにだろうが、厳馬 は和麻が自分に勝てるはずがないと向こうは思い込んでいる。

だからこそ最終手段に出たのだろう。

その言葉に和麻は瞬時に思考を巡らした。

(確かめられるか…俺を捨て たあの男を……本当に越えたのかどうかを……どんな手段を使ってでも!)

炎術師として…神凪としての素質がなかった和麻を捨てた父……あの時は、その力の大 きさに恐怖し、逃げ出した……だからこそ確かめたかったのだ。

本当に、自分はあの男を越えるほど、強くなったのかを……そして、完全に神凪と決別 する意思をぶつけるために。

「解かった…ただし、今は少 しまずいな」

内心にたぎる思いを抑えつつ、いつも通りのおちゃらけた言葉で続ける。

「今夜…そうだな、今から一 時間後、港が見える丘公園・フランス山で会いましょう」

時計は現在夜10時を回った。今から一時間後なら、公園内でもいちゃつくカップルも 流石にいなくなるだろう。

「邪魔は入らない。それに… 殺したいんだろ、俺を……あんたにとって唯一の汚点の俺を?」

揶揄するような…それでいて微かに殺気を滲ませる。

厳馬にとって和麻は失敗作であり処分したくてたまらないと思っていた。

実際のところは正反対なのだが、和麻がそれを知る由もない……和麻にあるのは、厳馬 が敵であるという事実だけだ。

《馬鹿者が。いいだろう、身 の程というものを思い知らせてやる》

自身の思いが伝わっていないと悟っても、なお厳馬には信念を曲げられず、傲然と言い 放つ。

「はっ、ようやく本音が出た か。いいぜ、期待してるよ…父上」

そう答えると携帯の電源を切り、和麻は内心に渦巻く歓喜と震えを同時に味わってい た。

内心に苦笑を浮かべるも、これは決して避けて通れない道だ。

自分が…過去の自分を乗り越えるため…そして、神凪と完全に決別するために……

「俺はもう逃げない…容赦し ないぜ、親父」

内に宿る熱い思い……炎を操れなくとも、和麻の内には熱い炎が燃え滾っていた。

和麻は、百合に気付かれないように、静かにその場を去ろうとした。どの道、今は百合 と向き合う覚悟がなかったからだ。

刹那、和麻は衝撃を受け、意識を手放した。

 

 

 

 

「……悪いわね」

意識を手放し、身を落とす和麻の身体を抱える。

和麻が一瞬の隙を見せた瞬間、和麻の身体に拳を打ち込んだ…無論、和麻は体術にかけ ても一流だが、今は少し間が悪すぎた。

百合の過去…厳馬との対峙への高揚に遂隙を見せてしまったのだ。

だがそれも、百合のように対等の立場でなければ不可能かもしれないが…軽く謝罪した 後、百合は和麻の身体を部屋のソファに横たえ、身を翻す。

傍にかけられていたコートを羽織り、禍火神を腰に差す。

先程の和麻の会話は若干ながら聞こえていた。神凪内での実質一、二を争う実力者…蒼 炎の神凪厳馬が動いた。

和麻が神凪厳馬の息子であることは既に知っていたし、先程の会話から相手を特定する のも容易かった。

百合はチラリと和麻を見やる……悪いが、神凪は全て自分の獲物だ。

誰にも渡さない……誰であろうともだ…神凪厳馬も…自分の手で殺す。

百合は今一度……己が右手を見詰める。

手の掌に大きく拡がった黒い痣に、眼を細める。

「………神凪を滅ぼしたら、 私の命なんてくれてやるわ。だから、それまでは………」

決意を新たに、拳を握り締め…百合は向かう……神凪に………

 

 

 

 

――――――断罪を果たすために……己の憎悪に従って…………

 

 

 


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