薄暗い何処とも知れぬ場所。中央のテーブルを囲うように席に着く十数名の人影。その服装はまばらだ。連合軍服を着た士官にスーツ姿の老若問わない紳士など、統一感のない人影の周囲には、無数のモニターが浮かび上がり、それを一瞥した一人の老紳士が溜め息混じりに囁いた。

「やれやれ、やはり大分やられたな」

モニターには、落下による各地の被害状況が無数に映し出されている。今も黒煙を噴き上げ続ける巨大なクレーターの中にはなにも残らず、その衝撃波によって周辺地域も吹き飛び、高層ビル群は瓦礫の山と化し、沿岸部は高波によってほぼ例外なく被害を受け、倒壊、ないし流失により喪われ、水没した街並みや森が映る。

そして、それらの廃虚の上では未曾有の大災害に嘆き哀しみ、そして茫然自失となる被災者に溢れている。

落下によって避難が間に合わず、または避難したシェルターごと一瞬にして命を灼きつくされた者も少なくない。そして、それらによって起こされた影響は長期に渡って続き、二次的三次的連鎖となって各地を襲うだろう。今後の復興のことを思えば、頭が痛い話だ。

「特に赤道一帯は酷いものです。我が方でも施設の幾つが被害を被っております」

軍服の士官が書類を手にモニターに映し出すのは、大東亜連合の中枢たる東アジア共和国の軍施設の様相。崩れ落ちたビルにエネルギータンクによる火災、そして瓦礫に埋もれたMS等、被害は軽視できるものではない。

「ふむ……どうするのだね、ラース? 今回の件で我らが被った被害は軽くはない」

視線がある一点に集中する。そこには、やや脱色した金髪を持ち、くたびれた面持ちながら、身に纏うのはどこか気品を備えたスーツ姿。その壮年の紳士は指で先程からリズミカルにテーブルを叩きながら、不適な笑みを浮かべた。

「答えるまでもないでしょう。此度のこの被害を齎した元凶を叩く、それだけですよ」

その青い瞳にはギラギラとした狂気が渦巻いている。この男こそ、前大戦において地球連合軍を実質的に支配したムルタ=アズラエルの父、ラース=アズラエルと呼ばれる前ブルーコスモスの重鎮。

息子を喪い、そしてブルーコスモスからも放逐された男にはそれによる疲労を感じさせ、尚且つそれすら凌駕する憎悪がありありと浮かんでいる。

そして、そのラースを見詰める者達こそ、現大東亜連合の幹部将官にそれらを支援する政治家だった。

「しかし、そううまくいきますかな?」

何気に漏らした一言にラースの昂揚が僅かに害され、やや非難めいた視線を向け、他の者もそれにならって視線を向けると、ラースから僅かに離れた位置に座するスーツ姿のこの場では歳若い青年がシートに身を預け、組んだ脚の上で両手を組み、口元の咥えられた煙草が微かな硝煙が立ち昇っている。

「なにか、御不満がおありか、ロム殿?」

我関せずといった様子で座するロムと呼ばれたオールバックの黒髪の青年に向けて、ラースが渋い顔で尋ねる。

「いえ、ただね、プラントの……いや、ギルバート=デュランダル議長の対応が思った以上に的確で迅速なものでね」

揶揄するように視線をある一点に向け、それを確認した他の面々も同様に顔を苦く顰めた。

「確かにな」

「デュランダルめの動きは早いぞ。奴め、もう甘い言葉を吐きながら、なんだかんだと手を出してきておる」

モニターの一つには、プラント議長であるデュランダルが地球にユニウスΩの欠片が落ちた際の被害にあった地域に対してのメッセージが流れ続けていた。

《この未曾有の出来事を、我々プラントもまた沈痛な思いで受け止めております。信じがたいこの各地の惨状に、私もまた言葉もありません》

デュランダルが映し出されている画面が切り変わると、プラント側から派遣されてきたと思しき災害支援車両などが次々と被災地に向けて輸送機で飛び立つ映像が映し出された。

確かに、デュランダルの行動は迅速で的確だ。今回の事態を各国に通達し、破砕作業を曲がりなりにも成功させていることもそうだが、事後の対応もまた如才ない。既にカーぺンタリアやジブラルタルを中心に地上各地のザフト関連施設から被災地に向けて救援物資や救助要員などの派遣が大々的に行われている。

《受けた傷は深く、また悲しみは果てないものと思いますが、でもどうか地球の友人達よ、この絶望の今日から立ち上がってください。皆さんの想像を絶する苦難を前に我等もまた援助の手を惜しみません……》

端正な顔に悲壮感を漂わせて訴えるデュランダルは民衆にはこの上ない善良な為政者と映ることだろう。これは彼らにとって面白くない事態だ。これでは、反プラント感情を煽り、開戦へと持ち込もうとする彼らの思惑は空振りに終わる。軍人をはじめ、数人の紳士が忌々しげに舌打ちするなか、ラースは嘲るように鼻を鳴らす。

「むしろ不自然ではありませんか?」

そう漏らしたラースに視線が集中し、ラースはモニターを一瞥する。

「この迅速な対応、まるであらかじめ用意していたようではありませんか」

その評通り、数人は眉を寄せ、表情を渋く顰める。確かに、デュランダルの行動は早すぎる。被災地に向けての援助にしても発生からまだ時間はほとんど経っていない。にも関わらずこれだけの支援物資や人材の確保が迅速に行えるだろうか。答はNOだ。

最初からそれを見越して準備していたと考えた方がしっくりくる。なら、プラントは今回のこのユニウスΩの落下も最初から完全に阻止できると考えていなかったかもしれない。それは、ひいては地球側の国力を低下させる狙いがあるという、思惑が隠れていればこそだが。

その考えに至り、ざわつきが起こり、気をよくしたラースはさらに畳み掛けるように言葉を紡ぐ。

「そして、これを御覧ください。ファントムペイン、特殊第190機動部隊:ラストバタリオンがたいそう面白いものを送ってきてくれました」

コンソールを操作すると、モニターの一部が別の映像に切り替わる。ユニウスΩ落下を企てたテロリストが使用するジンハイマニューバ2型の戦闘場面や、ユニウスΩのストリングスに取り付けられたフレアモーターの静止画像が数枚映し出された。

「む?」

「これは…フレアモーター?」

「やれやれ結局そういうことか……」

「やはり此度の件、コーディネイターどもの茶番劇」

口々に騒ぎ、憤慨する一同のなかで、一人無言で事態を見守っていたロムは無造作に煙草を取り出し、ジッポで火を灯し、一噴きする。一服し終えると、視線を微かに細め、ラースを見やる。

「この映像、どこまで信用できるものか?」

それが癪に障ったのか、ラースは不遜に鼻を鳴らす。

「これは貴様の子飼いである連中が送ってきたものだ。諜報部にも確認は取った。それに、真偽などどうでもよい、眼の前で起こったことのみが真実なのだからな」

この映像がたとえどうであろうと、プラントへの疑心暗鬼が高まっている今なら、容易に扇動が可能であろう。

「これを赦せる人間など、この地上の何処にもいはしない。そしてこれは、この上なく強き我らの絆となるでしょう。今度こそ奴らの全てに死を……な」

皺がれた貌に憎悪を爛々と刻みながら地を這わんばかりに囁くラースに同調したのか、軍人が頷く。

「既にアルザッヘルでの準備も進めております」

「奴らに対し、正義の鉄槌を!」

勇む軍人を宥めるように老紳士が手を振る。

「はやるでない。迂闊に戦端を開くのはマズイ」

「そうだ、はやまった真似で自滅するのは真っ平だ」

戦端を開き、開戦に持ち込むのは反対ではないが、それを何の考えもなしに実行するのは賛成できない。戦争はただの殺し合いではない、そこに様々な思惑や利潤が絡むこそ、起こすものとそうでないものがある。その折り合いを無視しては自滅あるのみだ。

そんな弱腰な態度に憤慨し、軍人が席を立ち、怒鳴りつける。

「なにを弱気なっ、ならば今の現状をどう考えか! 奴らは既に我らへの敵意を見せているのだぞっ」

その片鱗は確かに在った。一例を挙げるのならあのセカンドシリーズだ。新造戦艦と新型MSの開発など、地球にすれば挑発行為にも等しい。

「それで我らまで共倒れにされては困るというのだよ、現在の軍需産業もかつてのようにブルーコスモスの首魁というわけではないのだ」

老紳士はなにより利潤と己の保身を優先し、反対する。

議論は堂々巡りになり、終息する素振りもない。ラースは苛立ちながらその様を見やっていたが、一人我関せずとばかりに煙草を吸っていたロムを見やり、口を開いた。

「ロム殿はどうお考えか?」

その言葉に議論していた者達の声が一瞬止み、視線が注がれる。話を振られたロムは煙草の灰を落とし、口に含みながら指でテーブルを叩き、ふむと視線を開く。

「私としては暫し静観を取るべきだと思いますね。なにより地上の受けた被害は甚大だ。その復興支援だけでもかなりの予算が必要となりましょう。開戦するにしてもしないにしても地盤と市場が荒らされたままでは心許ないでしょう」

その言葉が事実であるのか、軍人達も先程の勢いをなくし、黙り込む。落下によって受けた被害は甚大であり、肝心の国力をかなり低下させている。

そんな状態で開戦しても、すぐに息切れとなるのは必至だろう。今の連合はかつてのような強大な複合国家体ではないのだ。

「幸いにMr.ギルバートが諸手をあげて問わず被災地へ支援を送ると宣言している。なら、それを利用し、今は回復に専念するべきでしょう。その映像にしても後に外交の場でちらつかせれば相手へのいい牽制ともなりましょう。そうすれば、余計な損害を負わずに連中を再び家畜にすることも可能かもしれませんよ」

新しい煙草を咥え、白煙を噴かせながら、笑みを浮かべるロムの貌はどこか威圧感と微かな恐怖を抱かせるほど暗く見える。それが他の者達を萎縮させ、やがて口々に頷き合う。

「そうだな、今は回復が先だ」

「余計なリスクを負わずに済むのに越したことはない」

その意見に同意した老紳士や名士達が頷き、軍人達も数名が苦りきった面持ちながらも、正論に反対できずに黙り込んでいる。

その様を見やりながら、ラースは内心に大きく焦りを抱いていた。このままではマズイ。このまま畳み掛けて一気に開戦に持ち込ませる算段が、大きく揺らごうとしている。

(ロムめ、腰抜けがっ)

殺さんばかりに鋭い視線を向けるが、ロムは飄々としたままもはや終わりとばかりにすっかりシートに凭れ、寛いでいる。

(ぐっ、こうなれば国家主席に直接取り付けるまで。私は諦めん…奴らを、コーディネイターを滅ぼすためには手段は選らばん。真の青き清浄なる未来のために……っ)

奥歯を噛み締めながら、険しい面持ちを浮かべるラースの瞳には、狂気とコーディネイターへの憎悪のみしか浮かんでいなかった。







大気圏という壁を越え、そして危機一髪の帰還救出を終えたミネルバとヤマトは揃って地表に向けて降下し、やがてその眼下には大きく拡がる海面が覗いてくる。

破片の落下による影響で海面もまた大きく荒れ、最後の難関として立ち塞がっている。初の着水に対し、ミネルバの艦橋は緊張のなかにあった。

「迎え角良好。フラットダウン、推定海面風速入力。着水チェックリスト1番から24番までグリーン」

予想よりもミネルバの艦底と海面の間の空気流によって起こる艦体を下方に押しつける対地効果が予想を越える数値を出し、息を呑む。

「グランドエフェクトがシミュレーション値を超えていますっ」

やはり自然相手にシミュレーションは誤魔化しに過ぎない。だが、タリアは続行を指示し、全艦に警報を発令した。

「警報、総員着水の衝撃に備えよ!」

近づく巨体に水面が大きくさざ波立ち、盛大な水飛沫を上げる。船体が水に触れた瞬間、大きく傾き、次いで水とは思えないほどの高圧力の衝撃が大きく揺らす。突き上げられるような振動にクルー達は必死に身を構え、衝撃に耐えた。

やがて艦尾から水飛沫を飛ばしながら前進し、それが徐々に抵抗となって減速していく。やがて、ミネルバの巨体は倒れ込むように完全に着水した。

《着水完了、警報解除》

アーサーの放送に各所でクルー達の間に安堵が漏れる。

《現在、全区画浸水は認められないが今後も警戒を要する。ダメージコントロール要員は下部区画へ》

艦橋もまた、初の試みを終えた疲労と安堵に肩を大きく落とし、息をつき、タリアは後ろに着く雫を見やりながら横で同じく着水し、並行するように停止したヤマトを一瞥すると、今一度見やり、雫が無言で頷いた。

アーサーからのアナウンスに格納庫で待機していたマッドをはじめとした整備班の一部が道具を片手に着水の衝撃による異常チェックのため、艦底部に向かい、それ以外の面々は誰ともなく甲板に向かった。

マコトを運んでいく医療班を見送ったシンらパイロットもその後を追い、彼らは甲板に身を曝け出した。

最初に飛び込んできたのは、鬱蒼とした灰色の空。舞い上げられたチリやガスによって太陽光が遮られ、さらには雷鳴が轟く空と濁ったような青緑のどこまでも拡がる海だった。

完全に人工物で自然を形成するプラントの空や湖しか見ることがなかった彼らにとって、その光景はまさに未知のものであり、皆どこか興奮した面持ちだった。

「けど地球か……」

感慨深げに呟くヨウランの横でヴィーノは大仰に無邪気に応じる。

「太平洋って海に降りたんだろ、俺達? うっは、でっけぇ、すんげー」

知識としては知っていても実際に見るのは初めてなのは仕方ないが、先程までの懸念を忘れたかのように子供のように興奮するヴィーノに呆れて咎める。

「そんな呑気なこと言ってられる場合かよ、どうしてそうなんだ、お前は」

確かに、呑気に感慨に耽っている場合ではない。同じく甲板に出たシン達はどこか暗然とした様子だった。落下阻止ばかりに気を取られ、その先のことなどまったく考えてもいなかった。

なし崩し的に地上に降りてしまい、この先どうなるのか、不安が生まれるのも仕方なかった。

不意に、シンは右手に感触を感じ、見やると、ステラが不安な眼差しでシンの右手を握り締めていた。

そんなステラを安心させるように強く握り締め返し、シンは空を見上げる。

ユニウスΩが落ちた――――その事実が酷く頭を擡げる。結局、自分達は止めることができなかったのだ。あの哀しみに囚われた者達を……そして、これが次にどういった事態を齎すのかも嫌なほど理解できてしまう。

(そんなこと、あってたまるかっ)

頭を振ってその考えを打ち消した時、隣にいたルナマリアが声を上げた。

「ちょっと、アレ!」

その声に反応し、思考を中断したシンや甲板にいたクルー達もハッと気づく。並行するヤマトから何かがこちらに向かってきている。

戦闘機2機が先頭を進み、その後方で上半身のみとなったザクウォーリアを抱えたMS。そして最後に高速ヘリだった。

「なぁなぁ、アレって日本の機体なんだろ?」

「俺が知るか、ハッキリ聞いた訳じゃないんだから」

眼を丸くするヴィーノと悪態を衝くヨウランのやり取りを横にシン達も思わず見詰めていると、そこに声が掛かった。

「貴方達、下がりなさい」

強く響いた声に振り返ると、そこにはタリアをはじめ、副長であるアーサーと随行している保安兵に護られた雫の姿が在った。慌てて下がり、道を空けるなか、タリアは強張った面持ちで向かってくるヘリを凝視している。

やがて、甲板の上に到着すると、ヘリが垂直に降下してくる。落下の際に巻き起こる突風が甲板に吹き荒れ、タリアは思わず制帽を押さえ、アーサーはたじろぐ。シン達も顔を覆いながらそれを凝視する。

やがて、ヘリが車輪を着地させる。その隣にザクウォーリアを抱えた空魔が着地し、抱えていたザクウォーリアを降ろす。そして、残りの空魔2機も空中で変形し、MS形態でヘリの周囲に着地する。

「すっげぇ! 変形したぜ!」

鮮やかな変形にヴィーノが眼を輝かせ、ヨウランもその機構に興味を引かれたのか、見入っている。戦闘中であったため、ハッキリと確認はしなかったが、その能力を目の当たりにし、シン達パイロットも驚愕した面持ちだった。

そして、ヘリのドアが開き、そこから数人の人影が姿を現わす。制帽を被った純白の軍服を纏った壮年の男が先頭に立ち、そしてその後方をコートのような軍服を纏った長身の男が続き、最後に見覚えのある顔が降りてきた。

「東雲艦長、番場大佐…それに、刹那ちゃんも」

その姿を確認した雫が小さく漏らし、それを聞き止めたタリアが微かに振り向くが、やがて視線を戻す。

お互いにほぼ直前に立ったところでその足が止まり、壮年の男が手を差し出した。

「大日本帝国軍、ヤマト級壱番艦、ヤマト艦長の東雲聡准将だ」

「ザフト軍ミネルバ艦長のタリア=グラディスです。此度の件においての援護、感謝します」

平淡な口調だったが、微かに眼元を緩めて握手を交わすタリアに聡もフッと口元を薄く緩める。

「いやなに、こちらはあくまで当然のことをしたまでだ。それよりも、礼を述べたいのはこちらだ。我が国の外交官及び随員を護ってくれたことに感謝する」

「いえ、こちらも当然の行いをしたまでです」

互いに挨拶もそこそこに握手を終えると、聡の横から前に出た壮吉が雫の前に歩み寄り、頭を垂れる。

「この度はよくぞ無事に戻られました、斯皇院外交官。帝よりの命により、お迎えに上がりました」

「感謝を」

臣下に礼を述べると、雫は静かに歩み出し、壮吉に護られるように聡の後ろに進み、刹那と視線を交わし、互いの無事を喜ぶように笑みを浮かべ合う。

「ここまで無事に護っていただき、感謝する。では、外交官及び随員は我々がお引取りします」

壮吉が一礼すると、タリアは探るような視線を向ける。

「貴方方はこれから何処へ?」

訊くまでもないことだ。だが、それは問いよりも確認に近い。その思惑を悟ってか、壮吉が答え返す。

「本国へ戻ります。我らの国も、此度の件でどのような影響を受けたか確認したいので」

「当然でしょう。そこで、お願いがあるのですが……我が艦は現在、その機能を低下させており、すぐにでも修理・補給を受けなければなりません。可能なら、そちらの国で行わせていただきたいのですが」

予想通りと言えば予想通りの申し出だった。ミネルバはこの短い期間の間に激戦ともいえる戦闘を潜り抜け、その身を大きく傷つかせている。そして、そんな状態で太平洋のど真ん中に降下してしまった以上、早くに船体の修理を行える場所に向かわなければならない。なら、この場に居合わせたヤマトに白羽の矢が立つのは必然だった。

孤立するよりはまだマシだ。幸いに、こちらはかの国のVIPをここまで護衛してきたという実績がある。迂闊に無碍にはしないと踏んで賭けに出たタリアだったが、壮吉の表情は変わらず、こちらを凝視したまま、やがて小さく頭を下げた。

「大変申し訳ないが、その申し出はお受けできかねる」

拒否の言にクルーの数人が憮然となり、アーサーもどこか険しい。タリアは無言のままだったが、僅かに硬い。

「我が国は貴国とはまだ正式に国交を交わしていない。故に、貴艦を受け入れる権限は我らは持ち合わせていない」

壮吉の言葉がただの方便だとタリアは薄々悟った。確かに、タリアはこれが無茶な要求だということは解かっている。日本は対外的には中立的立場を唱えているが、独立して日が浅いゆえに他国の動向には神経を尖らせている。そんな状況下で起こった今回の事件。プラントの艦を下手に招き入れたとなれば、それは余計なトラブルの許になりかねない。

だが、それでも今の艦の状態を鑑みればどうにかしたい心持ちだったが、壮吉は既に話を終えたとばかりに視線を逸らしている。

情けで軍が動けるはずもない。市民軍であるザフトでは低い認識に歯噛みする。雫を見やるも、同意見なのか、申し訳なさそうにしている。

どうやら、この件に関しては雫には口を挟む権利はないようだ。

「申し訳ない、我らもいつまでもここで居られぬのでな。早々に失礼させてもらう」

聡が切り上げ、一同が身を翻すなか、雫が何かを思いつき、視線を向けた。

「グラディス艦長、勝手な意見ですが、オーブへ向かわれてはいかがでしょうか?」

「オーブに?」

唐突に呈示された案にタリアは眼を丸くする。

「はい、あの国はプラントとも国交を交わしていますし、中立国家です。無闇に拒否はしないでしょう」

オーブは中立という立場を活かし、地球諸国家やプラントにも門戸を開いている地上では稀な国家だ。だが、あそこなら受け入れられる可能性も高く、またカーペンタリア基地にも近い。妥協案だが、今は最良の策かもしれない。

「しかし、オーブが受け入れてくれるでしょうか?」

懸念を口にするアーサーにタリアも考え込む。いくら中立とはいえ、この状況下で果たして受け入れてもらえるか、その辺はまさに五分五分である。

「一応、私の方からもオーブに対し、打診はしておきます」

「……解かりました」

妥協案に割り切り、頷くタリアに雫は申し訳なさそうにしていたが、雫には判断しかねる問題だ。

「艦長、此度の件、私個人としては貴方方に感謝しております。ハッキリと御約束はできませんが、我が国がとる道が、プラントにとって不利益にならないように計らいます」

静かにそう告げる雫に、タリアは微笑を浮かべ、敬礼する。

「ありがとうございます」

「では、これにて…貴方方の進む道に、幸あらんことを」

一礼し、雫は護られながらヘリに乗り込み、やがてヘリが風と音を立てて浮上していく。それを見計らい、佇んでいた空魔3機も飛び上がり、戦闘機となってヘリの周囲を護衛しながらヤマトへと帰還していく。

ヘリが艦内へと消え、戦闘機が収容されると同時にヤマトは艦首を反転させ、本国である日本を目指して海面を進んでいく。

「艦長」

その様を見送るタリアの背中に窺うアーサーに対し、微かに溜め息を零し、肩を竦める。

「取り敢えず、応急修理が済み次第、南下します。目標はオーブ」

「あ、はっ!」

一瞬呆けるが、やがて頷き、それに弾かれるように各員がそれぞれの持ち場に散っていく。そして、艦内へと回収されていくザクウォーリアを見やりながら先程の会見を見守っていたリンは難しげに頭を掻く。

(オーブか、考えようによっては好都合か)

こうして地上に降りてしまった以上、仕方あるまい。それに、オーブには彼らがいる。今回の件について少しばかり確認したいこともある。恐らくその後は一度戻らねばならないだろう。

(宇宙へ…いろいろと厄介な)

キラが探しに来るまで、リンは無言で灰色に染まった空を見上げていた。その灰色は、皮肉にも今の世界を表わしているようだった。









同じ灰色の空に覆われたミネルバの目的地と定められたオーブ連合首長国。この国もまた破片落下による津波で沿岸部が多少の浸水を受けたものの、都市部への深刻な被害はなく、混乱も少なかった。

軍部も災害対策に駆り出されている程度だが、この影響を受けたのは宇宙との行き来である。電波障害による状態では迂闊にシャトル等の打ち上げができない。よって、ヤラファスの空港では現在全てのシャトル便が運航を見合わせているなか、灰色の雲を裂くように降下してくる一隻の小型軍用シャトル。

それが問題なく滑走路に降り立ち、やがてターミナルに接続される。

突然の休航にターミナル内は立ち往生する民間人や事態把握や説明に走り回る職員、そして混乱を沈静する保安の者達で溢れている。そんななかへ先程のシャトルの降車ゲートから一人の女性が姿を見せる。

黒のズボンに白のジャケットを羽織り、ラフな格好で歩く黒髪の女性:マイは無言のままその光景を一瞥し、歩を進めながら横のガラスを見やり、立ち止まる。

(嫌な空……相当厄介な事態になりそうね)

苛立ち気味に内心に悪態を衝く。ユニウスΩの落下はアメノミハシラへ帰還の途中でツクヨミから確認した。そして、アメノミハシラでTFの面々と別れ、マイは単身オーブを訪れた。

この国はどうやら大きな被害は被っていないようだが、あの落下騒ぎで被害を被った国々は数知れない。

(南米もくらってるわね。となれば、ゴタゴタは避けられないか。内戦なんて洒落になんないわね)

心中に嘆息しながらマイは肩を竦め、再び歩を進める。やがて、ターミナルを抜け、空港に設けられた繁華街に足を踏み入れるが、やはり人の姿はまばらだ。微かに歩く人々の顔にも不安が色濃く漂っている。オーブは一度戦火に焼かれた国、その不安や恐怖は今も根強く国民のなかに残っている。

そんな様子に同情するでもなくマイは無言で歩み、やがて繁華街の片隅に設けられた喫茶店に入店する。店内はほとんど客の姿もなく、閑散としていたが好都合だった。ウエイトレスに案内され、マイは端のガラス張りになった席に腰掛ける。

「コーヒーホット、ブラックでね」

そう簡潔に注文を告げると、ウエイトレスは一礼して離れていく。マイは頬杖をついてガラス越しに鬱蒼とした空を見詰めていたが、やがてコーヒーが運ばれてき、頷くとコーヒーを一口啜る。途端に顔が顰まる。

「あ〜苦っ、まずっ」

苦みばかり出ているコーヒーに毒づくと同時にマイは背後の席に座った気配に気づいた。その人影は黒いスーツ姿にサングラスをかけた男だった。

カップを置き、何気なしに背中に向かって囁くように呟く。

「どう、状況は?」

「破片はほぼ赤道一帯を中心とした地域に集中した模様で、なかでも被害の大きいのは東アジア共和国と南米の一部がかなりの被害を受け、またそれ以外にも二次的混乱が続発しています」

背中で語る男は、マイの部下の一人だった。世界各地に散っているエージェントの一人であり、連絡を受けたマイは無理を言ってオーブに降りてきたのだ。

「成る程ね」

「また、これに乗じて連合内でも不穏な動きと各国首脳部に向けて秘密裏に接触が確認されております」

「なんとまあ、そんな事だけ速いんだねえ」

呆れるように肩を竦め、コーヒーを再び啜る。

「となると…近々、なにかしら大きな軍事的アクションがあるわね」

視線を微かに細め、自身に聞かせるように呟く。実際、今回の件はいい大義名分ができたと見るべきだろう。だが果たしてそううまくいくか…この件が仕組まれたものであるなら、そう思惑通りには進みはしまい。

「オーブは?」

「今のところは大きな転換は確認できていませんが、政府内では議論が起こっていると見るべきでしょう」

議員制を登用したことで今のオーブの議会には民間からの議員も加わっている。無論、主権は代表であるミナが握っているが、議会を無視することはできない。当然ながら、今後の方針においても対立があるとみて然るべきだろう。

(あまり長居はできないわね)

厄介者以上に邪魔者だ。さっさと用件を終わらせて出て行くに限る。

「それと、これは南米にいるエージェントから緊急回線で送られてきた映像です」

背中越しに差し出されたそれを無造作に受け取り、一瞥する。そこには、薄ぼけた何かが映る写真だった。

「MS? 見たことのない形ね」

そこに映っていたのは、ハッキリとはしないが、形からしてMSだろう。だが、マイには見覚えのない形状だ。

「ユニウスΩの破片とともに降下してきたのを近くにいたジャーナリストが撮影したもののようです。ただ、この機体に関しては現在ロストしております。行方も捜索させておりますが」

「続けさせて…厄介事の種は尽きないわね」

心底疲れるとばかりにそう告げつつも、マイはその形状を睨むように見ていた。

(これは確か、ジェネシスαで見た…マーシャンが何故地球圏に関わってくる?)

数日前の記憶に鼻を鳴らし、マイはテーブルの端に置かれたマッチを取り、徐に火を灯し、それを写真に放り投げ、灰皿の上で写真が燃え落ちる。一瞬にして黒灰になったそれを一瞥し、状況の確認を終えたマイは本題とばかりに切り出す。

「で……例の件、堕天使がオーブに居るってのは本当なの?」

そう……マイがオーブに降りたのはその連絡をアメノミハシラで受けたからだ。一ヶ月前に突如消息を絶ったある人物の捜索と接触、確認を取るマイに男は動く気配もなく口だけを動かす。

「はっ、遂先日、この国に入国しております。偽名は使っておりましたが、間違いありません」

懐から取り出し、差し出されたそれを受け取り、眼を通す。そこには、入国者のリストが載せられており、そのなかの一名の顔が眼に止まり、マイは微かに怪訝そうに眉を寄せる。

「ま、下手に密入国されるよりは盲点か」

この辺りの調査ではありがちだが、裏をかくことを前提に調査するためにどうしても見落とす。まあ、偽名は使っているようだが、まさか堂々と入国してくるとは考えないだろう。

「現在位置の特定を?」

「必要ない。だいたい居場所に見当はつく」

ハルバートンから受け取った資料が正しければ、おおよその予想は絞れる。書類を放り投げ、マイは一息つく。

「ところで、アレの最終調整は終わってるの?」

「はっ、モルゲンレーテの方で。ですが、よろしいのですか? アレは我が軍の機密事項に相当するもの」

「別に構わない。元々の造り主はあそこだからね。今回持ってきたのはあくまで調整のため、うちのスタッフも張り付いてるでしょう? それに、ハルバートン司令の許可は貰ってる」

投げやりに返すマイにエージェントは、曖昧に頷くのみだ。

「とにかく、いつでも使えるようにはしておいて。何が起こるか解からないからね」

実際、何が起こって欲しいわけではないが、常に最悪の事態は想定しておくべきだろう。その意図を察したのか、深々と頷き返される。

「了解、では」

やり取りを終えたエージェントは席を立ち、素早く店を後にする。それを一瞥するでもなくマイは残ったコーヒーを煽り、飲み干すとカップを置き、今一度手元に放り投げた書類を見やる。

「この一ヶ月の間に何があったのやら……せっかくの美人が台無しね」

入国者を示すIDに添えられた写真に写る人物は顔の右半分を無造作に包帯で覆っている。

「レイナ=クズハ……先の英雄、黒衣の堕天使、ね」

ポツリと呟き、マイは値踏みするように写真を凝視しながら、思考に耽った。

(こんな生娘に本当に渡す価値があるのかしらね)

そこまで考え、マイは首を振り、徐に席を立ち、静かに店を後にした。









応急修理を終えたミネルバは一路、オーブへの進路を取っていた。荒れる海面を微速で進むミネルバの装甲に雨が降り注ぐ。

先程から拡がっていた分厚い灰雲により、周囲はどこまでも薄暗い。破片の衝突で舞い上がった粉塵が太陽光を遮り、気候の寒冷化、また植生の影響、オゾン層の破壊や酸性雨、二酸化炭素放出による温暖化の進行など、衝突の副産物による影響は長期に渡って地上を襲うだろう。そうした空から巻き上げられた有害物質等が含まれた雨が降り注いでいる。

その憂鬱な景色を艦橋に佇みながら無言で見据えるタリア。まるで、自身の内の不安を体現するような光景により気分が沈む。

先程から周囲の警戒とオーブに向けてのレーザー通信と回しているが、芳しくない。それは、カーペンタリアやジブラルタルも同様だ。

だが、自分達には他に選択肢はない。この状況下では会敵はあまり心配がないのが唯一の救いだ。

またもや深々と溜め息を零した。

そして、クルー達もまた激戦に次ぐ激戦に疲労が出たのか、艦内の至るところで消沈している様が見て取れる。そんななか、リンはキラと共に後部の展望デッキに佇んでいた。

ガラス越しに先程から降り注いでいる雨を見据え、リンは難しげに空を見上げており、キラもどう切り出したものか迷い、ずっと無言状態が続いている。

「あ、ここに居たんですね」

そんな空気を破るように、デッキに姿を見せたシンやステラの姿に驚きもせず、視線を向ける。

予想通りというか、むしろ絶対に来るであろうという確信があった。

「お久しぶりです」

まともに挨拶を交わすのは実際これが初めてだ。久方ぶりに話すかつての戦友に向けて一礼し、ステラも深々と頭を下げる。

「気を遣わなくていい。訊きたいのは別のことでしょ」

図星なのか、シンは顰めた面持ちのまま、無言で頷き、キラが思い切って切り出す。

「リン、アレは…アレはやっぱり……」

そんなキラ達の問いを肯定するようにリンは静かに頷き返す。

「十中八九間違いないわね。天使…奴らが再び現われた」

静かに、そしてどこか重々しく告げたリンに合わせるように艦外で雷鳴が轟き、光がデッキを照らす。それは、3人の胸に激震となって響く。

「そんな、あいつらは前の大戦でやっつけたはずじゃ…っ」

そんな事実を認めたくないのか、シンが否定するが、リンは首を振る。

「現実に連中が姿を見せた以上、事実よ。バックにいるのは誰か、まだ解からないけどね」

天使の背後にいる影が前と同じであるはずがない。それは間違いないが、新たな影が潜んでいるという事実を擡げる。

実際に天使と戦ったキラやシンは暗然と俯く。

「これから…何が起こるの?」

不安げに呟くステラにシンやキラは答えられず、リンは視線を再びガラスの外に向ける。

「恐らく、かなりの確率で戦端が開かれるかもしれない。ユニウスΩを落とした亡霊の思惑通りに、ね」

その言葉に鋭く息を呑み、声が掠れる。

地上の受けた被害は深刻だ。そして、人々は不安と恐怖にかられている。そんな不安定な状況で求めるのは何か…それは、その負を齎した者への憤怒と憎悪に変わるのは極自然だった。

それに、この件が起きた日付もまたそう仕向けるには打ってつけということもある。よりにもよって血のバレンタインと同じ日にこんな惨事を起こすとは、プラントからの宣戦布告と取られてもおかしくはない。

恐らく、これを理由にプラントに対し、抗戦を仕掛けようとする勢力が台頭してくるはず。

可能性として高いのは、今回の被害が大きい大東亜連合の中枢である東アジア共和国。あの国は前大戦終結後からプラントに対し猜疑心を抱いていた。

あのなかには未だ前大戦時に蔓延したブルーコスモス思想が根強く残っているだろう。

そして、外部に敵をつくり、国内の問題を逸らすのは歴史の常套手段だ。となれば、一番手っ取り早いのは脅威の排除という自己正義の戦争だろう。

リンが示唆する可能性に3人の表情が不安に顰まり、唇を噛んでいる。それがなによりも現実味を帯びている過去を持っているだけに、否定できない。

たとえ、今回の件でどんなにザフト側が尽力し、また誠意を示したとて、起きてしまった悲劇はもう消せない。そして、その事態を引き起こしたのもまたコーディネイターだという現実が痛く胸を裂く。

(でも、恐らくそれも奴らにとってはただの前振りでしかないんでしょうね)

その可能性だけはリンも口には出さなかった。天使の目的…それが何にであるかはまだ解からない以上、迂闊な憶測はできないが、この騒ぎによる事態の推移も前章でしかない。その後に大きな何かが控えているはずだ。

リンも知らず知らずの内に拳を強く握り締めた。

無言が続くなか、艦内端末の呼び出し音が空気を破るように響き、シンはそれが自分の物であると遅れて気づき、慌てて取った。

「あ、はい」

《お兄ちゃん、聞こえる?》

「マユ? どうした?」

《マコトさんなんだけど、今意識戻ったよ》

収容と同時に気を失っていたマコトはそのまま医務室に運ばれ、ようやく眼を覚ましたことに今の不安を少しばかり紛らわせる。

「ああ、解かった。じゃあ、そっちに様子を見に行くよ」

《OK、でもまだ安静なんだから静かにね》

通信を終えると、シンはステラと頷き合い、リンとキラに一礼すると、その場を足早に去っていった。

その背中を見送りながら、不意にガラスを叩く音が弱くなったと感じ、見やると、雨が止み始めていた。遠くの空からは雲の切れ目から微かに陽が差し込んでいる。どうやら深刻な影響圏を抜けたようだ。身を翻し、リンはデッキを後にし、キラもその後を追った。

「少し腕はなまったようね。それとも、機体が違うと勝手が違う?」

通路を歩くなか、唐突に切り出した言葉にキラは戸惑う。

「うん、ちょっとね…操縦のレスポンスとか違ってて」

「ま、あんたが使った機体と量産機種じゃね」

キラはこの方、操縦したMSはほぼ試作機が全てだったため、それらの操縦感覚と同じで操縦しても量産機種ではうまく反応が合うはずが無い。苦く乾いた笑みを浮かべるキラにリンは軽く溜め息を零す。

「これから恐らく今回のような事態が否応なく起こるかもしれない。せめて、感覚だけは取り戻しておきなさい。後悔したくないならね」

視線を合わせず、冷たく言い放ったリンの一言にキラも息を呑み、視線を俯かせる。確かに、戦後キラはずっとラクスの秘書として活動し、SPの真似事なら経験していたが、MSに関しては避けていた。

その間に否応無しに培われた操縦技能は落ちてしまった。平時ならそれで構わない。だが、これからの事を思えば、そうは言っていられない。戦いから離れればいいだけかもしれないが、キラの立場上、それはできない。

現に、アーモリー・ワンの件では、危うくラクスを危険に晒しかけ、さらに先のユニウスΩでは戦闘で遅れを取ってしまった。下手をすれば、そこで命を落としていたかもしれない。

リンの言葉のなかに込められた気遣いにキラは思考を彷徨わせるなか、不意に銃声が通路に木霊し、リンとキラは咄嗟に身構えた。

リンは無言でコートの裏側に隠した鞘と懐に収めた銃のグリップに手を伸ばし、周囲を窺うが、警報も鳴らず、保安係が動くような騒然とした様子もないことにすぐ気づき、艦内への侵入の類ではないと悟り、手を離すが、それでも右腕に仕込んだ暗器だけはすぐに使えるようにし、その銃声が聞こえた先へと歩を進める。

通路の壁に備わった船外へのドアの外から銃声が聞こえ、警戒した面持ちで覗き込むと、そこに見えた光景に拍子抜けし、肩を竦める。

デッキにターゲットボードを設置し、射撃訓練に勤しんでいる。ルナマリア、レイ、セスといったパイロットの面々に加えて管制担当のメイリンの姿が在った。何の珍しい光景ではない。ザフトでもそうだが、通常の軍隊なら定期的に訓練をこなすよう規定に定められている。当然のことだが、元々正式な軍部隊に配属されたことのないキラは呆気に取られている。

そんな様子に苦笑し、撃ち合う姿を監察するように視線を向ける。セスとレイの二人は無言のままトリガーを引き、それが的確に標的のウイークポイントを貫通し、消えていく。それに対し、ルナマリアの撃ち方はどこかおぼつかない。標的の外側、よくて的内に当たるといった感じだ。その調子で弾倉一つ分を撃ち終えたルナマリアは芳しくない結果に不満を憶え、小さく舌打ちし、溜め息を零しながら弾倉を交換しようとし、ドア付近で佇むリン達に気づいた。

「あら?」

その姿にルナマリアが眼を輝かせ、パタパタと歩み寄ってくる。

「御見学ですか?」

親しげに話し掛ける様子に出撃前にぶつけられた嘲笑はどこへやらといった調子に眼を丸くする。

「せっかく地上に降りたんですから、どうせなら外の方が気持ちいいと思って外で訓練してたんですけど…調子悪いんです」

笑みを零し、舌をペロリと出しながら弁解しつつ再度ターゲットボードに向き直ろうとするが、何かを思いついたように向き直り、愛想よくニッと笑った。

「見せてくれませんか、貴方の腕前?」

「ん?」

不意にぶつけられた問い掛けにリンは視線を向ける。

「本当は私達皆、貴方のことよーく知ってますよ」

意図が掴めず困惑するリンに対し、ルナマリアは言葉を続けた。

「元ザフト軍本土防衛隊所属、第1次ヤキン・ドゥーエ攻防戦にて連合旗艦:ルーズベルトを撃沈させ、漆黒の戦乙女と称される。その後クルーゼ隊に配属、戦争中盤では当時最強と謳われた連合のルシファーを討ち、そして国防委員会直属特務隊フェイス、ZGMF-EX000AU:エヴォリューションのパイロット、『リン=システィ』ですよね?」

よくぞそこまで調べたものだとリンは感心する。

「最後に裏切り者、という名誉はつくけどね」

褒め称えるルナマリアに皮肉るように肩を竦める。そのやり取りにメイリンも射撃を止めて聞き入り、セスやレイもまたこちらを見やっている。

リン自身、今更そんな過去の経歴に興味もない、むしろ他人のように思えるが、ルナマリアらにとっては軍部内の噂であり、生きた伝説にも近い。さらに、それを裏付けるような実力の一端を遂前回垣間見たのだ。

「射撃の腕もかなりものと聞いてますけど?」

差し出された銃とともに、ルナマリアはあどけない無邪気な笑顔を浮かべる。

「お手本、見せていただけませんか? 実は私、あまり上手くないんです」

訓練課程を半端に履修しなかった為の弊害だが、悪びれなく告げるルナマリアに内心、嘆息する。

この言葉をアスランやイザークが聞いたらどう反応するか、思わずそんな考えが過ぎるも、手渡されたザフトの制式拳銃の重みに懐かしさを感じる。いつ頃からか、使わなくなり、握るのは久々だ。

リンは無言で操作端末に歩み寄り、難易度を最大レベルに設定し、セットアップする。軽く一呼吸し、開始のブザーが鳴った瞬間、ターゲットボードに現われる標的に向けて銃口を向けた。

瞬いた瞬間、撃ち抜かれる標的。続けて断続的に出現する標的、瞬時に入れ替わり、時には複数出現するも、それらは次々に、そして正確に撃ち抜かれていく。リンの瞳が忙しなく動き、その標的の動きを自身の視界で追うと同時にトリガーが引かれている。

「うっわぁ! すっごぉぉい」

その射撃制度に感嘆の声を上げ、セスやレイはその実力を値踏みするように凝視している。

キラはキラで完全に蚊帳の外といった感じで見守り、やがて最後のターゲットを撃ち抜き、標的が消えると同時にその成績が表示される。

それにつまらなさ気に鼻を鳴らすと、リンは腕を下ろす。

「同じ銃撃ってるのに! え、なんで!?」

思わず近寄り、リンの手元に握られている先程渡した銃を睨むように見ている。本当に同じ銃かと疑っており、銃に文句を言わん勢いだ。

「銃のせいじゃない。あんたは正確に敵を仕留める射撃には向いてない、撃ち方が変だからね」

嗜めつつ、銃を手渡し、リンは肩を竦める。ルナマリアは納得しかねるといった不満顔だったが、気にも留めず離れていく。

そんな様子にメイリンは思わず失笑してしまうが、姉に睨まれたために慌てて視線を逸らす。

「でも、銃を取るならその意味は理解しておくべきね」

唐突に切り出された問いにルナマリアは首を傾げ、リンは視線を細める。

「銃を取るのは何のため?」

「そんなの、敵から自分や仲間を守るために決まってるじゃないですか」

さも当然とばかりに豪語するルナマリアにリンは青いと肩を竦め、どこか睨むように冷たい眼差しで見やり、その視線に萎縮する。

「覚えておきなさい、銃を撃つということは、覚悟をすること……殺す覚悟と、殺される覚悟をね」

低い口調で冷たく言い放ったリンにその場にいた全員の息を呑む音と空気が微かに凍る。リンは先程のルナマリアが称賛した過去を反芻する。

あの時、自分は何の意味もなく戦い続けていた。そして、その覚悟の甘いまま最愛の姉と戦った。

そして、その姉を討って得たのは結局虚しさと自身の惨めさだけ。覚悟を持たずに銃を取った結果がそれだ。

だからこそリンはその覚悟を決めた。その生き方を示し、そして自ら選び取った道として…覚悟を決めて進むことを。

「それができないなら、ただの快楽主義者ね…死という麻薬に魅入られた、ね」

言い捨て、そのまま背を向けて去ろうとするリンに向かい、声が掛けられた。

「なら、貴方は何をするつもりですか…その覚悟とやらで」

挑発するように告げるセスに対し、リンは無言のままだ。そして、視線を僅かにセスに向け、不適な笑みを浮かべた。

「当然、自分自身で決めた道を進む……それだけよ。他人に生き方を強要することも真似ることも私は否定しない。でもね、それがどんな道であるにせよ、最後に選ぶのは自分自身。なら、その道を覚悟と責任を持って進むことね」

まるで試さんばかりに告げ、リンは無言のまま背中に刺さる視線を気にも留めず、デッキから去っていった。

誰もがリンの言葉に考え込み、無言になる。自身の生き方…そして、その選んだ先に圧し掛かる覚悟と責任、まだ戦場に出ても人生経験においても浅い彼らでは曖昧すぎてピンとこないのか、戸惑っている。

それが一番響くのはキラだった。キラはリンの問い掛けにかつてレイナに問われた言葉を反芻させ、重ねる。

自分は、この道を選んだことに覚悟と責任を果たしているのか……自分は結局、甘えているだけなのだろうかと、自問自答する。

(ラクス……レイナ……)

無意識に空を仰ぎ、キラは答を求めるように呟く。強い風が吹きつけ、髪をはためかせる。それは、何かを齎すかのような不吉な予感を感じさせる風だった。









地球から遠く離れたL5宙域に存在するプラントコロニー群。

その中心地であるアプリリウスワンの都心の一画に聳えるマンション。その一室の窓からプラントの街並みを見下ろすラクス。

そこは、外務次官であるラクスに与えられた議員用の宿舎だった。かつてのクライン邸は前大戦の折に特務隊によって破壊され、ラクスはそれを修復することを望まず、そのまま取り壊させた。それは、過去を忘れるためではなく、自身への戒めと覚悟のためだった。

一人、この部屋に移ってからも不安は無かった。それは、隣で支えてくれる存在があったから違いない。

(キラ……)

浮かない面持ちで切なげに囁き、窓の外の夜のプラントを見渡す。

ネオンが煌く街並みはユニウスΩの落下事件など関係ないとばかりに賑わっている。所詮、直接的な被害を受けなければ、他人事でしかない。

そんなプラントの現状にラクスは軽く失望感を憶える。

あの後…ミネルバから下船したラクスはデュランダルと共にジュール隊の護衛を受けてプラントに無事帰還していた。

久方ぶりに会ったイザークやリーラともほとんど話をせず、気分が紛れることもない。それどころか、今もプラントの外交筋には地球各国から今回の事態の釈明や真偽を問う打診が後を絶たない。

(どうなるのでしょう、これから……)

この先の未来を模索し、暗然となる。

まるで、決壊したダムから水が溢れ出し、止まらないように世界に投じられた混乱という波紋が徐々に拡がり、浸食していくようだった。

優れない気分のまま、今夜はもう休もうと寝室に向かおうとしたラクスだったが、突然外来を告げるインターンが鳴り、ラクスは気だるげに身を引き摺るようにドアへと向かう。

あまりの事態の推移と自身の肩に圧し掛かる不安と問題、そしてキラの不在という悪条件が重なっていたためか、ラクスはこの時いつもの思慮深さを完全に欠いていた。相手の姿をドアに設置されたモニターで確認することも、相手を確かめることさえもなく、ドアの前に移動した。

そして、ロックを解除し、ドアを開く。

「どちら様………」

ドアが開閉した瞬間、ラクスは胸に鋭い痛みと熱が走った感覚に囚われた。

(え……)

フラっと身が後ろへと倒れ込むと無意識に悟った視界に飛び込む宙に舞う赤黒い液体。それが何であるかを知覚することなく身体は硬い床面に叩きつけられた。

だが、その痛みを感じることもなく、ラクスの思考は何かに引き摺られるように囚われて落ちていく。

ラクスの胸から溢れ出す赤い鮮血。それが身体をつたって流れ落ち、周囲に拡がっていく。それはまるで、赤い薔薇のような斑模様を描いていた。血という装飾に包まれたラクスの意識が完全に途絶えようとした視界に最後に飛び込んできたのは、黒塗の銃口と、狂気に歪む醜悪な口元だった。

(キ…ラ………)

そして、ラクスの思考は完全に闇に包まれた。



















《次回予告》





受けた傷…それは否応なく世界を侵食していく。

築かれていた仮初の平穏は、脆くも崩れ去るのか。

進む道は、険しく困難なものへと変わっていくのか。



傷を癒すため、戦士達が目指す先……

それは、今の世界を築き上げた終わりと始まりと地。

希望と悲哀が交錯する地。





世界は新たなる混迷を深め、陰謀という闇が蠢き出す。

そんな世界に対し、少年は己の道を迷う。

そして、墓標の地で果たされる出逢いは、何を齎すのか…………







次回、「PHASE-20 陰謀の影」



陰謀渦巻く世界を飛べ、ミネルバ。


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