―――無能者。
 
 
 ―――もう良い、お前に何か期待したのが間違いだった。
 
 
 ―――何処へなりとも行くが良い。
 
 
 かけられたのはそんな言葉ばかり。少なくても水輝は目の前の男、神凪厳馬から愛情を受けた記憶もなければ自覚もない。正直なところ会いたくない人物第三 位に位置する男なのである。例え誰かに嵌められた結果だったとしても、自分からこの男に遭おうとしたとしてもやはり水輝の気分が晴れることはない。
 
 うっすらと自分達を照らすこの月明かりも今はとっとと消えて自分の視界からこの男を隠してくれないかと本気で思う。
 
「何故此処にいる?」
 
 目の前の女性を水輝と断定した厳馬は当たり前の質問をした。
 
「偶然……いえ、仕掛けられたとしたら必然かしら?」
 
 誘いに乗り此処まで足を運び、そこで偶然厳馬と再会した。と考えるほどお気楽な思考を持っていない水輝は多少の皮肉を込めて自分の考えを話す。そんな水 輝の言葉を聞いた厳馬は少し考える素振りをする。
 
「綾乃は何処だ?」
 
「はい?」
 
 そんな事を言ってのけた。
 
 この男は一体何をほざいた? 一瞬だが水輝の思考が停止する。水輝の斜め四十五度ほど上を行く発言をした、厳馬を水輝は唖然とした表情で見る。全く持っ て予想外、流石は神凪厳馬。私の予想を遥かに上回るかと変な関心を抱く。
 
「答えろ、綾乃は何処だ」
 
 さらに追求し、綾乃を居場所を聞き出そうとする厳馬を半分呆れながら見る。
 
(……私もまだまだね)
 
 俯きながら左手で頭を押さえる。自分も普通ではないと自覚しているがまだまだこの男には及ばないと判断した。
 
「ねえ、一つ聞きたいんだけど」
 
 とはいえ、いつまでもこのままではいけないと判断した水輝は先ほどからずっと思っていた疑問を口にする。
 
「何だ?」
 
「―――綾乃って誰?」
 
「………………」
 
 夜の静寂が支配する公園の時が止まる。虫も今の時間時々見かける野犬も、鳥の姿も見えない。わずかながら存在するであろう人々の喧騒も全く聞こえない。 そんな中、厳馬は水輝の信じられない言葉を聞き、目を見開き、口をあんぐりと開け唖然としているのは中々見れない貴重な姿だろう。
 
「本気で言っているのか?」
 
「いくら私でもこんな冗談は言わないわよ」
 
 腰に手を当てながら軽く睨みながら反論する。水輝はそう言うが本気のほうが余計たちが悪いのだが……厳馬もそう思ったのか珍しく右手の親指でこめかみを 押している。
 
「……お前は再従妹の名も覚えていないのか? 宗主の娘でお前と継承の儀で争った綾乃だ」
 
 言ってから妙なデジャビュのようなものを感じる、疲れているのか? 半分本気でそう思う。しかし厳馬のそんな言葉を聞いても水輝は腕を組んで、夜空を見 上げながら綾乃の名を何度も呟く。
 
「全く思い出せないんだけど」
 
 綾乃と水輝はまったくといって良いほど接点がない。当時の水輝は綾乃の事をちやほやされた世間知らずな小娘ぐらいの認識しかなかったし、綾乃も水輝の事 を炎術が使えない女と思っていたし、水輝に対してそれこそ路端の石くらいにしか見てなかったためである。
 
 そんなわけで、性犯罪者こと慎冶のような微笑ましいエピソードがない綾乃の事を水輝が覚えているはずがないのだ。
 
「―――もう良い」
 
 何処か諦めたようにそう切り捨てた。その言葉を聞いて水輝は昔を思い出したのだろうか、一瞬不機嫌な顔をする。
 
「それで、一体なんでこんな時間に公園なんか徘徊しているのかしら、もう痴呆症?」
 
 皮肉を込めながら髪の毛をかきあげクスリと笑う。その動作と、彼女の色香が相まって怪しい美しささえ感じる。同姓、異性関係なく誘惑できるほどだ。もっ とも厳馬には効果がないが。
 
「そんなわけあるか、お前は今神凪の術者殺しの容疑者だ」
 
「私じゃない、さようなら」
 
 これ以上関わってられないとばかりに即答し後ろを向いて歩き出す。
 
「待て」
 
「嫌よ」
 
 振り返り厳馬の言葉を問答無用で切り捨てる。自分の予想を遥かに超える阿呆ぶりに戦う気が半分ほど無くなり始めてきていた。
 
「そもそも、どうして私なわけ」
 
 自分は日本に戻ってきてから神凪の術者を殺した覚えはない。少なくても夢遊病とか痴呆症にかかっていれば話は別だが、あいにくと水輝は両方ともかかって いない。
 
「犯人は神凪に恨みを持つであろう風術師、そしてそれに該当するのが―――お前だ」
 
 厳馬は静かに冷静に、自分の娘を犯人だと宣言する。少なくても表面上は、自分の娘を犯人扱いしてもいつもと変わった様子はない。
 
 水輝は自分を犯人扱いした父親を冷たく見据える。別にさほどショックではない、実の父親に犯人扱いされたと言うのに水輝の心は何処までも冷たく、冷静に その言葉を受け止めていた。
 
「……まさか、探偵物の無能警察の被害者の気分を体験でききるとは思いもしなかったわ」
 
 軽くため息をつきながら、皮肉で返す。その言葉を聞き、厳馬の眉が一瞬だけ動く。
 
「どういう意味だ?」
 
「そのままよ、調べればいっぱいいるでしょうが。例えば―――貴方達の”奴隷”とか」
 
 呆れながら厳馬の質問に”奴隷”という皮肉をつけて返す。厳馬も直ぐに水輝の言った”奴隷”と言う単語に意味を理解し、水輝の言葉を否定するかのように 鼻で笑う。
 
「くだらん、あいつらにそんな力があるわけ無いだろう」
 
「貴方……そのうち足元すくわれるわよ」
 
 厳馬の言葉に肩をすくめる。厳馬とて”奴隷”―――すなわち”風牙衆”に疑いの目が無いわけではない。だが厳馬の中での風牙衆の評価は探査しかできない 三流の戦闘者。
 
 犯人は自分や重悟にすら気づかれる事無く、神凪の術者を殺し、さらに綾乃をも倒し誘拐したほどの相手。真実は別の存在の仕業だがそんなこと厳馬が知る筈 も無い、つまりそれほどの相手なのだ。
 
 風牙衆の戦闘力はさほど高くない。その大半は分家にすら及ばないぐらいの力しかなくまれに、例えば流也の様に宗家に匹敵するものもいなくは無いがそんな 存在は百年に一度生まれるか生まれないくらいの確立でしかない。
 
 それでも宗家の中で最強クラスの実力者である厳馬には遠く及ばない、その程度の存在なのだ風牙衆は。少なくても厳馬の中ではそういう位置づけである。
 
 そういった理由からか、おそらく半無意識のうちに除外してしまっているのだろう。もしこの言葉を聞いたのが風牙衆のあり方を理解し、今に至る過程を知っ ている重悟なら話は別だったかもしれないが……。
 
「そういう訳でまずはそっちから洗ったら? もし何も無かったらその時は宗主自ら来るように伝えときなさい」
 
 再び厳馬に背を向け歩き出す。
 
「あくまで歯向かう気か?」
 
「……此処は日本よね? いつから日本語が通じない国になったのよ?」
 
 少なくても四年前にこの国を出たときはここまで通じない人種は”神凪”の中でも最下層の下種くらいだったがいつの間にか此処まで感染してしまったよう だ。
 
「答えろ」
 
 水輝の何処かはぐらかしている感がある言葉に厳馬のいらいらがほんの少し募る。
 
「嫌よ、私は嘘なんかついていないわ。私は貴方達なんかに関わりたくないのめんどくさいし、良いことなんか兄さんとの思い出ぐらいだし……」
 
 肩をすくめながら一瞬眼を瞑る。だが直ぐに眼を開け厳馬を軽く睨む。
 
「別に私は問答無用で敵を殺す殺人狂というわけじゃないけど……売られた喧嘩を買わないおとなしい女性というわけでもないわ」
 
 瞬間水輝の周りに風が吹き荒れ、コートの裾がなびく。彼女の中で冷めかけていた厳馬との戦いへの意欲が湧き上がる。
 
「少し強くなったぐらいで高々風術師が勝てると思っているのか?」
 
 そんな水輝を冷たく見据えながら、そう口にする。厳馬の中ではいくら強くなったといっても所詮は風術師、自分には遠く及ばないと考えているようだ。
 
「ええ、少なくても黒い炎を使うというだけで、忌み嫌いその腹いせに炎の加護も力もないただの少女をいたぶる事しかできない、炎術師の家系に負けるつもり は無いわ」
 
 自分の過去を何処か他人事のように説明する水輝。その言葉を聞いた厳馬は特に表情を変えることなく、戦闘態勢を取る。それを見ながら水輝は何処か嬉しそ うに口元に笑みを浮かべる。
 
「お互い、話すことなんか無いでしょ」
 
「……」
 
 ほんの一瞬、厳馬の顔が曇る、だがすぐさまいつもの表情に戻り炎の精霊を集めだす。その量は昨日水輝が出遭った、性犯罪者こと慎冶とは比べ物にならない ほど完成されている。もっとも慎冶の腕はあまりにも低すぎるのでこの比較はあまり意味が無いのだが。
 
「よかろう、お前には決して超えられない壁というものを教えてやろう」
 
 その言葉が合図となり、厳馬が水輝に向かって炎を放つ、ただ無造作に炎を放っただけだというのその威力は水輝を一瞬にして焼き尽くすほど熱量を保持して いた。
 
 水輝もまた厳馬の炎に向かって腕を振るい、其処から風の刃を飛ばす。二つの力がぶつかり爆発を起こす。
 
「さてと、じゃあ見せてもらいましょうか、神凪厳馬の力をね」
 
 眼を細めコートをなびかせながら水輝は薄く笑った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 神凪の屋敷の裏口から一人の人物が誰にも気がつかれないように細心の注意を払いながら辺りを窺う。何度も周りを確認し自分以外に人の気配がないと確認し たその人物は裏口から外に出る。
 
 歳の頃は十一と言った所だろうか、ベージュのパンツにダッフルコート。足元はアンクルブーツで固めており、カジュアルだが仕立てのいい服を着ていた。
 
 その顔はまだあどけなさが残っており、女と見間違うほどのかわいらしい顔つきをした少年、そういった趣味の人なら間違いなくお持ち帰りしてしまう顔をし ていた。
 
 この少年の名前は”神凪煉”神凪厳馬の次男であり、和麻と水輝の弟にあたる。
 
(―――水輝姉様)
 
 神凪の屋敷を抜け出した少年は幼い頃何度か会った姉の事を思っていた。神凪の術者のほとんどが水輝を犯人扱いしていたが、煉は信じていなかった。
 
 自分の知る姉は何時も何処か冷たさのようなものを纏っていたが、自分が近づくと困った顔をしながらも何度か話相手になってくれた人物であり、煉に取って は本当に心の許せる姉である。
 
 そんな姉が神凪の術者殺しの犯人だとは煉には信じられなかったのだ。それに煉はインターネットにある魔術師達の情報交換サイトである噂を手に入れてい た。
 
 
『契約者<コントラクター>は日本人の女性である』
 
 
 何故だかは煉にも分からない、だけど煉はこの”契約者”が水輝だと思った。理由は分からない、だけどそう感じたのだ。そして今、父である厳馬が水輝に会 いに向かっているらしい。
 
 煉とて厳馬の性格は多少なり理解している、おそらくだが水輝と厳馬が出遭ったら戦いになりそうな気がしてならないのだ。”契約者”かもしれない水輝と” 神炎”使いの厳馬そんな二人が戦えば確実にどちらかが最悪、両方が死ぬ可能性が高い事ぐらい煉とて想像がつく。だからこそ煉は急いで姉である水輝に厳馬よ り早く会って、説得するつもりでいた。
 
 早くしなければ二人の戦いが始まってしまう―――本当はもう始まってしまっているのだが、煉が知る由もなく彼は走り出そうとして、
 
「煉様」
 
「うわっ!?」
 
 突如背後から声をかけられた煉は可笑しな声を上げながら驚き、慌てて後を振り返る。其処には煉のリアクションを見て苦笑を浮かべた、右腕に腕輪をつくた 黒ずくめの格好をした男、風巻流也が立っていた。
 
「流也さん……驚かさないでください」
 
 相手の顔を確認した煉は安心しながら答える。
 
「申し訳ありません。こんなに驚かれるとは思わなかったもので……ところでこんな時間にどちらに?」
 
 煉の反応に素直に謝る、例え少年といえど煉は神凪宗家の人間。地位もさることながらもその実力も少年とはいえ、宗家の名に恥じない実力を持っている。
 
 今は流也にとっても風牙衆にとっても大事な時期、そのため此処で下手を打つわけにはいかないのだ。
 
「えっと……」
 
 流也の質問に詰まる。流也は風牙衆の長である、風牙衆は神凪の下部組織、つまりは宗主である重悟の部下である。今がどういった状況なのかは煉だって分か る。
 
 素直に『水輝姉様に会いに行きます』なんて言ったら間違いなく屋敷に連れ戻されてしまうだろう。だが煉には流也を納得させるような嘘などつけない。だか らこそ言葉に詰まってしまったのだ。
 
「まさか、裏切り者の水輝に会うおつもりですか?」
 
「……!?」
 
 必死に言い訳を考えていた煉に流也は一番言われてほしくない言葉をかけられ、表情が固まる。
 
「どうしました、煉様?」
 
 顔を近づけながら、流也は尋ねる。もちろん流也は煉の内心などとうに見透かしている。和麻や水輝に比べればあまりにも分かりやすい反応、悲しいが煉には 嘘や、ごまかすといったことには向かないようだ。
 
「あっ……えっ……と、その」
 
 動揺のためか、うまく喋れずに慌てふためく。そんな煉を流也は苦笑を浮かべる。
 
「落ち着いて煉様、僕は貴方の行動をたしなめるつもりはありません」
 
(そのほうが都合がいいしね)
 
「えっ!?」
 
 流也の言葉に煉は驚く、普通風牙衆の長の立場にある人物が宗家の中でも特殊な立場にある人間の勝手な行動を宗主に報告しないのはありえないのだ。
 
「どうしてですか?」
 
 思わず聞き返す、そんな煉の言葉に一瞬冷たい眼になるが直ぐにもとに戻す。幸い煉は流也の眼には気がついていないようだ。
 
「僕とて友人の妹が犯人なんて信じたくありません。煉様の気持ちも多少は理解できます」
 
 言ってから心にもない事をと思う。妖魔が分家の術者を殺したところを目撃し、綾乃を風華が攫うのに肯定したのに今更だと思いながらそれを表に出さないよ うにする。
 
「見逃してくれるのですか?」
 
「僕は何も見ていないし、何も聞いていませんよ。空耳でしょうか?」
 
 遠くを見ながらわざとらしい発言をする流也、その言葉を聞いた煉は苦笑を浮かべながらお辞儀をする。
 
「ありがとうございます」
 
 自分を見なかったことにしてくれた流也に感謝しながら彼に背を向ける、だからこそ見逃してしまった、煉が背を向けた瞬間流也が薄く笑ったのを。
 
「いえ、お礼を言うのは僕ですよ。煉」
 
 冷たささえ感じさせるほどの声音でそう言った流也は煉が振り向く前に首筋に手刀を打ち込む。すぐさま意識をなくし、糸が切れた人形のように倒れこんだ煉 を流也は腕で抱え込む。
 
「貴方はもう少し、人を疑ったほうがいい」
 
 腕に抱いている煉に向かって冷たく言い放つ、煉は完全に油断していた。煉の中で風牙衆の長であり、かつて兄であった和麻の友人であった流也がまさかこん な事をするなど思いもしなかっただろう。
 
「にしても……宗家の人間がこの程度とは……」
 
 宗家の力は絶対的なまでに巨大であり、風牙衆が束になった所で勝てるはずがないのだ。だがそれはあくまで正面から直接戦った場合であり、さまざまな状 況、条件がつけばまた異なる。
 
 例えば今のように、相手が油断しているところに不意打ちの一撃を使えばあっさりと倒せたりする、神凪煉は宗家の中でもかなりの実力者であり、その潜在能 力は綾乃に匹敵するほどである。だがそれほどの力を持ってしても不意をつけばこんなにあっさり倒せるのだ。
 
「くっ、くっ、く……馬鹿らしい」
 
 声を押し殺しながら笑う、そう今まで神凪の炎の破壊力に流也達風牙衆は恐れていた。例え自分達が束になっても出す事ができないほどの威力に純粋に恐れて いた。
 
 だが、こうやって不意をつけばこんなにも簡単に宗家の人間を倒せるのだ。そう考えると今まで耐えてきたのが、とても虚しく、悲しく感じる。
 
「……もう直ぐだ、もう直ぐ終わる」
 
 煉を抱えたまま神凪に気がつかれないように宙に浮かぶ。神凪の屋敷を見下ろしながら風の精霊と同調させ中の様子を調べる。そのほとんどが部屋に閉じこも り怯えていたりしている。そんな中馬鹿な長老連中などは厳馬が向かったと知ったのだろう、完全に勝利を確信したような宴を始めている。
 
 酒を飲み、うまいメシをたらふく食らい、馬鹿騒ぎをしている姿はまさに間抜け。今この場で風の刃を長老達がいる宴会場に撃ちこめば簡単に殺せるのではな いか?
 
 そんな考えが頭を過ぎるが、何とか抑える。此処にはまだ宗主である重悟が存在する、いくらなんでもあの男相手に簡単にいくはずがない、不意をつこうとも 初撃を凌がれれば、返り討ちになる可能性だってある。
 
 だからこそ抑える、彼を殺すのはまだ早い。確実に殺せる機会まで耐えるのだ。
 
「そうだ、まだ早い。折角、煉まで手に入ったのに」
 
 腕の中で眠る煉を見ながら呟く。元々は煉を”贄”にする予定だったのだが綾乃に決まったために彼の扱いには困らない。”予備”はあって困らないし、彼の 力はともかく心はまだまだ未熟、それこそ洗脳し神凪と戦わせるのも悪くない。
 
 そんな事を考えていた流也はふと遠くを見る。精神を集中させ風の精霊に探知させる、すると巨大な灼熱の業火のごとき炎と巨大な台風のような力を持った風 のぶつかり合いを感じる。
 
 こんな事をできるのは流也の中で二人しか居ない。正確には炎の方にもう一人心当たりは無くは無いのだが、”あの男”はこんな炎をだすはずがないと除外す る。
 
「ふっ、ふっ、ふっ、煉……残念だけど君の大事な水輝は厳馬と殺し合いをしていますよ」
 
 その声にはよく分からない何かが含まれていたがその感情に流也本人も気がついていなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 その姿は地上に舞い降りた女神、そう称えてもおかしくない美しさが彼女―――八神水輝には備わっていた。
 
 
 黒いコートを翻すと共に、放たれる二桁にも及ぶ風の刃、その一撃一撃が鋼鉄すら切り裂くほどの威力が備わっている、それほどの威力を持った風の刃の乱舞 を厳馬は特に動じる様子もなく冷たく見据える。
 
「フン」
 
 鼻で笑い、厳馬に周りに黄金の炎の壁が現れる。水輝の放った風の刃は唯一つの例外も無く炎の壁に飲まれ、そして消え去った。
 
「……今何かしたか」
 
 今のが特に大した事をしたわけでは無いのだろう、どうでも良いようにそう言いのけた。
 
「ええ、こうやって風の刃を飛ばしたのよ厳馬」
 
 先ほどとは比べ物にならないほどの巨大さ、全長十メートルほどの大きさの風の刃を厳馬に向かって放つ。だが厳馬は特に動じる事も無く、それこそ当たり前 のように無造作に炎を放つ。
 
 その炎は水輝の風の刃に向かって迫る。おそらくこのただ無造作に放った炎だけで水輝の巨大な風の刃以上の威力が備わっているのだろう、厳馬はぶつかり相 殺すると思っていた。少なくても水輝の風の刃が自分の炎にぶつかる寸前に弾けるまでは。
 
(何!?)
 
 ほんの僅かだが驚く、自分の炎はそのまま通り過ぎ公園の木の一つにぶつかり消える。本来なら炎にぶつかった木は一瞬で燃え尽きるはずなのだが、その木に は焦げ跡一つついていない。
 
 高位の炎術師は精霊とその顕れである炎を完全に制御できる。水中で水を沸騰させることなく炎を呼び出したり、今のように標的以外燃やさないというよう な、物理法則を無視した現象すら起こせるのだ。
 
「コレは捌けるかしら厳馬?」
 
 水輝の言葉と共に先ほどの巨大な風の刃から生じた思われる、百本近い風の刃が厳馬に向かって流星のように降り注ぐ、しかも一発一発が微妙に軌道や降って くるタイミングが違うため、この攻撃を凌ぐのは至難の技である。
 
「ふむ……」
 
 厳馬は冷静に水輝の放った風の刃を観察していた。確かにこれだけの数の風の刃を全て回避するのは厳馬といえども不可能に近い、だが一発一発の威力は先ほ どの風の刃とさして変わらないことも見抜いていた。
 
 特に行動を起こす事も無く、風の刃を待ち受ける。風の刃は彼が纏う炎潜り込み―――あっけなく焼失した。
 
「まさか、これが全力というわけでもあるまいが遊びに付き合っている暇はない。決めさせてもらうぞ」
 
 宣言と共に炎が爆発的に増す、荒れ狂う炎の嵐が厳馬の意思の元巨大な龍の形に変化する。
 
「そんなに力まなくても良いでしょ。私なんか所詮は失敗作なんだから……」
 
「”火龍円舞”<かりゅうえんぶ>」
 
 巨大な火龍が水輝の頭上を旋回する、無機質な炎の具象のはずなのに厳馬の放った火龍は意思を持つかのように水輝を威圧しているようにも見える。一瞬でも 隙を作れば瞬く間に焼き尽くされるだろう。
 
 水輝は自分の頭上を飛んでいる巨大な火龍を冷静に観察していた。
 
「……」
 
 飛び回っていた火龍が突如水輝に向かって急降下し始める。圧倒的な威圧感を纏いながら水輝を焼き尽くそうと巨大な龍は顎を水輝に向かって叩きつける。
 
 水輝はその火龍を後ろに飛んで回避する。だが地面に叩きつけた火龍は細かい炎の破片となり水輝に襲い掛かる。大きさは大した事無いがその破片一つ一つが 水輝を一瞬で焼き尽くせるだけの熱量を保持している。
 
 水輝は冷静にその炎の破片を見る、風を纏い、風の精霊と同調させ全方向を視る。
 
 雨のように降り注ぐ、炎の破片を風で受け流し、あるいは避け、厳馬の炎の破片を避けきる。だがこの程度の炎など厳馬にとって小手調べに過ぎない。
 
「ほう、凌いだか」
 
 厳馬が腕を一振りすると炎が消える、これだけの炎の雨を降らせたというのにその一つ一つに標的以外を燃やさないという意志を込めているのは流石と言える だろう。
 
「ほめても何もでないわよ」
 
 軽口を言うがその眼に油断はない。流石は厳馬と言った所か、いくら水輝といえど気を抜いて勝てる相手ではない。
 
「ふん、少しはできるようになったようだな。良いだろうお前を戦うべき敵として認めてやろう」
 
「そう光栄ね」
 
 そう言いながらも水輝は厳馬の一挙一動に細心の注意を窺っている。隙あらば其処を攻め一気に勝負をつけるつもりなのだ。
 
「死ぬなよ水輝」
 
 厳馬としても、水輝を殺すつもりはない。彼女は重要人物であり、彼女の捕獲が目的だという事を忘れていなかった。とはいえかろうじて死なない程度に納め るつもりなのが、やはり厳馬だということだろう。厳馬は精霊に呼びかけ炎を集めだす。
 
(今ね!)
 
 厳馬が呼び出した炎を解き放つ瞬間突如爆発的に膨れ上がり、破裂する。衝撃波が木々を薙ぎ払い、葉をむしり取った。ベンチやゴミ箱が吹き飛び、外灯が砕 け散る。
 
(……まさかこれで終わりって訳じゃないでしょうけど)
 
 炎に包まれたままの厳馬を中心に広がる惨状、草木が放射状に薙ぎ倒され、移動可能なものは全て消え去っていた。そんな惨状を引き起こした張本人は冷静に 未だに炎に包まれている厳馬を見据えていた。
 
 水輝がやったのはただ単に厳馬周りの酸素濃度を倍増させ過剰燃焼を誘発させただけに過ぎない。その辺の雑魚になら十分通用するが厳馬ほどの実力者に通じ るかは自信が無い。
 
「それがお前の切り札か?」
 
 声と共に水輝の考え通り、厳馬を包んでいた炎が突如として消え去る。厳馬は傷一つどころかコートの襟さえも乱れていなかった。
 
「四年でどれほど成長したかと思えば……上達したのは小細工の腕だけか。失望させてくれる」
 
 侮蔑を露に吐き捨てる、それは四年前の再現。あの日厳馬は水輝にこう言い放ったのだ。『無能者はいらない』一瞬水輝の頭の中に四年前の光景がフラッシュ バックされる。
 
「ふっ、ふっ、ふふ、くっ、あはっ、はっ、はっはっ!!」
 
 俯き突如腹を抱えながら馬鹿笑いをする。恥も外聞も無く自慢の髪を振り乱しながら水輝は笑い続ける。
 
「何が可笑しい?」
 
 そんな水輝の態度に厳馬が若干眉を寄せる。だが水輝はそんな言葉を無視して、空を見上げてさらに笑う。しばらく笑い続け、満足したのだろう、お腹に右手 を当て若干瞳に涙を潤ませながらまだ可笑しいのか、少し笑いながら厳馬を見る。
 
「可笑しいわよ、失望の意味理解しているの? 貴方が私に一体何を期待したと言うの、一度たりともそんな言葉聞いた事無いわよ」
 
「黙れ」
 
 厳馬がそう言い放った瞬間、辺りの気温が一気に下がったような感覚に陥る。
 
(何だ!?)
 
 発信源は水輝、先ほどとは比べるのも馬鹿らしいほどの強烈な殺気を放っていた。常人ならそれだけで戦意を失うほどの冷たく、恐ろしいほどの気、厳馬はそ の殺気を直に浴び数歩ほど後退する。
 
(馬鹿な!?)
 
 自分の行動に驚く、ありえない。高々水輝ごときに後退させられるなど厳馬にとっては信じられない、いや信じたくない事だった。
 
「本当に笑えるわ、貴方の言動は」
 
 水輝の雰囲気が変わる、先ほどまでは何処か軽い雰囲気を纏っていたが今は氷のような見る人全てを凍らせる雰囲気を纏っている。厳馬を睨むその眼は、感情 のようなものが感じられない薄ら寒い”何か”が見え隠れする。
 
「そろそろ教えてあげるわ、神凪厳馬。貴方はこれから高々風術師ごときに敗北するという現実をね」
 
 水輝が爆ぜる、風を纏うことにより初速からトップスピードで厳馬に迫る。厳馬は自分の予想を遥かに超える水輝の速度に驚きながらも炎を撃ち出す。その炎 はおそらく綾乃の炎雷覇付きの炎に近い威力を持っている。
 
 その炎を見て力で相殺するのはめんどいと結論付けた水輝は右腕を振るい空気の通り道を作り出し、其処に炎が通るように受け流す。厳馬はすぐさま炎を呼び 出そうとした所で水輝は、厳馬の懐に潜り込む。
 
「!?」
 
「私って風術による中遠距離より―――」
 
 言葉と同時に厳馬の水月の辺りに掌底を打ち込む。咄嗟に腕を十字に固めガードするが水輝の掌底が腕に触れた瞬間、爆発のような衝撃が腕を駆け抜ける。
 
「くっ!?」
 
 予想外のダメージに厳馬は顔を歪めながら数メートルほど後退する。水輝はそんな厳馬を冷たく見据えながらクスリと笑う。
 
「―――近接戦闘の方が得意なのよ」
 
 厳馬に近づき顔面目掛けて拳打を放つ、だが腐っても神凪最強の術者の称号は伊達ではない、厳馬は水輝の拳打を右手で受け止める。
 
「!?」
 
「調子に乗るな小娘」
 
 厳馬は水輝の拳を掴んだまま強引に引き寄せ腹に膝蹴りを放つ。痛烈な膝を食らい顔を一瞬歪めながら後ろに飛ぶ、そのまま倒れこむかと思いきや両手を地面 に着け、バク転の要領で体勢を整える。
 
 だがすぐさま厳馬の放った炎が水輝の眼前まで迫る。水輝は焦ることなく右手に風を纏わせ、手刀で厳馬の放った炎を斜めに切り裂く。切ると同時に炎が霧散 する、しかし厳馬の姿は見えない。
 
(後!?)
 
 風の精霊とある程度同調しているためすぐさま厳馬の殺気を背後に感じその場にしゃがむ。しゃがみと同時に厳馬の拳が風切り音を立てながら、水輝の頭部が あった場所を通過する。
 
 そのまま反転しながら水輝は厳馬に足払いを仕掛けるが、厳馬は後に飛び回避する。だが水輝は自身の身体を螺旋状に回転させながら厳馬の顎目掛けて”白虎 牙”を叩き込む。
 
 公園に車同士の衝突を思わせるような轟音が鳴り響く、それほどの衝撃を顎に受け厳馬は首を大きくしならせながらも僅か数歩後退しただけに止まる。顎どこ ろか脳にまで達するであろう衝撃を受けたというのに、脳震盪どころかこの程度で済むこのタフさは遺伝なのかと場違いな事を考える。
 
 だがその思考も厳馬が目の前に靡く”あるもの”を掴んだ所為で打ち切られる。それは絹のような感触で、ほのかなシャンプーの香りが漂う、青みかかった黒 い髪。
 
 厳馬は咄嗟に戦闘の所為で靡いている、水輝の腰まで伸びた髪を掴み取ったのだ。その所為で水輝は首を引っ張られバランスを崩す。厳馬は髪を両手で握り締 め大きく振りかぶりながら水輝を地面に叩きつける。
 
 「痛っ!」
 
 水輝は叩きつけられる瞬間空気の層をクッションのように地面と自分の間に作り出し、衝撃を和らげるがそれでも多少の痛みがあったらしく顔が一瞬歪む。
 
 厳馬はそのまま水輝の髪を掴んだままその場で高速回転を始める。所謂ジャイアントスイングを足でなく、髪でする。十回ほど回転した後近くの木目掛けて水 輝を放り投げる。
 
 高速回転させられた所為で少し眼を回した水輝は、受身も取れずそのまま木々に激突する。背中から衝撃が駆け抜け、肺に溜まっていた空気が抜ける。
 
「がはっ」
 
 苦しそうに咳き込む水輝目掛けて厳馬は右手を頭上に掲げ、巨大な直径一メートルほどの火球を作り出し水輝目掛けて投げつける。十分距離があるにも関わら ず、肌に焼きつくほどの熱量を感じた水輝はすぐさま横に飛ぶ。
 
 飛んだ直後、水輝がいた場所に火球が接触し大爆発を起こす。公園に響く音、そしてあまりの熱量と光りの量に公園は昼間のような輝きに包まれる。その炎は すぐさま消えたが、水輝のいた場所は爆心地の如く消し飛んでいた。
 
「……貴方、女性の髪を掴むなんてデリカシーに欠けるとか言われない」
 
「……」
 
 水輝の軽口に一瞬顔をしかめた所を見ると図星なのだろうか、厳馬はそんな水輝の軽口を無視しながら炎で巨大な火龍を作り出し、水輝目掛けて解き放つ。
 
 高速で迫るその火龍を身を捻ねって避けながら、厳馬に向けて左腕を縦に振るう。其処から飛び出した風の刃は厳馬の炎とぶつかり音も無く焼失する。
 
「こんな児戯で私は倒せないわよ厳馬」
 
 背後から襲い掛かる火龍を踊るような軽やかなステップで避ける。だがすぐさま頭上から巨大な炎の気配を感知し慌てて横に飛ぶ。先ほど避けたはずの火龍が 空から地面を貫く。
 
 地面を砕くほどの衝撃、完全には避け切れなかったのか水輝のコートの右腕の袖の部分が破ける。
 
「あぁぁあああ! 三日前に取り替えた新品なのに!?」
 
 破れた部分を見ながら叫ぶ、唯でさえ破損率が高い為出費が激しいコートを僅か三日でゴミ箱行きになったことに激しい怒りを覚える。
 
(絶対に潰す!)
 
 妙な怒りをその胸に宿しながら右前方から迫る火龍を身を捻り避け、上に飛ぶ。同時に地面スレスレの位置を火龍を滑りぬける。
 
(火龍が増えてる!?)
 
 右に避け、左に飛び、下にしゃがみ、上に飛ぶ。回避行動を続けながら上空を見上げると四匹の火龍が舞うように旋回しながらこちらの様子を窺っている。
 
「これが”火龍円舞”だ」
 
 水輝に向かって何処か自慢するように語る。
 
「四つの火龍が舞うように飛び回り四方から対象を焼き尽くす。これこそが本当の”火龍円舞”だ」
 
 空中を旋回していた火龍達が弾ける。水輝を囲うように四方から火龍が襲い掛かる。いくら水輝といえども厳馬の必殺クラスの炎術を瞬間で上回るのは難しい といわざる得ない。
 
「……仕方がないわね」
 
 疲れたように呟き、右手に精神を集中させる。右手を中心に三十センチ位の長さで風が渦巻く。だが”それ”が形成されるより早く四体の火龍が水輝を四方か ら飲み込んだ。
 
「終わったか……!?」
 
 感慨深そうにそう言い終える前に水輝の前方から水輝を飲み込んだ火龍の身体が、ぶくぶくと膨れだし、風船が割れるような乾いた音を立てながら破裂する。 其処からコートの一部を焦がし、右手に長さ三十センチほどの翠に輝く棒のようなものを持った水輝が飛び出した。
 
「クス、射抜きなさい”凰華扇”<おうかせん>」
 
 右手を突き出しそう宣言する。右手に握られた棒状の物の先端から緑色の極限まで収束された風の矢が弾丸のごとき速さで飛び出す。
 
 空気を切り裂き高速で飛来する風の矢を厳馬は炎を放ち打ち消そうとする。矢が炎に包まれそして―――矢が炎を撃ち貫いた。
 
「!?」
 
 眼を開かせ驚愕の表情を浮かべる厳馬、高々風術ごときが自分の炎を撃ち貫いた事が信じられないようだ。一瞬硬直したもののすぐさま右に動き矢を回避しよ うとしたのは流石と言えるだろう。
 
 硬直の所為で反応が一瞬遅れ、左の二の腕の部分が避け血が噴出す。痛みに舌打ちしながら水輝を見ようとして彼女の姿が消える。
 
(何処に……)
 
 自分の頭上に感じる気配、月をバックに美しく羽ばたく、天使にも見間違う女性が存在していた。
 
「水輝!?」
 
 水輝から先ほどと同じ風の矢が上空から雨のように大量に降り注ぐ。厳馬を撃ち付けた矢は血を舞わせ、外れたものは地面を砕き、厳馬の姿を土埃で隠す。し ばらく打ち続けた水輝は少し離れた所で降り立ち、右手に持っていた棒のようなものを広げる。
 
 ”扇”そう形状するものが水輝の右手にあった。翠の輝きに包まれ、金属の光沢が放つ端の部分が交わるところに十センチほどの黄色い紐のようなものが垂れ 下がっている。
 
 水輝は未だに土埃で包まれ姿が確認できない厳馬に向かって右手に持つ扇で横に薙ぐ。其処から生じた衝撃波が厳馬に襲い掛かる。
 
「はあああ!」
 
 土埃の中心から黄金の炎が破裂する、其処から服のあちらこちらに穴を開け其処から滴り落ちる血が、かなりのダメージだと思わせる。額からも血が滲み出 し、右頬に紅い縦線を走らせながらも、厳馬は自分に襲い掛かる衝撃波に向かって左腕を斜めに振るう。
 
 炎が地面を走り衝撃波と激突する。僅かな拮抗の後、厳馬は右手を突き出し気を込める。
 
「渇!!」
 
 炎が膨れ爆発を起こす。地面に巨大な穴を開け、厳馬は水輝の衝撃波を凌いだのだ。
 
「……非常識ね、この男は」
 
 ”凰華扇”の衝撃波を力技でねじ伏せた男に呆れまじりの賞賛を送る。
 
「……なんだ”それ”は」
 
 水輝の呆れ混じりの賞賛を無視して厳馬は水輝の右手に握られている”扇”を睨む。先ほど行なった極限まで収束した一撃に、唯振るうだけであれほどの衝撃 波を作り出した”扇”そんなものは聞いた事も見た事が無かった。
 
「”凰華扇”<おうかせん>風の精霊の神器よ」
 
「―――戯言を」
 
 水輝の言葉を即座に否定する。”神器”神々の力が宿った武具を指すのだが今の場合は精霊王が与えた武器に分類する。だが厳馬がその言葉を否定したのには 理由がある。
 
 今まで精霊王が与えたとされる武具は神凪の”炎雷覇”香港に存在する凰<ファン>一族の”虚空閃”と呼ばれる槍の二つしか確認されていないのだ。仮に水 輝の言った事が本当だとしても、精霊術師の最高峰の一つたる神凪に伝わらないはずが無いのだ。
 
「そんな武器など初めて聞く、くだらない嘘に付き合っている暇は無い」
 
「本当に……頑固ね」
 
 面白そうに笑いながら”凰華扇”を閉じる。厳馬の言っている事に間違いはない、何しろ”凰華扇”がこの世界に誕生したのは数年前、水輝が風の精霊王に出 遭った時に、オーダーメイドで作ってもらった、水輝だけの”神器”である。
 
 しかも、”凰華扇”を使ったのは数えるほどでその相手のほとんどが、正真正銘の化け物相手であり、手加減できるはず無くその相手は全て死んでいる。その ため生まれて間もない上、目撃者の殆どがこの世に存在しないので”凰華扇”の噂が広まる事が無く、厳馬が”凰華扇”の事を知らないのも無理は無い。
 
「まあ、私は貴方が”凰華扇”の事を信じようが信じまいがどちらでもかまわないのよ」
 
 そう言いながら水輝は厳馬に向かって駆け抜ける。厳馬は炎を放ち迎え撃つが水輝は左右に高速移動しながら回避し続け、懐に潜り込み、厳馬の腹目掛けて蹴 りを放つが、身をそらして避ける。
 
「愚かな、また接近戦を挑む気か!」
 
 強い口調で言い放つ、先ほど水輝を吹き飛ばし、接近戦でも自分は上だと厳馬は判断したが故の言葉である。
 
「ええ、言ったでしょ。私は近接戦闘の方が得意だってね」
 
 笑みを浮かべながら厳馬の首に蹴りを放つ、厳馬は腕でその蹴りを受け止める。骨が軋む音がしたがかまわず厳馬は腕を外に押し、水輝の足を弾く。弾かれバ ランスが崩れた水輝の頭上目掛けて、右手に炎を宿らせ、”炸裂の拳”<バーストナックル>を叩きつける。
 
 咄嗟に後に下がり、直撃を間逃れるが爆発の余波で足を滑らせバランスを崩す。
 
「終わりだ! 水輝!」
 
 左手にも炎を纏わせ水輝の顔面に向けて打ち込む。だが水輝は薄く笑いながら右手に持つ”凰華扇”を横に一閃させ、厳馬の左拳に叩きつける。光りが収束し 小規模の爆発がおき、お互いが後に吹き飛ばされる。
 
「くっ」
 
 地面を滑りながら何とか堪える。左手からおびただしいまでの血が溢れ地面に紅い染みを作り出す。
 
(砕けたか……)
 
 痛みを堪えながら完全に自分の左手が使えなくなった事を認識した。爆発と同時に自分の拳が砕かれた感覚があったが案の定砕かれたようだ。そんな事を考え ながらも水輝はどうなったかを確認する。
 
 無様に吹き飛ばされ、地面に倒れながらも”凰華扇”を先端を厳馬に向けていた。
 
「射抜きなさい”凰華扇”」
 
 高速で飛来する風の矢が厳馬の腹に直撃する。
 
「がはっ!」
 
 衝撃が身体を貫く。今ので間違いなくあばらにひびぐらいは入っただろうと思いながらも、少し後退し右膝を地に付ける。
 
「残念ね”凰華扇”は”炎雷覇”と同じ強度なのよ。あんな高威力の打撃を打ち込めば拳のほうが砕けるわよ」
 
 起き上がり、左手で髪をかきあげながら厳馬を見下ろす。睨まれた厳馬はひびの入った場所を右手で添えながら水輝を睨む。
 
「降参しろ、水輝」
 
「……私、貴方の脳に致命的なダメージ与えていないわよね?」
 
 半眼で呆れながら呟く、どう考えても有利なのは水輝であり、左手が砕かれ、あばらにひびまで入った男が言う台詞ではない。
 
「勝てると思っているのか? お前は」
 
 何故此処までダメージを受け強気でいられるのだろうと思いながら、ある一つの結論に辿り付く。
 
「ええ勝てるわ。例え貴方が”神炎”を使ったとしてもね」
 
 此処までボロボロになりながらも自信が揺るがないのは”神炎”が在るからだと判断した。実際厳馬も”神炎”がある限り水輝に負けるはずが無いと信じてい た、たとえ此処まで追い詰められようとも”神炎”がある限り負ける気など無かった。
 
「思い上がるなよ。お前がどれだけ強くなろうとも私には勝てん」
 
 ボロボロになりながらも立ち上がり、今までとは比べ物にならないほどの気を放つ。極限まで高まった気が炎を精霊を蒼く染め上げる。見るだけで浄化されそ うなほどの強大な蒼い炎が生まれた。
 
「へぇ〜これが貴方の『蒼炎』ね。中々綺麗ね」
 
 ”神炎”というのは神凪の中で最高の炎である『黄金』をも超える炎。宗家の中でも傑出した力を持つ者のみが使える究極の炎。術者の”気”の色を宿す炎 を”神炎”と呼びその使い手は今まで十二人しか存在しない。そしておよそ二百年ぶりに現れたのが『紫炎』の重悟であり『蒼炎』の厳馬なのである。
 
「もう一度だけ言う。降参しろ」
 
「嫌」
 
 厳馬の最終警告を水輝は即効で蹴った。
 
「本気で言っているのか!?」
 
 厳馬が驚愕する、例え水輝がどれだけの自信を持っていようとも、実際に絶対的な力の差を見せ付けてやれば降参するだろうと予想していたのだ。
 
「……貴方、勘違いしていない?」
 
「なんだと?」
 
 何かに呆れたように言う水輝の言葉に厳馬が反応する。
 
「確かに”神炎”は炎術の中でも最強クラスの威力がある事は認める。―――だけど、術者は所詮人間、ならば人間に防げない道理は無いでしょ」
 
 言い終えた水輝は閉じた”凰華扇”で口元を隠す。その言葉を聞いた厳馬は狂人を見るような眼で自分の娘を見ていた。放つのが人間なら人間に防げないはず が無い、確かに理屈は通っているがこんな戯言を、”神炎”を目の当たりにしながら言えるのは狂人の部類に入るだろう。
 
 此処にきて厳馬はようやく自分の娘が”狂っている”事に気がついてしまった。
 
「お前……」
 
「どちらにしろこれでハッキリするわ。思い上がっているのがどちらかは」
 
 風を纏いながら厳馬を見据える。そんな水輝を厳馬はほんの一瞬だが申し訳なさを込めながら見つめる。だが直ぐにもとの眼に戻し右腕を頭上に掲げる。
 
「馬鹿者が!」
 
 右腕を振り下ろし水輝に向かって『蒼炎』を放つ。蒼い炎の奔流が水輝に襲い掛かる『蒼炎』が放たれると同時に水輝の周りを吹き荒れる風が蒼く輝く。
 
「!?」
 
「見せてあげるわ厳馬、”人”には決して超えられない壁を」
 
 なんの感情も感じさせない冷たい声音で確固たる事実を宣言する。水輝の眼が”蒼く”輝き爆発的に風の量が膨れ上がる。
 
「飛天<ひてん>―――」
 
 蒼い風に包まれた水輝は右手に握られている”凰華扇”を厳馬に向ける。蒼い炎が水輝を飲み込む瞬間、蒼い風が破裂し次の瞬間―――
 
 
「―――凰舞<おうぶ>」
 
 
 厳馬の後方に”凰華扇”を突き出した状態のまま水輝が立っていた。
 
 蒼い炎が水輝の居た場所を飲み込むのと、厳馬の全身が刃物に斬られたようにズタズタに裂かれるのは同時に起こった。
 
(何が……)
 
 思考が働く前に、厳馬は全身は引き裂かれるほどの衝撃を叩きつけられる。そして一瞬遅れて”音”が聞こえる。
 
(音速……を超えたというのか!?)
 
 後から音が聞こえるというのはそういうことなのだろう。厳馬は水輝が通り過ぎた時に生じた真空で全身を切り刻まれ、音速を超えたときに発生する衝撃波 <ソニックブーム>で全身を叩きつけられたのだ。
 
「いくら”神炎”といえども音速を捉える事は不可能よ……」
 
 蒼く輝いていた眼は元に戻り、額に汗を掻きながら少し疲れたように言う。”飛天凰舞”<ひてんおうぶ>一時的に”聖痕”を解放し、ほんの一瞬だけ音速を 超える技である。もっとも、音速に耐えられるほどの風を纏うのは人間には不可能に近い、それを水輝は一時的に”聖痕”を解放し人間を超えた状態になること でそれを可能としている。
 
 だが、この卑怯といえる技も完璧とはいえない。音速を超えられるのは一瞬だし、身体にかかる負担も半端ではない。何より一時的とはいえ、”聖痕”を解放 するのだ、その人間の限界を遥かに超えた出力に人間である水輝は耐えられない。
 
 そのためこの技は”本調子”の状態でも一日三回が限度、それ以上使えば間違いなく身体が砕けるだろう。
 
 言うなれば切り札の一つなのである。そのため水輝はほんの僅かだが油断した、本来ならありえないのだが彼女は確かに油断したのだ。強烈な炎の気配を背後 から感じるが、反応が遅れ、慌てて振り向きながら左手で炎を弾く。
 
 爆発し左腕のコートが弾け飛ぶ、風の量が不足していた所為で防御がおろそかになり、左腕から血が空を舞う。
 
「……貴方、本当に人間?」
 
 信じられないような、呆れのようなものを含みながら全身を切り刻まれ、血だらけの厳馬を見据える。そう、水輝の”飛天凰舞”を受けて厳馬は立っていた。
 
「はぁ、はぁ、はぁ……まだ、負けたわけではない」
 
 意識も朦朧な状態の中炎を呼び出し、水輝を睨む。
 
(まさか、僅か四年で私を超えるとは……)
 
 認めるしかないだろう、”八神水輝”は自分、”神凪厳馬”を超えたという事実を。正直、複雑な気分である。四年前和麻が自分に傷をつけたときもそんな気 分であった。
 
 自分に近い力を持ったのは嬉しいが、まだ自分の半分も生きていない若造に負けるのは腹ただしい。そんな事を内心思いながら誰にも気がつかれずに厳馬はこ の四年こっそりと鍛え続けた。
 
 精霊術は”神炎”まで極めた以上これ以上の成長は望めない。ならば老いが始まった肉体を鍛えるという結論に達しこの四年肉体を鍛え続けていた。この異常 なタフさももしかしたら、鍛えた結果かもしれない。
 
 そんな自分を水輝は超えたのだ。
 
「だが……私は負けぬ!」
 
 瀕死の身体に渇をいれ炎を撃ちだす。水輝は”凰華扇”を広げ、横に薙ぐ。衝撃波が発生し、炎を吹き飛ばし厳馬に叩きつける。
 
「くっ、」
 
 衝撃波をまともに受けたはずだが厳馬は倒れることなく堪えきる。
 
「……終わりよ、厳馬」
 
 ”凰華扇”を螺旋のように動かし、風を収束させる。一点に収束した風が、”凰華扇”に蛇のように絡みつく。
 
「”凰華扇”は精霊の収束率を高めるのよ。風でも極限まで収束すれば、十分な破壊力を生み出せるのよ」
 
 ボロボロになった厳馬を冷たく見据える。
 
「”朱雀閃”<すざくせん>」
 
 ”凰華扇”を横に薙ぐ。其処から生じた風の奔流が厳馬に迫る。限界までダメージを受けた所為で震える右腕を何とか突き出し、炎の弾丸を撃ちだす。だが風 の奔流になすすべも無く飲み込まれ消え去る。
 
「……」
 
 自分に襲い掛かる風の奔流を見ながら厳馬は今まで見せた事ないだろう、穏やかな笑みを浮かべながら風の奔流に飲み込まれた。
 
 
 
 
 月が照らす中、水輝はこの時生じた音が一番五月蝿く耳障りだと感じていた。
 
 
 
 
 
 
 
 あとがき
 
 バトルって難しい……結構ぐだぐだながらも完成させました。当初は闇討ちで終わらそうかと思いましたが、流石に……ということでこんな風になりました。
 
 時間はたっぷりあったのに今までで一番つらかった気がする。
 
 結構突っ込み満載ですが……見逃してください。次回くらいから少しは、他とは違う展開に……なりたいです。……いえします、でも神凪邸襲撃……これから も頑張ります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 おまけ(あったかもしれない話)
 
 
「これって何?」
 
 風の精霊王と対面した水輝は王から渡された”もの”を見ながら困惑の声を上げる。
 
「神器のカタログよ。これで貴方の武器を決めて」
 
「……」
 
 今まで抱いていた神聖な王のイメージとか昔行なった”炎雷覇”をかけた”継承の儀”が阿呆らしく感じる。そんな事を思いながらカタログを捲る。
 
「何これ?」
 
「それは斬る事に特化した神器。”斬○刀”よ能力解放の言葉は”悪を断つ剣”よ」
 
「パス。私自身が悪に近いから遠慮するわ」
 
「そうね。貴方が使ったらまず自分を断ちなさいとか、突っ込まれそうね」
 
 自分が契約した相手にこうも言えるのは流石王というべきか、そんな言葉を無視しながら水輝はさらにカタログを捲る。
 
「私のお勧めはピコピ○ハンマーの形をした神器ね。触れたもの全てを光にするのよ」
 
「私は勇者じゃないわ」
 
「どちらかと言うと魔王よね」
 
「……」
 
 契約破棄できないかしらと思いながらカタログを捲る。呼霊法の要領でメッセージを保存できる仮面とか、刀身が無い西洋の柄、何故か長さが五尺と書かれて いる日本刀まで載っている。
 
「で、どれにするの? いっそのこと鎧にする?」
 
「鎧?」
 
「そう魔導鎧の一種で絶対的防御力と、肩の辺りから風の砲弾を撃ち出せる優れものよ」
 
「へぇ〜」
 
 それも悪くないかも、と思いながらその鎧のページを読む。
 
「まあ、着る時、触手に体中を「結構よ!」……そんな」
 
 水輝の言葉にショックを受けたのか、悲しそうな顔をする。
 
「貴方のCGがコンプできないじゃない!?」
 
「……」
 
 どうでも良い嘆きを聞き流しながら、精霊王ってこんな奴しか居ないのとか嘆きたくなる。
 
 結局無難な形と効果の”凰華扇”にすることにした。ちなみに王が『扇で踊ってる時の写真私に送ってね』とか俗にまみれた言葉を聞いたのは此処だけの話。
 
 
 
 この話が嘘か本当かは作者も分からない。




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