アルゼンチン共和国 サンタクルス州

プエルトサンタクルス







「……ああどうも、先日連絡を差し上げたレイ・カンザキです。

 スピノザ氏と面会を………ええ、アポはとってますので…そうです。ええ、宜しくお願いします。」


白で統一された内装のロビーで受付嬢に何事か告げた隷は、しばらくすると慎吾の元に戻ってきた。


「少々お待ちくださいってさ」


「そりゃいいが…こんな所を調べる意味なんてあるのか?」


「積荷そのものは日本の警視庁が調べるさ……僕らが調べるのは、まあ事実の裏付けをとるための補足資料集めってトコかな」


「はぁ…」


しきりに首をかしげている慎吾は放っておいて、隷は来客用のソファに深く腰を下ろした。

協会から受けた依頼は遅々として進まなかったが、焦りは禁物だと思っている。




10分後。




「まだかな?」


「おせえな…」




更に10分後。




「うーん、遅い」


「おい!いつまで待たせ…ゴフゥッ!!」


「こらこら、余り女性を困らせるものじゃないよ?」


待ちくたびれた慎吾が受付嬢に食って掛かるのを、

彼の鳩尾に拳を二重の極みでめり込ませて黙らせる隷。







結局、隷たちが船会社の社主と面会できたのは一時間近く待たされた後だった。




「まったく、待たせすぎだよ…何が少々お待ちくださいだ」


隷は苛立たしげに前髪をかきあげた。


「これだから現実の女は!」


「アンタ…その発言は人として終わってるぞ」


隷の最後の謎発言に、慎吾はタラリと冷や汗を流して呟いた。




































蒼と黒の饗宴

第2部 第4話




































「風牙衆壊滅を祝って!」


「地獄の釜で煮られている兵衛に!」


「「「乾杯!!!」」」


悪趣味な乾杯の音頭が、そこかしこから聞こえている。

誰もが陽気に浮かれ騒ぎ、手当たり次第に乾杯を繰り返した。

炎を操る炎術師の一族、『神凪』

その本家にて、今宵、盛大な宴が催されていた。

およそ一週間前のことである。

神凪の下部組織、『風牙衆』が突如として反旗を翻した。

風牙衆の長、風巻兵衛は強大な妖魔を息子である流也に憑依させ、神凪の術者を次々と虐殺した。

それを迎え撃ったのが神凪一族最強の炎術師、神凪厳馬であり、一族の次期宗主たる少女、綾乃であった。

京の北西。炎神・火之迦具土を祀る神凪の聖地にて、2人は妖魔に、そして恥知らずにも妖魔に魂を売り渡した風術使い達に戦いを挑み、

激闘の末、見事にこれを討ち果たしたのだ。

今宵開かれた祝宴は、その戦いの主役たる綾乃、厳馬を讃え、神凪が未だに磐石であることを再確認するためのものであった。

……無論、その席には風牙衆討伐に際して『情報提供を含めた“ある程度”の協力』をしてくれた神崎・八神一族も、

一応の功労者として招かれている。

この席にいる殆どの者たちはそう考えていた。


「和麻……来ませんね」


「うむ……まあ、あいつも何かと忙しい身だ。多少の遅れは仕方あるまいて」


声を潜めて重梧に話しかけたのは大神雅人。

神凪分家最強の術者であり、綾乃、煉などの宗家の術者とも気安く付き合うことができる数少ない人物である。

現在は甥の武哉ともども神崎・八神一族の退魔活動を手伝っているのだが、今回の宴を開くにあたって重梧が呼び寄せた。

同じように分家最強コンビをいわれている大神武哉・結城慎吾も神崎の元で除霊、妖魔討伐に勤しんでいるのだが、

慎吾は現在、神崎からの要請で南米に派遣されており、祝宴には武哉のみが参加している。

八神邸にいたのを呼び出された武哉はというと、父である大神家当主、大神雅行の隣に座って居心地悪そうに身じろぎしていた。


「宗主も無茶を仰る……」


徳利を傾けながら、武哉はぼやいた。

自分の隣で風牙衆に対するあらん限りの罵詈雑言を吐き出しながら大笑いしている父、雅行を鬱陶しげに一瞥し、大きな溜息をつく。

本邸に呼び出された武哉は、重梧から直々にある頼みを受けていた。

宗主から直々に頼まれるなど、神凪一族の価値観からするなら実に名誉なことなのだが、今回ばかりは素直に喜べなかった。


「親父が和麻に暴言を吐かないように牽制しろとは……勘弁してほしいな」


元々、重梧は宴を開くこと自体には反対だった。

まず第一に、宴をひらく金が勿体無い。

先の戦いの折、神崎に対して支払った賠償金は日本円にして78億という途轍もない額であり、破産こそしなかったものの、

神凪の財政事情は赤一色に染め上げられた。

神凪でも有数の資産を誇る分家、樋上家の当主である修輔の『もう私の家は屁も出ません。土地も、美術品も全て持っていかれました』という言葉が全てを象徴 している。

分家で一番金を持っていた家でさえこの様なのだ。

宗家はまだ多少余裕があったが、それとて無駄遣いしてよい訳ではない。

また第二の理由として、戦勝祝賀会を開くからには神崎、八神からも人を招かなければならないというものがある。

一族の殆どの者たちは神凪一族こそが退魔方の筆頭であると考えており、

中には、世界は神凪を中心に回っているなどと言う中華思想じみた噴飯物の考えを抱いている大馬鹿者さえいる。

そんな中に神崎の客人を招き入れて何か失礼でもあれば大変なことになる。

その馬鹿な連中がどう考えているか知らないが、(名目はどうあれ)現実には神凪は最早、神崎の下請けに近い位置づけであり、

かの水術師の一族は、神凪の権威を失墜させ退魔方からその名を消滅させられるくらいのスキャンダルを握っている。

すなわち、“今、神崎の機嫌を損ねることは神凪の滅亡に繋がりかねない”のだ。

そんなわけで、長老や分家の術者たちが祝賀会を開くことを願い出てきたとき、重梧は当初、難色を示した。

だが、分家の殆どの人間に加えて長老たちまでが揃って願い出てきたものを、簡単に突っぱねるわけにも行かない。

一族ほぼ全員の嘆願とあっては宗主といえど無視するわけにもいかないのだ。

また、神凪が実質的に神崎の下請けと化しつつあり、優秀な術者が次々に神崎に引き抜かれていくなかで、

一族の者たちの士気は目を覆いたくなるほどに低下しており、この上彼らを更に締め上げることは重梧にはできなかった。

これから、神凪にとって辛い時代が来ることになる。

せめて一度くらいは羽目を外させてやろうか……などという仏心を出してしまったのが運の尽き。

結果。重梧は神崎からの参加者に対して最大限の礼を尽くすよう分家当主、長老方に確約させた上で宴を催すことを承認したのだ。

誇り高き神凪一族が他の退魔の下につくなど屈辱の極みだが、それが最強の水術師である神崎なら……まだ我慢できる。

そういう意識が一族の者たちにあることに気づいたからこそ、重梧は宴を許可した。

重梧に手落ちがあったとすれば、東京における神崎の利益代表が『八神和麻』であり、

彼が参加した場合、一族の者達がどんな反応をするかと言うことを失念していたことだろう。

遅まきながらも、すんでのところでその事に気づいた重梧は、雅人、武哉などの八神邸出向組の術者を呼び寄せて、

彼らに分家の馬鹿どもを押さえさせようと考えたのだが……武哉には、どうにも泥縄式という感が拭えない。

そのことは重梧達も考えているらしく、気難しげな表情で酒宴の様相を眺めている。

宗主の心配に気づかぬ様子で、一族の者たちは口々に、憎むべき敵の消滅に祝杯を挙げていた。

彼らにとって、風牙衆は絶対に許すことの出来ない存在だったから。

自ら最強を謳う神凪にとって、自分たちを超える力を持つ妖魔など許せるものではない。

ましてや、長年にわたって自分たちが踏みつけてきた下級術者である風牙衆が自分たちを超える力を持つなど、許容できるはずもない。

風牙衆ごときを恐れて、膝を抱えて震えていた。

それは彼ら……神凪の多くの者達にとって、何としても消し去らねばならない屈辱的な汚点だった。

自分たちが金科玉条としてきた「炎術至上主義」「風術蔑視」の思想を真っ向から否定してのけた風牙衆は、

なんとしても抹殺しなければならない相手だった。

そうであるがゆえに、風牙衆壊滅を祝う祝宴は、彼ら、神凪の多数派にとって多少無理をしてでも行わねばならないものだったのだ。


「ふん、今まで飼ってやった恩も忘れて噛み付きおって。身の程知らずどもが!」


「精霊王の祝福を受けた我らに背くなど、まさに天も恐れぬ不届き者よ!」


「風牙衆の壊滅に!」


「壊滅に!」


幾度と無く盃が掲げられ、際限なく酒が干される。

そんな宴もたけなわの頃。


「和麻様がお見えになりました。」


使用人がそう告げ、それとともに、広間の喧騒はぴたりと止んだ。








     ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆









「おーおー派手にやってるねぇ」


宴の喧騒は庭まで聞こえてきていた。

使用人に案内されて、邸の前までやってきた和麻の耳にも、その喧騒は届いていた。

まあ近所迷惑にはならないだろう。

神凪本邸の敷地は広大であり、一族全員と今はいない風牙衆の住居を設えてもまだまだ充分すぎるほど余裕のある面積を誇っているからだ。

この広大な邸に加えて、驚くべきことに炎術を気軽にぶっ放せるだけの広さを持った鍛錬場まであるのだ。

敷地の中央に位置する母屋、その中でも更に奥まった位置にある広間でいくら騒いだところで、隣近所の家にまでは響かないだろう。


「お待ちしておりました。和麻さま」


使用人に導かれて邸内に上がった和麻に、和服姿の少女が声をかけてきた。


「お前は……」


少女の姿を見て、和麻は珍しく当惑したような呟きを漏らす。

二十歳前の、着物姿の娘。

平素から和服を着慣れているらしく、動きにもぎごちなさが無い。

ショートボブと言うより、おかっぱ頭と言うほうが似合いそうな髪型に、小作りな顔立ち。

『大和撫子』という死滅した言葉を思い出させるような、典型的な和風美女だった。

神凪の分家の人間の中でも、彼女のことだけは覚えていた。


「確か大神の……」


「操と申します。兄様が大変お世話になっているようで」


皮肉か?

一瞬、和麻はそう思った。

八神家に出向してきた神凪の術者は日夜、馬車馬のごとく働かされており(この場合、労働とは除霊を含めた退魔業を指す)、

和麻にしても感謝されるいわれは無いと思ったのだ。


「雅人叔父様も最近の兄様は更に実力を上げたと褒めておられます。

 これも、八神で研鑽を積んだ賜物というものでしょう。」


ああ、そうか……天然なんだ。

和麻は深く納得し、同時にこの少女の兄に少しばかり同情した。


「まあ……奴もそれなりに見所があるからな」


操が自分に素で感謝していることが判ると、和麻はにやりと笑みを浮かる。


「まあ!兄が聞けば喜ぶでしょう。これからもご指導のほど宜しくお願いいたします」


和麻の言葉に、操は嬉しそうに頭を下げた。


「おう。これからも、宜しく、ご指導してやるぜ」


頭を下げている操には判らなかったが、そのときの和麻の顔にはサディスティックと形容してよい笑みが張り付いていたと、

後に、その場に居合わせた使用人は証言しているが、真実は定かではない。

また、この日を境に八神邸における武哉の仕事の量が更に増え、彼は悲鳴を上げることになるのだがその原因を作ったものが一体誰なのか、

彼が知ることはなかった。






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