南米。

アルゼンチン共和国。





南半球最高峰といわれるアコンカグアの山腹。

標高で言うと6000mを超えた辺りだろうか。

登山ルートをかなり外れ、観光客は勿論のこと、地元の人間さえ滅多に訪れることの無い場所。

神崎隷は1人の男と連れ立って、雪に覆われた道なき道を歩いている。

その服装は相変わらずのダークスーツにアタッシュケースが一つ。

普通の人間なら、いや、熟練の登山家であってもこんな格好で山に、しかも碌な標の無い場所に入るのは自殺行為だろう。

というか人間業ではない。

この気が狂ったとしか思えないような格好で、山に挑んで無事でいられるのは、

隷の後ろをゾンビのような覚束ない足取りで歩いている男のおかげだった。


「ぜぇ……ぜぇ……す、少し休ませ…」


ひゅー、ひゅー、とかなりヤバげな呼吸音と肩で息をしているグロッキーな結城慎吾がいた。


「ついさっき休憩したばかりじゃないか…駄目駄目。さっさと歩く……急がないと日が暮れるし…あと1時間はノンストップだよ。」


「ぞ……ぞんな……無茶な…」


サラリととんでもない事を言ってくれる隷に、慎吾は絶望的な顔で地面にへたり込む。

途端、辺りが急に冷え込み始める。


「周囲の気温が下がってきてるよ。炎の精霊が足りないから追加召喚してくれ。」


「む、無茶言うな!……ファーストフードと違って頼めば直ぐ出せるわけじゃないんだぞ!?」


「何言ってるんだよ…仮にもコントラクターの継嗣なんだからこの位できるだろ?

 今こそ!分家最強コンビの意地を見せるときさ!」


ここぞとばかりに褒めちぎる隷。

普段、自分が吹聴していることを揚げ足に取られ、慎吾はウッと黙り込む。


「わ、わかった、召喚する。だから一度休ませてくれ…これ以上は歩けねえ。」


地べたに座り込んで情けない顔で懇願する。


「しょうがないな。少しだけだよ?」


苦笑を漏らしながらも隷は折れた。

実際、アコンカグアは“その道”の熟練者からは比較的易しい山と言われているものの、素人が簡単に登頂できるような山では決してない。

しかも慎吾は、山を登り始めてからずっと、隷と自分の暖房代わりに炎の精霊を召喚し続けていたのだ。

並の炎術師なら、とっくに倒れているところだ。

未だに彼が立っていられるのは、神凪一族特有の並外れた精霊感応力あってこそと言える。


「この辺で休憩にしようか……じゃ、慎吾君頼むよ。」


「くっ………う、うおおおおおおおっッ!!!」


力を振り絞るように咆哮する慎吾。

直後、彼の全身から炎が膨れ上がり、辺り一面の雪を一瞬で焼き払った。

炎が嘗め尽くした後には地肌が覗く。


「結!!」


続いて隷が漆黒を召喚し、雪崩が起きないよう周辺一帯の雪を凝結させる。


「うん。これでいいか。……じゃあ小休止にしよう。炎の精霊は絶やさず召喚してくれよ?」


「ふ……ふざけん……な………」


息も絶え絶えといった様子で、慎吾は切り返した。




































蒼と黒の饗宴

第2部 プロローグ




































「目的の村まで、あと一時間って所か。…何とか、日が暮れる前には着けそうだね。」


「なあ、こんな雪山の中に村なんてあるのか?」


腕時計を確認して満足げに頷く隷に、慎吾は前々から思っていた疑問を呈した。

隷が魔術協会から受けた依頼。

失踪した協会の魔術師の捜索のため、イギリス、ドイツと来て、最終的にこのアルゼンチンの高山に辿り着いたのは、

依頼を受けてからちょうど3週間目のことだった。

協会の本部があるロンドン、件の魔術師の生地ミッテンヴァルトにある工房で調査を行った結果、

魔術師が最後に向かったのが、この高山の山中にあるという集落らしいことが判明したのだ。

もちろん只の集落ではない。

古代アステカの流れを汲む祭司――――――いわゆるドルイドとかシャーマンとか言われるような者達の集落である。

…まあ普通に考えれば、こんな雪山のど真ん中に村があるなどとは俄かには信じられないだろうが。


「工房で調べた限りでは……あるらしいね。まあ行ってみない事にはなんとも言えないけど」


「骨折り損で終わる可能性もあるってわけかよ…………」


慎吾はというと、文句を言う気力も無いのか地面に突っ伏したまま動かなくなっている。

ただの屍のようだ。


「にしても、何もこんな時期に依頼してこなくたって……これじゃ今年の冬コミ参加は無理か……くそ…忌々しい!」


「………つっこむ気力もねえよ。」


のそりと慎吾が起き上がる。

当初は、神埼宗家の人間ということもあり、隷に対して敬語を使っていた慎吾だが、

日本を出国してからこの方、散々おちょくられたり、また、隷本人から「ざっくばらんに行こう」とタメ口の許可を貰ったので、

今では対等に口を利いている。もっとも、立場に関しては明らかに隷が上だが。


「起きたのか。冷凍ミカンでも食べるかい?」


「いらん!というか嫌がらせか!?」


「はははは……和麻からの頼みでね。雪山に登ったらこのネタをやってくれと…」


「野郎……」


屈辱にブルブルと肩を震わせる慎吾。

過去とは完全に立場が逆転しているため、面と向かって罵声を浴びせることもできない。

実際それで痛い目にあっているからこそなのだが、一族の中には未だに過去の“落ちこぼれ”であった和麻が忘れられず、

反抗的な態度をとってボコボコにされる者もいる。

武哉辺りは既に自分の中で折り合いをつけているようだが、慎吾には彼ほど割り切って考えることはできない。

和麻が来るまでは分家最高クラスの術者として名を馳せていたという自負もあるし、風術師に屈することへの抵抗感もある。

嫌々ながらも八神の指示に従うことができるのは、和麻、五十鈴の圧倒的な実力を目の当たりにしていたからこそだ。

風術は下術。ただし、八神家は別格。

これが慎吾の中での風術師の位置づけであった。

鬱屈した思考を頭から追い出すように、隷に話しかける。


「………目的地まで、後どのくらいかかるんだ?」


「ここに来るまでに道を間違えてなければ……そろそろ着くはずだよ。」


そういって、隷は立ち上がる。


「休憩はこの辺にして、歩こうか。」


実際、それから一時間足らずで目的地に着いた。









     ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆










やがて、彼らは山腹の開けた場所に出た。


「……ふう、情報通りなら、この辺りで間違いない筈なんだけど…」


額の汗を拭い、辺りを見回す。

今いる場所は高山の山腹で、かなり見晴らしがいい。

空気も綺麗で、隷も当初は観光気分で景色を満喫していたのだが、

さすがにこう、何時間も同じような景色ばかり見続けていれば飽きてもくる。

そんな隷の視界に、あるモノが飛び込んできた。

それは微かな空間の歪み。


「……どうやら目的の村に着いたらしいね。」


「はぁ?……村なんて何処に……」


わけが解らないと言いたげに辺りを見回す慎吾。


「ま、見てなさいって…『デノテーション!』」


隷の叫びと同時に周囲の空間から湧き出すように漆黒が姿を現す。

極北を司る水気は一瞬にして半径100メートル程もある巨大なドームを形成する。


「な……」


余りに非常識な精霊の召喚量、その凶悪なまでに圧縮され、力を増した水の顕現に、慎吾は言葉を失くす。

山の中腹に突然姿を現した黒いドームは、


「そろそろか……解。」


隷の呟きと共に一瞬で霧散する。

漆黒が姿を消すと、これまでとは全く違う風景が飛び込んできた。


「到着……だね。しかしまあ、よくこんな場所に村なんて作るもんだよ。」


呆れたように溜息を漏らす。

先程まで、雪と岩肌のみが存在していた其処には、十数軒の家屋が間隔を空けて建っていた。

地図にも載っていない。

しかも、この時期、雪に覆われているはずのそこには何故か緑があふれていた。

草木が生い茂り、花が咲き乱れ、ここに登ってくるまで隷が飽きるほど見てきた銀世界とは、まるで別世界のようだ。


「ど…どうなってんだ!?」


その、余りにも異質な光景に慎吾は呆然と呟く。

隷も、表情には出さないものの内心では驚いていた。


「異層結界か……しかも半端じゃなく高度な…」


完全に外界から隔離された、一つの完結した世界。

精霊術師の隷が使うような、にわか結界術では逆立ちしてもできない芸当だ。

一見したところ、何の変哲も無い長閑な集落。…しかし、そこに人の住む気配は無い。

すでに住民から打ち捨てられたのだろうか。

建物の中には崩れかかっているものまである。


「ドルイドの集落……か、鬼が出るか蛇が出るか…」


なんにせよ、調べてみないことには埒が明かない。

これも依頼の一環なのだから。


「それじゃあ調べようか…。ほら、いつまでもボーッと突っ立ってないで!」


口をあんぐりと空けて立ち尽くしている慎吾を叱咤して、隷は手近にある一軒に足を踏み入れた。










     ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆











「……臭うな」


「う……っ。確かに、何の臭いだこりゃ」


手近にあった民家に足を踏み入れた途端、饐えたような異臭が鼻に突いた。

不快感をもよおす臭気に顔を顰めつつ、家屋の奥へと足を運ぶ。

無人であることを除けば、やや古めかしい造りではあるものの、何の変哲も無い民家。

そこで隷は、床に転がっている使用済みの薬莢を拾い上げた。

9mmパラベラム。

オートマチック拳銃の弾として、各国の警察、あるいは軍用拳銃に使用されているものだ。

注意深く辺りを見回せば、テーブルをはじめとした木製の家具幾つかに銃創が穿たれている。


(めくらめっぽう乱射したみたいだな…)


「お……おい…これ…」


慎吾が微かに震える声音で呟くのが聞こえた。


「ん?どうした…」


衣装棚の前で固まっている慎吾に、隷は首を傾げる。

不審に思い、衣装棚から寝台の下まで見てみる。

部屋の片隅には半ば白骨化した死体が転がっていた。

腐敗がかなり進んでおり、凄まじい異臭を放っている。


「……ウッ!」


口元を押さえて外に駆け出していく慎吾をやや呆れ気味に見て、次いで死体に目を向ける。


「2人…か。母親と子供。」


近づいて、その顔を覗き込む。

この家の住人……腐敗の進み具合から見て死んだのはかなり前……もしかすると一月以上前かもしれない。

室内の棚や机の抽斗を開けて中を漁る。

その内、小物のひとつが隷の目に留まった。


「これは…黒曜石の短刀……礼装として使えるやつを見るのは初めてだな。」


抽斗の中にあった黒光りするナイフを取り出し、しげしげと眺める。

古代アステカ文明において黒曜石は重要な意味を持つ。

生贄の儀式に使用されるナイフは黒曜石製だし、夜の暗闇を司るとされる神テスカトリポカの持つ鏡も黒曜石製だったといわれている。

黒曜石の短刀の“レプリカ”―――魔術的な力の篭められていない物―――であれば隷も見たことはあるが、

実物を手に取るのは初めてのことだ。

とりあえず、短刀と、付近に落ちていた薬莢を回収し、今度は集落の中でもっとも大きな家に入る。


「これは……」


家に入った隷は息を飲んだ。

家の大部分は崩れ落ちており、内装も殆ど無くなっている。

だが、隷が絶句したのはその事についてではない。

壁の至る所に刻まれた、獣の爪痕のような傷。

いや、傷というより亀裂といった方がしっくりくる。

それほど凄まじい損傷だった。

恐らく、一般に知られている肉食動物の何れであっても、こんな芸当はできないだろう。

更に……


「風化したわけじゃないらしいな……炎で焼き払ったのか?」


家というのは、人が使わなければ風化していくものだ。

集落の、幾つかの建物が崩れていたのは当初、長らく放置されていたせいだと思っていたのだが、どうも違うらしい。

家の内装は凄まじい高熱で焼き尽くされたようだ。

石造りの部分はかろうじて残っているが、木製、布製の部分は全く残っていない。

そして石の部分も所々煤けている。


「生存者ゼロ…か。惨いな。」


嘆息し、しばし黙祷を捧げた隷は、廃屋の中を漁り始めた。

屋内はほぼ焼かれており、まともに残っているものは無かったが、それでも隷にとっての収穫はあった。


「こいつは……」


家の裏手に回ったところで、例は1体の死体を見つけた。

頭を吹き飛ばされて転がっている。

その服装は村の者たちが来ていたものとは明らかに違う登山着だ。

服の胸元が不自然に盛り上がっているのを目に留め、そこを漁ってみる。


「うう…」


流石に、腐乱した死体の体を弄るのは気が引けるらしく、隷の顔が嫌そうに歪められる。

やがて、そこからは黒いカードケースが出てきた。

それを捲っていくうちにある一枚の身分証の眼がとまる。


「…………見つけた。」


身分証にはこう書かれていた。


『大英博物館学芸員・クレイグ=ロバートソン』


行方不明となっていた協会の魔術師だ。

死体に手を当て、瞑目する。

精神を集中し、周囲に微かに残された気脈の乱れを探っていく。


「………殺ったのは地術…か」


立ち上がり、後ろを振り向くと、覚束ない足取りで慎吾が歩いてくるのが見えた。

腐りかけの死体をいくつも見たせいで情緒不安定になっているのだろうか?


「君も退魔師なら死体くらい見たことあるだろう?」


「そりゃあるけどよ……いつもなら骨も残さず燃やしちまうから…」


言いながらも、その視線はチラチラと隷の足元に転がっている首無し死体に向けられている。

なるほど、ここまで状態の悪い死体は見たことが無いと。

随分と間抜けな話があったものだ。

しかし…それにしても…


「……これからどうしたもんかな?」


虐殺された村……それも只の村ではない。

ここに住んでいたのは日本的な言い方をするなら退魔師の一族。

更には、彼らと一緒に転がっていた魔術師の死体。


(どうにも……厄介なことになりそうだな)


隷は途方に暮れたように天を仰いだ。





南米の山中で起きた一つの惨劇。





だが、これは序幕に過ぎない。





戦いの第2幕。





それは遠く離れた日本において上がろうとしていた。







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