東京 警視庁


「全く今日は厄日か・・・」

どことなくやつれた様子で愚痴をこぼす男の名前は神崎貴広。

日本を代表する水術士の一族である神崎の当主であり、水のコントラクターであり世界最高クラスの水術士である。

この日は、日本政府が抱えている退魔組織である警視庁特殊資料整理室に、とある打ち合わせのために来ているのだが、連れてきたメンバ

ーが問題であった。

まず神崎家のSSのチーフである飯島克己だがこいつはまだいい。

問題なのは秘書として同行させた霧島香である。

能力的には不足はない。

むしろ神崎家の事務系のスタッフの中では抜きん出た能力を持っている。だからこそわざわざ連れてきたわけだが・・・。

問題はその容姿と言葉遣い。

大卒の成人であるにも拘らず、小学生のような容姿に加え、語尾に必ず〜でちゅをつけるのだ。

それを目の当たりにした警視庁の職員――――橘霧香警視・特殊資料整理室室長を含む――――から終始蔑むような視線に晒され続けた。

神崎側3人の男性スタッフのうち真っ先にリタイヤしたのは元警視庁職員であり最年長の荒川だった。

かつての同僚の蔑みの視線に耐えかねた彼は会議が始まって最初の小休止に逃亡した。

第二の犠牲者は最年少の江崎。質疑応答の際に誤って自分が語尾にでちゅをつけて喋ってしまったのだ。橘警視に淡い恋心を抱いていた彼

はショックでひきつけを起こし医務室へと運ばれた。

結局最後まで耐え抜いたのは、貴広と飯島――――霧島は除外――――の二人だけだった。

その飯島にしても完全に炭化しており当分使い物になりそうにない。

どんよりと曇った空を見上げながら霧島を本家に戻そうと一人決意を固める貴広だった。









蒼と黒の饗宴

第2話












「知っとるか、和麻が日本に帰ってきとるらしいぞ。しかも風術師になっとったんだと」

「なに、あの能無しがか?風術師ってのは、えらく簡単になれるもんなんだな」

「いや、俺は黒魔術師になったと聞いたぞ。あいつが術者になろうとしたら、悪魔に魂を売るしかないだろ?」

「あー、そりゃそうかもしれんな」

「あははははははははは・・・・・・・・・・・・・」



その日、神凪本邸では和麻の噂で持ちきりだった。

慎治の報告を聞いた長老――――――現役を退いた術者の管理を司るもの――――――の一人が、面白半分にある事無い事をばらまいたのだ。

ちなみに当の慎治は、任務失敗の咎で謹慎している。

そのため噂は尾鰭と背鰭さらに胸鰭までつけて成長していきそれを止めるものは誰一人いなかった。

だが噂を流した当の長老はご満悦だった。

長老と言う人種はよほどまじめな例外を除くと、基本的に暇人である。

『偉そうにしているのが仕事』と陰口を叩かれることもある。

仕事がないときは、日がな一日茶を飲んで、四方山話に興じている連中であるため面白い話には目がない。

慎治にしてみれば強力な術者となって帰ってきた和馬が自分たちに復讐でも始める気ではないかと気が気でなかったのだが、実際には、和馬の情報は慎治の希望 とは正反対の方向で広められていき、謹慎中の慎治にそれを止める手立ては無かった。



曰く――――――


「和麻が黒魔術師になって帰ってきた」

「和麻は人知れず殺され、裏庭に埋められていた」

「和麻は仕事でかち合った慎治を瞬殺した」

「和麻は風の精霊王と契約した。いや悪魔とだ」

微妙に真実が混じっていたりもするが、ここまで来ると誰も信じない。


当然、和麻の報復を恐れるものは誰一人いなかった。


宗家の出来損ないが、母の胎内にすべての才能を置き忘れてきた上澄みが少しはましな力を身につけて戻ってきたらしい。誰もがそう笑い飛ばした。

だがごく一部には例外もいた。そのうちの一人が現宗主である神凪重悟である。

夕食の席で笑い話として語られた一件に、重悟はことのほか興味を示した。

「ほう、和麻が風術を?知っていたか、厳馬?」

臨席していた彼の従兄に話しかける。厳馬は和麻の実の父親である。

8年前、和麻がこの家を去るきっかけを作った人物だ。

「・・・・・・は」

厳馬は短く答えた。

すでに噂を耳に入れていたらしく、動揺している様子はない。しかし喜んでいないことは明らかだ。

『苦虫を噛み潰したような』と言う表現が相応しいしかめ面をしながら、拳を硬く握り締めている。目の前に和麻がいたら絞め殺してやり

たい。そんな顔つきだった。

「お恥ずかしい限りです」

「別に恥ずかしいことではあるまい」

重悟は軽く返すと、召使に命じた。

「詳しく話が聞きたい。慎治を呼べ」

「かしこまりました」



慎治は畳に額を擦りつける程に平伏していた。緊張のあまり、額には汗が浮き、呼吸が乱れる。

神凪一族において、宗家と分家という身分の差は絶対的と言っていい。力ある『神凪一族』の血をどれだけ保っているか、その差が分家と

宗家を分ける。

故に下克上など、夢想することさえ愚かだ。

伝統、格式――――そのような抽象概念による制度ではない。両者を隔絶させているのはただただ圧倒的なまでの力の差だった。

もし仮に、分家の術者が総がかりで挑んだところで、重悟や厳馬にかかれば、小指の先でひねり潰してしまえるのだ。その絶望的な力の差を前に、叛意など抱け るものではない。

慎治が緊張するのも無理はないと言えるだろう。神にも等しい自身の絶対的上位者である重悟の前で、無様な失敗談を語らなければないのだ。それこそ生きた心 地もしなかった。

「顔を上げよ。そう畏まることはない」

重悟は気さくに話しかけるが、宗主の顔を見て話すことは、慎治にはあまりにも畏れ多すぎた。結局、顔を上げたものの、目は伏せたまま

畳を見たまま報告をする。

「ではご報告させて頂きます」









「・・・・・・そうか」

慎治は全て話し終えると、重悟はそう言って、しばし沈黙した。

「・・・・・・そうか」

確かめるように、考えをまとめるように、もう一度繰り返す。

軽く目を閉じ6年前に日本から姿を消した甥――正確にはもう一親等離れているが、面倒なのでそう称している――の記憶を回想する。

(・・・・・・哀れな子供であった)


神凪の家にさえ生まれなければ、優秀な子供として暮らせただろう。

知能に優れ、運動神経も良く、術法の修得においても秀でた才能を示した。ただひとつ、炎を操る素質がないことを除けば。

しかし、神凪一族において炎を操る才能は、他の何よりも重要視されている素質だったのだ。

それゆえに、和麻は他の者から無能者扱いされた。

そして、炎術を使えないものの居場所など神凪にはなかった。

(なぜ私を頼らなかった、和麻。家を捨てる必要などなかったのだ。私ならばお前の居場所を作ってやれたのに………厳馬が何を言おうと、炎術に拘らず、お前 の才能を生かしてやれたのに………)

やるせない感情のまま、重悟は自分の右足を見下ろした。金属とプラスチックでできた、作り物の右足を。あんな事故さえ起こらなければ、『継承の儀』を急が なければ、和麻は今でもここにいたのだろうか?

しかし、全ては遅い…和麻は家を、姓を、神凪の全てを捨てて日本を離れた。

もうそれは変わることのできない現実であり、もう戻ることもできない過去でしかない。

しかし、和麻を追い出した張本人である厳馬は顔色ひとつ変えず言い放つ。

「宗主。和麻は既に神凪とは縁のない者。お気になさる必要はございますまい」

「厳馬、そなたは自分の息子を……」

「私の息子は煉ただ一人にございます」

宗主の言葉を遮り、厳馬は平然と言い切った。

重悟は尚も何かを言い返そうとしたが、不毛な言い争いを嫌ったのか別の話題を口にした。

「もうよい。和麻は結局、風術師として大成したのだ…神凪を出て正解だったかもしれん…それとも兵衛、お前のところに預けていれば、

よき力となったか?」

「かも、しれませぬ」

下座にいた風牙衆の長は、むっつりと答えた。

「畏れながら、風術など所詮下術。炎術の補佐をするのが関の山でございます。仮に4年前に和麻に風術の才があると分かっていても、風

牙衆などに預けるくらいならば、迷わずあれを勘当したことでしょう」

風術の名門である八神家の術者たちが聞いたら間違いなく怒り狂うような暴言である。

己の技を公然と侮辱された風牙衆の長、風巻兵衛は屈辱に顔を歪める。しかし誰も兵衛の顔など見てはいなかった。

戦闘力に至上の価値を見出す神凪一族にとって、探知・戦闘補助を役割とする風牙衆の地位は限りなく低い。

厳馬の言葉は暴言ではなく、神凪では共通の認識に過ぎなかった。

だがそれは傲慢を通り越して、愚劣の極みともいえる考えだ。

そもそも神凪が情報収集や索敵などをこれほど軽視していながら、これまで退魔業に支障が出なかったのはそれらを風牙衆が一手に引き受けてきたからである。

実際、銃火器やトラップを駆使し風術による優れた穏行によって身を潜めながら戦闘を行う風牙衆の実力は――――真正面からぶつかるの

でもない限り――――神凪の分家クラスとなら十分に渡り合える。

何事にも一長一短はある。精霊魔術の4つの分類にもそれぞれ長所と短所がある。

そして、そんな精霊術士としての常識ともいえる事実に気が付いている術者が、世界最高峰といわれている神凪において皆無に近いという

のはもはや喜劇というしかない。

「……この話はここまでにしよう。飯が不味くなる」

そんな中、重悟の言葉に皆は明らかにホッとした表情を浮かべた。

申し合わせたように明るい話題を話し合い、他愛のないジョークに腹を抱えて笑った。

ぎこちなくも、いつもの食堂の雰囲気が戻っていく。それ故に誰も兵衛の眼宿る冥い光に気がつかなかった。

兵衛は顔を伏せ、自分の耳にも届かないほどの小さな小声で呟く。

「この屈辱、忘れはせぬぞ、厳馬め……」







「神凪・・・・・・いや、八神和馬か・・・・・。まったく、良いときに帰ってきてくれたものよな」

ふぉっふぉっふぉ・・・・・・
一条の光さえもない、闇に満たされた一室で、しわがれた嗤い声が張り詰めた静寂を打ち破る。

「では・・・・・・・?」
「うむ。皆も聞くがいい。ついに、時が来たのだ。300年にわたる屈辱を晴らす時が。今こそ我らは失われた力を取り戻し、栄光の座に返り咲くのだ」

『おおおおおおお・・・・・・・』

押し殺したどよめきが空間を震わせた。叫ぶ者はいない。誰もが見つかることを恐れるように息を潜め、緊張に身を固くしている。

「思い知るがいい、神凪一族め・・・・・。ひとり残らず滅ぼしてくれるぞ・・・・・くくく・・・・・」

闇より暗い怨嗟の声が、低く陰々と谺した。



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