「趣味悪りぃ・・・・」
「素晴らしい・・・・」
ダークスーツに身を包んだ二人の青年の口から正反対の内容の呟きが漏れる
山手の高級住宅街にその屋敷はあった。
屋根に金の鯱が鎮座するその家は閑静な高級住宅街にあってひたすら浮いていた。
例えていうならミカンが山ほど入っているかごの中に冷凍のいわしが突き刺さっているようなものである。
「・・・・なあ隷よ。今俺のすぐ隣から幻聴が聞こえたような気がするんだが。」
2人のうち一方、やや目つきの悪い青年が、隣で感極まったような表情をしている白髪の青年───神崎本家当主の弟である神崎隷に声をかける。
「ん?そうかい?それより見なよ和麻、鯱だよ鯱。こんな家日本中探してもそうそう無いんじゃないかな。」
「・・・・・・・・・」
突っ込みたい衝動を必死の思いで堪えきった目つきの悪い青年───和麻は顔を引きつらせながらも契約書などの書類を出して日本で初めて受ける依頼についての確認を始めた。
蒼と黒の饗宴
第1話
沖縄に本拠を置く神崎一門と、最も親交のある風術の八神家に和麻が養子として入ったのは、アルマゲストとの戦いが終わった翌年のことである。
それまでは居候のような形で翠鈴ともども八神家に住み込みながら当主である伊勢に師事していたのだが、ある時、養子という形で八神に来ないかという誘いを
伊勢から受けることになる。
当然この誘いには風術士の家系として風のコントラクターという強力極まりない存在を手元においておきたいという思惑があったが、そのことは和麻も知ってい
たし、伊勢もその考えを隠そうとはしなかった。
何より神凪に勘当されて以来、住所不定無職であった和麻は翠鈴ともども居候として一方的に八神家に頼り切っている現状に些かならず忸怩たる思いを抱いてい
たため、この申し出は渡りに船であった。
─────────そして現在
隷と共に屋敷に足を踏み入れた和麻は屋敷全体を覆っている妖気が予想以上に濃いことに気づき、眉を顰める。
(まったく、初っ端からはずれ引いたかねこりゃ・・・)
隣で「芸術的だ」とかほざいている男のことはあえて考えないようにする。
こんな所は、さっさと依頼終わらせて帰るに限るとばかりに早足で玄関に向かう。庭のいたるところに設置されている監視カメラに不快指数を上昇させなが
ら・・・・・・。
玄関を開けたところでメイド服を着た女性に迎えられる。瓦葺きの日本の屋敷にメイド・・・・・・。
いよいよ持って依頼人の正気を疑いたくなってきたが俺もプロだ。
そーいう感想はうちに帰ってから吐き出せばいい。ふと隣の隷をみたが神崎の本家で見慣れているのか動揺した様子はない。どこか理不尽なものを感じつつメイ
ドの案内を受けて屋敷の奥に向かう。
「そういや、貴広さんもこっち来てるんだって?」
「ああ。警視庁の特殊資料整理室とちょっとした打ち合わせがあってね」
「あっそ」
「それと和麻、短気は禁物だよ。東京じゃまだ仕事の実績ないんだから、リピーターを一人でも多く取り込まなくちゃ」
「へいへい」
やる気なさそうに(約1名)雑談しながら部屋のドアを開けると、そこには依頼人である坂本某ともう一人、自分たちの同業者と思われる男がいた。
その男は和麻を見て一瞬驚いたような表情をしたが、すぐに唇を吊り上げ、和麻を蔑むように睨めあげる。
「何だ、もう一人の術者とはお前のことだったのか、和麻。神凪の嫡子でありながら、無能ゆえに勘当されたお前が、よくも術者などと名乗れたものだ。」
それは依頼人に聞かせるという目的もあったのだろう。
しかし、いきなりの罵倒に対して和馬の反応は男の予想を超えていた。
「・・・・・・え・・・と・・。どこかでお会いしましたっけ?」
これには隣に立っている隷も呆気にとられたような表情で和麻を見やる。
隷はその男が神凪の分家筋である結城家のものであると知っており、最初、和麻がわざとやっているのではと思ったが、和麻のリアクションは明らかに初対面の
人間に声をかけられて戸惑っているものだった。
和麻に問われた男はしばらくの間絶句していたがどうにか精神的な再建を果たすと激昂して叫んだ。
「き・・・・貴様!!ふざけているのか!!!」
しかし和麻としてはどうにも目の前の男の名前が思い出せない。自分に対する態度と男から感じられる炎の精霊の力、そしてその厭味ったらしい態度から神凪の
分家の人間だろうということはおおよそ見当は付いたが名前まではさすがに思い出せない。
埒があかないので隣で突っ立ってる隷の脇を肘で小突く。
「結城慎治だよ。神凪の分家の・・・」
隷がこっそり耳打ちする。もっとも慎治の目の前でやってるわけなのではっきり言って丸分かりなのだが。
「・・ん?・・あ・・・あー知ってる知ってる。慎治ね、覚えてる覚えてる。」
そんな奴知らんと全身で表現するかのようなやる気のない態度でそう言い捨てる。
それに対して慎治が何か言い返そうとするが2人の間に割り込んできた坂本某によって遮られる。
「それは、本当なのかね!?話が違うじゃないか。一流の霊媒師というから、君を雇ったんだぞ!」
詰め寄ってくる依頼人を隷がなだめる。
「まあまあご安心ください。ああ見えても彼は海外では一流どころとして知られてますし・・・ではこうすればどうでしょう。もしそちらの結城さんがよけれ
ば、この八神と除霊してもらい、成功したほうに報酬を払うということにしてみては?」
営業スマイルを浮かべながらとんでもない提案をする隷に今度は和麻が詰め寄る。
「(おい!どういうこった!)」
「(最初の依頼で依頼人に悪い印象をもたれちゃまずいよ。それに相手は神凪の分家筋だ。負かせば君に箔がつくし、除霊の速さを競うな
ら最速の風術士が負ける道理なんてないだろう?)それで、どうでしょうか結城さん」
「ふん。いいだろう。身の程ってやつをそこの無能者に教えてやる。」
馬鹿にしきった表情で和麻を見ながら傲然と言い放つ。
「いかがでしょうか。坂本様」
「ふむ・・。なかなか面白い考えだね。」
一転して機嫌良さそうに隷に頷くのを見ながら和麻は表情にこそ出さないものの隷の交渉能力に感心していた。
いつの間にかこの場の主導権を隷が握っていた。
「分かりました、やりましょう。」
和麻が答える。
隷の「営業」を見るにつけて和馬にも少し勤労意欲が戻ってきたようだ。
「ふん、虚勢など張らずに机の下にでも隠れたらどうだ?」
相変わらず和麻を嘲弄する慎治だがあっさり無視される。そして無視された慎治は顔を赤黒く染めて和麻につかみかかろうとするが、簡単にいなされる、依頼人
の前で。傍目にも無様この上ない光景である。この時点で坂本の中で『神凪一族分家の慎治』の評価はかなり下がっていたのだが、まあ当然だろう。
実際のところ、普段の慎治であれば依頼人を前にこれほどの醜態を見せることはなかっただろう。しかし、これまで蔑んできた相手から逆に見下されるのは、特
にそれが、かつて無能の代名詞であった和麻であったことは、慎治にとって我慢ならないことであった。
慎治がさらに和麻を罵倒しようとしたところで室内の妖気が突如として収束を始め事態の展開を告げる。
「来るか・・・・・・む?」
和麻が疑問の声をあげ、隷に目をやる。
隷のほうでも妖気が予想をはるかに超えて強力であることに気づいたようだ。もちろん和麻や隷であれば余裕で対処できるレベルではある
が、どう考えても「悪霊」というレベルではない。
――――ま、初仕事ならこんなものだろ?あんたの実力が噂どおりなら、片手で捻れる悪霊だよ―――
軽薄そうな男だったが、実績は確かだと聞いている。彼等の仕事はある意味術者より信用が命だ。
これほど大きなミスを犯すことなど、まずありえない。
そんないい加減な仲介人が生き残れるほど、甘い業界ではない。
「(ハメられたか?)」
「(さてね・・・、とにかくこいつを片付けよう。その仲介人には今度きっちり説明してもらうとしてね・・・)」
余裕の態度を崩さない2人。
しかし・・・・・・・。
「こいつはいつになったら気づくんだ?」
和麻は慎治に冷ややかな視線を投げかける。
そのうち妖気が黒く凝りだすに至ってようやく慎治も気づいた。
「むっ!出たか!」
「(おいおい・・・、いくら炎術士だからってもう少し早く気づけよ)」
確かに精霊術士の中でも炎術士の感知能力は最低だが全くのゼロというわけではない。一般人にも分かるようなレベルになるまで気づかないというのは酷すぎ
る。
これは普段から風牙衆に索敵を任せきっている弊害であるともいえる。
歴史的な経緯から風牙衆を蔑み、ひいては彼らの本領である情報収集能力までも下術である決め付け学び取ろうとしなかった神凪一族の落ち度であろう。
悪霊の出現に備えて慎二は精神を集中していた。どうやら出現する瞬間に炎術で燃やし尽くすつもりのようだ。
「(ふむ・・・・油断しちゃいないようだが・・・)」
あれだけの妖気を視認するまで気づかないくらいだから、下手をすれば相手をただの悪霊と舐めてかかるのではないかと和麻は考えたのだが、そうではないよう
だ。
「(しかし何か引っかかるな。)」
これまでの慎治の行動を思い返し、念のために周囲に風の結界を張る。
おおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉん・・・・・・・・
怨嗟に満ちた声が空気を震わせ、悪霊が姿を現した。その溶け崩れた顔が、すべての生ある者に無限の憎悪をぶつける。
その禍々しさに慎治の隣にいる坂本が悲鳴を上げる
「ひぃっ」
そんな坂本を無視して慎治は自身が放つことの出来る最高クラスの炎を悪霊にたたきつける。
「何考えてんだあいつ」
慎治は悪霊に対して至近距離から炎を放った。神凪の端くれである以上、多少火の粉をかぶったところで火傷ひとつ負わないだろうことはわかるが、すぐ近くに
依頼人がいるのを無視して攻撃するとは・・・・。
和麻と隷は坂本の前に立ちはだかり炎が坂本のところまで行かないようにする。
最もそんなことをせずとも最初に張っておいた結界が炎を防いでくれるのだが、これは自分たちの働きを坂本にアピールするためのパフォーマンスである。
「しかし依頼人の保護もしないとは、いったい何を考えているんでしょうね彼は・・・」
隷の聞こえよがしの発言で我に帰った坂本は慎治のほうを恨めしげに見やる。
それを満足げに見つめる隷に和麻はやや悪寒を感じたとか・・・・。
しばらく炎に包まれていた妖魔だが、
「このまま終わるはずもないか。」
和麻は一言呟くと、次に起こるであろう火事に対して備えた。
ぎおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・・・・
悪霊の苦鳴が響き、慎治が細く微笑んだその時――炎が爆発した。
「がああああああっ!?」
爆発した炎に巻かれ、慎治は絶叫した。
呵々々々々々々々々々々々々
悪霊の陰に隠れ、慎二の炎を食らった妖魔が嗤った。
神凪一族、それは炎の精霊の助力によって炎を自在に操る『炎術士』の中でも最強と言われている一族である。
彼らは熱量の高さや制御できる炎の大きさだけで最強の呼び名を欲しいままにしている訳ではない。
彼らの血に秘められた力にこその由縁があった。
彼らの炎は単なる分子運動の加速によって発生する物理現象ではない。
この『世界』に本来あってはならない不浄の存在を焼き浄める破邪の力を秘めているのだ。
この破邪の力を秘めた『浄化の炎』をもって神凪一族は妖魔悪霊その他ありとあらゆる『世界』の定めた法に背く存在に対して圧倒的に有利な立場に立つことが
できる、否できたというほうが正しいか。
この力はあくまでも『血』による力である以上、血が薄れていけば浄化の力が弱まっていくのは自明の理というものだ。
すでに神凪の分家がもっとも浄化の力を秘めている『黄金』失って久しい。
注意しなければ炎の力を有する妖魔に炎を吸収される可能性があるのだ。
たとえば今回のように・・・。
妖魔に跳ね返された炎によって居間は煉獄と化すかに見えた。
しかし和麻の張った結界によってその炎は慎治の周囲だけにとどまっている(酷)。
「んじゃ、最後は任すぞ。」
「ああ、わかった。」
和麻に返事を返した隷がパチンと指を鳴らすと妖魔の周辺に漆黒が出現し、一瞬にして妖魔を悪霊もろとも飲み込んだ。
「はいおわり」
「・・・・ま、まあいいけどよ」
隷のさわやかな笑顔に思わず引きそうなる和麻であったが、近くに依頼人がいることを思い出して、表情を取り繕う。
「それではこれで依頼は完了しましたので」
「あ、ああ・・。良くやってくれた。おかげで助かったよ。」
圧倒的な2人の実力を間近で見たということもあり坂本からは当初の値踏みするような視線が感じられなくなっていた。
「しかし結城君には気の毒なことをしたな・・」
「ああ、あそこで死んだ振りをしてる奴ですか?」
ピクッ
和麻の言葉に居間の中央に転がっている黒い物体が反応する。
「ん?な、なに!?」
坂本は一瞬わけが分からないようだったが慎治が起き上がり、体に付いた灰を払い落とし、ばつの悪そうな表情で言い訳を始めるとようやく事態が飲み込めたよ
うだ。
「精霊術士はその属性ごとの加護を持っています。私ならば風術士ですから風。神崎のような水術士は水。そして炎術士ならば炎、とね。神凪ともなればこの程
度の炎で死ぬことはないでしょう。出来ても服を焼くぐらいでしょうね」
珍しく和馬が丁寧に説明する。
「・・これをおまえがやったのか?」
「仕上げは隷がやった。そこで見てたろうが・・・」
白々しい。
「依頼人を放って高見の見物とは、それでよく退魔が務まりますね?」
隷が追い討ちをかける。
「ぐ・・・ぐ・・・」
慎治としては何か言い返したいところだがすべて図星な上、いまや依頼人の坂本までが冷ややかな視線を向けている。
「それでは我々はこの辺りで失礼させていただきますので、契約どおり依頼料の振込みをお願いします。
「うむ。わかった。また機会があればよろしく頼むよ」
「ま・・・待て!」
屋敷の門をくぐり外に出ようとしたとき和麻を慎治が呼び止める。
「あ?まだ用があるのか?」
面倒な・・、と内心考えながら慎治に用件を聞く
「何故戻ってきた?」
「少し思うところがあってな」
「ふざけるな、そんな答えで宗家や長老の方々が納得すると思っているのか!」
慎治はいらだたしげに問い返す。
「俺は既に神凪とは何の関係もない。ボケ老人どもが納得しようがしまいが知ったこっちゃないな。」
そうはき捨てると、今度こそ和麻は踵を返して歩き去った。
歩き去っていく和麻を凝視しながら、慎治は言い表せない不安に襲われていた。そしているまでも和麻の背中を見ていた。
(一刻も早く宗主に報告せねば・・・・・・・・・)
慎治の不安はある意味で的中した。
神凪を滅亡のふちに追い込んだ戦いは、今、この瞬間から始まった。