そこは研究施設だった。

広々とした室内の中央には円筒状の培養槽が設置され、

それは数え切れないほどのケーブルやチューブによって大小様々な機械、モニタに接続されていた。

その培養槽の中には一人の少女が浮かんでいた。

その瞳は閉じられ、胎児のように身体を丸めて培養液の中を漂っている。


「経過はどうだ?」


物々しい鉄扉を開けて入って来た背広姿の男が、コンピュータのディスプレイに向き合ってデータを解析している白衣の男に尋ねる。

彼が、この研究の責任者だった。


「ええ、“彼女”順調に成長していますよ。……まあ楽観は出来ませんが」


そう言いながらも、白衣の男の表情には何かを成し遂げたような達成感があった。

クローンの成長促進は今までに何度も試みられ、悉くが失敗に終わっていた。

しかし、数日前に彼の元に届けられたとある品物によって研究は飛躍的に進展する運びとなった。

植物の種子のようにも見えるそれが何なのか、運んできた男を問い詰めたが、何も教えてはもらえなかった。

それだけが唯一心残りだが、ともあれ彼の研究は実りつつあるのだ。

目出度いことには変わりない。

高揚感を隠しきれぬ様子で報告する研究者に、男はどことなく気まずそうな表情を浮かべる。

暫し言いよどんだ後、来室の目的を告げた。


「……その素体だが……半日で全工程を済ませろとの命令があった」


男はボードに留められた書類を見ながらそう告げた。


「な…なんですって!?そんな事をすればすぐに死んでしまいますよ!?最低一月は必要です!!」


白衣の男は驚いて振り向き、男を見る。


「やむをえん、スポンサーの意向だ。上の連中が言うには、ここから出した後にある処置を施せば充分すぎるほどの耐性がつくらしい。

 細胞の劣化や壊死なんて何の問題もないくらいにな…」


「なんですか…その処置とは───」


「…命と引き換えにしてでも聞きたいか?」


「!!」


そう言う男の表情は何を思い出したのか恐怖で歪んでいた。

その表情に白衣の男の脳裏に口封じという言葉が浮かび、白衣の男は息を飲む。


「──────俺もそうやって脅されたよ…あの連中に逆らうのは不味い。」


疲れきった表情でそれだけ言うと、男はボードに止めた書類を一枚取り、差し出した。


「これが、新しい工程表だ。」


白衣の男は黙りこくったまま、その書類を受け取る。

既に、先程までの高揚感は跡形もなく消えうせていた。


「───これだけの早さでクローンを作るなんて……こんな技術聞いたこともない……」


彼の表情には、得体の知れない何かに対する恐怖が漂っていた。


「……そうだな」


男は歯切れの悪い返事をすると部屋から出ていった。

扉を閉める間際、素体の名前が記されたプレートが目に入った。


(すまんな…亜由美…) 


それが何に対しての謝罪なのか、男にもよく解らなかった。




































蒼と黒の饗宴

第2部 第1話




































所は日本。

横浜市の繁華街。

喧騒に満ちた街の一角には、今、剣呑な雰囲気が漂っていた。


「だからさ〜、絶対退屈はさせないからさ〜。

 いいクラブ知ってんだよ。そこなら顔パスでは入れるからさ〜。」


「な、いこうぜ。女だけで遊んでてもつまんねーだろ?」


軽薄そうな男達は、辺りに漂う張り詰めた空気に気づくことも無く、軽薄な口調で軽薄な台詞を垂れ流していた。

顔立ちは整っているのだが、その痴的な言動からは、品性の欠片も見出すことはできない。

要するにナンパである。

よくあることだった。

話しかけられている3人の少女達は、タイプは違えど、いずれも際立った美少女達である。

ナンパの対処には慣れている――――――否、慣れていた。

つい最近までは。


「――――――」


不意に、今まで無言だった一人の少女が動き出した。

ゆっくりと顔を上げ、正面の男の眼に視線を合わせる。


「アイドルとかモデルなんかもよく来るんだぜ?俺もそっちの知り合い多いから、何なら紹介してあげても……」


「―――消えなさい」


「……はい」


底冷えのする眼差しとともに一刀両断され、すごすごと立ち去る男達。


「綾乃ちゃん」


「…なに?」


綾乃は不機嫌を引きずったまま、振り返る。

振り返った先には、彼女と同じ高校の制服を着た二人の少女がいた。


篠宮由香里。


久遠七瀬。


篠宮由香里は肩まで伸ばした髪をソバージュにしている、常に笑みを絶やさず、口調もどこか間延びした、

ほややん、というか、ふややん、というか、そんな擬態語が背後から透けて見えるような、おっとりとした少女だった。

対照的に久遠七瀬は、くせの無い髪をショートカットにしている、常に冷静で、機敏な動作や口調には女の子らしい甘さが無く、

どこか中性的な印象を与える―――バレンタインデーには、山ほどチョコを貰うタイプの―――少女だ。


「何か最近、ナンパ君への対応が厳しくない?」


「気のせいよ」


七瀬の言葉に取り付くしまもなく、綾乃は答える。


「だって……ねえ?」


「うん。確かに最近ちょっとやりすぎてるね。この前なんて、カバンの角でこめかみ殴ってたし」


「ああ、あれ凄かったよね〜。白目剥いて、耳から鼻から血が出ちゃって〜」


「いいじゃない、ちゃんと救急車は呼んであげたんだから」


不機嫌そうに言い放つ綾乃。

そんな彼女を由香里は暫くジッと見つめ―――おもむろに核心を突いた。


「綾乃ちゃん、やっぱり何かあったでしょ。男の子と」


「ななななに言い出すのよいきなりっ!!!」


不意打ちの一撃に、綾乃は思い切り動揺を露にしてしまう。


「ほほう?」


七瀬がニヤリと笑った。


「このファザコン娘が、パパ以外の男に興味を持つようになったか」


「あたしは別にファザコンじゃないわよ。ただ単に、お父様よりもカッコいい男ってのに会ったことが無いだけ」


世間ではそういうのをファザコンというのだが、彼女は知らないのだろうか?

臆面も無く言い切る綾乃に、由香里と七瀬は目を見合わせ、『困ったもんだ』とばかりに溜息をついた。


「まあ、確かに渋いオジサマだとは思うけど、あの雰囲気を十代や二十代の若造に求めるのは無理があるんじゃない?」


「そんな事は無いわよ。お父様だって十代のころはあったんだし、そんな感じの人なら―――」


綾乃は台詞半ばで口を閉ざし、顔を顰めた。心底嫌そうな顔をした。

自分の言葉で、考えたくもない男のことを想像してしまったのだ。

―――そう。八神和麻の顔を。


(最悪……なんでアイツのことなんか…!)


決して父、重梧には似ていない。

彼の血の繋がった親である厳馬とも―――性格から言えば正反対とさえ言える。

しかし、強い。

その力、術者としての『格』、いずれもケチのつけようがない。

風術=下術という(神凪の)常識など吹き飛ばしてしまうくらいに…


「あ・や・の・ちゃん」


由香里の笑みを含んだ呼びかけに、綾乃はハッと我に返った。


「今、好きな男の子のこと考えてたでしょ?」


「ち、違うわよ、あんな奴っ!!」


「どんな奴?」


いきなり横から突っ込まれ、綾乃はがっくりと肩を落とした。


「七瀬……あ、あんたまで…」


「あきらめなって。こんなおいしい話、由香里が見逃すはずないでしょ?」


獲物を見る肉食獣のような目で綾乃を見据え、2人の少女はにじり寄っていく。

その異様な雰囲気に、綾乃も気圧され気味だ。


「で、どんな人?」


「だ、だからっ!そんなんじゃないって!」


「なによぉ〜教えてくれてもイイじゃない……別に減るもんじゃなし」


「そうそう!」


いい加減しつこい2人に、とうとう綾乃は痺れを切らした。


「あーもう!!この話はもう止め!!!

 そんな事より!あたし達って、これからケーキを食べに行くんじゃなかったっけ!?」


「そうだけど……?」


「それでなんでこんな所を通らなきゃいけないのよ!?」


ビシッと刺した指先の向こうには………乱立するビルの数々。

俗に言うラブホテルである。彼女達3人組はその入り口にまで来ていた。


「近道なの」


「だからって、こんなとこ……」


「大丈夫よぉ。誰もあたし達がレズ3Pしに行くとこだなんて思わないから」


清らかな笑顔で、ものすごい台詞を言い放つ友人を、綾乃は沈痛な面持ちで見つめる。


「あんたね……その可愛らしい顔で不穏当な発言をするのはやめなさい」


「んー、でもぉ、綾乃ちゃんほど不穏当な行動はしないから」


「……それ、どういう意味?」


半眼で睨む綾乃の視線を、由香里は笑顔のままで受け止める。

おっとりしてはいるものの、彼女は決して気が弱いほうではなかった。

自分の不利を悟った綾乃は強引に議論を切り上げる。


「とにかく、こんなとこ通るの却下。遠回りしていくわよ」


「もー、綾乃ちゃんったら潔癖なんだから」


「潔癖?それが当たり前なのよ!こんな…Hするためだけのホテルなんて、入る奴の気が知れないわ!!!」


ラブホテル街をバーン!と指差して大声で言い放つ。

その大声に、周りを歩いていた通行人が一斉に綾乃たちを見る。

天下の往来で、彼女は恥ずかしくないのだろうか?

今もラブホテルから出てきたばかりのカップルが、

綾乃の大声を聞いて、恥ずかしそうに顔を伏せて去っていくのが七瀬の眼に留まった。


「(ご愁傷様……)」


他に何を言えと?

語気も荒く、反ラブホテル宣言をぶちかました綾乃は、親の仇でも見るようにラブホテルを睨みつける。

―――と、不意にその顔が強張った。

由香里と七瀬もつられるように綾乃の視線を追う。

そこには――――――


「相変わらずテンション高いな、お前は」


美女と連れ立って、ラブホテル街から出てくる男の姿があった。

年のころは二十歳すぎ。

二枚目の端っこに引っかかる程度には整った容貌をしているが、表情にはどうにもしまりがない。

口元に浮かぶシニカルな笑みが、評価を3割ほど引き下げていた。


「しかしまあ……天下の往来で何やら絶叫してる奴がいるんで来てみたら?まさかお前だったとは、いやはや世間は狭いな?」


呆然とする綾乃に向かって男は面白がるように言葉を重ねる。

男―――――綾乃が心底嫌っている(と思い込んでいる)八神和麻の厭味ったらしい台詞を聞いているうちに、

凍りついていた綾乃の脳が次第に解凍されていった。


「な、何やってんのよ!?こ、こんなとこでっ!!」


「―――――綾乃ちゃん?」


急に怒り出した友人を、由香里と七瀬は訝しげに見つめた。

しかし男女がこんな所―――――すなわちラブホテル街―――――ですることなど、

バリエーションは多々あれど、基本的に一つしかない。


「何って―――――ナニ?」


『きゃっ、恥ずかしい(はぁと)』と言わんばかりに、口元に拳を当てて言ってのける。

その瞬間、綾乃の中で何かが何本、あるいは数十本まとめてぶち切れた。

吹き上がる怒りのオーラに恐れをなして、由香里と七瀬が後ずさる。

しかし、素人でも気づかないはずの無い強烈な殺気を浴びても、和麻はおろか、隣の女性さえ余裕の笑みを崩さなかった。

射抜くような視線を軽く受け流し、彼女は和麻の耳元に口を寄せる。


「この子、和麻の恋人なの?」


「霧香………その冗談は笑えないぞ」


からかい混じりの問いかけに、和麻は心底いやそうに答える。

すると霧香と呼ばれた女性はちらりと綾乃に視線を流し、くすりと笑みを漏らした。


(――――っ、この女―――!)


多分に挑発的な態度を受けて、綾乃は霧香を『敵』と認識した。

弱点を探るように、全身を隅から隅まで観察する。が―――


(う……)


細身のくせにメリハリの利いた肢体。

匂い立つ色香。女としては綾乃の完敗だった。

それでも、脳に回すべき栄養まで胸や腰に溜め込んでいるような女だったら、綾乃もさして悔しいとは思わなかっただろう。

むしろ、そんな女を連れている和麻に蔑みの一瞥くらいくれてやったかもしれない。

だが、霧香はその辺にいる身体だけの女性とは、明らかに一線を画していた。

切れ長の瞳に宿る知性の光が、男に媚びるしか脳の無い女との違いを明確に示している。

和麻よりは少し年上、二十代半ばのように見える。

それに綾乃の殺気を平然と受けとめられる辺り、平凡なOLではありえない。同業者だろうか。


「和麻?」


霧香は和麻の腕に自分の両腕を回す。だがそれは愛情表現の現われではない。

それは明らかに、警察などが犯人を拘束するための行為だった。


「私、あなたを淫行罪で逮捕しちゃっていいかしら?」


「するな。あいつはただの仕事上の関係者だ。」


飄々とした態度を崩さず言い放つ和麻。


「じゃあ何であんなに怒ってるの?」


「あいつはいつも怒ってるんだよ。気にするな」


「ふぅん」


霧香は再び綾乃に目を向けると、意味ありげに微笑んで見せる。

ぴくりと、綾乃のこめかみが引きつった。


「説明、したほうがいいと思うけど」


「いいよ、面倒くせえ。行こうぜ」


和麻は掴まれた腕で霧香を引いて歩き出した。

最後に綾乃と目を合わせると、真面目ぶった顔つきで、こう忠告する。


「早く帰れよ。子供がこんな所をうろちょろするもんじゃないぞ。」


怒りに震える綾乃の脇を、和麻は何事も無かったように通り過ぎた。

すれ違いざまに、霧香がちらりと視線を送る。

憐れみを込めた眼差しが、綾乃の神経を思い切り逆撫でしながら過ぎ去っていった。

去っていく2人の男女を、肩をブルブル震わせながら見送る綾乃。

やがて、和麻達の姿が見えなくなった頃。

2人の親友は憐憫に満ちた口調で、未だに立ち尽くしている綾乃の肩をポンと叩く。


「あ〜、綾乃ちゃん?」


「……ドンマイ」


その瞬間、綾乃の中で最後の一線が音を立てて千切れ飛んだ。


「〜〜〜〜っ!和麻の………バカァァァァッッッッ!!!」


綾乃の叫びが人通りの多い繁華街に響き渡った。








     ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆









「ったく、あいつは…公衆の面前で恥ずかしくないのか?」


背後から響いてきた少女の咆哮に、和麻はやれやれと肩を竦めた。


「良かったの?あの子、絶対誤解してるわよ」


「仕方ないだろ、一般人がいる目の前で『こちら側』の事情を話すわけにも…」


「その辺はほら、巧く話をでっち上げるとか…」


「……俺にはお前がわざと誤解を与えるような言動をしていたように見えたがね」


ジト目で和麻に睨まれ、霧香は乾いた笑いを浮かべつつ明後日の方向を見る。

橘霧香。

現在、国内唯一の公営退魔組織である警視庁特殊資料整理室の室長を務めている女傑である。

傍流とはいえ陰陽道の名門である橘の出身であり、その“優秀さ”故に宗家から疎まれ、

ほとんど放逐のような形で警視庁内にできたばかりの公営退魔組織に押し込められたという、かなり癖のある人物だ。


「……帰っていいか?」


「ま、待って!…もう、ちょっとふざけてみただけじゃないの」


「最近忙しくてな、余り遊んでる暇は無いんだよ。」


これは本当のことだ。

風牙衆が妖魔を利用して起こした反乱が終結して、まだ一月と経っていない。

事件の揉み消しやら風牙の残党追跡やら、仕事は山積しており、今の和麻は目が回るほどに多忙なのだ。

今回、霧香と2人でいるのも仕事の話をするためであった。

で、話がひと段落ついたところで綾乃と遭遇したと…


「警視庁としては、あなたの出す条件に文句は無いわ。

 私たちの情報網を利用する代わりに神凪から退魔師を派遣してくれるよう斡旋する。

 ………あの一族の閉塞性を考えたら十分過ぎるほどの好条件。けど解らないわね…情報収集はあなたの家の十八番でしょう?

 わざわざ警視庁の手を借りてまでやる必要があるの?何か裏がありそうで怖いんだけど」


「ま、何も無いとは言わんが……少なくとも警視庁にまで火の粉がかかる類のものじゃないさ。

 それだけは確約できる。お前さんにはそれで充分だろ?」


「まあね。それを聞いて安心したわ」


和麻の返答に霧香は相好を崩し、再び和麻の腕に自分の腕を絡める。


「話も纏まったし…これからお昼でも一緒にどう?」


「まあ、メシ食うぐらいの時間はあるが…ってお前な、さっきも思ったが腕を絡めるな、誤解されるだろうが!」


「あら、何か問題でも?」


「大有りだ!大体俺に婚約者がいることは知ってるだろうが!?」


「ふふ…」


「だからくっつくな!てめえ絶対楽しんでるだろ!」


和麻の反応を面白がるように体を寄せてくる霧香、そして嫌がる和麻。

だが、傍目には霧香といちゃついているようにしか見えない。

周囲からの視線が和麻に突き刺さる。


「おいおい、人前で随分と見せ付けてくれるじゃねーか」


和麻達のやり取りに何か思うところでもあったのか、目つきの悪い男が3人ばかり絡んできた。

矢鱈とガタイのいい強面の男に、優男が2人。


「あぁん!?」


余裕の無い和麻は彼らに本物の殺気でもって答える。


「なんか文句でもあんのか?」


妖魔でさえ動きを止めるであろう殺気を(ある程度加減したとはいえ)叩きつけられ、まずはリーダー格らしい大男が色を失くす。


「ッ………い、いえ、何でもないっす」


怯えきった表情で後ずさる大男に後ろの優男2人が吃驚する。


「は、花木さん!?」


「何でそんな弱そうなや「うるせえ!!さっさと帰るぞ!!」」


戸惑っている二人の襟首を掴んで、そそくさと退散していった。


「ったく、根性足りてねえな」


「そう?格の違いを認識できただけでも大したものだと思うけど……

 それより食事はどうなったの?」


「わかったわかった。だからいい加減腕をはずせ、な?」


そんなやり取りをしながら、2人は繁華街を歩いていった。

この様子を、たまたま近くまで買出しに来ていたメイドに見られたことで、

和麻は帰宅後、翠鈴から一緒にいた女について詰問を受けることになるのだが、それはまた別の話。





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