次回、「PHASE-11 迷図」
戦艦同士の激しい攻防が続くなかで、別の一画では、もう一つの戦いが続いていた。マコトのセレスティとリンのザクウォーリアは、突如出現したNダガーNの攻撃に遭い、応戦していた。
「くそっ、なんだこいつ!」
シルトゲヴェールのビーム砲を放ってくるNダガーNに歯噛みしながら回避する。宇宙空間に放り出されたと思ったら今度はまた見たことも無いMSによる攻撃。泣きたくなってきたとマコトは思わず内に叫びながら回避に徹する。
その横では、同じようにNダガーNを相手にするザクウォーリアのコックピットでリンはモニターに映る機影を確認し、眼を細める。
「GAT-SO2R:NダガーN…旧連合の諜報機が何故?」
首を傾げる。あの機体は確か、旧連合内部で極秘裏に開発が進んでいたはずだが、終戦条約締結と同時にプロジェクトは中止されたはずだ。
存在しないはずの機体…いや、開発データさえあれば、プロジェクトは続けられる。
「見れば見るほどブリッツに似ているな…だが、あの装備」
左腕を振り被り、鉤爪のハーケンファウストを放ち、伸びる爪を左のショルダーシールドで防御し、弾くもその反動で弾かれる。
歯噛みしながら機体に制動をかける。リンの眼は、NダガーNの左腰に装備された対艦刀と思しき装備を凝視し、眼を細める。
あの独特の形状…どうやら、この機体の背後にいるのは、単なる一組織ではないと確信する。
「だけど、今は倒すまでっ」
そう…詮索するのは後だ。今はこの場を切り抜けなければならない。肝心のザクウォーリアは先程の死神の攻撃で右腕を欠損し、装備は生憎と失っている。
「バッテリー残量は…全力で稼動できるのは最高で8分か」
あてにはならないなと苦笑を浮かべる。だが、それでもやりようはある…リンは操縦桿を引き、バーニアを噴かせ、ザクウォーリアを突貫させる。NダガーNはシルトゲヴェールを放つも、左肩のシールドに阻まれ、致命打にならない。
リンはさらにレバーを押し、バーニアを全開にする。最高速に乗ったザクウォーリアがNダガーNに向かって突撃し、スパイクシールドの体当たりを受け、NダガーNは衝撃に身を崩す。
「諜報用の特殊装備が仇になったなっ」
そう…戦闘中に確信した。諜報用に隠密性を重視した機体故に装備も特殊な状況を想定したものが多いが、破壊力に欠けている。一撃で相手を倒すほどの火力が無いのだ。正面から戦うには不利な機体。対し、こちらはパワーだけなら劣らないザフトの最新の量産機種だ。
リンは素早く左手を伸ばし、NダガーNの左腰分に備わった対装甲刀の柄を掴み、引き抜く。引き抜かれた刀をそのまま勢いよく振り下ろした。刀身がNダガーNの腹部に突き刺さり、コックピットを貫通する。
それを確認するまでもなく、リンはボディを蹴り、反動で離脱する。次の瞬間、腹部の核動力路が炉心を破壊され、爆発した。
通常のMSよりも高出力のエンジン故にその爆発の影響も大きく、爆発の衝撃波に吹き飛ばされながらも、リンは撃破を確認すると、一瞥してもう一機を見やるも、既に今の行動でバッテリー残量が底を尽き、動くのは不可能だった。
セレスティは回避に徹しながらNダガーNと距離を取ろうとしていたが、相手はそれを赦さず、腰部の対装甲刀を抜き、斬り掛かる。マコトは歯噛みしながら急旋回で斬撃をかわすも、胸に抱くカスミが表情を苦悶に歪めたことで思わずハッとする。
自分はまだいい。だが、先程からの機動でカスミの方はかなり参っているはずだ。このまま戦闘を続けるのは得策ではない。
「どうする……?」
己に向かって問い掛ける。正直に言えば、回避できているだけでも精一杯なのだ。だが、相手は離脱を赦してくれない。おまけにバッテリー残量も残り僅か。
「やるしかないっ」
取れる道は一つ…相手を撃退するしか、生き延びる術はない。
覚悟を決めたようにセレスティは保持していたビームライフルを構え、NダガーNに向けて斉射する。
相手が反撃してきたことに一瞬、動きが戸惑うも間髪入れずシルトゲヴェールで防御し、装甲刀を戻し、防御しつつ身を振り被り、左腕のハーケンファウストを飛ばす。
鉤爪が伸び、セレスティのビームライフルの砲身に絡み付き、相手と引き合う。
「ぐっ」
マコトは歯噛みしながらビームライフルを取られまいと操縦桿を引き、相手と引き合う。相手も簡単には離さず、引き寄せようとしている。
逡巡するなか、マコトは脳裏に相手の行動が過ぎり、次の瞬間…セレスティはNダガーNに引き寄せられた。
真っ直ぐにNダガーNに向かって進む。体勢を崩したセレスティに向けて、シルトゲヴェールを構える。
銃口にエネルギーが収束し、こもれた。マコトは反射的にトリガーを引き、バルカン砲が発射される。銃弾がNダガーNのボディに着弾し、僅かながら体勢を崩したため、発射されたビームはセレスティを掠めて過ぎる。セレスティはそのまま突撃し、体当たりで弾き飛ばした。
衝撃の振動がセレスティのコックピットにも響くも、相手のNダガーNはまったくの無防備で受けたため、完全に衝撃を受けたはずだ。
退いてくれ、と心の中で願うも…相手は無常にも反転し、襲い掛かってきた。対装甲刀を抜き、両手に構えて振り上げる。
相手の動きがまるでスローモーションのように映る。手を振り上げて迫る瞬間…それが振り下ろされる光景までが酷くモノクロだ。内に鳴り響く動悸と呼吸が止まったかのように息苦しい。
そして…マコトの眼に映る大きく空けたボディ。映し出されると同時にマコトは操縦桿を無意識に動かした。セレスティの瞳が輝いた瞬間……マコトの意識がハッとする。まるで、身体と意識が切り離されていたかのような感覚から立ち戻ったような実感。
モニターには、セレスティの眼前で静止するNダガーN。攻撃を止めた…いや、違った。よく見てみると、NダガーNのボディには、蒼穹の光の刃が突き刺さり、貫いている。刃が貫通し、背中に生えている。
その刃を握るのは、セレスティの手…セレスティの繰り出した刃がNダガーNのボディを貫く光景がそこに在った。
それをつくりだしたのはマコト自身…だが、そんな自覚が沸いてこない。まるで、他人の仕業のように錯覚するも、それを成したのは紛れもなく自分自身だというのは操縦桿を握る自身の手が証明していた。
リアクターを貫かれたNダガーNのボディから光がこもれる。それが何かを気づいた瞬間、マコトはビームサーベルをOFFにし、慌てて離脱した。一拍後、NダガーNは爆散する。
その余波がモニターを通じて激しい閃光となって差し込み、思わず眼を覆うも、次の瞬間、正面モニターに何かが鋭く体当たりするように付着した。
視界を覆いながら隙間から見えたのは…真っ赤なもの。それが何であるかを悟った瞬間、マコトは鼓動が大きく脈打ち、激しい動悸に襲われた。
「はぁ、はぁ…」
呼吸が荒くなり、操縦ができない。吹き飛ばされたセレスティはそのまま慣性に従って流されるままだったが、機体が突如何かに受け止められた。
軽い衝撃に意識を戻し、モニターを見やると、セレスティの背後にインパルスが佇んでいた。
「シ…ン……?」
掠れた声でその機体のパイロットの名を呟くも、マコトは極度の緊張感が切れたのか、意識を混濁のなかへと引きずり込まれていった。
ただ…正面モニターには、【CANCELLATION】の文字だけが表示され、セレスティの瞳からも主が意識を失ったのと同じく光を消失していた。
ガーティ・ルーが離脱をかけるなか、ミネルバは、帰還信号を出した。対艦戦闘に巻き込まれるのを避け、尚且つ素早く回収しなければならなかったからだ。
そのために、一時攻撃が止んだ隙を衝かれ、離脱しようとするガーティ・ルーの動きを察知したバートがタリアに報告した。
「ボギーワン、離脱します! イエロー71アルファ!」
「インパルスらは!?」
「帰投、収容中です! その際に被弾していた友軍機を随行しているとのことですが…」
メイリンが言葉を濁らせる。敵MAと交戦中であったインパルス以下4機は帰還についたものの、道中被弾していた友軍機を回収したと報告が上がるも、タリアは気にも留めず促した。
「急がせて! このまま一気にボギーワンを叩きます。進路イエローアルファ!」
正直、今は敵艦を逃さないことに意識を集中しなければならない。他のことまで頭が回る余裕がない。そのために、タリアは厄介事を抱え込むことになるのだが、今の彼女の眼はモニターに映るガーティ・ルーに向けられていた。
セレスティを抱えたインパルスとザクウォーリアを抱えたセイバー、そしてザクファントムとザクウォーリアがカタパルトハッチに飛び込み、ハッチを閉じると同時にタリアの号令とともに、主砲のトリスタンを放ちながら、離脱をかけるガーティ・ルーを追った。タリア自身も見たことのない形状だが、それが強奪犯の母艦であることは察せられる。
ブリッジにいる者達は睨むように離脱をかけるガーティ・ルーを睨み、攻撃しながらエンジンの出力を順調に上げ追撃に向かった。
相手もかなりの高速艦のようだが、ミネルバの俊足は先の大戦で活躍したエターナル級にも引けをとらない。このまま、例の3機を奪われたまま逃すわけにはいかない。最悪それを自らの手で破壊しようとも……そんな気迫に応じるように、ミネルバは加速し、徐々に距離を詰め始めた。
トリスタンの砲火がガーティ・ルーの船体を掠め、続けて発射されたイゾルデの砲弾が艦の間近で爆発し、船体を大きく揺さぶる。
エヴァらクルーらが振動に呻くなか、エレベーターが開き、ロイが艦橋に現われた。その姿にクルー達が歓迎するように声を上げ、エヴァも苦笑を浮かべながら、首を振り向かせる。
「遅刻よ」
咎めるエヴァに悪びれもなく肩を竦め、詫びる。
「すまん、遊びすぎたな」
「まったくよ…保護者がそれでどうするの」
嫌味を微かに滲ませた物言いにロイは苦笑を浮かべるだけだ。エヴァも肩を竦め、それ以上追求はしない。
「敵艦、なおも接近! ブルー0、距離110!」
オペレーターの報告に二人は視線をモニターに移した。
モニター越しに迫るミネルバの姿。その速度は従来のナスカ級とは比べ物にならない。徐々に縮む距離に苦く表情を顰める。
「かなり足の速い戦艦のようね。厄介な」
軽く睨みながら毒づくも、それに被せるようにオペレーターが声を張り上げる。
「ミサイル接近!」
ミネルバの両舷から放たれる数十発のミサイルが弧を描きながら襲い掛かる。
「取り舵! かわせぇ!」
回避しつつ、後部イーゲルシュテルンが火を噴き、艦尾に喰らいつこうとするミサイルを叩き落すも、その誘爆による衝撃波が突き上げるように船体を揺らす。
振動に呻いていたエヴァが一瞬視線を落としたのも束の間、次の瞬間、ガバっと顔を上げたその視線は大きく吊り上がっていた。
「こんのぉ…よくも私の艦にちょっかいかけてくれやがったな! 人のケツ追っかけるような真似しやがってっ」
その口調は荒々しく、とても先程までの冷静なものではなかったが、そんなエヴァの豹変ぶりにもロイは愚か、クルー達も驚いた様子は見せない。
「てめえら、両舷の推進剤予備タンクを切り離せ! アームごとでかまわねえ! ケツ追っかけるクソ野郎にお望み通りかましてやれ! 分離と同時に爆破! 奴の鼻っ面に喰らわせてやれ!」
捲くし立てるように指示を飛ばすエヴァにロイが感心したように笑みを浮かべる。なかなか大胆な作戦を取る。
だが、そういった観点に捉われないのが彼女を高く評価している要因でもあった。クルー達もそんな艦長を頼もしく思いながら作業を開始する。
「同時に上げ舵35、取り舵10、機関最大! ラストバタリオンを舐めんじゃねえぞっ」
思わず中指を立て、モニター越しに挑発する。
ガーティ・ルーはミネルバのトリスタンの射線を避けながら上昇しだす。その行動にタリアが眉を寄せる。
だが、突如ガーティ・ルーは両舷から突き出していた翼のような構造物を切り離した。
「ボギーワン、船体の一部を分離!」
その行動に、タリアはますます眉間に皺を寄せ、疑問を憶える。重量を減らし、加速力を得る為に切り離したのか。最初にその可能性が浮かんだが、2基の構造物は慣性に従い、こちらの進路へ漂ってくる。
近づくにつれて、その姿が鮮明を帯び始める。突き出した支柱のような突起物の先端に噴射口のようなものがあるのを確認し、基部近くに幾つものタンクと思しき物が取り巻いている。それが何かを察した瞬間、タリアは顔色を変え、鋭い声で叫んだ。
「っ!? 撃ち方止め! 面舵10、機関最大!」
慌ててタリアは、火器管制官のチェン=ジェン=イーにそう命じるとすぐに、進路変更も指示した。矢継ぎ早に出される命令に従い操舵士のマリク=ヤードバーズが舵を切るが、一歩遅かった。
突如、艦の目前に迫っていたその破棄された構造物は瞬時に膨れ上がり、次の瞬間、炸裂した。視界が真っ白なものにホワイトアウトし、一同はあまりの光に眼を閉じるも、至近距離で起こった爆発が眼を灼いただけではなく、艦はまるで乱気流に呑まれたかのように揺さぶられた。
その激しい振動にメイリンの甲高い悲鳴が艦橋に響き、デュランダルも呻きながら低く身を構え、タリアはシートのアームを掴んで衝撃に耐え、唇を噛み締めていた。
―――やられた!
そんな陳腐な一言が過ぎるも、忌憚のない今のタリアの心情だった。
敵が分離したのは、予備の推進装置だ。推進剤がたっぷりと詰まったタンクを機雷として叩き付けるなどという奇策、そう簡単に思いつく戦術ではない。同時にタリアは確信した。
あの艦に乗っている相手は、一筋縄で決していかない相手だ…と。
その数分前、ミネルバの格納庫では帰還した各機の固定作業が行われていた。
カタパルトハッチが閉まり、艦内にMSが格納されると同時に蜂の巣を突いたような騒々しさに包まれていた。
「インパルスやセイバーを固定急げ! すぐにダメージチェックだ!」
マッドが指示し、クローラーに固定された各機の四肢を固定具がジョイントし、機体を固定する。それと同時に戦闘で受けたダメージの解析と修理作業が同時に開始される。
「こいつはデータ取りも兼ねてるんだ、解析を忘れるな!」
肝心なことだが、この機体は試験機でもある。いきなりの実戦投入ではあったが、そのデータは貴重なものであり、今後の開発にも活かされる。そのために戦闘データは余すことなく記憶せねばならない。
インパルスとセイバーに大方の整備士を回すと、マッドは少数の整備士を率いて被弾したザク各機を見渡す。
「レイとセスの機体のチェックを最優先だ! その後は残りの機体に回れ!」
指示を出し終えると、マッドは難しげな表情で固定されるセレスティを見上げた。
その時、排出されるような音とともにインパルスのハッチが開放され、コックピットでシンはヘルメットを脱ぎ、首を振る。
「ふぅ」
小さく息を零す。よく見れば、顔には汗がビッショリと浮かんでいる。そして、表情は浮かない。
負けた…そんな感情がシンの内を支配していた。決して自分の腕に自惚れているわけでもないが、4機掛かりでMA一機に遅れを取ったのだ。流石に気にせずはいられなかった。だが、こうして閉じ篭っていても仕方ないとばかりに被りを振り、熱気が漂う格納庫内に飛び出す。
格納庫内はインパルスとセイバーが抱えてきたセレスティとザクウォーリアに整備班は眼を丸くしていた。
「シン」
「おい、大丈夫か?」
ヴィーノとヨウランに言葉を返さず、シンはコックピットを出て固定されたセレスティに向かう。何故マコトの機体がこんな戦闘宙域にいたのか。おまけに戦闘をしていたようだし…だが、彼は民間人だ。流石に心配になり、放っておくこともできずこうしてミネルバに運び込んだわけだが。
(後で大目玉喰らうかな)
そんな苦い感想が過ぎる。セレスティを固定していたマッドが声を掛ける。
「おい、シン…こいつはいったい?」
搬入予定にない機体だけにマッドも戸惑っている。ただでさえ、日本の機体まで入れて整備班が困惑しているところへ、また見も知らぬ機体が持ち運び込まれれば当然だろう。
「詳しい話は後で。パイロットは?」
「あ、ああ。コックピットは無事だ」
返事を待たずしてシンはハッチ付近に跳び、セレスティの外部スイッチを押し、ハッチを開放する。コックピットを覗き込むと、シンは眼を見開く。
シートの上でぐったりと背を預けるマコトとそのマコトの胸のなかでこちらも気を失っているのか、意識がないカスミの姿。
「お、おいマコト! しっかりしろ!」
慌ててシートベルトを外し、その身を機外へと引っ張り出す。呼び掛けるも、マコトからの返事はない。だが、その蒼褪めた表情から尋常でないことは察せられた。
どうしようかと戸惑うシンの耳に、聞き覚えのある声が飛び込んできた。
「カスミちゃん!」
「え? マ、マユ?」
聞くはずのない声が聞こえたことに振り向くと、そこには医療班の制服に身を包んだマユの姿があった。だが、マユは不安げな面持ちでシンに引かれるカスミに寄り、その状態を確認する。
「よかった、気を失ってるだけだぁ」
外傷が無いことにホッと胸を撫で下ろすも、シンは再度問い掛ける。
「おい、マユ!」
「え…あ、お兄ちゃんいたんだ」
真顔でさらっと呟くマユにシンは思わずコケそうになるも、今の現状を思い出し、そんな馬鹿をやっている場合ではないと気を取り直す。
「なんでミネルバに乗ってんだよっ?」
少々語気が荒げる。マユはまだ見習いで、おまけに軍属ではなく民間の看護士志望だったはずだ。それが何故軍艦…よりにもよってミネルバに乗っているのか。その問いにマユはバツが悪そうに表情を顰める。
「その…いろいろと成り行きで」
言葉が宙を彷徨い、視線が泳ぐ。ちょうど事件が起こった時間、マユはシン達に用事で宿舎を訪れ、ミネルバの方まで来ていたのだが、あの事件が起こり、負傷者が多数出たため、マユも見習いではあるが、看護士として救急活動に加わり、医療品を取りにミネルバに乗り合わせせたところへ、あの発進騒ぎに巻き込まれ、済し崩し的に乗艦してしまったのだ。
事情を聞かされたシンも思わず強く言うことができない。不幸が重なっただけの不運としか言いようがない。
「解かったよ、艦長には後で言っておくから」
「うん、それよりステラ義姉ちゃんは?」
「ああ、それなら」
ステラの安否も気遣ってか、姿を捜すマユにシンが周囲を見回した瞬間、ステラが突進してくるようにこちらに跳んできた。
「シン! 大変!」
「って、うおわっ」
激突しかねない勢いでシンに飛び込む。無重力でなければ、ステラの身体が密着されたことだろうが、生憎と今の状態ではシンは一緒に飛び、浮遊するだけなので、手近に浮遊しているものを蹴り、動きを止める。
「大変、大変なの!」
咳き込むように何度も連呼するが、肝心の内容が解からず、シンは首を傾げる。
「いったいどうしたの?」
マユもあまりの慌てぶりにやや上擦った口調で問うも、ステラは頭がうまく纏まらないのか、言葉が口の中で彷徨うも、やがて顔を振り、視線を一点に向け、つられて二人もそちらに眼を向けると、飛び込んできたものにシンとマユの眼も驚愕に見開かれる。
「え?」
「リン……さん?」
二人が視線を向ける先には、セス以下数名の警備兵に銃を向けられ、手を頭の後ろで組みながら、被弾してステラのセイバーに運ばれたザクウォーリアのコックピットから出てきた、あり得ない人物がいた。
ステラ自身もザクウォーリア収容と同時にセスがコックピットにいるパイロットを救助しようとしたのだが、なかなか現われず、不審に思ったセスが開放したところ、見慣れぬ人物が搭乗していたため、思わず警戒した。だが、ステラはその覗き込んだコックピットにいた人物の顔を見て、驚愕し、慌ててシンを捜したのだ。
シンやステラ、マユの脳裏に2年前のあの戦いが過ぎる。共に戦ったかつての戦友。だが、この場では一番あり得ない人物だった。
三人とも、無意識に、そしてやや慌てて近づく。シンはマコトを、マユはカスミを抱えたままだが、無重力からか、その存在を失念する程だった。接近にするにつれてより鮮明になってくる。変わらぬ髪に真紅の瞳…そして、銃を向けられているのにさして動揺した素振りも見せず、むしろ睨むように見ている態度からも明白だった。
「リンさん!」
思わずシンが叫ぶも、リンは無言のまま、反応しない。返事がないことに戸惑う。シン達は相手がリンであることを確信しているのだが、相手は自分達に気づいていないと思ったのだが、接近してくるシン達を一瞥し、やがて警備兵の後ろで静止すると、再度呼び掛ける。
「リンさん?」
「……人違いよ」
問い掛けにそっぽを向いて言い捨て、セスが銃を構えたまま促し、リンは肩を竦めながら、宙を跳び、それに追随する。
その背中を、呆然と見送るシン達に、リンは内心迂闊だったと毒づく。
戦闘で稼働時間を使い果たし、漂っているだけだったリンのザクウォーリアはセイバーに回収された。それだけでも厄介だというのに、そのままミネルバに収容されたのだからなおタチが悪い。これがアーモリー・ワン内部での件なら、そのまま機体を乗り捨てていくこともできただろうが、戦闘中の戦艦では無理な話だ。
おまけに、この艦の主戦力のMSパイロットには顔を知られている。正体が知られれば厄介な事態になる。あのMSを追って、コロニー外に飛び出したのは、少し早計だったかもしれない。
もっとも、そこまでやっても結局取り逃がしてしまったのでは、グウの音も出ないが。
(それに……)
リンは何気に後方へと視線を流し、自分を連行する黒髪の女性:セス=フォルゲーエンを見やる。オッドアイの視線を瞳を持つ者。その片眼の紅色は、やはり奇妙な感じを抱かせる。
それは、MC同士の感覚の共鳴…もしくは共有というのだろうか。だが、2年前のきょうだい達とは少し違う気がする。そんな袋小路に陥り、リンは表情を顰める。
(お前は……何だ…?)
内に向かって問い掛ける。だが、それに答は返ってくることなく、セスは無表情で追うだけだ。逡巡しても答が出ず、リンはふと格納庫内を見渡すと、奥のハンガーに固定された機体が視界に入った。
(アレは確か、日本の…それに……)
クローラーに固定されているのは間違いなく日本からの使者が来訪した時に見た機体だ。そして、その隣には、左腕を欠損したザクウォーリアが固定されている。
(キラやラクスもここにいるのか…・)
断定はできないが、その機体はキラ達が搭乗していた機体のようだ。なら、この艦に乗艦している可能性がある。うまく誤魔化せるかと内心に考えていると、突如艦を激しい衝撃が襲った。
「何だ!」
「被弾したぁ!?」
衝撃に様々な器具が散らばり、無重力のなかを飛び交う。揺れる衝撃に各々は手近に身体を固定し、または掴んで必死に耐える。
「慌てるな! 作業を中断、何かに掴まれ!」
混乱する整備士をマッドが一喝し、衝撃が通り過ぎるのを耐える。そんななか、ザクファントムを降りたレイはブリッジに直通のインターフォンを取り、通信を試みたが、不通になっているらしく、繋がらなかった。
「ブリッジ、どうした!? チッ!」
小さく舌打ちし、受話器を投げ捨てて、ブリッジに直接確認に向かった。
リンは相手が体勢を崩したことで僅かに距離を取ろうとするが、セスが素早く背中に張り付き、銃を抜いて背中に突きつけた。
(こいつ…)
その反応にどこか確信めいたものを感じる。銃を突きつけられているものの、リンは動揺した素振りも見せず、セスの表情がより険しくなる。
「動くな…次に妙な真似をすれば、即座に発砲する」
背中越しに冷たい口調で告げられるも、リンは表面上は従うも、無言で相手を見据える。
今の反応といい、微かな殺気混じりの口調といい…どうやら、案外近くに手掛かりは残っているかもしれないと内心確信する。
とはいえ、今は騒ぎを起こすのは不本意なのか、リンはセスの言葉に従った。振動が続くなか、リンはハンガーに収まるセレスティを一瞥する。そして、その視線が微かに細まった。
ガーティ・ルーの切り離した推進剤タンクの即席機雷の直撃を受けたミネルバは濛々と立ち込める爆煙を裂きながらその船体を現わす。表面上は目立った外傷は見当たらない。
「各ステーション、状況を報告せよ!」
ようやく衝撃から立ち直った艦橋では、各セクションの状況確認のために、アーサーが通信機に怒鳴っていた。
タリアも首を振り、まだチカチカする眼を瞬きながらバートに問い掛ける。
「バート、敵艦の位置は!?」
「待ってください、まだ…」
爆発の影響で変調したモニター画面に悪戦苦闘しながらも、懸命にセンサーを調整し、相手の位置を探っているも、タリアは苛立つ。
こちらは体勢が整っておらず、相手からすれば格好の的だ。相手からの追撃に備え、次の指示を下す。
「CIWS起動、アンチビーム爆雷発射! 次は撃ってくるわよ!」
脅すような口調で告げるタリアにブリッジのクルー達の表情が凍り、汗が頬を伝う。ここに配属された者は確かに能力的には優秀なものの、実戦経験の点で言えば薄い者が多い。メイリンなどはこんな修羅場を初めて味わうためか、今にも泣きそうな表情だが、相手はそんな事で手を抜くような真似はしない。
身構えるタリアだったが、それはバートからの報告によって予想を外れた。
「見つけました! レッド88、マーク6チャーリー! 距離500!」
その座標の意味するところを悟り、アーサーが唖然と呟く。
「逃げた…のか?」
相手の行動に混乱する艦橋に、レイが入室してくる。その視線が後部座席に座るデュランダルに気づき、驚きの声を上げる。
「議長!?」
デュランダルはそんなレイの無言の笑みで応じるも、やがて聞こえてきたタリアの声にレイも視線を前へ向けた。
「やってくれるわ…まさか、こんな手で逃げようとするなんて」
忌々しげに…だが、どこか敗色を滲ませながら溜め息をこぼし、シートにもたれ掛かった。
相手が取ったのは通常の戦闘シミュレーションでは考えられない手段だ。しかし、だからこそ意表を衝き、柔軟な対応が取りにくい。あの艦の艦長は、そんな一般的な括りから飛び出すような鬼才の持ち主だ。
敵ながら、同じ艦長として敬服の念を憶えずにはいられない。もし敵でないなら、顔を拝んでおきたい気がしないでもないが……そんな考えを抱き、肩を落とす。
「……だいぶ手強い部隊のようだな」
慰めのつもりだろうか。背後からのデュランダルの言葉に、タリアは座席を動かし、向かい合いながら、表情を引き締める。
「ならばなおのこと、このまま逃がすわけにはいきません。そんな連中にあの機体が渡れば……」
「ああ」
噛み締めるように発するタリアに、デュランダルは瞳に鋭い光を浮かべ、表情に懸念の翳りが浮かぶ。
『EVE of the END of the WAR』で結ばれた終戦条約では、各国の軍事力の項目について、保有戦力の透明化と保有数の制限が設けられている。それは、軍事戦力を平等に保つためのものだ。様々なパラメーターから導き出される国力に応じ、戦力に制限を設ける。悪戯に軍事力を拡大する国家には、条約違反として、様々なペナルティが各国の裁定によって課せられる。下手に軍事力を拡大しては、危険国家として見なされる恐れもある。極秘裏に進めようとも、所詮国家は一枚岩ではない。どこから情報が漏れるか解からない。そのために迂闊な真似にも先走られないという暗黙のルールが構成されていた。
だが、新兵器の開発に関しては決して制限されているわけではない。量が制限されるなら、質を高めればいい。前大戦初期においてザフトが取った手法の一つだ。これにより、セカンドシリーズが計画されたといっても過言ではない。
既に先行していたニューミレニアムシリーズはウィザードシステムによる改修が成され、一機で複数機分の戦闘能力を有するのがインパルス以下5機のセカンドシリーズ。だが、その内の3機までが強奪されたとなれば、事は機密の漏洩だけに留まらず、軍事力のパワーバランスを崩しかねない危険性も孕んでいる。
なにより、自分達が心血注いで造ったMSに攻撃され、更には窮地に陥るなど茶番もいいところだ。
そんな危険性を説くタリアはデュランダルを見据え、簡潔な口調で意見を呈示する。
「今からでは下船いただくこともできませんが、私は本艦はこのまま、あれを追うべきと思います…議長の御判断は?」
厳しい表情で決断を迫るも、デュランダルは柔らかく表情を緩めた。
「私のことは気にしないでくれたまえ、艦長。私だってこの火種、放置したらどれほどの大火になって戻ってくるか、それを考えるのは怖い。あれの奪還、もしくは破壊は現時点での最優先責務だよ」
その笑みもすぐに深刻なものに変わり、口調がどこか憂いを帯びる。
同意を得られ、一先ずの安堵を得たタリアは内に微かな昂揚を感じつつ、前に向き直る。クルー達はその会話を固唾を飲んで窺い、身構えるなか、タリアはバートに尋ねる。
「ありがとうございます。バード、航跡追尾は?」
「まだ追えます!」
待っていたとばかりに強く応じるバートにタリアも頷く。
「では本艦はこれより更なるボギーワンの追撃戦を開始する! 進路イエローアルファ、機関最大!」
「進路イエローアルファ、機関最大!」
他のクルー達も弾かれたように作業を開始し、艦橋は俄かに騒がしくなる。ミネルバはエンジンの出力を上げ、ボギーワン:ガーティ・ルーの航路を追った。
「全艦に通達する。本艦はこれより、さらなるボギーワンの追撃戦を開始する! 突然の状況から思いもかけぬ初陣となったが、これは非常に重大な任務である。各員、日頃の訓練の成果を存分に発揮できるよう、努めよ!」
アーサーのやや興奮気味な艦内アナウンスが各セクション内に響く。だが、その表情には厄介な事態になったという諦めにも似たものが浮かんでいた。だが、こうして迅速に対応できる辺りは流石だと、タリアはコンディションレベルをイエローに下げさせ、ブリッジ遮蔽を解除するように指示を出した。
戦闘CICからせり上がり、元の航行位置にまで戻るとともにタリアはデュランダルに微笑みかける。
「議長も少し艦長室でお休みください。ミネルバも足自慢ではありますが、向こうもかなりの高速艦です。すぐにどうこうということはないでしょう」
すぐに離脱をかけられた辺り、敵艦もかなりの高速性がある。スピードではこちらが勝っているだろう。追いつくことはできるが、それでも数時間程の余裕はあるだろう。クルー達にも少しばかり休息が必要だ。
「レイ、ご案内して」
「は!」
すぐ傍に控えるレイに命じると、意気込んで応じ、丁重にデュランダルに目礼する。
「ありがとう」
いつもの柔らかい微笑みを浮かべながら告げる。そう言えば、レイとデュランダルは親しいのだったと今更ながら思い出す。タリアも少し身を休めたいと思い、席を立とうとした瞬間、艦内から通信が入った。
《艦長》
モニターに映しだされたのは、ミネルバに搭乗予定だったパイロットの一人、ルナマリアだった。
何か異常でもあったのかと思ったが、困惑した面持ちのルナマリアを見て、タリアは何故か嫌な予感を感じつつも問い掛けた。
「どうしたの?」
《はい、戦闘中のこともあり、ご報告が遅れました。本艦発進時に、格納庫にて本艦に着艦したMSに搭乗していた民間人4名を発見いたしました》
「え?」
その報告を聞いた瞬間、タリアは厄介な事態になったと表情を顰めた。この艦はこれから戦闘に向かうのだ。民間人を同行させるなど、邪魔でしかない。襲撃事件時は慌てて着艦する機体にまで眼を配る余裕がなかったから仕方ないかもしれないが…そう考えるタリアの耳に、信じ難い言葉が飛び込んできた。
《この内、ザクに搭乗しておりましたのは、ラクス=クライン外務次官とその秘書官であるヒビキ=ヤマト氏。随行していた日本のMSより拘束しました二名は、大日本帝国外交官の斯皇院雫氏とその随員、真宮寺刹那と名乗り、傷の手当てとデュランダル議長への面会を希望いたしました…》
「クライン…! それに、日本の……!?」
余りにも予想外の言葉に、愕然とした表情で聞き返すタリアの背後では、同じようにデュランダルも驚愕の表情を浮かべて報告に耳を傾けていた。
「クライン外務次官や斯皇院外交官が何故ここへ…?」
当のデュランダルも困惑している。彼らにシェルターへの避難を促しただけに、何故この艦に乗っているのか。
《僭越ながら独断で乗艦を許可し、傷の手当てを行い、現在は士官室でお休みいただいておりますが……》
当のルナマリアはどう指示を仰ぐべきか窺うような視線を向ける。まさか、VIPの応対をするなど、考えていなかったに違いない。だが、それはタリアも同様だった。
嫌な予感が当たってしまったと、思わず頭痛に頭を抱えそうになる。新造艦の艦長に任命されてからというもの、次から次へと厄介な事態ばかり転がり込んでくる。
自艦に配備予定であって新型機が奪取され、あまつさえその機体でアーモリー・ワンが滅茶苦茶にされただけでも艦長としては失点だというのに、おまけに進水式を得ずに慌しく艦は出航。それ程までしたというのに、敵を眼の前で取り逃がし、さらにストレスが溜まっているところへ、今度は自国の外務次官に日本の使者が乗船…国家元首である評議会議長だけでも厄介な荷物だというのに、さらにそこへ二名…余りにも無視できない存在が転がり込んできた状態で、追撃戦をする羽目になり、肩に掛かる重圧が一気に跳ね上がり、胃に穴があきかねない事態に、タリアは深々と溜息を吐き出した。
だが、これより時を置かずして、格納庫から、さらに民間機を保護したという報せを受けることになるとは、今の彼女は知る由もなかった。
その頃…ミネルバによる追撃から逃れたガーティ・ルーは、宇宙を航行していた。一応の危機が去った今、格納庫では、奪い取ったカオス、ガイア、アビスの3機のデータの吸出しが修理と並行に行われていた。
回収部隊が持ち込んだ予備バーツによって修理も滞りなく進んでいる。
そんななか、ロイは飄々とした調子で訪れていた。
「軍曹、どうかな…彼らが持ち帰った玩具の程は?」
話し掛けるのは、整備士を取り仕切っている初老の男。つなぎを着込み、整備帽を反対に被った男の本名は、ロイも知らない。ただ本人が軍曹と呼べと言っているだけで、ロイ自身詮索もしないからだ。
能力的にも優秀であるし、そもそも名など必要ではない…特に、この組織では。
「ああ。少し触っただけだが、流石にいい性能だ。口惜しいが、ザフトが宣伝するだけはある」
どこか皮肉めいた物言いで肩を竦める。
流石はザフトの最新鋭機。その性能は確かに特筆に価する。無理をしてまで持ち去っただけはある。
「すぐ使えるかね?」
「ああ、予備パーツもあるしな…お前さんの機体もすぐ終わるさ」
ロイの示唆するところをすぐ悟り、飄々と答え返すと、結構とばかりに笑みを浮かべる。
「それより、あいつらはどうなんだい? こんな大きな作戦初めてだろう? 疲れたんじゃないのか?」
孫を心配するような表情を浮かべ、そう問う軍曹にロイも頷き返す。
「彼らなら心配ないさ。このために寄越されたんだからな…では、準備を頼む。すぐ使うことになるかもしれんからな」
意味深な言葉を呟き、格納庫を後にするロイにやれやれとばかりに肩を竦め、軍曹は整備に戻っていった。
無重力のなかを移動しながら、ロイは次にガーティ・ルー内のある一室に向かう。
ドアを開け、入室すると、それに気づいた白衣を着た者達が敬礼のために立ち上がるも、それをやんわりと制し、ゆっくりとガラス張りになっている計器の前に立ち、そのガラスの向こうを見詰める。
薄暗い部屋に微かに響くモーターの唸りと、時折聞こえる専任スタッフの交わす声だけが小さく響く。そんな彼らを一瞥さえせず、ロイはガラス奥に存在する円形に近いベッドのような器具を見やる。
三つ葉のクローバーのような形状に並ぶドーム型のベッドの上を覆うガラスカバーの下、ベッドには、エレボス、ステュクス、レアの3人が思い思いの格好で横たわっている。
その姿は、戦闘時の鋭敏なものではなく、歳相応…いや、それよりもより幼く見える。まるで母の腕のなかで眠る赤ん坊のように安らいだ表情を浮かべる彼らをまるで祝福するように、幻想的な光が浴びせられている。
「どうかな、彼らの最適化及び、睡眠学習の程は?」
スタッフの一人に問い掛けると、簡潔に応じる。
「概ね問題はありません。3体とも精神的な変調は見られません…また、身体細胞が過度に疲弊しておりますが、これも初実戦を考えれば、問題ではないかと」
その返答にロイは顎に手をやり、ふむと応じる。
「第3世代型…能力は多少マシにはなったが、それでも調整が少し不便なものだな。ラボには使い捨てても構わんサンプルでも送ってもらえんかね?」
そう問うと、スタッフはやや心外とばかりに表情を顰める。だが、ロイは構わず視線を再びガラス向こうに移す。
(全てを忘れるがいい…そう、恐怖も傷みもなにもかもな。兵器に道具に感情など不要なのだよ……この私のようにな)
眠る3人を一瞥し、ロイは静かに部屋を後にする。
部屋のドアが閉じられた後、スタッフの一人が何かに気づいたように声を上げる。
「おい、3008のメンタル値の変動が激しい。少し、パルスを変更しろ。それと、グリフェプタンを8mg程注入だ」
スタッフ達が言葉を交わすなか……ベッドに眠るレアの瞳から微かに雫が零れ落ちるも、スタッフらにはどうでもよいことだった。
艦橋に戻ると、そこにはエヴァと、報告に訪れていたカズイの姿があった。
「バスカーク中尉、御苦労だったな」
「いえ、結局大佐の手を煩わせてしまって…」
恐縮するカズイに手を振る。
「ああ、気にしないでくれたまえ。君程の相手が手こずるとなると、仕方がないさ」
そのままエヴァの後ろにつくと、エヴァは見上げるように声を掛けた。
「概ね作戦は成功…まあ、私達ラストバタリオンの初陣としては上々だったかしらね?」
茶化すように漏らすエヴァ。
今回の作戦は少しばかりケチがついたものの、目的であった新型機の奪取には成功し、さらには新造艦との戦闘から多少のデータを収集できた。その点で言えば、確かに成功に近いだろう。
「しかし、新型機が5機存在していたというのは情報にありませんでした。これは明らかに諜報部のミスです。この件は問題に……」
実際戦った観点からか、余計な損害を被ったカズイとしては、情報を見誤った諜報部に対して憤るも、ロイは顎をさすりながら制する。
「いや…今回は私のミスでもある。それに、今諜報部の活動を抑制することはできんしな」
「それに、この事態も案外思惑通りかもしれないしね……」
溜め息を零すエヴァ。諜報部の情報ミスではあるが、そこに意図が絡めば話は別になる。諜報部は情報の真偽を確認しなかったのか…あるいは、敢えて虚偽の情報を与えたのか。
そしてそれは…自分達の上……ユニオン上層部の思惑かもしれない。そう疑うエヴァにロイは肩を竦める。
「まあ、それは議論していても始まらんさ。我々は、我々の成すべきことすればいい…ポイントBまでの時間は?」
別の件をオペレーターに尋ねると、すぐに答えが返ってきた。
「2時間ほどです」
「追撃してくるかしらね?」
何を懸念しているかを察したエヴァは探るように視線を向ける。返ってくる答えは予想できていたが、それでも尋ねるのが副官の務め。
「解からんがな」
その問いにロイはあっさりと素直に答えた。
「だが、そう考えて予定通りの進路を取る。予測は常に悪い方へしておくものだよ…特に戦場では?」
「正論ね」
わざとらしく肩を落としながら、エヴァはもう一つ…確かめなければならないことがあった。
「で……ガキ共の最適化は?」
「概ね問題はないようだ。今は天国にいることだろう…束の間の桃源郷にな」
揶揄するように口元を歪める。
あの部屋は、彼ら三人のために特別に設けられたメンテナンスルーム。MSと同じ…彼らもまた精密なメンテナンスが必要な、パーツだからだ。特に精密である以上、一度の戦闘の度にメンテナンスをしなければならない、というのが難点だが。
MSの操縦…それは、ナチュラルにとってはまさに手に余るものだった。極一部…身体的に秀でたパイロットがいるものの、大部分のナチュラルのパイロットはMSの操縦をOSによるサポートによって並みに動かせ、コーディネイターと対等に渡り合えるのだが、それだけでは優位にならない。
そのため、ユニオンの前身であるブルーコスモスの一部の幹部が旧連合の軍部と結託し、極秘裏に進めていたのが、コーディネイター並みの反射神経、動体視力、運動能力を備えたパイロットを製造することだった。それらに求められたのは、ただのMSの制御用のパーツ。そこに個人の思想も人格も必要ない。そんな不確定要素を排除した機械のパーツとなるパイロット…エクステンデッド計画。
「ただ、ステュクスがレアにブロックワードを使ってしまったようでね。それが少々厄介ということだが」
あの三人にそれぞれ設定されたブロックワード…それを彼らが知覚した瞬間、精神支配時に刷り込んだ暗示が一時的にだが解け、抑え付けていた負の感情を放出してしまう。レアの場合、それが恐怖という感情だった。
そして、それらを再び抑え込むのが、先程のメンテナンスルームで彼らの眠っていたカプセルベッド。通称ゆりかごと呼ばれる代物で、エクステンデットをこのカプセル内で調整することで、ブロックワードによって溢れ出した恐怖や戦闘中に溜まったストレスをヒーリング効果のあるイメージ映像や音楽を彼らの脳に直接送り込み、エンドルフィン効果を促し、除去する効果がある代物であった。
また、場合によっては戦闘に支障が出かねない記憶の消去、マイナス要因を排除する働きを持ち、また脳内に直接戦闘データを送ることで、睡眠学習を促し、次の戦闘に反映させる効能も兼ねている。このメンテナンスによって、彼らエクステンデッドは、人としての感情を持たない、そして常に最高のコンディションを維持できる最適な兵器となる。
そして、エクステンデットに調整段階で投与された様々な麻薬に近い薬中毒を中和しなければならない。過度の調整で体内物質が極度に変化している彼らは、この調整なくして、長く生命活動を維持することはできない。つまり、これが彼らの生命線を兼ねてもいる。
スタッフの一人から告げられた報告を苦笑めいた言動で発し、エヴァは眉間に皺を寄せながら自分の考えを述べた。
「まったく…手の掛かるガキ共だ。最も…そんなガキ共を使うことしかできない私らもだけどな」
エヴァからしてみれば、手の掛かるガキ位にしか認識していない。彼女はそう割り切っている…そして、ユニオンの研究部が子供をエクステンデッドの素体に使用するのは、弄りやすいという点と、次の新たな素体候補の製造機にするためだ。
そんな現状に、やや自己嫌悪するエヴァを宥めるようにロイが肩をポンと叩く。
「あまり、深入りはしない方がいい。我らに…亡霊には不要な感情だろう」
「解かってる。ただの感傷さ……私らに求められるのは所詮、使い勝手のいい道具だからね」
自嘲するように肩を竦める。
自分達の属する組織に人権などというものはない。自分達は所詮駒だ。彼らに限ったことではない。作戦が失敗すれば、彼らは無論のこと、自分達も役立たずとして切り捨てられる。目的を達するためには、少数の犠牲で効率的に成すのが最善だろう。それが組織…そして、戦争だ。
そしてそのために…自分達がいるのだ。ユニオンの特殊機動軍、通称ファントムペイン。亡霊と名づけられた部隊だ…亡霊に、情けなど不要だ。
「確かに以前よりは大分マシになったようだが…それでも、厄介なものに変わりはないがな」
話を戻し、ロイも溜め息を零す。ほんの些細なことですぐに調整が必要なモノが、果たして戦場で役に立つのだろうか。なにより、いつも彼らを最適化できるとは限らない。そんな信頼性に欠けたものであることも、ロイは理解していた。だが、それを承知で容認して使わなければならない現状に対して僅かながら悪態をつく。
第1世代型は、先の大戦中期において実戦投入された。強力な薬物と肉体強化手術を用いたものだったが、戦闘稼動時間が極端に短く、また通常の判断能力や思考能力にも欠けた、味方にまで損害を出した程の粗悪品だったらしい。結果として、その手法はすぐさま行き詰まり、大戦後期には第2世代型のエクステンデッドが投入された。それは今の手法に近いものだったらしいが、満足なデータ取りを行う前に投入された試験体が全てMIAとなり、結局計画は一時頓挫したらしい。
それから試行錯誤を繰り返し、今の第3世代型が誕生した。思考能力や判断力を残し、尚且つ身体能力を限界までに引き上げられる素体が。もっとも、ロイからしてみれば彼らも同じようなものだが。
道具と割り切っているなら、使い捨てるような素体がいくらでもいるだろう。彼らを使えば、人的被害など関係ない。
「あら冷たい? 出撃前にあの娘の服を褒めてあげてたじゃない」
からかうエヴァにロイは数日前の出来事を思い出す。アーモリー・ワンへの潜入のために一般人の招待客に紛れるため、彼らに一般の服を送ったのだが、レアがそれに大いに喜び、自分も出発前にその服装を褒めたのだが……
「出撃前に彼らのテンションを下げるような真似は指揮官としてできんよ」
誤魔化すのでもなく、平然と言い捨てるロイに、怜悧なものを感じ、エヴァも表情を微かに顰める。
これ以上の言い合いは不毛だと感じたエヴァは口を噤み、ロイは笑みを浮かべ、静かに前を見据える。
「仕方ないさ。今はまだ何もかもが試作段階みたいなものさ。艦も、MSも、パイロットも……そして…世界もな」
「ええ、解かってるわ。世界は…これから、また変わってゆく」
そう…世界は変わる。いや、変えていくのだ……自分達が。それがどのような方向であれ、結果を齎すのであれ、世界を変えなければならない。その意志で、彼らはここにいるのだ。たとえ、自分の存在が何の価値もないものだとしても……
「やがて、全てが本当の始まりを迎えるさ…そして繰り返す……永久の…運命をな」
サングラスの奥の瞳に鋭さと怪しさを秘めた光を宿し、口元が歪む。その彼が見据える先は何なのか…たとえようのない闇をロイの内に垣間見、エヴァは魅入られたように頷いた。
世界は……変わっていく…それは……エンドレスの運命を誘う…………
《次回予告》
初めて味わう感覚に嫌悪し、また困惑する。
少年は己が欲した力に微かな恐れを抱く。
渦巻く運命が齎した路に、戸惑い…そして迷う。
出逢う若き戦士達がそれぞれの思いに惑う。
だが、運命の流れはそんな時間を赦しはしない……
互いに拡がる疑惑…そして小さな禍根………
混濁する迷いなか…戦いの嵐が月の女神の名を冠する艦に襲い掛かる。
獰猛な…哀れな終末の軍団が………
迷いの迷路…打ち砕け、セレスティ。