――――――罪







それは何を意味するのか。

過ちを犯した事実に対する罰……なら、その過ちとは何なのであろうか。

人は…いや、命あるものは生のなかで必ず過ちを起こす。どんな人物であれ、その程度の差はあれ、過ちは犯す。

生命が過ちを犯すことはもはや変えられぬ理……ならば、生命こそが罪なのであろうか。





この世界に生を受けた刻には、既に罪という十字架を背負っているのだろうか。

生命は、この十字架の重みに耐えているのだろうか。

そして、その重荷に耐えられぬものがその罪に溺れていくのであろうか……ならば、この罪は誰から与えられるものなのだろう。



生命を超越した存在……神と崇められる生命には決して手の届かない高みに存在しているもの。

ならば、その罪を架した神を恨むのだろうか……神は、赦しすら与えないのだろうか。

ただ、遥かなる高みから生命が罪に嘆く姿を…罪に溺れる姿を……罪に哀しむ姿を…ただ嘲笑っているのだろうか。







ならば、私は神を信じない。

私に罪を架した神を……だから私は惑う。

私の罪は…誰が裁き、そして赦しを与えてくれるのであろう………









――――――私は、この世界に……何を信じるのだろう………







機動戦士ガンダムSEED ETERNALSPIRITSS

PHASE-20  陰謀の影







L5宙域に拡がる特徴的な砂時計を模した外観を持つコロニー群。コーディネイター達の国家であるプラント群。

雄大に、そして誇示するように存在するコロニー群の中心に位置する政治経済といったあらゆるプラントの運営を取り仕切り、集約するアプリリウスワン。

その中央都市に存在する最高評議会の会場。その一室にて、その男の姿は在った。

「ローマ、珠海、ゴビ砂漠、ケベック……」

壁面に映るモニター群には、ユニウスΩの落下によって被害を受けた地域が無残な光景として映し出されている。それらを歌うように一瞥し、手元のティーカップを持ち上げる。

「……フィラデルフィアに大西洋北部にもだ」

優雅な仕草で喉を潤すと、ソーサーにカップを置き、組んだ脚をほどいて立ち上がったのはプラントの最高評議会議長であるギルバート=デュランダルだった。

報告される被害に溜め息を零しながら、行政府内に設けられた執務室の壁面に拡がるガラス向こうの風景を見やった。

整然と区別された街並みと行き交う身綺麗な人々、その向こうには地中海を思わせる湖面が拡がっている。そのどれもが今モニターに映る光景とは雲泥の差であった。

「死者の数もまだまだ増えるだろうと言うのだから、傷ましいことだ……」

いったい誰に向かって囁くのか、その独り言は続く。

「君もそう思わないか?」

不意に天井を仰ぎながら呟いた一言。誰も答えるはずもないその問いに、滑らかな声が返った。

「さあね。私は死は尊いものだと思うわね…死は、生命全てに与えられた慈悲なのだから」

揶揄するように答え、執務室の端の陰から姿を見せる黒衣とそれに眩く金色の輝き。バイザーで顔を隠した女:ゼロの姿にデュランダルは驚くでも、困惑するでもなく、微かに肩を竦め、ゼロはそのまま執務机の横に備わったソファに腰を下ろす。

そして、徐に眼前のテーブルに置かれたチェスボードを見やる。差し手もいないチェスボードにはクリスタルを刻んで成形したと思しき駒が、美しい光を発している。屈折した光の反射によって虹色にも取れるその駒の一つを手に取り、無造作にボードのマス目に置いた。

「最初の一手は既に打たれた。これも貴方にとっては読み通りかしら?」

試すような物言いにデュランダルは小さく溜め息を零す。

「いや、流石に私自身も心穏やかではいられないさ。アーモリー・ワン、そして今回のユニウスΩ、どちらもね」

それがどの程度までなのか、計りかねるような柔和な、そして演じ、欺くかのような印象が漂う。

ゼロはつまらなさ気に相槌を打ち、そして別の駒を手に取る。

「黒の騎士が手に入らなかったのは貴方の誤算じゃないかしらね? でも、チェスじゃあ相手の駒を潰すことはできても、使うことはできない」

相手方に備えられた黒の駒の一つ、騎士を模した駒を弄びながら言葉を紡ぐ。暗に示唆される問いに肩を落とす。

「耳に痛いね」

苦笑を浮かべつつも、デュランダルは振り返ることすらなく、背中で会話を続ける。

「だが、兵士、騎士、城兵、女王…王を護る駒は揃いつつある」

「フーン…その王とやらは貴方かしらね?」

「私は盤面の駒ではないよ。私はあくまで傍観し、駒を勝利に導くだけの存在だ」

「なら、そのせっかく手に入れた白い兵士…どこまで使えるかしらね」

鼻で笑いながら、ゼロは白のポーンを手に取り、盤面に置く。その眼前には敵の駒ではなく、ただひたすら道が拡がるのみ。

それは、そのポーンが何の価値もないということ…ただの捨て石だった。

「駒はただそれだけの役割が価値ではない。そして、その駒の価値を見出すのもまた必要。敵陣奥深くまで入り込んだ兵士は女王にまで昇華できるのだよ」

チェスの駒は違った能力を持たされているが、そこに明確な力量の差はない。あるのはただ能力の違いだけ。そして共通するのが王を護るためのものであるという絶対無二のルール。

「貴方が何を期待しているのかは知らないけど、私には関係ない。でも、これだけは言っておくわ」

それまでの親しげな口調が変わり、どこか底冷えするような冷たいものへと変わり、ゼロは手を伸ばして黒の女王の駒を手に取る。

「私の邪魔だけはしないことね。私も貴方の邪魔はしない……」

次の瞬間、ゼロは右腕を振り払い、デュランダルの側面を掠め、ガラスへと突き刺さる黒の女王の駒。強化ガラスである筈の鏡面に突き刺さり、破片が散る。その行動にデュランダルは端正な顔を微かに強張らせたが、すぐさま元の能面に戻る。

「そして、貴方も私の目的の邪魔さえしなければ、私達の関係は今までどおりよ」

口元を薄く緩め、笑みを浮かべるゼロにデュランダルは頷く。

「フィフティフィフティ、等価交換か……解かっているよ、私達の関係はあくまでビジネスだ」

「結構」

徐に席を立ち、ゼロは身を翻して背中を向ける。

「そうそう……白の女王に仕立てた小娘、傀儡がどこまで通用するか。駒は何も盤上だけとは限らないということ、忘れないことね」

ニヤリと嗤い、ゼロは今度こそその身を奥の闇に委ね、消えていった。完全に気配が消えたのを確認すると、デュランダルは深々と溜め息を零した。

「やれやれ、過激なものだ」

それは嫌味なのか、それとも恐れか…今のデュランダルからは読み取れず、ようやくデュランダルは振り返り、先程までゼロが弄んでいたチェスボードに歩み寄り、そしてゼロが置いた、ポツンと佇む白のポーンを手に取り、それを弄ぶ。

「解かっているよ…これからだな……本当に大変なのは………」

それは何に対してか…悪化するプラント情勢への憂慮か、それとも地上の惨禍に対する同情か……口にした彼の口元にはまるで愉しむかのような微笑が漂っていた。そんなデュランダルの許にラクスの暗殺の報が極秘裏に飛び込んできたのはすぐのことだった。









赤道に程近い南洋の島国からなる技術国家、オーブ連合首長国。

本島であるヤラファスを中心に構成されるなか、軍事技術、そして最大の国営企業:モルゲンレーテを擁するオノゴロ島に向かって海上を移動するグレイの戦艦、ミネルバの周囲を良くて護送、客観的に見れば監視に近い形で随行しているオーブ軍の海上艦隊。

その映像をオノゴロの一室で横眼で見やる人影。

「代表、ザフト艦、ミネルバが到着されました」

「解かった、すぐドックに入れてやれ」

「はっ」

壮年の首長服を着込んだ男が一礼し、部屋を後にすると、上座に座していたオーブ連合首長国代表であるロンド=ミナ=サハクは気難しそうに端正な顔を顰める。

「どうしたんだ、ロンド?」

その様子に脇に控えていたオーブ軍の軍服を着込んだ女性士官が声を掛ける。とても一介の士官が代表に掛ける言葉遣いではなかったが、ミナは気にした素振りもなく、試すような視線を向ける。

「今回の件、お前はどう思う?」

振られた女性、オーブ軍親衛隊:獅子の牙隊長であるカガリ=ユラ=アスハ三佐は一瞬眼を瞬くが、やがて眉を寄せ、視線をモニターに向ける。

「正直に言えば…厄介なものが来た、だな」

苦い口調でそう評するカガリに同意なのか、ミナも微かに肩を竦める。

2年前の時は、父達もこんな気持ちだったのかと苦く思い出しながら、カガリは軽く自己嫌悪しつつ、視線をミナへと移す。

「私個人としては、彼らに感謝している。今回の来訪にもできるだけ便宜をはかりたいが」

「カガリ」

そこまで続けたカガリを制するように視線を飛ばし、深刻な面持ちで頷き返す。

「解かってるさ、私は今は一介の軍人だ。口を挟む気はない。だけど、正直今の情勢では迂闊に扱えないとはいえ、な」

言いよどむカガリに苦笑し、疲れたように相槌を打つ。

「確かにな…無碍にする訳にもいくまい。地球を救うために尽力してくれた艦をあしらってしまうのも、な」

今のオーブの立場は微妙な位置に立たされている。国家を問わず門戸を開くと言うことは、逆を言えば、あらゆる勢力から狙われるという危険性を孕んでいる。迂闊に天秤を傾けては、国家の大事に至る。

「いくら日本からの要請とはいえ、あっちもあのままカーペンタリアに戻れれば気が楽だったかもしれないがな」

元々、ミネルバを受け入れることに議会は困惑していた。先の大戦以降、首長のみによる政治体系はある種の独裁制となり、肝心の主権である国民の是が問われるということで首長のみによる政治体系を廃止し、民間からの政治家を選出し、議会をつくり上げたものの、未だそのシステムは不完全で実際は旧首長分派からなる中核が議会を占め、下位の議員の意見が黙殺されている状態だ。だが、だからといって彼らをないがしろにしては未だ復興してから日が浅いオーブは立ち行かない。

そんな彼らを説き伏せ、国交国であり、そしてこのオーブという国のルーツにもなる東方の島国からの要請となれば、彼らも迂闊に拒むことはできなかったのだろう。

気苦労にそれはお互い様だろうと苦笑を浮かべ、肩を竦めるミナにカガリも微かに笑みを零す。

あの損傷具合から見れば、よくここまで保ったものだと思える。そう考えれば、彼らがオーブに身を寄せるという選択肢をとったのもある意味では仕方なかったのだろう。

「どうだ、連合の動きは?」

「ああ、相変わらず早いよ。もう既に上海基地に動きがあるそうだ」

呆れるような、そして侮蔑するような口調で肩を竦める。今現在カーペンタリアに程近い大東亜連合の基地である上海にて艦隊の補給が始まっているという情報が齎されている。

「こんなものが出回ってきた時点で必然かもしれんがな」

ミナは手元のモニターに映る映像を一瞥し、頬杖をつく。

黒いジンがユニウスΩ周辺でフレアモーターを設置する映像が、匿名で地球各国の諜報機関やメディアに流され、被害の大きかった地域では民衆のコーディネイター排斥の火種が大きく燻りかけている。

「今は、まだ我々も迂闊な動きは取れん」

「解かっている」

カガリの視線が細まり、どこか声色が小さくなる。

「それと、例の件……どうやら、予想通りだったらしい」

耳打ちするように告げた言葉にミナの表情が微かに曇る。

「クサナギは一応アメノミハシラに戻ったが、アスラン達が戻るのはもう少し後になりそうだ」

「解かった。件のことといい、難題だな」

嘆息し、肩を竦めるとミナがカガリを一瞥し、席を立つ。

「さて…一先ずは、地球を救ってくれた艦への挨拶とするか」

皮肉なのか、それとも感謝なのか解かりかねる口調と面持ちで呟くミナに、カガリも肩を竦め、二人は連れ立って執務室を後にする。

主のいなくなった執務机の上には、『大東亜連合との攻守同盟締結に関する案件』という資料が無造作に置かれているのであった。







丸一日かけて海上を移動したミネルバは朝方になってようやくオーブ領海へと到着した。領海への接近からオーブ艦からの警告はあったが、事情の説明や日本からの要請が伝わっており、なんとか寄港が許可された。

陽も昇らぬ朝の鬱蒼とした霧のなかをゆっくりと進み、ミネルバは整然と伸びる桟橋を抜け、しずしずと港の奥に進入していく。大きく開いたゲートに向け、艦首を大きく回頭させ、微速でゆっくりとバックから進んでいく。

ゲートを抜け、ドック内へと到着したミネルバに周辺で待機していた作業員達が慌しく動き回る。

その様を艦橋から眺めるタリアの背中にアーサーが声を掛ける。

「随分、あっさりと許可が下りましたね?」

首を傾げながら問うアーサーにタリアも考え込む。

いくら中立国とはいえ、平時ならいざ知らず、現在の情勢では受け入れが叶うかは半信半疑だったとはいえ、思いの他あっさりと事が進み、タリア自身戸惑っている。

「確かにね、でもこちらしてはありがたいわ」

護送という名目の監視だった艦の担当者からは日本からの要請もあったと聞く。なら、雫は約束通り話を通してくれたのであろう。余計なトラブルが無いのならそれに越したことはない。

身を翻し、係留と同時に迎えにプラットフォームに出てくる代表者への挨拶に向かうべく艦橋を後にするタリアの後を慌てて追う。

「でも問題は、これからどうなるか、かしらね」

「どうなる、とは?」

意味が読み込めず眉を寄せるアーサーにタリアは難しげな面持ちのまま言葉を続ける。

「いつまでもオーブには居られないということよ」

早くカーペンタリアに向かい、友軍と合流したいというのが本音だ。度重なる連戦で船体のダメージも大きい。クルーの疲弊、そして物資の枯渇など…さらには混乱を極める地上での孤立。

圧し掛かる不安に溜め息を零す。

「艦長、あまり溜め息をつかれると幸せが逃げますよ」

思わずそう口にしたアーサーはジロリと睨まれ、アーサーは己の失言に気づかず冷や汗を流す。

幸せなんて、もはや出尽くしてしまったのではないかと思えるほどの事態の連続にタリア自身嘆きたい気分なのだから。

動揺しているアーサーを残り、怒りを孕んだままの足取りで歩む。やがて、昇降用のハッチに到着し、ハッチが開かれていく。

差し込む照明の光に一瞬視界を覆うが、やがてその先に拡がるドックの光景が眼に入る。ハッチに繋がれたゲートの先にドックのプラットフォームには不似合いな一団が佇んでいる。

(さて、これからどう出るかしらね)

このオーブに立ち寄ったことが吉と出るか凶と出るか、その一抹の不安を胸に抱きながらタリアは歩を進めた。

「この度は、よくぞ参られた。勇名なザフトの諸君」

持ち上げるような言葉と共に迎えられた一団にタリアは眼前に立つ貴婦人のような雰囲気を持つ女性を真っ直ぐ見据え、敬礼した。

「ザフト軍、ミネルバ艦長、タリア=グラディスであります」

「同じく、副長のアーサー=トラインであります」

「これはすまぬ。余はロンド=ミナ=サハク、オーブ連合首長国現政権の臨時代表を任されている。今回のユニウスΩの件については、尽力していただき、地球に生きる者として感謝する」

凛とした面持ちで優雅に一礼するミナにアーサーは圧倒され、タリアもどこかその放たれるオーラのようなものをひしひしと感じる。

オーブの軍神、旧五大氏族のサハク家の長、それらの単語が脳裏を掠め、タリアは息を呑む。アスハ家の影に隠れていた時からでもその名を馳せていたサハク家、そしてこのオーブを治める者、その雰囲気の呑まれないようにタリアは自身に渇を入れ、口を開く。

「今回、我々の要請を受け入れていただき、感謝します。そして、この度の災害につきましても……お見舞い申し上げます」

愛想笑いのように笑みを浮かべ、きびきびとした口調で一礼すると、ミナは不適な笑みを浮かべる。

「なに、国としても地球を救うに尽力してくれた礼に過ぎん。だが、状況が状況だ。あまり便宜ははかれんが、貴艦もはやくに友軍と合流したいであろう。できる限りの支援は行うが、それは御了承いただきたい」

値踏みするように視線を向けるミナにタリアはやはり内心、厄介だと感じつつ、その対応にどこか安堵する。

どうにか、補給の手筈は整えてくれるようだ。

「……ありがとうございます」

だが、それでも用心深く頷き返し、ミナの後ろに控えていた金髪の童顔の女性が前に出た

「取り敢えず、貴艦の修理、並びに補給物資として必要なものをリストアップしてもらいたい。こちらもすぐに作業を開始させる」

手渡されたリストを受け取り、アーサーは慌てて頷き返す。

「では、取り敢えずは休まれるがよかろう」

話を終えると、ミナは踵を返し、他の付き添っていた一団も連れ立って去っていく。それを見送ると、置いてけぼりにされたタリアは深々と溜め息を零す。そして、どこか重い足取りで艦内へと戻るのであった。



数時間後、ミネルバはそのまま艦船の修理ドックへと移されていくのであった。その間、整備士達は格納庫でMSの修理に追われていた。

クローラーに収まる機体はどれも酷い有様だった。あの激戦を潜り抜けただけに仕方ないことかもしれないが、整備班にとっては眼も当てられない状態だった。

「班長、こいつはもうダメですよ」

一人が告げたその言葉にマッドは無骨な貌をさらに顰めて唸る。眼前にあるのは2機の大破したザクウォーリア。リンとキラの貸与された機体だったが、出撃前とは比べくもないほどに損壊していた。

リンの機体は四肢を喪い、また残ったボディも傷が酷い。キラの機体は摩擦熱で装甲が融けた状態であり、結論から言えばもはやスクラップにした方が早いと言わざるをえない。

流石にこの状態から修理するのはいくら腕のいい整備士でも難色を示すだろう。

「仕方ない、データだけ取って、使える部品以外は全て破棄しろ」

これ幸いにと補給が滞りがちなザクタイプの予備部品にするべく、整備士達が取り付いて部品を解析し、解体していく。

それを一瞥すると、マッドは次に戦力の要たるインパルスとセイバーの修理を優先させた。流石にこれはどんな状態だろうと修理しなければならない。ザク3機はまだ軽微で済んでいるため、そちらは調整のみに回し、大半を2機の作業に割り当てる。

「さて、問題は……」

厄介な問題とばかりにマッドが眼を向けたのは、一番端のクローラーに収まるセレスティだった。

この機体だけは構成パーツがまるで違うために修理が可能かどうかは解からない。だが、共に戦った人物の機体を無碍にするのもマッドにはできず、仕方なくダメージチェックだけでも行おうと機体に近づき、コックピットに昇ると、OSを起動させ、機体のメディカルチェックを行うとした瞬間、別のデータが表示される。

「ん、何だ?」

怪訝そうに起動されたデータに眼を通すと、数行の項目の後に表示されたのは、何かの図面だった。

「こいつは……」

微かに眼を驚愕に瞬き、マッドはその図面を凝視した。







ドック入りし、整備班以外のクルー達はようやく一息ついたのか、それぞれの自室、または休憩室にて身を休めているため、艦内は静けさに包まれている。

その一室、リンのあてがわれた部屋では、リンはベッドに腰掛け、愛用の銃や暗器の具合を見ていた。

デリケートなものであり、尚且つ自身の命を預けるのだ。調整にも細心の注意が必要だろう。やがて終えたのか、砲身をスライドさせ、銃を脇のホルスターに収めると、リンは立ち上がり、備え付けの鏡で自身の顔を凝視しながら、下ろしていた髪を持ち上げ、頭の上で束ねていく。

やがて纏まった髪を咥えていた紐で束ねると、リンは立てかけていた刀を手に取り、腰に差し、コートを羽織る。そして、徐に左手の薬指に輝くリングを見据えていたが、やがて顔を上げ、部屋の電気を消すと静かに後にした。

そのまま無言で通路を歩いていると、その姿を確認したキラが駆け寄ってきた。

「リン、どうしたの?」

「別に、ちょうどいいから艦から降りようと思ってね」

あっさりと言われた言葉にキラは呆然となるが、それを理解するより早くリンは素っ気無く歩を進め、キラは慌てて後を追った。

「お、降りるって?」

「私は元々この艦のクルーでもないし、成り行きで乗っただけだからね」

確かに、キラとてこの艦の正式なクルーでもない。彼らはあくまで偶発的に乗り込んでしまっただけの客人に過ぎない。

「それに、もうこれ以上この艦に乗ってても仕方ないことだしね」

そもそものリンの目的はデュランダルの調査とセカンドシリーズの全容を掴むこと。前者はまだ途中だが、後者は嫌というほど見せてもらった。そして、この艦が地球に降りた以上、これ以上同行しても意味はない。

「で、でも勝手に降りるなんて」

名目上、ラクスの護衛となっている以上、彼女の行動は少々身勝手すぎるが、そんな非難など何処吹く風とばかりに肩を竦める。

「ま、ラクスには悪いけど……グラディス艦長にはあんたから上手くいっといて」

完全に丸投げされ、表情を引き攣らせるキラに向かい、リンは歩を止め、睨むように見やる。

「それに…調べなきゃいけないこともあるからね」

その鋭い視線にキラもハッとする。あのエンジェルは彼女にとって無関係とはいえないもの。だからこそ、リンは艦を離れるのだ。

あの正体を探るために…それが、リン自身の戦いだと察し、キラは黙り込んでしまう。そんなキラを一瞥し、リンは再び歩を進めようとした瞬間、ハッチの先で動きを止める。不審に思ったキラが近寄ると、タラップの先には見覚えのある顔が在った。

先で小さく手を振る軍服姿の女性、カガリがこちら不適に見やりながら手を振り、呼んでいる。

「どうやら、手間は省けたようね」

軽く肩を竦めると、リンは歩を進め、キラは暫し躊躇いがちに両者を見やっていたが、やがて意を決して後を追い、二人はカガリのもとまで降り立つと、カガリは指で後ろを指し、それに従う。

お互いに込み入った話だ。迂闊に交わすこともできず、3人は連れ立ってドックを後にし、外に停めてあって車に搭乗すると、カガリが運転席に着き、ハンドルとレバーを握り、車がエンジンを噴かす。やがて、アクセルを踏み込み、車は急発進で飛び出していく。

その加速にキラは戸惑うが、そんなことなどお構いなしにカガリはハンドルを切り、湾岸路をスピードを上げていく。

「久しぶりだな、お前ら」

ハンドルを切りながらミラーで後方に座るリンとキラを見やりながら挨拶すると、キラが慌てて頷く。

「う、うん」

「よく私達が乗ってるって解かったわね」

実際、正規のクルーでない以上、リンやキラの所在はオーブには伝わっていないはずだ。

「まあな。これでも一応軍の指揮官なものでね。招く相手のことを知っておかないとな」

中立とはいえ、誰彼でも受け入れることはできない。そして、受け入れるにしても相手側の事情を知らなければ、万が一の事態に際して対応できない。そして、ミネルバのクルーの情報を確認させていたカガリはその過程でアーモリー・ワンを発つ時にラクスらが同行しているという情報を掴んだのだ。

「正直、リンは意外っていうか、予想外だったけどな。でもまあ、お前らならあの状況で黙っているとは思えなかったし」

漆黒の戦乙女の同行、というのはちょっとしたニュースだった。前大戦を最後に姿を消したエースがミネルバにいるというのは軍関係者からすれば衝撃的なニュースだった。そして、ユニウスΩの破砕作業にミネルバが加わると聞き、二人もまた参加していると確信していたからこそドックで一人待ち構えていた。

その洞察力にキラは感心し、リンはこの2年の間に随分板についたと微笑を浮かべる。

「大変だったみたいだな…その、戦闘があったんだろ?」

労うように声を掛けた後、どこか気遣うような視線をミラー越しに感じ、キラは居心地が悪そうに俯く。

「ええ、まあ今回の件、どう考えても天災には思えなかったし」

あんな短期間で地球への衝突コースを取れば人為的なものがあると大抵の人間は思うだろう。リンは頬杖をつき、オープンになっている車から湾岸向こうの海を見据える。

「ガーディアンズ、動きが無かったのは何故?」

その問いにカガリが言葉を詰まらせる。ガーディアンズの本拠たるアメノミハシラを運営しているのはオーブだけに、それは当然ことだが、どう答えるべきかカガリは判断に惑うが、その態度でやはりとリンは納得する。

「やっぱり、この件…ただの脱走兵崩れの暴走で片付けるには不可解な点が多すぎるわね」

脱走兵が保有していた大型移動手段、有事に動けなかったガーディアンズ、あまりに事態の推移が滑らかすぎる。まるで、決められたシナリオの上を進んでいるようだ。

暫し無言が続いていたが、やがて俯いていたキラがカガリに視線を向ける。

「カガリ…あの落下の真相、もう皆知ってるの?」

その言葉にカガリは顔を曇らせる。

「……ああ。落下してからすぐにメディアを通してな、匿名だったために発信者の正体は不明だが」

やがて、苦い口調で応じるカガリにキラは愕然となる。

発信された情報は飛び交う内に徐々に尾ひれがつき、また悪質な方向へと誇張される。コーディネイターがユニウスΩを落としたという事実は既に世界中に広まってしまった今、世界が最も恐れていた方向へと加速度的に動き出そうとしている。

「そのせいで議会は大荒れだ」

激しく悪態を衝くようにハンドルを切り、カーブを乱暴にクリアし、その遠心力で身体が引っ張られる。

今頃、ミナは膨大な仕事に忙殺されているだろう。彼女は優秀だが、それだけでどうにかなるような状況でもない。

「ま、抽象的でも相手がハッキリしてるのなら当然か」

皮肉るように告げるリンにカガリは苦く表情を顰める。オーブ国内においても今回の件でコーディネイターに対する軋轢が強くなりかけている。

ここまで繋げてきたものが一気に水の泡にされたようで、カガリ自身も憤慨しているのだ。

「議会の動向はどうなの?」

「被災地の支援を盛り込んだ大東亜連合との攻守同盟への締結……オクセンシェルナ宰相を中心とした派閥の勢いが強い」

沈むカガリの口調からすれば、それはミナの本意でもないのだろう。だが、議会の流れは傾きかけている。

「ねぇ、アスランは?」

不意に尋ねたキラにカガリは一瞬考え込むが、やがて頭を掻きながら片腕を空へと指差す。思わずその先を追い、空を見上げるキラに向かい、静かに呟いた。

「あいつは今宇宙さ、別件でな」

「そう」

それ以上追求せず、黙り込むが…やがて、キラがポツリと切り出した。

「ユニウスΩを落とそうとした人達の一人が言ったんだ……」

唐突に述べるキラにカガリが視線を向け、リンは無関心とばかりに海を見やっている。

「撃たれた者達の嘆きを忘れて、何故撃った者達と偽りの世界で笑うんだ、お前らは……って」

その言葉を聞いたカガリはハッと眼を見開き、明らかに動揺を見せてミラー越しにキラを凝視し、リンは微かに眉を寄せた。

「……戦ったのか?」

「うん、破砕作業に助っ人として出たら、彼らが居たんだ」

どこか後ろめたい気分でキラは吐き捨てた。

「そして言ったんだ…コーディネイターにとって、パトリック=ザラが取った道こそが、唯一正しいものだって」

カガリの表情は眼に見えてどんどん曇っていく。確かに、これはアスランには聞かせられない内容だ。

そうなれば、今回の件はパトリック=ザラの亡霊による仕業となる。オーブに亡命した彼は戦犯の息子として影ではいろいろと誹謗中傷も少なくない。本人は億尾にも出さないが、今でもまだ彼の内に傷として残っていることは確かなのだから。

「所詮、狂人の戯言よ」

沈む二人に向かって冷たく吐き捨てるリンにキラとカガリが息を呑む。

「リン、でも……」

「あいつらはただ言い訳が欲しかっただけよ、こんな大それた真似をしでかすための免罪符がね。ただのガキの癇癪よ」

割り切るように切り捨てるリンに二人はどう答えていいものか悩む。そう簡単に割り切れないからこそ、悩むのだが…だからといってこんな理不尽な真似を赦すことも正しいとはいえない。

「結局、世界は必ず歪みを抱えているってことよ…それに、今回はそれがかなり大きくなるかもしれない」

たとえ戦争が終わろうとも、いつの時代も必ず火種はある。人間に…世界に完璧を求めることはできないのだから。

「どうするべきなんだろう、これから……」

沈黙を破るように呟いたキラに、リンは肩を竦める。

「それは自分で決めなさい…覚悟と責任をもってね」

その言葉が内に深く突き刺さる。そうして自分の意志で初めて選んだのがこのオーブだった。

あの日…連合に包囲されたオーブで自分の意志で戦場へと立つことを決めた。あの時は迷わなかった…だが、その時の決意も今は遥か過去に思える。

そのまま我武者羅に微かに見えた光に突き進み、それが現在を掴んだと信じていたが、その道も今は袋小路に陥ったように憶え、憔悴した面持ちで項垂れる。

それを最後に車内は沈黙に静まり返り、やがてカガリが運転する車は湾岸線を抜け、オノゴロ島の中央部にある巨大な建造物に到着した。

周囲には軍人に混じってスーツ姿の人々の姿もある。オーブが誇る国営企業であるモルゲンレーテ。現在もなお、世界の先進技術を有する大企業だ。

「一応、アポはもう取ってある」

「素早い手回しありがとう」

車から降りた一同はそのままモルゲンレーテへと入り、カガリの先導のもと、社内を歩みながら上階に位置する高位職員のオフィス内へと立ち入る。

その一室の前に到着すると、カガリが備え付けのインターンを押した。

《はい》

「私だ」

間髪入れず返ってきた返事に答えると、室内から声が返ってくる。

《どうぞ》

「失礼する」

ドアが開き、オフィスに入室すると、そこには見知った顔が揃っていた。

「あ、お久しぶりです、キラさん、リンさん」

「ご無沙汰しています」

モルゲンレーテの作業服の上から白衣を纏った少年とも青年とも取れる男性と童顔な少女が声を弾ませ、どこか軽い足取りで近づいてくる。

そんな二人の後ろからこちらは白衣を纏った妙齢の金髪の女性が姿を見せる。

「久しぶりね、貴方達」

柔らかく眼鏡の奥で微笑む女性に向けてキラも表情が緩み、リンは小さく笑みを浮かべ、肩を竦める。

「ええ、御健勝でなにより…ノクターン博士、カムイ、シルフィ」

カムイ=クロフォード、シルフィア=ストラウス、そしてフィリア=ノクターン…かつて、共に戦った戦友との再会にオフィス内は柔らかな空気に包まれた。

だが、それもほんの僅かな一瞬に過ぎないことをこの場の誰もが理解していた。

「それで、貴方が私達を訪ねた理由は何かしら?」

「話が早くて助かる」

ストレートな物言いに肩を竦める。少なくとも、あの大戦終結から今日に至るまで、リンはおろかレイナですら、彼女達に連絡を取ったことは一度も無かった。それがここに来ての突然の来訪などとなれば、勘ぐるなというのが無理というものであろう。

リンはフィリアを見据え、静かに呟いた。

「ノクターン博士、奴らが…天使が再び現われた」

その言葉に、研究室に激震に近いものが走った。息を呑む一同に向かい、リンはアーモリー・ワンから始まり、ユニウスΩであった顛末を簡潔に伝えた。

レイナの失踪、破砕作業のなか現われた漆黒のエンジェル、灰色のエンジェル。そして、姉と同じ機動を行う謎の死神。流動しすぎる情勢など、話を聞き終えた皆は黙り込んでしまう。

「そんな、どうして…」

シルフィが信じられないといった面持ちで茫然となる。無理もない…あの天使と直接戦った者からしてみれば、当然のことだろう。

前大戦で去った脅威が再び現われたのだ。それは、必然的に何かが起こる予兆のようにも取れる。

「貴方達は、天使の行方を追っていたのよね?」

「ええ、連中があの機体を何処で造っているのか…そしてそれを支援していたのは誰なのか、それを探るのが私達のこの2年間の後始末だった」

彼らが使用した天使にしても、アレだけの機体を設計し、製造するとなればかなりの大掛かりな設備が必要になり、またそれらを後援するためだけのパトロンもあった筈だ。もし、それが使用されれば、また新たなる火種となる。だが、この2年間の間、疑わしい場所はいくつも調査してみたが、その痕跡すら発見できなかったことに驚きよりも意外という気持ちの方が大きかった。

そして、それは徐々に嫌な予感となって燻り始めた。

「だけど、連中が現われたことで確信した……あの戦争…いや、私達に繋がる運命は、まだ終わっていないということに」

真剣な面持ちで告げたリンに全員が息を呑み、気圧される。それが何を意味するのか、嫌でも解かる。

「博士、貴方の見識を聞きたい」

この中で一番、リン達の過去に深く関わっているだけに、フィリアも考え込むが、すぐに表情を顰める。

「ゴメンなさい、私としても混乱しているのよ。でも確かに、今まで不可解だと思っていたわ」

フィリア自身も考えなかったわけではなかった。あの最終決戦から終戦で微かに浮かび上がった不審点。だが、それもやがてこの一時の平穏のなかで埋没していった。余計な取り越し苦労と割り切ろうとしていたのかもしれないが、それでもどこかで燻っていた。

「でも、今回の件にウォーダンの思惑が絡んでいるのかどうかはまだ解からないわ」

その指摘にリンも微かに貌を強張らせる。ウォーダンはあの瞬間まで生き、そしてレイナによって殺されたという事実を知る者は直接聞いたリンしか知らない。だが、確かにレイナ自身が殺したといった以上、間違いないだろう。問題は、今回の件にまでそれが繋がっているかという点だった。

カインをはじめとしたきょうだい達は全員あの戦いで死んだ。なら、それに関わる者達という可能性も否定できない。

「私の方でも少し調べてみるわ」

当時のフィリアもプロジェクトの中枢から外されてからのウォーダンの意向は掴みづらい立場にあったため、見落としている点もあるかもしれない。当時のデータは既にほとんど消失しているが、その痕跡を辿ることも決して不可能ではない。

「お願い、私の方も少し動いてみる。それとカムイ」

唐突に声を掛けられたカムイはやや驚いたように顔を向ける。

「この件は私達がやる。あんたは関わらない方がいいわ」

「どうしてですか? 僕も……」

カムイとてレイナやリン達と同じ…いや、今となってはもう3人しか存在しないナンバーズだ。だが、そんな憤るカムイを制するようにリンは睨むように見やり、息を呑む。

「だから、よ。あんたは私達と違った道を選んだ。今更こっちに来る必要はないわ」

そして、苦笑を浮かべ、肩を竦める。

今選んだ道を変えさせてまで巻き込むつもりはない。過去の闇を背負うのは自分達だけで充分だ。

その意思を察してか、カムイも強く言い返せず、黙り込む。

「でも、これからどうするの?」

「それだけど…カガリ」

傍観していたカガリは声を掛けられ、慌てて返事する。

「あ、ああ、何だ?」

正直、あまりに予想外の内容に整理しきれていない。上擦った声で応じるカガリにリンは無造作に告げる。

「悪いんだけど、月へ行くシャトルを一隻都合してほしい」

「へ? 月?」

「ええ。できるでしょ、貴方の立場なら」

「けど、今は……」

予想だにしていなかった申し出にカガリは言い淀む。今現在、ユニウスΩ落下の影響でシャトルの行き来は非常に制限されている。迂闊に飛ばすことはできないが、確かにカガリの権限なら特例として通すことは可能だ。

だが、それでも何の問題もないという訳にはいかない。決心がつかないカガリにリンはなおも言い募った。

「だからよ。私は月に…宇宙へ戻らなくちゃいけない。この情勢下じゃね」

下手に動けないのは解かっているが、だからこそリンは戻らなくてはならない。今の状況では地上にいても彼女にとっては意味がない。天使の動きやその黒幕、そして流動する情勢を探るためには宇宙に行かねばならない。

揺るがない決意を秘めた瞳で凝視するリンにカガリは暫し無言で対峙していたが、やがて諦めたように溜め息を零した。

「……解かったよ、私の方でなんとかしとく。しかし、お前らは本当強引だし頑固だな」

ジト眼で見やるカガリにお互い様とばかりに肩を竦める。

「すぐ手配するように伝えるが、今すぐにという訳にはいかないからな」

頷くリンにカガリは研究室の端の通信端末に歩み寄り、関係部署に連絡を取り始める。そんな様子を見詰めながら、フィリアはリンに尋ねる。

「それで……レイナの行方は?」

おずおずと問うが、リンは難しげな面持ちで首を振る。

「今は解からない」

「そう。あの子のことだから、大丈夫だとは思うけど……」

俯くフィリアに同意するように沈む一同。レイナの強さは確かに理解しているが、それ故に自身を省みず無茶をすることもしばしばなため、結局のところ不安は尽きない。

そんな3人に対し、リンは静かに呟く。

「大丈夫よ。姉さんもそんな簡単にやられることもないし…なにより、足掻くわ」

そう…彼女は足掻く。どんなに堕ちようとも、それだけは決して侵せぬ信念。姉への信頼を秘める言葉に、一同の不安も僅かばかり解消されたのか、微かに貌を和らげる。

「それとノクターン博士、もう一つ訊きたいことがあるのだけど」

「何かしら?」

突然の言葉に首を傾げるフィリアに、一瞬躊躇ったが、やがて静かに切り出した。

「フォルゲーエンという名に、何か心当たりは?」

「フォル…ゲーエン……?」

反芻すると同時に腕を組み、思考が記憶のなかを動き、探っていくが…やがて、申し訳ないように表情を顰める。

「ゴメンなさい。生憎と、心当たりはないわ」

「そう」

期待していたわけでもなかったが、それでも落胆は隠せなかった。やはり、自分の勘違いなのだろうか。だが、それにしては離れない。

(その件も、月で調べるしかないか)

次々と降り掛かる問題に、リンは心中で嘆息した。

そんなやり取りを眺めながら、キラも静かに自身のやるべき事を模索していた。リンもカガリも自身のせねばならない事を選択しているのに自分はここでのうのうとしていていいのだろうか。

(やっぱり…一度、プラントに戻ろう)

逡巡の末にその結論に至る。オーブの情勢や地上の方も確かに気に掛かるが、今はなによりこの事態におけるプラントの動向だ。下手をすれば、また最悪の事態に陥りかねない事態だ。プラントにはデュランダルやラクスがいる以上、そんな選択はしないと信じているが、今の情勢下で果たしてどこまで保つか。

それになにより、今もコーディネイターのなかには抗戦を訴える者もいる。それを黙殺してしまえば、自分達の戦いすら無意味なものになりかねない。それだけは絶対に阻止せねばならない。微力ではあるが、このままここに居ても手をこまねいているだけ。なら、危険を承知でプラントに戻るしかない。

キラもまた秘かに決意を固めていた。それが、さらなる過酷な選択を近い未来において彼に突きつけるということを知らず………









リン達がミネルバを離れた頃、ドックではモルゲンレーテによる補給物資が運搬されていた。

満身創痍なミネルバにボロボロのMSを抱え、整備士の数が足りない現状であるため、艦内への物資の運搬は流石にモルゲンレーテからの派遣作業員に任せるしかなかった。トレーラーに積まれた物資が次々と格納庫内へと輸送され、担当官の指示に従い、物資を降車させていく。

「すげえな、でもよく補給貰えたよな?」

その様を見やりながら感心するヴィーノ。寄港はともかく補給に関しては眉唾だっただけにこの便宜の程は感謝するより先に戸惑いが出てくる。

「ま、そうだな。でもせっかくくれるんだ。ありがたく受け取ろうぜ、アーモリー・ワンからこっち、まともな補給も無かったしな」

苦笑を浮かべて肩を竦めるヨウラン。無償の援助ということでクルーの間では盛り上がりが起こっているが、そんな騒ぎを横にマコトは物資を一瞥しながら考え込む。

ジャンク屋という商売柄、どうしてもこう人の善意に関しては裏を疑ってしまい、なにかあるのではと考え込んでしまい、どうにも素直に喜べない。

それに、今はどうしても喜ぶ気にもなれず、こうしてフラフラと愛機へと向かっていた。強引というか、なし崩し的に行った大気圏突入時におきた機体トラブルのチェックを行わなければならないからだ。

「ん?」

セレスティの固定されているクローラーの傍まで近づくと、その前に人影があるのに気づいた。

ミネルバの整備士ではなく、見慣れぬ作業服に帽子を深く被り込んで背中を向けているが、その帽子から僅かに見える髪の色は薄暗いなかでも微かな光を発するような銀色に見えた。体格からして女性だろう。その人影がセレスティを見上げている。

(モルゲンレーテの人か?)

今現在、モルゲンレーテの作業員が出入りしている以上、不自然ではないのだが、なにか妙に気に掛かり、声を掛けようとした瞬間、その人影が突如振り向き、不用意に接近していたため、軽くぶつかってしまった。

「あ……」

「失敬」

マコトが声を発するより早く人影は低い声で素っ気無く謝罪し、眼を合わせることもなく速い足取りで離れていく。その様子に呆気に取られてしまう。

「な、何なんだ?」

帽子を深く被り込んでいたため、顔も確認できなかったが、相手の不可解な態度に疑問を憶えてしまう。

暫し憮然と佇んでいたマコトに別の声が掛かる。

「お、坊主」

「あ、エイブス主任」

振り向くと、そこには既に馴染みとなっているマッドの姿があり、何かを手に近づいてきた。

「ちょうどよかった、こいつを見てくれ」

徐に持っていた用紙を拡げる。電子媒体の発達しているこの御時勢では珍しい紙の媒体に軽く驚きながら覗き込む。

「何で……こいつは?」

首を傾げながら拡げられた用紙を見やると、そこには何かの設計図らしき図面が載せられていた。

そのどれもが見たこともない物ではあるが、どうやらMS用のオプション兵装であるということは推察でき、窺うように視線を送ると、マッドが仰々しく頷く。

「こいつはな、お前の機体のコンピューターからプリントアウトしたものなんだ」

「え?」

「さっき、お前さんの機体の状態を確認しようとOSを起動したんだが、そこでこいつのデータがバンクの奥から出てきたんだよ」

その言葉にますます眉を寄せる。

セレスティのOSの解析はマコトもできていない。最初の調査で調べたのはあくまで機体の構造データのみで、肝心のバンクは真っ白、そしてそれ以外の部分にはプロテクトが掛かっていた。

その解析は今日まですっかり忘れていたわけだが、そのブラックボックス化していた領域から突如沸いて出た図面に首を傾げるばかりだ。

(どういうことだ…今までまったくそんな兆候はなかったのに)

何度も起動させたが、そんな事態になったことは一度もない。となると、なにかしらの影響がOSのコンピューターにアクセスしたということだろうか。

「で、どうするんだ?」

思考が彷徨っていたマコトはハッと現実に引き戻される。

「こいつはどうするんだ? こいつはお前の機体から出たもんだ、つまりはお前のもんだ。どう判断するかはお前に任せる」

真剣な面持ちでそう問われる。これは単なる問題ではない。マコトは言わば民間人であり、このミネルバに同行しているだけに過ぎない。そんな部外者に迂闊に便宜をはかることもできないはずだ。

そして、民間人の自分にこんな兵装を渡すのも本当なら良しとしないことも…マコトは貌を強張らせながらも、息を止めらんばかりに口を噤み、やがて絞り出すように告げた。

「これを、造ることは可能ですか?」

その答は望んでいなかったものなのか、マッドは一瞬表情を顰めるが、やがていつもの無骨な顔に戻り、肩を竦める。

「ああ、幸いにインパルスやセイバーの部品で代用ができそうだし、モルゲンレーテからの補給もあるからな」

その返答にマコトは暫し考え込んでいたが、やがて意を決して顔を上げる。

「お願いします」

重く、そして自身に言い聞かせるように声を発し、深く頭を下げた。

「本当に……いいのか?」

その意志の程を確認するように響く声にマコトは頭を下げたまま、無言で返し、その様子をジッと凝視していたマッドはやがて無骨ななかに微かな温和さを浮かべる。

「よしっ、解かった。作業は並行して進めておいてやる」

その瞬間、マコトは眼に見えて安堵したような面持ちで深く息を吐き出し、未だ強張っている身体を解すようにマッドが背中を叩く。

「おら、しっかりしろ。ま、とにかく今は休んでおけ」

気遣うマッドに軽く咳き込んでいたが、慌てて頷く。

「俺は艦長の方へ報告がある。じゃあな」

そのまま身を翻し、離れていくマッドの背中を感謝しながら見送り、マコトは無意識に視線をセレスティへと移す。

クローラーのなかで無言で佇む機体の瞳を凝視しながら、脳裏に相似型の黒衣の機体を思い浮かべ、知らず知らず拳が強く握り締まる。

(力が…力が欲しい……)

心の奥から渇望するように叫び、マコトは険しい面持ちでセレスティと対峙し続けた。その奥にある強大な何かを見据えるように………


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