様々な思惑が蠢き、暗躍する。

 そして、それは一つの大きな奔流となって本流になる。

 アーモリー・ワン、ジェネシスα、ヘリオポリス……それぞれの運命に誘われし者達が集い、そしてその運命の指し示す奔流へと委ね、それはある一点に収束を始めていた。

 それは…新たなる終わりと始まりを告げるもの……アルファであり、オメガでもあるもの。

 忘れえぬ業の記憶の証。





 地球軌道を囲うように浮遊する無数のデブリ。大昔の人工衛星に始まり、宇宙開発と同時に打ち捨てられた様々なものが朽ちることもなく漂い、それが時折糸に引かれるように地球の引力圏へと引き寄せられ、安定した衛星となって周回軌道となる。気の遠くなるような時間をただ流れ続けるものが無数に収束し、形成されたデブリ帯は地球を囲うリングのごとく巨大な輪を構築し、それは静寂と死が漂う墓場のごとき様相を創り出した。

 そのデブリ帯のなかを航行する一隻の作業艦。ジャンク屋組合で標準的に使用されているコンテナ輸送艦に作業用アームを接続された艦には、ジャンク屋組合のマークが施されている。

「姐さん、もう少しで目標に到着するっす」

 作業艦の艦橋で操舵を取る男が振り向きながら報告すると、奥のキャプテンシートに着く小柄な褐色の肌を持った女性が深々と応じる。

「はいはい、了解」

 手を振りながら大仰に肩を落とすのは、ポーシャと呼ばれる人物だった。元海賊であったが、様々な事情からジャンク屋組合に身を寄せた人物であった。

「ったくもう、人使い荒いんだから」

 ここには居ない上司に向かって毒づき、溜め息を零す。

 元々海賊であった故に、ジャンク屋としてのスキルはまだまだであるため、彼女はなかなか成果を上げられていない。生活苦とはいえ、こんな場所まで足を伸ばさねばならないことにジャンク屋をやめてまっとうな仕事に就こうとさえ考える。

「ぼやかないでくださいよぉ」

 そんな彼女を宥めるように苦笑いを浮かべるも、ポーシャは口を尖らせる。

「それにさ、なぁんか嫌な予感がするんだよねぇ」

「予感ですかい?」

「そ、あたしのレーダーにビンビンきてんのよ」

 やや顰めた面持ちで視線を細める。この辺の感覚は海賊時代の賜物か、お宝を嗅ぎ分ける臭いと危険を察知する本能、この二つが明確な理由がない不安を齎していた。

「考えすぎじゃないっすか?」

「そうっすよ、だってこの辺はジャンク屋組合の活動テリトリーですし」

 肩を竦め合う部下達に口を噤むも、頬を膨らませている。

「なに言ってんのよっ私の勘は当たるんだから……ふぎゃっ」

 怒鳴ろうと身を乗り出した瞬間、鋭い衝撃が船体を襲った。激しい轟音とともに大きく揺さぶられる艦橋。それにより、ポーシャは顔面から床へダイブし、顔を打ちつける。

「な、なんなのよぉ」

 痛みと熱でヒリヒリする顔面を押さえながら顔を上げ、視界を彷徨わせる。だが、耳に警告を告げるアラートが響いてきた。

「こ、攻撃ですぜっ」

「左舷貨物ブロックに被弾! 火災発生、姐さん、ヤバイっすよ!」

 悲鳴のように響く声だが、ポーシャはそれを冷静に理解することができない。だが、このままではマズイというのは本能で察し、間髪入れず叫んだ。

「に、逃げるよ! 面舵! さっさとズラかるわよっ」

 その指示に否などなく、ただの民間艦、しかも中古で購入したオンボロ艦では逃げしか取れない。

 急速に艦首の向きを反転させ、噴煙を立ち昇らせながら尻尾を巻くように離脱する。

「命あってのものだね! やっぱジャンク屋なんてやるもんじゃないわ!」

 激しく狼狽し、取り乱しながら己の嫌な予感が当たったことにポーシャは己の不運のよさに嘆きながら必死に逃げるのであった。

 離脱していく輸送艦を離れた位置からスコープ越しに見据える一体の機影。デブリの岩塊の上に陣取り、大型の固定型狙撃ライフルを構えながらモノアイが不気味に輝く。

「フン、惰弱な輩が」

 その黒々と塗装された機体のコックピットで、野太い男の吐き捨てる声が小さく響く。

 トドメを刺す必要なしとばかりに顔を上げ、ライフル銃を担ぎ、足場にしていたデブリから離脱する。

 機体はデブリ奥へと迷うことなく掻き分けるように進み、やがてその先に同型機と思しき機体が何十と滞空している空域へと合流していく。

 彼らが固まる先には、周囲のデブリのなかでも一際大きな物体。椀状の半円から伸びる巨大なストリングスの隆起。微かに散りばめられた氷と人工ガラスの透き通った色彩。宇宙の暗闇のなかでそれは一つの大きな芸術を表わすようにこの場所に溶け込んでいる。

 そう…この巨大な墓場に―――――2年前のA.W.の最初の戦端となった悲劇の地、人の忌まわしき業の証。A.W.の最期を飾ったユニウスαの片割れ。地のバレンタインで二つに引き裂かれたユニウスセブンのもう一つの片割れ、ユニウスΩであった。

 そのユニウスΩの周囲において警戒するように布陣する不審な一団。MSを保有する時点でそれが穏やかでないものを漂わせる。

 僚機に合図を送り、それに応じたのを確認すると、男は機体をユニウスΩの天頂部分に接近する。

 幾本も伸びる外壁を形作っていたハイテンションストリングスが自己修復ガラスの残骸を纏わりつかせ、まるで霜に彩られる木々のように見える。それらのストリングスの木々に纏わりつくようにびっしりと無数のワイヤーが巻きつけられている。それに沿って各所に巨大なテンキーを備えた起動装置を抱えた作業ポッドが取り付き、設置を行い、入力を行っている。

 よくよく見れば、それは何十と無数に取り付けられている。その様を眺めながら、男はモニターに表示されるデータを見据える。それは、ここから離れたこの太陽系の中心に位置する恒星。生命を育んだもの、太陽から放たれるあらゆる物質の観測データだった。その脇に据えられたモニターには燃え盛る太陽のプロミネンスの光景が映し出されている。

「風はどうだ?」

 それを一瞥し、無造作に問い掛けると、別の機体から通信が返ってくる。

《太陽風、速度変わらず。フレアレベルS3。到達まで予測30秒》

 その報告を聞き、男は微かに表情を緩ませる。それは、歓喜を表わしているのだろう…待ちに待った刻を運ぶ恵みの風の到来に、男は催促するように仲間のMSや作業ポッドに檄を飛ばした。

「急げよ! 9号機はどうか?」

《はっ! 間もなく!》

 きびきびと返ってくる返答も独特の規律の正しさを漂わせる。それは、明らかに意識された上下関係を表わしていた。

《間もなくですね、隊長》

 作業の終了を今か今かと待ち侘びるなか、傍に控える僚機からの言葉に男も厳粛たる思いで応じる。

「ああ、待ちに待った刻が来たのだ。我らの悲願のために…我らの志を成就させんがために」

 一点の迷いもない力強い意志。男達はこの瞬間のために今まで苦渋に耐え、凌いできたのだ。

 見下ろす眼下には、凍てついた海、白く立ち枯れた麦畑、行き交う人の途絶えた街並み。宇宙空間にぽっかりと浮かぶそれらは、言いようのない静謐さを漂わせている。それを見るたびに決して消えることのない激情が滾る。

 やがて、設置された起動装置のテンキー入力を終えた作業ポッドが離れ、準備の完了を告げる報告に、男は一瞬瞑目した後、背筋を整えるように伸ばした。

「この地の眠りし者達に…敬礼!」

 その声と共にMSが一斉に直立不動の敬礼をし、そして黙礼する。死者達の眠りを妨げようとする己の行為に対する懺悔。だが、男達の内にはそれを詫びるかのごとく言い訳の言葉が飛び交う。

 これも必要な事だと…卑しい行為だとしても、これこそが彼らの願いであると……そう言い訳し、男は迷いを断ち切るように顔を上げた。

《放出粒子到達確認。フレアモーター、受動レベルまでカウントダウンスタート》

 観測担当からの通信に、漆黒のMS、ZGMF-1017M2:ジンハイマニューバ2型を駆る者達は離脱をかけ、距離を取って凍った大地の直上にて静止し、カウントダウンが刻まれていく瞬間を一時も見逃さず見守る。

 刻々と刻まれるカウントダウンの瞬間を、固唾を飲んで見守る。

《10、9、8、7、6、5、4、3、2、粒子到達。フレアモーター作動!》

 観測担当者の興奮した声、それに全員が感嘆の声を上げる。風が追いついた。ストリングスに取り付けられた無数の起動装置の基盤が次々と作動し、稼動ランプが灯っていく。氷に彩られたストリングスに灯る赤い光は、まるでクリスマスツリーを彩るイルミネーションのようにも見え、不釣合いな暖かい感動を齎していた。

 だが、それもほんの一瞬のこと…次の瞬間、ユニウスΩが振動に包まれ、凍てついた大地を震動させ、その大地に亀裂が走る。周囲にデブリを巻き込みながらゆっくりと動き出すユニウスΩ。

 太陽黒点上空のコロナに蓄えられたエネルギーが一気に放出されるフレア現象によって生じるプラズマが大きな波となって宇宙空間を走る。それが太陽風と呼ばれる現象だ。大気の循環すらない真空のなかでもその圧力は吹き荒れ、物体に干渉する。だが、それにはもう一つ別の要因が必要となる。太陽風のなかに含まれる荷電粒子による磁場に干渉させるために、受け止める側にも磁場を発生させなければならない。そのために、ユニウスΩのストリングスに巻きつけたワイヤーにコロニーの生命維持装置の発電施設から電力を発生させ、電流を流す。これによってストリングスが巨大な電磁コイルとなり、ユニウスΩ全体を巨大な磁場に包み込む。

 磁石同士の干渉がこの巨大な墓標を恐るべき凶器へと変貌させる。磁場の干渉がユニウスΩを押し出し、それはやがて緩やかな流れとなって進んでいく。その光景に一同は興奮の声を上げて見送る。

 一旦軌道から離れたユニウスΩの残骸は重力に引かれ、優雅に宇宙空間を滑っていく。地球の周回軌道から外れ、回るように向かって行く。その先は、引き寄せる彼らの目指す目標―――眼下に鎮座する忌まわしき青き惑星、地球。

「サトー隊長、これで」

「ああ…我らにこのような機会を与えたもうた神に…感謝する」

 サトーと呼ばれた男は殉教者のごとく宇宙を仰ぎ、黙礼する。

 彼らが使用した起動装置は、太陽風から発生するプラズマの磁場を応用した推進装置:フレアモーターだ。

 その赤い点灯するフレアモーターを一瞥し、サトーは数日前の出来事を脳裏に過ぎらせる。

 彼らは、2年前のA.W.の第2次ヤキン・ドゥーエ攻防戦の最中、戦線より離脱逃亡した者達だった。機動力を活かしたプラントの遊撃防衛に就いていた彼らは、突如の政権交代と戦闘停止命令に反発し、ゴタゴタに紛れて脱走した。苦渋に耐えるために、廃コロニーを転々とし、無為に過ごしていた彼らの許に、数日前に謎の人物らが現われた。

「ベルゼブブ、サタンとか名乗ったか……神ではなく、悪魔か」

 難しげな面持ちで独りごちる。サトーらの前に現われたのは、身体の全体像を完全に覆う鎧で顔を隠したサタンと名乗る人物と黒いマントで身体を多い、編笠を被ったベルゼブブと名乗る人物だった。

 突如自分達に資金と装備の援助、情報の提供。そして、このフレアモーターを渡した。彼らの正体や思惑は確かに怪しかったが、満足な行動すら起こせない今の自分達には喉から手が出るほど欲するものであった為、彼らはその思惑に乗ることにした。

 ガーディアンズがアメノミハシラを離れるタイミングなど、根回しの良さには正直不気味なものがあったが、そのおかげで滞りなくここまで進められた。なら、後は突き進むのみ。彼らにはもはや退路は無い。ならば悪魔だろうがなんだろうが利用するまで。

 不意に、サトーはコックピット脇に貼られた数枚の写真を眺め、そのなかで笑い合う男女の顔に留まる。ザフトの軍服に身を包んだ青年と、サトー自身と抱き合う赤ん坊を抱えた若い女性。

「アラン…クリスティン……これでようやく俺も、お前達に………」

 写真のなかの愛しい者達は答えない。だが、その写真の笑顔がいつもより輝いているように見て取れ、サトーも思わず頬を緩ませる。まるで、己の道が正しいことを証明するかのごとく。

 サトーと同じ心持ちなのか、他のパイロット達も己の感慨に耽っていた。やがて、彼らの耳に待ち侘びた言葉が飛び込んでくる。

 それは、この2年間の耐えてきた苦汁が一瞬にして報われるようなものだった。

《ユニウスΩ、移動を開始しました……!》

 弾まんばかりの声にサトーは眼を伏せた。暫し、黙祷するとサトーは眼を見開き、ゆっくりと動き出す虚空に浮かぶ巨大な大地をしっかりと見据える。

「さあ行け! 我らの墓標よ……っ!」

 今一度、一斉に敬礼し、見送る。

「嘆きの声を忘れ、真実に眼を瞑り、またも欺瞞に満ち溢れるこの世界を…今度こそ正すのだ!」

 高らかに告げ、デブリを砕きながら地球に向けて進むユニウスΩを見据える。

 それは、己が抱く憎悪と憤怒に支配された者達の世界への宣戦布告………

 未だ癒えぬ哀しみ…そして永久に在り続ける世界の歪み………







 そして―――――



 ――――――世界を新たなる運命と誘う序曲の最終楽章が奏でられる…………

 ――――――永遠に続く理を詠い続けるかのごとく………







機動戦士ガンダムSEED ETERNALSPIRITSS

PHASE-17  混濁する悪意







 地球軌道とさほど離れていない位置にて停泊を余儀なくされたミネルバだったが、連日の整備班の仕事振りもあり、既に航行可能な状態まで回復していた。

 船外では、未だ完了していない外装部分の補強作業にノーマルスーツを着て修理をする者も見える。客観的に見て利巧とは言えない方法で危機を脱した代償として外装を5割方傷つけた修復は流石に容易ではない。外装と合わせてエンジン等の機関部や各種システムを調整する者に分かれるなか、艦内の戦闘要員や比較的関連性のない一般部署の人員達は慌しい処女航海を終えての休息に身を委ねていた。

 それは、ミネルバの艦長たるタリア=グラディスも例外ではなかった。

 灯りの落ちた暗闇に包まれる艦長室のなかで、一人で眠るには大きすぎるベッドのヘッド部分に灯る微かな薄暗い灯のみ。

 そのおごそかな灯りが照らすベッドには、二人の男女の姿。片方はこの部屋の主であるタリア。そして、その横で彼女との営みに興じているのは、プラントの最高評議会議長であるギルバート=デュランダルだった。完全な防音が施された部屋であるが、声を押し殺すなかで続けられる営みがやがて最高潮に達し、終わりを迎える。

 その後、二人は暫し無言でベッドのなかで横になっていた。やがて、デュランダルは身を起こし、手元のチェックボードに眼を落とし、議長としての仕事に没頭している。

 先程までの余韻は何処へやら、どこか興醒めた面持ちでタリアは冷ややかな視線を無意識に浮かべていたが、それに気づいたデュランダルは視線を微かに向け、いつもの柔らかな笑みを浮かべる。

「気にすることはないよ、タリア。あの状況で君は君の職務を果たした」

 その囁きには、いつもタリアのなかで甘さと苦さが入り混じったビターチョコレートのような感覚を齎す。そして、その快楽に身を委ねそうになる自身を欺くように寝返りを打ち、背を向けた。

「失敗を慰めてほしくて、部屋に入れたわけじゃありませんわ」

「ほう?」

 無造作に応じるも、デュランダルは気にした素振りも見せず、生返事で再びチェックボードに眼を落とし、タリアはどこか不満気になり、シーツを引き寄せ、身を隠してチラリと肩越しにその姿を見やった。バスローブ姿で長い黒髪を肩に流した端正な顔立ちを眺めながら、タリアは今の現状に対して呆れと寂しさが混じった複雑な疑問を頭に浮かべた。

(何故、こんなことになってしまったのだろう……?)

 思わず自身に対し問い掛けるも、タリア自身さえもどうでもいいような投げやりな答しか出ない。

 一介の艦長とプラントの最高権力者がこうしてベッドを共にしているなど、体面的にもいいものではない。だが、タリアにはデュランダルを受け入れたいという欲求と拒みたいという悩みが鬩ぎあっていた。

 そんな優柔不断振りが嫌になる。仮にも未亡人で子持ちだ。女としてそれなりの貞操観念も持ち合わせているものの、タリア個人の感情と女としての性が縛り付ける。

 色仕掛けの女狐―――陰で叩かれている陰口ぐらい、タリアは百も承知だ。事実、女性で艦長職に就く人材など、ザフトではほとんどいない。その自分が艦長職に前大戦就けたのも恩師であったダイテツの推薦もあったことは否定しない。その抜擢に対しても恥じない努力をしたことも決して否定させない。だが、ミネルバへの昇進を言い渡されてから何かが変わり始めたと思わざるをえない。

 デュランダルが議長に就いてから顔を合わせる機会も増えた。それからどちらかとでもなく自然とベッドを共にする関係になった。そこに自身の打算も確かにあったかもしれない。

 ねだった訳でもないが、最新鋭艦の艦長職への栄転はタリアにとっても望むものであったし、結果を優先しただけに過ぎない。

 周囲から見れば卑しいと罵られるかもしれないが、実力主義のコーディネイター社会において…いや、結果が優先されるからこその自身の実力だと…だが、彼女はデュランダルの干渉振りを思い起こしながら考え込む。せっかく得た今の地位も肝心の提供者がすぐ後ろに陣取られていてはやりにくいことこの上ない。いらぬ気遣いと気苦労を常に背負い、心労は溜まる一方だ。

「それにしても…随分と買ってお出でですね?」

「ん?」

「流石ですわ、先の大戦のエースの一人…漆黒の戦乙女の判断力には驚嘆させられました。頼りになることで」

 どこか愚痴っぽく言い捨てる。

 肝心の心労の一端を買うのは先のデブリ戦での一件。敵に罠にまんまと嵌り、小惑星に絡め取られた醜態。その危機を脱っさせたのは部外者であるリン=システィ。いくら昔ザフトに属していたエースとはいえ、今は一民間人。おまけに彼女の意見を尊重させたデュランダルの判断。客観的に見てあの状況ではリンの意見を優先させたデュランダルの判断は正しかったのだろうが、肝心タリアにしてみれば面白くもないのだ。

 信頼されていると思われていた相手にないがしろにされたのでは…ここで割り切れるほど、デュランダルとの関係が深いタリアには無理な注文だった。

 棘のある物言いにデュランダルは苦い笑みを浮かべて肩を竦める。

「そんな事はないさ。私は君の能力を信頼しているよ」

 白々しい称賛にタリアの憂鬱さは晴れるどころかさらにどんよりとしていく。もうこの不毛な会話を打ち切りたいとばかりにベッドに身を沈める。

「無理に取り繕わずとも結構ですわ。それより、灯をおつけになったら? 眼を悪くなさるわよ、私と違って貴方の身体は貴方だけのものでもありませんでしょう?」

 シーツに潜り込みながら素っ気無く伝え、デュランダルは相も変わらずの生返事で応じる。

「ああ、解かったよ、タリア」

 シーツに潜り込み、告げるタリアに答え返し、結局は書類に眼を落とす様相に小さく溜め息を零した後、心労のせいか身を襲う心地よい睡魔と沈黙に思わず落ちようとした瞬間、無粋な電子音が響く。安息を妨害されたタリアは微かに不機嫌な心持ちでシーツを纏い、気だるげに身を起こし、インターンの備わった執務机に向かった。

「どうしたの?」

《艦長、デュランダル議長に最高評議会より、チャンネル・ワンです》

 繋がれた報告にタリアは眠気が一気に吹き飛び、思わず振り返り、デュランダルを見据える。

 『チャンネル・ワン』。それは緊急の場合などに用いられる最優先のホットラインだ。それを用いての通信となれば、決して只事ではない。

 言葉を呑み込むタリアに対し、デュランダルもまた端正な眉を微かに顰めた。







 ミネルバの士官用の一室を客室代わりに与えられたリンは備え付けの端末を操作し、データの解析を行っていた。

 キーを叩く音が響く室内においてリンは瞳をモニター画面に集中させ、データを確認していた。

 モニターには、アーモリー・ワンで戦った黒衣の機体が映し出されていた。無断拝借したザクウォーリアのカメラで撮影した敵機の動きをコピーした記録ディスクを持ち出し、その動きを再度検証していた。

 モニターのなかで鮮やかな動きを見せる黒衣の機体。その動きを随所随所余すことなく解析し、瞳のなかに映し出す。やがてリンは難しげに眉を寄せ、小さく唸る。

「やはり、似ている……」

 思わずそう漏らす。

 黒衣の機体の動きが、重なる―――レイナのインフィニティに……だが、とリンは思考を巡らせる。

「この違和感は何なのかしらね……」

 動きはほぼ間違いなくレイナと同一といっていいほどの反応値だというのに、微かなズレのようなものがある。無論、完全に動きを同一にトレースさせるなどそう容易いものではないし、あの機体に搭乗していたのはレイナではないから、むしろそれこそが自然のはずだ。

 だが、それがリンに微かな違和感を抱かせていた。何かが違う、と…それに、何故レイナと同じ動きをするのかが解からない。姉の機動概念は確かに飛び抜けているが、それはあくまでレイナ個人の戦闘技法によって修練されたものだ。技法に添うならいざ知らず、機動概念そのものを完全にトレースする意図が掴めない。だが、いくら悩んでも答は出ず、リンは小さく溜め息を零し、シートに背を預け、天井を仰ぐ。

 そして、左腕を翳し、ライトの灯を背に陰になる左手の薬指に反射するリングを見据える。

(気になる点はもう一つ……あの女…セス=フォルゲーエン、とか言ったっけ)

 脳裏を過ぎる黒髪に紅と紫のオッドアイの女性の姿。どこか、猜疑心を纏わせた態度だが、これは自分が裏切り者であるから自然なことだが、それ以上の何か、憎悪に近い負の感情が垣間見えたかに見えた。

「あのピアス……まさか、ね」

 セスの左耳に飾られた赤いピアス。アレは、あの時に見たもの…まだ憶測の域を出ないが。

「それに、フォルゲーエン……何処かで聞いた覚えが…」

 彼女のファミリーネーム。記憶の端に引っ掛かるような感覚。だが、それは記憶の奥底に埋もれ、今は確認する術がない。

「そして、あのMSか」

 最後に浮かんだのはあの黒衣の機体と交戦した純白の機体。リンも初めて見るタイプの機体だったが、MSが民間にも普及し始めた今日、全ての機種を確認するなど不可能に近い。それは問題ではないが、あの機体はどうもそれだけでない何かを憶えさせる。

「パイロットがジャンク屋の人間となると…基になっているのはアストレイ…にしては設計思想がかなり異なってるし……地球側のデータ盗用機?」

 純白の機体:セレスティの持ち主であるマコトがジャンク屋組合の人間であることはラクスに確認を取った。ジャンク屋組合でもし造られたものなら、流用されているのはアストレイのデータの可能性が高いが、機体のフレーム構造からしてかけ離れしすぎている。となれば、旧連合もしくはザフトの機体という可能性も捨てきれないが、詳しくは解からない。

 だが、こうしてざらっと並べてみただけでも不可解な事態が連続して起こっている。アーモリー・ワンでの強奪事件など、それらに連なる些事の一端ではないのだろうか。

 眼前で起こった大事の前には些事は埋もれて隠されていく。なら、これが始まりなら…近いうちに何か大きな大事が起こる可能性がある。

「姉さん…姉さんが姿を消したことも、それに関係しているの……?」

 どこか弱々しい口調でポツリと漏らし、リンは不意に胸元のクリスタルを握った。

 ゼロと名乗った女が持っていたペンダント。姉の身に何かが起きたのはもはや明白。なら、それに繋がるためには、今一度あのゼロという女と会う必要がある。

 レイナへの手掛かりは…彼女が握っているかもしれないのだから……幸いにも、アーモリー・ワンからの出迎えのシャトルが来るらしい。デュランダル以下、要人と客人である雫と刹那はそれによって一度アーモリー・ワンに戻るらしい。なら、ミネルバに留まるよりも気軽に動ける方がゼロの動きを探れる。

 その時、ドア付近のインターンが鳴り、リンは思考を一旦中断させる。通話を繋げたリンにラクスからの切羽詰った口調が聞こえてきたのはすぐのことだった。







 デュランダルがプラントからの最重要ホットラインを受けてから十数分後、あてがわれた士官室で休息を取っていた雫の許にデュランダル以下、タリアとラクスらが訪れ、怪訝になる雫に向かって驚くべき報せを携えてきた。

「そんな…まさか……」

 その伝えられた報せに、さしもの雫も絶句せざるをえなかった。

 いや、それを聞いた人間なら大抵は彼女と同じ反応を返すだろう。それ程、伝えられた内容は非現実的なものだったのだから。

「ユニウスΩが動いている…しかも、地球に向けて……」

 思わず反芻する雫の内にはそれがどれ程の大事か、想像もできない。だが、片割れとはいえコロニークラスの大型の質量が地球に落下するなど、考えたくもない事態だ。

 やや蒼褪める雫に対し、さしものデュランダルも硬い表情で応じる。

「それは解かりません。だが、動いているのです。それもかなりの速度で……最も危険な軌道を」

 その口調は深刻だが、いつもと同様滑らかで淀みがない。隣で座するラクスは眼に見えて動揺が貌に表われている。この辺は議長としての豪胆さゆえか…壁に背を預けるリンもその会見を見やりながら先程ラクスから伝えられた内容を内に反芻させていた。

(まさか、アレがね……2年前の再来、か)

 やや苦い心持ちで呟く。

 今もあの時のことを思い出す度に過ぎるこの心境は払拭できない。動き出したユニウスΩ。2年前のあの最期の戦いで防いだ事態が再び繰り返されようとしている。

 そして…これこそが、この一連の事件の集束点なのではないのだろうか……そう思考を巡らせるリンの耳に、タリアの言葉が飛び込んできた。

「それは既に本艦のシステムによる演算でも確認致しました」

 事実を裏付けるように応じる。ミネルバのレーダー以下全てのセンサー系を駆使してデブリベルト周辺の探査を行った結果、プラントからの情報の裏付けが完全に一致した。デュランダルほどではないが、彼女も冷静な口調だった。

 それがやや波立っていた雫の心境に僅かながら冷静さを齎してくれた。動揺を押し込めるように組む手の力を強め、やや強張った面持ちでデュランダルを見据える。

「原因は…やはり、解かりませんか?」

 二つに割れたユニウスセブン。αは前大戦の最終戦において軌道が戻り、安定軌道に乗った。その後も厳重な管理がしかれていた。片割れのΩもまた一時期軌道が危ぶまれたものの、ジャンク屋ギルドの手によって100年単位での安定軌道に移動させられたと雫も知らされていた。だが、そのΩにはα程の管理体制は行われていなかった。

 そんな勝手な安心感など、まったく意味が無い。今既にこうして現実に起こっているのだ。なら、その原因を探ることの方が重要だ。

 答が返ってくることを期待した訳ではない。ただ、これも訊かずにはいられない外交官としての立場ゆえか。真剣な面持ちで問う雫に対し、デュランダルは推測をまじえた返答を返した。

「隕石の衝突か、はたまた他の要因か…詳しくは解かっておりません」

 予想通りの返答に落胆はしなかったが、デュランダルが漏らした一言には緊張感を憶える。ユニウスΩの軌道変更はプラントの監視センターで確認が取れたものの、その原因についてはまったく判明できていなかった。緊急で行われた臨時評議会も議長たるデュランダルの不在で混乱しているらしい。所詮、それぞれの役割以上を円滑に行うには経験の浅い能力主義のコーディネイター社会では難しいかもしれない。想定外の事態に対する対応の柔軟性における弊害が浮き彫りになり、事態は収拾がつかない状態が続き、ようやく調査の部隊を派遣するまでにこぎつけたらしい。

「他の要因…それは、やはり人為的なものであると……そういうことでしょうか?」

 徐に口を挟んだリンに一同は思わず視線を向ける。ラクスがやや狼狽した視線を向けてくるが、それを無視し、デュランダルを凝視する。

「あれだけの質量です。事前に確認させていただいたデータによれば、地球軌道に沿って間違いなく落下コースを取っている。いくら軌道がズレたとはいえ、異常なことです」

 会見前にラクスから見せてもらった落下軌道データに眼を通し、すぐさまその不自然な動きに気づいた。仮に自然的な要因だとしても、あれ程滑らかに軌道にのるなどそれこそ天文学的な確率だ。そんな突拍子もない要因よりは、外部からの要因が加わったと考える方が自然だ。

「ならば…それを成した者がいる、ということでしょうか? アレを地球に落とすことを望む者の手で……」

 探るような視線を向ける。少なくとも、現時点でアレを地球に落とすことを善しとする勢力は限られてくる。

 暗に示唆される疑惑に気づいたラクスやタリアはやや憮然としたものを浮かべ、雫もまたどこか窺うように戸惑ったものを浮かべる。そんななか、デュランダルは一片の感情の乱れも見せず、やや低い声で答え返した。

「それは、まだ私にも解からないが…少なくとも、君の言うとおり、その可能性が高いだろう。だからこそ、我々もこの事態を放っておくわけにはいかない」

 その返答に一同は安堵したものを憶えるも、リンだけは表情を顰めたままだ。口を噤むなか、雫に再び向き直り、深刻な面持ちで告げる。

「ともかく…動いてるんですよ。今この時も…地球に向かってね」

 改めて告げられる事実に雫は思考が回転し、予想もしたくない結末が脳裏を過ぎり、背筋を凍らせる。

 片割れとはいえ、プラントの直径はおよそ10キロにも及ぶ。そんな物が今この時、地球にいる人々に降り注ごうとしている。

 仮に落下すれば、まず間違いなく落下地点は壊滅…そして、その激突時の衝撃波が何キロにも及ぶ衝撃波となって周囲に拡がる。落下地点を中心にほぼ間違いなく壊滅的な被害を受け、直撃を免れてもその余波が地球全土に及び、深刻な事態を齎すだろう。

 祖国のことを思い、雫は取り乱すことはなかったが、組む指に力が入り、震えを抑え込む。

「原因の究明や回避手段の模索に今プラントも全力を挙げています」

 沈痛な面持ちで沈黙する雫に向かい、沈鬱な態度で告げるデュランダルに雫も少しではあるが、冷静さを取り戻せた。

 確かに、まだ落ちたわけではない。まだそれを防ぐ可能性は残っているのだ。

「議長、プラントの方ではどうなっているのでしょうか?」

 傍らに座るラクスも普段の冷静さが些か欠けた狼狽した様子だ。そんなラクスを見やり、厳粛に頷き返す。

「すぐさま調査のために部隊を派遣するよう指示は出した。また、この非常事態を各国政府へと打診も完了させてはいるが……」

 言葉を濁すデュランダルにラクスや雫は苦虫を踏み潰したような表情になる。これは、傍から見ればプラントの茶番劇と取る国家も少なくないだろう。プラントの独立に対し好意的ではない国は地球上にまだ数多い。先の大戦における負の感情は未だ人々のなかに燻っているのだ。

 おまけに、プラントと国交を持つ国々に関しても動けない。大西洋連邦は先の大戦で宇宙での戦力を喪い、まだ再建できていない。日本はそもそも宇宙に軍を擁していない。

「議長、ガーディアンズの方は……」

「打診はしたのだが…主力部隊が任務に出払っているため、動ける部隊は無いそうだ」

 遮るように発した言葉に沈黙が満ちる。

 結論的に言えば、この事態の収拾に当たれるのはプラントのみなのだ。無論、プラントもユニウスΩを地球に墜とすのは不本意なため、全力で収拾に当たっているが。

「またもやのアクシデントで外交官には大変申し訳ないのですが、私は間もなく終わる修理を待ってこのミネルバにもユニウスΩに向かうよう特命を出しました」

 雫に向き直り、丁重な口振りで告げ、頭を下げる。

「幸い、位置も近いもので……外交官にもどうかそれを御了承いただきたいと」

 それでわざわざ自室にまで来たのかと…その誠実さに雫は荒れていた心情を落ち着け、軽く一呼吸し、気分を落ち着け、真剣な面持ちで向かい合った。

「訊くまでもありません。私のことなど、些事として扱ってくれて構いません。いえ、むしろこちらからお願いします」

 応じるように頭を下げる雫にデュランダルは柔和な笑みを浮かべ、感謝する。

「ありがとうございます」

「難しくはありますが、御国元とも直接連絡の取れるよう、試みてみます。出迎えの艦とも早急に合流できるよう計らいますので」

 続くようにタリアが言葉を添え続け、雫は再度真摯に頭を下げた。今の自分には、それしかできない無力感に歯痒さを憶えながら……

 それを見詰めていたリンは表情を変えず、その視線はデュランダルを捉えていた。

(あの眼……なんなのかしらね、この感じ)

 あのデュランダルの瞳。揺るぎのない静かな眼…波紋すらない湖面のような静かで深い思慮を秘めた眼。そこにあるのはただ静寂のみ。このユニウスΩの落下という事態に対しても一切の動揺の欠片さえ感じられない。

 それが、政治家としての豪胆さからくるものなのか…だとしても、そこには感情の乱れが無い。こんな緊迫した状況でさえ、彼は穏やかで落ち着いている。いや、異常なほどに落ち着きすぎているといっても過言ではない。

 最初に会ったときと同様、そつがなく、優雅。そして揺らぐことのない胆力。まるで、完璧な演技者であるかのような振る舞いが違和感を抱かせる。

 それがまるで…理想の為政者という仮面のようで……そして…まるで、この事態をあらかじめ予測していたかのように滑らかすぎる対応。あらかじめ用意されていた、シナリオ劇のように…そこまで考え、リンは一旦思考を切り換える。

 憶測だけで物事を判断するのは早計だ。だが、デュランダルに対する不審…それが、リンの内に言い知れぬ違和感と疑惑を渦巻かせていた。


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