暗い洞穴の中を金髪の少年―――――ミハイル・ハーレイは歩いていた。




既に神崎、神凪の追っ手が目前に迫っている以上そうそう長居するわけにもいかない。




流也ともう一体の妖魔「班渠」がいれば、風牙の神が復活するまでの時間稼ぎは出来るだろうが、念のためにもう一つ保険を用意しておく

つもりだった。



洞穴の奥に避難している風牙の生き残り達―――――彼らを寄り代として妖魔を召喚する。



流也ほどには霊的なポテンシャルが高くないため、あまり強力な妖魔は無理だろうが、それでも数さえ集まれば時間稼ぎ程度にはなるはず

だ。




しばらくして、最深部に到着したミハイルは、そこがもぬけの殻であることに気づき小首をかしげた。

「(………どういうことだ?)」






「何かお探しですかな?」


突然後ろから声がかかる。

振り向くとそこには兵衛がにこやかな笑みを浮かべながら立っていた。






























蒼と黒の饗宴

第20話




























――――ふん、見張っておいて正解だったわ………

少年の後をつけてきた兵衛は、少年が洞穴に入っていくのを見て、自分の懸念が現実のものとなったことを確信した。

少年の裏切りという懸念が兵衛の頭に浮かんだのは八神邸襲撃を聞かされたときだ。

煉を攫うのであれば、煉が八神邸に入る前に襲えばよかったのだし、それができなかったのなら警備の甘い神凪本邸を襲って適当な宗家の

術者を攫えばよかったのだ。

高位の風術士による索敵と高度な警備システム、そして強力な退魔士達が24時間体制で警戒している八神邸よりも、神凪本邸のほうが遥

かに襲いやすい。

結城慎治らを抹殺した時も朝まで気づかなかった連中だ。それに気づかれたとしても術者の質において劣る神凪ならば脱出も遥かに容易だ

ったはずだ。

――――神崎をわざと風牙にけしかけたのか?

頭にその疑念が芽生えてから、兵衛は少年をそれとなく監視していたがやはり正しかったようだ。

そして少年に内密で避難場所を変更したことも――――――――








「いや、少しぶらついていただけさ」

兵衛の問いかけに対してミハイルが、こちらも無邪気な微笑を浮かべながら答える。


「ところで、風牙の術者たちはどうしたんだい?」


先程から自分が考えていた疑問を兵衛にぶつけてみる。


「いえ、戦えぬものたちは既に避難させましたので。」


「ここがその避難場所では?」


「いえ、少し前に場所を移動させました」


「それはどこかな?」


ミハイルの問いかけに対して、兵衛はそれまでの笑みを消して答える。

「貴方の手が届かぬところですよ」


「ほう?」

ミハイルはさも面白い冗談を聞いたかのように笑みを浮かべる。



「自分が何を言っているのか理解しているのかな君は?僕に隠し事かい?」

「隠し事というならお互い様でしょう魔術師殿?妖魔を頂いた礼にこれまで貴方の我侭にも付き合ってきましたがこれ以上は困りますなぁ












魔術師殿。











兵衛がそう言うと同時にミハイルの周囲の空気が変わった。





「………神凪と違ってそれなりに頭は回るようだね?しかし、こちらとしても君らにはまだ役に立ってもらわないと困るんだよ。碌に戦い

方を知らない女子供でも使いようによっては時間稼ぎくらいはできるだろうからね。」




それまでの無邪気な微笑とは打って変わって醜悪な笑みを浮かべながらミハイルは言い捨てる。

既にここにいた者達を避難させている以上、兵衛は自分が裏切ることを見越していたということになる。




しかし、ミハイルは余裕の態度を崩さなかった。

確かにミハイル自身の戦闘能力はお世辞にも高いとはいえない。

しかしその分、身の安全のため、彼は自分の周囲を妖魔によってガードさせているのだ。

いま彼の影の中に潜んでいるのは中級妖魔3体に過ぎないが、これでも風牙の術者全員を相手にしても釣りが来るだけの戦力だ。



自分の優位を疑っていない様子でミハイルは更に言い募る。

「では兵衛、その逃げた者達がどこにいるのか教えたまえ。そうすればもう少し位は生きていられるだろう」




「………くく………ははははははは………」


そのミハイルの様子に、兵衛は堪えきれなくなったように笑い始める。



「気でも狂ったか?」

嘲るように言うミハイルに対して、こちらもまた侮蔑をあらわにして兵衛は言い返す。



「くっくっ………いやいや………まあどう思おうとそちらの勝手だが………あなたこそ身の程というものを知るべきですぞ?」

その言い草にミハイルは苛立つ。



つい先程まで自分に平伏していた男、それも何ら見るべき所の無い凡庸な風術士が自分に蔑みの視線を向けているのだ。

兵衛の、その自信がどこから来るのかは知らないが仮に戦闘になれば死ぬのは間違いなく兵衛のほうだ。

兵衛の風刃が自分の首を刈り取るより先に、妖魔が兵衛の喉を噛み裂いていることだろう。



「やれやれ、君はもう少し頭の回る男だと思っていたんだけどね?」

そう言って右手を上げるとミハイルの影が徐々に盛り上がり3体の妖魔が出現する。


「軽口を叩くならまず相手を選びたまえ、風牙の生き残りについては君の脳から直接聞き出すことにしよう。」


そう言って右手を振り下ろし、妖魔を兵衛に放とうとした時。










――――――――――若し痛む所有らば、ゆらゆらと振るえ。此の如くせば、まかるれる人は返りて生きなむ――――――――――










突如としてミハイルの視界いっぱいに金色の炎が広がり目の前にいた妖魔3体を跡形もなく焼き尽くした。








「な………………」

一瞬何が起こったのかわからなかった。


次の瞬間、ミハイルは爆風によって吹き飛ばされて地面を転がる。






「く…………いったい…………」



そう呟いて顔を上げ、ミハイルは驚愕に顔を強張らせる。


目の前で燃え盛るのは彼自身よく知る浄化の炎。




「き、黄金だと!?ばかな!!神凪の浄化の炎が何故!!」



それまでの余裕は完全に失せた様子でミハイルは叫ぶ。

そんなミハイルを気にも留めずに兵衛は妖魔が完全に消滅したのを見て、満足げな笑みを漏らす。




「ふむ、これならば儀式完了まで時間が稼げそうだな。」



自身の「切り札」の威力に満足した様子で呟く。

既に兵衛はミハイルのことなど眼中に入れていなかった。

これから向かってくるであろう神凪と神崎の術者を如何にして迎撃するか。

それだけが兵衛の頭の中を占めていた。






そんな兵衛を憎悪と狂気、そして少なからずの恐怖が入り混じった眼で見つめながら、ミハイルは震える声音でこの現実を否定しようとす

る。



「………ばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなば

かなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかなばかな

ばかなばかな、このわたしが………アルマゲストの評議員すらつとめたこのミハイル=ハーレイが………こんな………こんな雑種どもに…

……」



立場は一瞬で逆転した。


取るに足らぬと考えていた男はミハイル自身の「剣」と「盾」を一瞬で灰に変えてしまったのだ。


ミハイルには魔力の流れなど碌に感じられなかった。


兵衛が何をしたのかさえ彼には把握できなかったのだ。


世界最高クラスの魔術師を自負するミハイルにとってこれほどの屈辱はない。


もはやミハイルに状況を覆す術はない。



「(こ……こんな、こんな馬鹿な話があるか!!!!)」







頭を抱えて煩悶するその姿に一瞥をくれた後、兵衛は傍に控えている男達に向かって「やれ」と短く命じる。




刹那、浄化の炎は少年の姿をした魔術師を飲み込み、跡形も無く焼き尽くした。




兵衛はそちらにはもう一瞥もくれることなく、洞穴の外に向かって歩き出す。















「さて、それでは赴くとするか………風牙を神凪のくびきから解き放つためにな………」





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