「風華……」
綾乃は風華と名乗った少女の名を呟いた、風牙衆とは比べものにならないくらいの風術に圧倒的な気と魔力の奔流、間違いなく今まで出遭った中で最強の敵だ
と綾乃は自覚していた。それでも彼女の戦意がまだ失われていないのは、まだ炎雷覇というアドバンテージがあるからであろう。
雅人もまた、これほどの力を持った存在と遭遇した事はなかった。だが仮にも分家でも最強クラスの術者であり、雅人自身幾度となくこういった修羅場を潜り
抜けた経験がある。そのためまだ冷静に対処できる余裕があった。
だが、武志は違う。彼には綾乃のような力や、雅人のような経験もない。今彼を支配しているのは死への恐怖。絶対的な実力者による決められた運命のように
感じられた。
(あ……あ、あ)
風華の血のような紅い眼を見て知らず知らずのうちに後退する。怖い、彼は生まれて初めて、戦いによる恐怖を感じていた。
「お嬢、俺と武志の力をお嬢に送る、それで一斉攻撃しかない」
「叔父様」
身を切り裂かんばかりの気に額から冷や汗をかきながらも雅人は冷静に今できうる最大の攻撃の案を出す。綾乃も少し悔しそうな顔をしていたがそれしかない
と判断したのかこくりと頷いた。
「いいな、武志……武志?」
「えっ……なんですか?」
何かに怯えたような表情で風華を見ていた武志は雅人の二度目の呼びかけに気づき雅人の方を向く、その顔は若干青く、嫌な汗を掻いていた。
「聞いてなかったのか? しっかりしろ、いいか俺とお前でお嬢の攻撃に合わせて協力攻撃をするんだいいか?」
「あ、はい!」
そうだ、まだ目の前の化け物を倒す手段はあるじゃないか、そう心の中で奮い立たせ武志は綾乃のほうを向く。炎雷覇を両手で握り油断なく正面に構えるその
姿はまさに炎の巫女。
武志の中に芽生えた恐怖が一時的に消え去る。
「話は済んだか」
今まで黙って、三人のやり取りを見ていた風華はどうでも良いように尋ねた。
「ええ、後悔させてあげる」
そう言い再び、炎雷覇に精霊を集めだす。すぐさま刀身が紅く輝く、灼熱の太陽と見間違うほどの力が炎雷覇に集いだす。そして綾乃は風華に向かった走り出
す。
疾風と見間違うほどの速度で一気に駆け抜け、風華の脳天目掛けて炎雷覇を振り下ろす。
「今だ! 武志合わせろ」
「はっ、はい!」
雅人の合図と共に武志は慌てて炎雷覇に向けて炎を放つ。二人とも綾乃の太陽に匹敵するほどに力に比べればあまりにも儚く弱い。だがそれでも神凪の術者、
並みの炎術師に比べれば明らかに規格外の力である。
その二つの炎を炎雷覇の刀身に蛇のように螺旋状に絡みつき、綾乃の斬撃の威力を上げる。
(いける!)
先ほどと違い、炎雷覇の直接攻撃に二人の術者の支援付き、これなら目の前の風華と名乗った妖魔? ですら滅ぼせると綾乃は確信していた。
だが、風華は自分に迫り来る死神の刃でもある炎雷覇を見ても、恐怖を抱くどころか薄い、何処か人を馬鹿にした笑みを浮かべるだけであった。
綾乃の炎雷覇が自分の頭上に迫ると同時に右手に風を纏わせそのまま炎雷覇にぶつける。
固い金属音のような音と共に風華の風を纏った右手は炎雷覇の斬撃を防いだ。
「う……そ?」
「ぬるい、あまりにもぬるすぎる。炎雷覇の使い手よ私が戦った術者はもっと強かったぞ。それこそ”神格者”に近い力を持っていた」
目の前の現実が信じられず唖然とする綾乃に風華は憎しみを乗せてかつて戦った術者の強さを語る。
ちなみに”神格者”と言うのは文字通り神やそれに近い存在に認められその力の一部と加護を受けた存在であり、人を遥かに超えた力と不老不死の肉体を得た
存在である。不老不死といっても自然死が無くなっただけで殺されれば死ぬのだが。
「教えてやろう、そん儚い灯火では、我が憎しみの暴風に消し去られるだけだということを」
「きゃあああああ」
右手に纏わせた風を解き放ち綾乃にぶつける。その風は竜巻のように綾乃を飲み込み遥か後方に吹き飛ばす。雅人や武志の近くまで飛ばされた綾乃は仰向けに
倒れこむ。
「お嬢!」
倒れこんだ綾乃にすかさず駆け寄り手を差し出す。綾乃は戸惑いながらもその手を掴み何とか起き上がる。倒れた時にできたのか、腕や膝に擦り傷などができ
ていた。
「お……叔父、さ……ま」
「落ち着け、お嬢、まだ負けたと決まったわけじゃない」
何かに怯えたような表情をした綾乃を慰めるが雅人自身も絶望に近い感情に支配されていた。
(どうする……お嬢にはああ言ったが、勝ち目はない、どうする)
自分が考え付く限りの方法を、頭の中でシュミレーションしながら片っ端から省いていく。どんな方法を試した所で目の前の存在に勝てる保障はゼロに近い。
(やるしかないか……)
考え付くのは自分の命を燃やし尽くしてこの風の結界に穴を開け綾乃達を逃がす事。
それがどれだけ、危険で愚かな事かなど雅人自身理解している。命をとして大切な誰かを救った英雄、よくそんな存在などがいるが死んで何が残るのだろう。
残るのは自己満足と悲しみくらいだ。だがそれでも今この少女のように怯えている綾乃をみすみす死なせるわけには行くまい。そう自分を奮い立たせ綾乃の方
に向く。
「お嬢……」
「うわあああああああああああああああ」
雅人が自分の覚悟を綾乃に話し出そうとした瞬間、謎の奇声が響く。慌ててそちらを向くと其処には恐怖で顔をぐちゃぐちゃに歪めた武志がしりもちをつきな
がら叫んでいた。
「武志!?」
「どうしたのだ、少年よ」
武志には叔父の心配そうな声も風華の何処か馬鹿にしたような声も聞こえなかった。
「う、あ……あ、あ」
彼を支配しているのは死の恐怖、先ほどまでは彼の中で神格化された存在でもある神凪ナンバー三の術者でもある綾乃がいれば絶対に勝てると信じて疑わな
かった。
だが結果は惨敗、いや正確にはまだ負けたわけではないが、三人が一斉に最大の攻撃を放っても彼女にダメージを与える事はできなかった。その事実に武志は
うちのめされ、生まれて初めて確かな恐怖を味わっていた。
「い、嫌だ……」
風華の紅い眼が武志を見つめる、その眼に含まれる感情は呆れか、それともこの少年がこれからどういった行動をとるのかという興味か。
そんな風華の心情など知る由もない武志はそんな風華の態度もまた恐怖に拍車をかける。
「武志?」
叔父の雅人の声も届かない。彼がすべき行動は唯一つ、一刻もこの場から逃げる事なのだ―――生き残るために。
「い……や……だああああああああああ」
生き残るために恐怖にすくんで動けない身体に渇をいれ無理やり立たせる。そして、すぐさま後を向き走り出す。だが数歩進んだ所で足がもつれ前に倒れこ
む。
顔を地面に強くぶつけたため、痛みの所為か少し赤くなっている。だが、すぐさま起き上がろうとしたがうまく立ちあがれず、腕と膝を使いながら四つんばい
の格好のまま逃げ出そうとする。
「フン」
そんなある意味予想通りの行動を取った武志に侮蔑の視線を向けながら鼻で笑い、左腕を横に振るう。不可視の風の線のようなものが武志の首に走る。すると
武志の首が胴から離れ宙を舞う。
「へっ?」
人間は首を跳ね飛ばされても数秒ほど意識があると言われている。武志が上げたのは疑問の声。突然見えた結界の所為で見えない空、そして何故か”逆さに見
える”唖然とした綾乃と雅人の顔、武志が確認できたのは其処までであった。
武志の首が鈍い音を上げながら地面に叩きつけられ、弾むことなく転がる。彼の顔は恐怖でなく、純粋に今の状態を理解していない何処か唖然とした顔のまま
硬直していた。
武志の身体から切り離された首の部分から勢いよく血が噴出し数秒ほどで止まる。身体の行動を命令する事ができなくなった武志の身体は抑えがなくなったか
のように境内に倒れこんだ。
「つまらん」
そんな武志の最後を見た風華を本当につまらなそうに呟き、綾乃と雅人を見る。
「アンタ……」
そんな風華の言葉に綾乃の怒りが膨れ上がる。自分の身内を殺し、つまらんと切り捨てた目の前の少女を許す事など綾乃にはできなかった。
「ほう、まだ戦意を失わぬか。だが、貴様程度では私に傷一つ、つけることなどできんぞ」
「うっ……」
怒りの所為か先ほどの恐怖をやわらいだが、風華の言うとおり綾乃に戦える手段はない。炎雷覇を構え風華を睨んではいるものの所詮張子の虎のようなもので
ある。
「お嬢」
雅人が綾乃の側まで近づき肩を叩く。
「叔父様?」
いつもと違う、何かを決意したような表情をした雅人に疑問の声を上げる。
「お嬢、俺が結界を破る。その隙に逃げるんだいいな」
そう言うと雅人は綾乃の返事を聞かずに自分たちを閉じ込めている風の結界に向かって走り出す。
「叔父様!?」
綾乃が手を伸ばし止めようとするが届かない。綾乃もまた雅人が何をする気か気がついてしまった―――命を燃やし尽くして自分を逃がすつもりだという事
に。
「駄目! 叔父様!」
悲壮な決意で走り出す雅人に制止の声を上げる。だが雅人はそんな綾乃の声を無視して自分の命を代価に炎を精霊に呼びかける。綾乃に言えば必ず止められる
事を雅人は理解していた。
何処か不安定で、まだ未熟な少女。おそらく誰かを犠牲にして助かる事を認めない事も雅人は理解していた。
だがそれでも彼が命をかける理由はある。綾乃の炎の輝きはまだ儚いが、いずれ全てを照らせるまでに大きくなると雅人は信じていた。だからこそ綾乃の護衛
を進んで行い、そして自らの命を捨ててでも助けたいと思う。
(心残りは、お嬢の彼氏の一人や二人を見れなかった事だな)
自分の身体が炎に包まれるのを自覚しながらもそんな事を考えていた。もしそうなったら宗主である重悟はどんな顔をするだろうか。きっと、『そんな男など
駄目だ! 駄目だ!』と怒り叫びそうだ。
そんな事を思い浮かべ人知れず笑みを浮かべる。
「くだらん」
不意に目の前に風華が現れ、右腕を振るい風の刃を飛ばす。本来なら一撃で雅人を切断するだろうその刃は、命を燃やし炎を纏っているため数センチほど雅人
の身体を斜めに切った所で焼失した。
「俺を舐めるなああああああ!!」
叫びながら両手を前に突き出す。傷口の血が一瞬で蒸発し雅人の身体から炎が巨大な蛇のような形を作り出し風華に迫る。
「……」
だが彼女は特に抵抗する事もなく炎に飲まれ霞のように消え去る、そのまま蛇のような形した雅人の炎は風の結界にぶつかり、ドーム状に包み込んでいた結界
に燃え広がる。
ピシ、そんなひび割れるような音が鳴り結界にひびが入りそして、ぱりんと言う音をたて綾乃を閉じ込めていた風の結界は消え去る。
―――じゃあな、お嬢。
そんな、最後まで雅人らしい声が何処からか聞こえた気がした。
命を燃やし尽くした所為か、両腕を突き出した格好のままで雅人は黒焦げになりながら息絶えていた。
「叔父……様」
綾乃は雅人だった遺体に近づく。触って確認したかったが、触れば崩れてしまいそうなので綾乃は触れなかった。
「叔父……様」
もう一度、雅人の名を呼ぶ。もちろん雅人が『お嬢』と返事を返す事などない。知らずに瞳から涙がこぼれ頬を濡らす。その涙に含まれる感情は雅人を失った
という悲しみと雅人を殺した存在の黒幕でもある水輝に対する怒り。
「……」
袖で涙を拭いて青い空を見上げ、また雅人の方を向く。その顔を何かを決意した表情になっていた。
「叔父様……見ててください、必ず仇はとります」
やる事は決まっている。まず父である重悟に報告をし、水輝を討つ為の準備をする。もちろん綾乃自身も水輝を倒すための部隊に参加するつもりである。
少々名残惜しいが、綾乃は後を向き歩き出す。
(見てなさい……必ず倒してやるわよ、水輝!)
雅人を殺された怒りを胸に宿し、数歩歩き出した所で―――突如風が巻き起こり、ドーム状の結界が形成される。
「どっ、どうして!?」
結界を形成していた妖魔は、雅人の捨て身の攻撃で滅ぼしたはずなのに、また風の結界が形成された事に綾乃は驚く。
「まっ……まさか」
頭に思い浮かぶのは最悪の考え、だがその考えを綾乃は頭を横に振り必死に打ち消そうとする。もしその考えが正しければ雅人は文字通り無駄死にした事にな
る。その事実を認めるのが怖く、綾乃は妖魔がまだ生きているという仮説を、必死に否定する。
『何処に行くのだ? 炎雷覇の使い手よ』
聞こえるのは先ほど雅人の命をかけた炎で死んだはずの、少女の声。その声を聞いた瞬間、自分の考えが正しかった事に絶望する。
「なんで!? なんで!? 生きてるのよ!?」
雅人が無駄死にだった事を肯定するのが認める事ができず綾乃は、叫びながら、疑問を投げかける。
『その顔が見たかったからだ』
声と共に綾乃の数メートルほど先の位置でそこから二メートルほどの高さに、風華が姿を現す。
「一度、希望を見出した後に陥る絶望……ふっ、愉快であろう」
眼を細め薄ら笑いを浮かべながら綾乃を見据える。
「我らの苦しみはこの程度ではない炎雷覇の使い手よ。貴様はもっと、もっと、もっと、絶望を味わいながら死ぬがいい」
狂気を宿した言葉を口にしながら風華は巨大な風の刃をギロチンのように雅人に叩きつける。
「あっ!?」
綾乃の声と共に風の刃は雅人を真っ二つに切断、そのときの衝撃で雅人の身体はぼろぼろと崩れ去ってしまう。
「お……じ、さま」
原型をなくし焦げた灰の山になった雅人を見て、綾乃は放心しながら呟く。風華は腕を振るう、其処から生まれた風が灰を何処かに吹き飛ばす。
「まさに、無駄死にだな」
明らかに馬鹿にしたように言いのける風華。その雅人の命がけの行動を馬鹿にした発言に綾乃の中の何かが切れる。
「……うるさい」
幽鬼のようにゆらりと動き炎雷覇を正面に構える。顔を俯かせた状態のため、前髪に隠れ風華の位置からでは綾乃の表情は見て取れない。
「何か言ったか、小娘?」
「うるさいって……言ったのよ、くそ餓鬼!!」
俯いた顔を上げる。怒りを宿した瞳、そして彼女の怒りに呼応するかのように大量の炎の精霊が集まりだす。先ほど、いや綾乃の生きた中で最高の力である。
自分でも信じられないくらいの炎の精霊の量に、若干戸惑いながらも炎雷覇の切っ先を風華に向ける。すると其処から、灼熱の直径一メートル位の大きさの火
球が風華目掛けて飛び出す。
風華は無造作に右腕を横になぎ払う。其処から飛び出した風の刃は綾乃の火球とぶつかり爆発、相殺する。
「ほう」
こぼれるの賞賛。先ほどまでの綾乃の炎ならいとも容易く切り裂く事ができた。だが今放った綾乃の火球は相殺にとどまった。つまり綾乃はわずかながら潜在
能力を開花させたという事になる。
「くっ、くっ、くっ、まさか炎雷覇を使いこなしてもいない小娘が此処までやるとは」
思わず笑みを浮かべる。まだ自分にはおよばないが此処までの潜在能力があるとは正直予想外であった。
(流也よ、予定変更だ。この小娘を”贄”にする)
仮とはいえ自分と契約を結んでいる、男に思念で連絡を取る。
(……貴方がそう言うならかまわないが……)
何処か不満そうな声をだしながらもしぶしぶ風華の案に賛同する。
「何がおかしいのよ!?」
さらに数発火球を放ち風の刃で相殺された綾乃は風華の笑み見て苛立つ。どうやら馬鹿にされていると思っているようだ。
「ふっ、多少力が増した所でこの私に勝てると思っているのか?」
「うっ……」
風華の指摘に言葉が詰まる。確かに多少強くなったとはいえ、いや多少なりとも強くなってしまったが故に綾乃は風華との実力差を理解せざる得なかった。
おおまかだが風華は自分の数倍近い実力を持っていると綾乃は判断している。おそらくだがあの存在に勝てるのは、父である重悟、もしくは厳馬のどちらかだ
ろう。綾乃とてそれくらい理解できる。
だからと言って風の結界で閉じ込められている以上、逃げる事はできない。となれば生き残る方法は風華を倒すしか道はない。
(どうすればいいのよ!?)
自分が使える最強の退魔術”覇炎降魔衛”は起動に時間がかかるので風華相手には使えない。
(こうなったら……)
何かを思いついたのだろう。炎雷覇を右手に持つ、眼を瞑り精神を集中させる。瞬間、綾乃の周りに炎の精霊が集まりだし炎が生まれる。
「はああああ」
いつもは炎雷覇に集め放つのだが、綾乃は炎を身体に纏わせる。綾乃の気と混じりあい、炎の色が金色に染まる。
「そんな炎で何をするつもりだ小娘」
綾乃が何をしようと、対して脅威でないと判断している風華は綾乃の行動を何処か面白そうに眺めている。
「決まってるでしょ! 後悔させてやるのよ!」
その瞬間わずかだが炎雷覇から鈍い光が輝く。だがその輝きも一瞬で消えたため綾乃は気がつかなかったようだ。そして綾乃は左手を炎雷覇の柄の部分に添え
る。
(お願い、力を貸して)
精霊たちに、呼びかけながら添えている左手を離す。すると柄の部分から金色の炎の鎖のようなものが現れ綾乃の左手に絡みつく。
「なっ!?」
風華が初めて動揺する。綾乃がした技が何か風華は知っていた。三百年前忌々しい当時の炎雷覇の使い手が使った技なのだから、だが”アレ”は綾乃ごときに
使える技ではない。だからこそ今綾乃がしようとしている事に驚きを隠せないでいた。
「”火輪斬術”射戦段 伏龍砲」
その場で回転し、炎雷覇を風華目掛けて飛ばす。空気を切り裂き、弾丸のごとき速さで炎雷覇は風華の心臓を貫く。
「……ば、馬鹿な」
自分の心臓に突き刺さった、炎雷覇を見つめながら唖然とした。柄から伸びた炎の鎖を左手に絡みつかせている綾乃は内心この技が成功したことに驚いてい
た。
”火輪斬術”代々炎雷覇の使い手のみに伝わる秘伝の斬術である。斬術とは剣術と魔術の融合技のようなものであり、火輪斬術は炎と剣術の融合技である。
この火輪斬術をマスターするには長い年月を必要とする。その平均年月は三十二年と言われている。そんなにかかるのでは使えないのでは? と思う人もいる
だろうが、炎雷覇の使い手といってもピンからキリまで存在するので十年前後でマスターをした人物もいれば、一生マスターできなかった人物もいるのでこんな
年月になってしまったのだ。
ちなみに重悟は十五年、頼道は宗主であったが炎雷覇を使えていなかったのでマスターどころか基礎すら使えない。
綾乃の場合はまだ基礎の段階なのでなんとも言えない。実際今の技にしても昔、重悟が何回か使ったのを半見よう見まねに使っただけなので本来の技の半分の
威力にも満たないのだが。
「やった……」
一か八かの賭けに近い技が成功して綾乃は安堵の息をつく。風華は未だに信じられない顔をしていたが炎雷覇が心臓を貫いているため、確実に弱ってきてい
る。
「私が……こんな……小娘に……」
まだ、信じられないのだろう。唖然としながら綾乃を見ながら呟く。
「神凪を馬鹿にした罰よ……地獄で叔父様に詫びなさい」
そう言い終えると綾乃は突如膝をつく。動悸が荒くなり顔から嫌な汗が零れ落ち、境内に染みを作る。同時に体中の骨が軋みだす。
(痛っ……)
あまりの痛さに顔を歪める。それを見ていた風華は突如冷たい笑みを浮かべた。
「当たり前だ、未熟な分際であんな技を使ったのだ。身体が悲鳴をあげないほうがどうかしている」
「なっ……」
綾乃が驚きながらも声の方を見ると風華の姿が消えていた。
「何処……」
言葉を言い終える前に前に背中に鈍器で殴られたような衝撃が走る。痛みが身体を支配するよりも早く綾乃の意識は闇に包まれ、数メートルほど吹き飛ばされ
た。
「この程度の幻術にかかるとはまだ未熟」
風華は綾乃に簡単な幻術をかけ自分が貫かれる幻を見せたのだ。とは言っても直ぐにばれるお粗末なレベルだが何故か綾乃には通じたようだ。
「……とは言っても、この程度の腕で私に傷を負わせるとはな」
左のわき腹の部分を右手で押さえる。わずかながら切り傷ができており風華の和服から血が滲み出している。先ほどの、”伏龍砲”でわずかながら傷を負わさ
れたのだ。
「わずかとはいえ”炎雷覇”の力を引き出したか。それでこそ贄に相応しい」
薄く暗く笑い、気絶した綾乃を右肩に担ぐ。外見年齢十歳ほどの少女が女子高生を担ぐのは、何処か異様な光景だがそんな事気にした様子もない風華はそのま
ま宙に浮かび、消え去った。
残されたのは、破壊された境内と首と胴が離れた武志の死体だけであった。
「うーん」
右手にペンを持ち、首を捻り腕を組んで何処か不満そうに先ほどあっさりと倒した変質者の二人組みを見下ろす水輝。
「失敗ね」
「此処までしといて?」
水輝の呟きに呆れるラピス。よく見ると変質者の二人組みのの顔には油性のペンで書かれた落書きが書かれている。主に額に”肉”とか”米”とか。
「そうよ。やっぱりこんな変質者じゃ、私の美的センスが沸かないのよ」
そう言い空を見上げる。その顔は本当に、いまいちと言った表情を表している。
「貴方ね……」
隣のラピスの呟きを右から左に聞き流し空を見つめ続け―――瞬間、何かを感じ取ったのか、右手でラピスのドレスを掴みながら水輝は、弾かれたように後ろ
に飛ぶ。
「ちょっと……」
ラピスが抗議の声を上げる前に黒い線が先ほどまで水輝達が居た場所を走り抜ける。その黒い線は地面に深い亀裂を作り、数十メートルほど駆け抜ける。その
進路上には運悪く、変質者二人が居たため胴の部分から二つに切断される。
「不意をつかれたわ」
「……どういう事?」
ラピスは目の前で失われた命を悲しそうに見ながらも水輝の呟きを聞き返す。
「気がつかなかったのよ……風の精霊で攻撃される瞬間まで」
「そんなはずは……」
「ええ、ないはずよ」
ラピスの言葉をそのまま続ける水輝。そう、そんなはずはないのだ。風の契約者でもある水輝に風の精霊を使い彼女に気がつかれずに、攻撃するのは不可能な
のだ。
それは実力云々ではなく、”彼の者”との契約でそう決められているのだ。もし、水輝に不意打ちを仕掛けられるものがいるとすれば、彼女同じ”存在”もし
くは”王”と同格以上の存在でないと不可能である。
(どれだとしても、最悪じゃない)
神に属するものでも、魔に属するものであったとしてもめんどくさい相手だと理解した水輝は心の中で愚痴を吐きながらため息をついた。
「……来たわ」
水輝が呟くと同時に空から辺りを埋め尽くすほどの強大な妖気が現れる。黒い風がその妖気の中心から吹き荒れ、風が止むと妖気の主が姿を現す。
「妖魔……」
現れたのは紺に近いボロ布に身を包み、巨大な黒い靄のようなものに包まれた巨大な右腕が目に付く妖魔、水輝を睨みつける爬虫類のを思わせる眼には憎悪と
いう感情が宿っているようにも見える。
「貴方どれくらい戦える?」
「貴方の足を引っ張らない程度には」
水輝の問いに素直に答えるラピス、二人とも油断なく目の前の妖魔を見つめる。粘っこささえ感じる冷たい妖気がこの辺り一体を包み込むのを二人は肌で感じ
ていた。
「……カン……ナギ?」
水輝を見た妖魔が不意にそう呟く。
「違うわ」
その呟きに即座に否定する、一応神凪を勘当され、姓を”八神”と変えているから嘘は言っていない。
「カン……ナギ……カンナギ……カンナギぃいい!!」
水輝に向かって何度か神凪と呟いた後、突如叫びだし黒色の風の刃を水輝に放つ。
「ちょっと! いきなり何するのよ!?」
横に飛んで回避し水輝が抗議の声を上げるも、妖魔はそんな事知った事ではないとばかりに十の風の刃を水輝に放つ。水輝は後に飛びながら精霊に干渉させ風
の刃を消し去ろうとするが―――
「ちょっと!?」
思わず驚きの声を上げる。ラピスが何事かと水輝を見るがそんな視線を気にしている場合ではない。契約者たる自分の声に風の精霊が答えない。
そんな事は本来絶対にありえないことなのだが、そのありえない事が今、目の前で起きているのだから水輝の驚きの声も仕方がないのだろう。
「くっ!?」
すぐさま意識を切り替え、右腕を横に振るう。其処から巨大な風の刃が出現し妖魔の放った十の風の刃の内三つほどをかき消す。だが残り七つの刃をかき消す
事はできなかったため、七つの刃が水輝に迫る。
身を捻り、後ろに飛んで二つを避け、左手で高密度に圧縮させた空気の塊”大気の拳”<エーテルフィスト>を作り出し、風の刃に向けて撃ち込み、三つの風
の刃を吹き飛ばす。
残り二つの風の刃が左右から水輝を切り裂こうと襲い掛かる。再び精霊に干渉させてかき消そうするがやはり、戸惑いの声を上げるだけで答えようとはしな
い。
左右から迫り来る風の刃をどうするかと考えている間に、突如バスケットボールほどの大きさの二つの水の球がそれぞれの風の刃にぶつかり相殺する。
「……とりあえず、ありがとうと言っとくわ」
水の球を放ったであろう術者、ラピスに向けてお礼を言う。
「どういたしまして」
微笑でそう答える。水輝が何か言おうとしたが、風の刃を消された妖魔が水輝目掛けて、上空から蹴りを仕掛けてくる。水輝は後ろに飛んで妖魔の蹴りを避け
る。
轟音を立てながら舗装された道が砕かれる。その威力に呆れながら水輝は先ほどの妖魔と同じ数の風の刃を放つ。放たれた風の刃は全て妖魔に突き刺さる。だ
が妖魔は気にした様子もなく、巨大な黒い靄を纏ったような右腕を水輝に向けて突き出す。
「ちっ!」
舌打ちしながら身を捻る。そして一回転しながら妖魔の懐にもぐりこみ、掌底を叩き込む。
瞬間、巨大なハンマーにでも叩かれたような音が鳴り、妖魔が十メートルほど後退する。その光景を見たラピスが軽く驚く、少なくても今のは普通の掌底の威
力ではない。
(”白虎牙”<びゃっこが>は効いたわね)
妖魔を見ながらそう心の中で呟く。掌に風の精霊を収束し、相手に打撃を打ち込むと同時に破裂させる技である。本気で撃てば人間程度なら一撃で肉塊にでき
る威力がある。
(どうやら、こっちから攻撃するには問題ななさそうね)
相手の操る風の精霊の干渉はできないがこちらから攻撃するには特に問題がないようだ。そうと分かれば怖くないとばかりに水輝は妖魔に向かって走り出す。
(速い!?)
ラピスは水輝の速度を見て驚く、風を纏っているとはいえ今の水輝は例えるなら閃光、それほどの速さを誇っていた。ラピスと言えども何とか視認できるくら
いだ。
妖魔の目の前まで迫った水輝は身を屈み、左足を軸に右足で足払いをかける。妖魔は目の前で消えた水輝に多少の動揺するもすぐさま上空に飛んで水輝の足払
いを避ける。
妖魔は上空から風の刃で水輝を切り裂こうとする。だが、水輝とは全く違う方向から巨大な一メートルほどの水弾が妖魔にぶつかる。
水術は質量が風と比べはるかに多いため攻撃能力は決して低くない。まともに食らったため、ダメージこそさほどではないがバランスを崩し、術の発動が遅れ
る。
そして、それを見逃す水輝ではなく、一瞬の隙をつき妖魔より高い位置のジャンプする。
妖魔より高く飛び上がった水輝は両手を握り、さらに風の精霊を纏わせ妖魔の頭頂部にその手を叩き込む。妖魔は吸い込まれるように地面に激突し―――巨大
な音と共にクレーターを作り出し、うつぶせに倒れこむ。
「助かったわ」
「そう言ってもらえると光栄ね」
水輝は上空からラピスに向けて話す。だがそう言いながらもラピスは水輝の半分でたらめな実力に呆れていた。
(謙遜ではなく、本気で足を引っ張らないようにするのがやっとかも知れないわね)
流石に”彼の王”よりは劣るだろうが、それでも水輝の実力は規格外だと判断していた。
「それでどうするの」
「決まってるわ止めを……」
水輝が言い終える前に突如、うつぶせに倒れこんでいる妖魔から急速に妖気があふれ出し、巨大な黒い竜巻が妖魔を包み込む。瞬間、巨大な黒い風の奔流が水
輝とラピスに迫る。
すぐさま、水輝は右手をかざし自分とラピスを包み込むように風の結界を張る。水輝の張った結界に黒い風がぶつかり軋みだす。
「ぐうおおおおおおおおおおお!」
妖魔が咆哮を上げ、黒い風が公園を包み込み中にある木々を吹き飛ばし地面を砕く。数秒ほど、風が公園を包み込みそして消え去った。
「―――逃げたわね」
結界を解いた水輝はクレーターの中心に居たはずの妖魔が居なくなったのを確認しそう言った。
「……本当にめんどくさい事になりそうね」
空を見上げた水輝の何処かめんどくさそうに呟いた。
神凪は騒然としていた。それはそうだろう何しろ時期宗主でもある炎雷覇継承者の綾乃が誘拐されたのだ。
綾乃の帰りが遅いと神凪の術者が綾乃が退魔に赴いた神社に向かった。すると破壊された境内に残された神凪の術者らしき遺体、風牙衆が調べた結果その遺体
は大神武志と判明。
そして綾乃の姿が見えないため風牙衆はさらに調べた結果、風術を使う何者かに攫われたらしい事が判明した。
その報告を聞き神凪の術者たちは騒然としていた。神凪に敵対する風術師など彼らの中では水輝しか居ない。そしてもし犯人が水輝なら彼女は神凪ナンバー三
の実力者でもある綾乃を倒したことになる。
もしそうなら彼女は実質、重悟、厳馬レベルの実力を持つ事になる。さらに分家最強の慎吾、武哉コンビも殺した事に神凪の術者の恐怖を煽っていた。その事
実が今までたかが水輝と侮っていた分家や、口だけの長老連中の恐怖を引き立てるには十分すぎる材料であろう。
「……そうか」
神凪にある重悟の部屋で厳馬は今までの報告をしていた。
「―――宗主」
眼を瞑り厳馬の報告を黙って聞いていた重悟に厳馬は声を上げた。
「なんだ?」
「失礼ながら思ったより冷静だと」
「……私とて立場くらい弁えている」
確かに当初綾乃が誘拐されたと知った当初は『私の綾乃を!!』とか『水輝でなければ今すぐ焼き尽くして!!』などの発言をしていたが今は落ち着いてい
る。
いくらなんでも、こんな大事な時にそんな私怨で一族の長が勝手に行動されてはたまらない。重悟とて親馬鹿だがそれくらい理解していた。
「それで、お前はどう思う。風牙衆の報告では綾乃を攫ったのは風術の使い手であることしか判明していないが……」
苦々しい顔をしながらもおそらく、神凪の中で自分と同じくらい冷静に判断できそうな人物である厳馬に犯人について話し出す。
「……水輝である可能性は否定できません。確かな証拠はありませんが、水輝は少なくても慎吾や武哉を倒したのは風牙衆の報告で明らかにされていますし」
「だが逆に言えば、綾乃を攫った証拠はないか」
確かに水輝は分家最強のコンビを倒したとの報告は風牙衆から聞いていた。だが綾乃に関してはおそらく風術の使い手であろう事しか分からない。
「そうなりますな」
「ずいぶん、嬉しそうだな」
厳馬の声に重悟が若干不機嫌になる。もちろん理由は分かっている、普段ほとんど感情を表に出さない厳馬が『慎吾や武哉―――』の部分で若干声のトーンが
変わっているのだ。重悟も水輝が強くなったのは喜ばしい事だが、一人娘の綾乃を攫った容疑者の可能性があるので心境は若干複雑なのだが。
重悟はこの厳馬が実は和麻や水輝の事を愛していた事を知っていた。そして彼の不器用な考え方の所為でその愛情が二人に伝わっていないだろう事も理解して
いた。
「ならば何故水輝や和麻を手放した?」
今までずっと疑問に思っていた事をこの場を借りて口にする。
「私は今まで神凪として生きてきました。他の生き方など知りません……私の子たちもまた」
「……だから自分の届かぬところに遠ざけたと? 自分で好きな生き方を選ばせる為に?」
「はい、特に和麻は神凪の中で終わる器ではないかと」
「……確かにな」
何処か嬉しそうに和麻の事を語る厳馬にうなずく。重悟はできれば和麻には神凪に居てほしかったが厳馬の言うとおり、神凪に収まる男でないと弁も賛同でき
る。
「だが、水輝は女性だぞ。何かあったらどうするんだ」
「ふっ、何を馬鹿な私の娘ですぞ」
「あーそうかい」
自信満々な台詞に追求する気力が萎えた。結局のところ厳馬もある意味親馬鹿なのだろう、もっとも水輝や和麻には間違いなく伝わっていないが。
「それで、これからどうする?」
「やはり、一度水輝に会って話を聞くべきかと」
話を戻しこれからどうするかについて話し合う。
「……そうか」
結局のところ自分達はこの事件について何も分かっていない。分かっている事は風術師が犯人である事、そして水輝と言う神凪を恨んでいるであろう風術師が
一番疑わしいという事ぐらいである。
「だが、素直に話し合えるか?」
本当は自分が行って話し合うのが一番なのだがそれは厳馬に止められた。宗主が行くくらいなら自分がという事で話が進んでいるがこの男が、素直に嫌われて
いる娘と話し合えるか不安で仕方がないのである。
そもそも、素直に話し合えるような関係なら家出などということになるはずないのだが。
「……」
「何故、黙る?」
妙な沈黙をしだした厳馬を見ながら重悟は胃の辺りがきりきりと痛み出すのを自覚していた。
「やはり、厳馬が動くか」
神凪邸の上空で黒い服で身を固め神凪を監視していた流也は、自分の予想通りの行動を取る神凪の連中に対してほくそえんだ。分家最強の術者が殺され綾乃を
も倒し攫ったかもしれない相手なのだから、厳馬が動くのは当然といえば当然だろう。
「そして、間違いなく水輝ちゃんは厳馬と戦う」
これは確信にも近い推測である。彼女の境遇は昔から知っていたし、厳馬が彼女に対してしたことなど全くない。水輝からの話ではせいぜい、武術の類を教え
た事くらいで、彼女から親の愛情云々といったことは一度たりとも聞いていない。
そんな関係の二人がまともに話し合えるはずがない、だからこそ流也は次の一手を打つ事にした。
(風華、厳馬が動く……水輝ちゃんをうまく誘い出してくれ)
(ふむ、分かった。二人が戦いそして弱ったところを討てばよいのだろう)
漁夫の利である。わざわざ敵対しそうな二人が戦ってくれるのだ、こちらが余計な手を出して、共闘させる状況などわざわざ作る必要など何処にもない。
(……ああ)
のどの奥に何かが引っかかった、例えるならそんな感じで頷く流也。その顔は何処か、哀しみのようなものを漂わせている。
(流石に、友人関係にあったものを手にかけるのは戸惑うか流也?)
仮とはいえ、思念で会話ができる関係であり、風華は流也の迷いを思念を通じて感じ取り、彼に確認の意味を込めて尋ねた。
(……僕の目的は”静音”を目覚めさせ神凪を滅ぼす事だよ。……そのためなら、たとえ水輝ちゃんだろうと……倒すよ)
眼を瞑り考えながらも自分の考えを口にする。すると不思議な事に今まで感じていたわずかな心に中刺さっていた何か―――おそらく罪悪感のようなものだろ
うか、そういったものが消えていくのをはっきりと自覚した。
(迷いは晴れたか?)
(ああ、僕は目的を果たす。そのためなら……相手が誰だろうと倒す)
(そうか)
それだけいうと風華からの思念が途絶えた。おそらくおびき出すために向かったのだろう、流也も腕を組みながら再び、闇が支配する空で神凪邸を監視する。
厳馬が玄関から出て行くところが見えた、その姿は遠くからでも圧倒的な存在感を感じ取れるほどである。
「さようなら、神凪厳馬。もう二度と会う事はないでしょうけどね」
冷めた眼で厳馬を見ながら呟いた言葉が厳馬に届く事はなかった。
「私、何やってるのかしら」
夜の街中をうろつき、偶然見つけた自販機で缶コーヒーを購入し飲んでいた水輝はなんとなく呟いた。
あの妖魔の襲撃の後、特にすることもないので街中をぶらぶらしながら過ごしていたのだが、正直男どもの視線が鬱陶しい。顔だけの男がひそひそ話をしたか
と思うと自分に近づいてくる。
(またか)
呆れのため息をつきながら本日何度目の作業になるだろうと思いながら、軽く殺気を込めて自分に近づいてきた男達を睨む。
「ヒッ……」
特に何の訓練もしていない一般人の彼らはそれだけで遠ざかる。それは今まで嫌と言うほど経験しているので分かりきっていた。案の定ナンパ目的の男達は逃
げるようにその場を遠ざかっていく。
「ラピスは帰っちゃうし」
いなくなった女性に文句を言う。彼女は、夕方ごろ霧香から連絡があり水輝とは別行動を取っている。連絡があったとき『彼女を野放しにして良いの?』と
言った言葉が聞こえたような気がしたが気の所為だろうと、聞き流した。
飲み終わった缶コーヒーを自販機の側にあるゴミ箱向かって投げる、投げられた缶は軌道がわずかにズレ端の方に当たる。一瞬ゴミ箱の外に弾かれるかと思っ
たが内側に弾かれ無事ゴミ箱の中に入ったようだ。
「それで、貴方は私に一体何の用かしら?」
先ほどから感じる妙な視線の主に対して話しかける。だが視線の主は特に反応を示す事はない。
「……」
傍から見れば突如独り言を呟きだした変な人であり、周りからの妙な視線が痛々しい。水輝も折角格好つけたのに、何の反応もないのはつらいものがある。少
しばかり水輝の頬が赤くなったいるのはやはり、気まずいからだろう。
(誘ってるのかしら……)
反応こそなかったが視線の主は確かに存在する。今も自分を監視し、何処かに誘い出そうとする気配を感じる。
(無視するべきよね)
そんな考えが浮かぶ、過去の経験からこういった事に巻き込まれるとろくなことにならないことは容易に想像できる。昔を思い出し、一人涙を流す。まるで一
人百面相であり周りからの視線がまたも痛々しい。
「仕方がないわね」
なんとなく、無視しても最終的には厄介ごとに巻き込まれそうだなと思い、誘いに乗る事にする。しばらく歩き裏路地に入る、人の気配はなく夜の闇が地上に
まで支配しようとするのではと言うほどの不気味さが漂う。
「何で、ビルが壊れてるのかしら?」
ふと見上げて眼に入ったのは爆発にでもあったかのように破壊されたビルが目に付く。奇しくも今水輝が居る場所は昨夜、和麻と風華が戦った場所なのだが彼
女がそれを知る事はない。
視線の主はやはり水輝を見ており何処かにおびき出したいようだ。もちろん水輝もこの誘いが罠だということは承知している。それでも、水輝がこの誘い乗る
のは例えどんな罠があったとしても、切り抜けられる自信があるのが三割、さっさとめんどくさい事を終わらせたいのが七割ほど心の中を占めている。
(さてと、鬼がでる蛇がでるか……どっちかしらね)
どちらにしても、自分に牙を向けるのなら叩き潰すだけである。そんな事を考えながら光学迷彩を施し一般人の視界に入らないようにする。迷彩を
かけたまま風の精霊に呼びかけ、ふわりと舞いながら空を浮かぶ。
気配のする方向に向きを変えそちらを睨む。やはり自分を誘っているそれを再確認しながらにやりと笑みを浮かべる。水輝はそのまま空を飛び、気配のすると
ころに向かった。
しばらく空を飛んだいた水輝の眼に薄暗い暗闇に包まれた公園が視界に入る。風の精霊と同調させ感覚を鋭敏にさせる、感じる違和感。自分を誘った存在は此
処におびき出そうとしている。
港の見える丘公園―――フランス山の上空までたどり着いた水輝は光学迷彩を解き、ゆっくりと地面に降り立つ。
「……まあ、こんな事だろうと思ってたけどね」
地面に降り立った水輝はすぐさま探知を開始して見知った気配を感知してため息をつく。こういった展開になることは半ば予想していたが、此処まで来ると笑
いすらこみ上げてくる。
(きっと嫌がらせね)
右手で髪の毛をかきあげながらため息をつく。冗談抜きでそうじゃないかと考える、そうこうしているうちに自分の見知った気配を感じる。忘れるはずのない
気配、昼間の分家などとは比べるのも愚かしいほどの炎の精霊の気配をはっきりと知覚する。
(偶然……なわけないわよね)
その圧倒的な炎の気配例えるなら超新星の爆発とでも言えば良いのか―――兎に角その存在はそれほどの実力を持っていた。そっと眼を瞑り考える。間違いな
く、嵌められたと言っていい状況である。
自分がこの存在に対してどういった感情を抱いているか多少なりとも知らなければ出来ないキャスティングと言って良い。
(本当に最悪ね)
そう思いながらもクスリと笑う。今近くに居るのは四年前自分を捨てた男―――少なくても水輝はそう思っているし、それ以上の評価などありえない。
―――もう出て行くが良い。炎も使えない無能者。
”あのとき”の言葉を思い出す。ああ本当に私とあの男の関係を理解していると関心する。他の神凪の術者ならどうとでもするのだがこの男相手なら自分は戦
うしかないだろう。
ほしいのは”証”強くなった自分は本当に”あの男”を超えたのだろうか? ずっと思っていた疑問。超えたという自信はある、だが確証はない。だからこれ
は儀式。自分が―――”八神水輝”が”神凪厳馬”を超えた事を示すための戦い。
―――本当にくだらない。
ゆっくりと眼を開け、暗闇が支配する空を見上げる。そう思ったがやる事は変わらない、厳馬に自分の居場所を知らせるために風の精霊を集めだす。炎術師と
いえど厳馬クラスの実力者なら気がつくだろう。
現に炎の気配はこちらに気がついたのだろう、ゆっくりと自分の気配を消すことなくこちらに向かってくる。
(気配を消すことなくこちらに向かってくるなんて……ね)
よっぽど自分の実力に自信があるのだろう。そんな存在に水輝は呆れながら待つ、そして。
「お久しぶりとでも言っておこうかしら?」
鬱蒼と生い茂った木々の間から一人の男が姿を現す。現すと共に月の光りが男を照らし、男の姿がかろうじて肉眼でも確認できるようになる。
「お前は……」
男は自分を誘い出したであろう存在の姿を確認し驚く、四年で少女から大人の女性に変貌したが彼が彼女の姿見間違う事はない。
「水輝……か?」
確認するように四年前神凪から追い出した自分の娘の名を呟く。
「ええ、四年ぶりですね。お父上」
彼女―――水輝は四年ぶりに自分を追い出した男、神凪厳馬と再会した。
次回予告
ついにかませ犬厳馬と退治した水輝、厳馬はがちがちの炎術志上主義と作者の事情で水輝の襲い掛かる。圧倒的な炎術の前に水輝はなすすべもなく追い詰めら
れる……事はない。(オイ)
そんな中、水輝はついに秘密でもなんでもないみんなが容易く予想できる”切り札”を使う。
「そ……それは!?」
「光栄に思いなさい……高々貴方ごときに”コレ”を使うのだから」
次回、『かませ犬厳馬、闇夜に死ぬかも!?』
こうご期待!!
嘘ですよ……多分。
あとがき
どうも、最近体調が最悪な所為でペースが大幅にダウンしたり、よく分からない何かを受信したり、綾乃のネタが尽きたので某幽霊漫画の前の作品から拝借し
たクロネコヤです。
分かる人いるかな? 幽霊のは見かけるけど、こっちはまだないはずだし。
とりあえずごめんなさい。次こそまぶらほを送ります……多分。
結局かませ犬の相手、水輝だし多分次回は戦いだけだからそんなに長くなさそうだし。
今回綾乃の技が思いつかなかったので、拝借しました。原作との差別化と変換の関係で技名が微妙に違います……すいません。微妙と思うなら修正します……
綾乃の技も一生懸命探します……あー和麻や水輝の技はそこそこ思いつくのに何故綾乃は思いつかないのだろうか……分かる人いますか?
まあ、次回も頑張って十二月中に送れるよう努力します。