デュランダルは秘書官や議員達に今後の方針を指示し終えると、キラを伴って執務室へと戻った。

二入で向かい合わせに立ち、キラはどこか緊張した面持ちだ。一介の秘書官である自分と最高議長がこうして面会すること自体が相当特殊な状況だから仕方ないが。薄暗い執務室でキラは取り敢えず戦闘の経過を尋ねると、驚くべき答が返ってきた。

「そんな、まさか…核攻撃を!?」

自分で言って信じられないという状態だった。聞かされた内容自体が半信半疑、いや…むしろ間違いであってほしいというのが望みだったが、デュランダルは疲れたように連合軍が核を使用したことを重々しく肯定した。

「ああ」

絶句するキラに首を振り、冷厳とした様子で見やる。

「私自身も、悪い夢だと思いたいところだがね。だが、事実は事実だ……」

デュランダル自身も無念そうにデスクのパネルを操作し、壁面のモニターをONにする。差し込む映像の灯りにそちらを見やると、戦時速報を告げるニュースとアナウンサーの緊迫した声が聞こえてくる。

《繰り返しお伝えします。昨日午後、東アジア共和国及びロシア連邦を中心とした大東亜連合各国は、プラントに対し宣戦を布告し、戦闘開始から約一時間後、ミサイルによる核攻撃を行いました……》

「これは、何の手も加えていない、その瞬間の映像だよ」

重々しく告げるデュランダルに、キラは視線をモニターに映る核攻撃部隊のウィンダムが背負う武装に移し、息を呑んだ。見間違えるはずもない…忌まわしき刻印の兵器。それがやがて放たれ、真っ直ぐにプラントに向かう。迎撃に向かうザフト軍は間に合わない。いくら事後の映像とはいえ、キラは身を強張らせ、悲痛な声を上げそうになる。

だが、それはプラント側に布陣したナスカ級から放たれた白い閃光によって消滅した。そして思わず安堵の息を漏らし、浮かない表情のままデュランダルに視線を移す。

「あの、議長…僭越ですが、お尋ねしてよろしいでしょうか?」

無言で応じるデュランダルにキラは先程の核を消滅させた虎の子の一撃の詳細を問い質した。

「まさか、アレはジェネ…」

「いや…厳密にはまったくコンセプトが違う。アレは、外部から核内部の中性子に干渉し、暴走を促す。簡単に言えば、外部から起爆させることのできる兵器だ」

モニターに先程の映像がリピートされ、簡易な説明を受けたキラは釈然としない面持ちだった。軍部内であのような兵器が開発されていたというのは初耳だ。そんなキラに気づいてか、デュランダルがやんわりと声を掛ける。

「君が知らないのも無理はない。アレ自体、開発が極秘裏に、それこそ実用化の目処が立ったのは遂最近でね。ちょうどセカンドシリーズのお披露目も控えていて発表の時期を見定めていたところだったんだ」

理解はできたが、納得はしきれなかった。ならば、セカンドシリーズ自体もこれのための囮でしかなかったのだろうか。

「君も知っているだろう。プラントは過去に二度、核攻撃を受け、また未然に防げたとはいえ、本国にまで及んだこともあったのだ。対策を立てておくのも当然のことだろう」

その言葉に苦い思いとともに口を噤む。親友の母と大勢の命を奪ったユニウスセブン、多くのザフト将兵が命を絶たれたボアズ…そして、自分達が必死に防いだ第2次ヤキン・ドゥーエ。それらが次々と浮かび、暗然たる思いに囚われていく。

結局、自分達のやって来たことは無駄でしかなかったのではないだろうか…力を振り上げる相手を止めるには、やはり力しか無いのだろうか?――-そんな思考の渦が内に渦巻く。

ならば、これまでラクスが努力してきたことも無意味だったのだろうか…そんな不安が胸中を過ぎり、渦巻きそうになる嫌な感覚を振り払うように顔を振り、そして耳に先程からプラント内に報道される緊急ニュースが飛び込んできた。

《……しかし、防衛にあたったザフト軍は、デュランダル最高評議会議長指揮の下、最終防衛ラインでこれを撃破。現在連合軍は月基地へと撤退し攻撃は停止していますが、情勢は未だ緊迫した空気を孕んでいます》

だが、立て続けに流される内容はどれも心情を暗くさせるものばかりだ。連合の宣戦布告と核攻撃、これは外交において致命的な溝となる。そう考えるとキラは全身の力が抜け落ちていくような虚脱感に襲われそうになり、それを必死に自制した。

だが、状況は悪い。核まで用いたということは、連合側はこの一戦でプラントをほぼ壊滅させるつもりだったのだろう。そして、この事実を知ったプラントの世論も怒りに駆られ、報復を叫び始めるかもしれない。

そして、それが戦争という最悪の事態へと流動していく……握り締める拳が強く震え、戦慄する。最悪のビジョンと情報に逡巡するキラを来賓用のソファに腰掛けたデュランダルがいたわるように声を掛けた。

「取り敢えず、君もかけたまえ、ヒビキ君」

名を呼ばれ、ハッと我に返ったキラは慌てて振り返り、それと同時にデュランダルはキラを落ち着かせる様に声をかけた。

「ひとまずは終わったことだ。落ち着いて」

その静かで、それでいてどこか力強い声に幾分か落ち着きを取り戻したキラは、促されるままにデュランダルの向かい側のソファに腰を下ろした。

「しかし……想定していなかったわけではないとはいえ、やはりショックなものだよ。こうまで強引に開戦され、いきなり核まで撃たれるとはね……」

苦く語られる声音は、どこか疲れを滲ませている。さしものデュランダルにも、この事態は予想できなかったに違いない。キラは場違いな安心感と、そして虚しさを憶えた。

「この状況で開戦するということ自体、常軌を逸しているというのに。その上これでは……これはもうまともな戦争ですらない。いや…一方的な恫喝だ」

キラも静かに同意する。

確かに、ユニウスΩの落下によって連合を構成する国々も大きな打撃を受けたはずだ。国内情勢もかなりの不安定なものになっているのは想像に難くない。そんな内部に不安を抱えた状態での宣戦布告、いや…恫喝すら生ぬるい一方的な暴虐と殺戮。常軌を逸している―――いや、そもそも『戦争』というもの自体がそうではないだろうか。建前さえあれば、そこには常識などなくなる。人は、戦争という異常な空間のなかでは狂うことができる。それをあの大戦で嫌というほど味わったのだ。

「連合は一旦軍を引きはしたが、これで終わりにするとは思えんし……」

つらつらと思案するデュランダルの言葉が内に響く。

「逆に今度はこちらが大騒ぎだ。防げたとはいえ、またいきなり核を撃たれたのだからね……仕方がない、といえば仕方ないのだが」

深々と溜め息を零すデュランダルにキラはプラントに上がる前にオーブで見た地球各地の被害地域の光景が甦る。崩壊した街並み、荒れ狂う空、響く慟哭…それらはこの災厄を齎したものへの怒りと憎悪に満ちていた。それは、ユニウスΩを落とした存在へと誘導され…これを経て、プラントの人々がまた同じ感情に支配される。

結局同じではないか――――この負の連鎖は断ち切れないのか、キラは内に葛藤する。

「そして、問題はこれからだ……」

その瞬間、キラは弾かれたように顔を上げ、デュランダルに声を掛けた。

「議長、あの……それで、プラントは……この攻撃、宣戦布告を受けて……今後、どうしていくおつもりなのでしょうか?」

うまく言葉が纏まらず、舌がもつれる。どこか、縋るような問い掛けに、デュランダルは思案するように俯きながら、言葉を濁す。

プラント内部にはこの状況に関して混乱が起き始めている。シェルターへの避難に伴う厳戒体制に報道される核攻撃の映像などから、都市部では連合に対しての抗議が声高に上がり始め、デモも確認されている。そして、未だに弱腰である現政権に対する不満や不信感も徐々に流れ始め、軍部内からも批判の意見が上がり始めている。

更には、再び戦争を望む意見まで出始めている。それを反対する意見に対する諍いなども都市部では勃発し、世論は開戦への流れを進み始めている。

「我々がこれに報復で応じれば、世界はまた泥沼の戦場となりかねない。解かっているさ、無論、私だってそんなことにはしたくない」

泥沼へと転げ落ちようとしている現状を憂うような言葉にキラは安堵し、そして儚い期待が一瞬内を擡げるも、それは次に発せられた事実によって塗り潰されてしまう。

「……だが、事態を隠しておけるはずもなく、一部とはいえもう知ってしまった市民は皆怒りに燃えて叫ぶだろう――――許せない、と」

ビクっと身が震える。そうだ、と……いくらデュランダルや評議会が対話を望んでいたとしても、世論が望めば関係なくなる。市民は迫る脅威を払拭しようと一番簡単な手段を望む。

「それをどうしろというのかね。今また先の大戦のように進もうとする針を、どうすれば止められるというのだね? 既に我々は撃たれてしまったのだよ、核を?」

響く言葉がまるで自身の恥とでもいうように突き刺さり、低く項垂れる。評議会とはいえ、所詮は世論の支持なくして政権の維持などできようはずもない。そうなれば、プラントは内部から今までの体制を瓦解させ、先の見えない泥沼のなかへと落ち込んでしまう。だが、それでもなお無茶を承知でキラは必死に訴えた。

「しかし! それでも、どうか…議長!」

冷ややかに聞こえるデュランダルを前に、キラは頭を俯かせたまま、内心血を吐くような面持ちで挫けそうになる信念を奮い立たせ、胸の奥で決して譲れぬ思いを嘆願した。

「怒りと憎しみだけで、ただ撃ち合ってしまってはダメなんです! そんなことをしても、何にもならない! これでまた撃ち合えば……世界はまた、あんな哀しみと憎しみしかないものになってしまう! それだけは、絶対にしちゃいけない……だから!」

「ヒビキ君……」

「やめてくださいっ」

偽名で呼ばれることがなおもキラの良心を苛ませた。

胸の内に溜まっていた思いを全て吐き出すかのようなキラを、どこか労わるようにデュランダルは声を掛けるも、その眼差しには推し量るかのような光が宿っている。だが、キラはそれに気づかず、己に向かって吐き捨てるように決して公には使うことを禁じてい己の名を名乗った。

「僕は…僕はヒビキじゃありません。キラ=ヤマトです! 2年前の戦争で、ザフトにも、そして連合にも加担して戦火を拡大させてしまった、愚かな存在ですっ」

その瞬間、まるで決壊するように感情の波が溢れてくる。これまで、ラクスのためにと必死に己を律していたなかで憶えていた不満とやるせなさが、心の内に巣食っていた暗く苦いものを吐き出させる。

「自分のしていることに疑問も持たず、眼を逸らし、耳を閉じ…そして命を奪うことに慣れ、友達と殺し合い、間違いと気づいても結局何も変わらなく……っ」

2年前のあの目まぐるしく駆け抜けた日々が脳裏を過ぎる。友を護るためにと己を誤魔化し続け、多くの命を奪い、やがてその葛藤すらも薄れていくなかで味わった親友の死と親友への憎悪、それに身を委ね、焦がし…終わった後に感じた哀しみと虚無感。信念を示してくれた愛する人の傷みも哀しみにもなにもできず、そして己が間違った存在だと突きつけられた。

だがそれでも我武者羅に走り続けた。連合に属し、ザフト兵を殺し続け、連合の暴虐に加担してしまった責任、それらを背負って…自分達が望む世界のために。

「やっと、掴んだと思っていたのに……」

言葉が力なく崩れる。あの辛い日々の果てにようやく掴んだと思えた平和。それを維持し続けるために自分達がやって来た全て…それらが全て無意味だと突きつけられたような悔しさ。

「キラ=ヤマト君……」

宥めるように声を掛けるも、今のキラにはそれを受け入れる余裕はなく、ただ感情の全てを吐き出し続けた。

「もう絶対に繰り返してはいけないんだ! あんな……あんな戦争は!」

ユニウスΩを落としたコーディネイター達の言葉が今なお突き刺さる。パトリック=ザラの選んだ道こそが正しいと疑わなかった彼ら―――それは、キラが信じたラクスの平和が汚されたように思えた。

堰を切ったように叫び続けたキラは、思考が袋小路に陥りそうになり、そんな迷いを叱咤するようにデュランダルは声を張り上げた。

「キラ=ヤマト!」

刹那、キラはようやくハッと我に返り、全身が酷い疲労を訴えるようにその場で激しく息をついた。そして、正気に戻った視線がこちらへと歩み寄ってくるデュランダルへと向けられた。

「ユニウスΩでの犯人達のことは聞いている。パトリック=ザラ前議長の支持者であったこともね」

プラント帰還後、ミネルバから提出された報告書に眼を通し、そのなかで実際に交戦したシンが交わした会話内容も載せられていた。身を硬くするキラに論するように語り掛ける。

「そして、その彼の息子であったアスラン=ザラと君が親しい関係だったということも…ジュセック前議長から聞いている」

淡々と語られる内容に動悸が大きくなる。

「だからこそだろう、君が悩むのは…親友の父親を否定するのは」

流石に言葉にするには憚れたが、アスランの父親であるパトリックはキラもよく知っていた。実際に会ったのはコペルニクスに居た間に数える程度だったが、それでも立派な人物だと思っていた。その父親と袂を分かち、自分達と共に戦った親友……だからこそだろう、キラが思い悩むのは。

「だが、君が彼を否定する必要も、君が彼らのことを気に病む必要もない」

ポンと肩に手を叩き、穏やかな視線を向けるデュランダルにキラは一瞬引き込まれる。

「ザラ議長もまた、確かに道を間違えたかもしれないが、彼の行動は決して悪ではなかったはずだ」

その言葉に驚愕を露にする。戦後、アスランがふと漏らした言葉……父親が戦争を助長したと世間では陰口を叩かれていたが、それでもアスランは父親は決して最低な人間ではなかったと信じていた。肉親への甘さと取れるかもしれないが、それでもなおアスランは父親の全てを否定はしなかった。

デュランダルの言葉は、そんなアスランを肯定するように響き、キラはどこか嬉しくなる。

「彼もまた、プラントの未来を憂い、そしてよりよい世界を創ろうとしていた。だが、思いがあろうとも、それだけでは時に結果として望むものにはならない」



―――――力だけでも、想いだけでもダメなのです。



かつて、ラクスから掛けられた言葉が重なり、キラは息を呑む。だからこそ、自分は再び戦えたのではないだろうか。たとえ一瞬のことでも、望む未来への道は確かにあったのだから。歴史にIFは無い…だが、思わずにはいられないのだ。

「そして、その発せられた言葉がそれを聞く人にそのまま届くともかぎらない。受け取る側もまた自分なりに勝手に受け取るのだからね」

そこまできて、ようやく自分は慰められているのだと気づき、心か温かくなると同時に弱さを晒してしまった自身を恥じ入るような思いだった。

「ユニウスΩの犯人達は、行き場のない自分達の想いを正当化するためだけに、ザラ議長の言葉を利用しただけだ。自分達は間違っていない。何故ならザラ議長もそう言っていただろう、とね」

人はそれを妄信と呼ぶかもしれないが、人は誰でも何かに縋っている。キラとてそうだ、何の拠り所も無くあの戦争を戦ったわけではない。

「だが、君はそんなものに振り回されてしまってはいけない。彼らは彼ら、そして君は君だ。君自身の信じる道を進めばいい」

キラはここにきて見失いかけていた自分を取り戻したかのように思えた。

「議長……」

やはり、とキラは思う。この人物は信頼できると…自分達が創ろうとする平和を心から望んでいる。椅子から立ち上がったキラに、デュランダルは再度肩を叩き、聖職者のような微笑みを浮かべる。

「今こうして、再び起きかねない戦火を止めたいと、そう願いここに居る君こそ、君自身だ。ならばそれだけでいい。一人で背負い込むのはやめなさい」

小さな子供をあやすような口調だが、素直に耳を傾けてしまう。思えば、自分は何でも背負い込んでいたのかもしれない。外交官として尽力するラクス、国のために身を捧げるカガリ、確固たる意志を持つアスラン、己が信念を進むリン―――そして、自ら過酷な運命を突き進むかつて…いや、今も心のどこかで想いを寄せるレイナ。

そんな彼らに対し、自分はまるで小さく思え、微かな劣等感と募りを憶えていた。だからこそだろう、今回も何かをせねばと焦っていたのは…だが、気持ちばかりが焦り、冷静を欠いて空回りしていたように思える。そんな状態では何をしても自己満足にしかならない。それこそ、もっとも恥じ入ることだ。

「私は嬉しいのだよ、キラ=ヤマト君」

「え……」

「君が、私と同じ志を持ってくれているということがね。いや、君だけではない…君の信頼するクライン外務次官や多くの人が、私と同じ未来を望んでくれているということがね」

改めてそう告げられ、照れくさいような妙な気分になる。

「一人一人のそういう気持ちが必ずや世界を救う……夢想家と思われるかもしれないが、私はそう信じているよ」

「そんなことは…っ」

自嘲気味に謙遜するデュランダルに被りを振る。夢想家などと下賎な物言いは赦さない。その理想を信じているからこそ、キラは内に先程から熱いものを感じているのだ。その様子に柔和な笑みで応じ、今成すべき事を告げる。

「だからこそ、そのためにも……我々は今を踏み堪えなければな」

力強く響くその決意に並々ならぬものを感じ、キラも強く頷き返した。まだ変えられる、と……最悪の事態は回避できると確信にも似た興奮とともに。

先程まであった絶望的なものが幾分か緩和されていた耳に、先程から流れ続けていたニュース映像から流れてきた声に驚愕した。

《皆さん》

未だ開戦に伴う混乱が渦巻いていたプラント内の全モニターに映し出される人物。そして響く透き通った声に市民達は引き込まれるように視線を向けた。

報復を謳い、デュランダルの政策に反感を上げていた声も今は止み、彼らはその人物に釘付けになる……ラクス=クラインに――――

《私は、ラクス=クラインです》

聞き慣れた声で紡がれる声…だが、何かが違うとキラの内に芽生える違和感。モニター内のラクスはいつもの凛とした佇まいではなく、可憐な…かつての歌姫を彷彿させる仕草で語り掛ける。

《皆さん、どうかお気持ちを静めて、私の話を聞いてください》

訴えかけるその言葉に毒気を抜かれたように誰しもが昂ぶっていた気持ちを落ち着け、モニターに注目する。そんな一瞬の静寂を待ったようにラクスは真剣な面持ちを浮かべた。

その仕草は見れば見るほど彼女に見え、キラが困惑するなか、デュランダルは一人小さく笑みを零すことに気づかない。

《この度のユニウスΩのこと、また、そこから派生した大東亜連合からの宣戦布告、攻撃は実に悲しい出来事です。再び突然に核を撃たれ、驚き憤る気持ちは私も皆さんと同じです》

沈痛な面持ちで語るラクスにキラはようやく先程エントランスホールで出逢った人物を思い浮かべる。だが、そこで新たな疑念が沸くと同時にモニターのラクス=クラインの言葉に引き込まれる。

《ですが、どうか皆さん! 今はお気持ちをお静めください。怒りに駆られ、想いを叫べば、それはまた新たなる戦いを呼ぶものとなります。憎しみに囚われ、哀しい未来を招くことを私達は知ったはずです》

2年前…パトリックによって反逆者として追われていた時と同じように説く彼女の姿は市民達にはさながら聖女に見えたことだろう。そして、今のその姿もまた――-市民達にとって偶像へと固まっていく。

だが、と……キラはようやく感情が落ち着き、徐々に軽い失望にも似た冷めた視線でデュランダルを見やると、当の本人は肩を竦めて苦笑している。

《最高評議会は最悪の事態を避けるべく、今も懸命な努力を続けています。ですからどうか皆さん、常に平和を愛し、今またより良き道を模索しようとしている皆さんの代表、最高評議会デュランダル議長をどうか信じて、今は落ち着いてください》

その瞬間、モニターを凝視していた市民達の間に歓声が起こる。まるで崇拝するようにラクス=クラインに沸くなか、この執務室だけは重い空気が満ちる。

その背後に彼女の歌が流れ始め、穏やかな空間を作り出すが、今のキラにはそれさえも神経を逆撫でしかねないものだった。

「議長、彼女は……誰、なんですか?」

問う声も低く硬い。このラクス=クラインは偽者――キラにはそれが確信できた。ならば、彼女は何者なのだ? ラクスに双子が居るという話など聞いたことが無い。いや、そもそもの当の本人は…次々内に浮かぶ疑念の答を求めるようにデュランダルの反応を待っていたが、やがて自嘲するように息を零した。

「情けない男だ、と笑ってくれて構わんよ」

息を呑むキラを見やり、微笑み返す。

「私が言うまでもなく…君には無論、解かるだろう?」

それは肯定を意味していた。徐にモニターのラクスを一瞥する。その背中に自虐的な言葉が被せられる。

「我ながら小賢しいことと情けなくもなる……だが、仕方ない。彼女の力は大きいのだ。私のなどより、遥かにね」

苦く語られるなか、別モニターで映し出されていたプラント市内の開戦を訴えるデモが沈静し、諍いを起こしていた市民達もラクスの歌声に聞き入っている。先程のデュランダルの弱腰への批判は見るべくもない。それが皮肉にも彼の言葉を証明しているようだった。

「で、ですが…それならどうして、彼女を?」

先程の憤りが薄れるも、どうしても気になる点がある。ラクスの影響力が今も強いのはキラが一番知っている。だが、それなら何故当人を立てないのか。何故わざわざ偽者のラクスを立てたのか…その疑念の答を無意識に悟るも、キラはそれを追い出し、否定の言葉が出るのを待ったが、沈痛な面持ちを浮かべるデュランダルは被りを振る。

「これはまだ極秘事項なのだが…クライン外務次官が何者かに狙われた」

低く発せられた内容にキラは眼を見開き、息を呑む。足元が抜けそうな衝撃のなか、デュランダルはなおも続ける。

「幸いに発見が早期であったために命は取り留めたのだが、昏睡状態が続いている」

重々しく語るデュランダルの言葉は半ばキラの意識から弾かれていたが、それでもラクスの無事という言葉だけは聞き取れ、倒れそうになっていた意識を自制できた。

だが、安堵はできない。ラクスは危険な状態であることに変わりはない。

「犯人の特定には至っていないが…それでも、この時期にだ。こんな事実を公表すればどうなるか…君には言わなくても解かるだろう」

確かに……連合による宣戦布告と核の使用、不安に陥るプラントにラクスの暗殺と危篤が知られれば、大混乱に陥るだろう。

「それで……」

理解はできたが、複雑なものは変わらない。いくらラクスの存在を隠すためとはいえ、ここまで瓜二つな替え玉を立てている現状に対し、後ろめたいものを憶えるも、同意するように肩を落とす。

「……馬鹿なことを、と思うがね。だが今、私には、プラントには彼女の力が必要なのだよ」

確かに、ラクスの存在は半ば神聖化に近いものがある。前大戦時から歌姫としてプラント内の人々に慕われてきた彼女。そして平和のために自ら戦場に立ち、勝利を齎した女神。これだけでも彼女の存在をより際立たせるには充分だった。

彼女の人気は衰えることなく、この2年で外務次官として立つようになってからますます高まったとも言えよう。故に評議会だけでなくプラント内にも小さくない影響力を持つ。それ程の力を持たないデュランダルにしてみれば、欲するのも当然かもしれない。

政治家というのはいつの時代でも何処の国でも好意的に民衆に受け入れられることは少ない。あったとしてもそれは民主主義を廃した独裁に近いもの…だからこそだろう、民衆の悪意が最初に政治家へと向けられるのは。

「恥ずかしいことだが、彼女の言葉は私の言葉よりも人々に届く。これが現実なのだよ」

それは己の不甲斐なさを恥じてか、苦笑いを浮かべるデュランダルにキラは言葉を失くす。そして、ラクス=クラインが登場する前後の市民の反応がそれを顕著に物語っている。

人を惹きつける魅力がラクスという存在にはある。それは一種の麻薬なのかもしれない。可愛らしい容姿と透き通ったような声を持ち、人々を魅了するアイドルは慕われど、嫌悪されることはそう無い。

まさに真逆に位置するからこそ、ラクスの存在は評議会にとって重要だったのだと今更ながら思い知る。

当惑するキラにデュランダルは眼を向ける。

「また、君の力も必要としているのと同じにね」

「僕の……?」

意表を衝かれ、瞬間キラは彼への不信を一瞬忘れる。戸惑うキラを促すようにドアへと導く。

「一緒に来てくれるかね?」

その言葉に拒否するという気は起きず、キラは促されるままに後を追った。

執務室を後にしたキラはデュランダルに伴われて移動を繰り返し、軍施設へと案内されていた。

だが、明らかに場違いというか、予想外の場所にキラは困惑するも、デュランダルは説明もなしに進み、それに従うしかなかった。

やがて、通路奥の突き当たりに、一つのゲートが見え、その脇に報せを受けたのか、ザフト兵達が控えていた。その光景が2年前のラクスからフリーダムを託された映像に重なり、キラは徐々にこの先に待つものに予想を固める。

デュランダルが手を振って頷きかけると、それに応じてカードキーを操作してゲートを開け放つ。止まることなく開かれたゲート内に進み、その先には薄暗い空間が拡がる。ここに来てようやく動きを止めたデュランダルが着地し、その横に同じように降り立った瞬間、天井から灯りが照らし出された。

降り注ぐライトの光に一瞬眼を覆うも、次の瞬間、キラの視界に眼前に佇む巨大な機影が飛び込み、凝然と硬直した。

「っ……インパルス…っ」

ライトを浴びながら佇むディアクティブモードの鉄褐色の装甲を纏い、二対のマルチプレートアンテナとツインアイを持つ頭部、そして流れる直線的なボディ。見間違えるはずもないその機体は、セカンドシリーズの一機、ZGMF-X56S:インパルスだった。

だが、何故ここにインパルスがあるのか…その疑問を察したようにデュランダルが誇らしげに説明を始める。

「驚いたかね? この機体は、ZGMF-X56S-02。ミネルバに配備されたインパルスの2号機に当たる機体だよ」

ザフトの新機軸として開発されたインパルスはその構成上予備パーツが複数生産された。その余剰パーツの幾分かは本国の方に回され、データ収集機として組み上げられた。

ミネルバによる運用データだけでは賄えない状況、そして様々なパイロットによる機体への戦闘データ蓄積のために、1号機とほぼ同等の機能を持たせている。

説明を受けながらも、キラはただ茫然とインパルスを眺めていたが、やがてデュランダルが切り出した言葉に身を強張らせる。

「この機体を君に託したい……と言ったら君はどうするね?」

キラの内に警戒心が擡げ、疑惑の眼差しを向けた。

「……どういうことですか? 僕…自分に、ザフトに入れと?」

キラの立場は一民間人だ。そんな立場の人間に議長とはいえ、軍の重要機密であるMSをほいほいと譲渡できるはずもない。この機体を見せられた時から薄々感じてはいたが、軍に加わることをキラは敬遠していた。

だが、当のデュランダルは拍子抜けするように気安い仕草で一瞬、考え込むと否定する。

「うーん……そういうことではないな。ただ言葉の通りだよ、君に託したい」

意図が掴めずに困惑するも、デュランダルは困ったように笑う。

「まあ手続き上の立場では、そういうことになるのかもしれないが……」

キラ自身、一度はザフトに敵対した身。いや、それ以上に再びMSに乗ることに対して強い忌避感がある。自分は再び、これに乗って敵を撃てというのだろうか、と…用心深く見据えるキラに対し、デュランダルは心情を吐露するように呟く。

「今度のことに対する私の想いは、先程、私のラクス=クラインが言っていた通りだ。だが相手は様々な人間、組織。そんなものの思惑が複雑に絡み合う中では、願う通りに事を運ぶのも容易ではない」

それは、ラクスの傍で外交を見てきたキラも知る事実であり、現実であった。様々な意見や思惑が渦巻くのが世界だと理解はしている。そのなかでラクスの意見が掻き消されるのもただ黙って見ているしかなかったのも歯痒かった。

「だからこそ、想いを同じくする人には、共に立ってもらいたいのだ」

真摯な言葉で訴えるデュランダルにキラは心を動かされる。

「そして、君だからこそだ。できることなら、彼女…リン=システィ君にも私と共にあって欲しかったのだが、どうやら彼女の想いは別のところにあるらしい」

苦笑めいて肩を竦め、キラはハッとする。

確かに、彼女個人の戦闘能力もさることながら政治的な知識や見識もあり、今のプラントには喉から手が出るほど欲しい人材だ。だが、彼女はプラントへ身を寄せることはしなかった。自らの道を進むために……あの時、デュランダルと対峙したときにも何か感じるものがあった筈だと思うも、リンは去った。

それを配慮が足りなかったとデュランダルが恥じているのか、と逡巡するも、当の本人は落胆を見せずに真剣な面持ちを浮かべる。

「できることなら戦争は避けたい。だが、だからといって銃も取らずに一方的に滅ぼされるわけにもいかない」

その意見に関しては納得せざるを得ない。今回の戦闘がそれを最も示している。

「そんな時のために、君にも力のある存在でいてほしいのだよ…私は」

「議長……」

自分の進む道が見えず、戸惑う。言いたいことは理解できる。だが―――キラはもうできるのなら二度と力を…いや、戦場に戻りたくはなかった。命を奪うことを禁忌しているのは勿論だが……最大の理由は―――自分自身だった。

戦う戦士と最高だと言われ、戦い続けた末に傷ついた。そんな忌まわしい過去を封印したい、銃を取らずとも戦うことはできると信じていた。だが、それは脆くも崩れ、今またキラは突きつけられていた。

銃を取らねば…自分にはできることがない、と……そして、再び戦いに溺れていくかもしれない恐怖が躊躇わせる。

葛藤するキラに対してデュランダルは確信を込めて静かに言葉を紡ぐ。

「先の戦争を体験し、そして悩み苦しんだ君なら、どんな状況になっても道を誤ることはないだろう。我等が誤った道を行こうとしたら君もそれを正してくれ。だが、そうするにも力が必要だろう? 残念ながら……」

ハッと顔を上げ、デュランダルを凝視する。相手もこちらを見透かすように視線を注ぐ。

争いがなくならぬから、力が必要――――以前、彼はそう言った。争いのなかで、力のない者の意見は誰の耳にも届かず、そして潰される。だが、力だけを求めてはそれはただの破壊者としかならない。

力と想い――-この二つを喪ってはいけない、と…2年前も信じていた。だからこそ、一度は確かに掴んだと思えたのだ。今またその決意が必要な刻かもしれないと考える。そして、今度こそ…本当に平和な未来を選べるかもしれない。その刻にこそ、人は正しい論理に耳を傾けるかもしれない。

そのためにも、今は―――――キラの視線は無意識に佇むインパルスへと注がれる。

キラはもっと強くなりたいと願っていた。それは純粋な力はもとより、自らの政治的な力だった。

一介の秘書『ヒビキ=ヤマト』では、所詮できることはたかが知れている。それは今まで…いや、今回の件で思い知らされた。デュランダルの真意は確かに半信半疑だ。だからこそ、彼は自らへの保険としてこの力を自分に託すと言っている。それは図らずも2年前にフリーダムを託された時と同じように……

「世界は今、大きく動き出そうとしている。ユニウスΩ、そして今回の戦闘…プラントもまた、過酷な道を進まねばならない」

深刻な面持ちで語るデュランダルに沈黙で応じる。ユニウスΩの落下がいかにテロによる事故とはいえ、身内の恥であるのは残念ながら事実である以上、地球の連合国以外の国々もプラントに対して必要以上に身構えている。そこへこの開戦…連合側の一方的な暴挙とは映るであろうが、プラント側が核を消滅させる程の兵器を保持していると知られれば、当然ながらそれに対してより警戒と疑心暗鬼が強くなるかもしれない。

強大な力は抑止となりうるかもしれないが、同時に恐怖ともなる。下手をすれば、またプラントは世界から孤立する可能性も孕んでいる。プラントも当然ながら今回の件で保持していた戦力を損失している。だが、だからといってこのまま矛を収めては国民感情が納得しないだろう。そうなれば、最悪の結末しかない。それを防ぐためには、デュランダルもより姿勢を強硬的に強めていかねばならない。力ない者の言い分など、一笑されるからだ。それを助け、そしてまた正す役割が重く自身に圧し掛かろうとすることにキラは悩む。

「急な話だ、すぐに心を決めてくれとは言わんよ」

あくまで穏やかに告げるデュランダルに感傷に思わず浸りそうになっていたキラは我に返り、気まずそうに視線を伏せる。

「だが、君にできること、君が望むこと……それは、君自身が一番よく知っているはずだ」

言葉のなかにこもる信頼を感じ取り、キラは胸が熱くなると同時に揺れ動こうとする何かをひしひしと感じ取っていた。

徐に視線を佇むインパルスに向ける。虚空を見据えるその瞳の先こそが、今の自分にとって最良の選択なのかどうかを推し量るように……そんなキラをデュランダルは静かに…どこか興味深く見詰めていた。br>


BACK  TOP  NEXT


inserted by FC2 system