キラがデュランダルとの会見を終えた時には、既にもう夕刻を過ぎ、夜のとばりにプラントの空は染まっていた。スクリーンの空には映像の夜空が映され、そしてコロニーの地表には立ち並ぶビル群のネオンが輝く。

官宿舎ではなく、キラは一画のホテルへと歩を進めていた。アプリリウス内でも有数のホテルで、議員や著名人が利用するそのホテルは、キラもパーティ時にラクスの付き添いで何度か入ったことがある。

今回の件について落ち着いて考えられるようにとデュランダルが配慮してくれたらしい。キラもその厚意に甘えることにした。

さしものキラも今日一日で起きた目まぐるしい事態の連続に情報処理が追いつかず、すっかり疲労に苛まれていた。

(……疲れた)

その一言に尽きるとばかりに嘆息し、キラはゆっくりと歩を進め、脳内に先程のデュランダルからの申し出を反芻させていた。最新鋭機を託し、自らのすべきことを進めと…受け取るも拒むも自由と選択肢を与えてくれたが、それは非常に難しい選択だった。

同時にどちらか必ず決めねばならない選択でもあった。それが余計にキラの内に大きく圧し掛かり、疲労を齎す。

正直、誰かに助言でも仰ぎたい気分だった。こんな時、親友ならどうするかと…かつてプラントに居たアスランのことを思い浮かべる。今現在、厳戒体制が布かれ、プラントから他国へのホットラインは全面ストップしている。そのため、いくら中立とはいえ、地球の一国家であるオーブへの連絡も現在は不可能だ。

いや、たとえ取れたとしてもこのような話を振りたくはない。

これは自分自身で決めねばならない…のらりくらししてはダメだと改めて言い聞かせ、キラは一呼吸置く。

取り敢えず、オーブのミナから預かった新書はデュランダルに託した。そして、デュランダルから大まかにだが解かっている現状の説明も受けた。そして、一番気掛かりなことも……

(ラクス……)

不意に脚を止め、空を仰ぐ。ラクスが搬送されたのは政府直轄の医療機関であり、民間の出入りはほぼ規制されている。そのためにマスコミなどはシャットアウトできるも、事前に許可の下りた人物しか面会もできないという制約があり、結局キラは今回のラクスの容態確認は明日以降となってしまい、渋々と従った。

できることなら、今すぐにでも確認を取りたいが…キラもまた自分のことでいっぱいいっぱいであった為に、身体が休息を欲していた。

まずは休みたいとホテルの用意された部屋へ向かおうとエントランスに足を踏み入れるも、ロビーに座するその少女の存在にまったく気づかなかった。

「あ!」

【Hey! hey! hey!】

その姿に喜色の声を上げ、腰を浮かす人影にようやく気づき、そちらに振り向くと、ピンクの見慣れた髪が飛び込んでくる。

「ヒビキ〜!」

眼を剥くキラに駆け寄る少女はそのままタックルするように飛びつく。

「うわっ」

危うく倒れそうになるのを堪え、その柔らかで華奢な身体を受け止め、鼻腔をほのかな香りが擽る。

(これは、ラクスの……)

漂う香りはラクスが好んでよく使う香水のものだった。そんなところまで再現しようとする行為に改めて軽い嫌悪感を憶えるも、顔を上げた少女の無邪気な声に掻き消される。

「お帰りなさい。ずっと待ってましたのよ」

さも当然のように抱きつき、嬉しそうに微笑む少女にキラは眼を白黒させる。

「え…あ、君……あの……」

キラが言葉を躊躇わせていると、その意図を察し、顔を近づけ、魅入られるように微笑みながら小声で囁く。

「ミーアよ。ミーア=キャンベル…でも、皆の前ではラクスって呼んでね」

ウインクするミーアと名乗った少女に困惑していたが、その言葉にハッとし、どこか憮然と顔を顰める。議長の言葉も現状では必要なことだと理解はできるが、心では納得できない。キラにとっての『ラクス=クライン』という名はそれだけの意味がある。だからこそ、この少女をその名で呼ぶことは躊躇われた。

「ごめん、疲れ……」

こんな茶番劇には正直付き合いきれないと、適当にあしらおうとするも、ミーアはキラの言葉を遮り、強引に腕を取って引っ張った。

「ね、御飯まだでしょ? まだよね? 一緒に食べましょ♪」

「え、ええっ? ちょ、ちょっと……」

一方的な誘いに戸惑うも、そんなキラに構わず、楽しげに連れ立ちながらミーアは二人でエレベーターに乗り込んだ。

「どうして? 二人は恋人なんでしょ?」

ドアが閉じたと同時に告げられる突然の爆弾発言にキラは思わず噴出しそうになる。恐らくここでなければ、周りから何事と思われていただろう。

「な、何を……」

「そうじゃないの? 皆、そう思ってったんだけど?」

可愛らしく小首を傾げる。

キラは知らなかったが、二人の関係は恋人ではないかとプラント内のゴシップ誌では囁かれていた。秘書とはいえ、歳近い二人が公私を共にしているのだから、マスコミ辺りがそう邪知するのはある意味当然ではあるし、キラ自身、そういった世論のゴシップに鈍い一面があった。

肝心ラクスは公務に忙しく、それらを知る機会は多少あったかもしれないが…キラは咳払いをし、首を振る。

「残念だけど、違うよ」

そう…確かに、ラクスは魅力的な女性だ。彼女を慕っているのは間違いないが、それが恋愛感情かと問われると躊躇われる。なにより、この2年間の間は仕事を優先してそんな甘い時間などほとんど無かったし、当のキラ本人も、未だ心の内で別の女性を想っているのだ。ラクスもそれを察して深く飛び込めなかったのかもしれない。

「そうなんだ」

純粋に驚いたといった顔で答え、それでこのやや大胆なコミュニケーションに腑が落ちた。溜め息を零す間に、エレベーターが最上階に到着し、ミーアはそのままキラの腕を離さず、その豊かな胸を押しつけ、キラも反対する間もなくどぎまぎし、引き摺られるようにホテルのレストランへと入った。

レストランへと入ると、担当のボーイが二人をVIPルームへと案内した。完全個室にして広い部屋には様々な装飾が施され、煌びやかな照明が照り映える。それに劣らず壁面に備えられたガラス向こうにはアプリリウスの夜景が一望できる。

「うわぁ、ここから見える夜景ってこんなに綺麗なのね」

はしゃぐように話し掛けるミーアにキラは短く頷きつつ、中央のテーブルに腰掛け、ミーアもスキップしながら軽い足取りで向かいの席に着く。

やがて、食器類と前菜を持って入室したソムリエ風のウエイターが準備を行い、ワインのボトルを一つ空け、二人の前にグラスを置き、注ぐ。

言葉少なく礼すると、退出する。

「二人きりですから、本当の名前で呼んでいいですよね、キラ?」

退出を確認したミーアが身を乗り出さんばかりにキラを凝視し、キラはようやく自分が本名で呼ばれていることに気づいた。

何故と、身を硬くするキラに気づかず、ミーアは手元のメニューを見定めながら話し掛ける。

「えっとぉ、キラが好きなのはお肉? それともお魚?」

親しげに話し掛けるその口調にキラは内心、ザラついたものを感じずにはいられない。柔らかな面差し、可憐な表情、透き通った声―――そのどれもが、彼女にあまりに酷似していて、無碍にすることも躊躇われる。

「あ、あの…私、なにか怒られることした?」

不意に問われた内容に眉を寄せる。

「ずっと、私を睨んでるみたいだから……」

弱々しく呟くミーアにようやく自分が過剰に警戒心を露にしていたことに気づき、軽く息を呑み、首を振る。

「あ、いや…そんなことは、ないけど……」

「ホント、よかった」

心底安堵したように微笑む姿にキラもどう応えていいか解からずに戸惑う。別人と解かっていても、瓜二つな容姿がより困惑させている。

「あ! そうだ! 今日のあたしの演説見てくれました?」

「えっ……?」

逡巡していた思考が呼び戻され、ハッと顔を上げると、身を乗り出して真剣に覗き込む顔が映り、思わず身を引きそうになる。

「どうでした? ちゃんと似てましたか?」

無神経にしか思えない質問に、キラは言葉を濁す。無論、キラ本人としてはここで否定しておきたい。だが、彼女の存在が政治的な役割である以上、迂闊な真似ができない。ここにこうして彼女と居るだけでも当のラクスや騙されているプラント市民達に対し罪悪感を憶えるほどだ。

改めてミーアを一瞥する。その顔立ちは勿論のことだが、なによりその声や表情、仕草などは確かにラクスそのものと言っても差し支えない。顔は整形技術がある。プラントのそういった術式は世界でも有数なのはキラでも知っており、顔を似せるぐらいは不可能ではないが、その声紋に当人が持つちょっとした仕草をコピーするのはそう容易くはない。キラもデュランダルからの説明が無ければ、恐らく判断に困ったことだろう。一番親しいキラでさえそう感じるのだから、画面越しでしか知らず、またそう振舞うミーアが偽者と気づく者は容易に騙されてしまうだろう。

だが、それも公の立場で感じたものであり、最初の邂逅や今の振る舞いは本人に比べると些か開放的な一面がある。そのギャップがあるからこそ、そのミーアからの問い掛けに肯定することも否定することもできずに口ごもるが、難しげに黙り込むキラに、ミーアはしゅんと肩を落とし、テーブルで転がる赤ハロもそれに同調するかのように落ちた機械音声で漏らす。

「……ダメ……でしたか……」

【ハロ……】

「あ、いや…そんなことはない……けど」

ラクスと同じ顔で消沈され、思わず慌てて弁解するも、それにキラは自己嫌悪した。だが、ミーアはその瞬間嬉しげに眼を輝かせ、身を乗り出す。

「え、ホントに!?」

ほぼ眼前に寄せるミーアの顔とその下で揺れる胸にキラは顔を赤くし、眼を逸らす。

「う、うん…僕が言うのもなんだけど、よく似てたよ…その、ラクス本人と、ほとんど変わらないぐらい……」

はやる鼓動を抑えつつ、離れてほしいためにキラは上擦った口調で応じつつ、本物のラクスやプラントの人々を裏切っているような後ろめたさを憶え、表情が憮然と曇る。

だが、ミーアその称賛に顔を綻ばせ、赤ハロも同じように喜びを見せるようにサイドのカバーを開きながらくるくる回る。

「やぁぁん、嬉しいぃぃ! 良かった、キラにそう言ってもらえたらあたしホントに!」

【I understand! You understand! Thanks you very mach】

感激しながら全身で喜びを表現するミーアを見やりつつ、先程から回る赤ハロにも眼を向ける。婚約者時代にアスランが作り、幾つも彼女に手渡したロボット。2年前まで彼女は全て所持していたが、今は自宅の保管ブースに収められている。そんな彼女のマスコット的なものまでコピーするとは…手の込んだことだとキラは呆れるようで感心する。

やがて、ウエイターがメインディッシュとなる料理を運び、テーブルの上にのせ、その料理に合った新しいボトルを空け、グラスに注ぐ。そして、一礼すると再び退出する。

「うわぁ、美味しそう♪」

手元の料理に眼を輝かせ、フォークとナイフを手に切り分ける様を見詰めながら、キラは未だに彼女へのデュランダルの真意を図りかねていた。

デュランダルは確かに信用できる。それは間違いない―――だが、この一件に関してのみはやはり納得がいかない。ラクスの負傷にあわせて都合よく彼女のような存在が居た、などと…あまりにできすぎている。

やがて、キラは意を決し、ミーアに声を掛けた。

「あの…ミーア、さん」

「え?」

「一つ訊いていいかな? 君は、どうしてラクスに…いつから、彼女になったの?」

感じていた疑問と疑念、それらを混ぜた問い掛けをキラは真正面から相手にぶつけた。いつから彼女はラクス=クラインになったのか、何故彼女はラクス=クラインを演じるのか…そして、彼女自身はラクス=クラインを騙ることになんの疑問も罪悪感も無いのか、それを確かめたかった。

問われたミーアは視線を下げ、天真爛漫に近かった眼差しに若干の陰りを混ぜながら手にしていた食器を置き、やがてポツリと呟いた。

「私ね、ホントはずぅっと、ラクス様のファンだったんです」

上げた顔にはどこか夢見るような歳相応の儚げなものを浮かべ、一瞬ドキリとさせられる。そして、ニコリと微笑みながら語っていく。

「最初は、プラントの外れでずっと歌ってたんです。私、お世辞にも可愛いって顔じゃなかったんだけど、歌だけはホントに好きで……これでも小さな事務所で結構頑張ってたのよ」

照れ隠しのように告げ、エヘへと笑う。

プラント群の片田舎のコロニーで育ったミーア。歌うことが好きで、メディアで流れる歌を真似することから始め、そしてプラントの象徴であったラクスの歌は始終歌っていたと言っても過言ではない。その歌唱力を見込まれ、その田舎町の小さな芸能事務所にスカウトされ、周辺コロニーのローカル放送やDJで歌う程度だった。

「いつもラクス様の歌を聞いて、憧れて、彼女の歌もよく歌ってて、その頃から声は似てるって言われてたんだけど。そしたらある日、急に議長に呼ばれて……」

何の変哲も無かった日々が終わったようにミーアは一瞬遠い眼を浮かべる。

「ラクス様の手助けをしてくれないか、って誘われたの」

「手伝い?」

初めて聞く内容に聞き返す。

「うん。知ってる? 今でもプラントじゃラクス様の歌が流れてて…ラクス様に歌ってほしいと思ってる人が居るって?」

その内容にどこか苦い面持ちになる。ラクスは終戦と同時に評議会に自ら加わり、外務次官となった。最初は自身の芸歴を活かしてメディアなどに顔を出す広報の仕事が主だったが、やがて外務次官としての公務に身を傾け、芸能界からひっそりと身を引いた。

本人はそれこそが自分のプラントにできる役目だと笑っていたが、ラクスの歌はプラントの人々にとって希望であり、安息なのだと…今更ながら思う。

「私も最初は戸惑ったけど、同時にチャンスだとも思ったの。このままより、少しでも上へいきたいって」

ミーアとて片田舎の一物真似歌手に甘んじていたくもなかった。できるのなら、もっと上へいきたい…そんな願望も当然ながらに持っていた。

「それが、ラクス様を演じるという黒子だとしても……私は、上へいきたかった」

切実に告げるようにどこか陰りと憂いを帯びる眼元。テーブルの上で組まれた指が小さく震えている。ラクス=クラインを演じる…それはつまり、ミーア=キャンベルという一人の存在を消すことだ。それは、酷く重い選択に思えた。

(ああ、そうか…)

そこまできて、ようやくキラはこの眼前の少女に対し、どこかひかれるものを感じていた理由を知った。

キラもまたプラントへと移るとき、『キラ=ヤマト』という名を捨てなければならなかった。それは、今まで当然であった自己のアイデンティティを成す一部を切り捨てることだった。だが、キラはその選択を取った。ラクスのために…自分の選んだ道の責任を果たすために、『ヒビキ=ヤマト』という名を取ったのだ。

「軽蔑する?」

そんな不純な動機でラクス=クラインを演じるというミーアに、キラは否定できず…かといって肯定もできなかった。

「最初はね、あくまでラクス様の歌を歌うだけだったの。でも、ラクス様は公務がお忙しいし、芸能活動を再開したら絶対に顔もメディアに出さなくちゃいけない…だから私、顔にメスを入れたの」

自身の顔―――いや、ラクスと瓜二つな顔を指差す。至極あっさりと告げられた内容にキラはどう反応していいか解からず、戸惑う。

コーディネイターの医療技術はさることながら、整形外科においても群を抜いている。だが、ここまで瓜二つにするとなれば、相当の設備と医療技術が必要だ。となれば、そこに議長の手腕が及んでいるのだろう。そこまで徹底するデュランダルにどこか憮然となる。そんなキラに気づかず、ミーアは話を続けている。

「それでね、包帯が取れたのが遂この間…ラクス様との面会はその時に予定してたんだけど……アーモリー・ワンであんな事があって……」

言い淀むも、告げられた語句にキラも表情を苦くする。

強奪されるセカンドシリーズと再び起こった火種…それらを防ぐためにラクスは地球との会談を終えた足で即座にアーモリー・ワンに発ったが、そこであの騒ぎ。追い討ちをかけるようにユニウスΩの騒ぎと評議会の方もゴタゴタしていたせいで、タイミングを逃してしまったということだろう。

そこへラクスの暗殺未遂―――最悪の事態だけは避けられことだけが僥倖と思う他ない。

「それに、ラクス様が倒れられたと聞いて…私も、一瞬眼の前が真っ白になっちゃって……でも、プラントの皆の姿を見て、私が何かしなくちゃいけないって思ったの」

本物のラクスがそんな事になったと聞かされれば、当然パニックになるだろう。だが、ミーアが見たプラントの人々の怒りに煽られ、恐怖に怯える様――-だからこそ、ミーアはラクス=クラインという存在を演じる決意をしたのだ。

「そんな時、議長がこう言ってくれたの……今は、君の力が必要だって。プラントのために……だから、私」

「でも、それは君自身じゃなく、ラクスという偶像だけじゃないか」

キラは皮肉るつもりでも苦言を課すつもりもなかった。ただ、彼女が哀しく思えたのだ。ミーア=キャンベルという個を捨てなければならなくなるという決断に…奇しくも、自身が今揺れているその選択に……

「……そうだけど。今は……ううん、今だけじゃないですよね」

不意に表情を苦く顰め、視線がガラスへと向けられる。どこか憂いを帯びた瞳でガラスに映る今の自身の借りものの顔を見据える。

「ラクス様はいつだって必要なんです、皆に」

その声音には純粋な祈りのような温かみがあり、キラは思わず自身の短慮さを恥じるように視線を向け、相手を真正面から見据える。

「強くて、綺麗で、優しくて……ミーアは別に誰にも必要じゃないけど……」

憧憬の眼差しで顔を一瞥し、寂しげにポツリと漏らす。その様子にいたたまれなくなり、声を掛けるより早くミーアは明るい表情で向き直った。

「だから、今だけでもいいんです、私は……今、いらっしゃらないラクス様の代わりに議長や皆のためのお手伝いができたらそれだけで嬉しい。最初は、確かに不純な思いもあったけど、今は、ラクス様の代わりに、プラントの人々を癒したい。その心を護ってあげたい」

真剣に…そして純粋な眼差しで熱心に訴えるミーアにキラはどこか見惚れてしまう。彼女が心からラクスを慕い、プラントのために…戦争へと傾こうとする今の世界を止めようとしている。そのひたむきさに心が打たれる。

「だから、キラにも会えてホントに嬉しい! 私、ずっと貴方に憧れてたから」

頬を軽く染めて恥ずかしそうに告げるミーアにキラ自身も照れ臭くなり、思わず視線を逸らす。素直にそういった好意を向けられるのはやはり慣れない…やや気まずさが続いていたが、やがてミーアはテーブルで転がっていたハロを持ち上げ、胸元で抱きながら透き通った声音で呟いた。

「だから…今だけ……今だけでもいいの。私はラクス様に…ラクス=クラインになるの。貴方も、今だけは…私を認めてほしい」

縋るような…か細い声と弱々しい視線、震えるように凝視するミーアにキラは一瞬逡巡する。だが、やがて静かに頷いた。

「……うん、解かった。君は、ラクス=クラインだ」

彼女がミーア=キャンベルであることは、キラの内に留める。少なくとも、彼女の真摯な訴えにはそう信じさせるだけのなにかがあった。

その瞬間、ミーアは眼に見えて感激の意を示すように笑顔を浮かべた。

「ありがとう!」

それは、まるで母親に褒められた子供のように無邪気で純粋なものであり、そんなギャップに苦笑をしていると、ミーアが身を乗り出してきた。

「キラはラクス様のこといろいろ知ってるんでしょ? なら教えてください。いつもはどんなふうなのか、どんなことが好きなのか……ええと、あとは苦手なものとかぁ、得意なものとか、他にもいろいろ……」

矢継ぎのように話し掛けてくるミーアの声もどこか遠くに聞こえ、キラは内心の葛藤に揺れるように表情を顰める。

この少女も、自分達と同じく未来を目指すために自分にできることを精一杯努めている。やり方はどうあれ、平和な未来へと動く姿にキラの心は揺れる。

ミーアのやっていることは正直褒められたものではない。だが、目的のためには時に手段を選んでいられないのかもしれない。それは奇しくも前大戦で知った一つの事実でもあった。今まではそれではいけないと考えていた…そんなやり方では、結局は反発を招くだけだと―――だが、その相手も形振り構わないのであれば、今は最善でなくても最良の選択を取るべきなのではないか……そして、それと同様に自分自身も。キラは今の自身の無力さに迷いを生じさせていた。少なくとも、今自分の力が必要とされている。かつて、アークエンジェルに乗った時と同じく……



――――名はその存在を示すものだ。ならばもし、それが偽りだったとしたら?

デュランダルが言った、今の自分は名を偽って、存在を偽っている。だが、ヒビキ=ヤマトとしては満足に動けない。



――――力だけでも、想いだけでもダメなのです。

今の自分には想いがあっても力が無い。そうなれば、所詮はただの夢想家でしかない。

今の自分には、何もできることがない。仮に、ここで議長の申し出を断っても、結果は何も変わらない。いや、ラクスが倒れた以上、ただの一秘書であるヒビキ=ヤマトにはもはやできることは何もなくなる。

自身の無力さに荒れた心がそのまま出たかのようにキラは拳を手荒くテーブルに叩きつける。ミーアはキラのその様子にビクっと身を震わせ、声を失くす。

どうしたのかと怪訝そうになるが、当のキラは俯いていた視線を不意にガラス向こうへと向ける。

夜空に浮かぶ先程、デュランダルが託したいといった力―――インパルスの姿が映る。



―――――だが、君にできること、君が望むこと……それは、君自身が一番よく知っているはずだ。



その言葉が内に響く。

自身が望んでいること―――それを成すために必要な力。だが、再び力を手にすることへの恐れもまた確かに在り、それがキラを迷わす。



――――自身の信じた道なら…覚悟と責任を持って進みなさい。



そんな迷いに光明を差すかのように脳裏を掠める2年前、レイナから言われた重い言葉。

道を選ぶことは自由だ。だが、それを選んだ覚悟と責任は誰でもない、己に課されるのだと……答は既に決まっているのかもしれない。

そう割り切れない自身の不甲斐なさに…キラは苛立ちながら夜空を見上げ続けるのだった。















《次回予告》





世界は大きく動き出そうとする。

その流れを止めることは叶わず…ただ流されるだけなのだろうか。

そして、リンはその裏で蠢く影を知るために、己が半身の眠る地へと赴く。



死者達が眠る墓場。

そして、墓場から黄泉還りし亡霊が舞い降りる。

亡霊のなかにかつての妹の姿を垣間見る。





亡霊を斬るために…真実を知るために………

騎士は眠りより眼醒める。

白き罪の翼を拡げ、闇の進化の剣を携えて………



―――己が運命を切り拓くために………



次回、「PHASE-23 甦る騎士」



十字架の翼を拡げ、甦れ、エヴォリューション。














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