夜の星々が静かに輝くなか、オーブもまた夜の静寂に包まれていた。ヤラファス島の中心街から離れた沿岸部に建つ一軒のコテージ。崖上に立ち、眼下には木々とその先には海が拡がる。

コテージのリビングでは、複数の人影があり、談笑を交わすなか、一人の子供が眼をこすった。

「あら、眠くなったの?」

優しげに声を掛ける女性に子供は眠気眼でコクリと頷き、その頭をそっと撫でる。

「そう、それじゃもうお休みなさい」

促され、トボトボと歩く子供の背中を支えながら女性が寝室へと移動する。

「ヴィアさん、貴方ももうお休みなってくださいね」

ふと背中から掛かった声に女性―――ヴィア=ヒビキは小さく頷き、子供とともに奥の寝室へと姿を消した。

それを見送った一同は軽く息を吐くと、気を取り直したソファに座る男が中央に座する盲目の男に声を掛けた。

「彼女、すっかり気に入られているようですね、導師?」

「ええ、彼女のおかげで子供達も楽しそうです」

浅黒い焼けた肌にアロハシャツの男:バルトフェルドに頬を緩めて頷き返すのは、このコテージの主であるマルキオであった。遂先日のユニウスΩの落下によって生じた津波で今まで居た近海の小島の伝道所を波に浚われ、その代わりにとオーブ政府が提供してくれたのがこのコテージであった。

アスハ家の別荘扱いであるが、中心街のほぼ反対位置に建てられており、緑も多く、また静かな場所だった。そして、マルキオをはじめ彼の伝道所に引き取られていた孤児達はここへと引越し、環境の変化に子供達は無邪気に喜び、遂先程ようやくほとんどが就寝したところだった。

「ホント、でも彼女もタフよねぇ。子供達にずっと付きっ切りなんだもの」

「そうね」

やや疲れを滲ませながらキッチンからコーヒーを淹れたカップをリビングへと運ぶアイシャに相槌を打つように傍らに座るマリー=ベルネス、いや―――アークエンジェル艦長であったマリュー=フラガは受け取ったコーヒーを口に含む。

「まあ、彼女は公にできないからな…言えば、余計なゴタゴタに巻き込まれかねんし」

「ああ、彼女もそれは理解してるんだろう……少し可哀想だがな」

同じくコーヒーを受け取ったバルトフェルドがやや表情を顰めながら横に座る金髪の男に話し掛ける。

「アスハの血縁者は、要らぬ陰謀に巻き込まれさせられない。代表の配慮さ」

やや哀れむように視線を細めながら金髪の男、現オーブ軍二佐:ムウ=ラ=フラガが肩を竦める。そして、その場にいる全員が同じく表情を曇らせながら、先程寝室へと消えた女性を思い浮かべる。



――――ヴィア=ヒビキ…もう一つの名は、ヴィア=セラ=アスハ



現オーブ軍親衛隊であるカガリ=ユラ=アスハの実母にして、前首長:ウズミ=ナラ=アスハの従姉妹。そして、先の大戦中の中心に居た者達にとっては重要な人物だ。大戦中に救助された彼女は、戦後オーブへと移り住んだが、当の彼女は戸籍上既に死亡扱いであり、またその存在を外部に知られないために戸籍を偽装し、カガリのアスハ家が引き取った。

直系でないとはいえ、アスハの名を持つ彼女の存在が迂闊に知られれば、彼女を担ぎ上げるような勢力が出ないとも限らない。それだけ、アスハの名はまだオーブ内においては影響力がある。本人もそれは承知しているらしく、受け入れているが…隠者のような生活を強いらせることには正直同情しないでもない。

「で……どうなんだい、議会の方は?」

カップを置き、組んだ手に顎を置き、ムウをどこか睨むように見やると、相槌を打つように肩を竦める。

「正直、まだ荒れている。代表はあくまで連合との同盟には乗り気じゃないみたいだが、グスタフ宰相の派閥はそれを推しているし、何人かは同調を示している」

「代表も、身内には甘い…か」

嘆息するように溜め息をつく。

グスタフ=フィル=オクセンシェルナ―――現オーブ連合首長国宰相にして、議会の舵取り役、サハク家の下部氏族に当たる一族だ。戦後のオーブはそれまでの首長制から共和制へ移行を兼ねて民間からの政治家を選出しているが、この変化に難色を示したのは下級氏族だった。今までは五大氏族をはじめとした一部のみで取り仕切ってはいたが、その下でいた彼らは虎視眈々と上へと上がることを是としていた筈だ。それがここに来て急な政変に特権階級的な氏族制が廃されたことに対する不満も大きい。それを緩和するためにミナは下部氏族であったオクセンシェルナ家を宰相へと抜擢し、舵取りを任せたのだが…このグスタフはどうにも喰えない男のようだ。

「しかし解からんねえ、宰相がそこまで連合との同盟を推すのは」

「ああ。彼らも地球連合時代の件を知ってるからな……」

オーブ国民にとっては前大戦時における地球連合の暴挙を知っている。だからこそ、あの当時と同じような要求を突きつけてくる連合に僻辞する政治家も多い。だが、氏族クラスになるとまた話が違ってくる。

「裏で何かある、か?」

「解からん。だが、当面警戒は必要だろうな。探ろうにも人手が足りないんだよ」

愚痴るように肩を竦める。今現在、オーブ軍はユニウスΩ落下による国土周辺の災害処理に加えて、連合の海上艦隊がカーペンタリア基地にまで向かっていると確認が取れ、領海の哨戒に海上保安部隊を派遣している。

「クオルドやファーエデンも今は海の上だしな」

宥めるように言うバルトフェルドにムウは肩を落とす。

「ま、そんな訳だ。取り敢えず、議会の動きには注意しておくさ。それに……ヤバイ客を抱えてるわけだしな」

ムウは視線をキッチン前のテーブルに座るマリューを見やり、意図を察したマリューはなんともいえない面持ちで顔を顰める。

「ミネルバの修理は早くてもまだ数日掛かるわね」

機密の塊である以上、外装以外の内部はほぼスタッフのみで対処しているが、やはり難航している。外装はあらかた修復を終えたが、補給作業に船内修理などの効率を見てみても、まだ時間は掛かるだろう。

「マズイな…下手をしたら、貢物代わりにされかねない」

「でも、そこまで強硬に出るかしら?」

半信半疑と首を捻るアイシャに対し、一同は同感とばかりに唸るように考え込む。オーブは今現在も中立を表明している。あからさまな行動に出るにはまだ早い。

「だから、さ。ここで派閥をハッキリさせるためにな」

バルトフェルドが指摘するのはそこだ。未だどっちつかずだからこそ、今暫く状況を見守るのがベストかもしれないが、そこへ横槍を入れれば、己の立場を確立させざるをえない。

「ま、あくまで僕の予測に過ぎないけどね」

肩を竦めるも、ムウ達は難しげに表情を顰めている。だが、その可能性もあり得ない訳ではない。

「それに、どうもこの一連の件…裏でキナ臭さが抜けないんだよね。彼女が姿を見せたことからも」

神妙な面持ちでそう語ると、全員が微かに息を呑み、頬を強張らせる。

「……嬢ちゃん、か。まったく、姿をイキナリ見せたかと思えば、穏やかじゃないね」

嘆息するように溜め息を零す。既に、この場にいる面々にバルトフェルドはレイナの件を打ち明けていた。

結局、彼女はあのまま何も告げずに店を後にしたが…バルトフェルドは彼女の意図を考え、そこである一つの結論を導いた。

この2年間、まったく姿を見せなかった彼女が自分達の前に現われた。それは―――警告。今回の開戦自体もタイミングが合いすぎているが、自分達にも、何かしらの危険が迫っているという示唆。そしてそれに、彼女自身も関わっていると。そこから、なにかしらの裏がこの一連の件に絡んでいることを予測するのも難くない。

「あの子も確証が無かったからこそ、何も話さなかったんじゃないのかって思うのよね」

ハッキリ口に出してしまえば、自分達を巻き込みかねない。かといって何も知らせないわけにはいかず、彼女はあんな回りくどいやり方で伝えたのだ。そんな彼女の変わらぬ不器用な優しさに安堵と同時に哀しく思える。

「ま、彼女の真意は解からんがね。とにかく注意を怠らない方がいいな」

「ああ、そうだな。ところで…やっぱり、彼女には伝えないのか?」

相槌を打ちながら、奥の寝室へと続くドアをムウが見やると、マリューが傷ましげに歪む。

「彼女、随分気にしてるわ。そんな素振り見せないけど…」

最後に会ってから既に2年以上……マルキオ達の孤児の世話をしつつも、ヴィアは時折憂いのある瞳で遠くを見ている。それは、娘であるレイナ達の身を案じてのことだった。たとえ、自身の本当の子ではなくとも、ヴィアにとっては大切な娘だ。

それを決して他に漏らさず、いつも気丈に振舞っているからこそ傷ましく、また心配してしまう。

「仕方なかろう、そりゃ僕だっていい気はしないが……彼女の気遣いを無碍にもできんしな」

正直、良心の叱責もある。だが、レイナ自身が望んでいない上に、肝心彼女が会おうとしないのだ。そんな微妙な問題に他人である自分達が騒げばいいというものでもない。

「彼女のことは当分、僕達の内にだけ留めておくべきだと思うがね。下手に話せば、余計な心配をさせることになる」

その提案に苦々しく頷き、場を沈黙と静寂が包むのであった。





夜の星空が煌き、照らす下……ひっそりと静けさが覆う墓地の一画。岬に聳える巨木の根元に立つ5つの墓標の裏手。岬の絶壁に面した部位に腰掛け、身体を預けながら星空を見上げるレイナ。

未だ、こんな場所で燻っていることに対する皮肉か…決心のつかない不甲斐なさ故か、レイナは自虐するように嘲る。

(だけど、まだ……)

まだ迂闊に行動は起こせない。まだ、確信を得ていないのだから……だが、必ずという予感もある。

(私への餌…それとも挑発……どっちにしても、まだ動けない)

それがもどかしい。その状況に甘えている自身も当然ながらだが。

頭を冷やそうと瞳を閉じ、感覚を周囲に溶け込ませていく。まるで全ての時間が静止したかのように辺りには何の気配も無い。虫の囀りも、木々のざわめきも…まるで、今の世界の混乱など、夢のようにその静寂に身を委ねるように瞳を閉じていたが、やがてそれが開かれる。

身を起こし、強張った面持ちで顔を上げると同時に風が吹き荒れる。今までの静寂を切り裂くように吹く風が髪を揺らし、レイナの身体を包む。

上げられた視線は夜空の遥か彼方…宇宙へと向けられる。次の瞬間、視界に空の向こうで無数の淡い光が幾条も煌く光景が飛び込んでくる。

それは、忌まわしき業の光。命を灼き尽くす破滅の灯火……L5付近で起こったその閃光から、レイナの視線がなおも鋭く歪む。

「……時間が、無い」

ギリっと奥歯を噛み締め、拳を強く握り締める。

その間にも風がなおも強く吹き荒れ、その影響でレイナの顔を覆っていた包帯が緩み、解かれていく。首筋に這うように落ちていく包帯の帯が風に流され、宙を舞う。

露になる右眼。だが、それもまた揺れる髪に覆われ、レイナは無意識にその眼を隠すように手で覆い、その場に佇んだ。







機動戦士ガンダムSEED ETERNALSPIRITSS

PHASE-23  甦る騎士





月面都市:エラトステネス。月面に数あるクレーター都市のなかでも最大規模のコペルニクスに次ぐ規模を持つ。

この都市は工業都市としても有数であり、かつて旧地球連合時代にMSの構成パーツの製造を行っていた。そのドックに到着する一隻のシャトルがゆっくりと接舷され、ゲートから降りてくる人影。

漆黒のコートを羽織り、ポニーテールに束ねた髪が月の低重力に揺れるなか、跳ぶように移動するのは、リンであった。

オーブから乗り込んだシャトルでコペルニクスに到着し、その足で月の定期船に乗り込み、この都市までやって来た。ゲートを通り、港内に降り立つと、人々のざわめきが聞こえてきた。

「ん?」

何かあったのかと人々が注目するモニターに歩み寄り、顔を上げると、そこには報道ニュースが流されていた。

《本日未明、アルザッヘル基地を発った連合艦隊はプラントに対し、戦闘行動を開始しました。また、これに対しプラント側も防衛行動に入り……》

キャスターが延々と連なる言葉は、連合とザフトが開戦したことを伝え、リンは小さく舌打ちした。

(連合がこんなに早く行動を起こすなんて……)

正直、月の戦力だけで挑むのは半信半疑だったが、考えられないことではなかった。だが、問題はその行動が予測よりも早かったということだった。地球の本国周辺に落下によってダメージを受けた現状では、もう少し外交による諍いがあると思っていたが、それを素っ飛ばしての武力行使。

(連合だけじゃない、か)

戦争とはいえ、クリアすべき段階がある。そもそも、今の連合はかつての地球連合とは違う。あくまで一部の国家群による集合体に過ぎない。迂闊な真似を行えば、地上側の情勢において、内乱を引き起こしかねない。それに、連合はそもそもプラント本国までの航路確保もなにもできていない。

(補給無しの電撃作戦に臨む、か。なら、なにかしらの切り札があると見るべきか)

無論、軍部の進言もあったのだろうが、それにしても動きが早すぎる。なら、相当に準備を整え、きっかけを待っていたかもしれない。そして、それを後押しした勢力もあるはずだ。

そしてなにより、いくら前線基地を欠いたとはいえ、本土防衛軍となれば現ザフトの主力だけでなく全部隊の6割を占める。いくらなんでも中央から突破するのは現実的ではない。となれば、なにか別の策があると考えた方が自然だ。

思考を巡らせていたリンの耳にキャスターがやや上擦った声に染まったのが聞こえ、注意をモニターに再度向ける。

《たった今、L5宙域での戦闘の映像が届けられました。これは、今現在L5で行われている戦闘の映像です》

切り換わったモニターに、次の瞬間閃光が飛び込んできた。進軍する連合艦隊と迎え撃つザフト軍。両軍の艦艇からの砲撃と、激突する幾体ものMS。

ダガーLがビームを放ち、ザクウォーリアが切り裂く。次々と入り乱れるように咲き誇る爆発にモニターを見る人々の間でざわめきが強くなる。この都市も前大戦時には連合の支配下にあったために、戦火が及ぶのを懸念する声も大きい。

そして、次の瞬間…プラント側から白色の光が迸った瞬間、一際眩い閃光がモニターから溢れ、一瞬視界を覆う。茫然となるなか、リンだけは眉を寄せる。

(これは、核か……?)

この閃光は通常弾頭や爆発ではあり得ない熱量だ。そして、前大戦時にも何度か見たもの。息を一瞬呑み、その閃光が収まるのをもどかしいような面持ちで見入る中、モニターには健在なプラントが映る。

何事かと人々の間で不安が浸透するなか、リンだけは強張ったままモニターを凝視している。

(連合の連中、形振り構わなくなったか…馬鹿どもがっ)

激しく心中で毒づく。開戦だけでも正気を疑うのに、まさか核まで持ち出すとは…後の混乱を何も考えていない。

こんな凶行に走るとなれば、連合の暴走だけでは済まない。やはり、裏で何かが動いていると見るべきか。

(それに、あの光……)

核の爆発が起こる前に一瞬だけ見えたあの白色の光。アレがプラント側から放たれ、その次の瞬間に核が爆発した以上、プラントには対核用の迎撃手段が確保されたと見るべきか。

(アーモリー・ワンは囮…本命はそっちか)

どうやら、プラント内もかなり混沌としているようだ。そして、連合の撤退を告げるキャスターの声に市民達は動揺している。ザフトが次は月に報復に来るのではないか、と。連合が強引に月の各都市を接収に入るのではないか、と口々に不安を囁き合っている。

その光景を冷めた視線で見詰めながら、リンは悪態を軽く衝いて踵を返した。

(どうやら、あまり悠長にはしてられないようね。急がないと……)

内心に微かな焦燥感を抱きながら、リンは足早にターミナルを進み、中央管制センターへと向かった。

その背中をターミナルの端から監視するように見詰める影。壁に背を預け、腕を組みながら佇む男はバイザーのようなサングラス下の視線を細め、睨むように見据える。

「あの女が、ナンバー03か」

侮るように鼻を鳴らす純白のコートを羽織った黒髪の男。まるで、そのまま襲い掛かりかねないように睨む男を制するように壁の角、曲がりの陰が掛かった壁に佇む人影が声を掛けた。

「ここでは仕掛けるな」

抑揚のない、機械的な声。それに小さく舌打ちし、離れていく背中を見やる。

「ターゲットが目標に接触するまでは泳がせておく。それがレミングからの指示だ」

抑えきれないとでも言いたげな不満を張りつける男に陰に潜む人影が微かに語気を強め、制する。

僅かに差し込む光によって浮かぶ口元には、ダークグリーンのルージュが引かれた唇が見える。

「何故だ? 奴の抹殺はあの女から許可を貰っている。今更、あんなガラクタに何の価値がある? そんなもの」

「レミングが必要としている。可能ならば無傷で手に入れろと命令を出した。だから、ターゲットは泳がせておけばいい。ターゲット自ら目標まで案内してくれる」

まるで決められた台本通りの台詞を棒読みのごとく淡々と並べられ、男の苛立ちは増していた。

「亜神でしかない模造品だ。レミングとプロフェッサーが欲しているのは、オリジナルだ」

「っ、ミスト…貴様っ」

ボソッと漏らした一言に男は怒りに身を起こし、睨むように人影を威嚇するが、そんな殺気などまるで何処吹く風とばかりに動じた様子も見せず、その人物、ベイルオブスリー:サタンのコールナンバーを持つミストは身を翻し、奥へと歩んでいく。

一言も発さず、また何の感情も見せないその姿に男は腹立ち紛れに拳を壁へと叩きつけ、その拳によって壁に亀裂が走る。

「あの人形がっ」

激しく毒づきながら、男は壁に背を預け、コートの裏から取り出した煙草を無造作に咥え、火を灯す。ささくれた心情を微かに緩和してくれたが、男は不満を抑えきれないのか、一噴きしただけで煙草を放り捨て、足で踏み潰す。

そして、今一度消えた区画を一瞥すると、嘲るように鼻を鳴らした。

「フン、俺は人形にはならん。俺は俺の好きにさせてもらう…あんな出来損ないとガラクタなど、必要ないとな」

ターミナルに歩を進めた男はやがて強化ガラスの前に立ち、その奥を見据える。遥かに拡がる宇宙の奥を見据えながら、口元に不適な笑みを浮かべた。

「カリは返す。騎士も、この俺の手で狩る」

ベイルオブワン:ルキフェルのコールナンバーを持つ男、アベルは吊り上げた口の端から微かな笑みを漏らした。

この数時間後、ターミナル上空に謎の影が舞い、パニックに包まれた。だが、管制塔からでは特に金属反応も熱反応も無く、ただの見間違いだろうという見識になったが、多くの目撃者がその影には巨大な蝙蝠のような翼があったと証言していた。









暗闇が続くなかに無数の話し声が響く。

『連合の一手、どうやら失敗に終わったようじゃな』

一寸先すら見えない闇のなか、しわがれた…それでいて、どこか機械的な声が響き、それに応じる声が響く。

『予想通りの結果でしょう。いえ、これは予定通りなのでは?』

『はやる猪は一度放さねば、何をしでかすか解かりませんからな』

口々に飛び交う声は子供なのか老人なのか、男なのか女なのか、それともその全てなのか…統一性のない声音が至るところで発され、暗闇のなかで木霊する。

失笑するなかで、別の声が上がる。

『しかし、連合もザフトも疲弊具合は予定値を上回っている。これはよろしくない。適度にパワーバランスを保たなければ』

『ふむ、やはり双方の戦力バランスを甘くみたかのう』

此度の戦闘の損害は両軍ともに、芳しくない。連合も指揮下の艦隊を3割程度喪失し、別働隊であったユニオンの艦隊は消滅した。ザフト軍も迎撃部隊の内、相当数を損失したようだ。

彼らの予想では、連合の被害がここまで大きくなるとは思っていなかったのだ。

『未確認ながら、イレギュラーの介入もあったという報告もある』

『物事はそう計画通りには進まないというわけですわよ。しかし、今回の件で誰を贄にされるのでしょう?』

今回の連合の武力行使は表向きはプラント鎮圧を想定していただけに、それが失敗に終わったとなれば、連合内での上層部への批判は強まり、民衆は軍部への不満を憶えるようになる。そうなれば、内部崩壊が起こりかねないため、それを御するためには誰かに責任を負わせ、舞台から退いてもらうというのが好ましい筋書きだ。

『李長龍はまだ切れん。あ奴はまだ使い道があろう。混乱する連合を纏めてもらわねばならん』

『なら、やはり今回はアズラエルを切るべきでしょうね。もうあの男に使い道はございません』

『賛成だ。あの男の独断という形にすればいい』

魅力的な提案に誰もが同意を示す。だが、それに待ったをかける声が響いた。

「早計な決断は後で後悔する結果を齎しますよ。今は、まだ静観すべきと思いますがね」

突如響いた透き通る声に闇のなかで話し合う者達の声が止み、それに相反するように響く足音。軽快な歩調で響くなか、やがて闇のなかから抜け出るように姿を見せる人影。金色の髪が揺れ、闇に煌く。黒衣を羽織り、歩む人影の顔には、驚愕するものが張り付いていた。



――――夜叉



『般若』とも呼ばれる鬼の面。人の心の奥に潜む狂気の象徴。さも、それを体現するようなオーラを纏い、人影は闇のなかに立ち止まる。そして、闇を見上げるなか、声が被せられた。

『貴様、何故ここに……』

「これは異なことを。私も、組織の一員…資格はあると思いますが?」

愉しげに嗤い、右手でそっと夜叉の仮面を取り、その下から覗く顔。だが、眼元は掛かる前髪に隠れ、窺うことはできないが、その見える薄い唇は妖しく紫紺に輝く。

外される仮面を下にやり、舞台役者のような優雅な仕草で一礼する妖艶な人物:ゼロは愉しげに言葉を紡ぐ。

「皆様に御謁見叶いまして、至極光栄にございます。アルケミスツ、特務処理班所属、ゼロ。以後、お見知りおきを」

微かに上げられ、前髪の下から覗くその眼光はまるで獲物を狙う猛禽のような危うさと妖しさを漂わせ、闇のなかに潜む者達を怯ませたのか、怒号が飛ぶ。

『貴様などに謁見を許可した覚えなどない』

『警備の者どもは何をしている! この痴れ者を摘みだせ!』

その言葉にゼロは軽く肩を竦め、小さく呟いた。

「あの連中のことですか? ちょっと眠ってもらいました…もっとも、二度と目覚めることはないでしょうが」

揶揄するかのごときに聞こえた言葉に一瞬静寂が満ち、ゼロの背後を見通すと、その奥で倒れ伏す数人の人影。黒スーツ姿の屈強な男や秘書風の女性がまるで何が起こったのか知覚できないまま命を絶たれたように能面のごとき死顔を晒している。

その死体から溢れ出る真っ赤な鮮血が流れ、ゼロの足元にまで伸び、覆っていく。真紅のなかで佇み、夜叉の仮面をまるで己の昂ぶる狂気を隠さんばかりに顔に近づける。

「無礼、御容赦を。私はこれでも気が小さいもので。謁見中に無粋な真似をされても困りますからね。それに、あの程度の連中では御身の警備など不適格でございましょう」

謝罪するように礼するも、その声は嘲笑にしか聞こえず、さらに怒りを煽り、口々に罵倒を罵られるが、それもやがて少数の声に制された。

『落ち着きなされ、この者を責めても仕方なかろう』

『しかし』

『そうですよ。むしろ、評価すべきでしょうね…その豪胆さ』

擁護するような意見にやがて他の声も勢いを失ったのか、沈静化し、場が落ち着いたのを見計ると、ゼロは恭しく礼をした。

「では、改めて御挨拶を。我が名はゼロ、アルケミスツに属する者です」

『知っておる。貴公の活躍はな』

『不埒な真似も目立つがな』

さり気に混じる皮肉にも気分を害せず、ゼロは微笑む。

『して、何用で我らの前に現われた?』

「大したことではございません。少しばかりお願いがあって参りました」

『ほう? 貴様のような者が我らに望みとは。たかが飼い犬風情が偉くなったものだ』

侮蔑の失笑が木霊するなか、意にも返さず、ゼロは人形のような笑みを張りつけたまま、口を開く。

「此度の件、暫し静観された方がよろしいかと」

『何を言う? 統制の欠いた連合に世論が反発するのは眼に見えている。俗物共はコントロールせねば社会は成り立たん』

『そのためにも、スケープゴートは必要なことですよ』

いつの時代になろうとも、無自覚に与えられるものに慣れてしまい、それが途切れれば社会は瞬く間に崩壊する。その綱を取るために一番手早いのは、敵を示してやることだ。それが外部の国や異民族、または追い込んだ無能な統治者。

最初の策が崩れた以上、もう一つの策に鞍替えするのは至極当然のことだ。

「ラース=アズラエル、ですか? 確かに、あの男も相当な俗物ですが、まだ使い道がありましょう。リスクとリターンの見極めができなければ、貴方方の矜持に反するのでは?」

愉しげに告げるゼロに幾分が苦虫を踏み潰したかのごとく唸り声を見せる。物事には全てに対し等価がある。投資した債権を回収できなくては、意味が無い。その意味では、ラースの暴走の対価として切り捨てるには些か不等に思える。

『現状ではまだ、あの男の価値を見極められないと言いたいのかね?』

『しかし、あの男はあくまで駒だ。それ程評価するような輩には思えないのだがね』

「認めましょう。ですからこそ、今はまだ泳がせておけばいい。さすれば、貴方方はまだ動く必要などなくなる。仮にもあの男とて、ロゴスとも繋がり裏世界にも通じている。貴方方の存在は存じないと思いますが、今、この時期に余計な真似に及べば、要らぬ蛇をも招きかねませんよ」

確かに、ラースはともかくあの男の持つ背景は無視できない。未だロゴス内部にもパイプを残し、強硬路線を主張する軍部内やユニオンにも影響力がある。当人の暴走も憂慮するべきだが、そういった人物も実際には下層をコントロールするには必要だ。

そしてなにより、迂闊な真似に及べば、自分達にも影響が出る可能性もあり、それはこの場にいる誰もが不本意だ。

「御理解いただき、恐縮ですよ」

まるで、その答を見通したかのように笑みを浮かべるゼロ。

『よかろう、貴様の忠言、留めておこう』

『だが、その分なら此度の件、難なく処理できる見通しはあるのだろうな?』

実際に混乱が起こっているからこそのスケープゴートだ。それを止めるには当然、対処もせねばならない。その問いにゼロは頷く。

「無論、既に手は打ってあります。当面の時間は稼げましょう。その間に事態を平定すればいい。それが、貴方方の望む最良の結末でしょう」

『よかろう、なら貴様の手腕、特と拝見させてもらう』

「お好きに。では、私はこれで……」

優雅に一礼し、踵を返したゼロだったが、不意にその足が止まる。

「ああ、そうそう…一つ言い忘れていました………」

ポツリと漏らした瞬間、闇のなかに鋭い衝撃が響く。闇の奥に深く突き刺さる黒刃。一瞬の静寂。微かに歪む口元。

「私は貴様らの飼い犬に成り下がった憶えも、そう扱われる理由もない。忠犬が欲しければ、お得意の金でもなんでも使ってその辺から拾えばいい」

突き刺した柄に固定されたワイヤーを引き、空を裂くように手の内に戻る愛刀を振り、鞘に戻す。刹那、ゼロは身を翻し、闇のなかを駆ける。

次の瞬間、闇のなかで拳銃を構えていた女の背後に回り込み、身体を羽交い絞めにし、首筋に刃を突きつけていた。

「ひっ」

掠れたような引き攣った声が小さく木霊する。

眼元をバイザーのサングラスで隠した女は内々に連絡を受け、侵入者の暗殺に派遣されたプロフェッショナルだったが、その彼女をしても何が起こったか解からずにいた。少なくとも、ボディガードとしての長い経歴でも訳が解からなかったに違いない。

「そういった台詞は、こういう飼い犬に言うべきね。犬は餌をやっていれば恭順を示す。だけど、狼は餌をやっても尻尾を振るわけでもない」

そんな女性の反応を愉しみながらまるで威嚇するように闇のなかを見渡す。

「私と貴様らは決して対等じゃない。私に命令できるとも思わないことね」

羽交い絞めにする女性の首筋をなぞり、女性がビクッと身を震わせる。そっと耳元に囁く。

「肌が荒れてるわね。それに少しばかり臭いもね…化粧品はよく選んだ方がいいわよ」

その一言に感じたのは果たして怒りだったのか、それとも羞恥だったのか、微かに顔を赤くする女性を解放し、その腹部に柄を叩き入れ、意識を刈り取る。

倒れ伏す女性を一瞥し、未だ口を噤む闇の奥で怯える者達を見渡す。決して隠せない恐怖と畏怖、そういった気配を感じ取り、優越感に浸った後、ゼロは再び踵を返す。

「忘れないことね。狼はたとえ餌を与えようとも仇名すものなら容赦なく喰い殺す。狼を飼い慣らすことは不可能だということを忘れないことね」

再びその顔を夜叉で覆い、狂気という衣を纏うかのように闇のなかへと溶け込んでいく。気安い挙動と言葉とは裏腹に、その姿が消えるまで……恐怖は消えなかった。

ゼロの気配が完全に闇に消えたのを確認すると、幾人かの安堵の息が聞こえ、次いで罵倒が飛び交う。

『ふざけおって、あの若僧がっ』

『我らに対し数々の暴言、赦せぬ』

言い尽くさんばかりの悪態が一通り出尽くした後、一人が重々しく呟いた。

『やはり、レミングにアルケミスツを任せたのは失敗だったのでは?』

『だが、レミングは計画に必要な人間だ。仕方がなかろう』

『部下のコントロールもできているか怪しいものだ。聞けば、奴は勝手に部隊を私設していると聞く』

彼らの耳にも届いている。ゼロの周囲の行動の不透明さ。強化されていく各戦力。それだけに留まらず、様々な勢力中枢への接触。どれも看過できる問題ではない。

『いかん、いかんよ。奴らに過度に力を持たせすぎるのは』

突出した力はえてしてパワーバランスを崩す。それが暴走すれば、それによって齎される被害は途方も無くなる。

『しかし、今はまだ必要だ』

『あの力、そして彼女自身…まだ喪うには惜しいものがあります』

確かに、あの能力には畏怖するものがあるが、それでも魅力的であるものは間違いもない。彼女ほどの働きができる者が極限られる以上、まだ切り捨てるには惜しいのだ。

『それはそうですが、定時報告も怪しいものです』

『ならば、密を上げるしかあるまい。マティスにそう仕向けさせ、内偵を進めさせろ。それと、あの女には監視を怠るな』

一応の妥協案とばかりに提示される内容に、不了承気味ではあったが、同意の意を示した。

『各々方、努々、忘れめさるな。我らの真の目的…それは、単純なものではない。崇高なものだ。この世界のためにな』

自賛するような物言いに厳粛に受け止めるかのごとく酔うように頷く声が響く。

『では、本日はこれまで……全ては、輝かしい未来のために』

『『『『『『『『未来のために』』』』』』』』

その言葉を合図に声が全て途切れ、闇のなかに静寂が戻る。まるで、初めから誰も存在していなかったかのごとく……


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