風の聖痕〜The One AIR-REAL 〜』

2nd Wind −明かされる嘘、秘される真−

 

 

 

 

 真実とは時に隠匿され、時に破却される。

 それを“不都合”と思う人間がいるのならば、その傾向はより顕著に現れる。

 だがその真実を秘されていた側が知ったとき、その真実はいかようにして暴かれると言うのだろうか……

 自らが知らされていた嘘の真実を真と捉えるのか、それとも明かされた本当の真実を真と捉えるのか。

 良くも悪くも真実は一つきり、それを、少女はこの日、痛いほど痛感することとなった――――

 

 

 

§◆◇◆§

 

 その日、綾乃は生涯初めてというくらい困惑していた。

 その原因が、目の前にいる老年の教師。

 それ自体は良い。人の良さそうな笑みを浮かべた好々爺然としたこの教師は、綾乃が通うことになった小学校でも“物分り が良い”という評判で生徒からも他の教師たちからの信頼も厚かった。

 綾乃も実際に話をしてみてそれには納得していた。この教師は確かに嘘はつかない。自分たちを子供だといって煙にまいた りもしないだろう。ならば、自分は何に困惑しているというのか。

 それは、この教師と話をしていた内容にあった。

 

 

 

 

 

「せんせい、おはようございます」

 

 朝の登校時間よりも少し早い時刻。そんな時間帯に、少女――綾乃は廊下を歩いていた初老の教師へと声をかけた。

 厳格な父親の教えを良く聞き、目上の者に対しては礼節を持って接しろと日々言われていたおかげか、綾乃は同年代の子供 たちよりもやや大人びた言動をしていた。

 そのおかげか教師たちの覚えも良かったのだが、この老教師だけは少し違っていた。

 

「はい、おはよう。えぇと、君は確か……」

「かんなぎ あやのです。せんせい」

 

 幼いながらもきちんとした挨拶をする綾乃に、老教師はふむと感心するとともに、はてと少し考え込むそぶりを見せた。

 その様子に、綾乃も少しだけ首をかしげた。

 自分はなにか変なことをしたのだろうか? と。

 しかし、それは杞憂に終わり、更なる困惑を招き寄せた。

 

「あぁ、はいはい。君があの神凪君の……道理で」

「? あのせんせい。かんなぎ君って……」

「あぁ、すみませんね。神凪 和麻君のことですよ。私も長いこと教師を続けてきましたが彼ほど優秀な生徒は初めてでしてねぇ、それで『神凪』という名前に印象が深かったんですよ。気分 を害してしまったのならすまないね」

「――――ぇ?」

 

 ――いま、この目の前の老教師はなんと言ったのだろう。

 

『……ましたが彼ほど優秀な生徒は……』

 ……優秀? 神凪の家で『無能者』と言われ続けている和麻が優秀だと、この老教師は言ったのだ。

 それが、綾乃には何の冗談かと思えた。

 

 『優秀』。その言葉で和麻が呼ばれたことなど、一度として聞いたことが無かったから。

 『優秀』。自分は常にそう呼ばれていたから。だから自分以外がそう呼ばれるなんてありえないと思っていたから。

 

 だからこそ綾乃は困惑していた。

 『無能』といわれている者が『優秀』だと言われたことを。

 

「せんせい、かずま……さんって、そんなに優秀だったんですか?」

 

 綾乃の中ではそれを知ってどうするという考えは無く、ただ単純に知りたいという純粋な好奇心から出た言葉だった。

 神凪内において『無能』と呼ばれている者が、神凪外で『優秀』と呼ばれたことに対して。

 今の今まで名前と、ただ『無能』という認識しかしていなかったはとこに対して――

 

 

 

 その老教師の話は、ある意味綾乃にとっては別世界の出来事だったと言ってもいいだろう。

 テストを行えば毎回高得点を取り、その頭脳はすでに小学生のそれでなく、有名私立校からの声も掛かっていたほどだった と言うこと。

 体を動かすことに至っては大人顔負けの動きを見せ、その運動神経は有名スポーツ選手のそれと比べても見劣りしなかった ということ。

 それを、老教師が和麻の担任となった“小学3年生”の時点で成してしまっていたと言う事を――

 

 実際にその場面を目にしていないものならば100%信じないような風景が、まるで御伽噺のような“ホントウ”が、その 話の中には広がっていた。

 綾乃も実際に最初は信じていなかった。だが、老教師の話をするときの真剣な顔を見ていて、無条件で『あぁ、この話は本 当なんだな』と受け入れていた。

 人間嘘をつくときは必ず顔に出たりどこか言動が不審になってしまうものだ。例え嘘をつくことに慣れた人間でも、目を見 ればどこかしら無理をしているのがわかってしまう。

 だけどこの老教師の瞳にはそれが無い。それどころかその瞳に浮かぶものは純粋な期待。まるで我が子の成長を喜ぶかのご とく嬉しそうに話をする老教師の言葉を、いったい誰が嘘だと断定できるというのだろうか。

 だからこそ綾乃の『好奇心』は『興味』に変わった。

 それほどまでに凄い人なら、なぜ神凪では『無能』と呼ばれているのかと。

 その在り方は、まさに自分の目指す『完璧』そのものではないかと――

 

 老教師の話は続く。それこそ、チャイムが鳴らなければ(・・・・・・・・・・・)そ のままずっと話を続けてしまうのではないかと思えるくらいに。

 だが時間は永遠ではなく有限で、老教師の話は無粋(・・)()チャ イムの音とともに終わりを告げてしまうことになる。

 

キーンコーンカーンコーン……

 

「おや……もうこんな時間でしたか」

 

 老教師はいかにも 『まだ話し足りないのに』 と苦そうな顔をし、「すみませんね、老人の話は長くて、退屈だったでしょう? さ、授業が始まりますよ、教室に入りなさい?」 と言って、綾乃を教室の中 へと招きいれた。

 綾乃もそれに残念そうな顔で応じ、だけど心の中では別のことを考えていた。

 

(今日かえったらお父さまに言ってかずまさんと話をさせてもらおう)

 

 と。

 それは本来ならばありえなかったはずの邂逅の予兆。

 少年はこれをもって与えられる機会を得、

 少女はこれをもって目指すべき導を得ることとなる。

 

 

 

§◆◇◆§

 

「お父さま、お父さまー」

 

 ドタドタと、綾乃は学校から帰って早々回りの者への挨拶もそこそこに廊下を駆け、宗主――父である重悟の部屋へと急い でいた。

 その様子を見るものはいても咎める事はしない。

 綾乃は宗主の娘であり、次期宗主かもしれない娘なのだ。この程度の些事で咎めていては、宗主の覚えが悪くなってしま い、ひいては家名に傷をつけてしまうかもしれないという危惧があるからだ。

 幼子の道徳教育よりも自己の保身が優先とは……馬鹿らしい話ではあるが、いかに神凪と言う一族が権力に依存し、それに 頭を垂れているかがうかがえる。

 そんな事実は露にも知らず、綾乃は満面の笑みを浮かべながら宗主への部屋のふすまをノックもなしで開け放った。

 

「ねーねー、お父さまー」

「……綾乃、ただいまの挨拶はどうした?」

 

 楽しそうに部屋へと入ってきた娘に、内心では満面の笑みで迎えてやりたいと思いつつも、宗主としての体面や片親である が故に娘に対して頼れる父親でありたいと言う子煩悩な思いから眉間にしわを寄せ、あくまで形だけは厳しく重悟は綾乃を部屋へと迎え入れた。

 その様子に綾乃は慌てて一旦廊下まで下がり正座をすると 「ただいまかえりました、お父さま」 と平伏する。

 それを確認して、重悟はやっと笑みを浮かべ改めて綾乃を部屋へと招き入れた。

 

「お帰り、綾乃。ずいぶんと楽しそうだったが……学校でなにか良いことでもあったのかい?」

「うん! そうだけど、そうじゃないの!」

 

 笑顔で迎え入れられたことがよほど嬉しかったのだろうか、綾乃はカバンを放り投げると、トスンと重悟の膝の上に座り満 面の笑みを浮かべて今日あった出来事を父へと報告した。

 それが、どのような事態を招き寄せるとも知らずに……

 

「あのねあのね。今日がっこうのせんせいにきいたんだけどー」

 

 膝の上でパタパタと足を動かし、楽しそうに話をしだす綾乃に、重悟は軽く頭をなでることで先を促す。

 この時ばかりは重悟も格好がどうのこうのとか無粋なことは言わない。父と娘の大事なコミュニケーションの時間なのだ、 邪魔するものがいれば地獄の果てまで追いかけ力の限り炎を叩き込むだろう。

 まさに親ばか。

 だがそんな父と娘の甘い時間も、次の綾乃の言葉によって瓦解することになる。

 

 

 

 

 

 

 

「えっとね……かずまさんって、“優秀”なの?」

 

 

 

 

 

 

 

「――――――」

 

 その綾乃の言葉に、重悟はピシリ、とでも音がしそうなほど笑顔と動作を凍らせると、その言葉の意味を頭の中で反芻し始 めた。

 かずま……カズマ、数馬、一馬、一真、和真……和麻。

 その名を持つ人間は日本各地を見ればそれこそ数百人はいるだろう。

 だが、綾乃は他でもない重悟にその名を持つ者の事を尋ねてきたのだ。凡百の有象無象のことをわざわざ重悟に聞く理由な どありはしない。

 ならば、綾乃が言う“かずま”は、重悟も良く知っている人間と言うことになる。

 そして、重悟が知っている中で“かずま”の名を持つ人間は一人だけ……

 

 己の従兄弟であり、現神凪で己と並び最強の双璧を成す神凪 厳馬の嫡子、神凪 和麻。

 炎術士の家系にあって炎を持たないことから『無能者』と罵られている悲哀の子――

 

 その子のことならば、重悟は良く知っていた。

 確かに和麻は炎術抜きということであれば優秀だろう。天才と言っても差し支えが無いほどだ。

 並み居る大人たちでも太刀打ちできないその頭脳と体術は、まさに逸材。

 現神凪においてその二つを以って和麻に敵う人間は、自分と厳馬を除けば片手も指でも事足りるほどだろう。

 

 だが、それでも和麻は神凪では『無能者』だった。

 

 他がいくら優秀であろうとも、炎術の才能が無ければ神凪では無能。

 炎術こそが唯一にして至上の理を持つ神凪に生まれさえしなければ、神童と言わしめるだけの才を和麻は有していたにもか かわらずに、だ。

 確かに、綾乃が聞いてきた通り和麻は優秀だ。だが、重悟はそれを綾乃に伝えることだけはできなかった。

 それを伝えるならば、同時に和麻が『無能』と罵られている理由も話さなくてはならない。

 それだけは……できなかった。

 話したところでまだ若干8歳の己の娘に理解できると思えない……いや、綾乃は聡い子だ。もしかすれば理解し、それをや めさせようとするかもしれない。

 だがそうすることによって綾乃が神凪の汚い部分を直視してしまい、傷ついてしまうかもしれないことが、重悟には許せな かった。

 それにやめさせようとしたところで、すでに神凪の奥深くまで根付いてしまっている炎術至上の感情を覆せるとは到底思え ない。

 所詮は重悟も神凪の人間。炎術こそが神凪の全てであると思っている節が少なからずあった。だからこそ、和麻はいまだに 無能と罵られつづけている。

 もし、重悟にほんの欠片でも炎術以外を重視する器用さがあったなら、現状は変わっていただろう。

 だがそれはあくまでも仮定の話。現に神凪は変わる気配も無く、のうのうと自分たちは選ばれた者だと下らぬ妄執に取り憑 かれている。

 だからこそ、重悟は綾乃に本当のことを話せず、言葉を濁すだけでその場をやり過ごそうとしていた。

 

 それが、他人の子(かずま)()を 犠牲にし、自分の子(あやの)を騙す行為だと気付 きもせずに……

 

 だがそれはすでに遅すぎた。現に綾乃は和麻に『興味』を持ってしまっていたし、例えここで重悟に『和麻に会ってはいけ ない』などと言われても、もしかしたら隙を見て一人で会いに行ってしまうかもしれない。

 もしその時が和麻が苛められている場面だったとしたら……綾乃はどう思うだろうか?

 

 形だけはいさめているが、実際には苛めを容認している形となってしまっている重悟を憎む?

 炎術至上の感情に囚われている神凪の一族全体を憎む?

 それとも、『無能者』と罵られている和麻を分家の者とともに苛める側に回る――?

 

 その状況を想像してしまい……重悟は怖気が走るのを感じた。

 綾乃は可愛い我が子だ。そんな子の顔が憎しみで歪むのは見たくない。

 他人を見下し嘲笑う我が子の顔など、もっと見たくない。

 ならば、と重悟は思う。

 そのような場面に出くわさないよう細心の注意を払い、なおかつ和麻が神凪の闇を話さないような状況下で二人を出会わせ る。

 即ち、和麻の修行している姿を見せ、そこに自分も付き添う。そして和麻が妙な行動を取ろうとしたらすぐに二人を離し、 以後はどんなことがあろうとも極力二人を引き合わせないようにする。

 それが最善だと、重悟は考えた。

 ならば自分がなすことはただ一つ。

 綾乃が興味を持ちすぎず、かつ納得する程度に抑えて和麻のことを話し、その上で後日あわせる約束を取り付ければ良い。

 その間は分家の人間も和麻に近づけさせてはいけない。いざ綾乃と和麻が会うときに和麻が傷だらけの姿では、綾乃も流石 に怪しむだろう。

 この辺りの頭の回転は流石腐っても権謀術数に優れた前宗主、頼通の息子。

 重悟は瞬時にそこまで頭の中で決めると、凍りついた笑顔を元に戻し、綾乃に“やや事実とは違う”和麻のことを話し始め た。

 

「――あー、綾乃? “かずま”とは、厳馬の息子の和麻のことか?」

「うん、そー。がっこうのせんせいがね、『かんなぎ君はとても優秀で、ぶんぶりょーどーだった』って言ってたの」

 

 いつもなら『ぶんぶりょーどーってなに?』とほほに指を当て愛らしく首をかしげる綾乃の姿に満面の笑みを浮かべる重悟 も、このときばかりはその“学校の先生”に『余計なことをしおって…』と怒りの感情に占められていた。

 だがそれを表情には一切出さずに、重悟は話を続ける。

 

「そう……だな、うむ。確かに和麻は優秀ではある。だけど、綾乃も優秀だぞ?」

「そーなの? えへへへへー♪」

 

 和麻の事を聞いていたはずなのに、予想外に自分のことを誉められた綾乃は、頬を朱に染め照れる。

 それを見た重悟も、このまま話をそらせれば! と思ったが、そうは問屋(さ くしゃ)(ゆる)さ ない。

 

「でもねお父さま、あやのかずまさんのことがききたいの。かずまさんってどういうふうに“優秀”なの?」

「む……」

「せんせいはね、べんきょうでもからだをうごかすのもすごく上手だっていってたんだけど、でもかずまさんってうちのなか だと『無能』ってよばれてるんだよね? なんでなの?」

「ふむ… (誰だそんなこと綾乃に教えやがった奴は……後でしばく) …綾乃? おまえはまだ小さいからわからぬかもし れないが、学校での優秀と術者としての優秀は同じではないのだよ」

「そうなの?」

 

 嘘だ。いや、あながち嘘でもないのだが事和麻に限っては重悟の言葉は間違っている。

 和麻は学校でも、術者としても超一流の素質を持っている。

 

――ただ、炎を持たないだけ。

 

 だがそれを話すと綾乃は益々和麻に興味をもってしまうだろう。だから話せない。

 

「うむ。学校では妖魔と戦うような危険なことは無いだろう? だが術者は違う。術者は人に害を成す妖魔を倒すことを生業 とするものだ。だからこそ術者には強さが求められる。父さんも強いだろう?」

「うん! じゃぁじゃぁ、かずまさんはどのくらいつよいの? あやののほうがつよい?」

「ははは、そうだなぁ……たぶんまだ和麻のほうが強いだろうな。これは優秀とかそういうものではなく単純に年の差だ。綾 乃も今の和麻くらいの年になれば、十分強くなれる素質はあるぞ?」

 

 その重悟の言葉に、綾乃は一層顔を輝かせる。

 他の誰でもない、大好きな父に認められたのだ。綾乃にとってこれほど嬉しいことは無いだろう。

 だから綾乃はもっともっと父に認められたいと思った。それこそ、肩を並べ共に戦えるくらいに。

 だから、綾乃は願った。

 

「――じゃぁ、かずまさんにおしえてもらったら、あやのもつよくなれるかなぁ?」

 

 自分がもっと、“優秀”になれるように、と……

 

 

 

§◆◇◆§

 

「――――ッフ!」

 

 神凪本邸の片隅にある修行場、その一つの体術の型を習得するための固定式の木人に、和麻は一心不乱に拳を打ち付けてい た。

 切れを重視した中国拳法の南派に似たその構えから繰り出される拳は、まさに瞬速。

 通常であれば型の確認を含めてゆっくりとやるのだが、和麻は違った。

 和麻にとって型の習得など当の昔の話。目指す先は実戦における突発的な出来事に対する即座の対応。

 だからこそ和麻は特注の、普通の一本丸太の木人ではなく各部位が別々に回転する見た目トゲのついただるま倒しのような 木人を、通常ではありえない速度で叩きつづける。

 

 左側頭部を狙う棒を右掌で打ち返し、

 右脇腹を狙う棒を右膝で受け、

 のどを狙う棒を左掌で弾き、反動で身体を元に戻す。

 間髪を置かずに足をもと狙う棒が現れるが、それも慌てずに捌きいなす。

 肩を狙う打撃には手の甲で、二の腕を狙う打撃には腕で、それぞれ最も効果的で最も効率の良い方法で捌きつづける。

 

 それを1秒の間に何度も行う和麻の実力は、いったいどれほどの高みにあるというのか……修行場の入り口から和麻を眺め ていた重悟は、気付かれないように心の中で戦慄していた。

 自分が和麻の年頃……いや、今でもあそこまでやれるかと問われればNOと言うしかない。

 綾乃があそこまでの高みに至れるかと問われれば、これもNOと言うしかない。

 あれは異常だ。人間いくら強くなろうと思っても、あそこまで自分を殺すつもりで修行に励むことな どできはしない(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)

 一瞬の隙で一撃でも許してしまえばそれだけで致命傷になってしまいそうな修行など、修行とは呼べない。

 

――あれはまさしく自殺行為だ。

 

 そこまで、そこまで神凪は和麻を追い詰めてしまっていたのかと、重悟は一人心の中で己の一族を恥じた。

 だがそれは重悟の思い違いだ。確かに端から見れば和麻の修行は自殺行為と見て取れなくも無いだろう。

 しかし、和麻はそうは思っていない。和麻は“目指すもの”のために自らを鍛えている。死ぬつもりなど到底無い。

 限界など存在しないと、立ちはだかる壁など突き破ってしまえと一心不乱に前だけを見据えている。

 

 

 

 その姿に、重悟のそばに控えていた綾乃は息を呑んだ。

 

(な、なにあのひと……すごい、ぜんぜん見えないけど、見えないくらいすごいことしてるんだ……)

 

 目の前の人の努力に比べて、自分はいかに甘やかされていたか、いかに恵まれた環境にいたかが痛いほど理解できた。

 和麻が炎が使えないという事は分家の者たちの話を隠れて聞いて知っていた。だけど、そんなハンデなど物ともしないくら い目の前の人が強いと言うのはわかる。

 父は言っていた。自分は、和麻よりも強くなれる素質があると。

 嬉しかった。だから和麻を見て自分も強くなろうと思った。

 けれど、そんな感情は目の前の実物の和麻を見たとたんどこかへと飛んでいってしまっていた。

 自分が和麻よりも強くなれる? 無理ではないかもしれないが、そうなるためには目の前の和麻以上の努力をこなさなけれ ばならない。

 それが今の自分にできるのか。今の、炎が他の人よりも強いと言うだけで優秀だと言われている自分に、炎を持ってないか らこそあそこまでの強さを得るしかなかった和麻を超えることができるのか?

 答えはわかりきっていた。

 

――あれは、一生をかけても追いかける価値のある背中(もく ひょう)だ、と。

 

 それはまだ神凪の思想に染まりきっていない綾乃だからこその変化。

 未来へ希望を見出すのは、いつの世も真実を知らぬ無垢な子供たち。

 そして無垢なる子供は真実を知り、未来への道を選ぶ。

 果たして、綾乃が選ぶのは現状か、それとも変化か……

 そしてそれにより和麻はどのような影響を受けると言うのか、

 

 

 これより綾乃と和麻(ふたり)は、 戻ることの許されない岐路へと立つこととなる。

 

 

 

 

 


 “嘘”と言うものは、良くも悪くも人を騙すものです。

 そこにいくら正論を加えようとも、結局は騙していることに変わりはありません。

 ただ善悪の観念はあるでしょうね。でなければこの世は懐疑心で満ち溢れてしまっているはずですから。

 でも嘘や偽りはいつか必ずばれるもの。ばれない嘘は“本当”と同義になってしまいますから。

 重悟にとっての和麻は、実際にその目で見るまでは『ちょっと苛められている炎を持たない普通に優秀な子』でした。

 ですがそれはあくまで分家の人間や風牙衆が都合のいいように宗主に報告していた“嘘”の和麻像。

 この話での裏の意味(・・・・)は、そん な騙される側だった重悟の愚かさもかねていたりします。

 言わなきゃわかる人いないって? ごもっとも!

 

  -IX- 拝。

 

 

     

 


本日のNG集

 

 老教師の話は続く。それこそ、チャイムが鳴らなければ(・・・・・・・・・・・)そ のままずっと話を続けてしまうのではないかと思えるくらいに。

 だが時間は永遠ではなく有限で、老教師の話は無粋(・・)()チャ イムの音とともに終わりを告げてしまうことになる。

 

キーンコーンカーンコーン……

 

「それででしてねぇ、神凪君はほんっっっっとに優秀でねぇ、おじいちゃんもう目に入れても痛くないくらいに……」

「あ、あのー、チャイムなりましたけどー?」

「かけっこで一番取ったときの笑顔なんて、写真にとってA1版に伸ばして部屋に飾ってるんですよ〜」

「おーい……」

 

 撮影中にボケ始める老教師。

 自分の孫と和麻を混同し孫自慢に突入。

 

 

 

本日のNG集その2

 

 この辺りの頭の回転は流石腐っても権謀術数に優れた前宗主、頼通の息子。重悟は瞬時にそこまで頭の中で決めると、凍り ついた笑顔を元に戻し、綾乃に“やや事実とは違う”和麻のことを、話し始めた。

 

「――あー、綾乃? “かずま”とは、厳馬の息子の和麻のことか?」

「ううん、クラスメイトのかずまくんー」

「だらっしゃぁ! どこの小僧だぁ!! うちの娘に手ェ出す奴ぁ冥府魔道に突き落とすぞ ゴルァ!!」

 

 神凪 重悟3●歳。重度の親ばか。

 

 

 終われ



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