和麻による聖痕の発動。

そこから齎される浄化の風は山全体を覆い尽くしていた。

当然風術師である兵衛もそれに気づく。







「間に合った……のか…?」


その余りに非常識な精霊召喚量から兵衛は一瞬、風牙の神が復活を遂げたのかと思い歓喜の表情を浮かべ、それとは対照的に厳馬は顔を強

張らせる。


だが感覚を研ぎ澄ませ山を巡る精霊たちの流れを辿っていくうちに兵衛は段々と顔を青褪めさせていく。

その圧倒的な力の源泉。

その位置するところは神の封印とは全く正反対の方角。

兵衛の脳裏をある人物の姿が掠める。

自分たち風牙が一族再興の為に利用しようとした男。

自分が今対峙している男・厳馬に匹敵、あるいは凌駕するかもしれない規格外の実力を有する風術師。


「…ばかな……こんな……こんな!」


うわごとのように呟く。


ありえない。


今や上級妖魔となった流也でさえこんな芸当は出来るものでは無い。


神か……あるいは「精霊王」でもなければ……


そこまで思考を進めたところで兵衛の頭に突拍子も無い考えが浮かぶ。


1年前、神凪に対する反乱など夢物語でしかなかった頃のことだ。


当時、ロンドンの『時計塔』と並ぶ世界有数の魔術結社『アルマゲスト』の首領が暗殺されたという情報が兵衛の耳に入ってきたのだ。


その後、アルマゲストを実質的に運営していた評議会の高位魔術師達が護衛諸共次々に殺害されていった。



犯人は風の精霊術師。

日本の名門退魔が協力していたという噂も当時は囁かれていた。



その後、弱体化したアルマゲストはアーウィン=レスザールの研究を狙った時計塔、ローマ正教などの勢力から攻撃を受けて完全に消滅。

現在もその残党狩りが行われている。

和麻や神崎に異様なまでの敵愾心を持っていたあの少年の姿をした魔術師。

死ぬ間際に彼はアルマゲストの人間であったことを漏らしていた。

そして最近耳にした “コントラクターは日本人”という情報。


個々の情報に関連性は皆無。

これまでに得た情報が眉唾でないという保証も無い。



だが、和麻がコントラクターであると考えれば目の前の圧倒的な力について明確な答えが得られる。



兵衛の心中を徐々に絶望が蝕んでいった。


























蒼と黒の饗宴

第24話


























「さて、煉を助けに行くとするか。」




気楽な様子で呟いたのは和麻。


班渠を滅ぼした後、貴広達の加勢に行くべきかしばし迷ったが、たとえ流也が倒せても風牙の神が復活してしまえば全く無意味である。

コントラクターといえど人間であることに変わりはない。

そして人間では決して超越者に勝つことは出来ない。




(精霊王の直接召喚なんて出来るかどうかも解らん可能性に賭けるなんてぞっとしねえからな)





視たところ自分が呼び出した浄化の風によって調子を狂わされたのか、拮抗していた流也と貴広の戦いは僅かではあるが貴広が押し始めて

いる。

確かに、妖魔の力を得ている流也は術者としてのポテンシャルにおいて貴広と隷を凌駕している。

しかし、経験に関していえば流也は貴広達に及ばない。

流也は元々優秀な風術師ではあったが、人外じみた強大な力を効率よく扱う術に関して言えば、コントラクターを5年以上やっている貴広

の方が遥かに上を行く。


それに元々風術は戦闘向けでは無い。

水術師相手に接近戦に持ち込まれては余程両者の力量が隔絶していない限り風術師のほうが不利である。

これらの要素に加えて、現在流也は浄化の風によって幾分力を減じさせている。

これなら流也が余程の隠し玉を持っているのでもない限り、自分が加勢する必要はないだろう。





神凪コンビの方も厳馬と、意外なことに綾乃も善戦しているようだ。

(隷とやりあった時は無様の極み、お粗末の100乗だったが…なかなかどうして、やるもんじゃないの)

どんな手品を使ったのかは解らないが兵衛が操っているらしい死体どもは練達の退魔師もかくやという動きを見せており厳馬も綾乃も決め

手を見出せずにいる。

まあ、今にもやられそうなほど苦戦しているわけでもないので、こちらも大丈夫だろう。










(祠には風術師が一人いるだけか。まあ下手に戦力を分散させたら綾乃達に抜かれちまうだろうし…妥当な判断ではあるな。)


どうやら兵衛は、流也を除いた全戦力を厳馬と綾乃の迎撃に振り向けているようだ。

そのせいで綾乃たちは祠に近づけずにいるが、祠そのものは全くの無防備。

これなら煉を助けるのに大した時間は掛からないだろう。




傍らの五十鈴にちらりと視線を送る。




「………そうだな。和麻は煉君を助けに行くといい。私は神凪の援護に向かうよ。」


五十鈴の言葉に和麻は意外そうな顔をする。


「神凪をか…貴広さん達はいいのか?」


「あの人ならそうそうやられはしないよ。それより神凪のほうが危なっかしい。連中、風術師とまともに戦ったことなんて無いだろうし、

兵衛は術者としてはともかく頭は相当切れる男だからね。」



綾乃も厳馬も神の存在ばかりに気をとられて風牙衆自体には全く脅威を感じていないようだったが、五十鈴は兵衛のことをある意味流也以

上に警戒していた。



もともと八神家は代々神崎の情報収集部門を担っており、同業者である風牙についてもそれなりの情報を得ていた。

風牙の長である兵衛は退魔士としては平凡だが、戦術家として、また権謀術数に関しても有能極まりないと五十鈴は分析していた。

今の所それなりに伯仲した戦いとなっているものの、今後の展開によっては状況が覆される可能性は充分にある。

厳馬も綾乃も風牙衆がまともに戦闘が出来るとは露ほどにも考えていなかったのに対して、兵衛は炎術師との戦闘を予想して万全の準備を

整えて戦いに望んでいるだろうから。



それに五十鈴としてはここで綾乃たちがやられて神凪の力が更に低下するようになっては困る。



既に貴広との交渉の結果、神凪は実質的に神崎の傘下に入ることが確定しているのだ。


ここで神凪の戦力を無駄に消耗させてしまっては貴広が行った交渉が無駄になってしまう。


五十鈴の考えを聞いて和麻も納得の意を示す。


「わかった。それじゃここで分かれよう。…気をつけろよ。」


「ああわかってる。」

そして二人は別れた。











(あそこか)

上空から祠の位置を確認した和麻は一気に祠に突入する。





中には風牙の術者らしい女性がいた。



祠に入ったところで和麻の侵入に気づいたらしい。

突如出現した化け物じみた存在に表情を驚愕に彩らせながらも、とっさに風刃を放つ。



例えて言うなら像と蟻。

それほど隔絶した力の差がありながらなお戦意を喪失しないのは流石というべきか。



しかし流也や班渠のそれとは比較するのも失礼なほど弱いそれは防ぐまでもなく和麻が纏う膨大な風の精霊たちに飲み込まれて消滅する。



「そ…そんな…」

呻く女性の後ろには煉が横たわっている。






「さっそくだが煉を返してもらうぞ」


和麻の言葉にも女性は全く微動だにしない。




暫くして震える声音で和麻に問いかける。


「……なぜです。」


恐怖に押しつぶされそうになりながらもそう問いかけずにはいられない。


「何故貴方が神凪に与するのです!?神凪に虐げられてきたのは貴方も同じでしょう!?」


和麻が神凪の鼻摘み者であったことなど風牙の誰もが知っている。


和麻が連日拷問に近い虐待を一族の者たちから受けていたことも。


あれほどの仕打ちを受けながら何故神凪のために戦えるのか。


彼女には全く理解できない。



問いかける女を和麻は鼻で笑い飛ばす。



「は?何勘違いしてんだ、さきに俺を利用したのはそっちだろうが。生憎と俺はやられたら百倍にしてやり返す性質なんでな。風牙全員生

かしちゃおかんから覚悟しとけ?」


侮蔑をこめた憫笑を浮かべて和麻は言い放つ。


「な…」


言われたほうは最早絶句するしかない。

和麻は“首謀者”とは言わずに“風牙全員”といった。

つまり、反乱を積極的に支持しなかった者も含めて一族郎党皆殺しというわけだ。

風牙の境遇そのものは同情に値するが煉を生贄にしようとしたのはまずかった。

翠鈴をアルマゲストによって生贄にされかけた過去を持つ和麻は、生贄という手段をことのほか嫌悪している。

さらに流也に自宅を襲われ、翠鈴を危険に晒した和麻としては綾乃が言うように無抵抗の者には温情を…などとは全く考えていない。

むしろ最後の一人に至るまで嬲り殺しにしてやろうかとも考えていた。

八神邸を襲った時点で風牙衆は自身の死刑執行書にサインをしたも同然であった。





「そういうわけでまずはお前からだ。まあ今は時間がないんで楽に逝かせてやる。」


そう言って自分の首を指差して横一直線に線を引く。首を掻き切る仕草。

和麻の指の動きに同調するかのように女性の首が宙を舞った。

自分の身に何が起きたのかさえ解らぬまま彼女の意識は断ち切られた。







続いて和麻は三昧真火に目を向けた。

まだ神は復活していない。

その事実に安堵しながら煉の元へ駆け寄る。


煉の体に手を触れようとしたところで煉の瞳がカッと開かれ袖の下に隠し持っていたらしいナイフを和麻に向けて突き出す。

しかし和麻は予めその動きを予期していたかのようにナイフを持った腕を右手で無造作に掴み止めた。

「また陳腐な手を……」




そのまま力を込めて煉を自分の方に引っ張る。

「発っ!!!」

自分の方に引き寄せたところで左手を煉の胸に当て、丹田から経絡へと巡らせた気を煉の体内に向けて一気に送り込む。

煉に憑り付いていた妖魔は逃げ出す暇も与えられずに消滅した。



力なく崩れ落ちる煉を抱きとめる。

軽く頬を叩くと軽い呻きと共に煉の意識が覚醒する。




「……ん…あ…にいさま……ここは…?」



状況が解らないのか辺りをきょろきょろ見回す。




(ったく…こいつは…)

その邪気の無い仕草に安堵すると共に、あまりの暢気さにやや苛つきを覚えて少し強く頭を小突く。


まあ家から攫われてずっと意識が無かったのだから無理もないが、苦労して煉を取り戻した和麻にしてみれば煉のこの態度はありがたみの

かけらも無い。



「いっ!……な、なにするんですか兄様!」

いきなり小突かれて煉は和麻に抗議する。

「ほお、そういう悪戯けた事をほざくのはどの口だ?」

そう言って煉の頭を左右から拳で固定し所謂うめぼしをくらわせる。

「ああ!!ごめんなさいごめんなさいぼくがわるかったです!!」

今だ状況は解らないもののとりあえず謝っておこうという選択肢を採ったようだ。

このあたりの反応は綾乃とそう変わらないな―――などと内心思いながら、今の状況をどう説明したものかと和麻は頭を捻った。




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