「まだか、流也いつまでかかっておる」
「―――しばし、お待ちを」
後で急かす男に流也は振り向きもせずに答えた。そっと瞑目し、両手を水でも掬うよう窪めて前に差し出している。
流也に向かってひゅるりと風が吹いた。
風が空気中を漂う妖気の残滓を運び兵衛の手のひらに落としては過ぎ去っていく。掌に溜まっていく妖気を、誰もが息を呑んで見つめていた。
今朝、神凪の本家の前に血まみれの肉片が発見された。
本来ならあってはならない事だ。殺されたことではない、眼と鼻の先で身内が殺害されたことに誰も気がつかなかったことにだ。
例え、炎術師が探知能力が低いとしてもこれは異常事態であろう。神凪は早急に風牙衆を収集した。そして流也自ら空気中に残る妖気をかき集め、敵の正体を
洗い出しにかかったのだ。
もちろん彼は妖魔らしき存在が神凪の術者たちを殺しているところを目撃している、ならば何故流也自身が調べているのかというと、周りの者に怪しまれない
ようにするためのカモフラージュと、あの妖魔の正体を探る為でもある。
流也とて神凪の術者が死ぬのはどうでも良い、だが謎の妖魔という不確定要素をそのままにしとくのは不味い。思わぬところで失敗する可能性があるからだ。
「ぬう……」
「こ、これは……」
うめきにも似た呟きがもれる。流也が拾った妖気は手のひらに収まる程度のものだ。だがそのあまりの禍々しさと冷たい冷気に神凪の術者たちは確かな恐怖を
感じた。
「これは、風術によるものです。それも風牙衆とは比べ物ならないほどの強力な術者の仕業です」
流也の報告は特に有益なものではなかった。現場を見れば一目瞭然と言っていい。
(……妙だね、強大な妖気というよりは多種多様な妖気が交じり合った結果、巨大な妖気と化したような感じがする)
もちろんその意見を口に出すことはしない。流也の目的は神凪の滅亡、そのためには例えどんな些細な事でも知らせるのは不味いと結論づけてそう判断した。
(”彼女”との契約もあるそれに……”静音”に何かあっては僕が困る)
「そんな事は分かっておる! これは誰の仕業かと聞いておる」
思考の海に沈んでいた流也に分家の一人が怒鳴り散らす、そんな分家の術者に不快感を抱きながらも、それを表に出さないようにする。
「これ以上のことは、もう少し時間をいただきませんと」
神凪に教える義理もないので無難な意見を述べた。
「さっさとやれ! それだけが貴様らの取り柄だろうが!」
「やめんか」
重悟は罵倒する術者たちを黙らせ、流也にねぎらいの言葉をかける。
「そうか、もうご苦労だったなもう下がってよいぞ」
「は、お役に立てず申し訳ありませぬ」
「仕方があるまい、そういえば静音の具合はどうだ?」
思わぬ言葉に流也の身体が一瞬凍りつく。
静音というのは、流也の婚約者で今現在、病で自宅療養中という事になっている―――あくまで表向きはだが。
「いえ、まだよくなる気配は……すいません」
「……そうか―――これからも期待しているぞ、流也」
風牙衆の長は無言で叩頭した。
犯人は風術師、さらに神凪に恨みを持つもの。
ある意味、予想通りの報告に誰もが同じ名前を思い浮かべた。絶妙なタイミングで帰ってきた女性の名を。
「水輝じゃ! あの女は復讐のため力をつけ我ら神凪に牙を剥くつもりだ! 者共! あの裏切りを殺せ! 一刻も早く奴を見つけ出し、抹殺するのだ!」
金切り声を上げて一人の男が叫ぶ。彼の名は先代宗主頼道、現役を引退してもなお先代の威光を嵩にあげて威張り散らす一族中の嫌われ者である。
本人は気がついていないようだが。
「父上、先走りすぎです。まだ水輝が犯人と決まったわけでは……」
「手ぬるい! 水輝以外に誰が!」
「先代、少し黙っていただきたい。貴方がいると話が進みません」
侮蔑しきった目で冷たく言い放つ厳馬。
彼の中での頼道の評価は最低ラインを駆け抜けている。
たいした実力もなく、謀略の才と一族のパワーバランスだけのために選ばれたただの御輿。
さらに炎雷覇を制御できる力もあるはずもなく、だからと言って他人にゆだねる器量すらない。その結果炎雷覇は現宗主、重悟に渡るまで蔵で死滅していたと
いう他の退魔の家から見れば滑稽としか言いようのない状態が続いていた。
厳馬は思う―――これほど愚かな話はないと。
宗主の地位は最強の術者が継ぐ、これが厳馬の信念である。だから自分が継げなかったのはただ単に自分に力がなかったと納得していた。
だからこそ、力もなくただ権力のみに執着している頼道に嫌悪していたしそれを隠そうともしていない。
そして頼道も自分に何かと反抗的な厳馬に対して不快感を抱いていた。
「お主、水輝を庇おうとしていないか? いやそうに違いない! 貴様! 水輝と組んで重悟と綾乃を殺し、煉に神凪を継がそうとしているな!?」
鬼の首を取ったかのような勢いでまくし立てる頼道。
そんな事があるわけがない。水輝にとって神凪などどうなってもいい存在だし興味もない。
「それは下種のかんぐりというもの」
厳馬は頼道の言いがかりに近い追求など聞いていなかった。
「父上! いい加減になされよ!」
流石の重悟も我慢の限界か部下達に手招きし頼道を下がらせる。
二人の部下が頼道の両腕をつかみながら外にひきづる。
「お前たち何をする!?」
「先代は少々お疲れのようだ。自室にさがって預け」
「待たぬか重悟! わしの言う事を聞かねば神凪は滅ぶぞ!! 厳馬を信用してはならん! わしこそが……」
お前の言う事を聞いたほうが神凪が滅びるわ! と叫びたいが何とか抑える。何故か胃の辺りがきりきりと痛み出し、軽く胃の辺りを右手で押さえる。
うるさい頼道がいなくなり、部屋には二人だけになる。
「申し訳ない。父上の暴言、私の顔に免じて許してほしい」
「気になさることはありません。先代も神凪を愛すればこその発言でしょう」
空々しい発言をしするとお互いは顔を見合わせにこやかに笑った。
『その話は此処まで』
暗黙の了解をとり、この事件について話を続ける。
「先代の言はともかく、タイミングが良すぎるのは事実です。一度呼び出し話を聞いたほうが良いでしょう」
厳馬の口調こそいたって冷静だが、その内容は到底自分の子供に向けるものではない。
「……素直に従うとは思えんが?」
水輝は神凪で暴行というのも生ぬるい扱いを受けてきた。毎日、暴行による怪我、炎術による火傷、流石に虐待が一番酷かった時期は水輝もまだ幼かった為か
性的暴行を受ける事はなかったが、酷い扱いを受けたのは確かだ。
例え、水輝でなくてもそんな家に戻りたいとは誰も思わないだろう。少なくても重悟はそう思っていた。
「従わなければ力づくでつれてくればいいだけのこと。多少力をつけたとはいえ、所詮は水輝。二、三人でかかれば動作もないこと」
「……よかろう、人選は任せる。一刻も早く二人を連れてくるのだ」
「はっ!」
やはり、他人事のように平静に、厳馬は息子の捕縛命令を受け入れた。
「綾乃様がお戻りになられました」
さらに対策を考える二人―――特に重悟にとって嬉しい知らせが届く。
「おお、戻ったか」
顔が緩む。此処最近嫌なことしかなかった重悟にとって綾乃の帰還は嬉しいことこの上なかった。
ちなみに厳馬は冷めた眼でその様子を見ていた。
一つの気配が駆け足で近づき勢いよく襖を開け、部屋に明るい声が木霊する。
「ただいま戻りました、お父様!……ってどうかしたの?」
威勢良く現れた、腰まで伸びた黒髪に太陽のような雰囲気をかもし出す少女はいつもと違う様子に首をかしげる。
「報告はどうした綾乃」
自分の愛娘にして炎雷覇の継承者でもある時期宗主神凪綾乃をたしなめる。
いくら愛娘といえど立場くらいはわきまえていた。
「失礼しました」
綾乃はその場に平伏する。
「解き放たれし妖魔、完全に滅殺しました」
「うむ、良くやった」
術者として宗主への報告を終えると綾乃は無邪気に聞いた。
「で、何があったんです、お父様?」
「ふーん、鼻先で三人も殺されたのに誰も気がつかなかったか。確かに一大事よね」
遠縁とはいえ身内が三人も殺されたのに綾乃は落ち着いていた。
『一大事』の言葉も身内が殺されたことではなく『誰も気がつかなかった』ことのほうを示している。
冷たいわけではなく、この年でもこの世界何が大事か分かるのはたいしたことだろう。
「その風術師、誰か見当つかないの?」
「疑わしいのが一人いる」
綾乃の問いに重悟は苦々しく答えた。
「……水輝だ」
「誰それ?」
間髪いれず返ってきた身も蓋もない返答に重悟はこめかみを押さえる。まさか、水輝の事を覚えていなかったとは予想できなかったようだ。
「お前は再従妹の名前も覚えていないのか? 和麻の妹の水輝だ」
和麻を引き合いに出したのは神凪の間でもっとも有名で忌み嫌われている名前だからだ。
実際綾乃も和麻の名は知っている、黒い炎を宿す異端児。
神凪の中でも最強クラスの腕を持ちながら四年前突如として、失踪した男。父である、重悟はそのときの事を詳しく語らうとしないが、何かあったことは確か
だろう。
そして、綾乃も水輝の名を思い出した。
裏切り者和麻の妹、四年前至宝”炎雷覇”をかけて争った女性。
自分より綺麗で、スタイルが良くてそして……
思い出すうちによく分からない怒りがこみ上げてきた。
「……水輝さんって確か四年前に家出しなかったけ」
何故か湧き上がってきたよく分からない怒りを押し止め、無表情の厳馬を見ながら尋ねる、その表情からは何も読み取れなかったが。
「……最近こちらに戻ってきており、八神水輝と名を変えているようだ」
「水輝さん、私達のこと恨んでるでしょうねー」
「かも知れぬ。だからと言ってむざむざやられるわけにもいかぬ。万一水輝の仕業なら命をもって償ってもらう」
「万一ね」
先ほどから何の反応を示さない水輝の親である厳馬の視線を見る。その表情から何かを読み取ろうとして―――やめた。
人生経験は向こうがはるかに上、意味のない腹の探り合いなどするだけ無駄である。
「でっ、どうするんですか? 討ちます?」
「まだ二人が犯人と言うわけではあるまい。話ぐらいはせんとな」
かすかにため息をつく重語。
炎雷覇を継いだためか綾乃は何事も力づくで解決しようとする傾向が強い、世の中には力だけではどうにもならない事が多々あるので、もう少し柔軟に物事を
見れるようになってほしいと重悟は思う。
「お前には先ほど届いた依頼をこなしてもらう。詳細はおって知らせる」
「はっ、分かりました」
宗主と術者の関係になり綾乃は下がる。
「わがまま娘が」
ため息交じりに呟くもその表情には愛娘に対する愛しさのようなものがあった。
神凪の屋敷から少し離れた場所にそれはあった。庭の広さは神凪の屋敷ほどではないが十分な広さをもち、その奥にどっしりとした感じでそびえ立つ古めかし
い日本家屋、一応その家が風牙衆の長でもある風巻流也の自宅であった。
玄関に入り靴を脱ぎ奥に進む。いくら広い家でも手入れされていると聞かれればそうとは言い切れない。この家は三百年前の風牙衆に対して当時の神凪の当主
が用意した屋敷でかなりの広さを持つ。
当時の人たちは風牙衆に対して多少の罪悪感があったのだろう、この屋敷を用意したのも償いのようなものが含まれているのかもしれない。
だが、時がたつにつれて人々はその事を忘れていき、その後全く手入れがされる事はなかった。
現に、壁などには穴やひび割れが激しく、窓ガラスなども何枚か割れている。流也の歩いている板の廊下も”ぎしぎし”と嫌な音をたてながら軋んでいる。
何度聞いても好きになれない、内心そう思いながらも流也は廊下を歩いていた。少しばかり歩き、屋敷の奥にあるひっそりと一目を避けるように存在する部
屋、流也はその部屋の前で歩みを止めた。
「ただいま、静音」
そう言い、ゆっくりと襖を開き中に入り、そして閉める。
その部屋は畳の匂いが軽く鼻につく、日本の家そのままの部屋だった。ただし余計な調度品の類は一切似なく、布団だけがその部屋の中心に置かれており其処
に一人の女性が眠っている。
黒い髪を背中まで伸ばした紺の和服を着た女性。前髪に隠れた綺麗に整ったまつげ、しっかりとした造形の鼻に、柔らかさすら感じる唇。そして白に近い色を
した美しい肌に布団の上からも分かる胸の膨らみをした美しい女性が静かに、彫刻のように眠り続けていた。
「……静音」
寝ている女性に近づき、ゆっくり座る。何処か悲しそうな顔をしながらも静音と呼んだ女性の頬を軽く撫でる。その体温はまるで氷のように冷たく、彼女が起
きる気配は全くない―――正確には半年前からずっとこの状態なのだ。
”風巻静音”苗字こそ同じだが彼女は流也の従妹にあたりそして婚約者でもある。元々、神凪で奴隷に近い扱いを受けている風牙衆は正直なところ男女の出会
いは決して多いとは言えない。
とはいえ、風牙衆も一応、歴史もある風の一族でもある。長でもある、流也も結婚しないのは訳にはいかない。なぜなら血筋が絶えてしまうからだ。そういっ
た理由から一族内での婚姻などが多いのである。
もっとも、名家の一族同士の結婚はそれほど珍しい事ではない、現に神凪も分家同士で結婚しているものも多数存在している。
つまり、静音と流也はそういった関係である。
「君は、まだ目覚めないんだね」
半年前からこうなった婚約者に流也は語りかける。
事の始まりはきわめて単純、仕事の失敗が原因である。父である、兵衛が死んだため流也が長となったのだがいかせんかなりの人手不足に悩まされていた。
理由は聞くまでもなく、神凪の風牙衆の扱いである。神凪にとって風牙衆は死んでも替えのきく道具という認識が強い、そのため風牙衆の死亡率は神凪の術者
の死亡率とは比べ物にならないほど高いのである。
そのため、本来ならサポートとにまわる事のない女性の術者も参加するはめになったのだ。静音もそんな術者の一人である。
流也の婚約者という立場である彼女が仕事に参加するのを流也は反対していた。
「私も、貴方の役に立ちたいのですよ。流也様」
やさしく笑いながらも、断固として意見を曲げない彼女に流也は苦笑を浮かべながらもしぶしぶ認めた―――今思えば、何故あの時無理にでも止めなかったの
だろう。そう流也は深く、後悔していた。
彼女は初仕事をして―――そのまま眠りについた。
死んだわけではない、妖魔の呪いのようなものを受け、魂の一部を損傷して眠りについたのだ……二度と目覚めない眠りに。
原因は神凪の術者の慢心で止めを刺し損ねた妖魔の最後のあがき、それを運悪く静音が受けた―――ただそれだけの事だった。
少なくても神凪の術者、重悟以外のものはそう捕らえていた。だが、流也は違う、父を神凪の慢心で亡くし、さらに愛する女性まで失ったのだ。
『すまない』
重悟は謝罪したが、流也は何も―――正確には怒り以外の感情は芽生えなかった。
”口だけで何もしない無能な当主”
コレが流也の重悟に対する認識になった。風牙の民のため、そして愛する静音のため流也は父を失った悲しみ、神凪に対する憎しみを無理やり抑え続けた。
だが、それも静音の件で爆発した。何しろ、他の神凪の術者は「はっ、風牙衆は運にも見放されてるな」、「俺達は、炎の精霊王の加護があるから仕方がねえ
んだよ」、「にしても、勿体ねえ。風牙の女にしては美人だったのにヤリそこねたな」、そう言いだすものがほとんどだった。
ふざけている、流也はそう思った。
何故、父が死ななければならなかった? 何故、静音が眠り続けなければならなかった?
自分達の先祖が罪を犯したからか? 神凪の自分勝手な選民主義の所為か? それとも、この世界が間違っているのか?
何度自問しても答えなど出るはずもなく流也は疲れ始めてきた。
「どうでも良い……もうどうでも良い」
静音も体裁を気にしてか長老達が病による自宅療養に無理やりさせた。他の退魔の関係者につけ込まれないための措置である。
全てに絶望して、自らの命も絶とうとした、だが彼は見つけた―――彼女、静音を目覚めさせる方法を。
―――私に力を貸せ、風巻の末裔。そうすれば汝の願いをかなえよう。
「……静音」
再び頬をなで、愛しき者の名を呼びかける。
『ずいぶん、大切に扱うな流也』
何処からともなく声が響く、今この部屋には屋敷の主である流也と目覚める事のない静音以外、人はいないはずである。だが流也はその声を聞いても特に驚く
様子はない。
「そうだよ、静音は僕にとって何より大切の存在さ。貴方にそういった感情があるかどうかは知らないけどね」
前半は鈴音を慈しむように話、後半は何処か皮肉的に何処からか聞こえる声に答えた。
『私とて、そういった感情はある。安心するが良い、お前との契約は守る』
「そうだね……僕は貴方の復活の手助けをする」
『そして、私がお前の女の呪いを解き目覚めさせる。私が完全に復活すれば動作もない事だ』
「……」
その自信に満ちた声を聞き黙り込む流也。流也とて静音を目覚めさるためあらゆる方法を試したが無理だった。その流也にはどうあがいても不可能だった事を
声の主は動作もない、つまり簡単すぎる事だと言ったのだ。
そう考えると複雑な気持ちになる。自分の力のなさに……彼女との絶対的な力の差に、流也は嫉妬にも似た感情を抱いていた。
『どうした?』
「……なんでもないよ。それよりこれから貴方はどうするんですか?」
そんな感情を悟られないように声の主にこれからの動向を尋ねる。
『”あの男”の言葉が真実か確かめたい。神凪の実力を確認したのだが』
「それなら丁度良い人がいるよ。さっき綾乃が仕事に向かったらしい。彼女で確かめてはどうだい?」
『綾乃?』
「宗主、神凪重悟の娘で、炎雷覇の使い手さ」
綾乃の事を知らない声の主に流也が説明する。簡潔な説明だが何処か、馬鹿にした響きが含まれる。
『ほう、炎雷覇の使い手か』
声の主のトーンが変わる。”炎雷覇”炎の精霊王が神凪の始祖に授けた神器にして声の主にとっては消して忘れる事ができない忌まわしき剣。確かに今の炎雷
覇の所持者の実力を調べるのは悪くない。まだ”調整”が終わっていない今、敵戦力の把握をするのは大事な事である。
「どうします」
『決まっている、流也。そのもの居場所は分かるか?』
「ええ、彼女は―――」
さて、神凪は水輝を捕獲するため総動員で居場所を探し始めた。多少時間がかかったものの見つける事ができた。
とはいっても水輝は本名でホテルに泊まってたので威張ることでもないが。
「くくく、早く来い……あの女の顔をぐちゃぐちゃにゆがめて犯しぬいてやるぜはっはっあはっはああああ!!」
「……」
水輝捕縛のため向かわされた二人の術者、その名も結城慎吾に大神武哉、分家最強とうたわれる二人である。
彼らに勝つには実質宗家レベルの力が必要なため厳馬の中では最強の手札の一つだが。
「水輝ーー殺してやる……慎冶を殺したんだ……両手両足を焼き焦がした後、やめてって言うまで犯しぬいてやるぞぎゃははははは」
「……(帰りたい)」
いかんせん性格に問題があった。
何せ、この結城慎吾、水輝を捕まえるつもりなんてこれっぽっちもなかった。
それどころか犯しぬく気満々だし、最終的には殺すつもりだろう、先ほどから警察に捕まりそうな発言ばっか連発している。
はっきりいって危ない人であり、近づきたくない。現に隣の武哉は半分ほど引いていた。
武哉も彼の気持ちは多少なり理解できる。もし自分の大切な妹があんな目にあったら怒り狂うだろう。もっともあんな犯罪者の一歩手前になりたいとは思わな
いが。
「おい、水輝の姿はまだか?」
かわいがっていた弟が殺されたため完全に壊れてしまった犯罪者と、できるだけ距離をとり風牙衆に尋ねる。
『現在、五百メートル前方に姿を確認しています。まだ気がつかれていないようです』
「そうか……」
多少疲れたように頷く武哉。その理由は聞くまでも無い。隣で狂ったように危ない事をほざく、元相棒のせいだろう。いつもなら風牙衆に矛先を向けるのだが
今の慎吾に、それが通じるか分からない。
(早く、来てくれ水輝……)
青い空を見上げながら、早くこの場から解放されたいと思う武哉だった。
その頃、水輝は朝の散歩を楽しんでいた。別に意味は無い、ただなんとなく散歩したかっただけなのだ。
「―――それで、貴方はいつまでついてくるのラピス・サウルン」
ため息をつきながら昨日出会った、緑のドレスを着た女性に尋ねる。
「一応、貴方から良い返事を貰うまでかしら」
クスリと軽く微笑を浮かべながら答える。
「霧香が室長の、警視庁特殊資料整理室に来てほしいって話? だったら答えはノーよ」
深夜のファミレスで霧香の代理であるラピスの用件とは簡単に言うとスカウトのようなものだった。
警視庁特殊資料整理室。今は詳しい説明を省くがようは政府公認の退魔機関のようなものである。
とは言っても、幽霊や魔術などは空想だけの話とされているこの世界。一般認知度は限りなく低い上、日本では神凪や石蕗と言った古くからの名家が退魔を生
業としているため、活動内容は結界の補修や、地縛霊の駆除と言った悲しいものばかりなのだが。
「別に部下になってほしいってわけではないわ。ただ、もし私達で手に余るようなものがあったとき、多少なりとも手伝ってほしいのよ。もちろん報酬はだす
わ」
「嫌よ、そんな事したって手柄は貴方達のものじゃない」
軽く睨みながら答える。もしその話を受けても、お金が手に入るだけで地位や名誉はほとんどが霧香やラピスが属する警視庁特殊資料整理室に渡ってしまう。
それが嫌だから断る。表向きの理由としてはそんなに無理は無い答えのはずだ。ちなみに本音は何処かに属するのが面倒で死ぬほど嫌なだけなのだが。
そんな事、面と向かって言うほど愚かではない。
「―――貴方は今以上に地位や名誉がほしいの? ”風の契約者様”」
「……何処で知ったのよ」
ラピスの予想外の言葉に一瞬動きが止まるが直ぐに反論しだす。自分が知る限りその事を知ってる人間は極わずかのはずだ。
「言っとくけど私は霧香から聞いただけで、他意はないわ」
軽く自分を睨んでいる水輝に答える。
「そう」
腕を組んで黙り込む。
(霧香……後でお仕置きしようかしら)
薄ら寒い笑みを浮かべながら危ない事を考え始める。霧香はその事を知る数少ない例外の一人である。内心余計な事をしてくれたものだと思いながらも、とり
あえずその事は後回しにして、これからの事を考える。
ちなみに、水輝が危ない事を考えた同じ時間、某警察の某機関の某室長は死の恐怖を感じたとか何とか。
「まあ、霧香のことは後にして”コレ”どうしようかしら」
青い空を見ながら、今差し掛かっている問題をどうすべきか考える。
「コレ?」
ラピスが疑問の声を上げる。水輝はそんなラピスを見ながら説明するより聞かせたほうが早いと判断したのか、右手で空を掴みような動作をした後、自分の意
識を風の精霊と同調させ、ラピスにも聞こえるように範囲を広める。
『早くこい、水輝!! 俺がお前のピーをピーして、ピーをピーにピーを……』
『……(助けて操)』
ラピスが水輝の動作の質問をする前に、危ない言葉が聞こえる。はっきり言って犯罪者の台詞。その後もしばらく聞かせ、流石にもう聞くに堪えないと判断し
たのか水輝はチャンネルを閉じ声を遮断した。
「……何、今の?」
頬を若干紅くしながらラピスが答える。彼女は誰隔てなく接する事ができる女性だが流石の彼女も、女性としての嫌悪感のようなものがあるのか多少嫌そうな
顔をしている。
「多分、神凪の誰かだと思うけど……」
腕を組んで、首を捻りながら考える。だがいくら記憶の引き出しを開けても彼らの名が出る事はない。もっとも、あんな危ない人物の名が記憶にあったら直ぐ
に分かりそうなものだが。
「アレは貴方の親戚なのかしら?」
そんな水輝の様子を見ながらラピスはほんの少し後に下がりながら少し呆れたように質問をした。
「……まぁ、戸籍上……そう……なるのよね」
右手で髪の毛をかきあげ、空を見上げながら悲しみを含んだ声で肯定する。水輝本人は否定したいが神凪である以上どんなに嫌っても血が繋がっているのは変
えようのない事実であり、現実なのだから。
「とりあえず潰すわ」
あんな性犯罪者に近づいたら何をされるか分からないので、とりあえず倒そうと判断したようだ。
水輝の右腕に凄まじい量の風の精霊が収束し始める。ただそれだけで彼女の術者としての技量が分かるほどに無駄が無く力強く、そして何処と無く美しさが
漂っていた。
「待って、まずは話し合うべきよ」
「―――アレと?」
ラピスの提案に水輝が疑問の声を上げる。ラピスは本来争いを好まない性格であり、例え妖魔と言った存在であろうと話し合いで解決できるならそうしたいと
考えている。
彼女がこの世界に身を置いているのは妖魔や魔族といった存在と直に接する機会を増やすためでもある。
「そうよ。話し合いで解決できるならそうするべきよ」
「……」
ラピスの言葉に黙り込む水輝。彼女は別に戦闘狂でもないし殺人快楽主義者なわけでもない。彼女にとって戦いは目的達成の手段に過ぎない。と言うか戦いな
んてかったるいしめんどくさいので、回避できるならしても問題ないのだ。
「別に私はかまわないけど―――アレが話し合いに応じるとは思えないけど」
そう言いながら、再び風の精霊と同調させてチャンネルを合わせる。すると慎吾や武哉の会話が風に乗って聞こえ始める。
『早く、早く、早く、しろおおおお!!! 水ーーー輝!! お前は俺がピー(自主規制)』
『操、お兄さんはもう帰って来れないかもしれない……』
「……」
先ほどより、さらに過激で危ない発言が聞こえラピスは黙り込む。そんな彼女の心境をよそに変質者はさらに危ない発言を繰り返す、どれくらいか危ないかと
いうとこのサイトでは乗せられないくらいだろう。
「アレと話し合える?」
「……無理かも……しれないわね」
空を見上げながら、何処か悲しさと何かを悟ったような哀愁を漂わせながら納得する。
「そういうことよ」
そう言うと水輝は二人(一人は違う)の変質者の遥か上空、高さにして数百メートルほどの位置に風の精霊を集めだす。その動作は、無駄がなく美しささえ感
じる、同姓であるはずのラピスでさえそう感じてしまっていた。
『ぐがあぐがああ……(此処からはあまりにも酷い表現のため自主規制させていただきます)』
『……もう嫌だ……神よ俺は何かしましたか?』
未だに狂っている変質者と、何かに懺悔し始めている変質者の仲間に向けて、上空で作り出した風の鉄槌を振り下ろす。もちろんこの二人はおろか、彼らや水
輝達を同時に監視しているはずの風牙衆も気がついていない。
そのため、強大な風の精霊を感じると同時に。
「「うわあああああああああああああ」」
巨大な鈍器に叩きつけられた様に、地面に倒れこんだ二人をただ驚きながらも見届ける事しかできなかった。
「……」
その光景を見た風牙衆の術者は言葉をなくしていた。戦闘力には欠けるが監視などには絶対的な自信があった。なのに自分達すら感知する暇もなく、圧倒的な
風の精霊を召喚して神凪の分家を倒した水輝に恐怖に近い感情を抱いた。
(どうなっている?)
まだ、水輝はこちらに気がついていないはずだった。少なくても自分達が水輝の姿を見つけたときはそう見えた、確認の意味を込めてもう一度水輝を見る。す
ると、水輝はこちらを見ながら、笑顔で右手を上げ軽く手を振っている。
まるで水輝達を覗いている自分達の姿が見えているかのような態度だ。
(そんな馬鹿な……)
そんな事はありえないと否定しようとした瞬間―――自分達の近くにある木々が音も立てず斜めに切断される。
「なっ!?」
わずかに感じる風の精霊の気配、そのことから誰の仕業かなど考えるまでもない。
『今度覗いたら……消すわよ?』
自分達の考えが見透かされたかのようなタイミングで呼霊法で美しい声が響く。
その瞬間彼らは悟った、おびき出されたのが自分達である事を……狩りの対象の哀れな獣は自分達であった事を悟らされた。
「いなくなったわね」
何処か遠くを見ながら水輝は風牙衆が慌てて逃げていくのを確認していた。
「それで、これからどうするの?」
ラピスはとりあえず殺さなかった事に安堵しながらも水輝のこれからの動向を探る。
「クスっ、決まっているでしょ」
見るものに、薄ら寒い何かを感じされるほどの冷たい笑みをしながら歩を進め始める、目指すは先ほど倒した変質者二人組みのところであろう。
「……あの二人を、殺すつもり?」
そんな水輝を見ながらラピスは眼を細め水輝を睨む。彼女が昔、炎が使えないとの理由で口では言い表せないような虐待を受けていた事は知っていた。だから
もしかしたら、その復讐のために殺すのかもしれない。
水輝の性格を考えて敵には容赦しないだろうと判断している。もし倒れている二人に止めを刺すのなら、ラピスは本気で彼女を止めるつもりでいた。
「……貴方が、私の事をそう見てる事を理解できて、とても嬉しいわ」
先ほどの冷たい雰囲気を霧散させ大げさに哀しむ動作をした後、ジト眼でラピスを睨む。
「違うのかしら」
「……いくら私でも、倒れている相手に止めを刺す趣味は……ないとは言えないけど、少なくてもあんな変質者に止めを刺す真似はしないわよ」
何処か、呆れた様子でそう説明する水輝、相手が上級妖魔や魔神、もしくは水輝と”同類”が相手なら迷うことなく止めを刺すがこんな三流変態炎術師に止め
を刺すような事をすることはない。
「―――もっとも」
いったん言葉を区切った水輝は黒いロングコートの……丁度、左胸の部分にある内ポケットに右手を入れ其処から”何か”を取り出す。
「ペン?」
水輝が内ポケットから取り出したのを見てラピスが疑問符を浮かべながら確認をする。それは黒いキャップがついた油性ペンであった。
「そうよ」
先ほどと同じ冷たい笑み―――いや、先ほどは命を刈り取りそうな冷たさを感じたが今のは何処かいたずら小僧を連想させる笑みに見える。
「……なんとなく、貴方の性格を理解した気がするわ」
今の自分の心境とはまるで違う、雲ひとつない澄み切った青空を見上げながら、水輝の説得に自分を当てた友人を心の中で恨みながら何かを悟った境地に陥っ
た気がした。
「まったく、お父様も心配性ね。わたし一人で十分だっていっているのにそんなに信用がないのかしら」
水輝達が変質者を襲撃する少し前くらいの時刻に、重悟から妖魔の討伐を命じられた綾乃は不満たらたらに嘆いていた。
「宗主はとっくにお嬢の事を認められてるさ。それでも一人娘を心配するのは父親としてとうぜんのことだろ?」
綾乃をなだめるのは四十台の男。
横浜にある某神社、くしくも前に水輝が除霊した屋敷の近くだがそんな事を綾乃たちが知る良しもない。
任務を命じられ現地に来てみれば封印の劣化は予想以上であった。そこで綾乃は再封印を断念し封じられていた妖魔を滅することにしたのだ。
曰く『そのほうが手っ取り早い』そうだ。
自分の実力に絶対の自信がなければいえない台詞だが彼女の近くにいる二人の男もそれが大それた台詞だとは思わなかった。
もちろん重悟も綾乃の力は認めているもののそれでも心配するのは親の性であろう。
「公私混同はするなって、いっつもいってるくせにさ。自分勝手だと思わない、雅人叔父様」
それでもまだ不満が取れない綾乃は男―――大神家当主の弟、雅人に愚痴る。
「宗主だって人間なんだ。そう杓子定規で考えることもないさ」
そう言ってにかと笑う。
分家と宗家の関係を考えれば男の態度はあまりにも失礼に当たるが綾乃はそれをとがめる様子はない。
大神雅人、当主である兄をはるかにしのぐ力を持ちながら権力争いをきらいチベットの奥地に修行のたびに出たという変わり者。
日本に戻ってきてからも『綾乃の護衛』を命じられ以来ずっと綾乃を守り抜いてきた男だ。
綾乃にとっても自分を気さくに呼ぶ彼の人柄に好感を覚え今では『お嬢』、『雅人叔父さま』と呼ぶ間柄だ。
「若い術者に勉強させてやってると考えるんだな。なぁ武志……武志!」
「はっ、はい!」
陶然と綾乃に見ほれていた術者―――大神武志は叔父に繰り返し呼びかけられ慌てて我に返った。
「聞いていなかったな……お嬢に見とれるのは良いが、気を抜くなよ。封印はもう、いつ解けるか分からないんだぞ」
「き、聞いていましたとも! 叔父上のおっしゃるとおりです! 綾乃様の戦いぶりを見せていただければこれに勝る喜びはありません」
憧れの綾乃の前で恥をかきたくない一心で思いっきり叫ぶ。
「そーゆーもん」
「そうです!」
綾乃に話しかけられた喜びを身体全体で表していたが、対する綾乃はこういう風に向けられる感情はあまり好きではなかった。
自分はこのような世界ですら普通と違う事を再認識させられそうで……
もっとも、武志にとって綾乃はまさに雲の上の人なのだからこういった反応は当たり前なので仕方がないと言えば仕方がないのだが、それを綾乃が理解する事
は多分ないだろう。
「まっ、良いけどね。……そろそろかな?」
妖気の高まりを察知し、綾乃はその場で半回転し相手に相対した。プリーツスカートのすそがふわりと舞う。
これから立ち回りを決めるというのに綾乃は高校の制服を着ていた。
これには理由がある。高校生でもっとも良く着る服は制服だ。そこで重語はありとあらゆるコネを使い最高級の素材に術式や呪式などをかけた世界最高の制服
を作った。
この服だけで車はおろか、豪邸すら買える、親馬鹿丸出しである。
ちなみに水輝の服装は多少の対術処理はされているが、いたって普通の素材でできている。水輝曰く『どうせ直ぐ、ボロボロになるんだからいちいち金なんか
かけてられないのよ』らしい。微妙にずれた意見であるが、本人はそのことに気がついていない。
その話は置いとくとして、綾乃もまたこの服を気に入っていた、性能うんぬんではなく父からのプレゼントという理由からかもしれないが彼女は戦いの時はこ
の服で挑んでいる。
綾乃は世界で一番高価であろう戦闘服を着ながら崩壊直前の封印を見据える。
”ぱぁん”
呼吸を整えながら両手を力強く叩く、そして合わした手のひらを離すとそこから一メートルほどの炎の線が現れる。
彼女はその線を右手でつかみ横に大きく払う、するとその線は緋色の剣になる。
鮮やかな赤い両刃に金色の炎が刀身に絡みつく幻想的な美しさを持つ剣。
これこそがかつて神凪の始祖が炎の精霊王から授かったといわれる神剣”炎雷覇”である。
綾乃は炎雷覇を振り上げ、頭上ま左手に添えて振り下ろした。
刃の奇跡に沿って金色の粒子を舞い散らせ、ぴたりと剣を止めた姿が見事な正眼の構えとなる。何万回、何十万回と繰り返した者にだけ許される、完成された
動作だった。
ついに限界の訪れた壺が鈍い音を立てながら割れる。破片が地面に飛び散るとともに白い何かが綾乃に向かって飛び出す。
綾乃は飛来してきたものを炎雷覇を真っ向から振り下ろし切り伏せる、すると熱したフライパンに水をかけたような音を立てながら蒸発する。
「粘液……?」
糸を引いて飛び散ったものを見やりながら呟く、前方に眼を移すと薄暗い光の中から”それ”は姿を現した。
数えるのも嫌になるほどの複眼、足は確実に八本以上あり全身を汚らわしい剛毛で身を包んでいる蜘蛛のような節足動物、不気味さより嫌悪感のほうが先立つ
であろう。
「土蜘蛛か……手を貸そうか?」
「けっこお」
綾乃は即座に答えた、気持ち悪いとか泣き言を言っていられる立場ではない。
何より父に失望されるほうが怖かった、それくらいならまだ蜘蛛やゴキブリの化け物と戦ったほうがマシである。
(おいで)
炎の精霊に呼びかける。声は必要ない、必要なのは意思、明確な意思を持って呼びかければいいのだ、炎の精霊は見る見る集まり炎雷覇の刃の輝きが増す。
『我々は対等なのだ』
父、重悟の教えを思い出しながら綾乃は精霊に呼びかける、自分の力は借り物なのだ。他の術者のように力づくで支配しようとせずただ呼びかける。
自分の目的のために不浄ななる魔を倒すためにお願いをする。それだけで精霊は力を貸してくれる。そう”貸してくれる”のだ。
綾乃は忘れないようにする、自分の力はあくまで精霊たちから借りている事を……
「す……ごい」
武志が綾乃の呼び出した精霊の規模に言葉をなくす、話では知っていたがその精霊の規模を改めて目の当たりにすると言葉をなくす。
分家と宗家の力の差を目の当たりにしたのだからしょうがないといえばしょうがないのだが。
「ああ、凄いだろ」
我がごとのように誇らしげに雅人は笑った。
「さっきはああ言ったが勉強になんてなるわきゃないんだよな。俺たちがどう頑張ったって、あんなことできっこないんだからさ」
叔父に返答することも忘れ、武志はひたすら綾乃だけを見ていた。
綾乃は炎雷覇を構えたまま、土蜘蛛との対峙を続けていた。
(どうしよっかな……近づきたくないし……)
土蜘蛛を消し炭に変えるほどの量の炎の精霊を召喚したものの確実にしとめる自信はなかった。とは言え炎雷覇を使えば確実なのだがそうすると剣として使わ
なければいけないので実質あの化け物に接近し、斬り裂き、内部から焼き払わなければならない。
(そんなことしたら、切り口から得体の知れない粘液なんかが飛び出して……爆裂させた破片が身体中に降りかかったり……雌だったら斬り裂いた腹から何百
匹って子蜘蛛がわらわらと……いやあああああああ)
戦闘中にくだらない事を考えながら心の中で絶叫を上げる綾乃、もしこの思考を武志が読む事ができれば彼の綾乃の崇拝の念は音を立てて硝子のように崩れる
かもしれないだろう。もっとも彼にそんな超能力は存在しないので意味のないことなのだが。
土蜘蛛はそんな綾乃のを隙として捉えたのか、カサカサと長い脚を器用に動かして反転した。
「逃げる気!?」
とっさに走り出した綾乃に向かってお尻の穴から白い糸を吐き出す。綾乃はそれを炎雷覇で先ほどと同じように振り下ろしながら迎撃する。
炎は糸を蒸発させるが、とめどなく糸を吐き出す蜘蛛には届かない。
綾乃は足を止め、精神を集中させ呼吸を整え、意思を鋭く研ぎ澄ませる。
(ちまちまやっても埒が明かない。一撃で決める)
上段で振りかぶった炎雷覇を、渾身の力で振り下ろす。浄化の炎が吐き出された糸をものともせず焼き払い蜘蛛を飲み込む。
爆音が響き蜘蛛が炎に包まれた。
「やった……よね」
炎が消えていく中、自信なさげに呟く綾乃の前に白い繭のようなものが現れる。
”ぱりん”
思わず眼を見張る綾乃を馬鹿にするように、硝子が割れたような音をたてながら蜘蛛は無傷で姿を現した。
「……やってくれるじゃないの……たかが虫けらの分際で」
今の一撃は決して手加減したものではない。そんな一撃に耐えた蜘蛛に対して内心プライドを傷つけられ怒りを露にした。
「さあ、覚悟はいい?」
炎の精霊の力の源は怒りだ。彼女の怒りに呼応して炎の精霊が集まりだす、今や此処は精霊が炎という形に具象化こそしていないものの火口並の温度にまで高
まっていた。
怒りを冷静にコントロールしながら渾身の一撃を土蜘蛛に向かって思いっきり振り下ろす。
「はっ!」
気合ととも蜘蛛の内部が弾け巨大な火柱が上がる。
その炎を目印にして大量の炎の精霊が集まり、今度こそ蜘蛛は骨一つ残さず灰になった。
外からの攻撃を防ぐなら中から攻撃すればいい。答えは単純だが、実行するのは不可能に近い、なぜならこの世に存在するあらゆる現象に精霊は関与してい
る。もちろん生き物の体内にもだ。
体内に水分が存在する生き物には水の精霊の影響を受けるし、熱量を持つものは皆、体内に炎の精霊を宿している。
たとえ妖魔でさえも、物質化してしまえば、この法則から逃れることはできない。しかし一般に、他者の体内にある精霊は不可能だとされている。
生物の生前本能は無意識に近くなるほど強く、生命の源とも言うべきものを他者に操作されることを許さないからだ。
並みの天才では、こうした精霊を操ることは叶わない。だが、いつの世にも、理論限界というものを鼻で笑い飛ばす人間はいるものだ。
「ふふん。ざっとこんなものよ」
得意げな笑みを浮かべながら振り返る。
「流石だな。お嬢」
「綾乃様凄いです」
「まあね」
二人にほめられて何処か得意げに頷く―――だが、その瞬間三人の身体を切り裂くほどの冷たい殺気が浄化した空間を支配し始めた。
「!?」
「何だ!?」
「……」
三者三様の反応をしながら、突然の変化に戸惑う。だが未熟な武志はともかく、雅人と綾乃いくらかの実戦経験を積んでいるためかすぐさま戦闘用の思考に切
り替える。
切り替えると同時に辺りが強力な風の結界に包まれる。その規模と精度にこういった術が苦手な綾乃も驚きを隠せないでいた。
「なんなの!?」
「気をつけろお嬢! 多分風の結界に閉じ込められたんだ」
結界構築の早さに恐怖に近い感情を胸の中に抑えながら、雅人はできるだけ冷静に対処できるように心がける。
『ふっ、ふっ、ふっ、これが今の神凪の術者か』
呆れと失望のようなものが混じった声が何処からともなく聞こえる。
「なっ!? 何処よ、姿を現しなさい」
その声に含まれている感情を本能で察知したのか、炎雷覇を取り出し、空に突き出しながら綾乃は叫んだ。
『ふっ、くだらん。そう言われて姿を現すものが何処にいる小娘』
「何ですって!?」
その言葉に、すっかり怒りに火がついてしまった綾乃が叫びだす、彼女の怒りに反応したのか無意識に炎の精霊が彼女の周りを漂っていた。
『普通ならそう言うのだが……お前ごときに姿を隠す理由もない―――望みどうり姿を見せよう』
馬鹿にしている。
綾乃はそう判断した、実際彼女でなくても謎の声の持ち主は明らかに炎雷覇の持ち主である綾乃を馬鹿にしているのは一目瞭然であろう。
(姿を見せた瞬間、焼き尽くしてやる!)
溶鉱炉のように滾る怒りを、力に変えて精霊たちを炎雷覇の剣先に集め始める、その量は先ほどの土蜘蛛を相手にしたときより遥かに多く、それを感じた分家
の二人は、改めて宗家の力を痛感していた。
「では、姿を現すとしよう」
突如、綾乃達の上空に巨大な気が嵐のようにあふれ出す。、精霊が荒れ狂い、風が吹き荒れる。しばらくすると声の主が姿を現す。年のころは十代前半ぐらい
の、背中まで伸ばした緑の髪に昔の日本人が着るような紺色の和服着た血のような紅い眼をした少女。
その姿を確認した瞬間、相手が少女という事に一瞬動揺するが、すぐさまその考えを切り捨て少女に向かって炎雷覇を振り下ろす。
「いけええええええ」
その言葉と共に振り下ろされた炎雷覇から全長数メートルほどの炎の刃が少女に迫り、そして飲み込む。手加減なしの、自分の中でも最高の一撃これを食らっ
て倒せないはずはないと綾乃は思っていた。
少なくても、今まで炎雷覇の一撃を受けて、無事だったものは居ない。
「……この程度か? 炎雷覇の使い手よ」
呆れを含んだ声がした瞬間、強烈な風が吹き、少女を包んでいた炎を一瞬で吹き飛ばす。そしてその風は蛇のように踊りながら綾乃達三人に迫り紙切れのよう
に綾乃達を吹き飛ばした。
背中から地面に叩きつけられ、肺から空気があふれ出す。だが、すぐさま痛みをこらえながら、起き上がろうとするが丁度、膝たちのまま座った状態になった
所で少女の姿が眼に入る。少女はダメージどころか服にすら火傷の跡一つ存在していなかった。
「う……そ……」
その言葉は炎雷覇の一撃を受けて無傷だった事にか、それとも一瞬で三人を吹き飛ばした風術の威力に対してかなのか綾乃は明らかに信じられないものを見た
ような表情をしながらかろうじて、それだけの言葉を紡いだ。
「弱い、弱すぎる」
それだけ言うと、風を纏いながら重力加速度とかなどを無視して、ゆっくりと少女は地面に降り立つ。
「我らが、受けた炎はもっと熱かった……我らが受けた傷はもっと痛かった……」
明らかな憎悪をその眼に宿しながら、少女は綾乃たちに近づく。
「まさか……水輝なのか?」
強力な風術、そして憎悪の言葉から雅人はこの少女は水輝の差し金ではないと推理する。
「だとしたら、どうする?」
別段、否定する理由もないので少女は答えをはぐらかす。肯定も否定もしてないので少女は嘘をついているわけではない。
「決まってるでしょ!? アンタみたいな妖魔、直ぐに倒して、あんたと契約した水輝もわたしが倒すわ!」
その言葉に自分を奮い立たせ立ち上がり炎雷覇を正眼に構える。
「ふ、私を妖魔と呼ぶか、まあそれも良かろう」
眼が曇っているどころか、フィルターがかかっているのではと言いたくなる発言を特に否定する事もなく少女は笑う。いきなりで気が動転しているのか、それ
とも彼女の憎悪を宿した紅い眼と身を切り裂くような冷たい殺意の所為で正常な判断ができないのかも知れない。
確かに、彼女の気は冷たい殺意をかもし出しているが妖気のようなものは全く感じない事に気がついていないのだから。
「だが、お前たちに私を倒す事はできない」
そんな綾乃達の勘違いなど気にする事もなく、少女は両腕を大きく広げる。
「私の名は”風華”神凪に終焉をもたらす者。さあ、我らの怒り、嘆き、憎しみ、その全てを受けながら死ぬがいい」
狂気そのままを具現化したような荒れ狂う風を撒き散らしながら少女、”風華”は綾乃達に宣言した。
その頃全く出番がなかった和麻は……
「よし、確変が来たぞ! 此処から俺の実力を叩き込んでやる」
(……)
指定された時間まで特にすることもないのでパチンコをしながら時間を潰していた。
あとがき
なんとか第三話が完成しました……なんか予定よりずいぶん話の進み具合が遅いような……気のせいですね?
本当はもう少し早く、完成させたかったのですが時間が取れなくて……本当に申し訳ございません。多分十二月まではペースが遅くなると思います。ですが頑
張って投稿しますので、楽しみにしている人がいたら本当にごめんなさい。
まぶらほのほうは、もう少しかかります、多分十二月中には多少投稿が……ペースが落ちて本当にごめんなさい。