「まずいことになった。」

苦々しげにそう呟くのは神崎貴広。

彼の目の前で八神和麻、八神五十鈴がすまなそうに頭を下げている。

一同が合流したところで風牙の術者を一部取り逃がしたことがわかったのだ。

既に主力は壊滅したものの、2線級の術者や女子供に関しては貴広が流也と戦っている間に山を下りて姿を眩ませていたのだ。






























蒼と黒の饗宴

第30話































完全に失念していた。

確かに風牙の術者の中でまともに戦えそうな者は殆ど和麻たちに倒されている。

しかし、現役を退いた2線級の術者や女子供についてはまだかなりの数が残っているはずであり、これらを取り逃がしたのはかなり痛い。

警察の力を借りることができれば発見することも可能だろうが、神凪としては今回の風牙の反乱は神凪が千年かけて築き上げてきた権威を

崩壊させかねないスキャンダルであり、情報を外部に漏らすようなことは到底容認できない。

既に神凪と取引を行っている神崎も同様である。

こうなった以上まともに動かせるのは神崎のSSくらいである。

神凪の炎術師に、風術師の捜索など出来るはずもない。




綾乃は別に問題ないだろうにという顔をしている。

力を持たない女子供など逃がしても問題ない。

綾乃はそう思っている。




だが、貴広としては幾重にも苦々しい。

皮肉にも決戦前に綾乃と交した無抵抗の者には手を出さないという口約束を実行したことになるわけだが、貴広には綾乃のような楽観的過

ぎる考え方は出来ない。

自分達に家族を殺され恨みを抱いている異能者たちを10人以上も取り逃がしたのだ。

しかも、捜索の為に官憲の手を借りるわけにも行かない。

これが何を意味するかを考えて貴広は顔を顰める。


(直にでも奴らの捜索にかからなくてはな……)


唯でさえ妖魔との戦闘で戦力をすり減らしているSSを総動員して当たらせなければならない。

それによって低下する神崎の戦力は神凪の術者によって穴埋めする必要があるだろう。

だが、術者としての力は兎も角、その劣悪な素行や、技術の稚拙さは如何ともしがたい。


(あのロクデナシどもに我が家の警備を任せるのか……いや、警備に必要な最低限の人員は手元に残しといたほうがいいな)


神凪本邸を訪れた時に目にしたお粗末極まりない警備体制を思い浮かべて貴広は思い直す。

高度な訓練を受けたプロ集団の代わりが、生来の力に頼りきったチンピラどもに務まるはずもない。

これからの労苦を考えて煩悶する貴広。



ちらりと綾乃達に目をやり


「はあ……」


殊更大きな溜息をつく。


「な、なによう」

不服そうにする綾乃。


(まあ術者としては良い線いってるんだが)

如何せん猪突猛進の気がありすぎる。

これでは調査などの細やかな気配りが必要な仕事には就けられないだろう。

少なくとも暫くは。











一方、厳馬はこれからの神凪のことを考えて溜息をつく。

今回神凪が被った損害は甚大であり、一朝一夕では到底回復できない。

賠償金として78億。

さらに、神崎のSSに無償で人材を派遣しなくてはならない。

現役の術者が半数近く死傷している状況でこれは非常に痛い。

宗家分家あわせてもすぐに用意できるのはせいぜい60億。残りは美術品や有価証券などを償却して賄うしかない。


政治的にも今後、神凪は神崎に逆らえない。

かつての風牙衆とまではいかないかもしれないが、神崎の下部組織のような扱いになる可能性が高い。

そして、それによって起こるであろう先代宗主頼道を筆頭とする長老達の反発。

「宗主が過労で倒れなければ良いが……」

はっきり言って頼道を抑えられるのは重悟しかいない。

傲慢無礼を体現した様な男・頼道の相手をするのは控えめに言っても相当なストレスがかかる。

もし重悟が倒れれば、その役目は必然的に自分が負うことになるだろう。

それゆえ厳馬としては、重悟にはなんとしても健康でいてもらわねばならない。

何気に他力本願な男・厳馬であった。

(まあ、潰されなかっただけましというものか……)

まったくです。














そして和麻。


この戦いは和麻にとってひとつの転換点となる。

神凪と神崎の関係を考えれば、今後、東京に住む自分は神凪と神崎、八神のパイプ役を務めることになるであろう事は容易に想像がつく。

和麻としては二度と神凪に関わらない心算だっただけに複雑な心境である。

神凪の家に良い思い出など殆ど無かった。

誰もが和麻を蔑み、もしくは存在そのものを無視していた。

無闇に多い一族の中で、和麻に好意を持って接した者などそれこそ片手で数えられる程度であった。

今の和麻にとって「我が家」とは八神の家、もしくは神崎の家であった。

(結局のところ、俺は神凪をどう思ってるんだろうな)

虐げられていたのは事実だが、今現在、彼らに対して兵衛が抱いていたような憎悪を持っているかといえばそんなことは無い。

実際、分家の術者たちと久しぶりに対面しても、彼らのことは殆ど覚えていなかった。

結局、和麻にとってその程度の存在だったということだろうか。

和麻は頭を擡げる。



和麻が自分の中で気持ちの整理をつけるのはもう暫く後のことになる。






気を抜いた途端、睡魔が襲ってきた。

長時間聖痕を解放したのだから無理も無いだろうが。

見れば綾乃もへたり込んでいる。

貴広は聖痕を解放したにも拘らず、普段と変わらない様子で立っているが、和麻がその域に達するにはまだまだ精進が必要だろう。








ふと視線を巡らせる。

辺り一面荒野と化している中で、一本だけ、辛うじて立っている杉を見つける。





和麻の目には、それが兵衛の墓標のように見えた。


























「これは……」





自分は敗れた。





己の総てを賭して、それでも最強には届かなかった。





あの男の炎の前に自分の風は届かなかった。





闇の中。





静謐の世界。





戦いに敗れ、男の胸に去来するのは過去の記憶。


半世紀以上にわたり積み重ねてきた記憶の俯瞰。


喜び、悲しみ、そして憎しみと絶望。


様々な感情が心中を埋め尽くす。


流也と言う才に恵まれた子を授かった喜び。


神凪によって誇りを踏みにじられた屈辱。


それらの光景は色褪せることなく脳裏に浮かび上がる。


だが、同時にそれを冷静に眺めている自分がいる。




後ろから呼ぶ声がする。


「父上。」


振り返ればそこに子どもがたっている。


まだ幼かった頃の姿。


遠く過ぎ去った日々そのままの姿かたち


全ては男の記憶にあるままに。


その子供は呼びかける。


「父上、どうしたんですか?急に黙って?」


不思議そうに首をかしげる。


「いや、大したことではないよ。流也。」


万感の思いを込めてそう呟く。


外法に手を染め、我が子を化生に堕とした男を、まだ父と呼んでくれるか。


望外というものだ。


「行きましょう、父上。」


走り寄り、自分の手を取る息子に静かな微笑で頷く。


一族を守ることも出来ず、滅びへと追いやった男には分に過ぎた扱いではないか。


思わず苦笑が漏れる。


そして、その男―――風牙衆最後の頭領は息子の手を引き、一歩踏み出した。

























蒼と黒の饗宴第1部  完




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