「…ん?あれは……」



貴広達に合流するべく煉を抱えて飛行していた和麻の視界に、あるものが飛び込んでくる。

木々が鬱蒼と生い茂る山中にあって、そこだけは完全な更地になっていた。

その拓けた場所に倒れ伏しているのは和麻が良く知る人物だった。




























蒼と黒の饗宴

第27話



























「あ、あれは父様!!!」


和麻の様子に気づいた煉がその視線を辿り、厳馬が地に伏しているのを見て悲痛な声を上げる。


ゆっくりと降下し、煉を地面に降ろすと自分は厳馬のほうに歩みを進める。

その途中、殆ど消し炭同然となった死体が目にはいる。





(兵衛……か…?)



後一歩及ばなかったようだが、それでも凡庸な風術師に過ぎない兵衛が厳馬をここまで追い詰めたことに和麻は驚きを隠せない。

(執念ってやつか…)

常識も限界も、人としての則も全て捨て、風牙の再興と神凪への復讐に全てを賭けた。

その執念が神凪の最強をここまで追い込んだのかと思うと畏怖ともつかぬ感情を覚える。

転じて厳馬に視線を戻す。



(派手にやったもんだな。)



傍目にも判るほどひどい火傷である。



並外れた炎の加護を持つ厳馬にどうやったらこれほどの火傷を負わせられるのか。

この光景を神凪の分家の術者が見たらそれこそ自身の目を疑うだろう。





乱暴な手つきで厳馬の頭髪をむんずと掴み、持ち上げる。



「に、兄様!?」



その素人目にも乱雑なやり方に煉が抗議の声を上げる。



「うるさい黙れ」



そんな煉に一顧だにせず容態を観察する。

そのまま数十秒が経過し、焦れた煉が恐る恐る尋ねる。



「に、兄様、父様は大丈夫なんですか?」



「うんにゃ。こりゃ死ぬわ。」



煉の期待を、和麻は一片の情けもかけずに踏みにじる。



「そ、そんな……」



「火傷の方は重傷だが致命的なほど酷くは無い。むしろ胸部の裂傷の方が酷いな。」



淡々と和麻は分析する。



「炎で焼かれてるせいで出血はそれほどでもないみたいだが……どっちにしろこのままじゃ死ぬぞ。」



冷静を通り越して冷徹な口調で和麻は宣告した。



「しかしまあ、神凪最強の炎術師をここまでボロボロにするとは……大したやつだよ兵衛は」



「な、何言ってるんですか!?父様を助けないと……」



「助ければ?」



そう言って厳馬から手を離す。

完全に脱力した厳馬の体は力なく崩れ落ちる。

あわてて駆け寄った煉は厳馬の体が冷たくなり始めているのに気づき顔を青褪めさせる。

まるで死体のようだ。

いや、このままでは本当に死体になってしまう。



「な、何か助かる方法は無いんですか!?」



縋るような気持ちで和麻に問いかける。



「まあ…手がない事もないんだけど……」



「けど、なんです?」



「もったいない。」



その場に沈黙が訪れる。

煉は人形のように顔を硬直させ、和麻をみつめている。

そして和麻も黙って煉を見つめ返す。



「―――何ですって?」



沈黙を打ち破り、奇妙に平坦な声で煉が尋ねた。



「もったいない。」



和麻は平然と繰り返す。

おかしなことなど何も無い。

当然のことを当然に言っただけ。

そんな口調だった。



「貴重な薬でな。はっきり言って二度と手に入らん代物だ。」



だからしょうがないだろ?というように肩をすくめる。

煉には信じられなかった。

人命よりも薬の方が大切だという人間がいることが。

それが自分の兄だということが。

驚愕はそのまま言葉となって溢れた。



「そ、そういう問題じゃないでしょ!?このままじゃ父様が死んじゃうのに、薬が勿体無いなんて……嘘でしょ?」



「いやいや、本気も本気だとも。こいつは相当な値打ち物だからな。はっきり言って神崎への賠償で金欠状態の神凪にこれの代金が払える

とは思えん。…まあ、次期宗主の綾乃は生きてるし、こいつが死んだところで直系の血が絶えるって訳じゃない。」



すました顔でそう嘯く和麻に、煉は生まれて初めて理性の切れる音を聞いた。

体中の血が沸騰したように熱くなる。

戦いへの期待に、炎の精霊が歓喜の声をあげた。



「どうかしたか?」



俯いて沈黙した弟に和麻は気遣うような視線を向ける。



「ふ……」



「ふ……?」



「ふざけるなああぁぁっっ!!!」



煉の咆哮は物理的衝撃と化し、和麻の身体を叩いた。

“気”による最低限の防御をして打たれるに任せたまま和麻は唇を歪める。

この現象は煉の怒気に炎の精霊が反応した結果だと和麻は理解していた。



「(そうだ。それでいい。)」



炎の性は『烈火』。

激甚の嚇怒こそが、炎の精霊と同調する鍵だ。

冷静なだけ、温和なだけの人間に彼らは力の全てを委ねない。

激しい怒りと、それを制御しうる自制心を持つものだけが一流の炎術師になれるのだ。

静かな闘志とそれを制御する精神力。

煉は確実に一流の術者への階段を上り始めていた。




和麻は口元が緩みそうになるのを何とか自制する。




エリクサー


その存在自体が疑問視されているほどの希少性を持つ薬品である。

今持っているものは液体だが、本来は粉薬であり、この薬を服用すれば重篤患者であってもたちどころに全快することだろう。

賢者の石と同一視されることもあり、死者は蘇る、老人は若返る、神々の座へ上れる、等等……逸話には事欠かない。

はっきり言って金で買えるような代物では無い。

売りに出せばそれこそ小国をいくつか買えるほどの値が付くだろう。





貴重品といえばこれ以上ないほどの貴重品だが、和麻にとって絶対に必要というわけでは無い。

煉が術者として成長するために散財したと思えば諦めもつく。












「薬を渡せ」





拒否することは認めない。

父を救うためならば一戦も辞さぬという決意。

これまで綾乃も、実父である厳馬も見たことがない『術者』としての煉の姿。

その凄まじい気迫は父、厳馬を髣髴とさせる。



対して和麻は不敵な態度を崩さない。




「ふん。誰に対して言ってるのか理解してるのか小僧?」



「…そのつもりです」



極北の冷気もかくやという冷徹な眼光が煉を射抜く。

普段の、いや、ほんの数分前までの煉であれば完全に萎縮しているであろう。

だが、今の煉はあらん限りの精神力でもって和麻の眼光が齎すプレッシャーに耐えていた。

彼は自分が何をすべきか完全に理解していた。

逆らうならば、力ずくでも薬を手に入れる。

できるかどうかは問題では無い。

やるのだ。



「ふん。虚勢にしても大したもんだよ。だが……」



言いつつ腕を掲げる。

腕の先に膨大な風の精霊が集い始める。

それを見て煉も炎の精霊に呼びかけ、自身の周囲に超高熱のプラズマをいくつも発生させる。


まさに一触即発。

















そして……


















「そか。じゃあやるよ。ほら、もってけ」



突然、和麻の周囲に集っていた風の精霊が跡形も無く霧散する。

和麻は懐から液体の入ったガラスの小瓶を取り出すと煉目掛けて放る。



「へ?……わ!わあッ!!い、いきなりなんてことするんですかぁっ!!」



煉の方はというと突然和麻が戦意を喪失したことで呆気にとられ、次の瞬間、和麻が煉目掛けて薬の入っている―――と思われる―――瓶

を放り投げたことで、一転してパニックに陥る。

瓶目掛けて全力でダイブし何とか空中でキャッチすることに成功する。



「ぁ…あぶなかった…」



ゼイゼイ肩で息をしながら呟く。

そして先程までとは違う意味で和麻を睨む。



「貴重な薬なんでしょ!?落として割れたりしたらどうするんですか!!」



「いやぁ…あんまりお前が急いでるみたいだったんでな」



あまり理由になってない気もするが今は時間が惜しい。

そして薬を厳馬の口に運び……




「……………………………………………………………あのぅ…これどうやって飲ませれば…」



力なくそう聞いてくる煉に和麻は口元を歪めて言う。



「そりゃ、意識が無いんだから口移ししかないだろ。」






ぴしり……






そんな、空間に亀裂が走る音が響いたような錯覚を煉は覚えた。



「そ、それしかないんですか?」



何とか言葉を搾り出す。

緊急事態なのは判る。

だが

だが父親とはいえ50過ぎの中年男に口移しで薬を飲ませるのは中学生には酷な話かもしれない。

縋るような目で和麻を見る。

だが、日常でなら絶大な威力を誇る煉の泣き落としも今回は全く通じない。



「さあ逝け!煉!!これはあくまで人命救助なのだ!!!」



爛々と輝く、どこか危ない目で煉を見ながら言い放つ。



「ぅ…うう……ほ、ほんとにやるんですか?」



「やらんのなら厳馬が死ぬだけだ。」



とたんに冷徹な口調で斬って捨てられる。

その言葉に煉はハッとなる。



「(そうだ。父様の命がかかってるのに僕は何を考えてたんだ!)」



思い直して薬を口に含む。

そして厳馬に顔を近づける。

一瞬躊躇うものの、すぐに思い直して薬を厳馬の咽喉に流し込む。



「おお……」



感嘆の声を漏らす和麻。

親子のワンシーンをどこか眩しげに見つめる。



「(腐女子とかが喜びそうな展開だな……いや、相手役が厳馬じゃ逆に顰蹙を買うか?まあせめて五十鈴とか貴広さんが相手なら絵になり

そうだが………)」



そんなアホなことを考えていた和麻の知覚が自分達に近づいてくる気配2つを感知する。



「和麻。そちらは終わったようだね。」



落ち着いた様子でそう話しかけてくるのは五十鈴。

すぐ隣には綾乃がいる。

ここで戦っていた厳馬が心配なのだろうか、和麻の後ろ。厳馬と煉がいる所を覗き込むようにして見る。



「おじさ……え!?えええええええええええ!!!」



綾乃の目に飛び込んできたのは厳馬と濃厚な口付け(綾乃視点)を交す煉の姿であった。



「ななななななななななななななにやってんのぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」



ムンクの叫びのごとく全身で驚きを表現する綾乃。



「ぶあッ!!ね、姉様!?どうしたんですか!?」



ようやく薬を飲ませ終わった煉だが綾乃にいきなり詰め寄られて目を白黒させている。



「どうしたもこうしたもないわよっ!!あんたね、いくら女顔だからってそういうアブノーマルなのは絶対許さないからねっ!!!」



腰に左手を当てて右手で煉をビシッと指差して宣言する。



「な、なに訳わかんないこと言ってるんですか!?僕は意識が無い父様に薬を飲ませてただけですよ!!!」



「へ…?」



ぽかんとする綾乃。



「まったくもう」



いたく機嫌を損ねたらしい煉はじと目で綾乃を睨む。

自分でも口移しに抵抗があっただけに綾乃の指摘には感情を逆撫でされたようだ。

近くで腹を抱えて笑い転げている和麻の姿も煉の機嫌を損ねるのに一役買っている。



「えへへ…ごめん」



ようやく自分の早とちりに気づいたのか綾乃が舌を出して誤魔化す。













「あー、和麻。」



そこで状況から取り残されていた五十鈴が和麻に話しかける。



「ん?なんすか?」



「煉君がいるということは神の復活は阻止できたということでいいのかな?」



「ああ。兵衛は厳馬が倒したようだし、あとは貴広さんのところだけだな。」



そう言って貴広達が戦っている方角に目を向ける。







そこでは強大な水の精霊の気配が風の精霊と鬩ぎあっていた。




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