「そうか、分かった……」
中世ヨーロッパを思わせる古城。
場所は定かではない。しかしこんな物が建っているのに未だに一人もそれを疑問に思っていないのだけは確かだった。
その中の広い一室、食堂と思しき場所。一人の男が今通信を終え、用済みとなった受話器を召使の持つ電話機の上に置いた。スキンヘッドの頭に額から目を通
し、頬に至るまでの巨大な火傷の様な傷を持つ男だった。
最新の通信機ではなく、装飾を施した昔ながらのものである。しかもそれをほかの人間に持たせている所から、細部に拘っている事が伺えた。
「ケースは完全に敵の手に落ちました!」
電話をしていた男が長いテーブルに座る一人の男に向かって叫んだ。失敗したことの申し訳なさと、怒りが同居している。
座っている方は何も答えず、しばらく葉巻を楽しんでいる様子だったが、不意に口を開いた。
「そろそろ、あの大作と言う少年を本気で始末せねばならんな」
右目には眼帯をし、ひげを生やしている。アメリカ式のスーツを着こなすそのさまは、一見紳士を思わせるが、その研ぎ澄まされたナイフのような威圧感が只事
ではない事は恐らく一般人にも分かるだろう。
「フフフ……十傑衆ともあろうお方が、情けない」
二人の男は声のある方向、即ちテラスへと向かっていた。
紅いマントと戦国武将のような仮面と兜を被った者がテラスの途中に座っていた。
だが声を発していたのはそれではない。
白いスーツを着た長髪の男がグラスを傾け、月を見上げていた。テーブルに座る男に負けず劣らずに着こなしで、端正な顔立ちだった。
「ミスター・アルベルト。こちらにはまだケースは二つ残っている。そう、二つも残っていれば、ジャイアントロボなど敵ではありませんよ」
明らかな侮蔑の感情が混ざっていた。それを聞いた瞬間、葉巻の先端部分弾け、同時に火傷の男が飛び出していた。
「貴様ァ! アルベルト様に無礼ではないか!」
目に止まらぬスピードでテラスへと向かう。足の動きが霞んでよく見えないほどだった。だが、その失踪は突如として止まる。
「ぬぅ!?」
仮面を着けた男が、目と鼻の先の距離まで迫っていたのだ。それもまったく周りに気付かせる事無く。
仮面から唯一見える肉体の一部である目には、ただそこを見つめる機能しか持っていないようだった。殺気も無ければ怒気も無い。風ひとつ無い……まるで
『影』のように。
「まあまあ、お目付け役の呼炎灼殿を困らせることも無いでしょう」
呼炎灼と呼ばれた仮面の人物の後ろから、声が響く。
「私のコードネームは『幻夜』……そう、この美しき空の如く……それを、忘れなければいいだけの話………」
グラスを傾けながら幻夜はただ遠くを見つめていた。その深い緑に何かをたたえながら………。
「………イワン」
「はっ………」
アルベルトと呼ばれた男が、飛び出した部下を呼び寄せる。イワンはまだやりきれない様子だったが、上司の命とあっては仕方が無い。飛び出したときと寸分違
わぬ速さで、元の位置に戻っていた。
「では、我々の計画に………あなた方、賢人会議も協力して頂けるのですね」
その言葉を受けるや否や、絨毯の上から、黒いマントとピエロの仮面を着けたギムレットが出現していた。
「ええ、ええ。彼の命とあれば、あなた方の下僕にもなりましょう………ただ…」
「ただ?」
ここで初めて、幻夜は部屋のほうに向き直った。
「うふふふふ……いやぁね、こちらも不慮の事故で手駒が不足しておりまして……まったく我ながらイケませんねえ……」
変な奴だ。イワンはそう思っていた。仮面ぐらい取れないのか。それ以前にこの重要なときに何故こんなに笑っていられる。
「そこでですねえ。あなたたちの部下を……誰でもいいですから下っ端を一人貸していただけませんかねえ……イケませんかねえ?」
「いえ、かまいません。ちょうど今回の件で失敗した者がいます。それを使って下さって結構」
幻夜が部屋の中に入ってくる。その笑みを崩す事無く、ゆっくりと。
幻夜は分かりきっていた。この男が言う『使う』とはどういう事かを……。
「ヒヒヒヒ……ありがとうございますねえ…」
人間らしからぬ気配を察して、イワンは段々と人知れず寒気と悪寒を覚えていた。こんな男の手を借りて、本当に大丈夫なのだろうか……。
「では我々も、微力ながら全力を尽くさせていただきますよぉ……」
「宜しい。ではケースは後で奪還すると言うことで……予定通り『地球静止作戦』を敢行しましょう」
幻夜がグラスを掲げ、それに合わせてアルベルト、イワン、そしてコ・エンシャクが同調し、手を上に向かって突き出す。
「我ら
の、ビッグ・ファイアのために………」
その様を、悲しみと笑顔が映す仮面の狭間で、ギムレットはじっと見つめていた……。
第四十八話 その名は斬竜神(国際警察機構編)
式森和樹、およびGGG機動部隊は、北京に来ていた。
南京で鉄牛と銀鈴と分かれた後、二方向から別々に北京支部へ向かうことになった。彼らは上官である中条長官にことの次第を報告しなければならないのだえ
る。
速さを重視しての処置だった。
「ふう………」
今、和樹が乗っているこの船は、輸送用飛行艇『グレタ・ガルボ』。
様々な局面にも対応できる万能機だが、最近はもっぱら『G』を輸送するのに使われるらしい。
そしてその『G』と言うのが………
「ジャイアントロボ………か…」
和樹には未だに昨夜の光景が目に焼きついて離れなかった。
立った一撃で敵を吹き飛ばすパワー。一瞬にして遥か上空へと舞い上がる推進エネルギーと
そしてそれを操っていたのが………。
「式森さん」
和樹は後ろからの声に振り返った。
声を掛けたのは子供である。和樹よりも押さなく、舞穂と同年代ぐらいだろう。事実、年を聞いたとき十二と答えていた。
「もうそろそろ北京支部へ着きますから、準備しておいてください」
「うん。ありがとう大作くん」
そう。彼の名は草間大作。
彼もまた国際警察機構に名を連ねる実力者―――通称『エキスパート』と呼ばれる―――の一人である。
彼の能力こそ、世界にひとつだけしかないロボット、『ジャイアントロボ』を動かすことである。
ジャイアントロボは操縦者登録システムと言うのを採用している。これは最初に登録した操縦者以外の命令を受け付けることが無いと言う画期的なシステムであ
り、これが、大作のみがロボを操れることの証明なのだ。
(こんな子供に助けられちゃうなんてなあ……)
もちろん自分がまだ半人前だなんてことは確認するまでもないことだ。第三新東京市で出会ったアスカや舞人のほうが、おそらくパイロットとしてのセンスはあ
るだろう。
それでも、こんな子供があんな馬鹿でかいロボットを操縦するなんて信じられないことだ。
(なんだか、情けないなあ………)
自分は精一杯やっているつもりだ。なのにどうにもうまくいかない。
ぼんやりとそんな事を考えていると、不意に後ろから肩をたたかれた。
「いよぉ、何をそんなに暗い顔をしてるんだ?」
大作とは違う渋い声に、和樹は上を見上げた。
「そんなのは、ここ北京には似合わないぜ」
声を掛けたのは、背の高い男性だった。雷王よりは劣るものの、精悍な体つきは服越しからでも分かる。そこからにじみ出るオーラのすごさは素人の和樹でも理
解できた。
「あなたは………」
グレタ・ガルボのクルーたちには一通り顔を合わせたが、こんな人は見なかった。第一服装からして違う。まるで昔の中国に出てくる盗賊か隠密みたいだ。
「俺は『神行太保(しんこうたいほ)の戴宗(たいそう)』。国際警察機構、エキスパートの一人だ。戴宗って呼んでくれよ」
戴宗は笑いながら和樹に肩をバンバン叩いた。反対の腕には瓢箪を持っていて、それからはアルコールの匂いが漂っている。
和樹はその匂いにかぎ覚えがあった。
任務の最中に酒の飲むのだろうか、この人は………。それになんか雰囲気も軽いし。
とりあえずそんな事はおくびにも出さない様にして置いて、自己紹介することにした。
「えっと、僕は………」
「ああ、雷王の奴から連絡を受けてるよ。あいつの息子で、機動隊長の式森和樹。だろ」
自分の父のことを突然呼び捨てにされて、和樹は戸惑った。
「え、父をご存知なんですか?」
「あいつはな、昔からの親友なんだ」
そういえば年恰好も雷王と同じぐらいに見える。
「まあ、南京ではご苦労さん。おかげで弟分も無事だったよ」
「い、いやそんな……大作くんの方がもっと凄くて、逆に助けられちゃって……」
「何言ってんだ。あそこで維新竜に喰らいつかなければ、間に合わなかったかも知れねえんだ。俺からも礼を言うぜ、和樹」
今度は自分も呼び捨てにされてしまったが、別に嫌な感じはしなかった。おそらくこれは戴宗の性格なのだろう。誰とでも打ち解けられる人なのだ。と、和樹は
思った。
そのとき、大作が横から言った。
「あの、もう北京支部に着いたみたいですよ」
「そうか」
「ここで、何をするんですか?」
考えてみると、和樹はこの後どうするのか全然聞いていない。とりあえずこのまま帰ってしまうのも気持ちが悪かったから、このグレタ・ガルボに乗船させても
らったのだ。
「とりあえず、ロボを整備格納庫へ収納する。機動部隊の奴らも一緒に整備するように言ってやるよ」
「あ、ありがとうございます」
「なあに、それと中条長官にも会って、あれを渡さなけりゃいけないしな」
「あれって……確かシズマ博士が持っていたって言う………」
「これです」
大作が取り出したのは、黒いアタッシュケースだった。特にロックが掛けられているわけではなかったし、質実簡素なごく普通のありふれた種類のものだった。
だが、そのために国際警察機構は命を掛けてこれを守り、BF団は取り戻すためにロボットまで出してきた。当然中身もただものではない。
「これが……なんだって言うの?」
「さあ、僕にも分からないです。ただ……」
「ただ?」
「これを取りに言ったとき、シズマ博士が変なことを言っていたんです」
「変なこと?」
鸚鵡返しに聞き返す和樹。だが一旦会話はそこで中断されることになる。
艇内に響くアナウンスが、それの元だった。
『グレタ・ガルボ、北京支部へ到着。グレタ・ガルボ、北京支部へ到着。『G』の移送を開始いたします』
すると同時に、グレタ・ガルボの腹の部分のハッチが開き、それからジャイアントロボが煙突状の整備格納庫へと収納されていった。
「さて、俺らも行くとするか」
戴宗がなれた足取りで出口へ向かう。それに大作、和樹と続いて歩いた。
搭乗口から、格納庫とは別のタラップが降りてきて、それに乗って降りる。タラップはエレベーターへと続いていて、底から格納庫へと降りることが出た。
ガラス越しに和樹はジャイアントロボに機械を使って近づく整備員たちの姿を見た。ロボの周りを複数の鉄板上のロックで固定し、チューブを接続する。そして
作業が開始されていった。
「ようし、ついたぞ」
エレベーターが開いて、ロボのいる中心部へと移動する。和樹達の歩いている端の辺りは、高さ三十メートル以上は優にある。なるべく下を見ないようにした。
「兄貴ぃ〜!!」
大きな声と同時に、奥の階段のほうから麻黒の大男と、黒髪の女性が歩いてきた。和樹はその姿に見覚えがある。確か鉄牛さんと銀鈴さんだったな……。
「お帰りなせい」
「おうっ。そっちも無事、戻れたようだな、え。どうだったい帰りは? 銀鈴と二人っきりだったんだろう? おう、おうおう」
「う、ぐふふふふ………」
だらしない顔で見焼ける鉄牛。その様子で、和樹はこの人が銀鈴に気があることは分かった。なるほど、確かに目鼻も整っていて、銀鈴はかなりの美形だった。
大人の女性を思わせる清冽さがある。
大作も同じように銀鈴を見ていると、不意に彼女と目が合う。彼女はにっこり笑い返してきた。和樹の顔が見る見る熱くなるのが自分でも分かっていた。
かなりなんてものじゃない。とっても綺麗だ。和樹は認識を改めなおした。
「そ、それより、南京じゃヒドイ目に遭いましたぜ。てっきり戴宗の兄貴が助けに来てくれると思ったのによぉ………」
すまなさそうに鉄牛から目を逸らす戴宗。しかしその顔は笑っているのが和樹には見えた。そして鉄牛の目線は、何時の間にか大作に移っている。
「それを、こんなクソガキが来るとはよお……」
だが大作も負けてはいない。きっと鋭い目つきで(もちろん子供の視点だが)鉄牛を睨み返した。
ますます大人気なく、頭に血が上る鉄牛だったが、不意のその首を戴宗の瓢箪を持っている腕に掴まされていた。そしてその勢いで、橋の下の部分まで首を支点
に投げ下ろす。
下に足が付くわけもなく、ちょうど首吊り状態になってしまった。
「おい、誰がクソガキだって? だいたいな、そのクソガキに助けられたのはどこの誰だ? え、誰だ?」
さらに首を締め上げる戴宗。もはや鉄牛の顔色は青一色に染まっていた。
あれだけの巨体を腕一本で、それも力任せに無造作に投げている。和樹はそのことに密かに目を見張ったが、此処ではありふれた場面らしい。銀鈴は肩をすくめ
て、呆れたように目を逸らしていた。
戴宗は大男を吊り下げたまま瓢箪の酒を飲んでいる。にやけながら言った。
「それとも、文句があるなら素手で闘ってみるかい、あいつとよ?」
首で前方を示す戴宗。その前にはジャイアントロボの目が光っていた。もちろん勇者ロボに比べれば単純なAIでしかない。しかし主人の悪口は許さない、と言
う威圧感は決して偽物ではないだろう。
「え、どうなんだい鉄牛? おまけにせっかく海を越えて来てくれた助っ人少年には挨拶もなしかい、おお?」
「ええ、うう、か、勘弁してくれよ兄貴ぃ……」
和樹は本当に言いのか、と内心ハラハラしていたが、大作が大きな声で叫ぶのが聞こえた。
「戴宗さん、鉄牛さん! 基地に帰ってきたからって、まだ任務が終わったわけじゃないです!」
戴宗のほうは申し訳なさそうに苦笑いを浮かべたが、もう一方はそうは行かない。先ほどまで兄貴とふざけ半分でじゃれ合っていたのが、本気になっていた。
「なにお! この、くぞがきぃ!」
足で端の横の部分をけってその反動で上に上がる。地面についたとき、大作少年の目の前には巨大な黒牛が立ちふさがっていた。
それを見たとき、和樹の体はとっさに、大作の前に出ていた。
「や、やめてください! そ、その……まだ、こ、子供じゃないですか………」
「なあにぃ!!」
鉄牛の怒りは収まることがない。それどころかますますヒートアップしている。しかし自然と、和樹はそこから離れようとはしなかった。
「二人そろって、ガキみたいに生意気にぃ!」
「い、いや…だから、そんなに怒ることなんて………」
「鉄牛!」
和樹は縮こまりながら反論しようとしたとき、一人の女神が現れた。大作と和樹の間に立って、腰に手を当て、仁王立ちしている。
その有様には鉄牛はもちろん、戴宗も一歩引いてしまう勢いだった。
鉄牛がすっかり尻すぼみしたのを確認すると、和樹たちのほうへ向きなおった。
「ごめんなさい。こいつ情緒が小学生並みなのよ」
「え、ちょっと小学生って……」
「さあ、二人とも、こんな見っとも無い人はほうっておいて、任務の報告をしましょ」
二人の男の子の肩に手が添えられる。まったく同じ風に頬を高潮させるのはまったく滑稽だったが、相手が銀鈴なのだから仕方がない。
すると、向こうのほうから、二人の男性が現れていた。
一人走っている。通信で雷王と話していたというサングラスの男だ。名は中条。この国際警察機構、北京支部の長官である。
しかしもう一人の細目の人物を和樹は知らなかった。
今にしては珍しく、着物を着ている。手には扇子を持って、髷で持って髪を結わえていた。和服で生活している人はたまに日本でもいるが、中国でもそうなのだ
ろうか?
「君が、式森和樹君か?」
口を開いたのは中条の方だった。通信自体を和樹は聞いていなかったから声を聞くのはこれが初めてだ。ゆっくりとした、しかし確かに胸の中心打つような、そ
んな声だった。思わず背筋が張るのを感じてしまう。
「は、はい、そうです」
「そんなに強張らないでくれ。今回の任務の成功は、君たちのおかげでもある」
「私からも礼を言うよ。式森君」
横から細目の人が声をかけてきた。
「ええっと………」
「申し遅れた。私は、国際警察機構エキスパートの一人、呉学人(ご・がくじん)」
「呉先生はこの北京支部の参謀格でもある。我々の知恵袋だ。それで………」
中条の目線は、大作のほうへと移っていった。
「GGGの協力のおかげで、任務は完了したと見えるね」
「はい。で、博士はメディカルルームで保護したのですが………」
「やはり、あれから何も?」
「はい、ただ………」
大作は背中に持っていた黒いアタッシュケースを差し出した。それはシズマ博士が必死に守り抜こうとしていたそれである。
「これを、呉先生にと預かってきました」
「お、おいそれ俺たちがよ…おげっ!?」
反論しようとした鉄牛だったが戴宗に腹を押され、仕方無しに断念した
呉は扇子をたたんで袂へしまうと、まるで腫れ物に触るような仕草でそれを受け取った。
「ほう、これが例の……しかし、いまさらシズマ博士が何を……!!」
開けた瞬間、常に細目のはずの呉の顔がカッと見開いていた。それだけではない、手はぶるぶると震え、顔は一気に青味が刺し始めている。中条は何とかそれを
抑えられていたが、心情はきっと同じだったに違いない。
戴宗や鉄牛、銀鈴も、その異常さに気付いていた。
「おお……これは……まさか……」
「あの、呉先生?」
「あ、ああいや! それで、大作君。博士は黙ったままなんだね」
「はい。ただ、一言だけ言っていたんです………」
和樹は思い当たることがあったので言って見た。大作がグレタ・ガルボで言いかけていた、あの言葉………。
「それって、さっき言おうとした?」
「はい。『君がジャイアントロボを操縦するような勇気は、もう私にはないんだ、そう、もう二度とバシュタールのようにはいかんのだよ』って」
「どういうこと?」
和樹は知らなかった。
『バシュタール』と言う言葉を少年が口にした瞬間、銀鈴の顔が強張ったことに。
「いえ、僕にはよく、意味はわからなかったんですけど……」
答えを求めるように、大作の目は、呉先生に移っていた。
「長官、後で少し宜しいですか?」
「うむ」
「ご苦労だったね。大作君。これは確かに受け取ったよ」
「よくやってくれたね。これからも宜しく頼むよ、そうロボにも伝えてくれ」
そういわれて、大作の顔がぱっと明るくなった。
鉄牛の顔が正反対になったのはいうまでもないだろう。
その間に中条の視線は和樹に移っていた。
「式森君。君も、整備が終わるまではゆっくりして行くといい」
「あ、はい。じゃあお言葉に、甘えさせていただきます」
本当は今すぐ帰ってもいいようなものだったが、第三新東京市での整備ミスによる敗北を思い出すと、どうしても整備無しで出撃するわけには行かなかった。も
し飛行中に落っこちたりしたらそこは日本海だ。今度こそ命はない。
第一、木竜と土竜は空を飛べないから、GGGから迎えが来るまではじっとしているしかないのだ。
とりあえずもう一方への報告をかねて、部下のいる所へと向かうことした。
が……………
「またやってしまった……」
気が付くと和樹は、北京支部の中庭にいた。一見すると普通の工場の作業風景にしか見えないが、実は一つ一つが国際警察機構の活動に欠かせないものだと言
う。逆にこれがカモフラージュにもなる、と呉先生は教えてくれた。
だがそんな事に感動している場合ではない。
定時連絡をしようと思って、木竜たちの元へいったのだが、考えてみると道を聞くのを忘れてしまった。
ネルフ本部でも同じ失敗を、和樹はもう一度繰り返したわけだ。
「どうしよう………」
作業中の人たちを無理に呼び止めるのも気が引ける。かといって休んでいる人たちなど一人も見当たらない。
仕方無しにもう少しぶらつこうかと思ったときだった、
「あれは……大作君?」
大作は手すりに座って、作業現場をじっとみつめていた。和樹は気になって、そばによって見る。
「大作君?」
「あ、和樹さん」
「何みてたの?」
「作業風景ですよ。今、シズマドライブの換装作業をやっています」
和樹も下に目をやった。土管ほどの大きさの信管が、専用の機械によってショベルカーから取り出され、代わりの信管が入れられる。ややあって、死んだように
なっていたショベルカーは、また息を吹き返し、悠々と走り出した。
これぞ、第三のエネルギー革命の源と呼ばれるエネルギーシステム、『シズマドライブ』である。
しかし………
「ええっと……シズマドライブって、何だっけ?」
ここにいる高校生は些か世間知らずだったりする。今回救出したシズマ博士と関連していることは分かるが、詳しい事は殆どわからないのだ。
「本当に知らないんですか!?」
目をむいて素っ頓狂な声を上げる大作。信じられない、という顔つきだった。彼でなくてもこういう反応はするだろう。
「ご、ごめん………ニュースは偶にしか見なくて……」
「シズマドライブの試運転が、初めて成功したのは十年前よ」
「あ、銀鈴さん」
まだ驚きを隠せなくて、大作は口が開きっぱなしだったが、そこへ銀鈴が後ろから現れた。
「開発者はベルギーの片田舎に住む五人の科学者たち。完全リサイクルで、無公害の画期的なエネルギーシステムよ。石油の埋蔵量の心配もなければ、エネル
ギー公害もない。もう世界の50パーセントは、これで賄われているわ」
「それは……戦争にも?」
「ええ、悲しいことだけどね………」
「血のバレンタインは、今となっては時代遅れに成りつつある核を使ったのが、逆に宇宙側を欺く結果になったそうです」
大作が付け加えるように言った。
新たな発明が戦争に使われるのは歴史の必然だ。発端となった事件こそ、使われなくなったが、今もどこかでシズマドライブが火を噴いているはずである。
「でも……」
大作が言った。
「シズマ博士は、そんなことを望んだわけじゃないです。本とはすばらしいエネルギー機関のはずだったんです。だから、そんな博士を救出に行けたなんて、僕
嬉しいんですよ」
それで、あんな風に笑顔で作業現場を見ていたのか。
エキスパートとは言っても、やはり子供っぽさが端々に残っている、そんな顔だった。何となく和樹はほっとした。シンジやアスカは、どこか自分よりも大人な
雰囲気があったような気がしたからだ。
そよ風が流れ出していた。
「お〜い、銀鈴」
一際大きな声が響いた。後ろを振り向くと戴宗がこちらへ走ってきているのが見える。
それと同時に、シュタっと木の柵に誰かが飛び乗る音が聞こえた。振り返ると、銀鈴が予想した通りつま先立ちしていた戴宗がいた。
「任務は終わったんだ。ぶわぁーっとどっかに遊びに行こうや!」
笑いながら両手を広げる仕草を見せる。爪先立ちを維持しながらのこの行動に、和樹は内心感動を覚えた。格納庫のときと言い、この人は本当に凄い人なのだ。
それを直感的な部分でも感じていた。
だがそんな殊勝な気持ちもこの男には届かなかった。
「え、大作。お前も、十二歳だってな。栄転祝いに、どっかいい所でも連れて行ってやろうか? え、えへへ」
もちろん『いい所』というのが、相当いかがわしい所だと言うのは言うまでもないだろう。それはさすがに和樹も分かっている。
「和樹。お前も長旅で疲れてんだろ。日本に帰る前に、いい思い出をつくろうや、はっはっは!」
「い、いいですよ……」
「それに僕たちまだ未成年………」
「お前らな、十七と十二は立派な大人だぜ」
エキスパートと言ってもやはり子供だ。そして和樹が押しに弱いのは周知の事実。こんな親父モード全開の戴宗にはかなう筈もない。横を見ると鉄牛も笑ってい
る。楽しんでいるのだ。
しかしまだ二人には光明があった。これも言わずもがな、銀鈴である。
「だめよ。こんな人たちと一緒にいると、どうしようもない大人になっちゃうわよ」
そう言って二人を睨み付ける。いや、顔だけは笑っていたが、それが夜叉か修羅の如くに二人は見えたのだ。もちろん銀鈴は和樹に大作に表情を見えないように
している。
「どうしようもない………」
「大人………」
鉄牛が戴宗を指差すと、今度は兄貴のほうが弟分を突き出すような仕草で刺し返す。どちらが『どうしようもないか』の擦り付け合いらしい。
「それに、GGGの長官に聞いたけど、和樹君にはもう奥さんがいるらしいわよ」
「な、な、ななななな何ぃ!?」
鉄牛の体が漫画の如く飛び上がった。そして本人の心臓も同じぐらいに飛び上がっている。何でそんな事を父さんが………。
しかしそれを和樹が撤回するよりも早く、鉄牛にはさらに追い討ちが掛けられた。
「それに、大作君はお姉さんとデートするのよね」
「え………!?」
大作は戸惑うだけだが、この大男には三倍のダメージだったらしい。
「ぶわああああ!!! で、でええとお!?!!?!??」
「そうよ」
もし和樹が読心術を自在に使えていたら、今心の中でデートから始まり結婚披露宴で終わっている鉄牛の妄想をたちどころに読むことができただろう。そしてそ
れがガラガラと音を立てて崩れていくことも。
「あ、あの……僕、いいです!」
「あれ、大作君!?」
突然、和樹の制止を振り切って、大作は柵を越えて芝生の上を走り出した。
「大作君ってば! 何処行くのさ?」
「整備の手伝いに! ロボが待ってますから!!」
声が小さくなっていった。
(整備なんて、周りの人たちがやってくれるのに………)
彼に専門的な知識があるとは思えない。おそらく大作のできることはほんの一握りだろう。それなのに彼は手伝いに行ったのだ。彼の声には真面目さが篭ってい
たから、ここから脱出するための詭弁ではあるまい。
ここに来てから、感動することばかりだな………
そんな風に思っている和樹を尻目に、鉄牛は最後の抵抗を、弱々しくも試みていた。
「あ〜あ、振られちゃったか……ん?」
「あ、あの………良かったら………」
「良かったら?」
「で、で……でえと………」
もちろん玉砕だが………
「行ってくれば。戴宗さんと二人で、いい所でも」
そう言い捨てると、銀鈴は向こう側へと歩いていってしまった。
これが、僅かに残っていたガラスの様な心が、見るも無残に砕け散った瞬間である。
さっき感動したばかりだったのだが、和樹はまたも現実に引き戻されるという、ちょっとした温度差を感じた。
「やるか………」
流石に哀れに感じたのか、戴宗が柵から降りて、鉄牛の肩をポンポン叩いている。
そしてふと、和樹の方へと向き直った。
「和樹、お前も付き合っちゃくれねえか?」
「え!?」
一瞬身構えた和樹だったが、それ入らぬ苦労だった。
「これじゃ余りにも惨めだからよ。なあに、酒を飲むだけだ。変なトコには行かねえさ」
「はあ………」
鉄牛のほうに目を落とすと、彼はもう睨み付ける気力も無くなったらしい。和樹には彼が、これからお肉屋さんに並ぶ運命の『解体直前の松坂牛』のように見え
てしまった。
こんな時、同情心や親切心というのはとても面倒なものとなる。
つまり、表面上それを断ろうとしても、はやりお人よしはお人よしということだ。
深いため息をつきながら、少年隊長はこう思うのだった。
(定時連絡は明日の朝になりそうだな………)