「やれやれ、どうやらあまり面白くない事態になったようだね……」
暗闇の中、少年が呟く。
「神凪と神崎はそう遠くないうちにここにやってくるだろう。」
話している内容とは裏腹に少年の顔には穏やかな笑みが張り付いている。
「は……我々はどうすれば……」
慇懃な口調で兵衛が問いかける。
「案ずることはないさ……」
既に生贄は確保した。
流也達が足止めしている間に神を復活させれば、それで詰みだ。
忌々しいあの風術士や水術士どもを始末することなど造作もない。
当初、彼は神凪と神崎が同盟する前に、比較的弱体な神凪を叩くことを考慮した。
しかし、先に神凪を滅ぼした場合、風牙衆の反乱の目的が消滅してしまうため、あの二人を始末するための手駒を失いたくなかった彼とし
てはそれは見送るしかなかったのだ。
そして彼は頭を垂れている兵衛に視線を向ける。
……愚かな男だ。
……神を復活させたところで、その神が自分達に手を貸してくれるとは限らないというのに。
超越者というものは自分を呼び出したもの全てに無条件で力を与えるようなことはない。
もしそんなことが罷り通るなら、高位の召喚魔術などを行使する魔術師は皆、超越者の加護を得ているだろう。
だが現実そんなことはない。
超越者はその人間が自分の代行者として相応しい力量を持つかどうかを選定するのだ。
彼の見るところ今の風牙衆の術者達に超越者に認められるほどの力が備わっているとは到底思えない。
……まあいい。
……既に彼らには充分役に立ってもらったのだ。
……今はいい夢を見させてやるさ。
仮に呼び出された神が風牙衆を滅ぼそうが、無視しようが彼にはどうでも良い。
間も無くここにやって来るであろう「奴ら」を抹殺できるなら。
風牙の神とやらがどれ程の力を持っているかは知らないが上位世界の住人である者が長時間この世界に留まることは出来ない。
かつて己を封印した神凪と、神凪に肩入れする神崎を滅ぼした時点で消えることになるだろう。
その後風牙衆が他の退魔に滅ぼされたところで彼の腹は痛まない。
侮蔑と愉悦が入り混じった笑みを浮かべる少年の顔を盗み見ながら、兵衛はどこか冷めた表情を浮かべていた。
蒼と黒の饗宴
第16話
京都行きの新幹線の中、広々とした個室には緊張した空気が漂っていた。
神凪本邸での交渉の結果、和麻たちは神凪の妖魔討伐に協力するということで合意が成立した。
その代償は、神崎が今回の事件で失った戦力を完全に回復するまでの間、神凪の戦力を無償で提供するというものである。
また、戦力が回復した後も神崎の要請は可能な限り飲むという条件が付け加えられた。
事実上、神凪は神崎の軍門に下ることになる。
そして、重悟からもたらされた情報によって、風牙衆は京都、炎神・火之迦具土を祀る山にいる可能性が高いことがわかった。
そこはかつて風牙の神が封印された地であり、神を復活させるのであれば風牙衆はそこにいるはずであった。
生贄である煉と共に……
綾乃は緊張していた。
その原因は自分の周りに座っている面々である。
まず正面には神凪厳馬。
いつもの仏頂面で目を閉じ、精神を集中している。
面と向かって座っている綾乃にしてみれば、はっきり言って滅茶苦茶怖い。
そして隣に座っている神崎貴広。
交渉において尊敬する父と互角に渡り合い、退魔士としても日本で最強クラスの実力を持つ大物である。
その途轍もないプレッシャーに綾乃は終始緊張していた。
もっとも、貴広自身は単に妖魔の襲撃に備えて気を張っていたに過ぎないので、これは綾乃の錯覚である。
そして、もっとも気に入らない男、八神和麻は綾乃のそんな様子を見てニヤニヤと笑っている。
ムカつく……
綾乃の心境を一言で表すならそうなる。
これまで綾乃は誰の力も借りず、一人で全てをこなしてきた。
少なくとも綾乃はそう思っていた。
実際には妖魔の位置を観測して報告したり、綾乃の存在が妖魔によって気取られないよう隠蔽する風牙衆の働きや、雅人などの経験豊富な
炎術士のサポートがあったからこそなのだが。
重悟がなんだかんだと甘やかしてきたこともあり綾乃はそのことに気づけないでいた。
もっとも、自分の力を絶対視して他者を見下す分家の術者に比べれば数倍ましである。
周囲の環境の影響もあって風術の有用性に関しては疎かったが、少なくとも綾乃は、相手が自分に無いものを持っていると理解すれば、そ
れに素直に敬意を払う。
そんな綾乃にとってこの2日間は正に衝撃であった。
これまで自分より格下の相手を圧倒的な力によって葬り去ってきた彼女は、ここにきて初めて自分を圧倒する存在に出会ったのだ。
勿論、幼い頃からその力を見てきた重悟や厳馬をのぞいてである。
神崎貴広、神崎隷――――――――――そして八神和麻。
4年前の和麻は綾乃にとって路端の石同然だった。
蔑んだり、苛めたりするほどの関心もなく、自然に眼中からはずしていた。
しかし今はどうだ……
神凪の炎を打ち負かすほどの風など、綾乃の理解の範疇を超えていた。
あの頑迷な炎術至上主義者である厳馬でさえ、今の和麻には対等の術者としての節度をもって接している。
あの「蒼炎」の厳馬がである。
重悟も和麻を自分以上に評価しているようであり綾乃にはそれが面白くない。
その和麻は自分を見て笑っているようではあるが、その実、綾乃に対して関心を寄せているわけではない。
そのことは綾乃にも漠然と感じ取ることが出来た。
4年前と立場が完全に逆転している。
おもしろくない……
もうひとつの原因は新幹線に乗り込んでからすぐに立てた作戦だ。
――――――――回想
「は?作戦?んなもん決まってんだろうが。神凪前衛、他は後衛。」
綾乃の問いに対して和麻はなんでもないことのように言い放つ。
「…………なんかこっちが一方的に危険な気がするんだけど。」
確かに一見理不尽に聞こえるものの決して間違った判断ではない。
炎術は攻撃に特化しているため後衛には向かないし、綾乃には厳馬と違って周りに被害を与えずに妖魔のみを焼き払うような技術はない。
よって綾乃を前衛から外した場合、みすみす遊兵にすることになってしまう。
純粋に、術者としての実力で言うなら、綾乃は今いるメンバーの中では一番弱い。
しかし、炎雷覇を保有していることや、その炎が浄化の力を備えていることを考えれば、対妖魔戦に関しては五十鈴を遥かに凌駕する攻撃
力を持っていることになる。
五十鈴ではあの妖魔には傷一つつけられないが、綾乃なら炎雷覇によって対抗することが出来るのだ。
もっとも、危険な役割であることには違いない。
「厳馬殿には異論はないようだけど?」
隷に言われて厳馬のほうを見るが、特に不服そうな様子ではない。
これでは自分だけが駄々を捏ねるわけにもいかない。
綾乃とて、炎術の特性は充分理解しているので、この配置にケチをつけるわけにもいかないのだ。
「わ、わかったわよ」
そう言うしかなかった。
――――――――回想終了
そんなわけで、綾乃は非常に不機嫌である。
なぜここまで苛立つのか彼女自身にもわからなかった。
妥当な配置にその場の気分でケチをつけるなどこれまでにはなかったことだ。
自分の中で処理しきれない感情に綾乃は戸惑っていた。
あれほどの力を持つ術者。
普段の自分なら敬意を払うことはあっても意味もなく突っかかるような真似はしない。
しかし、和麻に対してはどうしても攻撃的になってしまう。
(大体、ずるいじゃない。何でたったの4年でこんなに強くなっちゃうのよ。)
『継承の儀』のとき、和麻は成す術もなく綾乃によって倒された。
いや、戦いにすらならなかった。
和麻は綾乃がまとう圧倒的な炎の精霊に怖気づき、その場から動くことが出来なかったのだ。
綾乃は和麻の周囲を炎で囲み、和麻が酸欠で倒れるのを待っていただけ。
誰の目から見ても勝負などと言えるものではなかった。
和麻が勘当された時には驚いたものの、数日後には存在自体頭から消えていた。
その程度の男だったのだ。
少なくとも4年前は。
(でも、体術とか他の術法とかは優秀だったって……って違うでしょっ、あいつの良いとこ探してどうすんのよ!?)
綾乃はブンブン首を振り、不愉快な考えを頭から追い払った。
乱れた息を整え顔を上げると、和麻と目が合う。
「…………楽しそうだな。」
馬鹿にするでもなく、純粋に呆れ返った口調で和麻は呟く。
「た、楽しいわけないでしょ!あんたと一緒にいるってだけで、既にこの上なく不愉快よ!!」
「あ、そ」
テンションの高い綾乃の反論を和麻はあっさり受け流す。
何事もなかったかのように視線を前に戻し、懐からタバコを取り出す。
「ちょっと!こんな狭い部屋でタバコなんか吸わないでよ!」
(―――まただ)
尖った口で文句をつけながら、制御できない感情に戸惑いを覚える。
和麻を前にすると何故か必要以上に攻撃的になってしまう。
嫌いだからという理由だけでは説明がつかない。
そもそも綾乃は本当に嫌いな相手は存在自体無視するタイプである。
こんな風に突っかかったりはしない。
(つまり、これまでにないほど大嫌いってことか)
綾乃は自分の感情をそう結論付けた。
そしてタバコを咥えてライターで火をつける和麻に再び逆上する。
「吸うなって言ってるでしょ!聞こえないの!?」
「聞こえてる。煙は外に出さんからかまわんだろ」
そう言って煙を吐き出す。
吐き出された副流煙は一瞬で和麻の風によって清浄な空気に変えられる。
この場には貴広や五十鈴もいるので和麻もそれなりに気を使う。
そうやってタバコをやめない和麻に綾乃は更に苛立ちを募らせるが、空気を汚しているわけでもないため何もいえない。
このままいても不愉快なだけなので綾乃は到着まで眠ることにした。
「これから寝るけど、ヘンな事したら燃やすわよ?」
「安心しろ。女以前の生き物に興味はねえ。」
その物言いにカッとなり立ちあがる。
しかし和麻は自分の言葉を証明するかのごとく、無関心を貫いている。
そんな様子に更なる苛立ちを募らせながらもどうせ言っても無駄と思い直し、眠ることに意識を集中する。
そして数秒後には綾乃は安らかな寝息を立てながら深い眠りに落ちていた。
妖魔の襲撃を警戒していた他のメンバーはそんな綾乃を見て、やや呆れたような顔をするものの、炎術士ではあの妖魔の接近は感知できな
いだろうということで、そのまま捨て置くことにした。
―――――――それから1時間後、車内放送が京都への到着を告げた。