沖縄。

波照間島の南。地図にも載らない小さな無人島が点在する海域。

その中にひときわ大きな島(大きいとは言っても周囲3km程度)が浮かんでいる。

中央に白亜の洋館を構えたその島こそが神崎本家の館であり、神崎一族全てを統括する本拠地であった。

今から凡そ400年前。

明−琉球の航路上を荒らしまわる水妖の調伏のため、時の薩摩藩主、島津家久は一人の水術師をこの地に派遣した。

神崎輝臣。

時の神崎家宗主であり、歴代宗主の中にあっては初代宗主に続く二人目の漆黒使いであった。

当時、琉球王国を屈服させ、その貿易権を奪い、奄美を直轄地とした島津にとって、

日明貿易の要である琉球の航路安定は重要な命題であった。

当時、強大な水術師の一族として神凪、石蕗と共に退魔勢力に隠然たる影響力を保持していた神崎。

その宗主を送り込んだことからも島津、ひいては幕府が琉球を介した日明貿易(そして日明国交復活)に、

どれだけの意欲を見せていたかが窺い知れよう。

輝臣はその強大な精霊統御によって海域を漂う怨霊、邪念を払い、さらには航路を扼する島々を基点に、

直径数10kmに及ぶ前代未聞の巨大な結界を構築し、海域そのものを浄化してしまった。

この航路安定による経済効果は計り知れず、この功績を持って神崎は結界の基点とした島々の管理(実質的には領有)を任されるという、

民間の退魔士としては当時異例とも言える厚遇を受けることとなった。

そして輝臣はこの上なく有能な機会主義者であった。

分家や長老方の反対を押し切り、一族の拠点を九州から沖縄に移した輝臣は島津−琉球−明の貿易体制に食い込むことで莫大な財を成し、

これが現在の神崎の財政面での基礎となった。




































蒼と黒の饗宴

第2部 第3話




































神崎本邸、宗主執務室



不必要なまでにだだっ広い空間。

床一面には赤絨毯が敷かれ、入室した来客にプレッシャーを感じさせるよう計算され、配置された調度品、絵画の数々。

執務机の背後は屋敷の庭を一望できるように、壁一面がはめ殺しの窓に覆われている。

窓は一見、セキュリティのことを考えていないように見えるが、

窓は全て特殊な中間膜でポリカーボネートシートやアクリルシートを貼りあわせた、防弾・防爆・防犯用のレックスガードである。

島全体の警備システムと合わせて考えれば軍のミサイルサイロ並の警備体制である。

これが全て風牙衆残党を警戒してのものであると神凪の術者が聞けば、間違いなく笑い飛ばすことだろう。

宗主である重悟や、実際に兵衛に追い詰められた厳馬。分家の中でも比較的、他系統の術に理解を示す大神雅人。

彼らでさえ、この警備体制は大げさだと考えるだろう。

炎術至上主義から来る驕りと他系統の術に対する研究不足。

風牙の情報収集能力や風術の持つ汎用性。高い隠蔽能力。

これらを軽視した結果が、先の反乱であることを彼らは身を持って理解している。

しかし同時に、風牙衆単独では神凪を害する力は持たないという考えも抱いていた。



重悟達の考えはこうだ。

確かに先の反乱において神凪は風牙に遅れをとった。

その原因は、神凪が風牙衆造反という可能性を全く考慮しておらず、

また、諜報や他の退魔方との折衝など、重要な役目を風牙に任せきり、その監視を怠っていたこと。

そして、仮にも退魔の端くれである風牙が、妖魔との契約という外法に手を染めることを予期できなかったからである。

つまり、神凪は自身の怠慢と油断、そして兵衛の謀略の前に敗れたのである。

と、こうなる。



彼らは風術師の情報力を評価し、その支援能力が戦闘にどれ程寄与するかを学んだ一方で、

やはり風術は戦闘向けの能力ではないとも考えていた。

確かに、同じ力量の風術師と炎術師が正面からぶつかれば、炎術師に軍配が上がる。

風術師が炎術師と拮抗するためには炎術師の4倍もの精霊を召喚しなくてはならないという法則もある。

だが、重悟達が言うところの炎術師優位は、あくまで正面からぶつかった場合の話であり、暗殺や奇襲という事態をまるで考慮していない。

風術師の戦闘技術の本領はゲリラ戦を始め、そういった局面でこそ発揮されるのだ。

そして、練達の風術と殺人技能を身につけた風術師から身を守る術は存在しない。

だからこそ、神崎は過剰とも言える警備体制を敷き、残党狩りに躍起になっているのだ。

風牙が狙う本命であるところの神凪がまるで緊張感が無いのとは対照的である。

そして今、霊的にも物理的にも完全に守られた執務室で、神崎本家当主、神崎貴広は受話器越しに一人の女性と会話していた。


『御依頼どおり、船は押さえましたわ』


受話器越しに聞こえてくる女性の声には、どこと無く険があるように貴広には感じられた。


「ご苦労でした……随分機嫌が良くないようだが?」


『…あの死体について、説明して頂けるのでしょうね?』


女性の言葉に棘がある理由を、貴広は理解していた。

同時に彼女の難詰に対する答えの用意も……


「知らんよ」


にべもなく即答する貴広。

この返事は相手も予想していたらしく、すぐさま追及してくる。


『またお惚けを……この件に関しては公安も動いています。

 情報の隠匿はそちらにとってもマイナスですわよ?』


「……まあ、勘繰りたくなるのも無理はないが。船内にあったという死体については本当にこちらも関知していない。

 大体、私が君に頼んだのは船の積荷を調べることだけだぞ?」


『……“この件”に神崎は関わっていないと?』


「少なくとも、私にそのつもりは無い。まあ、我々が受けている依頼との関連は……否定できんが。」


『それは』


「教えることはできんよ。こちらも信用がかかってるからな。クライアントの情報を漏らすことは出来ん。

 まあ、頼みを聞いてもらったことだし、君の組織が動きやすいよう幾つか手を打たせてもらう。…それで構うまい?」


『…わかりました。』


「話が早くて助かるよ……それではな」


電話を切った貴広は、溜息一つついて目の前に立つ飯島に目を向けた。


「それで、例の貨物船について、何か解ったか?」


「船会社が管理している積荷のリストを調べましたが、特に怪しいものは見当たりませんでした。

 現地調査を行っている隷様の情報待ちですな」


「そうか。」


それだけ言って貴広は暫く黙り込み、手元の書類に視線を落とした。

写真が添付された数枚の書類が、クリップで留められて机に置かれていた。

その写真には複数の角度から撮影された男の姿が写っていた。








    ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆









所変わって東京。

八神邸。



「祝賀会?……今、祝賀会とかいったか?」


「はい、祝賀会です。間違いありません」


和麻に呆気にとられたような表情で聞き返され、八神邸のSSを統括する男はあらかじめ用意しておいた返答を繰り返した。


「…………何か目出度いことでもあったのか?」


「風牙衆討伐の戦勝祝賀会といったところでしょう。」


「呆れたな……身内を何人も殺されて、喪に服するならわかるが…酒を飲んで馬鹿騒ぎか?」


「常人には理解できぬ思考ですな」


やや大げさに男は肩を竦めてみせた。


「しかし、あれだけ賠償金搾り取られて……まだ散財する余裕があるのか、あの家は?」


「いえ。例の賠償金で神凪は資産の大半を喪っております。……まあ、それでも資産残高は9桁を超えますが。

 地方に持っていた山林もかなり手放したようですし、青息吐息と言ったところでしょう。」


あらかじめ調べておいたらしい内容をすらすらと述べていく。

男の名は荒川雄三。

東京に派遣されているSSの総責任者であり、神崎に雇われる以前は警察庁警備局に籍を置く警察官僚だった。

日本警察内の退魔組織であるところの『特殊資料整理室』には関わっておらず、警察庁の無線傍受施設――――第二無線通信所で、

対テロ情報の収集に当たっていた防諜の専門家であり、オカルトの世界に関わるようになって未だ日は浅い。


「このような状況だからこそ祝宴を開くのだ、という考え方もあります。

 先の風牙衆反乱は、もし公になれば神凪の権威を失墜させかねない……それほどの醜態です。

 それは同じ一族内においても言えること――――」


そこまで言われて、和麻も荒川が何を言いたいか悟った。

先の風牙衆反乱において、神凪一族でまともに戦闘に参加したのは綾乃と厳馬の2人だけ。

他の者たちは、宗家、分家問わず屋敷の中で震えているだけだった(もちろん雅人や重梧のような例外もいたが)。

数百年にわたり、自分たちが一方的に見下してきた“下等な”風術師相手に、何ら成す所がなかったのだ。

“炎術”という圧倒的な力に拠って立つ神凪一族にとって、これは存在意義そのものを問われかねない一大事である。


「……つまり自分らの失態を糊塗するために、唯一まともな功績があった綾乃と厳馬の勝利を派手に祝おう。

 でもって、神凪は未だに最強だという幻想に浸ろうってことか?」


「直裁的な表現ですな……まあ、組織というものは大なり小なり幻想に拠って成り立つところが多分にあります。

 神凪のような旧家……それも退魔方の重鎮ともなれば仕方ない部分もあるかと」


「まあ連中の脳内妄想がどうだろうと知ったこっちゃないが……その祝賀会には俺も出なくちゃいかんのか?」


露骨に嫌そうな顔をする和麻である。

神凪の家には和麻にとって良い思い出など全く無い。

トラウマなら、それこそ幾らでもあるが。

神凪和麻として18年暮らした中で、身体に、心に癒えることの無い傷を幾つも負った。

今更、かつて自分を蔑んだ者たちに怯えることはないが、それでも好き好んで行きたい場所ではない。


「招待状が来ていますが……どうなさいます?」


「行くしかねえだろ……神崎の名代としてここに居るからにはな」


和麻個人に対する誘いであれば即断るところだが、生憎とこの誘いは神崎・八神の名代として和麻に出席を望むものだろう。

なら断れない。

過去の感傷に振り回されて貴広の顔に泥を塗るなど到底出来ない相談だ。


「行く。そう伝えとけ」


「承知しました。」


難儀な人だ…と内心で思いながら、荒川は苦笑も露に一礼してみせた。


 






    ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆










綾乃は不機嫌だった。

彼女は今、神凪本邸の母屋。その縁側に腰を下ろしていた。

長い髪が夜風を受けてそよぐ様子は、普段の彼女であれば美神の如く映えるのだろうが、

今の綾乃は怒りに表情を歪め、黒いオーラを周囲に発散しているため、宛ら魔王のような威圧感を持って周囲を圧していた。

たまたま近くを通りかかった重梧が、娘の只ならぬ様子に声をかける。


「綾乃…何かあったのか?」


「何でもないわよ……」


尊敬する父、重梧からかけられた言葉にも、普段の彼女らしからぬ険悪な口調で返す。

全身で『不機嫌』を表明している愛娘の姿に、重梧は目を瞬かせた。


「ふむ、わしで良ければ相談に乗「けっこう」…そ、そうか?」


娘に冷たくあしらわれ、気落ちした様子の重梧。

今朝、友人と繁華街に行くと言って機嫌良さそうに出て行った綾乃だが、夕方に帰ってきてからはこの有様である。


「そろそろ宴の時間だ。広間のほうに来るようにな……神崎からは宗主名代として和麻が来るそうだから…」


「和麻ですって!!?」


ダンッと床を蹴って立ち上がる綾乃。

夜叉のごとき形相で娘に睨まれ、重梧は怯えたように後ずさる。

威厳もへったくれもあったものではないが、幸いなことにこの場には2人を除いて誰もいない。

怒りのオーラを発散している綾乃を恐れて誰もこの縁側に近寄らないのだ。


「なんで!あいつが来るのよ!和麻は八神とかいう家の人間でしょ!?」


「まあそうだが。貴広殿は多忙な身でな。弟君も退魔の依頼で国外らしく参加できる者がおらんのだ。」


「だからって、和麻が来る必要なんか無いでしょうが!」


とはいえ、こればかりは仕方の無いことだ。

先の戦いにおいて、取り逃がした風牙衆の生き残りを狩り立てるために、神崎はかなりの人員を割いており、

宴に参加するためだけに、わざわざ東京まで人を送るような余裕は無い。

どうも綾乃はその辺りのことが解っていないらしい。あるいは、風牙の生き残りなど端から眼中に無いのかもしれないが。


「兎も角、もう決まったことだ。先の戦いにおいて、我らは神崎に大きな借りを作った……この機会に神凪を変えていかねばならん」


風牙衆という神凪の“目”と“耳”を喪った以上、これまでのような炎術一辺倒のやり方では神凪は立ち行かない。

神崎・八神と協力(実質的には神崎の下部組織的な扱いになるだろうが)していくなかで、

彼らから情報を扱うノウハウについて学んでいかなければならない。

神凪が持っていたノウハウは、風牙衆とともに失われてしまった。

しかし、その事に気づいている者が一族に幾人居ることか、重梧としては頭の痛いことだ。


「そんな事…解ってるわよ」


綾乃もこの話題に関しては歯切れが悪い。

先の戦いにおいて、神凪は風牙衆に散々翻弄され、神崎からの、そして癪に障るが和麻からの力添えが無ければ、

神凪の勝利は有り得なかった。

力の弱い風術師を炎術の圧倒的な力に拠って揉み潰すなどという事にはならなかった。

神凪は敵の姿を捉えることすら出来ず、一部の者以外はただ邸に閉じこもり、震えているだけだったのだ。

このままでは神凪は衰退する。

実際に戦場で兵衛・流也父子と戦った綾乃には、その事が身に染みていた。

明らかに格下の実力しか持たない筈の兵衛によってあわや命を失いかけた綾乃には、その事が理解できた。


「………それにしても、綾乃。和麻と何かあったのか?」


和麻という話題に何故か過剰に反応する綾乃に、重梧は何となく聞いてみた。


「なんにもないわよ!あたしはあいつが嫌いなの!顔も見たくないし名前を聞くのも嫌なの!

 あんな奴、年増女とよろしくやってりゃいーのよっ!」


「――――そうか」


なんとなく不機嫌な理由に察しがついた重悟はそれ以上の追及を避け沈黙するのだった。





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