早朝 八神邸――――――――



朝食の用意のため厨房に向かっていた翠鈴に声をかける者がいた。

「おはようございます、翠鈴さん」

「あ…冬葉さん、おはようございます。」

昨日、警視庁で何かあったのか、貴広が生ける屍同然の態で帰宅し、貴広が本調子に戻るまで泊めてもらうことになったのだが…………

「ほんとうにごめんなさいね、入居したての忙しい時期に押しかけてしまって。」

心底申し訳なさそうに頭を下げる冬葉。

「やだ、謝ることなんてないわ。二人で住むには広すぎる家だし、好きなだけいてくれていいわよ。」

翠鈴はそう言って快活に笑う。

「けど貴広さんいつまで部屋に引きこもってるつもりなのかしら?」

というか何をやったらあそこまで凹むのか?

「冬葉さん何か知ってる?」

「さあ、昨日警視庁に出かけるまではいつもどおりでしたけど…………」

「一緒についてったSSの人たちは何も教えてくれないしねえ…………」

そう言って今度は外で組み手をやっている飯島たちを窓から眺める。

一心不乱にトレーニングを続ける様子はまるで何かを忘れようとしているかのようだった。
















蒼と黒の饗宴

第4話



















風牙衆の調査の結果、和麻の住んでいる洋館が判明し、そして厳馬の命により、二人の術者が和麻の確保に向かった。

――――結城慎吾と大神武哉…共に分家ではトップクラスの実力者である。

性格が正反対な割には不思議と相性がよく、二人が組めば宗家以外に敵は無いとさえ言われている。

厳馬にしてみれば手持ちのカードの内、最強の二枚を出しただけだった。

しかし結城家の長男を選んだことは、致命的なミスと言ってもよかった。

何せこの男には、和麻を説得する気など欠片もなかったのだ。

「和麻の野郎、ぶち殺してやる!」

「殺しちゃまずいだろ。少なくても口を聞ける状態で連れて行かないとな」

二人は何度も同じ会話を繰り返していた。

正確には復讐に燃え、何度注意しても命令を忘れそうになる慎吾を、武哉がうんざりしながら宥める……その繰り返しだった。

随時入ってくる見張りの報告によれば、和麻は洋館を出て真っ直ぐこちらに向かっていた。誘い込まれていることにも気付かずに……彼らはこう思っている…… 狩をしているのは自分達だと。

「まだかな」

「もうすぐだろ」

この会話も飽きるほど繰り返されていた。

二人とも同じ報告を受け取っているのだから、聞いても無駄なことは分かりきっているはずなのだが………。

「何やってんだ! 風牙の能無しはよ! 和麻ひとりくらい、さっさと連れてきやがれ!!」

慎吾は苛立ちは、着実に勤めを果たす風牙衆にまで向けられた。

「心配するなよ。風牙衆はこういう仕事に関しては有能だぞ」

武哉はあえて綺麗事を言うことで慎吾を煽る。

風牙衆を庇ってやる気はこれっぽっちもない。

彼らを口撃することで慎吾の気が逸れるのなら大歓迎だとさえ思っている。

案の定、慎吾は噛み付いてくる。

「けっ、こそこそ嗅ぎまわるのが得意だからって、何の自慢にもならならねーよ」

「そう言ってやるな、あいつらはまともに戦う力もない哀れな連中だ。半端仕事にでも使ってやらなきゃ可哀想だろ?」

「違ぇねえ。ぎゃぁはははははは!!」

武哉の狙い通り、慎吾は苛立ちを忘れたようだ。箍が外れた笑い声を聞きながら、武哉は思う……十秒おきに『まだか?』と聞かれるよりは遥かにマシだ、と。



そして…肝心の標的にされた和麻はというと、精神的なダメージを受けて帰ってきた貴広が部屋に引きこもったままなし崩し的に居つくことになってしまったた め彼らのための細々とした生活用品を買いに外に出たところ、風牙衆による監視と屋敷に向かってくる2人組に気づき、わざと二人のいる方向に向かって歩いて いたのだ。









(来ました……五百メートル前方です、まだ気付かれていません)

不毛な会話を続ける二人の耳に、見張り役の声が流れてきた。

風牙衆の使う呼霊法と呼ばれる伝言法だ。風に乗せて、遠隔地まで届けることができる。

しかし、この術者も和麻が既に自身を狙っている者を察しているとは夢にも思っていない……仮にも風のコントラクター、周囲の気配には敏感だ。

「来たか…手足の一本ずつ焼いてやる、端っこからな」

誰に言うともなく、慎吾はそう呟く…眼がギラついており、かなり危ない……処刑法を延々と説明しながら、できれば抵抗して欲しい、と彼は考えていた。

いずれにせよ半殺しは確定だが、その方がより多くの苦痛を与えられるからだ。

武哉は少し距離を取ってその様子を眺めていた…こんな危ない奴だったのか、と彼は考えて心の距離をかなり大きく取った。

こうして一つの友情が壊れようとしている時、和麻が現れた。

何一つ警戒せず、のこのこと……少なくとも、彼らの眼にはそう見えた。

そんな和麻に武哉は気取った声をかける。

「久しぶりだな、和麻!」

「………誰?」

意気込んで声を掛けた武哉は、真顔で答えた和麻に一瞬毒気を抜かれるも……次の瞬間には拳を怒りでワナワナと握り締めていた。

「あんたら神凪だよな、あいにく分家の連中の名前はあまり覚えてなくて…………名刺もらえる?」

にこやかに答える。

その場にそぐわぬ爽やかな態度に、慎吾は勿論のこと武哉もあいた口がふさがらない。




最初に立ち直ったのは武哉だった。

「…………………………………………………………………………………………………………神凪だと分かってるならいい……用件は解かるな?」

武哉は、どこか疲れたような口調でそれだけ言う。

「知らん」

即答した和麻は真面目に答えた……和麻としては神凪とのいざこざも押し問答も勘弁してほしいところだ……だが、その態度が逆に相手の怒りを煽っていること を和麻本人が気付いていない。

「結城家のバカなら、昨日会ったが……失敗したのはあいつの責任だろ?」

肩を竦め、ヤレヤレとばかりに首を振る和麻に、武哉はこめかみに血管を浮かべるが、冷静な振りをして言葉を続ける。

「昨日の夜……神凪の術者が三人殺された…犯人は風術師だ」

「…まさか、それが俺の仕業だって言いたいのか? だったら俺は無実だな…昨日は仕事以外じゃ、神凪の奴と会ってねえし四六時中誰かといたからアリバイ だってある。」

投げやりな態度で答える和麻に、武哉は内心の苛立ちを堪えつつ、言葉を発する。

「だったら言い訳は宗主の前でしろ…宗主自らご下問される」

「断る」

またもや即答する。

「既に俺は神凪とは何のかかわりもない。何を勘違いしてるか知らんが話を聞きたいならそちらから来るのが筋ってもんだろ。」

それに神凪には、二度と戻りたくはなかった。

父母に疎まれ、捨てられ、周りはほとんど敵だった。

味方だと思っていた重悟も結局は「神凪」であり、風牙衆の扱いや行過ぎた炎術至上主義をいくら苦々しくは思っていても積極的に正そうとはしなかった。

あんな場所に好き好んで戻りたいなどと思わない。

話を切り上げ、その場を去ろうとするも…次の瞬間、和麻は弾かれたように真横に飛びすさった。その直後、和麻が居た空間がなんの前触れもなく炎上する。

和麻は……なぜか武哉も……身体ごとそこに向き直った。

低い、地を這うような低い声で嗤う………ようやく復活を遂げたらしい………慎吾のいる方角へ………

「くっくっくっ、そーか、ついてきちゃくれねーか。それじゃあ、力ずくで引きずっていくしかねーよなぁっ!」

絶叫と同時に、慎吾の周囲に紅蓮の炎が踊った。

爆音と共に出現した炎は慎吾の身体に絡みつくが、身体や服を焼くことはない……慎吾はむしろ、心地よさそうに眼を細めている。

纏わり付く炎を愛撫するかのように撫で回しつつ、慎吾は喜悦に唇を歪め、宣告した。

「しゃべれれば問題ねーって話だからよ、手足は全部灼き尽くしてやる。軽くなった方が持ち運びに便利だからなぁ! まあ、今は殺さねぇでおいてやるよ…け どよ、お前もそんなみっともねー格好で生き恥をさらしたくねーだろ? だから宗主のご用件が終わったら殺してやるよ。一週間くらいかけてな!」

眼が完全にイッていた。まともな人間の眼ではない。ほとんど狂気に駆られた人間の眼だった。

「たっぷり時間をかけて、生まれてきたことを後悔させてやる。思い知らせてやるぜ! 慎治を殺しやがったてめぇが、のうのうと生きてるなんざ許されるわけ ねえんだってなぁぁっっ!!」

常軌を逸したその口振りだった。狂笑する慎吾を、珍しい生き物でも見るような眼つきで眺めながら、和麻は大真面目な口調で尋ねる。

「神凪じゃあ最近、あーゆうのを 放し飼いにしているのか?……というか、一度病院に連れてったほうがいいんじゃないか?」

そう言って、指を自分の頭に向けてくるくる回す。

「…いや、ああ……まあ………」

武哉も流石に言葉をなくしている。常識人を自認する彼にとって、あれが自分の同類だとは認めがたいことなのだろう。

「苦労してるようだな。付き合う友達は選んだほうがいいと思うぞ………。」

「………お前に同情される日が来るとはな。少し泣けてきた。」

和麻から向けられる憐憫のまなざしに武哉は引きつった笑みを漏らす。

「けど俺らとしては宗主の下命に背くわけにはいかないんでな?」

それでも、武哉としては宗主の命令は絶対である。どちらにせよ和麻を連れて行かなければならない……呆れたように溜め息をつく。

「だから俺じゃねーって…何度言わせるんだ」

「ならば、宗主の前で釈明して見せろ」

「さっきも言ったが俺はもう神凪の人間じゃない……ましてや濡れ衣着せられてハイ、そうですかって出向くほどお人よしでもない……用件があるならそっちか ら出向いて来いと言え、これ以上は言わんぞ。」

もはや和麻にもこれ以上無駄話をするつもりはないとばかりに口調が鋭くなる……罵声を浴びせられて、それで怒らない程、今の和麻は弱くはない。

神凪ともめて今の家に騒動を持ち込むようなまねは和麻もしたくないが、さすがに今回は話し合いの余地はなさそうだ。

「交渉決裂だな」

最初から交渉ではなく脅迫だっただろうが……と、和麻は心の中で毒づく。

そんな和麻の心境も知らず、武哉は『話し合い』による解決を諦め、気を練り上げる。周囲に舞う火の精霊を引きずり寄せ、自らの意思に従わせる。

周囲の温度が肌で感じられるほど上昇した。まだ具象化すらしていない精霊が、物理変化を引き起こしているのだ。

高まりつつある闘気に怯えるように、紅葉がはらはらと舞い落ちる。

鮮やかな落ち葉は武哉の体に触れた途端に炎上し、白い灰となって風に溶ける。

それだけで、畏怖を感じるものだが、和麻は至って冷静に二人を眺めている。

確かにどちらも慎治よりも力は上のようである。二人合わせれば宗家に匹敵すると言われるだけの事はある。

どうやって神凪の炎に対抗する気 なのか、その姿からは読み取ることが出来ない。

「これが最後のチャンスだ。大人しく従え、和麻」

最後通告に、和麻は笑みを浮かべる。

「失せろ」

そのあからさまな挑発に慎吾と武哉は、タイミングを完全に合わせて炎を放った。

「望みどおり殺してやるよ! 死ねやおらあぁ!!」

「悪く思うなっ!!」

術を発動させる前から二人は勝利を確信していた。一族でもトップレベルの術者二人による同時攻撃である。

和麻ごときがどんな策を巡らそうと、凌ぎきれるものではない。だが、そんな二人の予想は大きく外れる。

二人の放った強大な炎は和麻の身体の到着する直前に何かに阻まれた。それは見えない壁のごとく和麻を守る。

強大な風が、風の精霊が和麻の身を完全に護っている……風の壁に止められた炎は威力を保ったまま、その場で静止している。

「まったく……この程度の炎じゃ中級妖魔一匹倒せるかどうか……」

そう呟き、腕を一振りすると静止していた炎が消滅する。

「な、なにしやがった!」

「か、風の結界か…………」

慎吾は混乱し、武哉は呆然と呟く。

まともに戦闘などできるはずがない(…と彼らは思っている)風術士………それもかつて無能の代名詞であった和麻が宗家に準ずるとまで言われる自分たちの炎 をいとも簡単に消滅させたのだ。

しかし戦闘中のこの隙は、例え相手が和麻でなくとも致命的だった。

和麻は一気に二人の前まで駆けると二人が炎の精霊を集める隙を与えずに手刀を叩き込んで眠らせる。



和麻は完全に動かなくなった二人を前に少しの間何か考えるようなそぶりを見せた後、後ろを振り返る

「宗家に伝えろ…もしやる気なら、俺は容赦しないとな……それからこいつらは俺が預かる。」

宣告と同時に木立の一本がズレた…音もなく切断された木が断面に沿って滑り落ちる。

身を隠すことも忘れ、その後ろに立ち尽くす見張りに背を向け、和麻は一言だけ告げる。

「失せろ」

見張りの術者は戦慄と共に悟った。

おびき出されたのは自分達だと…我々こそが、狩の獲物だったのだと………

和麻の一言を聞いてその風牙衆の見張りはすぐさま離脱した。

それを確認すると、おもむろに携帯を取り出してどこかに電話をかけ始めた。



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