ここで、やや時間を遡り八神邸―――――――。


五十鈴の目の前には、神凪の分家の術者である大神武哉と結城慎吾が座りこんでいた。


当初、五十鈴が風術士であると自己紹介すると、まず慎吾がチャンスとばかりに五十鈴に襲い掛かり、一撃でのされた。




和麻に手も足も出なかったにも拘らず、未だに風術士の力を過小評価していたようだ。

友人が文字通り秒殺されたを見て、武哉も身構える。


「まてまて、何も君たちの身に何かしようってわけじゃない。というか、そんな気があるならとっくにやってるよ。」


「一体何者なんだあんた?」


警戒を解かぬままそう問いかける。


「自己紹介ならさっきしたと思うけどね。もう少し詳しく言うとここは和麻の持ち家で、私は和麻の・・・そうだな・・・義理ではあるけど叔父に当たるものだ よ。」


「・・・・・・・・・は?」


武哉の目が点になる。

















蒼と黒の饗宴

第7話





























屋敷内は静寂に包まれていた。


厳馬は廊下を歩きながら、ふと、ここが無人の廃屋であるかのような錯覚を覚えた。


だが、現在、神凪本邸には一族のほぼ全員が集結していた。


和麻を連行に向かった分家最強のコンビである慎吾と武哉は和麻によって連れ去られ、つい先刻、和麻を成敗に向かった綾乃を筆頭とする術者たちは逆に返り討 ちにあい全滅。


この損害によって神凪は実働戦力の約半数を失ったことになる。


さらに深刻なのは、その戦闘には一族第3の実力者である綾乃が同行していたにも拘らず、相手にかすり傷一つ負わせることが出来なかったことだ。


もし和麻一党が攻めてきたら・・・・・・・・・


そんなことになれば綾乃でさえ手も足も出なかった和麻たちに自分たちでは太刀打ちできるはずが無い。


分家全員合わたところで、その力は綾乃と互角か、それよりやや上といったところだ。


しかも戦闘に堪えられる主力の術者のうち半分は既にやられている。


8人が死に、10人が重傷。


無事だったのは綾乃と雅人の二人だけである。


それが唯一の救いではあるが、雅人に言わせればたとえ神凪の戦力が整っていたとしても、和麻たちに勝つ自身はなかった。

自分たちが無事であったのは単に和麻から目こぼしをもらったに過ぎない。


もっとも綾乃がそれを自覚しているかは限りなく怪しいが・・・・。



分家の者たちはなりを潜め、さりとて一人でいる勇気も無く、大広間に集まって震えていた。







普段自分たちの力を誇示し、他の退魔を一方的に見下しているくせに、肝心な時に怖気づくとは。


厳馬としては分家の腑抜けぶりに内心忸怩たる思いを抱いていた。


厳馬は炎術至上主義者であり、「力こそすべて」とまでは行かないもののそれに近い考えの持ち主であったが、自らの力を恃むものがより力を持つものによって 倒されるのはある意味当然のことであると考えていた。

弱者を踏みにじる権利を行使するものは、より力あるものに踏みにじられる義務を有する。

そのことを理解している厳馬は、少なくともその点においては健全であった。

この場合、「弱者」とは和麻であり、「力あるもの」とは妖魔のことである。

勿論彼とて神凪の術者であるから、一族の命脈をつなぐために動くことになんら異存はないが、自分たちで対策を考えることを放棄し、自分たちの巣に引きこ もってしまった分家の術者たちの惰弱さに思わず嘆息する。





「遅くなりました。」



「本当に遅かったな。」

憮然とした表情で重悟が言う。


先ほどまでそこで喚き散らしていた綾乃を重悟がなだめ終わるまで、厳馬は自室にひとりで―――分家の腰抜け連中とは居たくなかった―――避難していたの だ。

「綾乃はどうなりました?」

涼しげな表情で聞き返す。


「五月蝿いから下がらせた。和麻に炎を防がれたことを認められんようだ。これも今までわしが甘やかしてきたつけかな?」



「仕方ありますまい。風術士、それも継承の儀においては赤子同然にひねられた和麻に負けたのですから。むしろ綾乃は一度挫折を経験するべきだったので す。」


「む・・・・確かにな。」


厳馬の意見の正しさは認めるが、よりにもよってこの男に子育てについて意見されるとは・・・。


重悟としては複雑な心境である。


そこでその場にいたもう一人の男。


和麻たちと交戦しながら、どうにか無事に戻った大神雅人が意見を述べる。


「戦っていて気づきましたが、どうやら和麻は妖魔とは無関係のようです。和麻の使う風からは妖気はまるで感じられず、むしろ場の空気を清めているようでし た。」


その言葉に厳馬は目を見開き微かに口元を緩める。


雅人が言うように和麻の力が妖魔から得られたものでないならば、それは和麻が自身を磨くことによって次期宗主である綾乃を超えるほどの術者に成長したこと を意味するからだ。


そんな厳馬を見やって重悟がからかうような声で言う。


「嬉しそうだな厳馬、ならば何故和麻を手放した?」


「私は神凪の人間として生まれ、生きてきました。ほかの生き方は選べません。私の息子にもまた」

「だから自分の手の届かないところまで放り出したと? 好きな道を選ばせてやるために?何も身一つで放り出すこともあるまい。野垂れ死んだらどうするつも りだったのだ?」

だがその言葉に、厳馬は誇らしげな顔をした。

「フッ……なにを馬鹿な。私の息子ですぞ。」

「あーそーかい」


自信満々の台詞に追及する気力も萎えた。


「しかし、どちらにせよ今回のことで我々は和麻に敵として認識されたでしょうな・・・・」


沈痛な面持ちで雅人が言う。


「うむ・・・」


深刻な表情で重悟も頷き返す。



和麻が白と分かったところで事態は何も好転しない。


これで自分たちは、妖魔と和麻一党という二つの勢力を相手取る羽目になったのだ。



和麻は身に覚えの無い罪で一方的に糾弾された挙句命までねらわれたのだ。



仮に自分たちが和麻の立場であれば、間違いなく宣戦布告と受け取るだろう。



「それともうひとつ、下手をすればこちらのほうがより深刻かもしれませんが・・・・」


そう前置きして、雅人は和麻と共にいた水術士について語る。


ダークスーツに身を固め、圧倒的なまでの水の精霊を従えた男。


あの綾乃でさえまるで歯が立たなかった妖魔に一矢報い、先の戦闘では唯の一撃で神凪分家の主力を文字通り殲滅してのけたその実力は尋常なものではない。


彼があやつっていた水は闇夜よりもなお暗い漆黒。


そこまで話したところで厳馬が口を挟む。



「漆黒だと!?確かなのか!!」



重悟のほうもあまりの事実に驚愕の表情をしている。



古今東西、漆黒の水気を行使する術者など彼らはひとつしか知らない。



沖縄の離島。


周囲を水に囲まれた日本の南端に拠を構える退魔方の巨頭であり、神凪と肩を並べる最強の水術士の一族。











「神崎」











深刻な空気が辺りを漂う。

もしその男が漆黒使いならば、自分たちは神崎の当主か、もしくはその弟を単なる勘違いから抹殺しようとしたことになる。






「私が・・・・彼らの元に赴くしかあるまい。」



暫くして重悟が呟いた。



「ですが・・・・・・」


交渉の余地などあるとは思えない。


もし事情が明らかになれば、仮に神凪に対して神崎が攻撃を仕掛けたとしても、それを非難するものはほとんどいないだろう。


神凪が行ったことは勘違いで済まされるようなことではない。


普段であれば、宗主自ら頭を下げにいくというのはそれなりに有効な手といえるが、今回ばかりは状況が悪すぎる。



「土下座でも何でもして神崎が要求する事柄は一族の存亡にかかわるものでない限り最大限飲むことにする。」



その決断に雅人と厳馬は絶句する。



「「し・・・しかし!」」


「神凪」が「神崎」の下につく・・・


それは日本国内において精霊術士として最強の名をほしいままにしてきた「御三家」・・・・




炎の「神凪」




水の「神崎」




地の「石蕗」




そのうち───少なくとも日本国内においては───筆頭と目されている神凪が神崎に従属することは国内の退魔方の勢力図が一変することを意味しており、例 え宗主の決断であろうと、身内から反発が起きることは想像に難くない。



しかし重悟に言わせれば、一族の矜持を保つために一族を滅びの淵に追いやるなど考えてはいけないことだ。





「神凪の命脈を次の世代へとつなげる義務が私にはある。仮に私自身の首を差し出すことになってもな。」



重悟が放つ、彼らもこれまで見たことが無いような迫力に二人は───あの厳馬でさえも───飲み込まれる。








暫くして厳馬が言う。



「・・・・・・実は先代に不穏な動きが見られます。」



「なんだと?」



「どうやら・・・この状況を利用して自らの発言権の拡大を目論んでいるらしく、分家の術者たちをしきりに煽っています。宗主が動かれている間に跳ね上がり どもが和麻たちを再び襲うようなことがあれば・・・・・」




そんなことになってはそれこそ神凪は終わる。


いや、今の時点でもかなりまずい状況ではあるが・・・・・

厳馬とて重悟の言う方法が一番であることは分かっている。



しかし頼道が扇動して分家の者たちが動いてしまえばいくら圧倒的な力を持つとはいっても、「宗主の従兄」にすぎない厳馬では「先代宗主」の権威には抗しき れないだろう。


つまり彼らへの押さえとして重悟はここに残らなければならない。



ならば厳馬が行くかと言えば、先ほどと同じ理由で不可である。


これほど重要な決定が下される話し合いの場に、「宗主の従兄」では役不足もいいところだ。


肩書きで言うなら、次期宗主である綾乃のほうがまだしも適任であろうが、神崎当主とのタフな交渉に臨めるほどの器が今の綾乃に備わっているとは思えない。


さらに都合の悪いことに、綾乃は和麻と漆黒使いが妖魔の手先であると信じ込んでおり、しかも、雅人から聞いた限りでは襲撃の際に綾乃は神崎の漆黒使いに対 して、漆黒の力のことを「妖魔からの借り物」呼ばわりして怒らせている。


はっきり言って、相手の心象は最悪だろうから逆に話が拗れかねない。







ここに来て神凪は完全に進退窮まったといえる。










ちょうどそんな折、風牙衆から和麻の居場所を聞いた一人の少年が神凪の本邸を抜け出した。










―――――ところ変わってここは八神邸。





武哉から話を聞いた五十鈴はあきれ返っていた。


「それじゃ、何かい?何の証拠もなしにただ風術士だってだけで和麻を連行しようとしたと?」


「あ・・・ああ・・・。けど和麻が帰ってくるタイミングが不自然すぎたんだよ。それに宗主は話を聞くといっただけで処断するとは一言も・・・・。」


「しかしだね・・・・和麻は神凪にいた頃そこの術者たちに遊び半分で何度も殺されかけてるんだよ。警戒するのは当然じゃないかな?」



「なっ!!!!」



武哉は絶句する。


当時は彼自身和麻のことを宗家の落ちこぼれとして蔑んではいたが、さすがにそこまで酷いことになっていたとは知らなかった。


そういえば・・・と、彼は思い返す。


いつだったか、妹の操が血相を変えて家に駆け込み近くにいる術者に和麻をいじめているものを止めてくれと懇願して回っていたことがあった。


そのときはそれほど深く考えていたわけではなかったが、今思えば、操の狼狽振りは度を越していたように思える。


そう思うと不審な点がいくつも頭に浮かび上がる。


ふと横を見る。


慎吾はなにやらばつの悪そうな様子でたたずんでいたが、武哉に見られていることに気づくとさりげなく視線をはずす。



「おまえ・・・・・まさか・・・・」



その時一瞬こわばった慎吾の表情を見て武哉は己の予感が正しかったことに気づく。




「・・・・・・・・」


慎吾は無言であったが、その、どこか不服そうな態度だけで彼が和麻を虐待していた一人であることは想像がついた。








気まずい沈黙が二人の間を漂う。




「・・・・和麻を殺しかけたのか」



「・・・ああ・・、俺のほかにも慎治の奴と、少し前に死んだ四条のところの透がいたな・・・」


それを聞いて武哉は分家の中でも特に和麻を嫌っていた四条透のことを思い出す。


透が和麻をとりわけ憎むように―――それまでも蔑んでいたものの―――なったのは「いつものように」和麻を相手に嫌がらせをしている時、和麻から受けた反 撃で怪我をしたのが原因らしいと武哉は聞いていた。


実際には「嫌がらせ」などという生易しいものではなかったのだが、当時、武哉は自分の父である大神雅行から連日、虐待に近いしごきを受けていたためそれを 気にするような余裕は無かった。


まあ、仮に知っていたとしても和麻を蔑んでいた武哉がそれを止めたかどうかは怪しいものである。

妹の操がことあるごとに和麻をかばおうとするのを見て「あんな落ちこぼれに構うことはない」と言って操を引き離そうとしたことは一度や二度ではないから だ。


分家の術者にとって絶対的な存在である宗家の術者たちに逆らうことなど出来ない。


そんな中で、和麻という普段逆らうことの出来ない「宗家」の落ちこぼれを蔑み、嬲ることは分家の人間たちにとってまたとない娯楽だったのだ。


自分たちに嬲られるだけの存在であった和麻が、身の程知らずにも自分に反撃を加えてきたのは透にとって許しがたいことであり、それから和麻はことあるごと に彼の炎術の的にされた。



そして慎吾と、彼の弟である慎治はその「射的ゲーム」に嬉々として参加していたのだ。



神凪の術者は絶大な炎の加護を受けているため炎で身を焼かれることがどれほどの苦痛であるかを知らない。



それが碌に物を知らない子供の術者であればなおさらだ。


その四条透だが、数ヶ月前に退魔の任務で命を落としている。


炎の加護を持っていた妖魔に考えなしに炎をぶつけて攻撃した透は妖魔が倒れたかどうかを碌に確認せずに、妖魔に背を向けたのだ。

その後起き上がった妖魔に後ろから襲われ、彼は生きたまま妖魔の餌にされた。


この妖魔の実力は下級妖魔と中級妖魔の間を取った程度の力量であり、並の退魔でも十分に対処できるものであった。


その後、宗家の術者が送り込まれ「黄金」によって討滅したものの、この事件は神凪の凋落振りを印象付けるものであった。





今になってようやく自分たちが和麻をどれほど虐げてきたかに思い至り、武哉は自己嫌悪に陥る。










なにやら気まずげな空気が辺りを漂う。











そんな時―――




コンコン




ドアをノックする音が聞こえた。





五十鈴は扉の外の人物に中に入るように声をかけようとしたが、彼が口を開く前にドアが大きな音を立てて開く。




「ちあーっす。旦那が呼んでるよ!」



頭に大きなリボンをつけたメイドが入ってくる。



「ああ、かずささん。貴広様はもう?」



「うん。やっと部屋から出てきたよ。考えてみれば丸三日間部屋にこもってたんだよね、飲まず食わずで。トイレとかどうやってたのかな?」


あまり想像したくない。


頭から妙な考えを振り払ってそのメイドに尋ねる。



「それで私に用とは?」



「うん、神凪のことで聞きたいことがあるってさ。ところでそこの人たち誰?」



「神凪の分家の人だよ。何でも和麻に用があるとかでね。今いないんで私が相手してるのさ。」


ややぼかした言い方をする。




―――その様子を何やら唖然とした様子で暫く眺めていた武哉と慎吾であったがそんな二人に五十鈴が声をかける。





「さて・・・・・それじゃ行こうか」




「?」


「いくってどこへ?」



二人は怪訝な表情で五十鈴を見返す。




「会わせたい人がいるんだよ。今この家に逗留している水術の名門神崎家の本家当主にね」



そう言って微笑む五十鈴に、二人は今度こそ言葉を失った。




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