『風 の聖痕〜The One AIR-REAL〜 』

1st Wind −愚かなる者たちT−

 

 

 

 

「くそ! くそ!! 邪魔だ――どきやがれッ!」

 

 ネオンや車のライトで昼のごとく眩しい深夜の街中で、その男はなにかに取り憑かれたかのように人ごみ を掻き分けていた。

 身体をぶつけられよろめいた中年サラリーマンがなにかを言おうとも、金髪ピアスのいかにも≠ネ青年 が肩を掴もうとも、その男は走るのをやめようとしなかった。

 

 なぜなら、その男は追われていたから。

 

 

「ハァ、ハァ、ハァ、ハ――」

 

 光あふれる街中から一転して、さまざまな色が入り乱れた暗闇の路地裏を、その男はただひたすらに駆け 抜ける。

 時折、恐慌の入り混じった目で背後を振り返るが――なにもない。だが、気 配はある(・・・・・)

 

コツ……コ ツ……

 

「ヒ――ひひ、糞ッなんだってんだいったい……!」

 

 もうかれこれ4キロ以上は走っただろうか、息は切れ膝はがくがくと揺れ疲労を訴えてくるが、それでも 男はついてくる気配に恐怖し、一心不乱に走りつづけている。

 

 男は、 『情報屋』 と呼ばれる類の無法者(ア ウトロー)だった。

 あまり誉められた事ではないが、その筋≠フ人間には必要不可欠ため、彼のような情報屋はこの人種入 り乱れる日本の――東京ではあまり珍しくもない。

 その主な仕事は他者の秘密を仕入れ、それをまた別の他人に売りさばいて報酬に金を受け取る慮外者その もの。

 だからこそ、男は危険と隣り合わせである事に対する覚悟はあったし、そういった事柄にも慣れていた し、そこそこ優秀だという自負もあった――

 

(だが……コレ≠ヘなんだ!?)

 

 中身の詰まったポリバケツをひっくり返し、ささやかな日々の糧を漁っていた野良猫を蹴り飛ばし、身体 をどこへぶつけようとも一向に気にもとめず、ただひたすらに前だけを見て逃走する。

 

コツ…コ ツ、コツ……

 

 追ってくる気配≠ヘいまだつかず離れず、一定の距離を置いて迫ってくる。

 

(くそ! 今回の仕事はあの企業の“弱み”を見つけ出せば良いだけの、簡単な仕事だったはずだったのに ――)

 

 男はそう心の中で毒づきながらも、走る足を止めない。止まってしまえば……助 からない(・・・・・)と、頭のどこかで気付いてしまっているから。

 だから例えこの足が明日使えなくなってしまったとしても、止まれない。

 止まらない――つもりだった。

 

コツ、コ ツ……コツン

 

 

「ハァッ、ハ――へぶっ!?」

 

 急に体が浮いたような感覚に見舞われ、男はしたたか地面に顔を打ち付ける。

 何事か――と、足元を見るが……そこには数m後ろに転がっている己の両 足(・・・・・・・・・・・・・・・)と、膝 から下が存在しない己の両足(・・・・・・・・・・・・・・)()())が あるだけだった。

 

「――――――ぁ?」

「やれやれ……やっと、追いつけた」

 

 あまりの事に痛みも忘れ呆然となっていた男に、その“影”は声をかける。

 全身を、それこそ頭の先からつま先まで現実ではありえない黒≠ナ統一したその影は、ゆるりとした動 作で倒れている男へと手を差し伸べ、

 

「さて……いい加減私も仕事を切り上げたいのだがね? その前にせめて依頼人の名は明かしてくれまい か?」

 

 ニタリ、と、紅い唇を薄く開け嗤いかけた。

 

「――ぁ……あぁあ……あああぁああぁあぁぁああああああああ!?」

 

 痛い、痛い、痛い、血が、足が、痛い、足が、痛い、痛い、痛い、なんで、あしが、なんで、なんで、な んで、なんで、なんで、無い、無い、足が、存在しないなんて、痛い、痛い、痛い、怖い、憎い、痛い、痛い、狂いそうだ、この影は、この影か、足を、痛い、 オレの、足が、無い、無い、ない、怖い、なんだ、痛い、足が、痛い、痛い、血が、血が、止まれ、この影か、痛い、怖い、痛い、痛い、怖い、怖い、怖い、怖 い、怖い怖い怖い怖い怖いコワいコわイコワイコわイコワイコワいコワイコワイこワイコワイコワイコワいコワイコわイコワイコワイこワイコワイコワイコワイ コワイコわイコワイコワイこワイコワイコワイコワイコワいコワイコワイコワイコワイこワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイ コワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイ コワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイコワイ――――

 

「私とてこのような事は本望ではないのだよ。まったく、上≠熕l使いが荒い……聞いているのかね? 「あぁぅ…ぅあぁぁ…」 …………だめか、狂っ たか(・・・・)

 

 そう言うと、影≠ヘ正気を無くしわめき散らす男に興味を無くしたかのように差し伸べていた右腕を振 り上げ――――おろした。

 

――ザシュ

 

 その動作だけで男の首はまるで手品のように刎ね飛ばされ、男は 「クソッタレ――――この、神 凪(バケモノ)が、」 という言葉だけを残し、永遠に目覚めることの無い闇 の中へと落ちていった……

 

 

 

§◆◇◆§

 

 

 

 ――神凪グループ。

 その名はこの日本に住むものならば一度は耳にした事があるだろう。

 戦後の激動の時代を生き抜き、現代では情報統括(マ ルチメディア)から学校運営(スクールマネジ メント)、果ては貿易外資産業取引(インダス トリアルトレード)まで網羅する一大複合企業。

 その影響力はすさまじく、警視庁総監や時の総理大臣すら彼らの前ではまともに顔を上げて歩けないとま で言われている。

 そのような大企業ならば当然のごとく外敵も数多く存在する――はずなのだが、彼らにはそのようなわず らわしい羽虫などみじん(・・・)も存在しえ なかった。

 理由は簡単。ただ単に、彼らが『普通』では無かったと言うだけのお話。

 

 彼らの祖は千年の昔この世界を平定し作り上げた存在たる一柱、炎の精霊王の加護を承りし契 約者(コントラクター)

 その血を引く彼らこそ、日本を影より支えてきた屈指の退魔術者――『炎術士 』の一族。

 

 曰く――

 ――その炎はあらゆる魔を焼き払い、不浄を清める浄化の炎。

 ――その意思は数多の精霊を呼び集める強靭無比。

 ――その身は決して侵されることのない比類なき耐火の鎧。

 

 そんな彼らではあるが、その威を放てるのはあくまでも裏の世界≠ナの話。

 だからこそ彼らは、自らに奴属している『風牙衆』と呼ばれる風術 士の一族を使い、表の世界≠ヨと踏み込んできた。

 元からそこにいたものとしてはたまったものではない。なにせ秘匿されているとはいえ異能≠持つ人 間が自分たちの領土に入り込んできたのだから。

 科学≠持って己の領土に踏み込んできたのならまだ対応のし様はあったかもしれない。しかし、異 能≠ノ対応できるものは異能≠フみ。それを、表の世界≠フ住人たちは知らなかった……

 結果、表の世界すら土足で踏み荒らすことに成功した神凪は、より増長し、より慢心し、より傲慢にな り、 『自分たちは精霊王に祝福されし選ばれた人間だ』 と誰はばかることなく言い始めるのであった。

 それが、 『風牙衆』 がいたからこそ為せた事だということに、気付きもせずに……

 

 

 

 だがそんな慢心だらけの炎術士の一族にあって、唯一の例外たる者がいた。

 

 『神凪 和麻』 。神凪の、しかもその最も血の濃いであろう宗家に生まれながら炎の加護を持たない無 能者(まがいもの)

 しかしだからこそ慢心することなく、されど誰からも虐待されることとなってしまった悲哀の子……

 

 

 

§◆◇◆§

 

 

 

「っが! …ハ――」

 

 重度の炎症で焼け爛れた左腕を抱えながら、その少年は地面を転がる。

 

 ――打ち据えられたカラダが痛い。貶められたココロが痛い。

 

 痛覚など麻痺してしまえと怨嗟の声を上げようとするが、潰された声帯では全てうめき声となってしまい 言葉にもならない。

 少年の身体はまさに満身創痍。骨は軋みひび割れ、肉は破れ血を流す。かろうじて動く指で地面を掻く が、それも無駄な抵抗。爪に泥が入り込み、それで終わる。

 

 ――カラダはすでに半壊(ボロボ ロ)。ココロは当の昔に伽藍洞(カラッポ)。 だけど痛みは感じる。なんていう矛盾……

 

 思考は過剰なまでの熱気に警鐘を鳴らし、神経は焼かれ悲鳴をあげる。

 だが“死”の気配はない。そもそもこれを行っている者たちに、今はまだ(・・・・)そ こまでの意思はないのだから。

 倒れ伏した少年を取り囲むのは数名の人影。その年齢性別はまさにばらばらで、高校生くらいの者達もい れば、まだ小学校にも入っていないような幼児の姿まで一貫性無くその場に集まっていた。

 そんな彼らにある、ただ一つだけ共通点。

 それは侮蔑を含んだ野卑た笑み。上位者が下位者を見下すそれ≠ナあった。

 

「ヒャハハハハハ! ダッセェ、このガキ一応は(・・・)宗 家の奴なんだよなぁ? なのに火傷してやがるゼェ」

「しょうがないよ透くん、だってこいつ『無能者』だもん」

「おいおい、違うだろぉ、こいつは『無能』なんかじゃないだろ?」

「?」

「火傷して地面を芋虫みたいに転がる『才能』があるじゃないかよ」

「あっははは! 確かに!」

 

 周囲にいる者達は口々に罵りの言葉をかけてくるが、攻撃をしてこようと言 う気配はなくなっていた。

 いつものように(・・・・・・・)こ のままじっとしていれば、やがて飽きてこの場から去っていくだろう。

 少年――和麻は、その時をただ待てばいい。

 

 

――ホントウに?

 

 

 頭の隅でそれを否定する声があるが、だが他にどうしろというのか。

 和麻は炎術士、神凪の系譜にありながら炎≠持たない。

 それどころか神凪の一族ならば誰にでもある炎に対する耐性も無い。

 だからこそ、和麻は周囲に無能者とあざ笑われる。

 

 悔しいと思う気持ちはある。力が欲しいという意思もある。だけど、それは全て徒労に終わった。

 死ぬ直前まで体を鍛えたこともあった。脳の神経が焼ききれるかと思うほど術法にのめりこんだ時もあっ た。

 おかげで同世代の中では抜きん出た力と頭脳を手に入れたが……炎≠セけは手に入れることはなかっ た。

 だからこそ、和麻は理不尽とも思える迫害を受けつづけている。

 

 

 周囲の雑音はいつも通り、代わり映えのない倒れ伏した和麻(ま がいもの)()を 罵る呪い。

 

 

 

『無能者』               .

 

 

                         『炎も使えない欠 陥品』

 

 

『恥知らず』                            .

 

 

              『神凪の汚点』

 

 

『間抜け』                 .

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――『要らない子』――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――『なぜ、貴方のような子が生まれたのかしらね……要らないわ、こんな子』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「ぁ――――あ゛ああ゛あ゛ぁぁぁ゛ぁぁ゛ぁぁ!!!!」

 

(やめろ! よせ! もうこれ以上僕のキズを見るな!)

 

 和麻にとってその一言はなによりも耐えがたい苦痛。

 その一言を聞くだけで和麻の心は脆い硝子のようにひび割れ、四肢に力が戻る。

 

(無能者でも良い! 欠陥品でも構わない! 恥知らずでも汚点でも間抜けでも――なんでもいい!)

 

 奥歯を噛み締め、崩れ落ちそうになる足に力をこめて立ち上がる。

 

(だけど……ッ! だけど僕を否定だけはするな!!)

 

 その様子に、周囲を取り巻いていた少年たちは一瞬怯み、けれど次々と野卑た笑みを浮かべその手に 炎≠生み出す。

 

「能無しがいっちょまえにほえるんじゃねーよ!」

 

 周囲を取り囲んでいた者たちの中で一番体が大きい少年――久我 透の掌から炎の塊が放たれる。

 

 

 神凪の特性――炎。

 それは神秘でも現象でもない、血の連鎖によって過去より受け継がれてきた異能。

 神凪の血に連なるものならば、力の大小はあるが誰でも使える技。

 それは、物理現象における炎とは一線を画し、『精霊』と呼ばれる存在に干渉し、現世へと顕現化させた不浄を焼き清める異能の炎技。

 故に、その炎には『浄化』の秘力が宿る――

 

 

 だが透が作り上げたそれは、見るものが見れば精霊の召喚数も、術法の圧縮もなっていないただの抜け 殻。確かに一般人には脅威だろうが、そんなものは身体を苛烈なまでに苛め抜き、術法の習得に意義を傾けた和麻の前ではろうそくの炎に等しかった。

 

 ――体が万全であれば(・・・・・・・・)、 だが。

 

 炎は顔をめがけて一直線に飛んでくる。それを、和麻は霊力を圧縮した右手で打ち払い、体を地面すれす れまで落とし込み一直線に駆け抜ける。

 打ち払った反動で小指の骨が嫌な音を立てて曲がっていたが、そんな事よりも優先すべきことが和麻の目 の前にはあった。

 それは、この自分を否定する言葉を吐いた敵対者の汚らしい口を一刻も早く閉じさせること。

 そのためならば和麻は己の身体の限界すらもたやすく無視できる。

 先程とは一変して手負いの獅子の如き俊敏さで迫る和麻に、幾人かは反応はできていたが、その動作はあ まりにも愚鈍。

 脇をすり抜ける際反応できていなかった二人に対し、手前の少年には下から突き上げるように水 月(みぞおち)に拳を叩き込み、その横にいた少年には顎へと膝を叩き込んで 昏倒させる。

 

(足を止めるな――止まったら、狙い撃ちにされる)

 

 打ち倒した少年の一人を盾とし、和麻はそのまま近くにいた少女へと突っ込む。

 少女はそれに反応はできていたが、盾とされている少年が目に入ってしまい手にした炎を放つことができ ずにまともに体当たりを食らい、そのまま地面に倒れこんだ。

 残るは四人。そのうちの二人は距離が離れすぎている為に不意をつく急襲は不可能。残る二人のうち一人 は自分の背後、死角の位置から精霊を召喚し炎を生み出そうとしているが、元より隠形に不得手で精霊の召喚に時間が掛かる炎術士が不意をつくなどということ は愚の骨頂。

 隠そうとしても隠し切れない炎の精霊の気配を頼りに、和麻は前を向いた まま後ろに跳躍し(・・・・・・・・・・・・・)、多少の火傷を覚悟で身体 ごと背後にいた少年にぶつかり、身体を入れ替え首筋に手刀を叩き込んだ。

 これであと三人。だがその三人が問題だった。

 少年たちは和麻の急襲にようやく対応し、各個撃破をされないように一箇所に固まりすでに炎の召喚を済 ませていた。

 これではいかに体術の優れた和麻であろうとも容易に踏み込むことは不可能。

 例え踏み込めたとしても今の和麻では霊力の圧縮による炎の防御はあと一回が限度。立て続けに放たれれ ば避ける暇も無く焼け焦がされ再び地面を舐めさせられるだろう。

 

 ここに至り和麻は己の失敗に気がついた。

 満身創痍の状態で、なおかつ多勢に無勢の場合まず成す事は頭を潰す≠アと。

 頭、つまりは首謀者、もしくはリーダー的存在を倒された場合集団的存在は一時的ではあるがその敵対者 が自分たちの中で一番強いものよりも強い≠ニ言う認識をもってしまい、軽い恐慌状態へと陥る傾向がある。

 そんな状態では本来の実力など出せるはずも無く、あっけなく集団は瓦解するはず――だったのだが、今 回和麻はそれをせずに現状の自分で倒せる弱い敵≠ゥら相手にしてしまっていたのだ。

 そうなると当然のごとく弱い敵との戦いで無い体力はさらに削られ、結果強い敵をさらに強くしてしま う。

 だから和麻の抵抗はこれで終了。すでにガラクタと化していた和麻の体は己の失策と言う現状に愕然と し、頭では動けという意思はあるのに体はそれを拒否してしまっていた。

 そこに付け入らないほど、少年たちは馬鹿ではない。

 

「ぐぁ!」

 

 足の止まった和麻は三方より炎の爆風をまともに受け、再び地面に吹き飛ばされた。

 

「ったく、クズが。ちょーっとこっちが油断してるとすぐかみついてきやがる」

「ほんとだよねー。ほらシンジ〜なに無能にやられてるんだよ、おきろよー」

「ぅ……けほっ、けほ。この、無能もののくせに……」

「ねぇ、コレ壊しちゃおうよ」

「そうだよそうだよ。神凪なのに殴ってくるなんて失敗作=A壊しちゃえ」

「いらないよねー」

「息してるだけで害悪だよな」

「せっかく燃えるんだから燃やしちゃおうよ」

「えー、でも殺すとあとが面倒だぜ?」

「ころさないよ、せっかくのおもちゃ≠セもん。直せるくらいにこわすだけー」

「じゃ俺いっちばーん」

「あ! ずっるーい。じゃぁあたし二番〜」

「――――!」

「――? ――♪」

「――――、――。―――、――」

 

 それは炎に耐性のある神凪だからこその無邪気

 それは炎の精霊王に選ばれた一族だからこその狂気

 それは、真性愚者だからこその行為=\―

 

 先に打ち倒した四名も加わり、少年たちは再び和麻に理不尽とも思える暴力を、自分たちが優越感に浸る ためだけのくだらない儀式≠続けようとした――

 

――― って ――― ―― !」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 呆然と、空を見つづける一対の琥珀色の瞳。そこに光は無く、そこに意思は無い。

 血と涙と泥と火傷で汚れた体は、常に鈍い痛みを訴え、和麻にまだ生きている≠ニ訴えていた。

 

(生きてる……? はは、生かされてる(・・・・・・)の 間違いだろ)

 

 そう自嘲しながらも、和麻は動かない。別段動かせなくも無いのだが、今はこのどこまでも蒼く遠い空を 眺めていたいと思っていた。

 遠くを……鳶だろうか、逆行で黒い影となっている鳥の姿を目の端で捉え、試しに掴もうと痛む腕を伸ば してみるが……当然届かない。

 鳥はそんな和麻に気付きもせずに悠々と自由自在に空を翔けている。

 

 

 目に見えるのに腕を伸ばしても届かない空――

 ――欲しいと思っても手に入らない炎。

 どこか、似ている……

 

 

 ――いつも自分は欲しいと思えるものを手にすることは無かった。

 神凪の炎。

 親からの愛情。

 心を許せる友達。

 自由――

 

 

 何一つ、普通の子供ですら簡単に手に入れられるものを、和麻は持っていなかった。

 

――ココロが空虚で満たされる。

 

 与えられるものは望まない嘲笑、暴言、暴力、火傷、侮蔑、虐待、無視。

 いつか“炎”を手にすることができれば、それらは無くなるだろうという微かな期待もあった。

 だがそれが叶うことは決してなかった。今まで生きてきた十二年。同年代の子供たちの何倍もがんばって きた。大人達でさえも裸足で逃げ出すような過酷な修行をやり遂げたこともある。

 

――ガキリ、と音をたてて歯の根がかみ合わさる。

 

 血を吐き、肉を刻み、意識を刈って、それでも炎≠ヘ手に入らなかった。

 父親は息子のそんな姿にに呆れ果てたのか、最近では顔を合わせても声をかけてくれることは無く、ただ 侮蔑の含まれた瞳で汚らしいものも見るように無視されるだけ……

 母親は当の昔に和麻を見限り、今ではまともに顔を合わすことも無く生まれたばかりの弟に意識の全てを 向け、稀に会ったとしても、まるで他人の子のように扱われる日々。

 もはや、自分にはなにも無い。ただ生きているだけの屍だとも思ったこともあった。

 だけど、諦めきれなかった。諦めてしまったら、今までの自分の頑張りはどうなってしまうのか、ただ無 為に過ごす為だけに生まれてきたのかと、そんなことは到底許容できなかった。

 

――握り締めた掌から血が滴り、地面を濡らす。

 

 誰かに認めてもらいたくて、今まで頑張ってきたのに……

 頑張ったその先に結果があると信じて、今まで生きてきたのに……

 たかだか十二年程度で諦めてなるものか(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)と。 泥を食み、肉を削り、血を啜って来た今までの自分は無駄ではなかったと証明する為に、和麻は再び立ち上がる。

 

――虐げられた体が痛むが、それすらも己を鼓舞する原動力と成す。

 

 希望は、ここにある。外に炎を出せないのならば、せめて心に火を灯せ。

 諦めは全てを殺す。ならば諦めるな、自分はまだ生きている、立ち上がれる。

 

――立ち上がるその姿はあまりにも脆く、されど絶対なる芯を得て大地を踏みしめた。

 

 死は、逃避だ。尻尾を巻いて逃げるなんて無様な真似……自分には到底許容できないし、してなんてやら ない。

 例え世界の全てが敵になろうとも、この努力が無駄になろうとも、この思いはきっとなにかを自分に残し てくれるからと、それだけを信じ、和麻は立ち上がる。

 

――それはなんて滑稽で、でも尊い愚者の姿。

 

 傷だらけの体に渇を入れ、伽藍洞の心に火≠灯し天を仰ぐ。

 この日、和麻は空に誓いを立てた。

 いつかきっと、自分は炎≠ニ、このただ一つの本当の空(The One AIR-REAL)を手にしてやる。と――――

 

 

 

§◆◇◆§

 

 

 

 結論から言えば、和麻が炎を手に入れることは無かった。

 あの誓いからすでに四年の月日が経過しており、その間和麻は文字通り死に物狂いで修行に打ち込んだ。

 鬼気迫るとはまさにこの事。その姿を見た分家筋の人間は、無能者がなにをと最初は嘲笑していたが…… 一年、二年と続くにつれ嘲笑の数は減り、畏怖の念が周囲を支配していった。

 

 ――なぜ、あの無能者はあそこまで耐えられるのだ。

 ――あれは人じゃない、鬼だ。鬼子だ。

 ――あれが無能者だと? 馬鹿を言うな、あれは自殺志願者だ。

 

 その声が広がるのと比例して、和麻に近づく人間の数も減っていった。同じように、いじめようとする者 たちの数も減っていったのだが、そんなことは和麻の知ったことではない。

 和麻が欲したのはただ一つの炎≠ニ、その先にある空=Bそれさえ手に入れられるのならば、他のな にをも犠牲にする覚悟はあった。

 無論、勉学にも励んだ。

 睡眠時間を削り、古今東西さまざまな術法を学び、それを取り入れ応用し、自らの血肉と化す日々が続い た。

 

 

 それでも、炎は手に入らなかった。

 

 

 何度諦めようと思ったことだろうか、何度挫けるかと思ったか、それでも、和麻は愚直なまでに立ち上が りつづけた。

 だが、人の道を踏み外すことだけは無かった。そんなことで手に入れた力など、塵芥の価値も無い。あく まで自分の力で炎を手に入れなければ満足できないと、あの空≠ヘ手に入らないと、更なる修行に明け暮れた。

 そんな折、和麻に一つの転機が訪れる。

 ある晴れた夏の日、和麻がいつものように修行に明け暮れる姿を見た宗主――重悟が、己の娘に何か得る ものがあればと持ちかけた提案。

 『ともに修行をしてみてはくれぬか』と。

 和麻はこれにやや紆余曲折はあったものの肯定の意を表した。それが、和麻にとって心の底より渇望した 一つを与えてくれるとは露にも思わずに……

 

 

 

 

 


 お初にお目にかかります紳士淑女諸卿方。小生『-IX(クー)-』 と申します。以後、良しなに。

 『風の聖痕〜The One AIR-REAL〜』第1話、いかがでしたでしょうか?

 

 原作においてはただ単に退魔の家系の神凪ですが、それだけで綾乃の制服(時価ウン億?)を何着も用意 したり、毎回(笑)壊れている本邸の修理にかかる金額を工面できるとは自分は到底思えません。

 退魔の仕事での収入がいかに大金だろうと、そんなに数は多くないと思いますし(そんなに多かったら特 殊資料整理室(けいしちよう)だけでもみ消せないと思います。はい。)

 ですので、オリジナル設定ではありますが神凪には表の顔として大企業を営んでもらいました。

 それにいくら人とは違う“力”があるとはいえ、現代社会に生きる老若男女がここまで性根がひん曲がる のはいささか無理があるかな? とも思いましたし。

 科学主義(ロジック)に おける現代では、超常主義(オカルト)は排斥 される傾向にある……とはいささか言いすぎかもしれませんが。

 でも正直な話、いきなり超常現象を目の前で見せられても、大多数の人は『それってタ ネのある技術(トリック)だろ?』と思ってしまうのが現代社会の悲しい ところ。

 ならば退魔の家系(オカルト)で ある神凪は、現代社会においてはかなり肩身の狭い思いをしていなければいけないのではないのでしょうか?

 小説(ファンタジー)現 実(リアル)の話を持ち込むなと言われてしまえばそれまでかもしれません が……

 そんなわけで、この作品においては神凪は現代社会でも超常社会でも傲岸不遜であれるようにと表・裏両 極においてそれなりの地位があるように致しました。

 

  -IX- 拝。

 

 

     

 


本日のNG集

 

 

「くそ! くそ!! 邪魔だ――どきやがれッ!」

 

 ネオンや車のライトで昼のごとく眩しい深夜の街中で、その男はなにかに取り憑かれたかのように人ごみ を掻き分けていた。

 身体をぶつけられよろめいた中年サラリーマンがなにかを言おうとも、金髪ピアスの“いかにも”な青年 が肩を掴もうとも、その男は走るのをやめようと……

 

「おいちょっとまてよおっさん」

「はい?」

「人にぶつかっといて謝罪もなしなんてありえないよなー? あぁ?」

「えーっと……」

「カーット! ちょっとちょっと誰よエキストラ担当の子? 一般の人入っちゃってるじゃない!」

「すすす、すみません室長!」

「熊谷くん? ダメじゃないもっとしっかりしてくれなきゃ」

「はいぃ……」

 

 警視庁特殊資料整理室室長、橘 霧香。

 本編では出番が無いがその溢れるカリスマと有能性で監督役に絶賛大抜擢中。

 

 

 

 

「ちょっとー、こっちの助けはー? ねーちょっとーー!?」

「さーおっさんよー、誠意ある謝罪っての見せてもらおうかー?」

「あーーーー……」

 

 

 

 終われ

 


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