風牙の方針が決まった翌日、兵衛はいつもどおり重悟に退魔の調査報告を行い、その後人員不足の件を切り出した。


「ふむ、そこまで深刻な状況か?」


重悟としては、有用な情報機関である風牙が潰れる前に人員を補充することに全く異論はない。

しかし、こちらから資金を供出して大々的に人集めをするには、いくら重悟であっても長老や分家に諮らなくてはならない。

資金は宗家だけでなく、分家からも出すのだから当然といえば当然。

だが、風牙衆が齎す情報の価値を殆ど理解していない長老や分家の者達が猛反発するであろう事は目に見えているため、

重悟としても二の足を踏まざるえない。


「はい、先代の頃の大量損失の補充も出来ておりませんし、今は良くても数年後には人材が払底することになります。

 最低限こちらの情報収集任務を補佐できる程度の人材を迎え入れなくては」


それを聞いて重悟は苦い表情を浮かべる。

重悟が宗主の座に着く以前。

それなりに権謀術数・実務能力に長けてはいたものの、組織の長としては苛烈な暴君であった先代宗主頼道によって、風牙衆は多くの術者を失っていた。

重悟自身、当時は風牙虐待の噂を何度となく聞いており、その事を苦々しく思ってはいたのだ。

当時。無謀な任務に借り出された挙句捨石にされたり、あるいは日常の中でいわれのない暴行を受けて命を落としたり、

二度と退魔の任務につけないほどの傷を負った術者は2桁に上る。

頼道が宗主の座を退いた後、それらはある程度収まったものの、当時受けた損失から風牙はいまだ回復しておらず、

少ない人員で、過剰ともいえる労働量と任務をこなすことで、潰れる術者が続出することになった。

それを言われては重悟としても無碍には出来ない。

風牙への同情も多少はあるが、実利の面からいっても風牙がここで潰れるのは望ましいことではない。

優秀な情報収集力を持ち、神凪に無償で奉仕する風牙衆を喪うことは神凪を少なからず弱体化させることになる。

民間の情報屋を使うよりは、風牙のほうが情報の質も良いし、安上がりである。

頭の中でこれらの利害計算を済ませた重悟は、兵衛の提案を飲むことにした。


「よかろう。予算に関しては追って伝えよう。」


「はっ、ありがとうございます。」




































風牙の風

第4話 1994年C




































重悟との間に取り交わされた人員補充に関する予算の承認は、風牙衆にとってはまさに福音といえる出来事であった。

宗主のお墨付きが出たことで、兵衛は他の退魔方ともおおっぴらに接触できるようになったのだ。

神凪一族において、宗主の決定は絶対である。

宗主が風牙の人材集めを許可した以上、分家の者達や長老は表立って風牙の妨害は出来ないことになる。

さらに予算もおり、フリーランスの術者を数人雇えるくらいには余裕が出来た兵衛は、

この機会を最大限に利用して、風牙の戦力強化に乗り出した。

重悟にはああ言ったものの、馬鹿正直に見者系の術者ばかりを集めるわけではない。

元々兵衛が人を集める目的は、戦闘能力に秀でた退魔を迎え入れることにあるからだ。

重悟にも「最低限」情報収集任務を補佐できる人材といってあるので問題はない(笑)。

まず兵衛が目をつけたのは、関東で神凪と勢力圏が重複している退魔方である。

関東は神凪が絶大な影響力を持っているため、見入りのある依頼は殆ど神凪に取られてしまう。

そのせいで冷や飯を食わされている拝み屋は、かなりの数になる。

反神凪勢力を形成する上で、こういった手合いは説得がしやすい。

また、彼らとの接触について神凪に追及された際には、彼らから戦力を引き抜いて神凪を強化するためだと言い訳が立つ。

浦風の術者たちにフリーランスの退魔から有力な者達を集めさせると共に、兵衛は賀茂をはじめとした退魔方との交渉をはじめた。

賀茂との交渉は、それほど難航することはなかった。

元々政治力、資金力に乏しい賀茂は風牙の情報力が魅力的であったし、

風牙にしても神凪の息がかかっておらず、それでいて名門の退魔に見劣りしない実力を誇る賀茂の戦力をあてにしていたため、

交渉はとんとん拍子に進み、最終的には風牙の情報網を賀茂が利用する見返りとして、

退魔用の呪符、護符を供給するという協定(いわゆるバーター取引)が結ばれることとなった。

このおかげで、風牙が退魔戦闘を行う際の武器供給の目処が立ったことになる。

この交渉については神凪には伏せられており、交渉が行われたことを知っているのは風牙でも兵衛と分家の当主クラスに限られた。


(武器は良いとして、問題は人間の方だよな〜)


賀茂との取引で武器については供給の目処が立ったが、他の退魔からの人材引き抜きに関してはあまり進んでいなかった。

何しろ引き抜き先の風牙衆が自分の元いた家(または組織)より遥かに弱体な組織であるのだから無理もない話ではある。

また、土御門や石蕗など、神凪と緩やかな対立関係にある退魔と接触するにはまだ時期が早い。

ある程度風牙が力をつけてからでないと、逆にこちらが足元を見られることになるし、あまり派手に動いて神凪に気取られてもまずい。

対外的にこのような外交攻勢を行う一方で、兵衛は流也に命じて神凪に対しても情報収集を強化し、その動向を把握するように努めた。


(フリーランスの退魔士を雇うことで人手不足はどうにかなるし…………後は地道に術者の実力を底上げするしかないか)


(まあ俺も神凪の奴隷で一生終わりたくないし、手は尽くさせてもらう。)









    ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆









1994年7月。

神凪本邸。





神凪本邸の庭隅で和麻と流也が対峙していた。。



「………フッ!!………」


先に仕掛けたのは流也。

一足で相手の間合いに踏み込み、鋭い突きを放つ。

和麻はそれを避けることなく、逆に一歩前に踏み込む。

左腕を急角度に曲げて、流也からの一撃を防ぎつつ、右腕から貫手を繰り出す。


「はぁッ!!!」


「………っ!!!」


その様子を眺めながら、兵衛は今更ながら和麻の体術の腕前に軽い驚嘆の念を抱いていた。


(体術が凄いとは聞いてたけど……ここまでやれる奴は風牙の同年代にもいないだろうな)


和麻との組み手を持ちかけてきたのは、意外にも流也からであった。

最初、風牙の術者同士で訓練していたところを、和麻が興味深そうに眺めており、

それを見た兵衛が流也に命じて相手をさせたのだが、結果は流也の惨敗。

術者としての戦闘では神凪に敵わなくとも格闘技ならば、という自信があった流也としては当然愉快なはずもない。

それから先は、兵衛にとっても意外な展開となった。

今度は流也の方から、和麻に頼み込んで組み手の相手をしてもらうようになったのだ。

最初の敗北に関しては、流也が和麻を舐めてかかったというのもあるかもしれない。

炎術という手っ取り早い攻撃手段があるせいで、神凪の術者は炎術以外の鍛錬を疎かにする者が圧倒的に多い。

無論例外もある。

宗家では重悟や厳馬。

分家では若手筆頭格の実力者と言われる大神雅人などがそれだ。

しかし多くの術者は炎術を鍛えることにのみ終始し、他の技術の修練についてはなおざりにしがちであった。

そのため、体術に関しては風牙の術者のほうが優れていることが多かったのだ。

しかし和麻は炎術が使えない分、それ以外の技術を徹底的に練磨し、

特に、厳馬から指南を受けた体術に関しては既に一族有数の実力に達していた。

以来、流也と和麻の鍛錬は、半ば風牙の日常と化しており、最近では風牙の若手の術者も何人か加わるようになっていた。

兵衛としては労せずして和麻と風牙の共同訓練を恒例化できたのだから不満などあろうはずもない。

訓練の様子をたびたび実に来る操にしても、もともと支援任務で風牙と行動することも多く、

穏和な人格もあって、若手の術者からはそれほど反発は受けなかった。




鍛錬が終わったところで、兵衛は和麻に声をかける。


「和麻様、宗主より言伝を預かっております。」


「宗主から?」


「……では私は下がりますので。」


「まて、お前にも関係のあることだ。」


「は、はあ。」


気を利かせて退出しようとする流也を兵衛が止める。


「ではお伝えします。和麻様には4日後の除霊に参加するよう命が下りました。」


「!……俺が!!」


和麻の顔に喜色が浮かぶ。

これまでは炎術を使えないことで退魔活動に参加することが出来なかった。

それが認められたということは、自分がこれまで体術などを磨いてきたことが評価されたのか。


「はい。つきましては、支援として風牙より術者3名を同行させることになります。」


そして兵衛は流也のほうを見る。


「うち1名は既に決めてある。流也、お前だ。」


「は?私ですか?」


流也は意表を突かれたような顔をする。


「そうだ。和麻様と鍛錬を共にした期間はお前が一番長い。連携も取りやすかろう。」


「………確かに、そうですね。承知いたしました。」


「今回の除霊に関しては先に申しました5名によって行うことになります。」


「?炎術士の方々は出られないと?」


流也が疑問を口にする。

これまで除霊や妖魔討伐は全て神凪一族の炎術士が行い、風牙はそのための情報収集のみを行うというのが常だった。

確かに和麻は神凪宗家の人間だが、炎術は使えない。

炎術士抜きでの除霊任務というのは、風牙にとってもここ数十年前例がない。


「そうだ。元々今回の相手は力の弱い悪霊1体。我々だけでも十分と判断された。」


兵衛の言っていることに嘘は含まれていないが、正確でもない。

元々、兵衛は資金集めのためにも風牙が独自に除霊任務を受けられるように神凪に働きかけていた。


「我ら風牙は神凪の資産によって養われております。せめて術者を雇う程度の資金はこちらで稼げなくては」


風牙衆の有用性を理解していない長老や、分家当主達にはこのようにして説得を行った。

宗主の命により、風牙の人員補充のために少なからず出費を強いられていた分家にしてみれば、

風牙が自分で金を稼いでくれるというのだから反対する理由などない。

また、神凪の分家は今、大神家の家督継承問題で揺れており、風牙のことに構っている暇などなかったというのも理由のひとつだ。

宗家の厳馬に対しては和麻を退魔の現場に出すことをほのめかして説得した。

和麻に実戦経験を積ませたいと常々考えていた厳馬であったが、宗家の出身でありながら炎術が碌に使えない和麻を出すことは、

神凪の恥を外部に晒すに等しいとして、長老や分家当主達が反発したこと。

他の術者たちが無能者の和麻と共同で仕事をするのを嫌がったこともあって、それは叶わなかった。

そこで兵衛は神凪の炎術士を加えず、風牙衆のみをサポートにつけて除霊をさせるという案を厳馬に提示した。

無能者同士で組むということで、分家もそれほど反発はしないだろうという判断によるものだ。

兵衛にしてみれば和麻を風牙の除霊任務に同行させることは風術の有用性を直に見せることに繋がるため、

厳馬とはこの件に関しては利害が一致していたのだ─────────


「悪霊に関する調査資料は纏めておきますので後ほど御覧ください。」


「ああ、わかった。」


意気揚々と去って行く和麻を見送ってから、流也に声をかける。


「そういえば流也。頼んでおいた神凪の情報収集はどうなっている?」


「はい。大神家が家督を誰が継ぐかで揉めているようですね。」


「ほう?」


兵衛は表面上驚いて見せるが、内心では平静を保っていた。


(まあ、原作でもそうだったし……驚くことでもないな…)


先日、大神家当主の雅継が急死した。

死因は脳梗塞。

あまりに突然のことであり、雅継が遺言状など何も残さなかったことで事態は混迷した。

当主候補は2人。

長男の雅行と次男の雅人がいた。

炎術師としての実力で言えば雅人は兄を圧倒していた。

当時、神凪では重悟や厳馬の影響もあって、より力のある術者が一族を主導していくべきだという風潮が強く、

一族の誰もが雅人が当主になるものと考えていた。

しかし、ここで雅行が待ったをかけた。

雅行は自分が長男であり、慣例からいって自分こそが家督を継ぐべきであることを主張し、他の分家当主を抱きこみにかかったのだ。

原作どおりに進めば、この後、雅人は一族内での揉め事を嫌って雅行に当主の座を譲り、チベットに修行に行ってしまうのだが……


「なるほどな。…それで他の分家の反応は?」


「…雅人殿に付いているのは久我家。四条と樋上は雅行を推しています。他は日和見ですね。」


「宗家の反応は?」


「厳馬様は心情的に雅人殿が当主に就かれることを望んでいるようです。

 先代は……表面上沈黙を保っていますが雅行を、四条を通じてそれとなく援助しているようです。」


「それとなく……ふん、流石に表には出てこんか……」


内心では、頼道の立ち回りの巧みさに驚いている。

原作ではただ喚き散らしているだけで、しかも1巻でチラッと出てきただけなので大して注意していなかったのだが…


(考えてみれば、謀略の才で宗主になったような奴なんだし、頭が回るのも当然かな…)


宗家の中でも術者として低い実力しか持たず、『策謀でもって宗主の座を掠め取った』などと言われている頼道だが、

それだけに権謀術数には秀でている。

頼道はかつて、一族宗主の座に就くために自身のライバルとなりうる実力派の術者たちを幾人も蹴落とした。

ある者は強大な妖魔に単独で挑み、そのまま帰らぬ人となった。

ある者は無実の罪を着せられ、あるいはスキャンダルをでっち上げられて一族を追われた。

そうして神凪の術者は徐々に弱体化し、結果『頼道の代に神凪の力は史上最低まで落ち込んだ』などと言われるようになったわけだが…

しかし、政争中も頼道は『石蕗』や『土御門』などの同業者達に付け入る隙を与えはしなかった。

出来物……というのは流石に言いすぎだが、少なくとも「喚くだけしか能が無い小物」というわけではないだろう。

まあ、人望はゼロ。小胆で、猜疑心は人一倍という人間性は、どう考えても指導者としてはアウトなのだろうが。


「それで、今のところ当主の座に近いのは?」


「雅行は大神家の資産の一部を彼らにばら撒き、自陣営に取り込みにかかっています。

 このままいけば、雅行が家督を継ぐ可能性が高いかと……」


報告を聞いて兵衛は思わず笑みを漏らす。


「……成る程。では、我ら風牙が味方すべきは久我だな。」


「は?」


流也がキョトンとした様子で聞き返す。


「粘着気質の雅行のことだ。どうせ自分を支持しなかった久我を目の敵にすることだろう。

 ここで我々が手を貸してやれば久我に対して貸しができる。……まあ、向こうは借りなどとは思わんかも知れんが。

 少なくとも連中は風牙の情報の価値を認識することになるだろう。」


雅行が当主となった場合、久我と大神の関係悪化は免れないだろう。

跡継ぎ問題で雅行を支持していた四条、樋上との関係も同様だ。

大神は分家の中でもとりわけ有力な家柄であり、これを敵に回した以上久我の立場が悪化することは間違いない。


「しかし……よろしいのですか?彼らは…」


流也の疑念はもっともだ。。

何しろ、これまでは神凪に対して恨み骨髄だった自分が神凪分家の連中に歩み寄りを見せると言うのだから。

だが、別に兵衛は分家との融和を考えているわけでは無い。

兵衛がやろうとしているのは、当面、風牙が自由に行動できるようにするための懐柔策。

分家内で対立している二つの勢力のうち、片方に有利な条件を持ちかけることで風牙側に抱き込もうと考えていたのだ。

彼らの内輪揉めを利用し、力ではなく謀略でもって彼らを制御するつもりだった。

だからこそ、神凪分家に対する情報収集を行うように、流也に内密に指示を出していたのだから。


「雅人のことだからお家騒動を嫌って途中で棄権するかもしれんが……雅行のやってることを知れば考えも変わるだろうよ。」


そう言って兵衛はにやりと笑う。

雅行はまだ家督を継いでもいない。

にもかかわらず、大神家の資産。つまり雅継の遺産を賄賂としてばら撒いているのだ。

当然、公になれば大問題である。

雅行は上手く隠蔽したつもりだろうが、諜報、防諜の専門家である風牙の眼を欺けるものでは無い。

ここ最近の大神家からの資金の流れは、流也によって完全に把握されている。

この事を雅人が知れば、間違いなく兄との対決に踏み切るだろう。


「この件に関しては誰にも漏らすな。また情報が入り次第、細大漏らさず報告せよ。」


「承知しました。」




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