その日、家に帰った俺の様子はまるで敗残兵のような有様だった。
いつもより足が重い。手も重かった。
必死の思いで扉を開ける。
「ただ………いま……」
本来なら『ただいま』なんて言うはずも無いが、俺は言っていた。何かを言わなければ気が狂ってしまいそうだからだ。
「おお、雷王。今日は遅かったな」
俺に話しかけたのは、俺の保護者の紅尉晴明。
学校の養護教諭もやっていて、女子にもそこそこ人気があるらしい。
俺に言わせればただのスカした野郎のような気がするが、それでもコイツは俺の保護者だ。
母親が亡くなって俺を引き取ったのは晴明だ。
親父も獅子王の人間で、世界中にその名を轟かす科学者だった。しかし科学者としては優秀かもしれないが、父親としては失格だ。お袋が死んだとき、葬式にも
出なかった。
どうも晴明と親父は昔からの親友だったらしい。その経緯で俺は引き取られた。
だから俺にとっての父親は、晴明だった。
「ああ………」
「どうした? さっきから変だな…『ただいま』とか言って」
「別に………」
のろのろと部屋へ向かっていった。
ベッドに倒れこむようにして体を預けると、今日起こったことを思い返す。
凱が、とうとう空に向かっていったのだ。
別に死んでしまったと、言う訳じゃない。
宇宙まで、スペースシャトルで飛んでいったという意味だ。
宇宙にいく
それが凱の、昔からの憧れだったらしい。
詳しい事情は知らない。ただ、夢について話すときの凱は、一際輝いていたのは良く覚えている。
決意したのは中学生ぐらいの時。それから凱は猛勉強を重ねた。そして時間にしてわずか三年。
ついに宇宙開発公団のスペースシャトル・スピリッツ号の専属パイロットに任命された。
世界初のAI搭載による、単座型往還艇。
宇宙ではもっと科学が進んでいるらしいが、今でも魔法を主として使っている地球では、これは画期的なことだ。
少ない経験というハンデを覆したこの報告に、俺たちの学校は歓喜に沸いた。
命なんかは涙していたぐらいだ。その重大性はその頃の俺には理解できずにいたが、それでも何だか嬉しかった。
今考えると、それもなんかおかしい。何で不良が、こんなことで喜ぶんだ?
同じ年の六月、ついに凱を乗せたスピリッツ号が宇宙へ飛び立つ日がやってきた。
だがその前日になって、凱は俺に対してこんな事を口にしたのだ。
「もう一回言ってくれないか?」
「だから……命を守ってやってほしい」
一旦打ち上げたスペースシャトルが戻ってくるのは、少しばかり時間が掛かる。
その間、命を狙う俗物が再発するんじゃないかと、凱はそれが心配らしい。
「命は、俺の一番大事な人だ。一生傍にいてやりたいと思っている。だけど、空は………宇宙は、俺の夢なんだ」
解ってるさ。
お前の命への気持ちも、
宇宙への憧れと希望も、
全て理解している。
夢と恋人。
人間ってえのは、こうも欲張りになれるものなんだな。
だが、
「何で俺なんだ。もっと他にいないのかよ」
こんな俺の最後の抵抗でも、凱は笑って言ってのけた。
「思い当たるわけ無いだろう。命も大事だけど、お前も俺にとって、大切な『親友』なんだ。お前にしか、この大役は任せたくない」
「…………」
完敗だった。
最後の最後まで、俺は凱に勝てなかった。
どうやら獅子王の人間は、人をその気にさせるのがとんでもなく上手いらしい。
「わかったよ……」
ボソリ呟くような、蚊みたいな声だったが、それでも凱の耳にははっきりと届いていた。
「畜生………」
あいつは俺の心情に、少しも理解していなかった。
いや、むしろ逆かもな。
俺の中に、俺の知らないなにかがあって、あいつはそれにいち早く気付いて、この役目を任せたのかもしれない。
「やるしかないか……」
引き受けた以上、約束を破る訳には行かない。俺はそれだけはしたくないのだ。
売られた喧嘩は全て買うように、引き受けた事は、最後までやり遂げよう。俺はそう誓った。
それに、
人に頼りにされるのは………これが初めてだったから。
「任しとけよ、兄貴………」
そしてその日から、俺のボディーガード役は始まった。
どうやら凱の予想は当たっていたようだ。凱が宇宙へ飛び去った次の日から、命をかぎまわるハイエナは急増した。
此れ見よがしとはまさにこの事だ。時には十人近かったこともある。
しかしそれで俺の相手が務まるかどうかは、また別問題だ。
ヤクザの組を丸ごと潰した事もある俺にとって、そんじょそこらのオタク共がおれにかなうはずも無い。
魔法で対抗しようとした奴もいたが、そんな物は使わせなければいいだけだ。
宇津木命の親衛を務めて早三日、とりあえず堂々と襲ってくる奴はいなくなった。
だがこれからが本番だ。影から爪を研ぎ澄ましている奴が出てくること位、素人でも思いつく。
より一層気を引き締めよう。そう決意を新たにした、ちょうどその日のこと。
いつもどおりに、命を家まで送り届けて、俺も自分の家に帰った。
命の両親は気は小さそうだが、芯の通った優しい人だった。
最初は俺の人相の悪さに警戒していたようだが、凱や命の説得もあって、今では俺にもよく接してくれる。
ちなみに晴明はどうやら俺のやっている事をとっくに知っていたらしい。
まったく持って油断も隙も無い奴だと、改めて実感した。
こいつにも気をつけよう。そう思いながら、眠りについた。
が、
もう魔の手は、すぐそこまで迫っていた。
俺たちの運命を変えた、あの瞬間が………
突然の轟音で、俺はたたき起こされた。
その勢いで、ベッドは俺を吐き出した。
畜生、このベッドは毎度ながら小心者だ!
何だと思って、驚きと戸惑いを隠さずに、そのまま一階へと降りていった。
一階では晴明がいつもの白衣の状態で立っていた。
「晴明!」
「ああ、雷王か」
「何が起こったんだ!? 今の音はいったい…」
次の言葉を聞いた瞬間、俺は転びそうになった。
「隕石だ」
「隕石ぃ!?」
「私も詳しいことは知らん。だがかなりの被害が出たようだ。さきほど念話で連絡があってな。たたき起こされた。留守を頼む」
そう言うと、俺の返事も聞かずさっさと出て行ってしまった。
口調はいつもと変わらないが、逆にそれが、患者に対する
「何だってんだよ、まったく………」
リビングに戻り、窓の向こうから外の様子を見てみた。
確かに音のした方が赤くなっているのが見える。
人の悲鳴と燃える音が騒音となって不快なことこの上ない。
しかし俺の視線はまだ客観的だ。自分の家に落ちた訳ではないのだから。
しかし、そんな情勢は一瞬の内に主観的なものに変わって言った。
とりあえず自宅で対しろといったのだから、聞くことにしよう。晴明は俺を力仕事に借り出すことが多いから今度もあるだろう。
そう考えていたその時、
俺は気付いてしまった。
「あそこは………!!!」
あの場所がちょうど、命の家だということに。
電話を掛けてみたが通じない。
どうやら電話機としての役目を果たしていないようだった。というよりそもそも電話に出る人自体、いるのかも解らない。
念話も試したが駄目だった。向こうが全然反応してくれないし、俺自身も集中力を欠いていた。
魔法の授業をサボっていた事をこんなに恨めしく思ったことは無かった。
俺は黒いコートを羽織るとすぐさま、命の家に向かった。
しかし、この時の俺は頭がパニックを起こして、正直なにがなんだかわからない。
本来ならば呆然と立っているだけだっただろう。
しかし約束したのだ、彼女を…命を守ると!
それがあいつとの誓いである以上、俺は走らなければならなかった。
辿り着いた先は地獄と化していた。
逃げ惑う人々、崩れ行く建物、次々と積み上げられていく瓦礫の山。
隕石とやらの落ちた中心部はひどい有様だったが、命の家は少しずれていた。
「良かった、これなら……」
生きている可能性は十分にある。
通行止めにしてあったようだが、そんなものは気にしないで乗り越える。
「こ、こら君! 危ないから下がっているんだ!」
近くの警官が呼び止めたが、そんな忠告を甘んじて受けられる訳が無い。あの場所には親友が、命がいるのだ。
「君、聞こえないのか!」
「うるせえ! 黙って仕事してろ!!」
振り返らずに、俺は突き進もうとした。
だが………
ガクゥン!
「なっ!!?」
急に脚が本来の役割を果たさなくなった。脚だけではない。
腕も、指も、首も、瞬きすらも許さない。
唯一動いているのは心臓と肺、そして口と鼻だけだ。
(捕縛結界か………畜生め!!)
火災や自身などで、救急隊員が心配するのは二次災害だ。
特に野次馬が勝手に入って来た事で発生することが多々ある。
その防止の為に捕縛結界を常に周りに張っておくのだ。
この魔法社会では俺ですら知っているはずの常識だったが、焦りでそれに関しては考えていなかった。
「く、くそ!!」
「ああ、やっと止まった………」
必死に振りほどこうとするが無駄だった。
警察が使用する結界だ。相当訓練した、素質のある者でないと解くのは難しい。
それでも俺は抵抗をやめなかった。
(諦めて……たまるかぁ!)
だが、もがけばもがくほど、見えない糸は俺の自由を奪っていく。
まるで蜘蛛の巣だ。
「妙な真似をするなよ!」
警官がゆっくりと俺に近づいてくる。
俺は……約束を守れないのか?
こんな小さな約束すら……
守れないのか?
大切な……ひとすら……
(……お父さん…お母さん…)
「命!!?」
頭の中に、何かが響いてきた。
間違いない。
これは、命の声だ!
(苦しいよ……助けて…お母さん…お父さん………雷王……凱!)
その言葉を聞いた瞬間、俺の中で何かが弾けた。
「う、う……うお、おおおお!!!」
身体の全てが熱くなる。
何かが、俺の中から迸る。
「お、おい、無茶は止めなさい! 下手をすると怪我じゃ済まないぞ!!」
結界に限らず、すべての呪術を無理に解こうとすれば、それ相応のしっぺ返しを貰うだけだ。
しかし俺はもう迷わなかった。
そうだ。
今あいつを守れるのは、
「俺しか、いねえだろうがあ!!」
ブチ! ブチブチブチ!!
何かが切れる音がした。結界が切れる音だけではない。自分の肉体が傷ついている。それも半端ではない。
しかし俺は痛みなど感じなかった。それよりも熱い何かが、俺の中を駆け巡る。
同時に、身体に感覚が戻ってきた。
一瞬の静止の後、俺の脚は再び家に向かって走り出す!
「う、うう嘘だろ!? あ、こ、こら待ちなさい!!」
少し戸惑ったようだが、さすがはプロだ。すぐさま俺に向けて魔法を打ち出そうとする。
こういったケースに関しては、一般人に対する魔法の使用も許可するらしい。
だが、今の俺はそんな物では止められない!
近くに落ちていた小石を拾い上げると、声と気配を頼りに後ろにブン投げる。
魔法が得意な奴に対抗するために編み出した、俺の特技だった。
「ぐわあ!」
警官が倒れる音が聞こえたが、確認せずに突っ走る。
ドアも器用に開けようとはせず跳び蹴りして、勢いそのままに転がり込んだ。
「命!」
見渡す限りの、赤、赤、赤。
たまに焦げた黒が見つかる程度の、まさに火炎地獄。
勢いよく燃え盛る紅蓮の炎。
「畜生め!」
形容できないような臭気の漂う中で、俺は必死に人の姿を探した。
五感を、いや……第六感すらも最大限に活用する。
廊下を通ってリビングに入ると、目的の一つは達成できた。
最悪の結果で……
「お、おっさん……おばさん……」
俺は間違ったことを言っていた。
そこにいたのは、命の両親『であった』物だ。
全身の皮膚が焼けただれ、顔はようやく男か女かを判別できる程度だ。
それだけではない。近くの柱が倒れ、二人の腹と胸を貫いている。
二人は折り重なるようにして倒れていた。恐らく妻を守ろうとしたのだろう。
家庭用のシャンデリアが落ちて、おっさんの足は変な方向に曲がっている。
奇怪なオブジェの出来上がりだ。こんな体でまだ生きていたらソイツはモンスターだ。人間じゃない。
俺はそこから眼を逸らすことが出来ずにいた。余りの光景に体が凍りついていたのだ。こんなにも周りに火があるというのに、心の中は冷え切っている。
だが、バキン、と何かが割れるような音がして、俺ははっと我に返る。
「そうだ、命は!?」
この家は二階建てになっていて、命の部屋は上の階だと、凱が言っていた。
もう死んでいるかもしれない。今眼の前にある『両親』よりもっと悲惨な状態で。
しかし、それでも俺は脚を二階に運ばせた。
まだ死体を確認したわけじゃない。
晴明なら、死んでいなければ治せる筈だ。
それにここまで来て、凱との約束を破るわけにはいかない!
「ぬおおおおお!!!」
入ってきた時の勢いそのままに階段を駆け上がる。
火の粉が当たって熱い、痛みも伴ったが気にしない。前進あるのみだ。
階段を上りきると、そこに横たわっている人影を見つけた。
「あれは……命!!」
間違いなかった。赤い髪……ウサギのような髪型、間違いなく命だ!
急いで駆け寄って、彼女を抱え起こす。
「命! しっかりしろ命!!」
俺は精一杯彼女の名を呼び続けるが、反応はない。それだけではなかった。手首もダランとしている。
「嘘だろ………」
脈を手に取ってみる。
感じられなかった。
脈が…………無かった…。
「冗談は無しだぜ……おい………」
周りの熱が引いていくような感覚を、俺はまたも体感した。
今度は俺の心じゃない。冷えていたのは命の体だ。
「ふざけんなよ………お前が死んだら…凱はどうなんだよ!」
そうだ、あいつを……凱を一人置いていくというのか?
「自分の事忘れないようにって、凱にロケット渡したんじゃねえのかよ! もう一回会うんじゃねえのかよ!!」
俺は必死に彼女の身体を揺さぶり続けた。
「頼むから…………目を…開けろよ…………」
すがるように、しがみ付くように……
それでも、彼女は目覚めなかった………
「開けてくれよ! 命! ミコト! ミコトォォォォ!!!」