デュランダルらと雫が会見を行っている頃、格納庫では整備班が損傷したMSの整備を急ピッチで進めていた。

 マッドの怒号に近い指示が飛び交い、忙しなく動き回るなか、格納庫の隅で固定されるセレスティと吹雪という厄介な客機の周囲は静かなものだった。最低限の補給の手はずのみなので、その主だった作業は各々の持ち主に任されていた。

 セレスティの開かれたコックピットハッチの前に浮遊し、覗き込む刹那が身を乗り出しながらコンソールを指差す。

「そっちの電子系統を繋いでみてください」

「解かった」

 シートに着くマコトはその指示通り引き出したセッティングキーボードのキーを叩き、OS画面を起動させ、セレスティの機体フレームの構造データを表示し、各種フレームとコックピットからの伝達用の電子ラインの設定を行う。

 フレーム各所との伝達系統が最適化され、グリーンのマーキングが表示される。

「これでフレームの最適化は終わりました、これで新しいOSとの互換性は問題ないと思います」

 コックピットから伸びるコードを手元の端末に繋ぎ、データを確認し、頷く刹那にマコトは大きく息を吐き出した。

「ふぅ〜ようやく終わったか」

 肩の力が抜け、屈伸する。

「彼女が組み込んでくれたOSですけど、結構イイ出来ですよ。あとは貴方用に随時更新していけばいいですし」

 キーを叩き、組み込まれたOSのデータを見直す。それは、元々のOSにマコト用に少しばかり手を加えられたものだった。

 この機体には、レイスタ時代に使っていたOSのデータをコピーしてあった。だが、元々の作業用機としての違いか、なかなか機体とOSのズレのようなものがあった。それを僅かばかり解消してくれたのがメイリンが作ってくれたOSだった。今現在、特に仕事の無い彼女が付き合ってくれた。

 それに感謝し、マコトはキーボードを戻し、刹那に視線を向ける。

「本当に助かりましたよ、凄いですね」

 素直に感心するマコトに刹那もやや照れたように頬を掻く。その仕草が妙に可愛く、彼が本当に少女だと思えるから不思議だ。そんな事を口には出さないが。

「いや、僕は一応技術畑の人間ですし…そんなたいしたことじゃないですよ」

 苦笑で手を振り、ハッチを蹴って離れる。その後を追い、マコトもコックピットから抜け出す。

 互いに浮遊しながらようやく修理の終わったセレスティを見上げる。幸いに設備を使わせてもらい、一般の設備よりは本格的な修理ができた。

「でも、本当不思議な機体ですよね。あれだけのスラスターを積んであるのに、出力調整がされていたり、機体のフレーム構造にも不明な点が多いですし」

 刹那自身、この機体への不審に近い興味を抱いていた。修理を手伝った時に少しばかり調べてみたが、機体フレームは自分の知る限り、見たこともないものだ。そして、背部の大型スラスターにしても出力が抑えられ、おまけにフレームの各所にも迂闊に調べられないブロックが数ヶ所存在している。

(それに、この機体の装甲材に使用されているのは間違いなくルナチタニウム…でもあれは、まだほとんど出回っていないはずなのに……)

 一番不可解に思うのは、この機体には日本の技術が一部使用されているという点。だが、技術部の刹那もこんな機体の存在は知らない。おまけに民間に出回るような代物でもない。それらが不審感を抱かせるも、この機体の入手経過をさり気なく尋ねてはみたが、当のマコトは言葉を濁した。

 それ以上は流石に訊けず、またこれ以上の詳細な調査を行うにはやはり本国の伊豆基地に戻らねばならない。

(確か、彼は民間人だし…誘ってみるか)

 この後、連絡船がミネルバに合流し、その艦でアーモリー・ワンに一度も戻る手筈になっている。恐らくその際に自分もマコトも同乗することになるが、自分達と違い、彼はもしかしたらアーモリー・ワンで一時的に拘留を余儀なくされるかもしれない。自分達が身元保証人になれば、共に日本へ連れて行くことも可能だろう。

 素早く脳内でシミュレーションを立てると、刹那はマコトに声を掛けようとしたが、そこへ被せるように声が掛かり、二人が振り向いた。

「おーい、マコト」

「シン? 怪我、もういいのか?」

 跳びながら向かってくるシンは赤の軍服だが、まだ顔には絆創膏が貼られている。不安げに気遣うマコトにシンは苦笑する。

「心配するなって、これでも一応正規兵なんだから」

 先の戦闘の一部始終はおぼろげながら聞き及んでいる。かなり激しい戦闘だったのは予想に難くないし、それでシン達が負傷したというのも聞き、不安ではあったが、いつもの調子で応えるシンに安堵し、僅かばかり緊張が解れる。

「無理するなよ」

「解かってるって、大袈裟だな。お、そういやあんたとはまだ話してなかったな」

 互いに手を叩きながらシンは後方で浮遊する刹那に気づき、視線を向ける。

「ええ、初めまして。大日本帝国軍所属、真宮寺刹那です」

「俺はシン、シン=アスカだ、よろしくな」

 差し出した手を握り合い、握手を交わす。そして、刹那が不意に何かを思いついたようにマコトとシンの二人を交互に見やる。

「ん? 何だ?」

 その様子に首を傾げるも、刹那は顎に指を当て、考え込む。

「お二人の名前、マコトとシン…と仰いましたよね?」

「ああ」

「それがどうかした?」

 どうにも論点が見えず、ますます戸惑う。そんな二人を横に刹那は考え込み、やがて口を開く。

「いえ…お二人の名前、僕達の…日本の言葉で表わすと、同じ意味になるんです」

 唐突に切り出した内容に、二人は一瞬眼を剥き、互いに見やる。そんな仕草を小さく笑みを零しながら見据え、刹那は手元の端末の画面に文字を表示する。

「解かりやすく説明しますね。まず、マコトさんですが…これを僕達の国の言葉で表わすと、こうなります」

 ウィンドウに表示される文字を覗き込むと、そこには『真』という字が表示される。

「それと、これには別の読み方があり、それが『しん』という意味でも使われます。意味は、物事の本質を表わす言葉です」

「へぇ〜」

 刹那の説明に思わず感心するように声を漏らす。自分の名前の意味について考えたことなどなかった。肝心、その名をつけた親が訊く前にいなくなったのだ。

「しっかし、同じ字で意味が何通りもあるなんてまどろこっしいな」

 そんな情緒が乏しいシンは日本の言葉に対し、困惑するように頭を掻き、刹那は苦笑いを浮かべるだけだ。

 端末を閉じ、雑談を終えると、マコトはシンを見やり、視線を先の方へ向ける。

「それよりシン、そっちの方はどうなんだ?」

 比較的損傷の無かったレイとセスのザクを除き、中破状態だったインパルスとセイバー。インパルスはその機体構造上、予備パーツが存在するため、コアスプレンダーの調整だけで済んでいたが、セイバーの方の修理は難航していた。片腕が欠損したため、修理に時間が掛かっている。

「ああ、インパルスは問題なしなんだけどな、セイバーの方はもう少し掛かるってよ」

 ステラもようやく復帰し、先程セイバーの調整作業に加わった。ミネルバの修理も目処がつき、今後の方針はまだ伝わっていないが、恐らくミネルバはここで別命を待つことになるだろう。

 あるいはアーモリー・ワンへの一時帰還か…どちらにしろ、強奪犯の追撃任務は一時保留となる。

「ま、今はゆっくりするさ。それより、いつまでもここじゃなんだし、休憩しようぜ」

「ああ」

「ええ」

 こちらもセレスティと吹雪の調整を終えて一段落といった感じだったので、特に反対も無く、3人は連れ立って格納庫を後にしようとする。

 艦内へのエレベーターホールに辿り着いた瞬間、叫びに近い声が降り掛かった。

「シン!」

 思わず一斉にそちらを振り向くと、セイバーの調整をしていたはずのステラがこちらに跳んできた。

 だが、その面持ちはどこか、血相をかえた逼迫するものだったので、一同は怪訝そうに顰める。そんななかへ飛び込むステラをシンは慌てて受け止める。その勢いに流され、背中をエレベーターのドアに打ちつけるも、シンはステラに視線を向ける。

「ど、どうしたんだ、ステラ?」

 様子のおかしい彼女に対し、戸惑いながら尋ねるが、ステラは思考が混乱しているのか、なかなかうまく話せないでいた。

「あ、その…大変、大変なの。マッド主任が…艦長から緊急の通信だって」

 途切れ途切れに出てくる言葉にますます困惑するが、それでもなにやら穏やかではない話なのは察せられた。

 徐々に強張っていくなか、ステラから伝えられた内容に、3人は驚愕に眼を見開いた。







 ユニウスΩが安定軌道を逸れ、地球への落下軌道に入ったというニュースは瞬く間にミネルバ内部に拡がり、騒然となっていた。

 それは、ここレクルームに集った面々も同じであり、艦橋で直接その報告を聞いたメイリンを中心に会話が交わされていた。

「けど、なんであんな大きなものが動いたんだ? 百年は安全軌道だったんじゃなかったの?」

 素っ頓狂な声を上げて首を傾げるヴィーノにヨウランが腕を組み、もっともらしく仮説を立てる。

「隕石でも当たったか、なにかの影響で軌道が外れたか……?」

 定期訓練を終えたルナマリア、レイ、セス、そして情報の発信源であるメイリンに道中合流したヴィーノとヨウランの面々は、口々に憶測を出す。

 だが、そこには緊張感はなく、どこか他人事のようだった。もっともこれはこの艦内ではどこもかしも似たような現状だった。少なくとも彼らにとっては大ニュースではあるが、特に切羽詰るほどのものでもない。アレがプラントへの衝突コースに乗ったとでもなればもっと混乱し、大騒ぎするかもしれないが。

「地球への衝突コースだって聞いたけど…本当なの、メイリン?」

 ドリンクを片手にゴシップ記事の内容を詮索するように問うルナマリアに当の発信元のメイリンはやや尻すぼみながら小さく頷く。

「う、うん…バートさんがそうだって……その後、すぐに評議会から議長への緊急通信がきたし……」

 流石にメイリンは深刻な面持ちだったが、それでも特に動揺した素振りはなく、自身が知る限りの情報を口にする。

 最初にユニウスΩの軌道異常に気づいたのがレーダーを担当していたバートであり、そこへ同じタイミングで同時間帯に当直していたメイリンの許にプラントの最高評議会から長距離の緊急通信が飛び込んできたのだ。

 その内容はタリアからブリッジメンバーへ掻い摘んでだが伝えられることになり、艦の主要メンバーへと伝達された。

 その話を聞き、ルナマリアは大仰に溜め息を零し、驚愕と何か諦念のような色を表に浮かべ、頭を掻き毟った。

「ああ、もうまったく! アーモリー・ワンじゃ新型の強奪騒ぎだしっ! それもまだ片づいてないのに、今度はユニウスΩの軌道落下騒ぎ!? 何がいったいどうなっちゃってんのよ!!」

 愚痴るルナマリアの弁に、その場にいた者たちは無言で同意を表わす。確かに妙な雲行きだ。あまりにも立て続けで事件が起きすぎている。

 無論、アーモリー・ワンでの件と今回のユニウスΩの件は直接的には関係はないが、タイミングが合いすぎているのも気に掛かる。

 なんとなく、自分達の周りでなにかとんでもない事態が起こりつつあるのではと危惧するのも仕方なかった。

「セス、お前の見解はどうだ?」

 無言だったレイが唐突に話を振り、特に口を挟まなかったセスが無愛想に顔を上げ、他の視線も思わず集中する。

「それはユニウスΩの件? それとも、強奪犯のこと?」

「前者だ」

 淡々と交わす両者に一同は内心、乾いた笑みを浮かべるが、セスの考えに思考が集中し、それを待っている。

 セスは一瞬考え込むが、やがて両手を肘に当て、肩を竦める。

「まあ、私の憶測だけど…ユニウスΩの件には何かしらの思惑が関わっていると見てまず間違いないと思う」

「その根拠は何だよ?」

 憶測と謳いながらどこか断言気味に言い切ったセスに首を傾げながらヨウランが問い掛ける。

「あまりに事態が流動しすぎている。仮にユニウスΩの軌道変更が自然現象とするなら、これ程短時間で地球への落下軌道にのるのは不自然すぎる」

 メイリンから伝えられた情報によれば、ユニウスΩの移動速度は異常なほど速い。観測によれば、磁場の影響があると予測が立てられている。もし仮に、自然現象ならもっと早い段階で観測されていたであろう。

 どこか物騒なセスの憶測に気圧されるなか、セスは肩を竦めてみせた。

「あくまで私見だけどね」

 一同を慄かせながら、しれっとし、ドリンクを口に含む。

 その態度に硬化していた空気がやや緩和され、知らず知らず息を吐き出す。

「まあ、それはともかくとして…今度はそのユニウスΩをどうすればいいのよ? 私らにも何かあるの?」

 気を取り直したルナマリアが視線を隣のヴィーノに向けるが、当人は振られた問い掛けに答えられず慌て、次いでヨウランを見てもこちらも同じ態度だったため、ルナマリアは呆れ気味に首を振った。全員が考え込む…確かに、現実問題としてどう対処するべきなのかだが、こういった不測の事態への経験の無さ故か、なかなか妙案が浮かばず、沈黙が満ちるなか、レイがさらりと答えた。

「砕くしかないな」

 いとも簡単に口にした案に、盲点だとでもいうように全員の耳にハッキリと伝わり、一同は眼を瞬く。

「単純明快だけど…一番妥当な意見ね」

 同意するようにセスが相槌を打つ。

「砕くって………」

「アレを?」

「あの質量で既に地球の引力にも引かれているというのなら、もう軌道の変更など不可能だ。衝突を回避したいなら、砕くしかない」

 淡々とあっさり言ってのけるレイだったが、それは暗に、手遅れを示唆させているようで……他の面々は戸惑いを隠せない。

「レイの言うとおりね。落下の阻止が不可能な以上、今現在最良なのはユニウスΩの破片をできるだけ細かく砕き、地表へのインパクトをできる限り減少させるしかない」

 あの質量がそのまま落ちるよりも、無数の破片に砕けば、それだけ大気圏内で燃え尽きる可能性も高く、また地表にまで到達しても被害は最小限に留められる。

 レイの言葉を補足するセスだったが、他の面々はその策に眼を瞬く。

「で、でもよ、デカイぜぇ、あれ!? ほぼ半分に割れてるっていっても、最長部でも8キロは……」

 プラントの基本構造はそこに住むコーディネイターならほとんどが知っている。血のバレンタインでほぼ半分に割れたとはいえ、その最長部は8キロにも及ぶ巨大な構造物。

「そんなもん、どうやって砕くんだよ?」

 思わず叫びそうになるヴィーノ。核でさえ完全に破壊できなかったコロニーの片割れを、果たして砕く事などできるのだろうか。

 いくら方法が単純でも、現実的な問題として実行手段が思いつかない。だが、レイは表情を眉一つ動かさず、冴えきった表情で告げる。

「だが、衝突すれば間違いなく地球は壊滅する」

 あまりに冷淡な口調で告げられた恐るべき可能性に、その場にいた誰もが息を呑み、唖然となる。

「そうなれば、なにも残らないぞ……そこに生きるもの全て、な」

 あまりにも現実離れした言葉に、沈黙が満ちる。

 直径一キロの小惑星が衝突した際のエネルギーを、TNT火薬の爆発力に換算すると、およそ十万メガトンに相当すると言われている。核爆弾の威力が約五十メガトンであり、その二千倍に当たる。その計算で考えれば、直径が十キロ近いユニウスΩの場合、単純計算して十億メガトン近くの衝突エネルギーの爆発力になってしまう。その威力のほどは想像できない程の破壊力だろう。

 無論、小惑星よりは突入速度が遅いため、また、大気圏突入の際の影響で多少は変化するであろうが、それでも引き起こされるであろう事態の深刻さを示唆させるには充分であり、想像が最悪の方へ傾き、思わず身震いする。

「地球…………滅亡?」

「だな」

 あまりに壮大で寒々しい仮定に、重苦しい空気に耐えかねたようにヴィーノがおどけた調子で呟いた言葉に、ヨウランはもっともらしく短く肯定の相槌を打った。

「そんな…まだあそこには、死んだ人たちの遺体もたくさんあるのに」

 沈みきった面持ちで小さく呟くメイリンの言葉に空気はさらに暗然となる。ユニウスαは先の大戦の決戦時に激しい攻防が繰り広げられ、大きく傷つき、もはや遺体の回収は不可能と報じられた。だが、片割れには今も多くのコーディネイター達の遺体が朽ちることなく漂っている。アレは、プラントにとって墓標でもあるのだ。

「メイリン……」

 そんな沈痛な妹にルナマリアもいつもの軽薄さで答えられず、口ごもる。

「けど、私達がやらなければならない」

 そこへ刺すように放たれた言葉に思わず振り向くとセスがやや真剣な面持ちで一同を見やっていた。

「現実に今、この瞬間にユニウスΩは確実に地球への衝突コースに入っている。今からでは軌道の変更は不可能だろう。なら、私達にできるのはせめて私達の手でユニウスΩを砕き、そこに眠る同胞達を葬ってやることだけ」

 変えようの無い現実と、自分達に課せられるであろう使命。それが、彼らの沈鬱な思いを微かではあるが晴らす。

 この場に居る者達にとっては同胞といえど他人だ。だが、それでもその死者を悼む気持ちは同じ、ならば、せめてその御霊に報いるために自分達にできることをするしかない。

「その是非は、後からでも遅くはない」

 その選択が絶対に正しいなどというつもりはない。だが、自分達は軍人だ。上層部がどのような指示を出そうとも、従わねばならない。その選択の正しさを信じて…セスの言葉をそれぞれの胸の中に刻み込みながら、一同は静かに…それでいてどこかしっかりとした面持ちで頷いた。

「でもまあ、それもしょうがないっちゃ、しょうがないか。不可抗力ってヤツ?」

 重苦しい空気が緩和されたためか、ヨウランはさばさばとした口調で自分の感想を口にする。

 彼の感想もある意味仕方ないことだった。ユニウスΩの落下に関してもその大元であるユニウスセブンの崩壊は前地球連合のブルーコスモスの暴走によって引き起こされたものだ。ならば、今回の件の原因の一端を担っていると考えても仕方ないことだった。

 ヨウランにもそんな気があった訳ではない。ただ単にこの場の空気を少し砕こうとした他愛もないものだったに過ぎない。プラント側からの立場の人間として、至極当然の意見を口にしただけだとしても、仕方がないことなのだった。

「けど、ヘンなゴタゴタも綺麗に無くなって、案外楽かも。俺達プラントには……」

 あのユニウスセブンに関しては未だにプラントと地球の間にとってタブーに近い。アレを持ち出されれば、まず間違いなく話は拗れる。

 単に軽い気持ちで出た言葉。誰かが笑いで返すか、嗜めようとしたが…それは、予想もしない人物からの激口が挟まれた。

「よくそんなことがっ!」

 突如ぶつけられた声に驚き、ヨウランはギョッと飛び上がらんばかりに息を呑み、他の面々も意表を衝かれたようにその遮った声の方角を見やる。

 レクルームの入口に佇む人影、蒼髪に黒の瞳に怒りの炎を宿し、こちらを睨みながら佇むのは、刹那だった。

 端正な顔立ちに浮かぶ純粋な怒り。それは、遠巻きに彼を見ていた者達にしてみればやや予想外のものだった。だが、仇敵のように睨み、猛る刹那の背中に腕が伸び、その跳びかからんとする身体が抑えつけられる。

「お、おい刹那さん…」

「どうしたんよ、お前」

 刹那の腕を取って制するマコトとシンの姿、やや遅れてステラも姿を見せる。格納庫でステラからユニウスΩの件を聞かされた一同は、真偽のほどを確かめるために、デュランダルらに会おうとしていた。その最中、レクルームの近くを通り掛った瞬間に聞こえてきた会話の内容を聞かされたのは、まさにタイミングが悪かったとしかいいようがなかった。

 ヨウランの軽い気持ちで出た言葉に、刹那は過剰反応してしまったのだ。いくら場を和まそうとしたジョークとはいえ、それは人によっては冗談では済まない。

「しょうがない…案外ラクだって、もしアレが地球に落ちたら、どんな事になるか! どれだけ多くの人が死ぬのか……っ」

 冷静な彼らしくなく、感情を露にする刹那に一同は気圧され、制するマコトとシンを振りほどかんばかりに刹那は内の激情を攻撃的に吐露する。確かに、彼が言っているのは、紛れもなく正論だ。地球側から見れば、笑い事ではない。

 だが、ここまで頭ごなし叱責されるのは些か心外と思わないでもない。先程の発言も軽率ではあったと反省すべきではあるが、ここは仮にもザフトの最新鋭艦内だ。この場では単に冗談の戯言で済まされるべき内容だ。

 むっつりと顰める彼らを、刹那は赦せなかった。

 脳裏を掠める数年前のあの出来事が……刹那にいつもの冷静さを喪わせていた。

「また、そうやって地球の…僕の故郷を殺すのかっ、あの時みたいに…地球にいる僕達コーディネイターも死んでも構わないとっ」

 だからこそ、刹那は決して口にしてはならないことを口走ってしまった。

 刹那が発した言葉にその場にいた者達が驚愕に息を呑む。

「刹那さん…君は、コーディネイターなのか?」

 掴む手の力が緩み、茫然と漏らした一言に、刹那は過剰に頷き返した。

「そうだよ、僕はコーディネイターだっ」

 まるでその事実を忌々しいように吐き捨て、ギリッと歯噛みする。

「あの時…エイプリルフールクライシスで、僕の……っ」

「そこまでっ」

 感情が暴走した刹那の声に被せるように鋭く響いた声に反応し、一瞬場が硬直し、後ろを振り向くと、そこには数人の人影。

「あ、」

 誰が漏らしたかは解からないが、レクルームにいた一同は慌てて敬礼する。

 敬礼を返された一群は、雫を先頭にラクス、キラがおり、刹那は雫の姿に沸点が急速に冷えていくような感覚に捉われる。

「雫……」

 呆然と呼ぶが、雫はいつもの柔和な貌ではなく、険しい面持ちで鋭い視線を刹那に向けていた。

「それ以上の無礼は赦しません、真宮寺曹長」

 低い声で呼ばれた名に、刹那は僅かに気圧され、先程までの掴み掛からんばかりの勢いが急速に衰え、俯く。

 まるで何かに耐えるように拳を握り締め、そんな刹那を微かに傷ましげに見やるも、それを一瞥し、顔の向きを変え、静かに下げた。

「私の身内の者が大変無礼をしたようで…誠に申し訳ありません」

 その謝罪に、向けられた当人達は軽いパニックに襲われる。なにせ、一独立国家の代表が頭を下げたのだ。混乱するなという方が無理だった。

「いや、そんな…」

「俺らの方こそ、軽率でしたし」

 流石にそこまでの態度に出られては不遜はできず、慌てて言い繕うヨウランやヴィーノに顔を上げ、申し訳なさそうに微笑む。

「ありがとうございます…曹長、貴方の方からも謝罪を」

「……言い過ぎました、すみません」

 どこか命令に近かったが、刹那は硬い表情のまま謝罪をし、それによって先程まで感じていた不快感も僅かながら緩和されたのか、一同の表情も和らぐ。

「この者には私の方から責を申しておきますので…この度のことは平に御了謝を」

 優雅に一礼すると、雫は刹那に向き合い、その瞳を凝視する。

「行きますよ、真宮寺曹長」

 促し、返事を待たずに歩き出す雫の後を、刹那は今一度敬礼し、足早に追い、二人の姿は通路の奥へと消えていった。

 気配が完全に遠ざかると、なんともいえない空気が辺りに充満する。彼らとしても意外を通り越して完全に予想できなかったのだろう。同属意識の強いコーディネイターから悪意をぶつけられるなど。

 だが、考えれば不思議なことでもない、地球にもコーディネイター達は存在しているのだ。無論、公にそれを明かせず、また何らかの事情でプラントへ渡れなかった者もいるだろう。そんなコーディネイター達から見れば、プラントのコーディネイターへの悪意を持っても仕方ないことだろう。

 所詮、宇宙と地球という隔たりにナチュラルもコーディネイターも無いのだ。

 気まずさが漂うなか、ラクスが声を発する。

「皆さん、申し訳ありません」

 唐突に謝罪したラクスに眼を剥く。

「ただ、理解してほしいのです。地球の方々のなかには、プラントに対し快くない感情をお持ちの方も大勢いらっしゃいます。ただ、決してそれに理解を諦めないでください」

 外務次官として、地球の各国を回り、悪意をぶつけられることに慣れているラクス。自分はまだいい、罵倒されるのが自分の役目だ。だが、彼らはそうではない。プラントの誇りを持っている。だからこそ、そこに危うさもある…それに溺れて、相手への理解を喪えば、それはまた、次なる争いへと繋がる。だからこそ、ラクスは論する。

 相手を知り…そして、理解することを決して諦めないことを……懇願するように伝えるラクスの決意に近い意志のほどに一言も発せず、ただその場に沈黙が支配した。

 ラクスの後ろに立つキラは全員の顔を見渡す。少しでも、ラクスの思いを理解してほしいと…その最中、端に立つ金髪の少年と眼が合い、少年の青い瞳がギラリと刺すような鋭さを一瞬宿したことに息を呑む。だが、次の瞬間には少年の表情は鉄仮面に覆われたように固まり、キラは戸惑う。

 その瞳と顔が、以前垣間見た記憶と重なり、既視感を呼び起こすが、それを抑え込んだ。

 その会話を通路の壁越しに聞いていたリンは軽く溜め息を零した後、視線を通路の奥…雫と刹那が消え去った方角を見やった。

(エイプリルフールクライシスの犠牲者、か……私にも、責任はあるか)

 過去の自身の選択のなかでの結果。その苦さが、リンの内に拡がり、微かに決然と表情を引き締めた。









 どこまでも拡がり、その先さえ知覚できかねないほどの闇のなかで映える金色の輝き。

 頭の上で束ねられ、ポニーテールで流れる髪を揺らしながら、右手を上げ、口元をなぞる。薄く紫に近いルージュが引かれた唇が艶やかに光り、微かな吐息が漏れる。それは、まるで余韻を味わうかのような甘美さを漂わせる。

 徐に、右手で左腰に帯刀する刀を抜き、その刀身を立て、闇のなかで反射する黒の光が刀身の表面を輝かせ、その主の姿を映す。刀身に反射した光に映し出される自身の顔。その口元が微かに歪み、刀身の角度を変え、その映す先を己の後方へと向け、そこに映る人影。

「傷はもういいのかしら?」

 独り言のように呟く。それに応えるように後方から声が木霊する。

「ああ」

 低い声とともに闇から現われる人影。白を基調としたラフな姿をした青年は、そのまま一定の距離を保ったまま、相対する。

 そんな青年の存在を気にも留めず、愉しげに刀身の角度を何度も変え、やがてそれが別の影を捉える。

 それに気づいた青年もハッと振り向くと、音も気配すら感じさせぬかのごとく、まるで霞のように唐突に姿を見せる人影。全身を頑強な鎧姿で覆い、その顔すらも巨大な兜と仮面で覆い、その正体を知ることは適わない。新たに現われた人影は隣に立つ青年の存在をまるで無視し、その場で跪く。

「ベイルオブスリー:サタン、帰還しました」

「お疲れ様、ミスト」

 鎧の存在、ミストの姿に軽く肩を竦め、柄を回転させ、刀身を鞘に収めると同時に振り返る。その拍子に髪が揺れ、眼元を覆い隠す。闇に紛れ、その顔は完全に確認できなかった。

「とんだ失態だな…ターゲットの破壊をしくじるなど」

 青年が毒づくが、ミストは何の反応も返さない。仮面のために表情の変化さえ読めず、また感情の乱れさえも読めない。ただ無機なまで淡々と佇む姿に青年は舌打ちする。

「イレギュラーの介入があったみたいね」

 そんな青年を無視し、二人の前に立つ女性:ゼロが笑みを崩さず問い掛けると、ミストは無言で返した。

「連中に渡した人形もやられた、あの国…放って置くのはまずいんじゃないのか?」

 やや焦るように余裕をなくす青年にゼロは肩を竦める。

「別に問題はないわ。アレを回収されたところで、私達に繋がる痕跡など万に一つもないのだから」

 絶対の自信を確信したかのように言い放ち、不適に笑う。

「それに、かの国は既に眼が行き届いている。もっとも、連中は鈴もつけておきたいようだけどね」

 揶揄するように鼻を鳴らし、嘲る。

「だが、あれはお前の失態だ、この責任、どう取るつもりだ!?」

 憤る青年が厳しい口調でゼロに叱責するが、意にも返さず、顎をしゃくる。

「確かに予想外の事態だったわね…もっとも、それを一番に感じているのは貴方でしょう、ベイルオブワン?」

 痛いところを衝かれたのか、青年は押し黙り、歯噛みする。

「別に支障はないわ。いえ、むしろこれでより望む形になったのかもしれない……私にとってね」

 愉しげに胸元のペンダントを弄ぶ。その仕草の一つ一つが勘に障り、青年はますます不快そうになっていくが、次の瞬間…背筋が凍らんばかりに息を呑む。

「不満、かしら……?」

 口元は嗤っているが、その隠された視線から感じるのは殺気以上に冷たい気配。存在などなんとも思っていない、氷の刃に何も言えなくなり、視線を逸らす。その様子に満足したのか、ゼロは笑みを噛み殺し、肩を竦める。

「そう、貴方は…いえ、シュバルツリッターは私の駒。私が選んだ騎士…私と、母様を結び、護るためにね」

 謳わんばかりに告げ、それでも不満を隠そうとしない青年の反応をもう少しほど楽しみたかったが、ゼロは本題を切り出す。

「貴方は私と出なさい」

 唐突に切り出された内容に青年は僅かばかり虚を衝かれ、眼を瞬く。

「貴方のもう一つのターゲットの始末、やらせてあげるわ。最高の舞台が整っているからね」

「……ユニウスΩか」

 暗に示唆されたものを感じ取り、青年の表情が強張る。その問いに対し、ゼロは優美に微笑む。

「ええ、舞台は幕をあけた。そして、役者も揃いつつある。それを世界が望むのだから」

 舞台も役者も所詮は物語のなかでは構成するものの一つに過ぎない。物語を紡ぎ出すのは世界…世界が望み、そして次なる変革を求めて終わることなく続けられる永久の理。

 世界は次なる役者を選別し、そして舞台を整えた。誰もが気づかぬなかで……ただ、そうなるように仕向けられているとも知らず……だからこそ、次の舞台に不必要な存在は退場してもらう。

「いいだろう。あの女の血属は独り残らず始末する。それが、俺の…俺の復讐だ」

 隠そうともしない感情の炎。憎悪に近い暗い色を瞳の奥に宿し、決然とする青年に満足気に頷く。

「ただし、使うのは天使。今はまだ、アレの存在を世界に見せるわけにはいかない」

 その言葉に青年は不満気になるが、ゼロは強制するわけでもなくかといって促すわけでもなく、ただどちらに転んでも興味がないと言わんばかりに言葉を濁している。

 その仕草から、おぼろげながら思惑を悟り、青年は舌打ちする。

「解かった。すぐに取り掛かる」

 踵を返し、背を向ける青年にゼロは笑みを張りつけたまま、静かに頷いた。

「期待しているわ…騎士の最期をね……ベイルオブワン:ルキフェル……アベル」

 称賛とも期待とも取れる物言いだったが、青年は特に喜びもせず、無言のまま奥の闇へと歩み、消えていった。

「アベル…貴方は果たして、神の子になれるかしらね」

 気配が完全に消えた闇に向かい、ゼロは小さく囁き、微動だにせず事態を監察するかのように佇んでいたミストを見やる。

「ミスト、貴方には別命をやってもらうわ」

 一礼し、応じる返答を返す。

「捜しなさい…私の手足となるべき騎士達を……シュバルツリッターの欠番に相応しい者達をね」

 手を挙げ、それを胸の前で握り締める。

「世界は変わる。そして、私は新たな歯車をつくる」

 所詮、ゼロもまた歯車の一つでしかない。だが、いつまでもそれに甘んじるつもりもなければ、溺れるつもりもない。

 だからこそ、新たな歯車を創り出す。自身を中心に絡み合い、そして動く新たなる歯車を……そのためにも、揃えねばならない。

「欠番の一つ…ベイルオブファイブに相応しい候補者、既に目星をつけた」

 どちらに転ぶかは解からない、と胸中で付け足す。

「だから、貴方は捜しなさい…残りの騎士に相応しい……壊れた心の持ち主をね。次なる舞台…そして、やがて訪れる最期の刻のために、ね」

 くつくつと嗤う拍子に髪が揺れ、前髪に覆われていた眼元が微かに露になる。酷くくずんだ…それでいて愉しげな瞳が妖しく嗤う。

「御意」

 機械的に応じ、ミストはその姿を闇に紛れさせ、覆い隠していく。己が主の意思を実行せんがための人形として……駒として。

 独りになり、静寂に包まれるなか…ゼロは闇を見据えながら、優雅に微笑む。

「人間、大切なものを壊された瞬間こそ…誘うに最高の瞬間なのよ」

 人が壊れる過程は様々だ。己の倫理観の喪失、身体機能の崩壊…そして、狂わんばかりの光景を眼に焼き付けてやること。

 人は簡単に壊れる…その瞬間こそ、果て無き闇への誘い。壊れた思考はさらに混沌へと迷い込み、堕ちていく。

 それこそが、ゼロが求めるもの…自らの騎士としての条件。そしてそれこそが…己の望みを果たすことへの道。

「今、この瞬間も、世界も私には関係ない……所詮は、楼閣のもの。私が求めるのは唯一つ……私が欲しい色は一つ…ね、母様」

 愛しいものを求めるように闇へ手を伸ばし、そして虚空で掴まれる。それは、求めるものを逃さない……呪縛の誓い。

 己が求める最果ての未来に……ゼロは夢想し、そして恋焦がれた。確実に己の手に絡み取りつつある確信に………

 思慕という闇…歪んだ想いに捉われる。だが、それは彼女の持つ美しさを際立たせる。それこそが、あるべき姿だとでも証明するように………それは、女性の持つ魔性そのもの。ゼロは黒衣を翻し、闇のなかへと身を委ねた。




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