「ありがとう――」 そう言って微笑んだその人の顔を、あたしは一生忘れないだろう――
――“たいせつなこと”を教えてくれたその少女の事を、俺は心に刻んだ。
だから――――
『風の聖痕〜The One AIR-REAL 〜』
3rd Wind −邂逅と別離T−
まるで神凪の炎のような、肌を伝う汗も即座に乾いてしまうような夏の日差しの中、和麻はいつものように修行場に赴き、 いつものように木人を相手に無茶な(自分ではこれでもぬるいと思っている)修行をしていた。
その姿を遠くから見ている二つの視線にはとうに気がついていた。だがどうこうしようという気は無い。
別段見られても減るものではないし、妙な邪魔さえしないのであれば構いはしなかった。
そして数時間が経過し、修行に一段落がついたときに、視線のうちの一つ――宗主が、和麻に声をかけてきた。
「……精が出るな、和麻」
「宗主……? いえ、自分などまだまだですよ……まだ、“目指すもの”には程遠い……」
一瞬、声をかけられたことが意外だったのか、和麻は片眉をひそめ怪訝そうな顔をするが、すぐにその表情を隠し眩しそう に空を見上げた。
「ははは、あれだけの動きをするおまえがまだまだなどと、分家の人間が聞いたら卒倒するぞ」
「分家を俺では違いすぎます。神凪は……生まれたときより“強さ”を持っていますが、俺にはそれが無い。それは宗主、貴 方が一番良くわかっているはずでは?」
「……ふむ?」
謙遜とも思える和麻の言葉に、重悟は多少、苦笑を漏らすが、次いで和麻が重悟の目を真正面から見据え口にした言葉に、 重悟は妙な違和感を覚えた。
たしか……少し前に和麻に会ったとき、和麻は異常とも思えるほど“炎”の固執し、それをもつ神凪の人間を畏怖していた はずだった。
だからこそ、重悟は綾乃に和麻が『無能』と呼ばれ受けている虐待がばれるかもしれないと言う心配とともに、“炎”をも つ綾乃と、それを持たない和麻を会わせる事によって起きるかもしれない確執にも危惧を抱いていたのだが……
だが目の前の和麻はどうだろうか? 確かに“なにか”に固執するようなところは見受けられるが、それでも以前のような 危うさはまるで無かった。
それどころか芯……とでも言えばいいのだろうか? なにか“目標”のようなものを見つけ、確固たる信念を得た人間のご とくしっかりと両の足で立ち、力のこもった目で自分を怯むことなく見据える一人前の“男”になっていた。
(なにか……心境の変化を促すような出来事でもあったのだろうか? これならば綾乃と引き合わせても問題ないかも知れん な……)
重悟はそう一人で結論付けた。
だがそれは正しくもあり、間違ってもいた。
確かに
娘可愛さゆえの盲目だろうか? それとも綾乃はまだ幼いからそのような心配は無いとでも思っているのだろうか?
甘いとしか言いようが無い。この時期の少女の多感性はまさしく雨後の竹の子のごとく、ともすればあっという間に芽が出 てきてしまう。
それを、重悟は理解できていなかった。
事実、重悟の背後にいた綾乃の和麻を見る目は、父を見る目とも、分家の人間を見る眼とも微妙に違う色をしていた。
尊敬とも違う、畏怖とも違う。言うなれば未知への好奇心……だろうか?
重悟のことそっちのけで和麻を見ている綾乃の視線に、無論和麻自身は気付いていた。だがそれは、分家の連中がいつも自 分に向ける下位者を見下す目だろうと思い、敢えて無視を決め込んでいたのだが……
「それで……俺になにか用でも? 先程から見られていたようですが……」
「ほう……気が付いていたのか。なに、うちの娘がおまえのことが気になると言い出してな、何か得るものでもあればと連れ てきたのだ 「はじめまして! かずまさん!」 うぉ」
「……?」
痺れを切らしたのか、綾乃は前に突っ立っていた重悟を押しのけ和麻の前へ出ると、勢い良く挨拶をした。
その様子に重悟は信じられないような顔をし、和麻は辟易していた。
――今初めて直視した綾乃の自分に向ける目が、神凪内で自分に向けられる瞳のどれとも似ていなかったから。
だがそんなことは気にしないとばかりに綾乃は猪突猛進で突き進む。
「えっと、えっと、さっきのうちこみすっごくすっごくすごかったです!」
「あ、あぁ、ありがとう……?」
「あ、綾乃?」
綾乃、一歩前へ、
和麻、気圧されて一歩後退。
重悟、おろおろしだす。
「それでですね! あたしもかずまさんくらいつよくなりないんですけど! どうすればいいですか!?」
「え? いや、強くって……」
「あー、綾乃ー? 綾乃さーん」
「おとーさまはだまってて!」
「だま……」
綾乃、もう一歩前へ。さらに進んで和麻の襟口を両手で締め上げる。
和麻、口元を引きつらせ嫌な汗をかく。
重悟、綾乃のあんまりな言葉に
「つよいじゃないですか! つよいんですよぅ! つよくなりたいんですっ!」
「あー、いや……宗主? “これ”、なに?」
流石の和麻もこれには参ったのか、新手の苛めか? と思いつつ宗主へと助けを求めたのだが……
「黙ってて……黙っててって……おとーさんは悲しーぞー……」
「なに地面にのの字書いて拗ねてんだよくそ宗主。はったおすぞオイコラ?」
いっそ見事と言うくらいいじけていた。
というか今時誰もやらないだろ、地面にのの字って……
……
数十分後、綾乃も何とか落ち着き、重悟も半分くらい立ち直り再び和麻と対面する。
その間いろいろあって和麻は修行するときよりもはるかに疲弊していたのだが……言及はすまい。
こんなのが次期神凪宗主でいいのかこの一族は。
「こんなのってなによ?」
いーえー、なんでもございませんよ。ヲホホホ。
「綾乃?」
「ぁ、ううん、なんでもないのお父さま」
「そうか? ではすまんが和麻、綾乃をよろしく頼む」
その言葉に、和麻は嫌そうな表情を隠しもせずに、
「それ受けるととんでもなく厄介なこと背負う羽目になるような気がするんですが?」
「受けるならば先程の『くそ宗主』の発言には目を瞑ろう」
「うわ、きったねぇ!」
断ろうとしたのだが、先に先手を打たれてしまい和麻は不承不承とした感じで了承せざるを得ない状況に追い込まれてい た。
和麻の中ではこの瞬間に、重悟の評価を『威厳ある宗主』から『娘に負けた情けない父親』へとランクダウンさせた。
「はぁ、わかりましたよ。でも俺には炎術の修行なんて教えられませんけど、それでも良いんですか?」
「うむ。今の綾乃には基礎よりも心構えのほうが重要であろうと思うのでな……その辺りを
「それあんたが教えろよ……」
無駄とは思いつつも一応は反論してみるが 「それができれば苦労はせん」 という重悟の言葉に、双方深くため息をつい てうなだれた。
綾乃だけはちゃっかりとうきうき顔で 「まだかな? まだかな?」 と瞳を輝かせているのがより一層二人の肩を重くさ せていたりする。合掌。
§◆◇◆§
重悟が 「おとーさん邪魔って言われちゃったな〜HAHAHA……はぁ」 とか言いつつ悲壮感を漂わせながら肩を落と しその場を去ってすぐに、立ち話もなんだろうと言うことで和麻は綾乃をつれ、休憩所をかねている池のほとりの東屋へと綾乃を連れてきていた。
そして、この辺りはまだ子供とはいえ年上の者としての余裕だろうか、まだ未使用のタオルをベンチへと敷き、そこに綾乃 を座らせた。
――綾乃の中の和麻への好感度、ワンランクアップ。
別段和麻はフェミニストではないし、点数稼ぎとかそういう“邪”な感情も一切無い。
ただ単に綾乃が白のワンピースを着ていたから、汚すと後で洗濯が大変だろうと思ってしただけの行動である。そこに他意 はない。
だからこそ綾乃も喜んでそこ――和麻の隣へと腰をおろした。
「それで、俺に聞きたいことってなにかな。綾乃ちゃん?」
「あ、ありがとうございます。あたしのことは“あやの”でいいですよ、かずまさん」
まだ口の開いてない冷たいスポーツドリンクの缶を手渡されつつ、礼を言う綾乃。
その良い意味で年齢不相応な礼儀正しさに、和麻も少し微笑むと 「じゃあ、綾乃って呼ぶね」 と言った。
そしてしばし、静寂が流れる。
和麻は先の発言以後なにを口にするでもなく、心地よさそうに池辺から流れてくる涼風に身を任せているし、
綾乃も綾乃でいざとなったらどう切り出そうかと迷い、渡されたスポーツドリンクで口を濡らしているだけ。
どちらかと言えば綾乃は静かなのをあまり好まない子供なのだが……けれど、今この瞬間のこの雰囲気だけは、なぜだか心 地よく感じていた。
だから、これはほんのちょっとした気紛れ。
学校では『優秀』。神凪では『無能』と呼ばれている和麻がどんな人間なのか観察する為に、
宗主である父に礼節をもって接していたかと思えば、いきなり無遠慮な物言いになった和麻がどんな人物なのか見るため に、
父の従兄弟である厳馬の息子なんだから、顔は似ているのかと思い確認しようと思って、
綾乃は風に身を任せている和麻の顔をそっと覗き込み――――言葉を失った。
それはまるで一枚の風景画。
柔らかな髪を風に乗せ、まるで心地よい音楽に身を任せるかのようにたたずむその人を、他のどんな言葉で表せると言うの か。
注意して見ていなければ消え去ってしまいそうな儚さを感じさせるくせに、異様なほどの存在感を持ってそこにいるこの人 は何者だろうか。
それはまるで、完成した世界を一瞬に閉じ込めた一枚の荘厳な風景画のようで――
「俺はね……」
「――――!」
その和麻のつぶやきに、綾乃は我に返ると端から見ても丸わかりなほどに頬を染め、急いで視線をそらした。
「俺は、」 和麻はそれに敢えて気付かない振りをして 「“目指すもの”があったから……だから、強くなろうと思ったん だ」
和麻は閉じていた目を開き、己の両手に視線を落とした。
それは何の変哲も無い手。指が一本多いとか少ないとかでもなく、変な
「“めざすもの”?」
「そう。それが“今まであった”から、俺はここまでがんばれたんだと思う」
「…………」
だけど、結局はなにを掴むこともなく終わろうとしている手。
諦めるつもりなんて無い。挫ける気なんてこれっぽっちもなかった。
だけど――
(そう……初めから全部わかっていたはずだったんだ。
だけど自分はそれを認めることができなかった。
それを認めてしまえば、自分は何かが壊れてしまうってわかっていたから。
けど、そろそろ認めてもいいんじゃないかと、和麻は思うようになり始めていた。
あの誓いから既に2年。あの頃の自分は幼すぎた。だからこんな“子供じみた我侭”に自分をつき合わせてしまえた。
綾乃との邂逅は和麻にとっても契機だったのだ。
この将来を約束された少女の前で自分の“弱さ”を認めてしまえば、それで終わりを迎えられる……はずだった。
「……ちゃ…ですか?」
「え?」
だけど、そんな和麻のただ一つの誤算。
「『今まであったから』って! じゃぁ今はないんですか!? あきらめちゃうんですか!?」
それは、
和麻は気付いていなかったが、綾乃は
それはまだ形になっていない想い。だけど確実に実を結ぼうとしている感情。
だからこそ、許せない。
自分の目標だと思えた人物が、自分に変化を与えてくれるかもしれない人が、こんな“弱虫”だったなんて。
そんなのは、
「諦めるしか……ないんだ。俺が“目指すもの”は、どうやっても俺じゃ手に入れられないんだから」
「〜〜〜〜〜〜〜〜!」
その和麻の言葉と光を失いかけた目に、綾乃は先程とは違う意味で頬を紅潮させ――――
パン!
気が付けば、和麻の頬を思い切りひっぱたいていた。
「かずまさんの“めざすもの”、おしえてください。それを聞かないと……あたしなっとくできません!」
和麻は叩かれたことに怒りを覚えるよりも、なぜこの少女はこんなにも自分を気にするのだろうかと言う疑問で頭が一杯に なった。
綾乃はなぜ和麻を叩いてしまったのかと言う疑問よりも、目の前の男に対する怒りで頭が一杯になっていた。
まるで正反対の思いに占められている二人は、だけど確実にお互いのことを意識していた。
「……“炎”」
気が付けば、和麻は意識して言葉にしていなかったそれを口にしていた。
それを口にした自分を、綾乃は他の人間と同じように馬鹿にするだろうか?
幼い自分でも使えるものを年上の和麻が使えないということは、つまりは
炎術至上主義の神凪にあって炎を使えないことは致命的だ。
しかも、それが宗家直系の和麻ならなおのこと。
だからこそ和麻は“炎”を手に入れようと躍起になっていた。
自分を馬鹿にする者を見返してやろうと、
自分を認めない親に自分を認めさせてやろうと、
自分を、否定する者など一人もいなくなってしまえと――
だが和麻は、この期に及んで恐れていたのだ。
諦めると言っても結局は諦めきれていなかった。
認めると思っていても、結局は認めきれていなかった。
それは……目の前の、この希望に満ち溢れた瞳を持つ名前だけは知っていたが実際に会うのは初めての少女にすら、『無 能』と罵られる事が本当は凄く怖かったから――
その言葉を聞いてしまえば、自分は“本当の意味”で無能者に成り下がってしまうと思っていたから。
だけど、今ここでもう一度言おう。
和麻は、この少女を見くびっていた、と。
「なら、あたしがかずまさんの“炎”になります!」
「――――」
綾乃は気付いているのだろうか?
それはまるで、
「あたし、
それは純粋な、ただあの眩しかった
そこに恋だの愛だの“無粋”な感情は一切無い。
それは和麻もわかっていた。綾乃がいくら大人びた言動をしていようとも所詮は8歳の少女。
恋愛感情なんて理解できるとも思えないし、あったとしても、それは一時の“はしか”のようなものだろう。
だから、その言葉を信じてはいけない。受け入れてはいけない。
その先にあるのは、大人になって現実を知った少女の拒絶。
だけどそれでも、それを理解しつつなおその言葉は、和麻の心の奥深くにストンと落ち着いた。
和麻が本当に欲したものは“いつかくる未来”に、ではなく“今ある現実”においての救い。
ただ、両親から認められたかった。
ただ、一族から認められたかった。
ただ、誰かから認められたかった……
炎が欲しいなんて、そんなものは単なる手段に過ぎなかったのだ。
自分はいつから手段と目的が入れ替わっていたのだろうか……
既に2年も前に自分は“火”を手に入れていたではないか。それを忘れて“諦める”などと……滑稽にもほどがある。
それを思い出した和麻は、誰はばかることなく“生まれて初めて”声を上げて笑った。
「は――はは……あははははは!」
「なにがおかしいんですか!」
その様子に綾乃は怒り出すが、
「く、くくく……いや、ごめんごめん。違うんだ。自分の馬鹿さ加減に……あぁ、もうほんっと俺って奴は救いようの無い馬 鹿だなぁ……」
「???」
苦しそうに腹をよじり、さもおかしそうに目に涙を浮かべて笑いつづける和麻を見ているうちに、なんだかどうでも良く なってきてしまっていた。
そしてひとしきり笑い終わった後、和麻は憮然と立っている綾乃を唐突に自分のほうへ引き寄せると――
「――ありがとう。それと……覚えておけよその言葉。俺は、結構独占欲が強いぜ?」
唇――ではなく。額へと、契約の口付けを落とした。
和麻
原作とはかなりかけ離れてしまった和麻ですが、 自分の中では和麻は“強い人”というイメージがあります。
それは肉体の強さではなく精神の強さ。
10年以上苛められた幼児体験期をもつ人間は、 大人になってもそう簡単にはその経験を忘れられるものではありません。
あえて言うならパブロフの犬。
だけど本編においてそれすらも覆せた和麻は、精 神的にものすごく強かったのではないでしょうか?
そんな和麻だからこそこの作品内限定ではありま すが、決して諦めず、決して折れない不屈の人間であってほしいと思い、この作品を作ろうと決心しました。
自分の文才が足りずやや読み辛い印象があるかと は思いますが、その辺りは平にご容赦のほどを。
-IX- 拝。
本日のNG集
「それで、俺に聞きたいことってなにかな。綾乃ちゃん?」
「あ、ありがとうございます。あたしのことは“あやの”でいいですよ、かずまさん」
まだ口の開いてない冷たいスポーツドリンクの缶を手渡されつつ……
メッ●ール
「これスポーツドリンクじゃないいぃぃぃ!!??」
別バージョンでホットのお汁粉もあったりします。流石に夏場は売ってないか。
テイク2
「それで、俺に聞きたいことってなにかな。綾乃ちゃん?」
「あ、ありがとうございます。あたしのことは“あやの”でいいですよ、かずまさん」
まだ口の開いてない冷たいスポーツドリンクの缶を手渡されつつ、礼を言う綾乃。
その良い意味で年齢不相応な礼儀正しさに、和麻も少し微笑むと……
「じゃあ、俺のことは“お兄ちゃん”で!」
「かああずぅぅまあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!(宗主)」
「何であんたまだいるんだよ!?」
ほんとはまだ死ぬほどパパ来襲NGあるけどそれだすと終わりそうに無いんで、終われ。